「母はおしいれ」
 (生徒作文、絵:広野多珂子『中学道徳1年』東京書籍)

 〔読み物資料のあらすじ〕43歳の母がおしいれの整理をしている。古いランドセルなども捨てずにとってある。子どもたちも寄ってきて話が盛り上がる。母親は小声で「母ちゃんもおしいれだよ」とつぶやく。小さい頃にはおしいれに入れられた記憶もある。おしいれについて思いをめぐらす。

 「母ちゃんもおしいれ」とはどういう意味でしょうか。家中のみんなの心や言葉をおしいれの中に入れておくというのです。これまでどんなことがあったのか推測してみましょう。例えば、小学1年生の時には本当にちゃんと学校に行ってくれるか心配です。大きなランドセルを背負いながら学校に向かう姿を見ながら、涙を流したのはお母さんだったのかもしれません。心配でいっぱいですが、1か月もすればニコニコしながら学校へ通うようになるのです。例えば、子どもが学校でいじめられたというような話を聞いたかもしれません。本当は心配ですが、少し様子を見るのです。ただちに大騒ぎするのではなく、その心配はおしいれの中に入れておくのです。すると数日後にはうまく解決し、大きな問題にならずに済むということがあるのです。
 例えば、子どもが母親に「うるさいなあ」等ときつい言葉を発する、なんてこともあったかもしれません。その時、本当は母親としては辛くて悲しかったりするのですが、子どもはさして悪気があるわけではありません。こんな時は聞き流しておけばよいのです。そのうちきつい言葉は言わなくなるのです。例えば、子どもが学校から帰ってくるのが少し遅くなる。そんな時、母親としては心配です。ひょっとしたら事故でも、などと思うかもしれませんが、そんな気持ちも、おしいれの中にしまっておく。しばらくすると寄り道して遊んだ上で元気な顔で帰ってくる。子どもはいろいろな事件や事故に遭遇します。友達とのトラブル、勉強がついていけない、先生にしかられた、病気になった、などです。それを「大変だ、大変だ」と大騒ぎして吐き出してしまえば、自分の気持ちは少しスッキリするかもしれませんが、しかしそれでは周囲の人が余計に心配してしまう。あるいは大騒ぎしてしまえば、いっそう問題は大きくなり、子どもたちもまた困惑してしまう。少し様子を見ていれば大抵の問題はうまく解決していくのです。ですから、母親の心配や多くの言葉というものを、どこか、誰の目にもとまらないような暗い空間に閉じ込めておくのです。それが「おしいれ」なのです。
 お母さんはそのことについて、どのような心境でしょうか。明るい顔で話しをしたのはなぜでしょうか。心配や言葉を引き受けてため込むというのは、自分自身としては、辛いことです。重いことなのです。忘れる、なんてことは出来ません。いったんその思いや言葉を引き受けるのです。自分のところで受けて「止める」のです。その結果、子どもはのびのびと成長していく。勿論、母親は今振り返るととても満足しているのです。部屋のおしいれを整理しているとたくさんの過去を思い出しますが、今まさに子どもたちは順調に幸せに暮らしているということを再発見するのです。家族の間で起こるさまざまなネガティブなことがらを、母親のおしいれの中に入れておくことで、家族は平和で幸福に過ごすことができているのです。
 主人公が「だまって考えこんでしまった」のは、なぜでしょうか。母親は、表向きは単純明快、悪いことをすれば叱る、遊ぶ時は遊ぶ、歌を歌ったり、笑ったりしている。そんな母親なのです。しかしその心の中がおしいれと同じだと言われると、複雑な心境です。ぐちゃぐちゃに詰め込まれていて、昔のことを捨てることも出来ない。暗くて、重くて、そして少し悲しい。母親は苦しんで、がまんしているのではないか。そんなふうに思うと、母親に言うべき言葉が思いつきません。少し複雑な心境になりながら、おしいれはきれいに片づけてあげたいと思うのです。
 姉が「お茶でも飲もうよ」といって立ち上がったのは、なぜでしょうか。姉の心境としては、母親の素直な心のうちを見るのが辛いのかもしれません。ひょっとしたら、姉は母親に対してかなりきつい言葉を投げかけたことがあるのかもしれません。自分こそが最も母親に心配をかけてしまったのだという思いを、主人公のわたしよりも強烈に抱いていたのかもしれないのです。今のこの状態をだまっているのが耐えられなくなった、あるいは母親の少し悲しそうな表情が辛くて、明るい風を取り込もうとした、などの理由が考えられます。
 主人公は、その後、ふと母の昔の写真を見ました。その後「すまなく思った」のですが、それは、なぜでしょうか。母親の一面しか見てこなかった、ということをすまなく思ったと書いてありますが、それはなぜでしょうか。長い年月を経て、少しずつ老いていく母親。しかし気持ちや明るさについては全く変わらない母親。本当は無理をしているのではないか。母に苦労や心配をかけてきたのは、自分ではないか。自分は母のために何か出来たはずではないか。母親の思いに気づかないまま、自分たちだけのうのうと楽しく暮らしていきてきて良かったのだろうか。そんな思いでしょう。
 おしいれや古いアルバムは、過去です。人生の中で起こる様々な辛い出来事や悲しい出来事、言葉や思い。それらをおしいれの中に収めながら、明日を向いて生きていくのです。おしいれを開けたその瞬間、これまでの過去と向き合い、大きな時間の流れを感じて、深い思いに浸ることが出来るのです。同じ屋根の下に暮らしていく。子どもたちが成長していくと同時に、親は多くの感情を蓄積していき、そしてまた老いていくのです。その全体が幸福でもあるのです。