これは「恩返し」ではない
『つるにょうぼう』
(作:矢川澄子、絵:赤羽末吉、福音館書店、一九七九年)
03(01)07

 雪のふかい、里の話です。若い、一人暮らしの若者「よ平」が、矢の刺さった鶴を介抱するシーンから始まります。その夜、若くて、美しくて、品のよいむすめが、自分を女房にしてくれといってやってきます。むすめはつつましく、よく仕えてくれました。なぜ、この鶴は、よ平のもとへやってきたのでしょうか。命を助けてくれたというお礼にやってきたのでしょうか。これは「恩返し」なのでしょうか。「かさじぞうの女性版」なのでしょうか。この点についてはまた後で触れます。
 食べ物のたくわえが底をつきはじめました。そこでむすめは、「おなごははたを織るもの。」といってはたを織りました。「わたしの織っているうちは、けして、のぞき見なさいませんように」と言います。かくしてむすめは、上等の布地で美しい織物を作りました。本書の結末を知っている私たちは、鶴が自分の身体を傷付けて織物を作っているということを知っていますが、よ平は知りません。なぜ妻は、自分の身体を傷付けようとしたのでしょうか。食べ物がなくなってきたのは自分のせいだという思いもあったかもしれません。自分に出来る仕事といえばこれしかないと思っていたのかもしれません。ここで重要な点は、もし恩返しであったならば、迷惑をかけてはいけないと考えて、よ平のもとを離れるという選択肢があったはずなのです。しかしここではそうはしませんでした。この話は恩返しの話ではありません。彼女は、迷惑をかけてでも、一緒に暮らしたいと思っていたのです。自分の身を傷付けてでも一緒に暮らそうとしたのです。一緒に暮らすと食糧が減ってしまうというのは、一緒に暮らしてから初めて気がついたのです。彼女がよ平のもとへ来た時には、将来のことや、生活のことを考えないままで、たんに、ふらっと入ってきたということなのです。
 さて二人はこの上等な織物を売って、しばらく楽しく暮らしました。しかし、ふたたびお金がなくなってしまいます。「これっきりにしてくださいまし」とむすめはいいながら、今一度織物をおりました。さらにその後、よ平は、再び、はたを織ってくれと頼みます。「なんでそんなにお金がいります」むすめがそういうと、「金はいくらあっても、こまることはない。」と、よ平は言いました。
 この場面から何を解釈できるでしょうか。よ平は、金のために、もう一度、はたを織ってくれという。むすめは顔色が悪いようです。表紙で描かれている健康的な表情と比べてみればよく分かります。自分の身体を傷付けてしまい、おそらくは疲労していると思います。それは少し病的です。しかしよ平は「どうしたのか?」「大丈夫か?」の一言も言えないのです。将来設計を気にするあまり、心のやりとりを忘れてしまう。男性は、そういうところがありますね。遠い将来を見つめて、今の目の前の相手のことを見ない。相手の気持ちや状況には配慮できずに、いささか強引に女性を動かそうとします。女性にとっては辛いところでしょう。
 襖の奥で何をしているのか気になったよ平は、ついに、覗いてしまいます。よ平は、なぜ覗いてしまったのでしょうか。当初はそうではなかったのです。見ちゃダメと言われればはいと言っていたのです。ふとした出来心なのかもしれませんが、とにかくふと覗いてしまったのです。私は、よ平の中にある種の「傲慢さ」のようなものが出てきたからだと思うのです。大金を手にして幸せに暮らせるのではないかと思っていたからです。貧しい生活であっぷあっぷしている時には質素でした。しかし欲が出てきたのです。隠す必要なんかあるものか、一緒に暮らしているのだから、素直に見せてくれてもいいじゃないか。そんな思いからでしょうか。余計なことをしてしまう。相手の範囲の中にまで平気で入り込んでしまうのです。
 ふすまの奥でよ平が見たものは、人間ではありませんでした。真っ白な鶴でした。鶴が自分の羽をひきぬいて、はたにかけているのでした。よ平は、あの時助けた鶴だということに気付きます。彼女は「あれほどおねがいしましたものを、見苦しいすがたをお目にかけましたからには、このうえ人間の世界にとどまってはいられません」といって飛び去ってしまいました。なぜ彼女は、人間の世界にとどまっていられないと言って去ってしまったのでしょうか。よ平はこう思うでしょう。もともと鶴だったとしても、それでもいい、人間の姿をしてくれているならば、これから先もそのままでいてほしい。そんな思いになりそうです。彼女としては恩返しをしたいわけではないのです。(恩返しだとするならば、恩を返すためにこのままよ平のもとで暮らしてもいいはずです。)これは、よ平を満足させればいいという問題ではないのです。人間同士の幸せをかみしめたい。人間になりたい、人間として付き合っていきたい。そんな思いなのです。自分が鶴であるということが分かってしまえば、もはや人間同士の愛を育むことは出来ません。この時点でよ平に対する彼女の想いは終わってしまったのです。
 ただし、恩返しという言葉はやはり意味があるように思えます。最後の最後、よ平が、あの時の鶴だったのだと分かった時点で、「恩返しだったのかな?」と思う。それはありうることです。恩返しではないのですが、恩返しということで自分自身を納得させようとしている姿なのかもしれないのです。
 この話はもともとどんな話だったのでしょうか。そもそも、これは何の話でしょうか?どのようにして形成された話なのでしょうか。鶴を助けたという事実が存在し、「あの鶴がもし人間だったらな」という形でファンタジーを膨らませたのであれば、それはきっと笠地蔵のような、恩返しの物語になったはずです。その場合、老夫婦でもよかったのです。話の内容から推察するに、これは若者(といってもそれほど若いわけではない独身男性)が女性と出会うという話なのです。美しい女性との出会いという事実を基にして、「あれは、ひょっとしたら鶴だったのかもな」という形で膨らませた話だと思う。女性との出会いの話を、ぼかしたり隠したりするために、鶴という表現を用いたのではないか。誠実だけれども、ぼくとつで口数も少ないこの男が、一人の女性を迎えいれることで少しずつ明るく饒舌になっていく。その後、あれこれ考えるようになる。そのことが災いして、何かの秘密を知ることとなった。ワケアリだったのかもしれません。独身男性のもとにふらりと入っていき、そしてひと月もしないうちにさっと消えてしまう。そんな話が先行し、それをもとにしてこの物語が作られたような気がしてならないのです。
 強く印象的に思うのは、「音」です。雪がしんしんとふるこの世界には、音がありません。無音です。雪国の人々にとってこの無音というのが、死をイメージするような、怖いものだと思います。自分が生きているということを忘れてしまうような、全てを真っ白の無に埋めてしまうような、そんな世界観だと思います。鶴がやってきて、そこで音が生まれます。最後のページには、どんよりした高い雲に向けて、鶴が飛んでいる姿。ここに、文字はありません。まさに、「無音」を表現しているのだと思います。
 男女の出会いなんていうのは、ふっと出会い、すーっと近づいていき、くっついたかと思ったら、さーっとさっていく。そういう性質のものではないでしょうか。男が男らしく、女が女らしくあるからこそ、別れがやってくる。近づこうとすれば壊れてしまう。恋愛とは、夢と現実の間をふらふら行き来するようなものなのかもしれません。