「学校のじまんを大切に」
 (『はばたこう明日へ 小4』教育出版)

 〔読み物資料のあらすじ〕
 小学4年生の私は、雨の日、傘立ての傘を綺麗に並べている小学1年生の女の子を見ています。そういえば私が入学してまもなくの頃、上級生に教えてもらったことがあります。校長先生は、傘や靴が綺麗に並んでいるのがよいと言っていました。私は、雨の日には下級生に声をかけます。学校の自慢です。

 傘を並べるという習慣は自然と始まったようです。なぜ傘を並べるのでしょうか。ぐしゃぐしゃであれば見た目が悪いというのもあります。でも、それだけではないでしょう。きちんとベルトで留めない状態でいると、次の人が傘を入れるのが入れづらくなります。急いでいたりすると他の傘の中に入ってしまって。また、奥の方で倒れたりすると、取りだしにくくなります。傘はしっかりベルトを留めて、向きが揃って並んでいると、入れやすく、取り出しやすくもなります。雨の日に他の人が並べているのを見ると、なんとなく、次の人も同じ向きで並べてしまいます。1年生がテキトーに入れてしまうと、それを見た上級生が「こうするんだよ」と教えるのも分かる気がします。習慣というのは、自然に出来上がるものなのですが、かといって自動的に決まるものではなく、一人ひとりのちょっとした気遣いが重なって出来上がるものなのです。あたたかな習慣だと思います。
 こんな時先生が、「綺麗に並べなさい」と言ったらだめです。そんなことを言ってしまえば、あたたかな雰囲気が台無しです。ルールとか義務ではありません。自然にやろうという気になるということ、それが上級生から下級生に受け継がれていくから、伝統なのです。先生が指示を出せばそれは管理であって、文化ではありません。校長先生が感激感動している理由は、おそらくそのあたりにあります。傘がぐしゃぐしゃになりかけても、しばらく様子を見ていると、自然と並べられていく。そんな姿は感動的だと思います。靴の並び方なんてのは、本当はどうでもいい話なのです。見た目が綺麗かどうかというのは、実はそんなに重要ではない。子どもたちが落ち着いて登校し、毎日楽しく充実して生活しているということが、靴の並び方から見えてくるのです。
 学校の自慢とはどういうことでしょうか。学校が綺麗だということだけではありません。学校に来ているみんなの思いが、一人ひとり、少しずつでも良い方向に向かっていくというその全体的な姿が素晴らしいと思うのです。勿論、中には乱雑に置く子もいるわけですが、気づいたら他の子が戻していく。自分自身もまた、ほんの2~3分ではあっても、声をかけていく。声をかけられた方も、なんだか綺麗になってスッキリするというような気持ちになっていく。自分自身もそこに参加し、全体としても良くなっていく。自分は学校を支えているという実感。そんなことが見えてくるというのはとても大切なことです。こういう良い雰囲気が無くなっていけば、ギスギスして、ケンカやらいじめやらが増えていくでしょうし、汚れていても誰も気づかなくなるし、誰かが泣いていても無視してしまう。
 このことは、決して小学生だけの話ではありません。この子は、学校を卒業して、社会人になった後も、会社や団体に所属して同じような気持ちを持つでしょうし、地域や家族に対しても同じような気持ちを持つかもしれません。とても大切なことだと思います。