「やさしいなみだ」
 (児童作文、絵 鈴木びんこ 東京書籍『どうとく4 ゆたかな心で』)

 〔読み物資料のあらすじ〕私(美代)と母が車で買い物に向かう時の話です。母が途中で車を停車させて、道路のわきにいた車イスの人のところに向かいました。どうやら草が車イスにからまっていたようです。母は私にタオルで汗を拭くように言いました。草を取り除くとおじさんは母に感謝してくれました。母は涙を浮かべていました。

 母が車を停止させたのは、車いすの方の様子が変だと思ったからです。動けずにいるように見えたのです。実際にそこに向かってみると、やはり草がからまっていて動けずに困っているようでした。母が一瞬見ただけでその異変に気づけたのはなぜでしょうか。それは自分の父親が身体が不自由だったということもあり、常にそういう意識を持って生活しているためです。車イスの方を見ると父親を思い出す、という言い方もできるでしょう。意識が低い人はそういう光景を見ても何とも思わないのですが、意識が高いとすぐに気づくのです。暑い日に、道路の脇で、一人でじっとしている姿は、普通ではありません。何かあったはずです。
 母は車イスの方に寄っていき、声をかけました。草が絡まって動けないようでした。母は美代という娘に対して、タオルで汗を拭いてあげてと言いました。美代ちゃんは躊躇してしまうのですが、それはなぜでしょうか。拭き方がわからない、ということもあるでしょう。知らないおじさんの顔に手をかけることが少し怖く感じられた、ということなのかもしれません。車イスに乗ったおじさんというのも、慣れていない美代ちゃんとしては少し驚いたのかもしれません。
 そんな時、母は少し強く「早くふいて」と言ったのです。それはなぜでしょうか。いち早くおじさんの汗を拭くべきだという理由もあるでしょうが、それだけではありません。美代ちゃんが躊躇してしまっている、その様子を見て、「そんな思いはいけません」ということを言いたかったのでしょう。母は、たんに汗を拭くということだけを考えていたのではありません。周囲の様子、誰も声をかけたり助けたりすることもないような状況で、唯一この状況が分かったのは母と美代ちゃんだけなのです。二人で一緒に手を差し伸べるということを、少なくとも気持ちの上では考えてあげるべきだ。そんな思いだったのだと推察します。あるいは美代ちゃんに、手を差し伸べることの大切さを伝えようとしていたのかもしれません。
 さて、ここで母は、「がんばってください」と言いながら涙を流していたのです。それを美代ちゃんはやさしい涙だと表現しています。なぜ母は涙を流していたのでしょうか。おじさんの気持ちを考えると、とても辛いだろうなと思います。動けずに困っているのに、誰も助けてくれない。自分では動くことが出来ない。車イスはそれを利用している人にとってはとても大切なものです。自分の足の代わりのようなものです。さっきまでスイスイ動いていて、調子も良かったのに、急に音を立てて動かなくなる。そういう状態になったということだけでも大きなショックだと思います。このまま誰も気づかないのだろうか。いつになったら誰かが助けに来てくれるだろうか。例えば30分だったとします。最初から30分だと言われて待つのと、いつ来るか分からずに30分待つのとでは大違いです。勿論おじさんが本当はどう思っていたのかは分かりません。しかし少なくとも母と美代ちゃんは、そのあたりの気持ちを推察したのです。母が涙を流したのは、他にも理由があります。誰も助けてくれなかったということに対して、怒りのようなものを感じたのでしょう。どうして誰も気づいてくれないのか。その怒りは、おそらくは自分の父の時の思い出を呼び起こすのでしょう。自分の父もかなり苦労した。周囲はあまりよく支えてくれなかった。みんな冷たかった。そんな思いがどこかに残っているのだと思います。この人は何も悪いことをしていないのに、どうしてこんなに辛い思いをしなければならないのだろう。私の父も、そんな思いだったに違いない。そういう思いで、涙を流したのだと思います。
 さて母が「がんばってください」と言ったのは、なぜでしょうか。それはどういう意味なのでしょうか。おそらくは、世の中の人々は自分のことしか考えていないので、冷たいと感じることがあるかもしれません。こんなことがあれば絶望的な気持ちになるかもしれません。しかし気持ちを強く持って、力強く生きて下さい。こんなことで負けてはいけませんよ。そんなことが言いたかったのでしょう。身体障害、視覚障害、知的障害など、世の中には様々な形の障害があります。当然、それはその人たちだけの事柄ではありません。これは私たちの社会全体の問題なのです。富や能力を持ち合わせている人間は、なんらかの障害によって自己実現が阻まれている人間に対して支援・援助することが必要です。それは義務というよりはむしろ、「優しさ」「豊かさ」なのです。長い目で見ればそんな社会こそが最も住みやすい社会なのですが、どうしても私たちは自分の利益ばかりを追求してしまう。「がんばる」というのは、こうした支え合いの豊かな社会を作ろうということだと思います。また豊かな社会が構築できるはずだという強い意思を持ちましょうということだと思います。