古き良きBCLの時代

70年代に最盛期を迎えたBCL。あれから30年以上たちました。当時の短波放送を振り返りつつ、BCLラジオの紹介や、各国の放送局の変遷などをさぐっていきます。 集まれ、当時のラジオ少年!

はじめまして。

いつの間にか終わってしまっていた英語放送

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このブログは、基本的に70年代のBCL全盛時代にフォーカスして、当時を振り返る内容を中心に綴っています。
それはこのブログでも何度か触れたように、「BCL」という趣味そのものが、あの当時出なければ成立しなかったものであり、今日の情報化社会において短波ラジオの位置づけが大きく変化し、その受信環境は大きく変わってしまったからです。

なにより大きく変わったのは、インターネットによる情報の流通量とその容易さでしょうか。
中学生の多くがスマートフォンを手にしている今、たとえばそれが諸外国の情報であったとしても、モノの数分で手に入れてしまえる・・・そんな時代に進化してしまっているのです。
そんな現代で、「ラジオ」の情報・・・とりわけ海外からの短波放送がどれほど必要とされるのか・・・。
テレビが視聴率なら、ラジオはなんというのでしょう・・・受信率というのでしょうか、今どれほどあるんでしょうかね。
聞き手のないラジオ放送に莫大な国家予算を費やす国はありません。
放送自体が次々と廃止されていく・・・それは自然の流れでしょう。

わかってはいることですが、ラジオオーストラリアやラジオネダーランドが英語放送を取りやめたことを知ったのは、つい最近のことでした。
あまりの衝撃に、頭が白くなりました。
だって・・・オーストラリアの母国語は英語でしょう?
なんでなくなるの?
オランダだって、オランダ語やドイツ語の他に、国では英語をみんなしゃべるじゃないですか。
なんでなくなるの?

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もちろん、先ほど言ったような理由が一番だと思います。
わたしたち、ラジオのダイヤルを合わせないリスナーのために、膨大な予算で放送を続けることの意義は乏しいのだろうと思います。
またそれそのものを批判的に思うのではありません。
本当の意味で、BCLという趣味が「幻」になろうとしていることに、大きなさみしさを感じるのです。

おそらく今後は名機とよばれるようなBCLラジオが発売されることはないでしょう。
なぜなら海外の短波放送そのものが姿を消していくからです。
短波帯はいったいどんな放送に使われるのでしょうか・・・。
いずれにしても私がこのブログを綴り始めてからまあまあな時間が経過しましたが、これほどBCLの環境が変化するとは・・・。
私はいつまでも、玉手箱をあけない浦島太郎のままでいたいです。

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’70年代BCL随想⑧~ラジオDJ編~

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以前にも少し取り上げたんですが、70年代のラジオブームの最大の功労者は、当時のDJ。
とりわけ笑福亭鶴光さんの存在は卓越したものだと思うんです。
ここは共感される方が多いでしょう。
おそらくアラカン世代の方、懐かしいというか・・・何となく小恥ずかしいというか・・・。

私がオールナイトニッポンのサンデースペシャルに遭遇したのは、まだ小学校高学年のころでした。
6年生ぐらいでしたかね。
枕元にラジオ時計を置いていまして。
深夜放送をタイマーかけて聞いていましたね。

9時ぐらいから色々聞いていましたよ。
落合恵子の「少~し愛して、長~く愛して」。
「パルコ10円寄席」。
くずてつの「ヤンヤン大学」など・・・。

ABC朝日放送を中心に聞いていました。
当時のお目当ては、「ヤングリクエスト」。
これが大人の仲間入りをするという証とされていました。
放送時間は深夜11時~。
リクエストはがきに合わせて流行曲をかけるのが中心でしたが、今でも絶賛放送中の「おはようパーソナリティ道場洋三です」の道場洋三アナウンサーが担当されていたようです。
もちろん当時小学生の私には何の認識もありません。

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ヤンリクのメインコーナーの1つに、笑福亭仁鶴さんの「頭のマッサージ」のコーナーがありまして。
明らかに録音番組なんですけど、それを生放送なのか録音なのかをめぐって様々な憶測が話題になりました。

小学生当時の私に、深夜の11時まで起きておくことは結構マレで、だいたい10時台に寝てしまっていました。
その一つの理由が、10時から放送される、「は~い!浜村淳です、ABC」を乗り切れなかったことが大きいです。
乗り切れなかった大きな理由は、浜村淳さんの番組で、「淳ちゃんの怖~い話、おもろい話」というコーナーがあったのですが、これが怖くて怖くて・・・。
YOUTUBEに音源が一つアップされていましたので、聴いてみてくださいね(汗)



この怖い話を恐る恐る耳をふさいだりしながら布団の中で小さくなって聞いているうちに、必ずと言っていいほど寝てしまっていました。
このBGMも本当に怖かったです。

それを考えると、オールナイトニッポンの放送時間は日付を超えて深夜1時。
とてつもなくハードルが高かったです。
初めて笑福亭鶴光のオールナイトニッポンの時間帯にラジオをつけたのが、一度寝ていて夜中に目が覚めてつけたときでした。
当時、鶴光さんがリスナーの自宅に電話をかけて、イントロ当てクイズをするコーナーがありました。
そのコーナーの時間帯に目が覚めた記憶があるのですが、奇遇にも私が初めて聞いた放送では、鶴光さんが何かの理由でお休みしていて、代わりにニッポン放送のアナウンサーがピンチヒッターで番組を担当してやっていた日でした。

リスナーの自宅に電話をしてリスナーとつながった時に、「え~・・・鶴光さんじゃないのぉ~・・・」みたいな、相当がっかりなリアクションばかりで、代役で担当した局アナが困っていたことが印象に残っています。
それと同時に、私は鶴光のオールナイトニッポンサンデースペシャルの存在を知らなかったので・・・というより、笑福亭鶴光という人物の存在すら知らなかったので、「鶴光さんじゃないの?」という反応に、鶴田浩二さんをイメージしてしまっていました。
あの銀幕のスターが、これほど若い世代・・・とりわけ女子中高生に人気があるのか・・・と、すっかり誤解していました。

中学に入って、土曜日夜はどこまで起きていられるか。
鶴光のサンデースペシャルだけは2部構成ではなくて、ひとりで朝の5時までぶっ続けの放送です。
私たちのメインは2時からの「ミッドナイトストーリー」でしたけど(笑)

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みなさん、かやくごはんはご存知ですか?
イントロ当てクイズの景品などで配られるものでした。
もちろん市販されていました。
今でも私の家のどこかに眠っているはずです。

こういったAMラジオの深夜放送にはまって、ラジオの魅力に取りつかれた人は少なくないでしょう。
今思えば当時のラジオブームの火付け役は、まちがいなくリスナーの心をつかんで離さなかったDJさんたちのトークやラジオ企画にあったのかもしれません。
スマホもインターネットもない時代。
テレビだって一家に一台。
子どもが見ることのできなかった時代。
手軽のだれでも聞くことのできたラジオこそ、当時の秀逸な娯楽アイテムだったことは間違いありません。
そのラジオが再び主権を回復することなど、今後は考えられませんが、それだけに当時を知る私たちにとって、当時の記憶や思い出がこうして宝物となって胸に刻まれているのです。

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ファインチューニングの発想

クーガ115のファインチューニング

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BCLファンのみなさん、本当にごぶさたしています。
およそ9か月ぶりの投稿になります。
この9か月が実に多忙でして・・・。
ようやく時間と気持ちに余裕が出てきましたので、温めていた記憶を開放します。

みなさん、覚えていらっしゃいますか?
「ファインチューニング」という装置。
デジタル時代の今では考えられないような装置かもしれません。
代表的なのはクーガ115に搭載されたファインチューニングが印象的ですが、当時の携帯用短波ラジオには、まあまあ搭載されていました。

そもそもファインチューニングって???という方もいらっしゃるので、簡単に説明を。
アナログのラジオで選局のチューニングをしているときに、どうしても微妙なチューニングポイントにダイヤルが合わなくて、パーフェクトに聞き取りやすいポイントから少しずれることってありますよね。
一番大きな理由としては、周波数の標示があいまいでチューニングが手探りであることと、ダイヤルに遊びがあって、ちょうど聞きやすいところにうまくダイヤルが合わせられないことがあげられます。

それを一発解消するのが、この「ファインチューニング」システム。
メインのダイヤルで、大まかなところのチューニングをしておいて、あとはサブダイヤルであるこのファインチューニングダイヤルを動かすことで、±2~3㎑の微妙なダイヤル合わせを補い、一番聞きやすいところに合わせることができる、超画期的な装置です。

先にも言いましたが、クーガ115はこのファインチューニング装置、ジャイロアンテナ、大型のスピーカを搭載して人気を博し、今でもその個性から、オールドファンの根強い人気を保っています。
ただ、ファインチューニング装置については、その発想を応用して進化させたスカイセンサー5900に、完全にとってかわられてしまいます。

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このサブダイヤルが、クーガ115のファインチューニングに変わるものですが、あらかじめメインダイヤルで、250㎑ごとにマーカー音を発してダイヤルを固定し、そこを起点に±150㎑のダイヤル操作を行うという、まさに「ダイヤル直読」機能を持ってきたのです。
夢の「待ち受け受信」を実現したのが、スカイセンサー5900だったわけです。

私の1号機、スカイセンサー5900は、私に夢を与えた最大の宝物ですが、いまこうして考えると、その20世紀最高傑作のBCLラジオは、クーガ115に代表される、「ファインチューニング装置」の発想に起因するものだと思うのです。
そう考えると、メーカーを超えて技術を競って高め合った当時の家電開発の競争力のすばらしさを、改めて思い知らされるのです。
そこには「JAPAN AS NO.1」と称賛された、確かな技術があったのだと思いますね。

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BCL全盛時代のラジオ⑩~ICFーSW1

ICF-SW1(SONY、1988年1月発売、49,800円)

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すでに「BCL全盛の時代」ではなかった昭和60年代。
時代は完全にテレビへと移行し、ビデオが各家庭に普及、レンタルビデオなど映像が主役の時代でしたが。
ラジオもここまで進化したのか、と思わせられたのがこのSW1。

明らかにコンパクトラジオなのに、デジタルで広いレンジをカバー。
しかも長波も。
150KHz~30MHzまでをカバーし、なおかつFM受信OK。
メモリー登録することで、一発選局。
感度が疑わしいところでしたが、それもクリア。
アンテナシステムも同包されていて、再びBCLのブーム再来か?と思わされましたが・・・。

私のイメージでいうと、SONYのBCL戦争に対する、最後の抵抗というか、意地のようなものを感じました。
その技術力ゆえに、DXerといわれるリスナーの技量に頼るところが少なくなり、結果として「趣味」からは離れたものになってしまいました。
後続のICF-SW77(兄弟機のSW55も含めて)に最後の復活をかけましたが、それを最後にBCLの灯は完全に消えてしまいました。

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いくつものラジオを紹介させていただきましたが、返す返すも日本の電機メーカーの技術力のすごさは、高度成長期の日本の縮図ではないかと思います。
経済復興の象徴が、ここに凝縮されていたのではないかとさえ感じます。
その技術力の高さによって次々と「BCLラジオ戦争」の時代に発表された受信機は、私たち次代を担う中学生の「明日を目指す力」と相まって、爆発的なBCLブームを巻き起こしたのだと思います。

それは、一家に一台しかテレビがない時代。
東西冷戦のプロパガンダの時代。
海外の情報が乏しい時代。
このような時代背景も後押しした要因だったのだと思います。

こういった時代背景は、特に平成に入ってから、すべて変わってしまいました。
テレビは各自一台から、ワンセグにまで普及する。
ベルリンの壁は崩壊し、旧ソ連が解体される。
インターネットなどの普及により、いくらでも海外の情報が手に入る。
BCLを後押しした時代背景はかき消えました。

こういった時代の流れに沿って、各国が海外向けラジオ放送の予算を削減し、放送の縮小が進みます。
ラジオをつけても、入ってくるのは中国語ばかり。
そのとどめは、皮肉なことにラジオの高度な製造技術にありました。
リスナーの技量や勘がなくても、容易に選局受信が可能になる。
いわゆる、ラジオの家電化です。

私たちのイメージでは、少なくともBCLラジオは家電ではないんです。
受信機・・・リグなのです。
私たちリスナーの技量と相まって、珍局のハントにつながるわけで。
その魅力がなくなってしまったときに、BCLという趣味は消滅してしまいます。
こういう高い技術力が、BCLという趣味を、最後は駆逐する一因となってしまった・・・という、皮肉な結果となったのが現実ではないかと思います。

それでもいいんです。
私だけではなく、「今」ではなく、昭和50年代のBCLの時代を振り返って、当時を懐かしく堪能する諸氏がいらっしゃると思います。
このブログを綴るとき、私のタイムマシンは昭和50年代で止まっています。
今日ご紹介したこのラジオこそ、昭和63年発表の、次世代ラジオだったということです。

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40年ぶりに

BCLマニュアルの1ページ

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1970年代をこのブログでもよく取り上げます。
それは、私が小・中・高の時代。
最も多感な青春時代だったからだと思うのです。
高度経済成長の末期、日本が貧困から抜け出し、「国民総中流意識」を共有できる程度に生活できるようになった、格差の少ない時代だったかもしれません。

昨日、中学校の同窓会がありました。
中学校を卒業して、今年の3月でちょうど40年を迎えましたが、同窓会自体は初めてではないのです。
10年ほど前に、卒業30年を記念して、大々的に同窓会を行いました。
それ以降、小さい集まりで時々やっていましたし、今回も大々的に行ったわけではないのですが、36人ほどが集まり、昔話に花が咲きました。

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やはり思い出されるのは、当時の記憶・・・70年代の昭和の記憶です。
2次会のカラオケで歌われる曲の多くは当時のヒット曲。
西城秀樹の追悼なのか、傷だらけのローラ。
同世代の沖縄出身の兄弟ユニット、フィンガー5の学園天国。
アニソンも当時人気のマジンガーZ。
懐かしいものですね。

BCLブームの真っただ中を過ごした中学時代。
入学して間もなく発売された「SKYSENSER5900」。
運よくその高額な名機を手に入れることができた私。
そしてどんどんはまっていったBCLという希少な趣味。
今考えると、あの時代にしか流行しえなかった趣味なのではないでしょうか。
今の情報化の時代、これだけさまざまなメディアが乱立する時代に、遠くから届く、か細い電波に耳を傾けることの価値観は、若い子たちには伝わらないでしょう。

さて、中学校の同窓会の話に戻りますが。
10年前の大々的な同窓会を開いた時には、私が幹事長を務めた・・・というよりは、私が言い出しっぺになりました。
というのも、当時子どもが中学校に在籍していたこともあるし、校舎の全面改築の話が持ち上がっていたころでしたから。
私たちの思い出の校舎の姿を見ることができなくなる、ということもあっての、呼びかけでした。
同級生500名近くいましたが、100名を超える参加があり、壮大な同窓会になりました。

その時もそうですけど、昨日も集まってみて感じたことは、時代の移り変わりのさまざまな角度、でした。
「国民総中流意識」の真っただ中にあった中学時代、格差を感じることが少なかったです。
あるとすれば、学力の成績の違い、とか、運動や音楽など、部活動につながる特技のあるなし、などでした。
あれほど子どもがたくさんいて、クラスにギューギューに押し込まれて、同じ制服で一方的に教えられるマス教育の時代、子どもの個性は表現する場面がありませんでした。
言い換えれば、さまざまな格差も表面には出にくいわけです。

あれから40年。
当たり前ですけど、みんな変わってしまいました。
当然優秀だった人は医者になったり、弁護士になったり。
どの職業がどうだということを言いたいわけではありませんが、おうちが病院を営んでいる人は医者になって親から引き継いでいるし、弁護士事務所の人は弁護士になっている。
会社の社長になった人もいるし、もうじき銀行の頭取になる人もいる。

面白いのは、高校の同窓会と違って、バラエティの格差が大きいことです。
全く想像できない世界を、みんな40年歩んできたんだと思って。
今は仕事も家族も趣味や趣向もこれほど格差のある仲間ですが、40年前には、確かに同じ学び舎で、同じ制服を着て、同じ校歌を歌って卒業した仲間たち。
ここまで生きてきて、そして昔の仲間たちと集まって感じたこと。
それこそ、人の人生の不思議だと思います。

でも、こうして集まることのできない、すでに他界してしまった仲間がいると聞きます。
もうそういう年なのか。
いつまで集まれるかな。
あのBCLの時代の仲間たちと・・・。

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思い出のラジオ局⑨~朝鮮中央放送

朝鮮中央放送

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中学生だった当時、1976~77年ごろでしたか、今と変わらぬ声の調子で、チョソンの声放送は流れてきていましたかね。
当然当時の政治背景のことも詳しいわけではないですが、放送を聞いていると、さかんに「キミルソン同志(金日成主席のこと)」名前が出てきていましたので、今思うとそういう時代背景だったかなあと思うのです。
ただ、どの国の放送局も、政治ニュースのところでは必ず国家主席だったり大統領だったり、国の元首の名前は頻繁に登場するもので、あまり不自然に思わなかったです。
たとえば、中国はちょうど1976年に、周恩来も毛沢東も亡くなりました。
また、アメリカは建国200年をフォード大統領で迎え、その年の大統領選ではカーターが新大統領に選ばれましたし、時の政治事情は常に短波放送が情報源だったことは間違いありません。

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今以上にもしかしたら絶対君主の専制国家だったかもしれない朝鮮中央放送でしたが、国が近いこともあり、電波は強烈、おまけに語り口調も強烈だったので、妙に印象に残っています。
政治事情の良くわからない私は、他局と同じように受信報告書を出していたものでした。
ですから、べリカードはそれなりにありますし、それなりの数の受信報告もしましたので、何だか書物を送ってきたりもしてくれましたね。
「偉大なるキムイルソン同志の功績」のようなタイトルの、表紙の厚い書籍だった記憶があります。
今でも家中探せば、どこかから出てくるでしょう。

あれから世代も二世代交代し、今日本を含めてアメリカと緊張状態にあることは、残念な思いです。
当時は、冷戦時代真っただ中でしたので、ある意味ソ連や中国を中心とする、社会主義圏や共産主義圏については、その枠組みの中で落ち着きを見せていたような気さえするのです。
第2次大戦以降の冷戦時代は、たしかに朝鮮戦争やベトナム戦争のような、東西の代理戦争となったことは事実ですが、社会主義体制が崩壊し、ソビエトが連邦を解いて以降、新たな「テロ」の時代に変遷してきましたね。
身近なところで何が起こるかわからない、混沌の時代になったのかもしれません。

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朝鮮中央放送は、今でも40年前と変わらず、お堅いアナウンス口調で国家主席をたたえるプロパガンダ放送を継続していますが、むしろ今となってはそれすら新鮮に思えるのは私だけでしょうか。
ただ願うのは、戦争回避。
およそ70年前に朝鮮半島で起こった戦争は、未だに民族と国家の分断と対立の大きな爪痕を残しています。
アジアの極東地域で、米軍を中心とした国々が、北朝鮮を相手に戦争を戦っても、それは結果は明白です。
しかし戦後を考えたときに、果たしてそれでいいのかどうか・・・。
日本も含めて、そのような間違った方向に進まないように、願ってやみませんけど・・・。

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思い出のラジオ局⑧〜RADIO NEDERLAND(ラジオ ネダーランド)

RADIO NEDERLAND

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1976~77年当時、よく聞いた放送局のひとつが RADIO NEDERLAND。
そもそも「NEDERLAND」の意味も知らずに聞いていた私でした。
11740khzのマダガスカル経由の電波が強力で、深夜23時からの放送をほぼ毎日、一日のリスニングの締めに聞くことが多かったです。

放送の2分ほど前から、独特の音楽インターバルシグナル。
パイプオルガンだと思うのですが、短調系の音楽に合わせて、英語のIDアナウンスが流れます。
そして23時ちょうどに番組開始アナウンス。

「This is Radio Nederland, the Dutch world broadcasting system, in Hillversum Holland.」

NEWS BOXのコーナーで10分ほどのニュース。
それに引き続いて日替わりの番組だったと思いますが、やはりお楽しみは日曜日の「HAPPY STATION SHOW」ですね。
Tom Meyer さんがDJよろしく、しゃべりっぱなしの1時間余り。
番組終了が0時20分頃だったと思うので、私もろくに分からない英語の放送を、何が好きで聞いていたのかよく分かりません。



YOUTUBEで当時の音声を拾えましたので、貼ってみました。
なぜこの番組に没頭したのかわかりませんが、とにかく決まって日曜日の夜はこの放送を聞きました。
電波はかなり強力、SINPOは55444ぐらいで聞けた記録が残っています。

流れとしては、20時からVOA時々DWやHCJBの、またVOAに戻り、22時台はさまざまDX局にチャレンジの後、RADIO NEDERLANDで締めくくるパターンが多かったですかね。
基本的には受信が容易な常連局を聞きつつ、合間の時間をぬってDX局を試すパターンでした。

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それにしてもTOMさんのハッピーステーションは、22年もの長寿番組になったそうで、ご多分に漏れず国際短波放送局の名物アナウンサーの1人に違いありません。
こうして考察してみると、世界の国際放送局には、その局に欠かすことのできない名物アナウンサーが、何人か存在していたことに気づきます。
HCJBの尾崎夫妻、RADIO AUSTRALIAのダグラス日本語課長、ラジオスリランカの岡田陽子さんなど・・・。
国際放送という名の、個人の努力と魅力によって維持されていたことを感じますね。

そうした名物アナウンサーが引退したあとのラジオ局の運営がむずかしくなっている現状を見るにつけ、こうした時代を彩った方々の偉大さを、改めて感じずにはいられないのです。

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経年劣化とメンテナンス

経年劣化とメンテナンス

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1970年代の全盛時からのBCL諸氏にとって悩みの種のひとつが、大事にされているラジオのメンテナンスではないかと思います。
数少ないラジオを大切にされているリスナーの方は、ある程度管理も可能かもしれません。
しかし、私のようなラジオコレクターに近い台数を保有しているマニアにとって、ラジオのメンテナンスは、まさに頭痛の種であり、手が回らずに頭を悩まし続けているところです。

写真はソニーのICF-6800。
マニアの方々ならおわかりでしょう。
そうです、デジタルがすぐに暴走してしまう受信機です。
私にとってこの受信機は、BCL全盛の時代を終わらせたA級戦犯のひとつですが、なぜか憎むことができず、3台も所持しています。
残念ながら、そのいずれも、メンテナンスが必要な状況で、デジタルでの待ち受け受信は難しい状態です。

これだけではありません。
多くの受信機は、スピーカーでの受信は難しく、いわゆるガリが生じます。
ガリが出つつも音声が出るものはまだましな方で、接触不良で電波が受信しないもの、音声が出ないもの、インジケーターが壊れているもの、ランプがつかないもの、マーカーが鳴らないもの・・・あげく、電源が入らないものなど・・・。

残念ながら、私はまったく機械の知識はなく、典型的な文系人間。
ラジオの内部は怖くて開くことができません。
今まで何人かの方に、一部ラジオの保守をお願いしたことはありますが、100台以上のラジオを快適に流すようなことは、生涯無理だと思っています。
ですが、このままでは私のお宝はただのガラクタに過ぎないと評価されても仕方ありません。
なんとかこれらのラジオに命を吹き込むためにも、ラジオの保守をするための勉強をしてみようと思うのです。

ただしそれはあと数年後の話。
退職後の趣味です。
せっかく私の手もとにあるラジオひとつひとつを丁寧に保守し、博物館に陳列してやろうと思うのです。
そのためにも、遅まきながら、ラジオメンテナンスの勉強をしなければと思っています。
理系の、特に精密機械系の方にとって、そういった作業はできないことではないようですね。
私なりに、どちらかといえば機械音痴の私を、ちゃんとラジオの保守ができるように指導していただける方を探して、寝かしてある多くのラジオを蘇らせなければと思っています。

仕事の方は、定年の足音が少しずつ近づいてきていますが、一方でラジオメンテナンスのデビューが近づいてきてもいます。
それまで、大事にラジオを保管しつつ、定年後を楽しみにしているのです。


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思い出のラジオ局⑦〜RADIO BUDAPEST

RADIO BUDAPEST

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BCL全盛の1970年代は、まだまだ東西冷戦の真っ只中でした。
ですから、海外短波放送は、資本主義諸国と社会主義諸国の対立を如実に表す場であったり。国家の格好のプロパガンダのアイテムでした。
ソビエトを中心とするワルシャワ条約機構の国々、いわゆる「東側諸国」の放送や、中国、北朝鮮、ベトナム、キューバなど、共産主義・社会主義の国々の放送については、時に当時の中学生にとっては、ゆがんだ先入観をいだきかねないものだったかもしれません。
また、仮に政治色が薄い放送であったとしても、社会主義諸国は独特の色合いを持っていたので、私からすると、時には緊張感を持って、またある時は好奇心を持って、その放送に耳を傾けたものでした。
そんな中で、ラジオブダペストの放送は、私からすると政治色の薄い、社会主義国の異国情緒豊かな放送として、印象に残っています。

「I should be greateful if you would place my name and address on your programme mailing list.」

特に私は受信報告書を送る際に、よくこのようなメッセージを送ることが多かったのですが、ラジオブダペストは、ずっと長く放送プログラムが変わるたびに、プログラムを送ってくれましたし、年末にはカレンダーなど、本当に申し訳ないぐらい色んなものを送ってくれました。

またその贈り物の1つ1つが、今思えばすごく質素なもので、例えばプログラムは上質紙でもなく、カレンダーは薄いえんじ色の単色だったり・・・。
本当に地味なものなんですけど、ちゃんと送ってくれる。
私が久しく受信報告書を送らなくても、放送局からは必ずプログラムとカレンダーは長く送ってきましたね。

そんなサービスも、ベルリンの壁が崩壊した平成の初期頃には、いつの間にか来なくなりましたが・・・。
旧東側・・・社会主義国。
今ではEUの一部なんですよね。
果たしてどちらが良かったのか・・・。
私は、東側の社会主義諸国と呼ばれていた時代のブダペストに、何か人知れない郷愁を感じずにはいられないのです。


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BCL雑誌の存在③〜懐かしのBCL大全

懐かしのBCL大全

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三才ムックという出版社が、ここ数年不定期的にラジオ雑誌を突如刊行します。
いや、まさに私たちをターゲットにするかのように、懐かしいBCLの名器を掲載したり、当時のラジオ事情を記事にしたりと、かつてのラ製(ラジオの製作)のように、BCLマニアの少年を対象とした本を出してきます。


昨日、ふらりと本屋に立ち寄ると、そのBCLオヤジの心をくすぐる本が並んでいます。
最近は割とそのような誘惑にも負けず、スルーすることが多かったのですが、なんとなく手にしてページをめくってみます。
そこに広がるのは、私の頭の中にある、鮮明な40年前のラジオな世界でした。

今回のこの本は、今までのいくつかのBCLリバイバル書籍の最高峰だと思いました。
余分がない。
欠けているものもほとんどない。
私の渇きかけたラジオ心を強く刺激する、涙ものの一冊でした。

200台ほど在庫しているラジオ保存室に立ち入ってみると、少し埃をかぶったかつての名器が、私を恨めしそうに、しかし懐かしげに迎えてくれます。
そして私を40年前の、あの懐かしい時代にタイムスリップさせてくれる。

確実に残り少なくなった人生だけど、あのひとつの電波を追い求めて額に汗してダイヤルを絞ったあの頃を思い出し、あのような瞬間を過ごせたことの幸せをかみしめるのです。


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フランク翔太

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毎度ご来場、ありがとうございます。
70年代のレトロをお楽しみください。

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