自分と世界との変化に満ちたかかわり方
『わたしのワンピース』
(作:西巻茅子、こぐま社、一九六九年)
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 真っ白な布が空から降ってきて、うさぎはミシンを使ってワンピースを作ります。静かに、歌いながら、ミシンに触れています。うさぎは作り上げたワンピースを身にまとい、お花畑を散歩します。「わたしににあうかしら」と投げかける。するとあら不思議、ワンピースもまたお花模様になるのです。雨が降ると水玉模様、小鳥が集まれば小鳥模様、虹に向かって飛べば虹模様、ありとあらゆる模様に変わるのです。カメレオンのように周囲の美しい風景を切り取ってそれをワンピースに複写していきます。
 「わたしににあうかしら」といううさぎの言葉が印象的です。これは、どういう意味でしょうか。真っ白のワンピースというのは、空から降ってきた素材で作り上げた作品です。それはいわば自分ではない異質な部分です。それが自分のまわりを包んでいるわけですから、「これまでの自分ではなくなってしまう」ということになるのです。真っ白のワンピースは、ひょっとしたら自分には似合わないかもしれない。そんな思いなのです。
 おそらく中高生の女の子は、こういった気持ちになることが多いのではないでしょうか。新しく購入した洋服が自分に似合っているのかどうか、よく分からない。鏡を見て、なんとなくいいかなと思いながら友達の前に出る。当然、友達の言葉が気になる。その一方、うさぎは自室で鏡とにらめっこするわけではありません。うさぎは、「似合うかどうか」についてはそれ以上に気にしないまま、散歩に出かけるのです。
 うさぎは綺麗なお花畑にやってきます。するとこの白いワンピースにお花が写っていくのです。なぜ写るのでしょうか。どういう意味でしょうか。実際のところ、白いワンピースは白いワンピースのままだと思うのです。第三者が客観的にとらえれば、お花畑の中に白いワンピースを着たしろいうさぎがいる、というふうに見えるはずです。そのうさぎの気持ちとしては、「その白いワンピースがお花畑の色に染まっている」ということだと思うのです。そういう柄のワンピースに変形したという物的な話ではなく、自分という存在がその周囲の美しい風景の色彩や雰囲気を取り入れていく、ということだと思うのです。風景と自分がつながっていく、風景と自分が一体化する、そういうことの喩えだと思うのです。本書が作り出す感動とは、ワンピースの特殊な機能ではなく、このうさぎのふわふわした生き方のほうにあると思うのです。
 うさぎは「わたしににあうかしら」と問いかけながら次から次へと風景を移動していきます。その都度、風景や背景とうまく重なっていくのです。似合っているといえば似合っているのですが、うさぎは「にあうかどうか」は、あまり気にしていないように思えます。
 うさぎの表情が乏しいのはなぜでしょうか。この絵本は、幼児が自ら絵を描いているということを想定しているのかもしれません。例えば幼稚園などで、「みんなでうさぎちゃんのワンピースを描いてみましょう」ということになれば、きっと幼児は自分の考える絵柄でワンピースを描くことができることでしょう。うさぎの表情が乏しい理由は、おそらくはふわふわした感覚とも言うべきでしょうか、「自分という存在があまり強力な塊として成立していない」という点を挙げてみたい。主人公のうさぎは、美しいもの、素晴らしいものがあればすぐに浸透するような、新しいものや変わったものさえを何の抵抗感もなく引き受けていくようなそんなふんわりとした存在なのです。もし自分の表情や感情が強く強烈に存在するならば、いわば好き嫌いが明確であって、「あれはいいけど、これはイヤ」といった感覚になるはずです。本書のうさぎは、ある意味では世界や周囲に流されるだけの受け身的な存在のようにも見えます。しかし「わたしににあうかしら」と問いかけながら進み続けるという点で、その中心的な存在ははっきりしています。奥底には自分というものを抱きながら、しかも周囲のあらゆる風を取り入れていく。それはとても豊かなアイデンティティだと思うのです。本書でうさぎがふわふわと飛ぶのは、そういうふんわりした生き方だということだと思うのです。
 私は、こういう姿が最も「おしゃれ」だと思うのです。変化というものに対して前向きで、美しいものはすんなりと入ってくるような感覚なのです。そして自分の心や身体の中に少しずつ取り入れながらも、時間がたてばさっと離れていける。そんなしなやかさ、柔軟な姿なのです。「おしゃれ」というのは、自分の根底にしっかりとした部分を備えつつも、あらゆる変化に前向きな姿だと思います。このような能力に欠ける者が、それでもなお目立とうとしてブランド物や茶髪やアクセサリーで誤魔化そうとするのです。商業雑誌に登場するモデルや、どこかの誰かが「これがおしゃれだ」と決めたスタイルを、それを習得すればおしゃれなのだと思い込んでしまうのです。みんな心配なのです。「あなたは美しい」と言ってほしい。みんなに見てもらいたい。承認してもらいたい。本当は、風景や形式や変化や風といった美しいものがたくさんあるはずなのに、そこには目を向けずに、ひたすら鏡を見ながら、他者が評価してくれるために自己改造をする。これだと決めたらそのスタイルを常に守り続ける。風景や環境が何であるかは全く無視しておいて、自分の存在だけに関心がある。そんな人は「おしゃれ」でしょうか。新しい「風」を外から取り入れながら、背景との微妙な連続性を見せておき、そして次にはあっさり捨ててしまい、それでいて芯の部分はしっかりもっている。それこそが「おしゃれ」だと思います。
 さて絵本に戻りましょう。夕焼けが美しい、するとワンピースも夕焼け色になります。眠くなって目を閉じる。ワンピースは美しい星模様です。まるで流れ星のように、さっと飛んでいきます。朝起きると星模様はそのまま残っていました。外は日も登り、鼻歌を歌いながら散歩をするのですが、なぜか星模様だけはそのままです。なぜでしょうか。 星模様を深く気にいった、とか、自分のアイデンティティの一部になったとか、そういう解釈も可能です。それまではあらゆる変化を受け入れてきたのですが、ここに至って自分の好き嫌いがはっきりしてきた、というふうにも見えます。しかし私は違う解釈を取りたい。その散歩の様子、太陽がニッコリ笑っているところから推察します。おそらくは、うさぎはまだ半分くらいは夢心地なのです。ねぼけているのです。もう少しすれば、意識もはっきりしてきて、また新しい世界へと向かう時、そこで新しい風景と出会い、ワンピースはそこで色を変えていくのだと思います。