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時として映画よりも劇的な事件が起こることが有る。この映画は事実をもとにして制作されたが
映画の製作過程の方が余程劇的かもしれない

監督 リドリー・スコット 「エイリアン」「ブレードランナー」「テルマ&ルイーズ」「グラディエーター」
出演 ミシェル・ウイリアムズ クリストファー・プラマー マーク・ウォールバーグ

4映画放談
巨匠リドリー・スコット監督がまたしても放った問題作とでも呼べば客が呼べるだろうか。然しそんな殺し文句が必要ない程この映画は刺激的だ。主演はミシェル・ウィリアムズ。マンチェスター・バイ・ザ・シーでケイシー・アフレックの妻ランディを時間の流れに身を任せる様に演じたが、今回はタフは母親を演じている。然しこの映画の主人公はクリストファー・プラマー演じるジャン・ポール・ゲティだ。誘拐されたジョン・ポール・ゲティ三世の母アビゲイル(ミシェル・ウィリアムズ)の目を通して描かれ、ジャンに雇われた元CIAの交渉人チェイス(マーク・ウォールバーグ)によって糾弾されるジョンは実に魅力的であり謎と虚飾に彩られている。孫の身代金を値切り誘拐事件の最中にも骨とう品や絵画の収集交渉を続ける。うなるほどの財産が有りながら客には公衆電話を使わせ、身代金で節税しようとする。見事なほどのケチ振りである。倹約こそ人生の目的の様だ。だがこの映画のもう一つの劇的要素はその製作過程にある。最初ジャン・ポール・ゲティ役はケヴィン・スペイシーが演じた。撮影が終了した2017年10月ケビン・スペイシーが当時14歳の俳優にセクハラを行っていたと報道がなされスペイシーが謝罪文を公表する。11月8日公開一ヶ月前スコット監督がスペイシーの出演シーン全てを取り直す決断を下し、代役にクリストファー・プラマーを起用した。再撮影は11月20日から11月29日にかけて行なわれた。劇場公開版が完成したのは12月7日であった。取り直しから公開まで1ヵ月の早業である。黒澤明ならばとうに投げ出しているだろう。クリストファー・プラマーは出演オファーから1か月でゴールデン・グローブ賞にノミネートされ2ヵ月後にはアカデミー賞にノミネートされた。 
 4それにしても見事な演技ではないか!台本を見ながらの役作りのはずなのに見事に生きる事、稼ぐ事そして 投資目的とは言え芸術を愛することに情熱を注ぎ、そのすべてを孤独の家に閉じ込めて死んでゆくジャンを見事に演じ切っている。若い時「サウンド・オブ・ミュージック」で厳格ながらも家族愛に溢れたトラップ大佐を演じ美声を披露した彼が、今や業突く張りの孤独な実業家として死のうとしている。夜半一人広大な屋敷の中を彷徨い暖炉わきに飾られている絵を手に取る。
 彼の最期の言葉は「美しい、私の坊や」だった。 オーソン・ウェルズの名作「市民ケーン」の冒頭シーンを彷彿させる。当然このセリフは市民ケーンの「バラの蕾」と対を成しているに違いないが、その意味するところは全く別のものかもしれない。ケーンは母親の愛情を求め続け、同じ大富豪ジャンは最期まで人を信ずることなく美術品の中にしか愛を感じなかったのではないか。クリストファー・プラマーが演じたジャンは孤独の人であり愛よりも仕事と金を愛した。すべてを手にしたジャンが行き着く先が孤独であるという事実は庶民に安堵を与えるかもしれないが、所詮人は一人で死ななければならない。ジャンの人生は彼の物であり誰も口出しできるものではない。