「あなたはすごい力でうまれてきた」
 (文:小澤政子、絵:宮沢靖子『中学道徳3』東京書籍)

 出産とは、命がけの仕事です。赤ちゃんは少しずつ動いたり止まったりしながら、必死で生まれようとする。それに呼応して母親の身体も、赤ちゃんを押し出そうとする。まさに共同作業であり、産声はそれが成功した喜びのようにも聞こえるのです。
 この話を聞いて、まずどのような印象や感想を持つでしょうか。赤ちゃんは何もせずにただ流れに任せて生まれてきたと思っていた人も多いかもしれません。赤ちゃんは自分で歩いたり、食べたりすることはできませんから、自分では何も出来ない存在のように見えるのです。しかし本当は違います。もっと多くの力を備え、それを発揮しながら生まれてきているのです。確かに考えてみれば分かります。赤ちゃんは一年もすると、自分の足で歩き、自分の手で食べ、さらには自ら考え、自ら成長していくようになります。生まれたその時点で、その原型ともいうべき力を備えているはずです。「生きる」というのは「力」と同じような意味を持っているはずなのです。
 さて、この話は、今、誰に対して投げかけているのでしょうか。ここでは「あなた」という言葉が使用されています。おそらくは中学生くらいの子に対する言葉なのです。どんな子でしょうか。自信を無くしたり、自分が嫌いになったりするかもしれない、そんな年頃の子を想定しているようなのです。中学生くらいになると、勉強や友人関係など、うまくいかずに困ってしまうことが多い。失敗や挫折を経験すると、どうしても後ろ向きになる。誰だって傷付きたくはありません。二度と失敗を味わうことがないように楽な道を選択しようとしてしまう。自分の部屋に閉じこもってしまうかもしれません。著者は、そうした子どもたちに向けて、あなたの心の奥底に眠る、生命としての圧倒的な凄まじい力を信じよと、訴えているのです。
 力とは、どういうものでしょうか。美味しいものを食べて、ふかふかのベッドで静かに眠りたいというのが人間の本心です。しかしキャンプに行き、野外でバーベキュウをしたり、テントや寝袋で睡眠を取ったりすれば、どうでしょう。暑かったり、虫がいたり、不便だったり、面倒だったりするはずです。それは大変ではあるのですが、他者に手伝ってもらったり、声をかけあったり、努力したり、我慢したりすることで、結局は、なんとかなるものです。極限状態に追い込まれても、人は、誰かと支え合っていけば、なんとかうまく生きていけるのです。知人も友人もいないような初めての土地に行ったとしても、大抵の場合、新しく知人や友人を作ることで、なんとかなるのです。それは根底に「生きる力」が備わっているからです。誰からも教えられていないのに、自然と力を発揮することが出来るのです。著者はおそらくそんなことが言いたいのだと思います。
 最後にはこんな文章があります。「あなた自身が自分で自分の命を支えてきた。それどころか、あなたは自分だけでなく、あなたを産みだしたお母さんの命をも支えてきたのだ」とあります。著者はそれを、命というものの原点だといいます。命とは、共同作業ということそのものでもあるのです。それはどういう意味でしょうか。ここには、「あなた」に対するメッセージがもう一つ含まれているように思われます。一人ひとりの根底には大きな力があります。しかしそれだけではありません。赤ちゃんと母親、私と貴方、それぞれがその力を発揮することで、命が産まれ、命が育まれていく、ということなのです。力を発揮するためには、他者との協力、支え合いが必要なのです。ところが大抵の場合、そのような共同作業を忘れてしまうのです。大人たちは自分のおかげで子どもが成長したと思い込み、子どもたちは自分の力だけで成長したと思い込む。それは学校教育全般でも言えることです。先生方も、自分が教えたから生徒が学んだと思いたいし、生徒の側は先生の指導の有無にかかわりなく自ら学んだと思いたいのです。大人たちは、あろうことか、自分たちの支援や教育に対して、子どもが感謝しなければならない、ということを期待するようになるのです。「産んでくれてありがとう」「ご指導に感謝します」と言って欲しいという気持ちになります。感謝とは、少し変な形をしています。完全に受身的である存在の側が、何か援助や指導してくれた人に対して感謝をするということなのです。人は感謝という行為のまさにその瞬間に、自分自身の力というものを忘れてしまうのです。人生において半分は感謝で良いかもしれませんが、半分は自分の力です。それを忘れてはいけません。
 命を大切にする、とはどういうことでしょうか。それはたんに長生きするということを指していません。一つは、自分の力を信じるということです。自分の根底にはとてつもなく大きな生きるための力が備わっているはずです。その力で今まで生きてきたのです。ですから自分の力はこの程度のものだと決めつけてしまったり、それ以上発展しないなどと思い込んだりしないことです。「自分には向いていない」「苦手だ」「もうダメだ」なんて思うべきではありません。あまり先のことは考えずに、自分を別の環境に放り投げてみればよい。きっと大きな力を発揮していくはずです。今一つは、他者との協力作業という点です。誰しも一人の力だけで生きているわけではありません。協力作業を大切にするということ、周囲の人々とのかかわりを大切にするということ、かかわりの中で新しいアイデアや意味を発見していくこと、それが生きるということなのです。