「ドッジボール」
(文:編集委員会、絵:まえだけん『新しいどうとく4』東京書籍、道徳教科書)

〔読み物資料のあらすじ〕
 ドッジボールの際のトラブルである。いく子が見たところ、ボールは直接一郎の足にあたった。しかし一郎は一度バウンドしたボールであり、それゆえ当たったことにはならないと言う。主人公の明は、いく子が正しいと思い、その主張をしてみた。一郎は勉強も運動もできる。周囲は誰も一郎に反対できなかったようである。帰りの会では、このことが議論となった。一郎に賛成する子が多い中、登が問題提起をした。


 わりと小学校ではよくあるトラブルだと思います。当たった、当たらなかった。意見が分かれてしまい、なかなか解決が困難です。本当に微妙な時のこともあります。ここでは文章の流れから、一郎がストレートに当たっていたという前提で議論をしてみましょう。さて一郎がウソをついたのはなぜでしょうか。一郎があまり深く計画的に考えていたとは思えません。とっさに出た「ウソ」として「バウンドしていた」と言ってしまったのです。一郎は声も大きく、勉強も運動も得意であり、影響力が大きいようなのです。例えば「みんなでドッジしよう」等と声をかけるのも、「チームはこうやって分けよう」と声をかけるのも、一郎です。「おもしろいねえ」と声をかけるのも、新しいルールを追加するのも、一郎です。ぐいぐい引っ張っていき、周囲はついてくる、という感覚でしょうか。それゆえ周囲の見ている前で「よけきれずにあたってしまった」というのが、ちょっと恥ずかしい話なのです。小さな恥ずかしさは消してしまいたい。バウンドしたよと言ってごり押ししても大丈夫だろうという感覚でしょうか。誰が見てもはっきりと当たったという時には素直に認めるでしょうが、今回のような微妙な話であれば、「ちがうよ」と一言言って済ませたいという感覚でしょう。あるいは、ドッジボールという競技で勝ちたいという思いが強く、その気持ちが先行しすぎて、つい言ってしまったのかもしれません。プロ野球の重要な試合では、審判の判断に納得できずに監督やメンバーが審判まで詰め寄る、なんてシーンがありました。見ている方はハラハラドキドキするわけですが、それくらい夢中になっているということなのかもしれません。
 では、周囲の子たち(信二、幸太ら)は、なぜ一郎の味方をしたのでしょうか。実際にはよく見てなかったのかもしれません。見ていたとしても、この流れで一郎が当たったと指摘してしまえば、ひょっとしたら一郎が気分を害するかもしれない、一郎に目を付けられて後から文句を言われるかもしれない。そのあたりを予想して、「一郎はセーフ」と言ったのだと思います。強い者の側について「そうだ」「そうだ」と公言するのは、気持ち的には楽です。「一郎がああ言っているのだからそれに流されておけばいいじゃないか」「いちいち反論するなよな」という感覚でしょうか。あるいは主人公の明君に対してよい印象を持っておらず、このさいだからきつく言っておこうという気持ちになったのかもしれません。
 さて明も、登も、今回は一郎が当たった(アウト)ということを主張しています。それはなぜでしょうか。彼らははっきりとバウントせずにあたったというのを目撃していました。確かに当たったはずだという感覚です。この点では判断は明確です。しかしそれが一郎の「セーフだよ」という声でどんどん変わっていく。黒だったものが白に変わっていく。恐ろしい力を感じたのかもしれません。明も登も、アウトだという現実を捻じ曲げてしまいそうなその雰囲気や勢いに対して警笛を鳴らしたのでしょう。もはやゲームそのものはどうでもよいのです。一郎が強く主張すると誰も反対できないような大きな権威というか権力というか、その恐ろしさに対して異議を唱えた、ということなのでしょう。
 今一度考えてみましょう。本資料における問題とは何でしょうか。ドッジボールのボールがどうしたこうしたということではありません。「アウトだよ」という素朴な一言が言えないような空気、圧力、息苦しさのようなものが問題なのです。判断が必要なのはまさにここです。特定の力のある児童が大きな権力を持ち始めているというこの文化、空気、スクールカーストと呼ばれる文脈に対してNOと主張する必要があるのです。とはいえ、このことを一郎に直接言ってもなかなか伝わらない話です。一郎としてはこのクラス全体を盛り上げているという感覚もあります。みんなをリードしているという善意もありながら「これくらいはいいんじゃね」と思っているような感覚です。あなたが間違いだと主張すれば一郎は激高してしまうかもしれません。うまくニュアンスが伝わらなければ意味はありません。ですからここは担任教師の出番です。今このクラスの雰囲気が一郎君を中心として動いているという点を指摘し、もっとみんなの意見を聞きながら進めるようにしようと提案しなければならない。担任教師の出番だと思うのです。
 ドッジボールのトラブルの場面はどうすればよいのでしょうか。具体的なトラブルはドッジボールで起こっているわけです。この微妙な場面に関してどうすればよいのでしょうか。合理的な方法、審判を入れるとか、多数決にするとか、なんらかのきちっとした方法でアウトかセーフを見出すというのは、やはりナンセンスです。これは遊びの時間の話です。少なくともルールの順守は自己申告でやった方がよいのです。当たったと思ったら出る、思わなければ出ない、それをみんなが認めていくしかありません。ですので理想的なやりとりとしては以下のような流れになるでしょうか。「あたったよ」「え?あたってないよ」「あたったんじゃない?」「いや、バウントしてからだからセーフだよ」「ん、どうかなあ」「どっちか分からないね」「じゃあ、本人が当たってないっていうならそれでいこうよ」「OK」くらいのニュアンスで片づけていくのがよいでしょう。最終的には一郎の意見を通しても良いと思うのです。それくらいに「いい加減さ」が遊びには必要です。重要なことは一郎にビビッて何も言えないという空気です。その空気を自覚して、みんなが楽しめるような空気に向けて各自が努力することが重要なことだと思います。