お陰様でMBAを無事卒業し、1ヵ月半ほどの放浪&旅行生活を経て、現在Chicagoで新しい生活を始めています。毎日ハイウェイを行ったり来たりする、生まれて初めての車での通勤。多少渋滞はありますが、満員電車に比べたらまぁ気分の良いものです(日本の電車通勤の方、ごめんなさい)。
それにしてもChicagoはやはり都会ですね。学生街のChampaignとは異なり、沢山の企業ビルが林立し、沢山の人が働くために日々移動している。何というか、経済活動のパワーをより身近に感じられるのです。
そうそう、本格的な日本のスーパーや日本のレストランなんかも沢山あり、早速Champaignではなかなか手に入りにくかったナマの刺身を食し、感動の涙(?)を流しております。
マジメな仕事の話をすると、まだ通い始めて数日なのでよくわからないのが正直なところですが、やはりこれまでとは異なる視点で物事を見たり考えたりしている自分に気付きます。ただ、一方で、実際にどのように組織にインパクトを与えていくかという点が、一筋縄では行かないだろうなぁ、というところも見えてきました。その為の理論武装、そして多少Politics的なものも含めての自分の立ち居振る舞いの向上に、今後も継続的に努めていくことが大切なのでしょう。
さて、このエイのMBA日記も短い期間でしたが、昨年の12月から始めて、なんと累計6,327名の方が何らかの方法でこのページに訪れてくださいました。沢山の方々に見ていただき、心より感謝申し上げます。飽きやすい私が半年以上も続けて来られたのは、飽きずに読んでくださった皆様のお陰です。
今後このブログをどうするかは悩ましいところですが、これから仕事を始めると、きっとグチをこぼすこともあるだろうし、ネガティブな印象を与えたり、MBA日記というタイトルにそぐわない内容は極力避けるべきなのかな、と思っています。
ですので、ひとまず区切りをつけて御礼を申し上げる次第であります。短い間でしたが、Illinois MBAのナマの学生生活の様子を皆さんとシェアできたことを嬉しく思います。本当にありがとうございました。
最後に、このブログに対する一つの反省が、ワインのエントリを立ち上げながらも、あまり利用することなく終わってしまったこと。ひょっとしたらこのテーマをどこかで新しく始めるかもしれません。そうなったらまたよろしくお願いしますね。
それでは、皆様と自分の今後益々の活躍を祈って。
Good Luck!
2005年7月9日
エイ
街はすっかり夏の装い。中西部の特徴であるだだっ広い平らな道は強い日差しを受けてギラギラと輝き、脇に大きく緑に茂る木々が涼しげな木陰を作り出している。人々はノースリーブと短パンという気軽な格好で道を行き交う・・・
街を一周してから次の滞在先であるChicagoに向かうことにした。運動不足の解消によく利用したIMPE、授業が行われるメインビルディングだったWohlers Hall、よく使った駐車場、そしてMBAのオフィスのあるDKHビル。大好きだったサンドウィッチハウスのJimmy John’s、韓国料理Woori Jib、野菜不足になると行った中華料理のHot Wok Express、真夜中の常連客だったスーパーマーケットSchnuck's・・・。
今だから言うが、初めてこの街に来た時、とても田舎っぽいと思い、あまり良い印象を持っていなかった。でも、こんなにもいとおしく、去り難い感情に見舞われている。「住めば都」というが正にこのことか。いや、むしろこの2年間に起こった様々なことがChampaignの街の風景と一体となってそうした感情を引き起こしているのだろう。
いつかもう一度この街に戻ってくることがあるのだろうか。
さようなら、Champaign。
そして、ありがとう、Champaign。
ありがとう、Illinois MBA。
]]>MBAの効果論については随分以前から様々なところで甲乙様々に論じられていた。これに対して私はYesと答えたいし、そう思うから留学した。
MBAによって得られる効果は、戦略論、分析術などの知識、多量のケース分析からくるビジネス判断力の育成、チームワーク・リーダーシップスキル、様々な活動と多様なバックグラウンドを持つ人間との交流からもたらされる認識・価値観の変化、そして今後のキャリアの変遷ステップとなることである。
特に最後のキャリア変遷ステップについては、私自身が現在唯一具現化している効果だ。MBAというステップを経由することにより、キャリアプロセスの一部の省略、異業種異職種への転換などが実際に可能なのである。そして、それによる時間とエネルギーの節約は、年収がxxx万円あがった、に匹敵する、いやそれ以上のリターンになるのではないか、と思っている。言ってみれば、跳び箱の踏み台のようなものだ。自分自身の力ではなかなか難しいが踏み台を利用することにより、より高くより遠く飛ぶことができる。
ただ、MBAは莫大な投資であるということを忘れてはならない。企業派遣だとなかなか実感がわかないだろうが、Champaignのような都市部から離れていて比較的物価が安いところでも授業料・生活費・レク費込みで2年間1000万円ぐらいはかかっているし、もしChicagoやNY、西海岸の大都市にある学校に行くとなるとその倍近くかかることになる。勤めていた会社を辞めて行くのだとすれば、その間の得べかりし利得(給与)を放棄することになるから、その分も含めた期間Lossはハッキリ言って日本で住宅物件を購入するのと変わらないと考えてもいい。
この莫大な投資に対して効果があったのかどうかは、現時点ではとても判断が付きかねるのである。それはこれからの自分の活動によるからである。私はYesという答えを得られると信じているし、是非、数年後にYesと胸を張って答えられるよう頑張りたいと思っている。
反省点
2年間のMBA生活で随分沢山のことを吸収し、そうなるよう頑張れたと思っている。しかし、100点満点だったかというと、実はいくつか反省点がある。
まず一つは英語力の向上。これは本当に痺れるプロセスである。聞く・話す・書くとも2年間でそれなりには向上する。しかし、あくまでも2nd Languageの域を出ず、これからビジネスで通用するのかは、実は少々不安がある。
真の英語力の向上は、単に留学すればよいというものではなく、その期間の継続的な付加的な努力が必須である。例えば、他学部に留学していたとある人は個人でプライベートレッスンの先生を雇い、留学期間中継続して発音の矯正を行っていた。私はと言えば、元来の怠惰な性格が災いし、継続的一貫した努力をしなかった。留学期間が長期にわたるとどうしても息切れしてくる。授業を上の空で聞いていたこともあったし、疲れていると理由をつけて積極的に級友に話しかけることを怠ったこともあったし、リスニングのためのTVの視聴も散発的だった。
これから留学する人達は、是非私のようにはならずに、平均的な努力で満足せず、他学生との差別的アドバンテージとなるような継続的付加的努力を行って欲しい。
もう一つの反省点が、無理をしてでももっともっといろいろな行事に参加すればよかったな、ということである。
MBAは勉強だけではない。様々なイベントやスポーツの場を学生同士の交流のため、勉強の憂さ晴らしのため(?)、学生自身が企画して行っている。例えば、私が参加しておけばよかったと後悔しているのが、ボーリングイベント。これは毎週金曜日の7時から定期的に3ヶ月~半年かけてリーグ戦が行われていたもので、これに参加しておけば随分ボーリングの腕が上がっていただろう、と思う次第である。
また、ゴルフのマスターを目標に掲げていたものの、未だ初心者域をうろうろしているのも反省点だ。これは、夏休みにインターンシップで東京に戻ってしまったのが大きな失敗の要因となった。この間、毎日のようにゴルフに明け暮れた級友達は80代というプロなみのスコアを達成し、ついでに10キロ近くのダイエットに成功していた。
これからMBAを目指す人へ
以上のように、いくつかの反省点がありながらも、私はMBA留学することには大きな意義があると思っている。そして、その投資効果があるかどうかは、これからの私の活動で証明していきたい。
MBAはどの学校に入るかよりも、どのようにその機会を利用することが大切なのだ。MBAでどのようなことを学び、どのように次のステップへ飛躍したいのか、そしてそれに合った学校選ぶこと。そのためにはプログラムを詳細に調べて、どれとどれをやりたいのか、具体的にイメージしておくことをお勧めする。MBAでは様々なバックグラウンドの学生が来て様々な活動を行っており、そのためのリソースは有り余るほどある。それをどれだけ上手く活用して自分のものにするかどうかが、MBA成否を分ける第一ステップになるのだと思う。
2年前、入学式でDeanのMary Millerが言った言葉を今でも鮮明に覚えている。
「Illinois MBAでの2年間はあなたたちにとっての大切な実験室となるはずです。実社会を離れ、成果や組織の力学を気にせずに、様々な試みができるのです。どうか、この機会を十分に活用してください。」
※写真はWohlers Hall 415教室。MBAの授業の一部がこの教室で行われた。
視野や考え方の幅が広がる
ある特定の職務を何年か続けてやっていると、どうしても考え方や物の見方が専門特化していく。専門分野の知識を深めるのはもちろん大切だ。だが、MBAでファイナンスからアカウンティング、マーケ、統計学、経済学、組織学、戦略論、サプライチェーン等々、自分の不得意分野も含めて幅広く履修することにより、新しい思考の切り口を得たり、より総合的な物の見方をするようになる。
日本観
情けないことに、アメリカに来て授業やディスカッション、OSBIプロジェクト、インターンシップ、そしてクラスメートとの他愛無い会話などから、日本を再認識することになった。
ケーススタディに日本企業の登場する率が如何に多いことか。アメリカ人の日本に対するイメージは「Technology」「車」「アニメーション」。そしてTOYOTAやHONDA、SONYなどが成し遂げた業績に対し、未だにに驚愕の面持ちと尊敬の念を持って眺めている。
また、アジア各国の学生の日本に対する興味の深さにも驚いた。第二外国語として日本語を習っていたりして、かなりの数のアジア学生がカタコトの日本語をしゃべるし、映画やドラマなどの芸能ネタにも日本人の私よりもよっぽど通じている。
OSBIプロジェクトとインターンシップの経験は、私の卒業後の進路を間接的に決定した。OSBIプロジェクトでは偶然に日本のMNC(マルチナショナル企業)の案件を扱い、外資系企業の日本支社でインターンシップを行った。これらの経験から、日本人としての自分と日本との関係、インターナショナル経済の中で私という一個人がどのようなポジションをとるべきか、ということも自分なりに見えてきたつもりである。
相対的な自分の強みと弱みを知る
自分の強みや弱みは十分に知っているつもりだった。だがそれらは、とある企業に勤める人達という同質的な組織の中で計ったものに過ぎない。
MBAでは様々な職歴や学歴、国籍や人種など、異なるバックグラウンドを持つ人間が世界各国から集まってくる。そうした自分とは異種の人間とチームプロジェクトなどを通じて交流することにより、これまで自分が気付かなかった強みや弱みが見えてくる。
精神的体力的タフさ
あの最初の数ヶ月間の殺人的な状況が、もはや懐かしく思える。聞き取れない英語、初めて習う科目、そして押し寄せてくる宿題とリーディング、テストの嵐。課題の絶対量に比べて時間の絶対量が完全に不足していた。平均睡眠時間3時間という日々が何ヶ月も続いた。「Take a nap(仮眠をとる)」という言葉を覚えたのはこの頃だった。
試験で悪い点数も取ったし、落第するのではないかと恐れた時もあった。しかし何とかなるものだ。そして、次第に要領とコツをつかみ、楽になっていった。
「何とかなる」
あの殺人的数ヶ月を切り抜けたことで、そんな自信がついた。投げやりに聞こえるが、どんなに不可能に思えるスケジュールでも、全く予備知識のないことでも、何とかするのである。
For the Next Step
上記以外でも、チームワークスキルやビジネス分析・判断、交渉術、リーダーシップ考、分析スキル、業界知識、戦略知識などなど、具体的な成果としてはまだ落としこめていないが、MBAにおいて習得したものは数えきれないほど沢山ある。また、MBAとは直接関係はないが、この期間に、アメリカ人の多種多様な自由奔放な生き様に出会って、自分の持っていた固定的な人生観が多少変わったりもした。
いずれにせよ、本当に大切なのは、この次である。MBAによる認識・価値観の変化が単なる自己満足に終わるのか、それとも何か具体的な成果につなげることができるのかは、今の私には知る由もない。ただ、一つ言えるのは、もし2年前、あのまま日本で同じ職場で働いていたら、現在感じている変化は決して起こらなかっただろう。
]]>封を開けてみると、出願時に提出したエッセイのコピーが入っていた。テーマは「Why MBA?」。どのビジネススクールでもほぼ必ず聞かれる基本中の基本のエッセイだ。自分がこれまでどんなことをしてきたのか、MBAで何を学ぼうとしているのか、そして、その学んだことが将来どのように生きてくるのかを論理建てて説明するものである。
中を見るとご丁寧に下線が引いてある。全て出願書類選考時に実際の審査官が書き込んだものだと言う。
「My short term goal is to develop new financial marketing methods...」
「After the MBA, I would like to work as a marketing manager at an advertisement company and specialize in financial services…」
いやはや、自分も随分な嘘つきである。私が最終的に選んだ道は、あるメーカーでの事業企画というポジションである。(その経緯はこちらをご参照)エッセイで言っていることと、実際に選んだ道と全く異なっているではないか。
もちろん、エッセイで嘘を書いたわけではない。多少建前論めいたところがあったにせよ、当時としてはこれまでの自分のスキルをベースとして、可能な限り現実的かつ説得力のあるように考えたgoalだった。
MBAを経て考え方や認識・価値観が変化したと思うものがいくつかある。エッセイでのcareer goalと実際に選んだ道との相違は、そうした一つ一つの変化が積み重なった結果起こったに過ぎない。
※写真はDKH4階のラウンジに通じる通路。ドアの向こう右手前にある棚がメールボックス。各自の名前が貼られたファイルが並んでいる。
]]>Champaignに戻ってきた。
途中、車窓から見える風景が一面のコーン畑に変わったのを見て、なんだかホッと懐かしさを感じてしまった。
明々後日には、とうとうChampaignを離れる。町並み全てがいとおしく見えてしまうのは感傷的になっている証拠だ。
]]>今、再びChicagoの街中にいる。Champaignを早朝出発したAmtrakが9時半にChicagoに到着。New Mexico方面へ向かう次の電車まで5時間ほど待たなければならない。
暇つぶしに街中へ・・・
林立する高層ビルの下に沢山の観光客とともに沢山のビジネスマン/ウーマン達を見かけて、ピリリと緊張を覚えた。3週間後には自分もこの世界に戻る。2年ぶりの実社会。MBAという課程を経て、何か違った立ち居振る舞いができるのだろうか。それとも、そんな期待は全く無意味なのだろうか。
「MBAで色々学んだけど、その学んだという事実をこれから仕事の上で証明していかなきゃならない。そこが一番重要でかつ一番難しいところなんだ。」クラスメートのRichardの言葉が頭をよぎった。
中西部の世界遺産を見尽くしてしまったので、ちょっと西側へ足を伸ばしてきます。
400ドルを払うとAmtrakに乗り放題。久々の貧乏放浪旅行だ。
]]>結構面白かった。世界で最もセクシーな女優アンジーと世界で最もセクシーな男優ブラピの共演作だ。まず見た目がいける。ストーリーもまぁまぁ。
アメリカでは映画はとてもリーズナブルだ。学生割引もあって6ドル25セントで映画鑑賞ができる。しかも公開直後なのにも関わらずほとんど並ばずに入れる。映画館いっぱいに広がるポップコーンの強烈なバタ臭い香りがいかにもアメリカっぽい。
Cahokia Moundsは13世紀ごろに繁栄したアメリカインディアン(Mississippian Indianと呼ばれている)の街の遺跡。メキシコ以北の最大の遺跡で、2,200エーカーの広大な敷地には、最盛期、2万人の住民がいたという。
何の変哲もない原っぱに台形をした丘がいくつか並んでいるだけで、何でこれが世界遺産?と正直思わずにはいられなかったが、Visitor Centerにある博物館はなかなか面白く、丘に登ったりピクニック公園でのんびりしたり、とゆっくり楽しめる。
Champaignにあるアジア食材屋に行くと中華系の棚に沢山の調味料が並んでいる。一体こんなに沢山の種類の調味料をどうやって使い分けるのか、と疑問に思い、台湾からきたMandyに尋ねてみたところ、彼女のお気に入りをいくつか教えてくれた。
私は瓶のものを使うんだけど、エイが使うんだったらインストラクションのついているものの方がいいよね。と各レシピ毎にプリパッケージされた調味料を次々と棚からとってきてくれた。オーソドックスな瓶タイプを覚えた方が広がりが得られるのだろうけれど、それぞれ肉や野菜を加えて炒めるだけ、というLazy Kitchen派には嬉しい配慮。一袋89セントととてもリーズナブル。
漢字のレシピ表記と出来上がりイメージは写真を御参考。
左上から
Sweet and Sour Pork Spare Ribs
Spicy Garlic Egg-plant
Black Pepper Chicken
Black Bean Chicken
Stir-Fried Beef with Leek
Orange Fish Fillet
Sweet and Spicy Beef Ribs
Fragrant Spicy Fish
Pickled Pepper & Beef Flavor
Red Pepper Chicken
薦められるままに全部買ってしまったけど、う~ん、いつ作ろうかな。調理器具はあらかた手放してしまったし、多分日本に帰ってからだろうなぁ。
【材料】
1. Pork Ribs ---------- 1Kg
2. Onion chopped ---------- 1
3. Garlic ---------- 3
4. Tomato juice ---------- 340ml
5. Spicy sauce ---------- 1 teaspoon
6. Salt ---------- 1 teaspoon
7. Brown sugar ---------- 60g
8. Dark beer ---------- 1 can
【作り方】
1. 2~8の材料を混ぜ、煮立たせる。
2. 肉を加えて再び煮立ったら、弱火にして1時間ほど煮込む。
3. 肉とソースを冷蔵庫で一晩寝かせる。(お腹がへって待ちきれない場合はこのステップを省略可能)
6. 翌日、肉をオーブンパンに並べ、210℃で15分焼く。
7. ソースを煮立たせ焼きあがった肉にかけて出来上がり。
旅中、素敵なCabinに宿泊した。Great Smokey Mountainsに近いPigeon Forgeという街にある。3階建てで2ベッドルーム、フルサイズのキッチン、暖炉付きのリビング、室内ジャグジーと屋外Hot Tubがついて1泊149ドル。今回はクラスメート4人で行ったので一人37ドル+taxと格安。バルコニーにはバーベキューセットも完備されており、鳥のさえずりを聞きながら食べる手作り朝食は最高。私たちのように1泊ではなく、できれば2~3泊して山小屋生活をのんびり楽しみたいところ。
Eagles Ridge Resort
HP; http://www.eaglesridge.com
TEL; 865-453-2220
ハイウェイのRest Areaでもらった無料のガイドブックを見て電話をかけまくり(携帯Telは本当に便利!)、たどりついたのが上記レンタルキャビン会社。Pigeon Forgeの山中に100近いCabinを保有している。他にも沢山のレンタルキャピン会社がある。
※画面中央のシナモンブレッドは既成のパン生地を買ってきて当日朝オーブンで焼いたもの。焼きたての良い香りがし、なかなかオツだった。
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