「バスと赤ちゃん」
(中野茂子『心にしみるいい話』講談社より、
 『中学生の道徳1年』あかつき廣済堂、道徳副読本。
 『小学道徳5 ゆたかな心』光文書院、道徳教科書。)

〔読み物資料のあらすじ〕真冬のある日、バスの中は暖房がきいている。病院の前のバス停で客が入り、満員になる。その時、赤ちゃんが泣きだす。バスが停留所に止まった際に母親が降りようとする。運転手は車内マイクで「少しの間、赤ちゃんとお母さんを一緒に乗せて下さい」と声をかける。車内からは拍手があがる。

 おそらく赤ちゃんが泣きだしたのは、本文にもあるように、狭い車内に大勢の客が乗ってきて、熱気と暖房とで苦しかったことが原因でしょう。大泣きする赤ちゃんと困り果てるお母さん。そこで母親はバスを降りようとするのです。
 母親は、なぜバスを降りようとしたのでしょうか。どうしていいか分からない。狭いバスの中でひたすら大声で泣いている。周囲の視線が気になる。迷惑をかけてまで居続ける気持ちになれない。そんな気持ちでしょうか。これは経験しないと分からない感覚かもしれませんね。いくらあやしても、声をかけても、まったく泣き止む気配はない。しかしながら怒っても仕方ない。いてもたってもいられず、ついに、いったん降りる、ということを考えるのです。降りてみれば泣き止むかもしれません。冷たい空気にさらせば落ち着くかもしれません。落ち着いて、そこから再びバスに乗ってもいいのです。
 一方、周囲の客は、どんなことを思っているでしょうか。おそらく大人の大半は子育て経験がありますから、共感しているのです。若いお母さんは不安かもしれませんが、意外と周囲の人々はそのお母さんの気持ちは分かるのです。赤ちゃんが大泣きするというのは、むしろ当たり前の話でもあるのです。とはいえ、中には全く理解できない人もいます。経験者であっても想像力が働かない人もいるのです。公共の場で大声で泣くということが非常識だという思いです。ひょっとしたら親が無理をさせて泣かせているのではないか。ひょっとしたらこの親は平気なのではないか。そんなことまで思ってしまう。しかしながら大半は、同情しています。日本人の特徴かもしれませんが、あまり表情に出しません。周囲の客も、そのお母さんも。お母さんが周囲に「すいませんね」と言い、周囲は「全然かまいませんよ」と言う。本来ならばそうやって声を掛け合えばいいのですが、なかなか難しいようです。
 バスの運転手はとっさの行動に出ました。ここで降りなくていいですよと声をかけました。それは、なぜでしょうか。外に降りてしまえばそれは逆にとても寒い場所ですから、そんなところに降ろす気になれないということでしょう。狭いバスの中に満員になってしまって、申し訳ないという思いもあるかもしれません。ただし、こういうマニュアルがあるとは思えません。バス会社社長の指示とも思えません。この運転手の思いつき、彼の生き方なのです。おそらく彼もまた子育ての際の気持ちがよく分かる、ということでしょうか。あるいは非常におおらかな性格ということでしょうか。おそらく彼はこの時点では「自分は仕事をしている」という感覚ではなく、一人の人間という感覚になっているのです。
 周囲が拍手をしたのはなぜでしょうか。結局はみなよく理解してくれる方々だったのです。赤ちゃんが泣いているということについて不平や不満を言うような人はいなかったのです。病院帰りということもあるかもしれません。あるいはこの運転手の言い方というか、生き方というか、そこに共感して、感銘を受けているのかもしれません。拍手が聞こえた瞬間に、ある種のみんなの一体感のようなものを感じたのかもしれません。
 こうした話が美談になるのは分かります。バス運転手も素晴らしい方ですし、そこに居合わせた人々も、とても心優しい方たちだなという印象です。これが最も良い社会であるということはなんとなく思えます。しかし最近はこんなことが起こらない。それはなぜでしょうか。まずバスの運転手はそういうことをする余裕はありません。いい加減だからではなく、逆にマニュアル通りのしっかりした行動をしているからです。会社の一部になっているから、規則を守り、そこから逸脱しないのです。トラブルを回避し、余計なことをしないのです。また乗客たちも出来るだけかかわらないようにしています。年配のおばあちゃんなんかがいれば、声をかけてくれるかもしれませんが、大半は見て見ぬふりです。そしてたまにいる少数の意見「うるさいなあ」が通ってしまうのでしょう。本資料のような話は、今の時代にはなかなか有りえない話かもしれませんね。実際にあった話なのでしょうが、どうもリアリティを感じません。しかし今の時代にはありえないからこそ、本来の正しさはここにあるということを知るべきだと思います。
 最近はこんなほっこりした話はなくなりました。電車の中でベビーカーを持ち込むと周囲が怒ったりするそうです。心が狭いと思います。ベビーカーをたたんで、赤ちゃんを背負いながら歩くというのがどれだけ大変か。全く分かっていないようなのです。もう少し子どもが大きくなると変わってきます。飛行機の中で子どもがはしゃいでいる。スーパーマーケットの中で子どもが走り回っている。そんな時は、周りは注意してもよさそうなものです。面と向かって注意するのも抵抗があるので、SNSに不満を書き込んだりするのでしょう。
 なおこの資料、以前は中学1年の社会参加や公共の精神のところの教材でしたが、最近は小学5年生の思いやりのところの教材として示されているようです。何について考えるのかについて、考察のあり方は変わってくるでしょう。公共の精神や社会参加という観点で考えてみましょう。バスや駅などの公的な空間では、静かに、周囲に迷惑をかけないことがモラルあるいはマナーとなっています。それは法律や規則のようなものではありませんので、多少マナー違反をしていても、それ以上の問題にはなりません。そうした点からすれば赤ちゃんが大泣きしているというのはある意味でマナー違反ということになるでしょう。しかし公共の精神や社会参加というのをもっと大きな視点でとらえるべきです。私たちは皆で集まって一つの社会を形成しているわけですから、何が問題であるか、どうするべきかについては皆で考えを出し合って決めて良いはずなのです。運転手さんは、乗客たちにある意味ではお願いをしたのです。どうかご容赦下さい、と。そして周囲は赤ちゃんが泣くことについて許したのです。こうした形で私たちは自分の社会を作り上げていくことが出来るはずなのです。社会の秩序というものは、あらかじめ固定的に決められているものではなく、私たちの個々の意思で大きく変えていくことさえできる、ということに気づくべきだと思います。
 さて、思いやりや親切という観点で考えてみましょう。赤ちゃんが泣いているということをたんなる騒音のようなものとして受け止めるべきではありません。赤ちゃんは言葉を伝えることができないので、自分の思いを泣くか笑うかという程度でしか表現できないのです。また我慢したり、理性を働かせたりということもできません。生まれたばかりだからです。いくら偉そうにしている人だって、誰だってみんな最初は赤ちゃんだったはずです。大泣きしている時に最も困っているのはその近くにいる母親です。声をかけても、さすっても、何をしても泣き続ける。その時の母親の心境というのはとても辛いものになるはずです。凄まじい音量で泣き続けるのです。それは体験した人でなければ分からないのかもしれません。周囲はそんな広い受け止め方をしてあげるべきだと思います。運転手さんが言った「泣くのは仕事」というのは、泣くことによって多くを表現し、また多くのことを学んでいく。それが赤ちゃんにとって最優先の課題だということでしょう。働いているようなものですから、疲れるまで泣いていても良いのかもしれません。そうした理解の仕方をするだけの余裕は是非とも欲しいものです。