「ふろしき」
(作:村岡節子『小3 どうとく きみがいちばんひかるとき』光村図書、道徳教科書)

〔読み物資料のあらすじ〕
 主人公の女の子は、ある日、母親が持っているふろしきを発見する。母と一緒に様々なものを包んでみる。重箱、大きな瓶、キャベツなど、様々な包み方を知って主人公は魔法のようだと思う。昔はお風呂で着物を入れる時に使っていたが、便利なものとして使われるようになったという。


 私たちがふだんつかうカバン、バッグと、ふろしきの違いについて確認してみましょう。私たちが使うものはカバンのサイズが決まっていて、変わることがありません。大きなカバンに小さなものを入れるとなんだかスカスカで、カバンの方が重く、まるで大きなカバンを持っているような感覚になります。大きなカバンであっても、例えば長いものは入らないし、カバンの中で水滴が出て内側が濡れてしまうと洗うのが大変です。そのように考えるとふろしきは便利ですね。様々な形に対応して合わせることができます。ふろしきそのものは軽いので、不要な時は小さくたたんで直しておけばよい。勿論、包む際のテクニックは必要です。知恵というか、技というか、そのような部分が必要であって、身体をうまくコントロールするという部分が必要です。ぽんと物を入れておけばいいという簡単な話ではありません。本文には「大事なもののような気がする」とありますが、その人の思いで包んでいるように見えます。
 なぜこういう便利なものを使わなくなったのでしょうね。昔の人は、ふろしきに殆どのものを入れて歩いていたと思います。それが当然の状況だったと思われますが、現代人にとってはむしろ不便に感じるかもしれません。現代人にとっては、やはり大きいカバンに全部入れてしまって、肩からかけるのが最も楽なのでしょう。またスーパーでもらってきた大きなビニール袋があるので、もうそれで必要な時は済んでしまいます。必然的にふろしきにしてもふくさにしても、使わなくなって当然なのかもしれません。昔のものは素晴らしい等と安易にまとめることはできません。
 その上で、あえて現代社会においてふろしきを使ってみるというのは、どんな姿に見えるでしょうか。あるいはふろしきやふくさを使っている人を見るとどんな思いになるでしょうか。ある人がふろしきを使っている、私も見たことはありますが、おそらくそれは便利だから使用しているというだけではありません。勿論便利というのもあるようですが、便利以上のものがあるように見えます。これまでの日本人の過去を大切にしているという印象です。ふろしきを自分なりに工夫したり、うまく包んだりして、生活に活かしている、その全体像が、なんとも気品を感じるというか、不思議な魅力を出していくのです。一人で自由に生きているというよりは、長年の文化伝統を背負って生きている。何か大きな力というか、大きな思いというか、何かを感じるのです。そのように思えば、少しは使ってみようという気になります。店で購入した新品でもよいのです。たんにふろしきを使えばよいというのではありません。使い方は簡単ではありませんが、逆に身体を使ってしっかりと生きているという感覚になると思うのです。他にも、着物とか、甚平とか、手ぬぐいとか、草履とか。今使ってもあまり便利とは思えないようなものであっても、使いこなしている姿を見ると、なんだか不思議な力が入ってくるような気持ちになります。安易な言い方はよくありませんが、日本人としての一体感というか、温かいものを感じます。そんな感覚を子どもたちにも伝えたいものです。