子どもの自由な空想の世界はどのように成立するか
『なみにきをつけて、シャーリー』(作・絵:ジョン・バーニンガム、訳:へんみまさなお、ほるぷ出版、二〇〇四年)
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 ある日、おとうさん、おかあさん、シャーリーの3人が浜辺に出かけます。おかあさんとおとうさんが、ビーチチェアに腰をかけ、静かな時間を過ごしています。おかあさんはシャーリーに対して「なみに気をつけて」「いぬにイタズラしないで」「のみもの いるの?」などと声をかけていきます。シャーリーは、聞いていないようです。それどころかシャーリーは、船で沖のあたりまで出ていき(!)海賊船と遭遇し、危機を乗り越えて、宝のありかを突き止める、そんな大冒険をしているのです。表題は「なみにきをつけてシャーリー」ですが、表紙の絵は、シャーリーの自由で勇猛な大冒険です。波に気をつけるどころか、波と風を操り、世界を股にかけて冒険の旅に出るような強い女の子です。
 一貫して左のページでは、のんきな父と母が描かれています。右のページでは冒険をしているシャーリーが描かれています。なぜ、浜辺にいるおかあさんはそれに気づかないのでしょうか? 一体、どういう意味なのでしょうか? この謎については、絵本の最初のページに、小さく「答え」が書かれてあります。(子どもに読み聞かせをする親たちに向けて書かれてあります。子どもたちは、答えを知らされずに読むことができます。)これは、左のページが現実の世界、右のページは、シャーリーの空想の世界だということになります。現実のシャーリーは、冒険をしているわけではなく、浜辺で犬と遊んでいるのでしょう。遊びに夢中になっているわけではなく、それこそ、手持無沙汰で、ぼーっとしているのです。しかしシャーリーの頭の中では大冒険を空想して、自由な世界を旅しているのです。
 とても不思議な絵本です。研究者たちはポストモダン的な絵本と呼んだりします。(藤本朝巳著『絵本はいかに描かれるか』日本エディタースクール出版部)文字は、左のページにだけあります。右側のページには文字がありません。文字として書かれてあるのは、おかあさんのセリフだけです。音声は左側のページからのおかあさんの声、映像は右側のページのダイナミックな姿、という組み合わせで成立しています。母親が文を読み、子どもが絵を眺めるという読み聞かせの場面を想像してみましょう。子どもは耳で母親の声をきき、単調な左ページには目を向けず、右ページの空想の世界に入る。こうして読者である子どもは、シャーリーの世界観を追体験できるのです。なんとも不思議な感覚に陥りますね。
 私たちはこんな充実した時間を過ごすことが少なくなったように思います。現代社会では暇な時間に、何かやることがあります。携帯電話に附属しているゲームもそうです。暇つぶしの道具があって、暇ではなくなるのです。シャーリーの空想が広がっていくのはなぜでしょうか。休日に海岸に行くのは、おそらくは非日常です。いつもとは違う場所で、のんびりと過ごそうというのが両親の考えです。シャーリーにとっては一応、非日常という形態をとり、ふだんとは違う場所に移動しているにもかかわらず、そこには対して変化もなく、トラブルや事故もない。大人はそれを望んでいるわけですが、子どもにとってはつまらない。そんな環境だからこそ、頭の中で大冒険が描かれるのです。目の前の水平線を眺めるという刺激によって、大冒険が膨らんでくるのです。空想の世界に浸るというのは、ある意味で特殊な能力かもしれません。常に忙しい毎日を過ごしていれば、そういう能力は退化してしまうことでしょう。
 ここで描かれている親子関係はどういうものでしょうか。私には、とてもちょうどいい距離感だと思います。シャーリーの空想の中におとうさんとおかあさんは登場しません。親は子どものことを少し気にかけ、心配していますが、必要以上に声をかけ、あれこれ指示するわけではありません。かといって全く無視しているわけでもありません。大人たちの言葉が子どもの頭の上をかすめ、そのまま流れ、消えていきます。その程度の受け止め方で十分ではないでしょうか。人間が自立し大人になっていくためには、大人たちさえも介入できない、子どもだけの空間がそこに成立しなければなりません。親と子のこの距離。子どもが自分を維持できるちょうどよい距離だと思います。もしもおかあさんがシャーリーの返事を強く期待し、何度もシャーリーに問いかけるようであれば、きっとシャーリーは空想の世界を持つことさえ出来なかったはずです。
 さて、二つの世界をもう一度眺めてみましょう。現実というのは退屈で、平和で、聞きたくない言葉さえも飛び交う世界であり、空想というのはダイナミックで、感動的で、統一感のあるきれいな世界です。子どもの空想の世界は、美しく、楽しく、エキサイティングで、感動的です。左側の現実のページは、同じ風景と同じ人物がほぼ変化もなく、繰り返しているかのようです。右側の空想のページは、空の色も、人物も、次から次へとめまぐるしく変化します。「生きる」という意味では、空想の世界の方が、リアリティがあるように思えます。わたしたちは誰しも「予想に反する行為」「期待を裏切るような、人々を驚かせる行為」を熱望します。目立ちたい、カッコつけたい、びっくりさせたい、そんな思いを持っているのです。しかし現実は冷たい。私たちの野望は、外に発してしまえば、ぐしゃっとつぶされてしまいます。「子どものくせに」なんて言われるかもしれません。
 ある見方をすれば、シャーリーの姿は、現実から背を向けて妄想の世界に逃避してしまっている姿にも見えます。しかしわたしは、子どもに対して「現実に目を向けなさい」という冷たい言葉を投げかけることはできません。現実世界は、けっこうつまらないものなのです。安全のためと称して様々な規制があります。本来、現実社会が、子どもの理想や野望を表現し、実現できるような、そんな面を持っていなければならない、と思います。空想に浸る子どもを現実に引き戻すのではなく、大人たちが現実世界の中にダイナミックな要素を取り入れるようにしたい。そんなふうに思います。その意味でこの絵本は、私たち大人に対する重大な問いかけを含んでいると思います。


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