古き良きBCLの時代

70年代に最盛期を迎えたBCL。あれから30年以上たちました。当時の短波放送を振り返りつつ、BCLラジオの紹介や、各国の放送局の変遷などをさぐっていきます。 集まれ、当時のラジオ少年!

BCL全盛時代のラジオ⑩~ICFーSW1

ICF-SW1(SONY、1988年1月発売、49,800円)

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すでに「BCL全盛の時代」ではなかった昭和60年代。
時代は完全にテレビへと移行し、ビデオが各家庭に普及、レンタルビデオなど映像が主役の時代でしたが。
ラジオもここまで進化したのか、と思わせられたのがこのSW1。

明らかにコンパクトラジオなのに、デジタルで広いレンジをカバー。
しかも長波も。
150KHz~30MHzまでをカバーし、なおかつFM受信OK。
メモリー登録することで、一発選局。
感度が疑わしいところでしたが、それもクリア。
アンテナシステムも同包されていて、再びBCLのブーム再来か?と思わされましたが・・・。

私のイメージでいうと、SONYのBCL戦争に対する、最後の抵抗というか、意地のようなものを感じました。
その技術力ゆえに、DXerといわれるリスナーの技量に頼るところが少なくなり、結果として「趣味」からは離れたものになってしまいました。
後続のICF-SW77(兄弟機のSW55も含めて)に最後の復活をかけましたが、それを最後にBCLの灯は完全に消えてしまいました。

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いくつものラジオを紹介させていただきましたが、返す返すも日本の電機メーカーの技術力のすごさは、高度成長期の日本の縮図ではないかと思います。
経済復興の象徴が、ここに凝縮されていたのではないかとさえ感じます。
その技術力の高さによって次々と「BCLラジオ戦争」の時代に発表された受信機は、私たち次代を担う中学生の「明日を目指す力」と相まって、爆発的なBCLブームを巻き起こしたのだと思います。

それは、一家に一台しかテレビがない時代。
東西冷戦のプロパガンダの時代。
海外の情報が乏しい時代。
このような時代背景も後押しした要因だったのだと思います。

こういった時代背景は、特に平成に入ってから、すべて変わってしまいました。
テレビは各自一台から、ワンセグにまで普及する。
ベルリンの壁は崩壊し、旧ソ連が解体される。
インターネットなどの普及により、いくらでも海外の情報が手に入る。
BCLを後押しした時代背景はかき消えました。

こういった時代の流れに沿って、各国が海外向けラジオ放送の予算を削減し、放送の縮小が進みます。
ラジオをつけても、入ってくるのは中国語ばかり。
そのとどめは、皮肉なことにラジオの高度な製造技術にありました。
リスナーの技量や勘がなくても、容易に選局受信が可能になる。
いわゆる、ラジオの家電化です。

私たちのイメージでは、少なくともBCLラジオは家電ではないんです。
受信機・・・リグなのです。
私たちリスナーの技量と相まって、珍局のハントにつながるわけで。
その魅力がなくなってしまったときに、BCLという趣味は消滅してしまいます。
こういう高い技術力が、BCLという趣味を、最後は駆逐する一因となってしまった・・・という、皮肉な結果となったのが現実ではないかと思います。

それでもいいんです。
私だけではなく、「今」ではなく、昭和50年代のBCLの時代を振り返って、当時を懐かしく堪能する諸氏がいらっしゃると思います。
このブログを綴るとき、私のタイムマシンは昭和50年代で止まっています。
今日ご紹介したこのラジオこそ、昭和63年発表の、次世代ラジオだったということです。

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40年ぶりに

BCLマニュアルの1ページ

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1970年代をこのブログでもよく取り上げます。
それは、私が小・中・高の時代。
最も多感な青春時代だったからだと思うのです。
高度経済成長の末期、日本が貧困から抜け出し、「国民総中流意識」を共有できる程度に生活できるようになった、格差の少ない時代だったかもしれません。

昨日、中学校の同窓会がありました。
中学校を卒業して、今年の3月でちょうど40年を迎えましたが、同窓会自体は初めてではないのです。
10年ほど前に、卒業30年を記念して、大々的に同窓会を行いました。
それ以降、小さい集まりで時々やっていましたし、今回も大々的に行ったわけではないのですが、36人ほどが集まり、昔話に花が咲きました。

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やはり思い出されるのは、当時の記憶・・・70年代の昭和の記憶です。
2次会のカラオケで歌われる曲の多くは当時のヒット曲。
西城秀樹の追悼なのか、傷だらけのローラ。
同世代の沖縄出身の兄弟ユニット、フィンガー5の学園天国。
アニソンも当時人気のマジンガーZ。
懐かしいものですね。

BCLブームの真っただ中を過ごした中学時代。
入学して間もなく発売された「SKYSENSER5900」。
運よくその高額な名機を手に入れることができた私。
そしてどんどんはまっていったBCLという希少な趣味。
今考えると、あの時代にしか流行しえなかった趣味なのではないでしょうか。
今の情報化の時代、これだけさまざまなメディアが乱立する時代に、遠くから届く、か細い電波に耳を傾けることの価値観は、若い子たちには伝わらないでしょう。

さて、中学校の同窓会の話に戻りますが。
10年前の大々的な同窓会を開いた時には、私が幹事長を務めた・・・というよりは、私が言い出しっぺになりました。
というのも、当時子どもが中学校に在籍していたこともあるし、校舎の全面改築の話が持ち上がっていたころでしたから。
私たちの思い出の校舎の姿を見ることができなくなる、ということもあっての、呼びかけでした。
同級生500名近くいましたが、100名を超える参加があり、壮大な同窓会になりました。

その時もそうですけど、昨日も集まってみて感じたことは、時代の移り変わりのさまざまな角度、でした。
「国民総中流意識」の真っただ中にあった中学時代、格差を感じることが少なかったです。
あるとすれば、学力の成績の違い、とか、運動や音楽など、部活動につながる特技のあるなし、などでした。
あれほど子どもがたくさんいて、クラスにギューギューに押し込まれて、同じ制服で一方的に教えられるマス教育の時代、子どもの個性は表現する場面がありませんでした。
言い換えれば、さまざまな格差も表面には出にくいわけです。

あれから40年。
当たり前ですけど、みんな変わってしまいました。
当然優秀だった人は医者になったり、弁護士になったり。
どの職業がどうだということを言いたいわけではありませんが、おうちが病院を営んでいる人は医者になって親から引き継いでいるし、弁護士事務所の人は弁護士になっている。
会社の社長になった人もいるし、もうじき銀行の頭取になる人もいる。

面白いのは、高校の同窓会と違って、バラエティの格差が大きいことです。
全く想像できない世界を、みんな40年歩んできたんだと思って。
今は仕事も家族も趣味や趣向もこれほど格差のある仲間ですが、40年前には、確かに同じ学び舎で、同じ制服を着て、同じ校歌を歌って卒業した仲間たち。
ここまで生きてきて、そして昔の仲間たちと集まって感じたこと。
それこそ、人の人生の不思議だと思います。

でも、こうして集まることのできない、すでに他界してしまった仲間がいると聞きます。
もうそういう年なのか。
いつまで集まれるかな。
あのBCLの時代の仲間たちと・・・。

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思い出のラジオ局⑨~朝鮮中央放送

朝鮮中央放送

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中学生だった当時、1976~77年ごろでしたか、今と変わらぬ声の調子で、チョソンの声放送は流れてきていましたかね。
当然当時の政治背景のことも詳しいわけではないですが、放送を聞いていると、さかんに「キミルソン同志(金日成主席のこと)」名前が出てきていましたので、今思うとそういう時代背景だったかなあと思うのです。
ただ、どの国の放送局も、政治ニュースのところでは必ず国家主席だったり大統領だったり、国の元首の名前は頻繁に登場するもので、あまり不自然に思わなかったです。
たとえば、中国はちょうど1976年に、周恩来も毛沢東も亡くなりました。
また、アメリカは建国200年をフォード大統領で迎え、その年の大統領選ではカーターが新大統領に選ばれましたし、時の政治事情は常に短波放送が情報源だったことは間違いありません。

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今以上にもしかしたら絶対君主の専制国家だったかもしれない朝鮮中央放送でしたが、国が近いこともあり、電波は強烈、おまけに語り口調も強烈だったので、妙に印象に残っています。
政治事情の良くわからない私は、他局と同じように受信報告書を出していたものでした。
ですから、べリカードはそれなりにありますし、それなりの数の受信報告もしましたので、何だか書物を送ってきたりもしてくれましたね。
「偉大なるキムイルソン同志の功績」のようなタイトルの、表紙の厚い書籍だった記憶があります。
今でも家中探せば、どこかから出てくるでしょう。

あれから世代も二世代交代し、今日本を含めてアメリカと緊張状態にあることは、残念な思いです。
当時は、冷戦時代真っただ中でしたので、ある意味ソ連や中国を中心とする、社会主義圏や共産主義圏については、その枠組みの中で落ち着きを見せていたような気さえするのです。
第2次大戦以降の冷戦時代は、たしかに朝鮮戦争やベトナム戦争のような、東西の代理戦争となったことは事実ですが、社会主義体制が崩壊し、ソビエトが連邦を解いて以降、新たな「テロ」の時代に変遷してきましたね。
身近なところで何が起こるかわからない、混沌の時代になったのかもしれません。

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朝鮮中央放送は、今でも40年前と変わらず、お堅いアナウンス口調で国家主席をたたえるプロパガンダ放送を継続していますが、むしろ今となってはそれすら新鮮に思えるのは私だけでしょうか。
ただ願うのは、戦争回避。
およそ70年前に朝鮮半島で起こった戦争は、未だに民族と国家の分断と対立の大きな爪痕を残しています。
アジアの極東地域で、米軍を中心とした国々が、北朝鮮を相手に戦争を戦っても、それは結果は明白です。
しかし戦後を考えたときに、果たしてそれでいいのかどうか・・・。
日本も含めて、そのような間違った方向に進まないように、願ってやみませんけど・・・。

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思い出のラジオ局⑧〜RADIO NEDERLAND(ラジオ ネダーランド)

RADIO NEDERLAND

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1976~77年当時、よく聞いた放送局のひとつが RADIO NEDERLAND。
そもそも「NEDERLAND」の意味も知らずに聞いていた私でした。
11740khzのマダガスカル経由の電波が強力で、深夜23時からの放送をほぼ毎日、一日のリスニングの締めに聞くことが多かったです。

放送の2分ほど前から、独特の音楽インターバルシグナル。
パイプオルガンだと思うのですが、短調系の音楽に合わせて、英語のIDアナウンスが流れます。
そして23時ちょうどに番組開始アナウンス。

「This is Radio Nederland, the Dutch world broadcasting system, in Hillversum Holland.」

NEWS BOXのコーナーで10分ほどのニュース。
それに引き続いて日替わりの番組だったと思いますが、やはりお楽しみは日曜日の「HAPPY STATION SHOW」ですね。
Tom Meyer さんがDJよろしく、しゃべりっぱなしの1時間余り。
番組終了が0時20分頃だったと思うので、私もろくに分からない英語の放送を、何が好きで聞いていたのかよく分かりません。



YOUTUBEで当時の音声を拾えましたので、貼ってみました。
なぜこの番組に没頭したのかわかりませんが、とにかく決まって日曜日の夜はこの放送を聞きました。
電波はかなり強力、SINPOは55444ぐらいで聞けた記録が残っています。

流れとしては、20時からVOA時々DWやHCJBの、またVOAに戻り、22時台はさまざまDX局にチャレンジの後、RADIO NEDERLANDで締めくくるパターンが多かったですかね。
基本的には受信が容易な常連局を聞きつつ、合間の時間をぬってDX局を試すパターンでした。

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それにしてもTOMさんのハッピーステーションは、22年もの長寿番組になったそうで、ご多分に漏れず国際短波放送局の名物アナウンサーの1人に違いありません。
こうして考察してみると、世界の国際放送局には、その局に欠かすことのできない名物アナウンサーが、何人か存在していたことに気づきます。
HCJBの尾崎夫妻、RADIO AUSTRALIAのダグラス日本語課長、ラジオスリランカの岡田陽子さんなど・・・。
国際放送という名の、個人の努力と魅力によって維持されていたことを感じますね。

そうした名物アナウンサーが引退したあとのラジオ局の運営がむずかしくなっている現状を見るにつけ、こうした時代を彩った方々の偉大さを、改めて感じずにはいられないのです。

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経年劣化とメンテナンス

経年劣化とメンテナンス

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1970年代の全盛時からのBCL諸氏にとって悩みの種のひとつが、大事にされているラジオのメンテナンスではないかと思います。
数少ないラジオを大切にされているリスナーの方は、ある程度管理も可能かもしれません。
しかし、私のようなラジオコレクターに近い台数を保有しているマニアにとって、ラジオのメンテナンスは、まさに頭痛の種であり、手が回らずに頭を悩まし続けているところです。

写真はソニーのICF-6800。
マニアの方々ならおわかりでしょう。
そうです、デジタルがすぐに暴走してしまう受信機です。
私にとってこの受信機は、BCL全盛の時代を終わらせたA級戦犯のひとつですが、なぜか憎むことができず、3台も所持しています。
残念ながら、そのいずれも、メンテナンスが必要な状況で、デジタルでの待ち受け受信は難しい状態です。

これだけではありません。
多くの受信機は、スピーカーでの受信は難しく、いわゆるガリが生じます。
ガリが出つつも音声が出るものはまだましな方で、接触不良で電波が受信しないもの、音声が出ないもの、インジケーターが壊れているもの、ランプがつかないもの、マーカーが鳴らないもの・・・あげく、電源が入らないものなど・・・。

残念ながら、私はまったく機械の知識はなく、典型的な文系人間。
ラジオの内部は怖くて開くことができません。
今まで何人かの方に、一部ラジオの保守をお願いしたことはありますが、100台以上のラジオを快適に流すようなことは、生涯無理だと思っています。
ですが、このままでは私のお宝はただのガラクタに過ぎないと評価されても仕方ありません。
なんとかこれらのラジオに命を吹き込むためにも、ラジオの保守をするための勉強をしてみようと思うのです。

ただしそれはあと数年後の話。
退職後の趣味です。
せっかく私の手もとにあるラジオひとつひとつを丁寧に保守し、博物館に陳列してやろうと思うのです。
そのためにも、遅まきながら、ラジオメンテナンスの勉強をしなければと思っています。
理系の、特に精密機械系の方にとって、そういった作業はできないことではないようですね。
私なりに、どちらかといえば機械音痴の私を、ちゃんとラジオの保守ができるように指導していただける方を探して、寝かしてある多くのラジオを蘇らせなければと思っています。

仕事の方は、定年の足音が少しずつ近づいてきていますが、一方でラジオメンテナンスのデビューが近づいてきてもいます。
それまで、大事にラジオを保管しつつ、定年後を楽しみにしているのです。


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思い出のラジオ局⑦〜RADIO BUDAPEST

RADIO BUDAPEST

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BCL全盛の1970年代は、まだまだ東西冷戦の真っ只中でした。
ですから、海外短波放送は、資本主義諸国と社会主義諸国の対立を如実に表す場であったり。国家の格好のプロパガンダのアイテムでした。
ソビエトを中心とするワルシャワ条約機構の国々、いわゆる「東側諸国」の放送や、中国、北朝鮮、ベトナム、キューバなど、共産主義・社会主義の国々の放送については、時に当時の中学生にとっては、ゆがんだ先入観をいだきかねないものだったかもしれません。
また、仮に政治色が薄い放送であったとしても、社会主義諸国は独特の色合いを持っていたので、私からすると、時には緊張感を持って、またある時は好奇心を持って、その放送に耳を傾けたものでした。
そんな中で、ラジオブダペストの放送は、私からすると政治色の薄い、社会主義国の異国情緒豊かな放送として、印象に残っています。

「I should be greateful if you would place my name and address on your programme mailing list.」

特に私は受信報告書を送る際に、よくこのようなメッセージを送ることが多かったのですが、ラジオブダペストは、ずっと長く放送プログラムが変わるたびに、プログラムを送ってくれましたし、年末にはカレンダーなど、本当に申し訳ないぐらい色んなものを送ってくれました。

またその贈り物の1つ1つが、今思えばすごく質素なもので、例えばプログラムは上質紙でもなく、カレンダーは薄いえんじ色の単色だったり・・・。
本当に地味なものなんですけど、ちゃんと送ってくれる。
私が久しく受信報告書を送らなくても、放送局からは必ずプログラムとカレンダーは長く送ってきましたね。

そんなサービスも、ベルリンの壁が崩壊した平成の初期頃には、いつの間にか来なくなりましたが・・・。
旧東側・・・社会主義国。
今ではEUの一部なんですよね。
果たしてどちらが良かったのか・・・。
私は、東側の社会主義諸国と呼ばれていた時代のブダペストに、何か人知れない郷愁を感じずにはいられないのです。


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BCL雑誌の存在③〜懐かしのBCL大全

懐かしのBCL大全

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三才ムックという出版社が、ここ数年不定期的にラジオ雑誌を突如刊行します。
いや、まさに私たちをターゲットにするかのように、懐かしいBCLの名器を掲載したり、当時のラジオ事情を記事にしたりと、かつてのラ製(ラジオの製作)のように、BCLマニアの少年を対象とした本を出してきます。


昨日、ふらりと本屋に立ち寄ると、そのBCLオヤジの心をくすぐる本が並んでいます。
最近は割とそのような誘惑にも負けず、スルーすることが多かったのですが、なんとなく手にしてページをめくってみます。
そこに広がるのは、私の頭の中にある、鮮明な40年前のラジオな世界でした。

今回のこの本は、今までのいくつかのBCLリバイバル書籍の最高峰だと思いました。
余分がない。
欠けているものもほとんどない。
私の渇きかけたラジオ心を強く刺激する、涙ものの一冊でした。

200台ほど在庫しているラジオ保存室に立ち入ってみると、少し埃をかぶったかつての名器が、私を恨めしそうに、しかし懐かしげに迎えてくれます。
そして私を40年前の、あの懐かしい時代にタイムスリップさせてくれる。

確実に残り少なくなった人生だけど、あのひとつの電波を追い求めて額に汗してダイヤルを絞ったあの頃を思い出し、あのような瞬間を過ごせたことの幸せをかみしめるのです。


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ラジオ博物館構想その2

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こういうロケーションの予定地です。

高松市峰山周辺






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本当に久しぶりの更新になります。
こんなに更新しないブログなのに、なぜか毎日100人以上の方が見にこられる。
それだけは私も時々確認するのです。
ですが、なかなか新しい記事が書けずにいます。
ネタがないわけではない。
まだまだ私の頭の中には山ほどお伝えしたい記憶があります。
ただ悲しいのはそれを上手に表現する能力がないのと、それに費やす時間とエネルギーが足りないということです。
ですが、このブログ、休んでますが、死んではいません。
時に、こんな具合に書き込んだりするので、本当に忘れた頃に見てみてください。

さて、今回のネタは、ラジオ博物館構想。
実はすこしばかり進展があったのですよ。
ラジオ博物館にふさわしい土地や土地付き建物をずっと探していたところ、裁判所の競売物件で格安の二階建て倉庫を見つけました。
場所は屋島の麓。
私の自宅からは車で20分ほどのところ。
山の麓なので、見晴らしもそこそこで、何より二階建ての倉庫があるのがいい。
ちょうど博物館の展示に向いています。
建物は豪華ではありませんが、比較的築年数も浅い。
何かの事情で競売になったものですが、入札価格はなんと136万円からです。
もちろん、いろんな制約なりがあって、そんな価格になっているわけですが、私からすれば居住用にするわけではないので、本気で落札にかかろうとしたわけです。

不動産に詳しい土地調査士や銀行の融資担当などと時間をかけて話し合い、出た結論が『見送り』でした。
理由は2点。
まず、私の自宅から遠いこと。
目が行き届かない。
高価な骨董品の管理には、向かないだろうという点。
そして、その土地の不動産価値。
私はいいけど、想像させられる子どもらにしたら、売りもできない困った不動産になる可能性が高い。
固定資産税ばかり払わされて、売るに売れない土地になっては申し訳ないということでした。

結局、入札を見送ったところ、311万円あまりで落札されていました。
思ったより高く売れたんだとすら思いました。
残念に思っていたところ、私の思いを知った不動産関係の人が、私の家のすぐ近くの山あいの土地が、売却処分を委託されているということを教えてくれました。
詳細はまだわからないのですが、それはまさに私が探していた場所。
あくまで更地として放置されているところらしいのですが、場所としてはドンピシャです。

もちろん先立つものも必要ですが、街の中心に近いとはいえ、山あいの土地。
建物を含めてそこそこの金額で収まるものならやってみようかと思います。
銀行の融資担当も、そのあたりの土地なら、喜んで融資するとのことでした。
建前上は事業目的で借りますので、いささかの営業活動はしなければならないでしょうが、昔のラジオマニアが集う、想い出話しに花が咲く場所にしたいです。
懐かしのBCLラジオをズラリと並べ、皆さんを40年前にいざなうのです。
一階の一角でカフェでも営んで、のんびりしてもらうのもいいかもしれませんね。

まだまだ夢の段階に過ぎませんが、少しだけ前に進もうとしています。
どれほどかかっても、必ずやると決めているラジオ博物館。
また何か動きがあれば、ブログでお知らせしますよ。


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BCL雑誌の存在②~世界放送局巡り

世界の放送局巡り

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BCL雑誌の第一人者はいうまでもなく山田耕嗣さんに間違いありません。
いや、雑誌云々ではなく、BCLという趣味そのものがある時期日本中を吹き荒れたのは、山田さん以外の誰のせいでもないのです。
それは当時のラジオっ子たちの共通理解で間違いないでしょう。
山田さんの代表著書はいうまでもなく「BCLマニュアル」ですが、他にも著書はあります。
とにかく当時の山田さんの肩書きは、日本電波新聞社のジャーナリスト・・・雑誌記者というわけですから。

私がそのBCLマニュアルの次に愛読した・・・というか、よく活用したのが、「世界放送局巡り」でした。
野口実さんの著書ですが、天真爛漫なイメージの山田さんに対して、謹厳実直で地味なイメージの野口さんが、なかなかの良いコントラストで、著書にもその色合いがあらわれていて、私は好きだったなあ。

BCLマニュアルが「BCLへの導入書」だったとすれば、この世界の放送局巡りは「BCLの実践書」だったと思います。
中級リスナーには、更に腕を上げるための書籍だったように思います。
今でも当時の現品が残っていますが、実に懐かしい。
各国の有名な放送局を丁寧に紹介しています。
確かに編集はBCLマニュアルにどこか似たところがあるのも確かです。
特に放送局の紹介は、BCLマニュアルが先駆的なところがあります。
ただ、BCLマニュアルはたくさんの国と放送局を網羅しようとしすぎる余り、ひとつひとつの記事は簡易な内容にとどまっているのに対して、世界の放送局巡りでは国と放送局を絞って、かなり詳細に紹介しています。
それが中級のリスナーにとって、それまで難しかった上級局ハントへのきっかけになったことは間違いありません。
それぞれの放送局に対するイメージ、受信報告書を送るとこんなベリカードが送ってくる・・・など、子どもながらにどんどんイメージをふくらませては、せっせと受信に励んだモノです。
毎日3通ほどはレポートを出していたように思います。
どこにそんなお金があったのかと思うのですが、何とかしていたのでしょうね。

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この書籍には続編もありました。
ただ残念ながら、続編が発行された頃には、私のBCL熱が冷めていたのか、書籍は所持していますが、中身を熱心に見た記憶がないのです。
やはりBCLにも「旬」があったのでしょうね。
もしくは、私が飽きっぽかったのかしら。
ですが今見てもその内容は、私をラジオのダイヤルへと引き込んでいくのです。

すでに廃局になっている放送局の記事を見ながら、当時の放送で自分の耳に残っているアナウンスを思い出しながら、時代の流れを憂う私です。


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BCL雑誌の存在①~BCLマニュアル

BCLマニュアル

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私がBCLを始めるきっかけとなったのが、友達から借りた「BCLマニュアル」だったのは、何度か紹介させていただいたと思います。
1975年に発売されたBCLマニュアルは、ラジオの初心者リスナー向けの書籍として爆発的な販売数を記録しただけでなく、その名の通りリスナーにとってのマニュアル・・・いわゆるバイブル本として重宝されたことは、今さら説明する必要もありません。
とにかく完成度が素晴らしい。
BCLという趣味の奥深さや、格好良さを丁寧に掲載しています。

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私が一番最初に目を奪われたのが、やはりベリカードの写真ですかねえ。
定番のベリカードや、お国柄を象徴するベリカード、美しい風景写真など、どれもその国をイメージするにふさわしいものばかりで、まだ世界というものをあまり知らない私にとって、それは興味深いものでした。
一番印象に残っているのはラジオカイロのベリカード。

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このエキゾチックな壁画のような絵画が、私にとっては衝撃のベリカードでした。
他にもいくつも私の目を引くベリカードが満載でしたが、ラジオを聞いて報告書を送れば、こういったベリカードをもらうことができると知って、ますますBCLに引き込まれていくのでした。

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そして次に目に入ったのが、BCLラジオの数々。
これが何とも格好いいんです。
それはこのブログを愛読してくださる諸氏なら、おわかりだと思います。

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そして表紙をあけた一面の広告がスカイセンサー5900でした。
そりゃもう格好いいんですよ。
買うしかないでしょう・・・とはいうものの、高い!
27,800円って・・・。
当時の私のお小遣いは月300円ほどでしたか。
そんな天文学的な数字・・・。

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どのような経緯で手に入れたかは別にして、このように詳細に紹介してくれています。
意味がわからない言葉もありますが、わかったような気になってほしがる中学生。
私ももちろんその1人。

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単なるベリカードやラジオの紹介にとどまらず、BCLをやるのに必要な知識満載。
ベリカードを手に入れるには、このような受信報告書を作成しなければなりません。
・・・というのをきちんとわかりやすく教えてくれています。

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そして世界各国のラジオ局に関する情報。
本当に世界各国なんです。
知らない国がたくさん・・・。
今となっては違う名前になった国、消滅してしまった国など・・・。
もちろんラジオ局もずいぶん様変わりしましたが、今読み返してみると、良くこれだけ記事が書けたものですねえ。
本当に頭が下がります。

他にもたくさんBCL雑誌はありますが、BCLマニュアルについて語っているうちに、こんなになりました。
でも紹介したい雑誌は数知れません。
次の機会にさせてください。


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プロフィール

フランク翔太

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70年代のレトロをお楽しみください。

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