「飛べ、アホウドリ」
 (文・写真:長谷川博『中学道徳1』東京書籍)

 この著者である長谷川博という人物は、東邦大学名誉教授で海鳥研究者です。アホウドリを絶滅から救った人物として有名です。もともと鳥島に多くのアホウドリが生息していましたが、明治期に羽毛を取るために大虐殺が行われ、それからは急速に減少しました。当時長谷川さんは京都大学で研究をしていましたが、そこにケニアの研究者がやってきました。アホウドリの状況について問題提起をしたのです。長谷川先生はそこからアホウドリの調査研究に取り掛かることになりました。
 長谷川さんは、鳥島で調査を始めるとひなの数の変化に気づきました。長谷川さんは、ひなの数から何を思ったでしょうか。アホウドリはここにしかいません。このままではアホウドリが全滅してしまうと思ったのです。目の前の風景から、その背後の大きな変化を読み取るのです。一見したところ、そこにはいつもと変わらない自然の美しい風景があります。しかしその中には少しずつではありますが、大きな変化があるのです。
 長谷川さんは、なぜ絶滅してはならないと思ったのでしょうか。純粋に美しいと思ったからだと思われます。生命の美しさについては、それが分かる人とそうでない人がいます。ひょっとしたらネズミだって、ゴキブリだって、美しいのかもしれません。人類にとって有害なウィルスなどは絶滅しても良いはずです。しかし殆どの生命は、やはりよく見ると見事なのです。生命という存在そのものがとても複雑で美しい存在だと言ってもよいでしょう。特に長谷川さんはその美しさに惹かれたのです。さらに、アホウドリは、地球上のいたるところにいるわけではありません。ここだけです。静かに生きている彼らが、彼らは懸命に命を残そうとしているのに、その命が途絶えてしまいそうなのです。地球上の環境は少しずつ変化していきます。そして私たち人類は少なくともその変化を理解し、未来を予測することが出来るのです。鳥たちはそんな未来のことは理解できないので、ひたすら毎日生きているだけなのです。長谷川さんは人類の責任のようなものを感じたのかもしれません。また、地球上の環境の変化は、ひょっとしたら人間が引き起こしたものなのかもしれない。そんなふうに考えているのかもしれません。地球上の全ての生命は、豊かな仕組みを作って生きてきているのです。一つの生命の絶滅は、地球や自然の多様性や可能性を否定していると言えるのです。
 長谷川さんは「アホウドリを守れ」というアピールを始めました。しばらくすると東京都が対策に乗り出してくれました。周囲の人々が協力してくれたのはなぜでしょうか。長谷川さんの熱意に打たれたというだけではありません。長谷川さんの言っていることが理解できたのです。その説明を受けて、絶滅がどういう意味を持っているかということが分かったのです。また、それが自分たちの仕事であると感じたのです。これは長谷川さんの仕事ではなく、自分たちの仕事だと。私たち人類は自然環境から必要なものを奪い取って生きてきました。しかしそろそろそういう観点から離れなければなりません。環境を利用しつくすのではなく、保全しなければならないというとらえ方に変わってきたのです。
 長谷川さんは人間のゴミが島に到達しているのを見て何を感じたのでしょうか。自然はあまりにも大きすぎるので、人間は忘れてしまうのです。ゴミを出してもどこかにいって浄化されると思っているのです。しかしそれはあるところにたどり着くのです。地球は有限であって、プラスチック等は永久にたまっていくだけなのです。確かに一見したところ、山や谷は、変化はありません。しかしそこで暮らす小さな動物たちは大きな影響を受けていきます。大自然にとって人間はあまりにも小さいのですが、動物たちにとって人間はあまりにも大きいのです。私たちは便利な道具や商品に囲まれていますが、いずれもそれは金と交換する時点までのことしか考えていないのです。その後、多くのゴミは地球上を漂流し、小さな貴重な生命が苦しんでいくことになるのです。
 地球環境を守る、自然を大切にする、とはどういうことでしょうか。自然をそのままにしておき、手をつけないということではありません。私たち人類は地球上のありとあらゆる場所に入り込み、多くの自然を搾取しています。その仕組みや事実を見つめること、自然の美しさや素晴らしさに感動すること、地球全体がどうなっていくかを未来予測すること、出来るところから始め、出来ないことであっても挑戦し続けること。そうしたこと全てが自然を大切にすることだと思うのです。