私がここでやりたいことは、絵本の解釈を深めることによって教育のあり方を考えたいということです。そこでタイトルを『絵本の教育学的解釈』としました。
 現在までのところ、膨大な数の絵本が発行されています。ブックガイドのようなものも多く発行されていますし、ネットを開けば、星がついたり、レビューの文章を読んだりすることができます。膨大な本の量から面白い本を見つけるのは、比較的容易です。かつては「情報が氾濫するとその中から取捨選択することが困難になる」等と言われたこともありましたが、それは間違いでした。取捨選択は、むしろ容易になってきたのです。面白い絵本を探すのはとても簡単です。ところがその一方で、絵本についてじっくり考えるということは難しくなってきました。私たちはつい、じっくり考えることなく、次の新しい絵本を手にしてしまうのです。かつて手にとった絵本をどのように堪能するか。それは難しいことでもありますが、実はとても興味深いことなのです。情報氾濫の時代に最も意味のあることは、情報を選び、探し出すことではなく、自分なりに深めたり、解釈をしたりするということです。私がこのブログでやろうとしていることの第一は、数多くの絵本を紹介することではなく、いくつかの絵本を取り上げて深く考察するということ、絵本の読み方、楽しみ方です。
 子育てを経験した親御さんならば、多少なりとも絵本を読んであげたことがあるはずです。しかしながら、絵本をじっくりと楽しめているでしょうか。なかなか、さーっと読んで、それでおしまい、という形で終わってしまっているのではないでしょうか。勿論子どもの前で読み聞かせをするというのは、それで十分なのかもしれません。しかし絵本は、本当はもっと面白くて、奥が深くて、感動的なものなのです。子どもの前で読んだ後でもいいので、再びその内容についてじっくりと堪能してみたい。私がここで試みたいと思っているのは、解釈に解釈を重ねていくような、言わば深読みです。絵本の裏に隠されたメッセージ、その深い意味について明らかにしていこうと考えています。ある人はこういうかもしれません。それはあなたの勝手な解釈ではないか、あなたの独断ではないか、と。そうですね。それは当たっています。そして私は、むしろこのことが今の時代には必要なことだと思うのです。情報氾濫の世の中で大切なのは、取捨選択ではなく、解釈を深めていく力です。与えられた作品を受け止めるというよりは、そこに新しい意味を発見していくという創造的な力なのです。私がここで広げていく解釈は、あくまで一つの提案なので、みなさんはそれを踏まえた上で、みなさんなりの解釈を膨らましていけばよいと思います。私の解釈を「たたき台」「踏み台」にしてもらっていいのです。それが絵本をより深く楽しむことになると思うのです。
 私が、本ブログで試みたいことの第二は、教育学の研究についてです。私は教育学という学問について、ある程度精通しているつもりです。大学でも真面目に教育学を教えています。ところで現在の教育学というものは、わりと実証的で客観的な社会科学なのです。意外なことかもしれませんが、「人間はこうやって成長する」等とまとめて論じることをしないのです。というのも、個々の人間を見ていけばその成長過程は千差万別です。いろいろと仮説を出したとしても、必ずそれに反する事例が浮かび上がってきます。ですから、教育学は、「人間の成長を議論する領域」よりも、正しさが検証できる「社会科学的な領域」で研究が進められるのです。社会科学としての教育学は、大切なことではあります。しかしそれは「教育とは何か」「人間とはどうやって成長するのか」という問いに答えるものではありません。社会科学的な教育学は、教育を考える際の有益な手がかりではありますが、教育そのものを考えているわけではありません。私は、教育学である以上、教育についての仮説をしっかりと立てていきたいと思うのです。人間はこうやって成長するという青写真を、誰にも伝わるように、平易な言葉で、教育のあり方を語りたい。それは究極的には感性の問題、文学とか芸術といった観点になるかもしれません。その観点でこそ教育学はいっそう発展すべきではないかと、一研究者として思うのです。その議論のために、絵本はとてもよい材料になります。私は、絵本を取り上げて、教育とはこういうものだという理論を作り上げたいのです。本ブログはエッセイという形式をとっています。ある人はこういうかもしれません。それは教育学ではない、そもそも学問ではない、と。形式だけを見るならば絵本に関する随筆のように見えるでしょう。しかし私なりには、結構、真剣に考えています。これが教育学だといえば教育学の先生に叱られるかもしれませんが、ある種の学問的理性的な探求心に基づいているつもりです。人間の成長と教育についての一定の理論的視野を構築しているつもりです。