自分の場所を守るということ
『ルラルさんのにわ』(作:いとうひろし、ポプラ社、二〇〇一年)
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 ルラルとは田舎者という意味でしょうか。英語でルーラルruralといえば、田舎とか、田園風景とか、そういう意味になります。作者がそういう意味を込めているかどうかは定かではありませんが、私はおそらく関係があると思います。彼が住んでいるのは、たくさんの人々が生活している住宅地や都会ではなく、自然界と接している辺境の地、そんなイメージです。
 ルラルさんは、自分の芝生の庭が自慢で、いつもきれいに手入れをしていました。広い場所を黄色の柵で囲んでいます。ルラルさんは勝手に入ってくる動物たちに対しては水をかけて追い払おうとします。(水色部分で表記されています)猫や犬などが入ろうとするとパチンコで追い払おうとします。いわば部外者の侵入を武力で駆逐するのです。ルラルさんが追い払おうとするのは、なぜでしょうか。庭は、ルラルさんのものだからです。ここは自分の場所だ、自分そのものだと感じているのです。ですからそれ以外の場所については関心もなく、手入れをするわけでもありません。自分の場所については大切にしています。部外者は邪魔者だったのです。自分のものだから大切にする、というのは、すなわち自分自身を大切にしているということでもあります。自己愛といったところでしょうか。彼は自分の髪を切るかのように芝生の手入れをし、自分の姿を鏡でうつすかのように芝生を眺めるのです。そうやって自己満足しているのです。
 ところが、です。ある朝、そこに巨大な丸太(大木)がありました。近づいて見てみるとそれは巨大なワニでした。ルラルさんが丸太と勘違いしたのは、自分の庭以外のものにあまり関心がなかったからでしょう。ワニはでーんと居座っています。それまでと同じように駆逐することができません。ワニに襲われたら終わりです。では、ワニは、なぜそこに入ってきたのでしょうか。ワニは、侵入したという意識はないようです。ワニにとっては、たまたま歩いていて、ちょうど良い場所を見つけた。そんな感じでしょうか。そもそもルラルさんが勝手に囲った場所なのです。大地も、空も、植物も、風も。全てもともとそこにあったものです。ワニからすれば、ここは誰の土地でもない。ルラルさんが手入れをしてきれいにしているというだけでした。
 ルラルさんは、しばらく様子を見ることにしました。それは、なぜでしょうか。ルラルさんは誰かに助けを要請したり、より破壊的な武器を用意したりしたわけではありません。悲鳴をあげて困惑したわけでもありません。一歩下がって様子を眺めるのです。ワニが去ってくれるのかもしれない。何か変わるかもしれない。そんな思いでしょうか。ルラルさんは力によってこの庭を確保してきました。ルラルさんは「武力のある者がここを占有する」といったルールを作り上げてきたようなものなのです。ですから自分よりも強い存在が現れた時、ルラルさんは素直に、仕方ないと諦めることにしたのだと思います。ひょっとしたら、ルラルさんは、力で駆逐するということの限界を感じたのかもしれません。さっと諦めるようなところというのは、なかなか素敵だと思います。
 さて、ワニはここでいっしょにねっころがろうと提案します。ルラルさんはワニが怖いので、指示に従いました。ルラルさんがワニの指示通りに寝っころがってみると、意外にも気持ちいい。かくして、ルラルさんは他の動物たちを受け入れるようになりました。多くの動物たちがそこでごろんとしています。水遊びのような感覚で動物たちに水をかけています。動物たちも気持ちよさそうです。ルラルさんが動物たちを受け入れるようになったのは、なぜでしょうか。それまではいわば地図で区画を眺めているようなものです。高い地点から見下ろしていたのです。しかし視点を移動させてみると、全く風景が違って見えるのです。ねっころがると芝生がチクチクして気持ちいい。身体全体でその場所を感じているのです。広い芝生でごろんとなっていると、なんだかゆったりした気持ちになります。自分と目の前のワニとが、同じ大地でつながっているような、そんな感覚です。私はふと西郷隆盛の話を思い出します。西郷は畳の上で横になりながら客人と話をしたようなのですが、そうすることで話がうまくいく、なんて逸話だったと記憶しています。靴を履いて立ったままでは気持ちは通じません。寝そべるということにはそういう意味もあると思います。ルラルさんは庭という場所のとらえ方を大きく変えたのです。「自分がこの場所を所有している」ということの充実感や満足感よりも、「他者と一緒にごろんとしていること」の充実感や満足感の方が大きかったのです。多くの動物たちが同じ芝生でずらりと横になっている。広い芝生が綺麗だということと比べてみて、どうでしょうか。こちらの方が何か楽しそうな、幸せそうなそんなイメージです。これはこれで素晴らしい光景のように見えてきます。ルラルさんにとっては自慢の庭でした。彼は自分の庭を放棄したというよりは、他者を受け入れた形でそれを自慢の庭だと思ったのです。
 この物語からどんなことを読み取るでしょうか。私は、やはり領土問題を想起します。大地や海や大空に名前をつけてみる。そしてそこが誰かれの物だと決める。領土や領海を守ろうとする者は、目の前のその土地の地形や植物などのことを見ていません。そこで生活するのであればどんな気持ちになるか、そんなことは考えてはいません。国家という抽象的な概念のことだけを意識しているのです。日本地図のことを思っているのです。ですから、そこに外国人が侵入すると頭にくるのです。また侵入する人間も、旗を持って宣言しながら入ってくるので、結局は彼らもまた国家という抽象的な概念のことだけを意識しているのです。抽象的な概念は、AかBかという二者択一を浮かび上がらせます。その思考は、結局は武力で解決するという結論に向かいます。勝った方が正義になる、と言うことで宜しいでしょうか。ルラルさんはみんなで楽しい時間を過ごすという考え方へと転換しました。ルラルさんの生き方から学ぶところが少なくないと思います。
 さて、最後に、裏表紙に目を向けます。そこには驚きの光景が描かれています。そこにはワニではなく、丸太が描かれているのです。ワニだった、ということで物語は進んできたのですが、裏表紙を見る限りワニではないのです。これはどういう意味でしょうか。ネズミ、カメ、イヌ、ネコの4匹とルラルさん。最初から最後まで、彼らだけの話だったのかもしれません。それ以外は全て幻想か幻影か。ライオンとかサイとかトラなんてのは、いなかったのでしょうか。全てルラルさんの戯れだったのかもしれません。