なぜあの子は乱暴なのか
『となりの せきの ますだくん』
(作・絵:武田美穂、ポプラ社、一九九一年)
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 作者・武田美穂の実体験がもとになっているお話です。小学1年生の女の子は、学校へ行きたくありません。頭が痛いような気がするのですが、体はいたって健康でした。病気になればいいのに、なんて思いながら朝、学校に行く準備をしています。女の子が学校に行きたくない理由は、隣の席に座っている男の子、ますだ君が原因です。絵本では怪獣として描かれています。やることなすことまるで怪獣なのです。絵本はここから回想シーンに入ります。
 ますだ君は、机に線を引いて「ここからでたらぶつぞ」と言ってにらむといいます。ますだ君は、なぜこのようなことをするのでしょうか。ますだ君の心境を推察してみましょう。ますだ君からすれば、隣の席にとってもかわいらしい女の子が座っているのです。あまりにも近くなのでドキドキしてしまいます。男の子の心境としては、まずこのドキドキを「さとられないようにする」必要があります。緊張したり興奮したりという姿はマヌケですから、なんとかしてそれを隠す方法を考えなければなりません。隣の女の子の息遣いがこちらまで迫ってきそうです。ですから、線を引いておこうとするのです。「ぶっとばすぞという行為」によって距離をとろうとしているのです。そんなに近くに来るな。そんな思いでしょう。頭の中にどんどん彼女のかわいらしい姿が侵入してきます。とにかく気になってしょうがないのです。女の子は、自分自身が美しさや可愛らしさという多くのインパクトを周囲に与えている、とうことに気付いていません。
 算数でみほちゃんが指を使って計算していると「せんせー みほちゃんはてをつかってまーす」と先生に告げようとします。給食の人参を残そうとすると、「いけいんだー」と大きな声で言うのです。なわとびがうまく跳べないでいると、「へたくそへたくそ」というのです。ますだ君が先生に報告したり、オーバーに報道したりするのは、なぜでしょうか。黙っておけばいいのに、と思いますよね。男の子の気持ちが分からないと本当に不可解だと思います。なぜこんなにむちゃくちゃなのでしょうか。ますだ君は常にみほちゃんの言動が気になります。みほちゃんが失敗しているというのは、とても人間らしい姿に見えてきます。かわいい上に失敗している。これほど心を動かされることはないでしょう。彼女がそれを隠したい。ということは、外の鉄の鎧が外れて中の生身の姿が見えてくるようなそんな感覚です。僕はその姿を見てドキドキしているよ、というのが本音です。こうした中で、ますだ君の中ではある種のシナリオが進行中なのです。僕が彼女の失敗を発見して報告する、彼女が出来ずに困っている、僕は出来ている、彼女が僕を褒める、彼女が僕に助けを求めてくる、僕が助けてあげる(教えてあげる)、すると彼女が僕のことを好きになる、なんていうシナリオです。無意識でそういったことを模索してしまうのです。(おしえてやってもいいぜ、なんていう言葉もあります)実際にはシナリオ通りには行きません。女の子が僕に助けを求めてくるはずはありません。断られると、本当なそれなりに傷付いてもいるのです。それゆえ女の子からの温かい言葉が返ってくるように、さらにオーバーに報道、嘲笑していき、エスカレートしていきます。自分でも止めることができなくなってしまうのです。客観的に見れば「もうやめておけ」と言いたくなるのですが、なかなか自分では止めることが出来ません。
 ますだ君は一つ気づいたことがあります。そうこうしていると、となりの女の子が困った表情をしている。自分が手にかけたことによって女の子が変わっていく。なぜかそれが少し快感になってしまうのです。ますだ君としては、距離をとりつつも自分のペースで彼女と関わることが出来るので、なぜか落ち着くのです。威張っていられるし、自分の強さも証明できる。同じ空気を共有できる。そんな感覚でしょうか。
 男の子は、怒る、かみつく、威張る、叩く等の暴力的な行為の方が先に出るのです。話を聞くとか、合わせるとか、微笑むとか、そういうのは根本的に苦手なのです。強さや力に頼ってしまう。自分の楽な方法によって、みほちゃんを操作しようとする。自分の手のひらの上で、相手の人格を操作したいのです。そして、「相手が喜ぶことをしよう」ではなく、「相手が困ることしよう」と考えるのです。私たちから見れば何一ついいことはないのですが、しかしながらこういうことをやってしまう。それがこの頃の男の子です。結局は、近すぎる人間関係をどのように円滑にするか、ということについてのますだ君なりの答えだったのです。
 この絵本で描かれているような小さなきっかけが、しだいに大きな力を持ってくると「いじめ」になります。ではここで、先生はどのように対応するべきでしょうか。絵本では特に先生は何も言っていないようです。このようなケースでは、いじめはダメだと強く叱責したり、保護者を呼んで客観的に事実を検証したりするのは、どうかやめて欲しい。男の子の純粋な気持ちについて、少し温かなまなざしを向けて欲しいと思います。もし先生が声をかけるとすれば、ますだ君の近くによっていき、小さな声でこっそり「好きなことがばれてしまうからやめておけ」と言って微笑んであげるのです。するとピタリとやむはずです。(『おならばんざい』作・絵:福田岩緒、ポプラ社、1984年を参照)そういうさりげない対応ができるとよいですね。
 昨日の帰りの時間、お気に入りのピンクのえんぴつを、ますだ君がへし折ってしまいました。かっとなったみほちゃんはケシゴムを投げて、ますだ君にぶつけてしまいます。ますだ君は焦ってしまう。もし本当に怪獣ならば、ガオガオといいながら暴れていればいいのですが、実際にはますだ君は小さな純心な男の子なのです。その一方で、みほちゃんもまた、これは大変なことになってしまうと焦ってしまう。彼女にとっては依然として怪獣なのです。かなり乱暴な仕置きが待っていることでしょう。学校に近づくとたくさんの子どもたちが周囲で楽しそうにしています。ここまでが回想シーンです。
 よく見ると校門の入り口のあたりに、ますだ君がいます。気づかないふりをして、歩こうとするみほちゃんに、ますだ君が「ごめんよ」と言って、ピンクのえんぴつを渡してくれたのです。彼なりに修理したようです。これをみほちゃんは「ますだくんが ぶった」と表現しています。さいごの「ますだくんが ぶった」というのは、どういう意味でしょうか?おそらく、コンと叩くふりをしたのだと思います。誰かが周囲で見ているはずです。その手前、これまでの延長線上を示すためにぶつという仕草をするのです。実感としては軽く触れた程度だったと思います。ますだ君がみほちゃんに語りかけているその姿は、怪獣ではなく、普通の男の子でした。ますだ君が普通の子に見えた瞬間だったのです。
 裏表紙に描かれている姿は、朝7時30分のみほちゃんの家に、ますだ君が迎えに来ている姿です。これは何を示しているでしょう。おそらくは、次の日朝、ますだ君がみほちゃんの家までやってきたのだと思います。ここでは再び怪獣に戻っています。そんなに人間は急には変われません。怪獣に見えたり、人間に見えたりしながら、しばらくこの距離感で生活していったのだと思います。