いとおしいという気持ち
『タンゲくん』
(作・絵:片山健、福音館書店、一九九二年)
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 タンゲといえば、丹下段平(あしたのジョー)でしょうか。…おそらく丹下左膳でしょうね。なんとも味のある表情の猫です。女の子の言葉で文章がつづられています。家族が食事をしている時に、知らない猫がのっそり入ってきたと言います。突然のようにタンゲくんが入ってきたにもかかわらず、父さんも母さんも何も言いませんでした。自然な形で、まるで空気のように入り込む。気がつくと家族の一員のようになってしまいました。お父さんもお母さんもそのことに一つひとつ文句を言うわけでもなく、ゆったりとした時間が過ぎているようです。なぜ女の子も家族も、タンゲくんを迎え入れたのでしょうか。おそらくは家族の間の空間、精神的な意味においても物理的な意味においても、隙間というか、余白のようなものがあったからだと思います。それなりに声をかけるのですが、それ以上に声をかけるわけでもなく、いわば「なんとなく」そこに居ついてしまった。そんな雰囲気だと思います。
 タンゲくんは自由気ままです。トカゲやバッタをつかまえたり、掃除機を怖がったり、夜になると走り回ったり。女の子は「タンゲくんがいるだけでうれしいです」と言います。女の子はおそらくタンゲくんに対して強い愛情のようなものを感じているはずです。ぱっとみた感じ、汚れていて、目つきも悪く、自分勝手なところもあり、あまりかわいいようには見えません。しかし女の子はとてもタンゲくんのことが気にいっているようです。それは、なぜでしょうか。犬好きの方には分かりにくいかもしれませんが、猫にはマイペースの良さというのがあります。自分のスタイルというか、自分らしさをそのまま貫き通すような、そんなところがあります。肩ひじ張らずにのびのび生きている。そんなどっしり感は魅力です。犬の場合は、一人でいると寂しくて、ご主人様と遊んでみたり、散歩にでかけたりしなければ自分を支えることすらできない。そんな依存的なところがあります。おそらくこの女の子は、タンゲくんの自然体、自分らしさをそのまま表現しているあたりが好きなのだと思います。
 女の子がタンゲくんのことが好きである理由は、それだけにとどまりません。タンゲくんは家にやってきて、女の子の近く(布団の上?)で昼寝をするのです。何を考えているのかは分かりません。おそらくはそこが「居心地がいい」と感じているのです。タンゲくんが女の子を特別に意識しているようには思えません。むしろ無視していると言っていいくらいです。タンゲくんから見ればこの女の子が家族の中で一番さらりとしているということだと推察します。一方、この女の子の頭の中では、タンゲくんがタンゲくんなりの心の寄せ方をしている、というふうに理解しているのです。女の子にとってのかけがえのなさ、ということになると思います。女の子にとっては一つひとつが全て新鮮なことで、嬉しいことなのです。女の子にとってはかけがえのない存在「タンゲくん」なのです。
 昼間、外へいったタンゲくんがどこで何をしているのか、分かりません。女の子の想像が膨らみます。ひょっとしたらお金持ちの女の子のところにいるのかな。ひょっとしたら奥さんや子どもたちと暮らしているのかな。しかし夜になるとタンゲくんは帰ってきて、家のごはんをおいしそうに食べるのです。なぜ女の子はこのような豊かなイメージを膨らませるのでしょうか。それはタンゲくんに対して「単なる猫」というとらえ方ではなく、「なにかある」というとらえ方、ある種の「ブラックボックス」のようなとらえ方をしているからです。タンゲくんが何を考え、どのような生活をしているのか分からない。「きっと、私の知らない深くて広い世界を持っているに違いない」という推察なのです。家の外でタンゲくんと会ってもタンゲくんは「しらんぷり」です。そんな時、女の子はタンゲくんが冷たいとは思わずに、タンゲくんにはタンゲくんの生き方があると推察するのです。未知の世界なのです。そしてそれを執拗に追い回すようなこともしていません。またタンゲくん自信も、謎を秘めているような振る舞い方をしているのです。「謎」というのは、私たちが相手に惹かれていく一つの要素でもありますね。
 タンゲくんのいろいろな顔を想像していくと、私たちもまたタンゲくんの魅力にとりつかれてしまいそうです。この絵本は、タンゲくんそのものを描いているのではなく、女の子の「想い」「空想」を描いているのです。それは女の子の思いを通して、タンゲくんを好きになっていく、というプロセスでしょうか。私たちはこの絵本を眺めているだけで不思議とタンゲくんがかわいらしく見えてくるのです。
 この絵本の最後の部分で、ひざのうえでまるくなるタンゲくんに対して、女の子が、動かないようにじっとしているというシーンがあります。女の子は、なぜ、じっとしているのでしょうか。タンゲくんの独特の世界をそっとそのままにしておこう。タンゲくんを大切にしてあげよう。そんな思いなのです。おそらく女の子の思いとは、親が幼い子どもを見つめるような眼差しなのかもしれません。すなわち、一方は、大きな世界、一方は、小さな世界、この落差があるからこそ、こちら側が相手側をいとおしく思うのでしょう。
 本書は、タンゲくんに対する、女の子の一方的な感情を描いている、と言ってもよさそうです。タンゲくんは、それほど女の子のことを思っているわけではないのです。(何を思っているのか分かりません)一般的には、恋愛とは、相思相愛でなければならない、ということになっています。しかしここでは一方的です。では、一方的であるから「ダメ」なのでしょうか?それは恋愛や友情のような形としては「不十分」なのでしょうか?ここに、この絵本が投げかけるテーマが隠されているように思います。一方的でありながら、女の子の思いはとても強く、温かいものだと言えます。片想いのようなものなのかもしれません。遠くのアイドルに思いをはせるような、遠くにいる憧れの人をいつまでも思い続けるようなそんな姿です。もしここでタンゲくんの方から、女の子に対して強い感情が芽生えたとすれば、それはそれでまたややこしいことになるはずです。(女の子からすれば、自分勝手でマイペースなところが好きだったのに、全てをこちらに合わせてくるようになれば、それは彼女が好きであったタンゲくんではなくなってしまうからです。)むしろ私たちはこう考えるべきなのです。私たちは周囲の自然や動植物、社会や他者、あらゆる方面に愛情を向けることが出来る存在なのです。私たちは、素晴らしい存在を前にすると心を揺さぶられます。そしてその感動がいつまでも続けばいいなと思う。自然な感情です。本書はそうした自然な感情を描いているように思えます。