『ろくべえ まってろよ』(作:灰谷健次郎、絵:長新太、文研出版、一九七八年)
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 うっすら暗い雰囲気で描かれています。子犬のろくべえ(茶色の小型犬)が、穴に落っこちてしまいました。絵本は、断面図で描かれています。それゆえ読む人は、一定の距離を置いた第三者的な立場でとらえることになります。ここに登場するのは小学1年生の子ども、5人です。かんちゃん、しろうくん、えいじくん、みつおくん、みすずちゃん。長新太の絵は、子どもの気持ちが乗りうつったかのような、あたたかい描き方です。皆、穴の中をのぞいています。最初に見つけたのはえいじくんです。かんちゃんが、ろくべえに向かって言います。「まぬけ」 鳴き声で、ろくべえということは、わかりますが、姿は見えません。そこでみつお君が家から懐中電灯を持ってきました。中に、ろくべえがいす。「ろくべえ。がんばれ」みんなは声をかけました。ロープで降りていくのは1年生には無理です。高学年の子はまだ学校、ということは、時間帯は夕方でしょうか。みなで相談して、母親を連れてきました。二人のお母さんが心配そうに、穴の中をのぞいています。かんちゃんが「ぼくが、おりていく」と言うと、かんちゃんのお母さんは「ゆるしません。そんなこと。」と怖い顔をして言いました。お母さんは、「ふかい あなの そこには、ガスがたまっていて、 それをすうと、しぬことだって あるんですよ」と言いました。これは冗談なのでしょうけど、子どもたちにとっては余計に心配です。「はやく たすけて やらないと、ろくべえが しんでしまう。」
 そこで、なんと、お母さんたちは帰ってしまうのです!子どもたちは、歌を歌ったり、シャボン玉を送ったり、あれこれ考えてみるのですが、うまくいきません。通りかかった大人の人は、手伝ってくれません。誰もあてにできないのです。みんな真剣に考えるのです。答えが出ないような難問です。人は追い込まれた時、それこそ苦しい思いをするのです。そこで、かんちゃんのアイデアです。ろくべえの仲良しのメス犬、クッキーを籠に入れて降ろしてみてはどうだろう。名案です。ロープに入れて、クッキーを降ろします。クッキーまで籠を降りてしまい、絶望的かと思われるのですが、しかしその後、二匹とも籠に乗り、最後はなんとかうまく助け出すことができました。
 さて、子どもたちがここまで真剣に、悩み、取り組むのは、なぜでしょうか。おそらく、大人たちが頼りないからだと思います。本書に登場する大人たちは、よい意味で、みんな「いい加減」なのです。穴をのぞいて、わいわい、あーだこーだ、言うだけ言って、何もしてくれない。そんなテキトーな感じなのです。だからこそ、子どもたちはホンキになれるのです。現代であれば、すぐに大人たちが登場します。消防車を呼んで救出するかもしれません。良くも悪くも大人がホンキすぎるのです。その結果、子どもはやる気を失うのです。大人が「テキトー」「気持ち半分」でいることが、子どもたちをホンキにします。言い方は適切かどうか分かりませんが、大人は、もっと「犬が死ぬ」ということを軽く扱った方がよい。そうすれば、子どもたちがその「死」を真剣に、自分たちのこととしてとらえるような気がします。子どもがその犬の死に関して僅かでも責任を感じるからです。命は大切、だからといって大人がどっと入ってきて、大騒ぎして、子犬を救出したということになれば、子どもたちは「自分で助ける」という命の重さを自分自身で感じることができなくなってしまいます。大人たちはもう頼れない。そう思った瞬間、ガックリ絶望的になる気持ちと、もう一つ、「僕たちが頑張らなきゃ!」という、熱い気持ちが出てくると思うのです。
 子どもたちが真剣に取り組むことの理由を、もう少し広げて考えてみたいと思います。子どもたちが頑張っているのは、子どもが一人ではなく5人だからです。なんとなく、「僕たち5人」と「子犬」という関係が浮かび上がるのです。一人は心細い。しかし他の子もたくさんいると、なんとなく、強くなったような、大きな力を持てるような、そんな気がしてくるものです。5人が揃っているということ、みんなで力を合わせるということ、そのことによって彼らはよりいっそう真剣に取り組むようになるのです。「どうしよう」「どうしよう」と声をかけあい、答えのない問題に直面する。困ってはいるのですが、何か力強さのようなものを感じます。
 みんなが真剣になっていくのは、一つの目標に向かっているというだけでなく、一人ひとりが少しずつ違っているからでもあります。よく見れば分かると思うのですが、この絵本の中の5人の子どもには、ある種の「温度差」があります。えいじくんは、おそらく最もろくべえのことを心配しています。ろくべえは、えいじ君の飼い犬でしょうか。不安で、少し動揺しています。他の子たちは、えいじくんが困惑しているのを見て、何とかしようという思いを強くしたのでしょう。かんちゃんは、何とかしようという強い意志と勇気を持っています。みつおくんとみすずちゃんは、少し後ろにいて、何かアイデアがないか、冷静に考えているようです。やはりみすずちゃんは女の子らしい意見を出してくれます。一人ひとりの考えや存在感というものがあって、自分なりのかかわり方、自分なりのとらえ方があるのです。個性と呼んでもいいかもしれません。お互いが「そんなんじゃだめだ」等と言って否定していないというところがとてもいいのです。シャボン玉を飛ばす、なんてのは、大人から見れば殆ど効果的ではないのですが、子どもの気持ちからすればやはり重要なアイデアの一つなのです。みんな、ろくべえの救出という大きな目標に対して、自分に出来ることは何かを問い続けているのです。こういう雰囲気はとても大切だと思うのです。5人の間の距離感が保たれていて、ゆったりした空間だからこそ、一人ひとり自ら進んで声をあげていくのです。
 さて、こうした体験において、子どもたちのお互いの意識はどのように変わってくるでしょうか。こういう機会はとても貴重だと思います。もともと疎遠だったとしても、一緒に悩んだ相手としてお互いをとらえることができます。心配したこと、悩んだこと、試行錯誤したこと、そして最後に救出できて一緒に喜んだこと。それらの気持ちを共有したということが重要です。友達だから一緒に考えたのではなく、一緒に考えたから友達になれた、という言い方が適切だと思うのです。友達とは、相互理解ではなく、課題や目標、さらにはそこに向かう気持ちを共有することだと思います。同じ方向を見つめながらも、お互いの存在や個性はしっかりと感じたと思うのです。 最後に、この絵本の魅力は、色です。薄暗い時間帯の、この光の量を見事に表現しています。最後のページはぐっと明るくなります。その瞬間のほっとした印象を与えています。この最後の背景は、真っ白です。これは、どんな言葉が発せられているかを読者に想像させるための空間だと思います。耳を澄ませば子どもたちの嬉しそうな声が聞こえてきそうです。自分たちだけで何かを成し遂げたという達成感と、お互いの存在が大切であるという実感を得たと思います。