海兄

アメコミやゆるゆりや海外の反応やらについて書くブログ

ゆるゆり劇場版(OVA先行放映)が11月29日(土)から映画館にて公開されます


海外関連だけ見たい方はこちら→http://blog.livedoor.jp/eientei/archives/cat_50048267.xml


精神障害者の苦しむ姿は生理的嫌悪を催すという問題

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東日本大震災の犠牲者と同じだけの人間が毎年自殺しているわけである。
考えてみれば原発などより遥かにとんでもない問題なのだが、原発ほど盛り上がらないのは被害者の大半が精神障害者だからである。放射能の影響はどんな小さなものでも決して無視することのできない人でも、ある程度の自殺者が発生することは仕方ないこととして切り捨て可能なのだ。

自殺者の大半は精神障害者なのである

精神障害者の苦しみは凄惨を極めるが、同情されることはない。借金苦で自殺したのならば同情されるが、精神障害で自殺しても同情されない。

その理由は端的にいって、精神障害者が苦しむ姿は醜いからである。

精神障害者の錯乱する有様は子供の駄々に酷似している。

大人の姿をした人間が幼児と全く同じ顔でだだをこねているのである。同情よりも生理的嫌悪が先立つのも無理はない。反射的に怒鳴りつけ、いたぶりたくなるのだ。


代表的なのが野々村元県議である。
あの映像を見れば、これ以上、野々村を追い詰めたらとんでもないことになることは容易に推察できる。だが、彼への攻撃を停止することを求めた人間はいなかった。野々村の動作の一つ一つが我々の拒否感を喚起させ、加虐欲をかきたてるからである。
我々の社会性が、このような劣等人間は軽蔑するか嘲笑しなくてはならないという命令を下すのである。人間が社会的存在であるという幻想の元で我々の世界が成り立ってる以上、年輪に相応しい社会性が動作に反映していない人間は軽蔑の対象としなくてはならない。借金苦で苦しむことは社会的苦しみだが、精神障害者の苦しみは動物的苦しみであり、あまりに醜い


野々村の心情はいかなるギリシャ悲劇の登場人物にも比肩できることは誰にも分かる、だがその苦しむ姿があまりに醜いので私刑が停止されることはない。


公人にして犯罪者であるというのが建前だが、既に関連機関が捜査に動いている以上、マスメディアがそれに重ねて社会的制裁を加える必要はないのである。それでも追い続けるのは単にイエロージャーナリズムの問題なのだが、誰もがマスコミに味方している

同じ詐欺師でも小保方のように多動性の低いタイプだと、マスコミの追及もやりすぎれば反発を受ける。しかし精神障害者はその動作の醜さから保護されないのだ。

野々村はどうやら雲隠れしているようだが、自殺未遂でもしない限り完全に逃れることは難しいだろう
哀れだが、メンヘラでも社会的成功を収められる等という寝言を粉砕してくれただけでも存在価値はあるというものである。

きんいろモザイク5巻がまもなく発売

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アニメ2期放送が決定しているきんいろモザイク5巻の発売日は11月27日です

きんいろモザイク (5) (まんがタイムKRコミックス)
きんいろモザイク (5) (まんがタイムKRコミックス)


きんいろモザイクの女の子たちは皆可愛いです。

どう頑張っても私は女の子にはなれません
しかし今さら男として頂点を目指すこともできません
フェミニズムーというか社会構築主義の半世紀の死闘をもってしても、やはり人は生まれ持っていでた性質から自由になることはできなかったのです。
結局は凡庸な道学者の主張が正しかったのです。ありのままの自分の姿を認め、生来の束縛を運命と捉え直して人生を歩んでこそ人間なのであります。
青年期までにそれを理解しておかないと大人になってから気持ち悪い存在が生まれてしまうのです

さて、きんいろモザイクですが、もう内容については特に言うことはないですね。ひたすら癒されます。女の子同士が恋してイギリスで同性婚するところまで描いて欲しいと思います。


今月末には劇場版ゆるゆりもあるのでそっちも見てください。
私は色々と疲れたので劇場に行く気力がないです。BDになるまで待つかもしれません。

ホルホル本があふれる今だからこそウォルフレンを読もう

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書店の社会棚がホルホル本だらけである。
別に大ベストセラー連発、というわけでもないのだが、一定の需要があるらしく、安定した売上が見込めるのだろう、愛国本であふれている。スルーしてマンガ棚に移れば良いのだが、知識人としてはどうにも気に食わないこの状況である。

愛国本に含めていいのか分からないが、反中国・韓国本の出版も隆盛している。「戦争論」「嫌韓流」がベストセラーになったときも少数のエピゴーネンはあったが、ここまでのムーブメントではなかったことを思うと隔世の感である。
カウンターと称する連中が対抗本を出版していたりもするが、売れていないようだし、立ち読みした限りでは内容も精彩に欠ける。
ネトウヨ批判本はネトウヨの悪口ばかりでウンザリだし、どうせなら韓国や中国の良さ伝えるような書籍を書けばよいと思うのだが、彼らの知性では難しいのだろう。


さて、カレル・ヴァン・ウォルフレンである。
彼は在日である。在日といってもオランダ人だが、私が生まれるより前に来日している。
「日本 権力構造の謎」や「人間を幸福にしない日本というシステム」といった日本社会批判の著作で一時期は知識人の間でよく読まれた。
その後はジャーナリストとしてちょくちょく活動していたが、やがて忘れられ、ベンジャミン・フルフォードと共著を出すなど迷走してもはや過去の人となりかけていたが、最近「人間を幸福にしない日本というシステム」をリライトしていたようである。
こないだのKindleセールで買って読んだが、内容が的確なことに驚いた。以前旧版を読んだ時は独断的だなあとしか思わなかったのだが、ここ数年の日本社会のグダグダぶりを見ているとその通りだ、と思うことばかりである。

最近、出版界に反差別(ヘイトスピーチとかいう単語は気持ち悪すぎるので死んでも使わない)の動きがあるようだ。具体的にどんな活動をするのかは知らないが、つまらない反ネトウヨ本なぞ棚に並べるよりはこの書を宣伝するべきである。

いまだ人間を幸福にしない日本というシステム (角川ソフィア文庫)
いまだ人間を幸福にしない日本というシステム (角川ソフィア文庫)

ゆるゆり12巻は8月4日発売

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ゆるゆり12巻の発売日は8月4日(月)です。

ゆるゆり (12)巻 特装版 (百合姫コミックス)
ゆるゆり (12)巻 特装版 (百合姫コミックス)


今回も特装版があるそうです。そちらを購入することをおすすめします。私は通常版も保存用に買う予定です。
特装版はアニメイトやとらのあな等の専門店で購入できます。
近所に小さな本屋しかない場合はAmazonなどで購入することをおすすめします。
コンビニでAmazonギフト券を購入すればクレジットカードがなくても買い物できます
(参考:クレジットカードを持ってなくてAmazonで買い物するならギフト券が便利


ちなみに今回表紙はちなつとあかりです。
でも本編(今月号の百合姫の掲載までが収録だと思われます)にはちなつ×あかり回はないですね。特装版の付録に期待です。

最近のゆるゆりは落ちついた作風に収斂しつつありましたが、またキレのあるギャグも戻ってきた印象です。
願わくば、例え不定期でもいいので50年くらい続いて欲しいものだと思います。

あと10.5巻をはじめとした特典漫画を電子で発売して欲しいと思います。
ちなみに同日に大室家2巻も発売されます
要望を出すなら、布教のために文庫化なども進めて欲しいですね。大判本では絵が映えて良いのですが、布教のためには手軽に購入できる手段も欲しいと思います。

「言葉狩り」は定型発達者から発達障害者への弾圧―ポリティカル・コレクトネスという欺瞞―

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コミュニーケーション能力というのはつまるところ動作性IQと言語性IQの高さ、およびそれらのバランスの問題なわけである。
コミュニケーションの得意不得意は発達障害か定型障害かの違いであって、運動能力と同じような、ある程度は矯正すれば何とかなるが結局は生まれつきの限界があるという分野であり人格云々の問題ではないわけだ。


我々が「言葉狩り」に抵抗感を覚えるのは、それを順守することが難しいからである。
殺人や強盗を厳罰化されたところで、自分が犯す可能性は少ない。しかしポリティカル・コレクトネス(PC)は完全に順守するということが不可能に近い。

現在「使ってはいけない言葉」となりつつあるものには例えば「外人」「百姓」などがある。他には、異性愛を「普通」と表現するとかも、PC上はNGである。そのようなのタブーが世の中には大量にあるし、日々、増えている。

そんなもの守りきれるわけがない。

守りきれるとしたら、あるいは破ってしまったとしても事後処理で適切な対応を取って社会的ダメージを最小限にとどめることができる人物がいるとしたら、それは社交性、およびコミュニーケーション能力の高い人間であろう。

例えば、ジャーナリストはPCを順守することが容易だ。
彼らは社交性とコミュニーケーション能力が高く、「適切な言葉使い」を自然と選ぶことができる。また日々社会問題に触れているので、何がPCに正しいかを判別するための知識を仕入れやすい立場にある。ジャーナリストとか評論家にPC推進派が多いのは、PCが彼らに優位な戦場だからである。正義の御旗を立てて言葉狩りを推し進めたところで、自分が損害を被る可能性は低い。安全地帯からの無人爆撃であって、良心の人でもなんでもなくただの卑怯者なのである。

逆に、「言葉狩り」が行われたら確実に死滅するのが発達障害者である。

彼らは社交性に乏しく、普通に会話していても相手を怒らせやすい。ましてや「使ってはいけない表現」を会話に入れないなど、絶対にできるはずがない。糾弾などされようものなら確実に取りみだすかニタニタ困ったような笑いを浮かべて傷跡を広げることになる。
たとえ発達障害者の脳内に、常識としてPCを教え込むことに成功したとしても、発達障害者はなかなか認識をアップロードできないので、新しい常識に対応できない。同性愛を否定することは、この10年ほどで急激にタブー化が進んでいるわけだが、そのような常識の変化には対応しきれない。結果として、地雷を踏むようにPCの境界線を踏み越えてしまう。

かつてないほどに急速にPCは進んでいる。昔はちょっとくらい常識知らずでも見逃されていたような底辺労働者までもが政治的に正しい発言を行い、民族差別に気を使わなくては社会的制裁を食らう恐怖の時代である。
人権思想が進めば進むほどに窮屈な時代となっていくのだから不思議なものだ。


この欺瞞性は、発達障害への理解が深まれば批判されるに違いない。
IQの不自由な人間に政治的に正しい言動を要求することこそPC違反である。

現在、得意気にPCを主張している連中は、その発言自体で社会的に制裁される時代がやってくるだろう。それも哀れではあるが自業自得だ。私はその時代を待つ。
良心的市民のつもりでPCを推進している中年の知識人どもは安寧な老後が送れるとは思わないことだ。

左翼は靖国神社を守るために戦うべき

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小泉純一郎は在任期間中、靖国神社に参拝しつづけた。当然、現在の安倍以上の批判と反発を受けたわけだが、安倍の方が重大問題となっているかのような錯覚があるのはアメリカは中韓の肩をもったからである。畢竟、日米関係はギクシャクしだしたが、それが安倍政権にとって全くダメージになっていないのはアメリカにとって誤算だったことと思う。
経済協定ならともかく政治外交問題で日本に対して米国の意向が通らないという前例ができることは米国の威信に傷がつくことだろうから向こうも必死だろう。何やら仕掛けてはくるだろうが、最近の米国外交のトンチンカンぶりを見ていると何も有効な手はうてまい。安倍自民政権が倒れたところで、後任に自民党以上に親米的な政権ができる見込みなど99%ないのだから、どのみち東アジアでの米国の影響力が低下することは避けられないだろう。中国の力はより強固となる。
その事態を回避する手としては、安倍が靖国参拝を辞めて米国の意向通りの外交を展開するか、米国側が安倍に見方して自身の外交政策を修正する他ない。

衛藤晟一首相補佐官がYoutubeに米国の靖国批判発言に反発した動画をあげ、後に失言として撤回した事件があったが、あれを本当に補佐官の勝手な失言だと思っている文盲左翼が多くて驚いた。そんなわけないだろう。個人的見解という名目で米国に発せられたメッセージである。「参拝はやめねえよバーカ」と言っているのである。今後も安倍政権が続く限りは靖国参拝は続くだろうし、安倍の国民からの支持は盤石なので最終的には米国が譲歩せざるを得ないことになると思う。


さて、小泉だが、彼が在任中に靖国参拝に対する批判を受けたときにどのように反論したかはあまり知られていない。

私の個人的信仰なんだから、私の勝手でしょ

である。

この論法は実は小泉に批判的な左翼が普段から使っていたものであった。
最近はあまり話題にならないが、君が代斉唱強制問題というものがある。公立学校の教員が、学校行事等で行われる君が代斉唱を拒否できるか、という問題である。教員というのはだいたいが左翼なので、君が代斉唱を唾棄する教師は少なくなかった。
これに対して、公立学校の教員は公務員であり、君が代が嫌なら強制されない私立校に赴任すればよいではないかという意見はそれなりに説得力がある。
それに対して左翼は公務員であっても「個人の思想信条」は自由であり、君が代の斉唱を強制することはこれの侵害であると主張したのである。

小泉の論法は、左翼の理論をブーメランとして投げ返したものである。つまり、総理大臣といえども「個人的信仰」は保障されるはずだ、というわけである。

ちゃんと物を考えている左翼にとって、ここは痛い点であった。もし小泉が総理であるということで、信教に基づく宗教行為が制限されるとすることは、公務員であることで思想信条が一定の制限を受けるという論理を受け入れることであり、君が代問題では教員側に不利な論理となる。
小泉の靖国参拝をやめさせることと、公務員の君が代の斉唱拒否を肯定することは論理的には両立しえない。

そこで、総理は影響力が大きいだの、私人としてはいいが公人としての参拝はいかんとか、色々と論理を構成する作業を行っていたわけである。


さて、ジャスティンビーバーだ。

ジャスティン・ビーバーは有名人ではあるが、私人である。
個人的行動として靖国神社を参拝したわけである。信教の自由という理念を尊ぶならば、全く批判される謂れはないわけである。
しかしながらジャスティンは国際的に猛烈な批判を浴び、自身の行為を謝罪することとなった。

そしてこれは靖国問題をめぐる日本国内の議論の無意味さが露わになった瞬間であった。
公人も私人も、信教の自由もへったくれもなく、とにかく靖国神社に参拝することは許されないという、無邪気にして凶悪な意思こそがそこにあったのである。その意思が中国・韓国・米国をはじめとして世界に蔓延している。

この凶悪さは、軍国主義とか平和の祈りとか愛国どころの問題ではない。
個人の信仰にまで強烈な圧力をかけてよいという共通認識が出来上がっているのだ。

小泉の抗弁も、左翼の論理も完全に有効性を失ったとみて良い。

既に問題は世界的な価値観統一の流れというステージに移っている。
喫煙、人権、差別、人間観、性的志向etc.....人類は人類というだけで一定の価値感を奉じなければならず、信教思想の自由も、地域的差異もそこには関係ない。YASUKUNIはその見地からみて人類先進文明の敵なのである。

これはスターリニズムであり、我々が闘争すべき相手なはずだ。
こう整理してから靖国問題にあたるならば、まずは完全なる私人が靖国を参拝する自由から徹底して保障されるべき、という出発点がみえるであろう。


遊撃的戦術としては、他国に攻撃を加えて価値錯乱を図るのもよい。
アーリントンをはじめとして、他国の戦没者追悼施設はいくらでも叩く余地はあるはずである。
右翼はアーリントンと靖国と同一視することで理解を求めるという戦術を採用していたが、むしろ反撃にあたっての攻撃対象とするべきだろう。いくらアメリカが靖国を叩いても反撃がないから攻撃が止まないという問題でもある。
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