真田丸5話以降ではまずは上野・信州の信長後の勢力争いが中心になるだろうが、この時点での信長軍団の部隊配置と主要武将を確認しておく。
なお、地図はかなり大雑把。例えば甲斐国の一部は徳川家の支配下だし紀伊も部分的に織田勢が侵攻しているなど。
・織田信長【天文3年(1534年)生まれ、天正10年(1582年)では数えで49歳】
人生50年と言い続け走り抜けた障害を天下統一目前にして終えた。
主な直属武将は池田恒興(摂津)・村井貞勝、近江衆、西美濃衆など。
・織田信忠【弘治元年(1555年)生まれ、天正10年(1582年)では数えで28歳】
この時点では織田家家督を譲られており直接支配地も尾張美濃に加え甲斐・信濃のほとんどを傘下武将の領地も含めて支配下に置くことになった。滝川一益も甲州征伐では信忠配下であったのでそれを含めれば上野も支配下にあることになり5ヶ国の国主である。
本能寺の変では本能寺ではないが在京しており少数の兵で明智軍と戦い敗死。
傘下には森長可、河尻秀隆、木曽義昌、毛利長秀、尾張衆、東美濃衆。
・神戸信孝【永禄元年(1558年)生まれ、天正10年(1582年)では数えで25歳】
信長三男。長宗我部元親を主な敵とする四国遠征軍を率いて大阪に居た。
傘下には丹羽長秀、三好康長、北伊勢衆、伊賀衆、甲賀衆、雑賀衆、丹波衆、若狭衆、河内、阿波衆など。
・羽柴秀吉【天文6年(1537年)生まれ、天正10年(1582年)では数えで46歳】
対中国(毛利輝元)遠征軍を率いる。
傘下には羽柴長秀、宇喜多秀家、黒田孝高、但馬衆、因幡衆、美作衆、播磨衆、備前衆、伯耆、備中衆など。
・柴田勝家【大永2年(1522年)生まれ、天正10年(1582年)では数えで61歳】
対越後(上杉景勝)遠征軍を率いる。
傘下には佐々成政、前田利家、金森長近、越前衆、能登衆など。
・滝川一益【大永5年(1525年)生まれ、天正10年(1582年)では数えで58歳】
対関東(北条氏直)、東北(伊達政宗、蘆名義広、佐竹義重)作戦を担う。対武田戦争後は上野国の支配を固め関東東北の武将と連絡を取って調略を行いつつ後の攻撃に備えていた。
傘下に伊勢衆、信濃衆、上野衆、下野衆、武蔵衆など。
・明智光秀【享禄元年(1528年)生まれ、天正10年(1582年)では数えで55歳】
畿内軍を率いる。対中国遠征軍の支援に回る予定だった。
傘下には筒井順慶、細川藤孝・忠興父子、伊勢貞興、近江衆、山城衆、丹波衆など。
これら5つの武将の率いる軍団と信忠軍団と直属の軍が主な信長の兵力となる。信長直轄軍の一部であるが一応次男もあげておく。
・北畠信意(のぶおき)【永禄元年(1558年)生まれ、天正10年(1582年)では数えで25歳】
織田信雄(のぶかつ)。信長次男。伊勢が根拠地。
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