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2010年08月07日

伝わらなかった思い

夏休みモードに入ったのでしょうか。ファシリテーションをする機会が少し減っております。そのせいか更新が進みません。

昨日ですが「新たな公共を考える」テーマの対話集会に参加しました。ところがあまりうまく進行しないのです。

各自が言いたいことをノーガードで話すものなので10分も聞けば飽きてしまう、また意見がうまく重なりません(発言が長いので言いたいことを忘れてしまうし、ひも付けできないのです)

結果、単なる「思いのぶつけ合い」となってしまいなにも生まれることはありませんでした。

ファシリテーターとして前にも立ったのですが、主催者はどうやら自分の意見を聞いてほしい的な設計だったため、ファシリテーターを信用しておらず個人のスタイルを崩すことはありませんでした。

宴会のお誘いもあったのですが早々に帰宅、その後メールでのお誘いもあったのですが丁重にお断りを致しました。
(佐藤成臣)

2010年08月02日

ファシリテーションが本当に必要な場所は

幼児2名が白骨化しているという痛ましい事件がありました。

事の詳細はよくわからないのですが、一部情報によれば容疑者の母親は心理的に行き詰ってしまった上の犯行だったようにも読み取れます。

ファシリテーションというと大手企業、行政など比較的エリート層などの活用例を見ますし、今後伸ばそうというのも教育、医療現場などそれでも「働いている」という現場です。

もちろんそのような現場での活用は絶対必要なのですが、上記のような例をみると風俗関係やバイトで構成されている職場など人間関係が希薄になりがちな場所でなおかつファシリテーションの意味も効果もその存在も知っていない(いただけない)現場こそ必要なのではと考えました。

先日ですがいかにもその風体が「ワル」に見える青年にレジの順番を譲ったら「ありがとうございます」といって喜んでレジに向かっていかれた体験をしました。人を風体で判断してしまった自分の足りなさも悔やんだのですが、意外にもさわやかだった青年、今回の容疑者も心のどこかでは何かを求めていた、そのさみしさの解決方法が全くわからないので犯行に及んでしまったと考えるのは変でしょうか。

孤独、相談できない・・ 何か昔の自分を見ているようで一抹のさみしさを覚えます。
(佐藤成臣)

2010年07月02日

ベクトルの方向と長さ

mixiの日記にも書いたのですがこのような本があることを知りました。

以前ですと「違う世界の人」とばっさり切ってしまっていたのですが、記事を少しだけ読んでみると、文面に「一生懸命さ」があるように感じるのです。

私たちがファシリテーションや社会参画など懸命に研究するのと同じエネルギーで子育てや自分を美しく見せる部分で彼女たちは努力をしています。

ベクトルとは方向と長さを持った数値のことなんですが、私と彼女たちはベクトルの長さは同じで、方向が全く違う、下手をすれば次元さえも違うのかもしれません。

同じ方向には共感を持ちやすいのですが、方向は異なれ「同じ長さ」の部分でも共感が持てれば良い関係ができるのではと考えさせられました。


2009年01月03日

感性が共感でき嬉しかった・・

このBLOGで紹介されていた東京都写真美術館の写真展にでかけました。

自慢と言うより恥なんですが、私は図画工作が全くダメで、美術や図工は
毎回3や2というひどい成績しか取れません。それで工学部に進学した
わけですから妙なんですが、唯一絵画系(画像系)でちょっとはできる
というのが写真です。

絵が下手な分、写真には人一倍興味があって、中学生で一眼レフを保有、
高校生ではすでに2台保有して鉄道写真専門で撮影していました。

どちらかというと風景が好きなんですが、どういうわけか芸術的風景写真
というのが苦手で単純な駅とか駅名票とかの写真を撮っていました。

今日の写真展ではギャラリートークと称して作者が映像の解説をして
くださったのですが、私とちょっとだけ感性が似ていたのが嬉しかったです。
ここの鉄橋の写真が気にいったのですが、その理由が「赤い色」、私は鉄橋がもし赤くなかったら
興味は示さなかったと思います。

作者も同様に「赤と後ろの緑の色の差を表現したかった」と。
もう一つが鉄橋の構造が織り成す幾何学模様です。この人造的な模様に
私は芸術をすごく感じます。

インターチェンジ、ビル、ダム、工場のパイプなどなぜかすきなのは
きっとこういう「人造的な芸術」が好きだったのからかもしれません。

だから芸術的風景写真には興味が薄く、駅などの構造物が子供の頃から
好きだったのかもしれません。

作者にちょっとだけ近づけた、そんな嬉しさを感じて会場を後にしました。