2012年02月22日
早春の風景(3)・・・震災の備え

マグニチュード7級の地震が首都圏で発生する確率が、4年以内に70%・・・衝撃的な見出しが新聞に踊った。
昨年9月時点でのデータというが、その後今年の元旦時点では「5年以内に28%」とも。
どちらにしても、暢気に構えていられる確率ではない。
きのうの夕刊では「首都直下型地震が、これまでの推定より浅い場所で起きる恐れあり」とも。揺れが大きくなる可能性があるらしい。震度7が予想される立川断層帯はこの近くか・・・?

これまでもそれなりに対応はしてきた。箪笥類や食器棚を固定したり、扉に金具をつけたり・・・。でも、本当に大地震がくるとしたらまだまだ足りない。久しぶりに防災用品売り場を覘いてみた。


温めずに食べられるカレー、乾パンやみそ汁の缶詰、スーパー保存水・・・非常食が並ぶ。
籠城の必需品はカセットコンロらしい。2000年対策で備えたカセットコンロは、年に1、2回の芋煮会や滅多にお目にかからないすき焼きで使うだけ。ボンベはまだ十分にある、が・・・。
そう遠くない将来、首都圏を間違いなく襲うという大地震。一人ひとりが身近なことから始めることが大事なのはわかっているのだが、どうも切迫感がわいてこない。「防災用品の次回入荷は未定」との表示は、品薄予測を知らせる親切心か、重い腰を上げさせんとする商魂か・・・?
2012年02月18日
アキレス腱始末記(4)・・・無聊を慰む
不測の受傷・手術後3か月余り・・・2月7日で遂にリハビリ期間が終了した。ほぼ回復のようだ。
されば顛末レポートのしめくくりを・・・と思った途端、今度はわがPCがダウン。1週間余りに及ぶ素人の手探り対応・リカバリーを経て、ようやく復旧した。
術後のギプスや下肢装具をつけた状態の2か月は、テーブルや机に着いて足を下げれば、手術痕が鬱血して痛みが増す。万年床に着くかソファーに横になるしかなかったあの頃。
暇を持て余したひきこもり冬眠生活の過ぎし日を振り返って、ここにしめくくりとしたい・・・。
≪ 『元禄忠臣蔵』のビデオ視聴 ≫
手術直後の11/4日は国立劇場の12月公演予約開始日。 『元禄忠臣蔵』を5年振りに観ようと、予約日を楽しみに待っていたのに。やむなく断念して、5年前の録画ビデオを見ることに。
平成18年10〜12月。国立劇場開場40周年記念公演は『元禄忠臣蔵』の三か月通し上演。当時NHK−BSで放送されたものも録画しておいた。この際、あの迫力ある歴史劇を楽しむことに。

「御浜御殿綱豊卿」 「南部坂雪の別れ」

「泉岳寺」の墓前へ報告 三か月各月の大石内蔵助
歌舞伎史上初めてという全十編22幕43場の3か月通し上演は、感動の名場面の連続。
史実を踏まえた真山青果原作の新歌舞伎。収めたビデオテープは120分もので6本近く。
計約11時間にも及ぶ長編大作を、痛みも忘れて数日かけて堪能した。
通し観劇者にプレゼントされた「特製手拭」。各月大石内蔵助を演じた三大名優のサイン入り。
≪ 古い本の棚卸し再読 ≫

「忠臣蔵 上・下」 森村誠一・1986(S61)年
久しぶりの『元禄…』に触発されて手に取った、現代的な推理作家の時代小説。森村忠臣蔵。
とくに注力したという、最大の“見せ場”の討ち入りシーンは68ページにも及ぶ。
週刊朝日に連載を約束してから、資料集めと構想に十数年かけたことを“あとがき”で知った。
「どくとるマンボウ青春記」 北杜夫・1968(S43)年
北杜夫死去のニュースが流れたのが、怪我する1週間前の10月24日。思い立って、20代の頃に吹き出しながら読んだ「どくとるマンボウ航海記」を再読しようと書棚を探したが見当たらず。
見つかったのが「どくとるマンボウ青春記」。ユーモア溢れる、個性的なひたむきな青春記録だ。
「三屋清左衛門残日録」 藤沢周平・1992(H4)年
藤沢周平の代表作の一つ。初版の単行本を買って読んだものの、その後紛失。定年時に文庫本を買って再読。さらに数年前の入院中に三読。今回はいわば四読目となる。
“日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ”・・・定年を迎えたときはまさにこの心境。今も変わりなし。

「漆の実のみのる国 上・下」 藤沢周平・1997(H9)年
米沢藩9代藩主、上杉鷹山の藩政復興の物語。文芸春秋に連載中病気療養のため中断、入退院のあと、自宅で原稿用紙6枚分の結末部分を書き上げて、死後に発表された。
史実を丁寧に描いた歴史小説。庶民派作家の絶筆。
「えんぴつで奥の細道」 書・大迫閑歩(2006.1月)
芭蕉が心血を注いだ散文『奥の細道』を、鉛筆でなぞりながら味わうテキストブック。
6年近く前に江戸から大垣まで全文をなぞった。今回それを消して、再度なぞり始めたのだが。足の痛みで椅子に座れず、中断したまま・・・。そろそろ再開するか。
読み返しながらのなぞりは、気持ちが落ち着く。脚注も興味深い。
≪ そして・・・篤志の本に熱中・・・ ≫
所在なく無聊をかこつ身を慮ってか、知友人からありがたい篤志の本・・・身も心も癒してくれた。
「韃靼の馬」 辻原登・2011年9月
日経新聞に2009.11〜2011.1月まで連載され反響を呼んだ大作。かつて朝鮮通信使の警護を務め、対朝鮮貿易を取りしきる対馬藩と幕府を救った若き藩士の物語。
過日、江戸博の「平清盛展」に続いて常設展示を見て回った際、思いもよらぬ発見をした。
なんと「朝鮮通信使行列図絵巻」を見つけたのだ。さらに、通信使聘礼の中で最も重要な行事とされる「国書交換の儀」で、朝鮮国王と徳川将軍の間で交わされた国書も展示されていた。
「THE MOUNTAINS 山稜」 全日本山岳写真協会」発行
全日本山岳写真展の作品の中から選別した、自費出版の写真集。
峠の向こう、頂の向こうに広がる素晴らしい風景。春夏秋冬の美しい山の姿をとらえた写真の数々は、大自然への讃歌だ! 〜上の写真は、北アルプス・涸沢岳(左)と涸沢の紅葉〜
山のあなたの空遠く 「幸」住むと人のいう
噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて、涙さしぐみ帰りきぬ
山のあなたに なお遠く 「幸」住むと人のいう カール・ブッセ
2012年02月04日
早春の風景(2)・・・節分会

2月3日(金)
。今日は節分。
午前中のリハビリ通院から帰宅後、深大寺の節分会へ。
京王・調布駅から片道30分。
バスを横目に、抜けるような青空の下を往復歩いた。
わが二本足で自由に歩けることの、なんと爽快なことよ・・・。
胸を張って、手を振って!!
豆まきは11時、13時、そして15時。
タイミングよく13時のが間もなく始まった。
まずは若い女性グループの奉納太鼓から。
威勢のいい太鼓の音が境内に響き渡る。

豆まきは、柔道の鈴木桂治、大企業の女子柔道部、俳優の江藤潤、劇団前進座の俳優ほか。
昨年は自然災害やドジな怪我など、大変な年だった。今年こそ邪気、魔物を払っていい年に!
ゲゲゲの鬼太郎も鳥取・境港から出張ったか?「とっとり妖怪観光大使」なる襷をかけていた。


あちこち歩きまわった後のランチタイム。歩ける喜びに浸りながら、まずはふる里の銘酒“十四代”で喉を潤す。なぜか今日は正月気分。初詣のような気がしてきた。深大寺蕎麦もおいしい。
この後、神代植物公園まで足を延ばしたが、今は花の端境期。温室以外は花が何もなかった。
2012年02月01日
早春の風景(1)・・・ロウバイから梅へ

今日から2月。もうすぐ寒明け。節分、立春だ。
が、日本海側の豪雪がピークを迎えている。
雪下ろしが大変だ。大きな橋が崩れ落ちたとも。
早朝階下へ下りてみると、このところ気温が4.5〜5度の毎日。まるで冷蔵庫に住んでいるようだ。
2月は気温が一年中で最低の月とも聞く。
ここは府中・郷土の森公園。
ロウバイはまだ咲いているか?梅のほころびは?
厳しい寒さが続くなかでも、花のリレーは進みはじめていた。
年が明けて一番先に咲くロウバイ。独特の花の香りで、春の近いことを知らせてくれる。
もはや散り初めたかと思ったが、健気にも寒さに負けず、青空をバックに凛と咲いていた。


今日から梅まつりも始まった。が、蕾はまだ固く、ほころび始めているのはほんの一部だ。

白 牡 丹 八 重 寒 紅

白 加 賀 枝 垂

水車が新しくなっていた。かつて武蔵野地方に広くみられた水車を復元(新築)したものだ。
間もなく寒明け。日が伸びた。今の時期は、冬至の頃より50分ほど日が長くなっているという。
2012年01月28日
新春の風景(5)・・・平清盛特別展
きのうは久し振りに都心へ。序でに江戸博まで足を延ばし、気になっていた「平清盛展」を見た。
NHK大河ドラマ50年特別展と銘打って、平清盛が活躍した時代が紹介されている。
今年の大河ドラマは、初めて武士による世の中を作り上げた「時代への挑戦者」平清盛の生涯を描く。
国宝「平家納経」など、世界遺産・厳島神社の至宝、肖像画や書跡、源平合戦を描いた絵画など、国宝、重文が数多く展示されていた。

展示は五つの章で構成されている
第一章 「平氏隆盛の足跡」 清盛の時代におきた事件や出来事をたどる
第二章 「清盛をめぐる人々」 清盛をとりまく人々を肖像画などで紹介する
第三章 「平氏の守り神−厳島神社」 平家納経(国宝)など平氏の栄華を物語る
第四章 「平氏の時代と新たな文化」 時代が生んださまざまな美術品
第五章 「平家物語の世界」 平氏滅亡の悲哀
混雑を避けて平日に来たのだが、混んでいる。歴史に目覚めた諸兄姉が、一つひとつの解説文を丹念に読むのでなかなか進まない。そこへ修学旅行らしき生徒たちも入ってきて大変だ。
今日一番の眼目は、清盛が一族の繁栄を願って厳島神社に奉納したという国宝「平家納経」。なかでも、清盛の直筆とされる「平清盛願文」だ。現物は平安時代のものなのに、まるで最近の作のような鮮明さに驚いた。
〔 開催期間は、1月2日〜2月5日(月曜閉館)。9:30AM〜5:30(土曜日は〜7:30)PM 〕
常設展示室で同時に企画展示していたのが、『絵で楽しむ忠臣蔵』と『歴史の中の龍』。
絵で楽しむ忠臣蔵・・・卓越したストーリー展開で多くの人びとを魅了し続けてきた、歌舞伎の傑作『仮名手本忠臣蔵』。忠臣蔵各段の、象徴的なシーンの錦絵が数多く展示されている。
歴史の中の龍・・・今年は辰年。その辰年にちなみ、龍をかたどった武具や火事装束工芸品のほか、龍について書かれた江戸時代の典籍や、錦絵なども展示されていた。
2012年01月24日
新春の風景(4)・・・雪景色

♪ 雪やこんこ あられやこんこ
降っては降っては ずんずん積もる
雪だ、大雪だ!朝食もそこそこに、カメラを持って飛び出した。
足元がバリバリに凍って滑る。
転んだり足首をギクッとやったら再断裂の危機!マンホールを踏まぬよう気をつけながら、小股で進む。

いつもの都立公園をひと回り・・・。水溜りは凍り、池も1/3程度は薄い氷が張っている。

そり遊びに興じる親子・・・もう一回とねだる!雪掻きに励むは、公園職員かボランティアか?

♪ 犬は喜び庭駈けまわり・・・今日は犬の天下だ。引っ張り廻される人間の足元が危ない!


♪ 山も野原も わたぼうしかぶり 枯れ木残らず花が咲く・・・咲いた花が朝日に光って眩しい!
遊歩道沿いに整列のドウダンツツジ。初夏に咲く白い花に先駆けて、雪のスカーフを頭に戴く。

バードウオッチャーに出合う。鳥の声は聞かない。今年は鳥が少ないという。なぜだろう?

♪ 朝日に輝く 新雪踏んで 今日も行こうよ あの山越えて・・・雪を握っても固まらない。粉雪だ!

思い出すのは、冬山の雪景色。おととし2月の箱根・明神ヶ岳の匍匐前進。そして同じ月の奥高尾から陣馬山へ登ったときのこと。奥多摩の雪景色も・・・。今頃はきっと、雪山最盛期なのに!

センダンの実が、白い雪をかぶって青空に下がる。黄色と白と青のコントラストが鮮やかだ。
文部省唱歌 冬 の 夜
♪ 燈火(ともしび)近く 衣(きぬ)縫う母は ♪ 囲炉裏のはたで 縄なう父は
春の遊びの 楽しさ語る 過ぎしいくさの 手柄を語る
居並ぶ子どもは 指を折りつつ 居並ぶ子どもは ねむさ忘れて
日数(ひかず)かぞえて 喜び勇む 耳を傾け こぶしを握る
囲炉裏火は とろとろ 囲炉裏火は とろとろ
外は吹雪 外は吹雪
2012年01月18日
新春の風景(3)・・・雛飾り

あっという間に早や1月も半ば。
あと3日で大寒だ。
少しばかり暖かい日差しに誘われて、歩行訓練を兼ねた散策の序でに、駅前のデパートをぶらりと・・・。
大寒の入りもまだなのに、雛人形が所狭しと飾られていた。
「売約済み」の表示もかなりある。



気品漂う雛の姿形。柔和な表情にはぬくもりあふれる優しさも感じられる。

雛祭りは、中国伝来の行事と日本古来の風習が一体となった伝承としきたりだとか。
5月5日の男の子の祭りに比べ、女の子の祭りは派手で華やかで美しい。
最近の雛人形は小振りになったような。売り場を見渡しても、ひと頃幅を利かせた七段飾りはどこにもない。場所をとるからか三段飾りどまりだ。省スペースで飾りやすいのが今風なのかも。
かくて、厳寒の日本列島にも、寒さの中でほんの少しずつ春を知らせる雰囲気が・・・。
ひな祭りはまだ1か月半も先だが、華やかな雛飾りが春の訪れを感じさせてくれる。
さて、今日は新年会。久し振りに都会の歩き初めといくか!ラッシュがちょっと気になるなぁ。
2012年01月14日
アキレス腱始末記(3)・・・リハビリは続く!
リハビリは、毎日自宅でメニューをこなしながら、週2回ペースでリハビリセンターへ通う。
これが病院のリハビリ台の一つ。
最初に仰向けに寝て、まずは患部をホットパックで温めてくれる。ポカポカとこれがいい気持ち!
続いて入念なマッサージ。ここまではいい気分。
もう帰りたくなる。そうはさせじと、爪先を押したり引いたり。足関節の曲がり具合を計測。「20度まで曲がるようになった」などとつぶやきながら…。
終わると、この上に正座3分。まだ痛みは残るが、正座そのものはちゃんとできるようになった。
次に控えるのが例の、爪先が跳ね上がった“拷問台”。「足関節強制起立板」と表示あり。
「矯正」ではなくて「強制」だと。つまり、“むりやり”立たせるということ。これが一番きつい!
アキレス腱が10分間、体重の負荷で目いっぱい引っ張られる。
ここに立つのは3回目。前2回より少しは楽になったような?肩の力を抜くと痛みが減るようにも。

続いて「平行支持台」の端に立って「スクワット」。我慢できる範囲で目いっぱい腰を下ろし、
5秒かけてゆっくり膝を伸ばす。伸ばしきる前にまた腰を割って・・・これを3分間繰り返す。
さらに、踵の上げ下ろしを100回。終わったと思ったら、「今日は片足でできるかなあぁ〜」などと優しくのたまう。ちなみにここの職員は全員女性。作業療法士かな?10人はいるだろうか・・・。「こりゃプツンと切れそう」などと訴えても、大丈夫!と取り合ってくれない。
結局30回、痛い左足に全体重を乗せた片足踵上げを、何とかこなした。
「家でもやりましょうね」などと軽く指示。帰宅後やってみたが、痛くて監視なしではできない!

最後は「歩行訓練階段」を使っての階段の上り下り訓練。手前側(左)が5段で、向こう側(右)は3段。段差が違うのだ。上るのはスムーズになってきたが、下りがまだぎこちない。とくに段差の高い方はシンドイ!思わず手摺りを掴む。
時折、“拷問台”から悲鳴に似た声が聞こえる。やっぱりみんな、あれはきついのだ!
終了後はホッと一息、レストランで珈琲ブレーク。
整形外科の診察は一か月後でOKになったが、リハビリは当分週2回ペース。まだまだ続きそうだ。
でも、着実にその効果が実感できてきた。
帰宅してPCを開いたら、早くも夏山計画書のPRメールが届いていた。
8月上旬の夏山山行が、北アルプス・立山連峰に決まったと・・・。夜行バス往復の2泊5日。
2月中旬のメンバーへの発表に先駆けて、1か月も早くメールに添付してきたのだ。
「臥薪嘗胆、切歯扼腕。悔しかったら リハビリ ガンバ!」と添え書きあり。
リハビリの目標、励みになるようにと、友情のニンジン作戦に出たか・・・。
さ〜て、その頃はもう術後9カ月経過・・・行きたいものだが、どうなることやら・・・。
2012年01月09日
新春の風景(2)・・・寒四郎

あっという間に七草が過ぎた。
今年も月日のたつのが早そうだ・・・。
公園の入口に対の門松が立つ。
朝日を浴びた松と竹が、通り過ぎる人の心をほぐす。気持ちをピリッと引き締めてもくれる。
寒の入から節分までが、一年中で最も寒いとされる寒の内。
寒に入って四日目を寒四郎、九日目を寒九とも
いうらしい。
してみれば今日は“寒四郎”だ。


装具なしで歩ける有難さ・・・。少しまだぎこちないが、徐々にリハビリ効果が出てきたようだ。

凧上げは正月の風物詩。親子の歓声が響く。親が凧を持ち子が振り返りながら懸命に走る。
頭を山の上に出し、今日も四方を見おろす。あの頂を眺める人は、一日どのくらいいるのかな?
今日も快晴。多摩川越しに府中、三鷹方面を望む。奥多摩や秩父の山並が緩やかに広がる。
病院のリハビリできついのが、10分間の直立不動。
胃のバリウム検査でおなじみの背の高い板の前に立つ。爪先がV字型に跳ね上がっている。
ここに立つと、体重の負荷が踵にもろにかかって、アキレス腱がムリヤリ引っ張られる・・・飛び上るほど痛い!可哀そうなアキレス君・・・!まだ、縫い合わせてもらって2か月なのに・・・!!
「こりゃ拷問だ!」と思わず口走る。それでも10分間、ストップウオッチが許してくれない。
明日はその拷問の日だ・・・!
2012年01月05日
2012年01月01日
新年のご挨拶
2011年12月30日
2011年12月27日
アキレス腱始末記(2)・・・下肢装具とリハビリ
術後約2週間経過した11/15日。抜糸して、固いギプスから下肢装具に替わった。
〇抜糸、そして下肢装具を・・・
・最近の手術は、切開部の縫合は糸でなくホッ
チキスの針のようなもので止める。
よって、抜糸でなく「抜鉤(こう)」という。
「鉤」とは、かぎ、釣り針などと辞書にあった。
・装具は、義足メーカーが採寸して作ったもの。
足首から上が前に曲がらない(アキレス腱が
引っ張られない)ように、支柱で固定してある。
・踵の傾斜は30度のハイヒール。風呂(シャワー)
も寝るときも、当分はギプス同様着けたまま。
週に一度、通院のたびに1枚(5度)ずつはがし
て、徐々にローヒールにしていくという・・・。
・帰宅後の室内歩きは、まるで国会の“牛歩戦術”のよう。患部が引っ張られて痛いのだ。
階段も手すりを頼りに一段ずつ。やはり、当分は床の中に限る。
・痛みがなかなか・・・その後、患部を膝の高さに保てば、痛みはほとんど感じなくなったが。
食卓や机で足を床につけていると痛みが増す。鬱血するからとは主治医のご託宣。


〇足カバーと松葉杖は外出時の必需品・・・
・外出・通院は、すっぽり包むカバーをつけて。
延び延びになっていた理髪と歯医者へ足を運ぶ。松葉杖姿を見る世間の視線が優しい。
・外出時の親切な人たちに感謝!!
タクシー運転手も、病院の先着患者仲間も、混雑している通路・道路の通行人も、建物の
ドア際の人も。そしてセルフカフェの店員さんも・・・見知らぬ人々の心遣いが嬉しい。
松葉杖は、思いやりを享受できる“魔法の杖”のようだ・・・! 
〇リハビリ開始は手術直後から・・・
・松葉杖での歩き方、階段の上り下り訓練
・筋力強化のための運動(ギプスのまま)
5種類のメニューを毎日各100回、計500回。
朝・昼・夜の3回に分けての必須宿題なり。
・同病(傷)のよしみが・・・
リハビリ室では多くの患者が励んでいる。
同じ装具の若い女性も。バレーボールで切
ったとか・・・以前に姉もバドミントンでと。
帰りの廊下を歩きながらなお情報交換す。

・術後2週間からは、錘で負荷をかけて・・・
装具に替わったその日。「今日午後の分はここでやっちゃいましょう」と軽く宣う。
得した気分で明るく返事したら、ずしりと重い錘(おもり:ウェートバンド)を持ってきた。
装具を外して、足首にこれを巻きつけてのリハビリ。2kgと2.5kgの2種類。重い!
・術後6週間・・・リハビリの錘は3kgに。さらに重く。
今日は主治医に、あと2週間で装具を外すと告げられた。術後8週間だ。その後は、
足首を中心に新たなリハビリが待つとも。

・術後7週間・・・装具の5枚目の踵がとれた。
こんなペッタンコに・・・。
あと1週間で装具自体も外される・・・!!
〇そして今日(12/27日)。下肢装具が外された・・・!
・主治医の話・・・再断裂もあり得るから気をつけるようにと。運動は4〜6か月後から。
再断裂したら、他所から腱を切り取っての補強手術になる。
全身麻酔、長期入院で大掛かりな手術になるとも・・・嚇された!
・リハビリ室に回って装具なしでの足首機能チェック、歩行、階段上下、片足立ちテスト。
足首が固い。術後の腱が引っ張られて痛い。爪先があまり上がらない。
・新たなリハビリの始まりだ。4種類の新・メニューで訓練、指導あり。毎日自宅で励むよ
うにと。通院のたびに状況をチェックするとも・・・また威された。ソフトに。
〇目の前の靄が晴れた気分に・・・!
・ リハビリ指導終了。足かせ(装具)外れて気分
高揚・・・今日だけは去り難し。
この際、病院のレストランで、ケーキセットで
慎ましやかに独り祝う!
主治医、看護師、リハビリ関係者に感謝このう
えなし!!!
・帰りに階段でそっと試してみた・・・片足1段ずつ上がれる!なんて効率的なことか・・・(アタ
リマエだ)。下りも試したら・・・イタタッ!下りはムリだ。お行儀よく1段ずつ両足揃えないと。
これからのリハビリ効果に期待しよう・・・!!
・・・埒もない長談義におつき合いいただき、ありがとうございました・・・
2011年12月24日
師走の風景(2)・・・メリークリスマス
冬至が過ぎて、今日はクリスマスイブ。今年もあと1週間だ。
赤々と燃える暖炉の前で昼寝中のサンタクロース・・・はて、ここはどこ??
東京スカイツリーが23日夜、クリスマスにちなんでライトアップされた。照明はすべてLEDで、この日点灯したのは設置予定の1/3ほどの720台。
ライトアップは24日と31日にも行われるらしい。
昭和記念公園や高尾山頂で、富士山の山頂に夕日が沈む「ダイヤモンド富士」が見頃を迎えているとか。冬至の前後の10日間ほど楽しめるそうだ。
暖炉の前のサンタさん。出番待ちかぐっすりと昼寝中だ。寝過したら子供たちに恨まれるぞ!

右手のひらの赤いシール・・・ここを押したら大きないびきまで聞こえはじめた。
宮城県のNPO団体に、国内外から約3,000点の善意が寄せられ、石巻市の児童館にクリスマスプレゼントを届けたという。
子供たちは絵本やミニカー、ぬいぐるみを受け取ると、満面の笑みを浮かべて喜んだと報じていた。
今年好印象を残したのは、素朴でつつましやかなブータン国王夫妻。
ブータンはヒマラヤ山脈に接し、インドにはさまれた小国。九州くらいの面積で人口は約70万人とか。新婚の若い夫妻は被災地も訪れ、また来ることを子供たちと約束して帰った。
今年一番の国民的快挙は“なでしこジャパン”。早朝3:30分の実況中継のほか、録画して何度見たことか・・・。とりわけドイツ、アメリカ戦がエキサイティングだった。
来年はロンドンオリンピックの年。春からはダルビッシュや岩隈の快刀乱麻ぶりも見ものだ。

江戸落語師走の人情噺は『芝浜』。先ごろ亡くなった談志師匠の十八番だった。歌舞伎にしたのが、鐘の音にはじまり鐘の音で終わる『芝浜の皮財布』。まじめに働くことの大切さを教えてくれる、今の季節ピッタリの名演目だ。一度談志師匠の高座を見たかった・・・。
尾瀬の入山者が、今年は28万人余りで2割減ったそうだ。初めて30万人を割ったとか。
とくに福島県側(御池・沼山峠)からの入山が大幅に減少し7万3千人、群馬県側(大清水・鳩待峠)からが約21万人弱という。
震災や原発事故の影響もあろうが、今年は沼山峠行きのバスがなくなったことも影響しているに違いない。われらがRACも、あれで燧ヶ岳登山を断念したのだから・・・。
来年はあのバス、再開してほしい。傷み明けの足では、登れるかどうかわからないのだが・・・。
ここは近所にある行きつけの喫茶店。美味しい紅茶を口に含みながら、来し方を振り返り来る年を思う・・・。クリスマス寒波がやってきた!来週水曜日頃まで日本列島に居座りそうという。
2011年12月21日
アキレス腱始末記(1)・・・縫合手術とギプス固定
あれから50日が経った。10月30日の夕方。山行帰りのアキレス腱断裂騒動の日から・・・。
手術後のひたすら反省・蟄居も奏功してか、経過は順調に推移している。あと1週間で装具も外せる見込みがついた。
そこでこの際、闘病経過を振り返って少しく記録に留めてみたい。
思いつくままに記す闘病記の長広舌なれば、どうぞご随意に読み飛ばしのほどを・・・。
〇縫合手術・・・
11/2日(火)。受傷3日目。
・断裂したアキレス腱を引っ張
って縫い合わせるという。
左が執刀医の説明図。
〇局所麻酔。日帰りで・・・
・半身麻酔なら2泊3日。
どちらでも手術は同じと。
〇手術室内はTVドラマで見たような・・・
・手術着に着替えて手術台にうつ伏せに・・・。周りで手術スタッフが、それぞれの持ち場で
テキパキ準備を進めていく。
・執刀医が局所麻酔注射を・・・「ここ痛いですか」「あ痛っ!」。「ここは?」「いえ・・・」。
麻酔の効き具合を千枚通しで(まさか)試しながら・・・痛い注射が続く。
・「手術をはじめます」」「お願いします」・・・執刀医と助手、スタッフの会話。
俎上にうつ伏せの身にも、緊張感が走る。
・心電図モニターのピッ、ピッ・・・という音が鳴り続ける。あの音が途切れたら、わが人生は
ピリオドだ。右腕に巻かれた血圧計の圧迫帯が、時折思い出したように膨らむ。
5分おきに計測セットされていると聞いた。
・「寒くないですか?」「気持悪くはないですか?」・・・若い看護師が繰り返し傍へ来て顔
色を窺う。「いえ大丈夫」「快適です」と。少しムリしたかな・・・?痛みはない。
〇手術が終わった・・・
・正味1時間前後。事前準備や事後処置を含め
て1時間半近くか。うつ伏せのまま、膝から下を
ギプスで固められた。
・車椅子で診察室へ。手術結果の説明あり。
手術中に撮った、断裂状態と縫合後の写真を
示されて。ブログに載せられる代物にあらず。
・その足でリハビリ室へ移動。即日リハビリ指導を受ける。

〇ギプスも松葉杖も初めての体験・・・
・帰宅後は概ね、膝立て四つん這いスタイル。
まるで“のっそり熊”歩き。家人は尺取虫とも。
階段を下るのはバックで・・・奥穂高の絶壁下
りを思い出しながら。
・外出(通院)時は松葉杖を使って。地面に足を
つけないようにと念押しあり。運転は禁止。
アクセルもブレーキも右足で自在なのに。
・タクシー会社の対応に驚く
初回電話:住所を伝えたら、即座に「〇〇さんの向かいですね」ときた。
翌日電話:受話器を取るとすぐ、「△△にお住まいの☓☓さんですね」と。
名乗らずともわかるとは・・・!たしかに、携帯でも相手方を登録表示できる時代だけど。
〇腫れてきた・・・ ギプスの周りを終日冷やす。
・保冷剤を10個もビニール袋に入れて。冷凍庫
で暇を持て余していた小さな保冷剤が、ひょん
なことで出番を得た。一日3回取り替える。
・就寝時がまた厄介。痛みを和らげようと、二つ
折りの座布団にギプス足を載せる。氷が解けて
縛った紐が緩む。夜中にごそごそ締め直す。
・手術翌日の通院時、ギプスの後ろを電動鋸で切り取る。その穴から消毒。深く切り過ぎ
て、足を切らないかとハラハラ・・・。
・術後1週間を過ぎたあたりから、日を追ってギプスが緩く・・・。腫れが引いた上に、足が
細くなってきたのだ。自慢の?ふくらはぎ近くに指を差し入れるとゆるゆるに・・・。
筋肉は使わなければ衰えることを実感した。
2011年12月18日
師走の風景(1)・・・名残り紅葉
アキレス腱断裂による秋・冬眠もそろそろ終盤。あと1週間余りで下肢装具が外れそうだ。
ここは都立桜ヶ丘公園の散策路。木漏れ日を背に、装具をつけたままぎこちなくそぞろ歩いた。
禅師のごとき落ち着いた人まで多忙で走るという師走。
その師走も早や半ばを過ぎた。
走り続けた師も、疲れが出る頃かも・・・?
一方、足の不具合にかこつけて怠け続けたわが7週間。
もはや人生を急ぐ身なれば、呑気に怠惰に引きこもり続けてもいられまいと、やおら立ち上がって・・・。
ぬくぬく生活から脱して一念発起、真冬の朝の外気に我とわが身を晒してみた。
早や街路樹は落葉し、丘陵公園の紅葉も大半が盛りを過ぎていた。

イチョウの葉のふっくら絨毯。一面に赤く染めたメタセコイアの落ち葉。柔かに朝日が注ぐ。

1週間前は今を盛りと輝いていたメタセの紅葉。今は足元に散り敷き、大木もすっかり身軽に。
そのメタセコイアに囲まれたキャンプ練習場。文化の日に予定した“芋煮会”は中止に。とんだ迷惑をかけてしまった。今日も何やらグループイベントがありそう。竃の火が勢いよく燃え出した。

艶やかに色づいたもみじの葉が朝日に輝き風にそよぐ。「木守り」のごとく落ちるを堪えて・・・。

外国人の一団の足が止まる。鮮やかな彩りを見上げて話が弾む。はて会話の中身は?
この豪華な彩りはどうだ・・・!毎年紅葉リレーのアンカーを務めるのが、この一角にあるイロハモミジ。数多くのカエデが退色し葉を落とし始める頃に盛りを迎える。これぞ“真打登場”だ。
「カエデとイチョウの紅葉(黄葉)が今年は、記録的に遅れている」という新聞記事を見た。
この秋が全国的に高温だったためらしい。「紅葉まつり」は各地で12月中旬まで行われたと。
このところ真冬の寒さが続く。冬型の気圧配置が強まり、日本海側は大雪になりそうだ。
師走は煤払いの季節。これでも例年はそれなりに貢献した方だと“自負”していたのだが・・・。
今年は装具をつけた不自由な身。物の数にも入っていない。煤逃げを企てずともよさそうだ。
2011年11月05日
台風の傷跡いまだ生々しく・・・北高尾山稜へ。
10月30日(日)
。RACメンバー9名で北高尾山稜へ。曇り空の天気は、途中雨がぱらついてきたものの2,3粒にとどまり、時折り日射しも覗いて快適な気候の山歩きを楽しんだ。
〇 コース:高尾駅北口−
−大下バス停
・・・ザリクボ・・・狐塚峠・・・名無しピーク・・・関場峠・・・堂所山
・・・明王峠・・・陣馬山・・・和田バス停−
−中央線藤野駅![]()
〇 歩 程:約5時間
≪ ザリクボ分岐からスタート・・・ ≫ 

今日の出発点ザリクボ。ここから登るのは初めてだ。ストレッチする目の前に沢ガニが・・・。



台風15号の影響がこの山にも。登り進むほどに、枝が裂け太い木が根こそぎ倒されて山道をふさぐ。倒木は北西側にとくに多い。どうやら「台風は反時計回りに吹く」ことを裏付けているか。
≪ アップダウンが続く・・・ ≫

このコースは、登れば下り下れば登る長いハードコース。一瞬日が差して深呼吸一番!
≪ 山が彩りはじめた・・・ ≫ 

花の少ないこの季節に、ノハラアザミが色鮮やかに咲く。


山道にちらほらと色づき始めた葉が。明王峠の茶屋前にある楓の木も、少し色づきはじめた。
陣馬山を下って和田バス停へ下りる山間の景観。これから日一日と色濃くなることだろう。
≪ 最終目的地陣馬山(857m)に着く ≫ 
陣馬山頂で迎える白馬の像。
曇り空で、近くの山はくっきり見えるが遠景は見えず。富士山もうっすらと見えるだけ。カメラには捉えられず。
余談独言。。。ここは、例年降雪を期待して2月に訓練縦走しているコース。低山だがアップダウンの繰り返しが続く健脚向きのルートだが、今回は前半を少しカットしてザリクボから陣馬山まで。山並は少し彩り始めていたが本格的な紅葉はこれからだ。
高尾も奥多摩もさらに遠くの山々も・・・紅葉狩り本番は目の前だ!!
しばらくの間、ブログ投稿をお休みします。
駅の階段で転び左足のアキレス腱が断裂、縫合手術を受けました。
ギプス固定のため散策も徘徊もままならず、やむなく紅葉狩りも断念して引きこもりの秋・冬眠生活に入りました。このうえは、ひたすら反省、謹慎、蟄居にこれつとめ、治療、リハビリに励んで2,3か月後には復帰再開したいと念じております。
それまで、しばしの間お休みします。
2011年11月01日
行秋の風景(10)・・・ハロウイン in 多摩センター

10月29〜30日。京王・小田急線多摩センター駅南側一帯で「ハロウイン in 多摩センター」が開かれていた。毎年秋の恒例で、今年で9回目という。
すごい人出だ!正面が多摩センター駅。
二日間の来場者は約30万人という。両側に出店が並び、大学の救護班も。警察と消防のテントだけはヒマそうで結構でした。
乞田川の桜並木沿い、片道55分のいつもの散策コースを歩いてきたらこの人出。
初めてこのイベントに足を踏み入れて、その賑やかさに驚いた。


キャッチフレーズに“街に魔法がかかる2日間!!”とある。子供も大人も楽しむお祭りだ。






市民参加の仮装パレードは先着200人、コンテストは約50組が対象。予選、決勝もあるとか。




メーンイベントは、仮装した子供たちが「トリック・オア・トリート(お菓子をくれないと、いたずらしちゃうぞ)!」と言って周辺の企業や施設から景品をもらう企画。参加受付後に「指令書」に従って各所を巡るのだと。参加無料で両日とも仮装した小学生以下の先着2千人が対象という。



こども達によるコンサートやパフォーマンス、こどもミュージカルなどの華やかなステージも。

ジャックオーランタンナイト。夕方6時から生カボチャで作ったたくさんのランタンに灯が灯る。
2011年10月28日
行秋の風景(9)・・・多摩川の秋

青空の下を多摩川沿いに歩いた。関戸橋を渡って府中市側を八王子方面へ。京王線の陸橋を過ぎて府中四谷橋を戻る。door to doorで約1時間40分。ちょうどいい散策コースだ。
鎌倉街道の関戸橋。橋の向こうは府中市。手前右は多摩センター、町田方面へと延びる。
橋の上から見下ろすと、鯉がゆったりと泳いでいる。多摩川の水がきれいになってきた。

「多摩川左岸 海から35k」の標識が立つ。多摩川は山梨県の笠取山が源流で、奥多摩湖を経て東京湾に注ぐ。全長138Kというから、ここまで既に100キロ以上流れてきたことになる。


楽器の練習にもってこいの場所。サキソホンの音が響き渡る。河川敷で若者がテニスに興じる。そういえば、山の仲間にもテニス好きが何人か。なぜかすべて女性・・・鍛えた足は山にも強い。

雲ひとつない青空の下を行く。昨夜は寒かった。何でもこの秋一番の寒さと聞いたが、日中は暖かい。明日も快晴の予報・・・問題は日曜日だ。なんとかもってほしい!この白い花は何か…?
ススキが風に揺れる。仙石原には及びもないが・・・やはり秋の風情。枯れるのももうすぐか。

釣竿が並ぶ。釣り人の姿は見えず。鉄橋を京王電車が渡る。もうすぐ11月。秋が深まる。
2011年10月25日
行秋の風景(8)・・・こもれびの里
昭和記念公園の一角、コスモスの「花の丘」の向かい側に「こもれびの里」がある。
昭和30年代の武蔵野の農村風景を再現。農業や年中行事など、自然と暮らしの知恵を伝える。
平成14年から5年間かけて市民参加で開拓・開墾をすすめ、4年前に開園した。
農地は畑、水田、果樹園、茶畑などがあり、ボランティア団体「こもれびの里クラブ」が管理している。奥に見える「里の小屋」は、藁仕事や保存食作りなど、農作業をする上での活動拠点だ。

陸稲、水稲のほか、麦、そば、さつまいも、落花生などを栽培し、毎月様々な行事が催される。

収穫したそばの実は「そば作り」に。さつまいもは「芋掘り体験」「焼き芋」のイベントで使用。

陸稲(おかぼ)はもち米。年末に鏡餅に。水稲のうるち米はご飯炊きや団子づくりのイベントに。
ほかに水車小屋や炭焼き小屋も・・・。ここに、武蔵野の自然や原風景が再現されている。
帰り道。秋空が高く澄みわたる。
セイタカアワダチソウが青空に映える。
あれ、ハクサンイチゲが・・・近寄って見ると違うようだ。アルプスの花がここに咲く筈はない。


ハナミズキ(左)とウメモドキの実。色も形もよく似ている。標識を見てはじめてわかった。
これがウメモドキ。梅によく似た花をつけるのだろうか?庭木や生花にも用いられるらしい。
2011年10月22日
行秋の風景(7)・・・コスモスまつり

国営昭和記念公園。“コスモスまつり 2011”が最盛期を迎えている。
期間は11月3日まで。
10月16日に続き、30日も“秋の都市緑化月間”にちなんで、無料開放されるらしいが・・・見頃は今だ!
ピンクと白のメイン会場は「花の丘」。黄色一面の「原っぱ西花畑」も鮮やかに。

国営昭和記念公園のコスモスといえばこの「花の丘」。都内随一の規模で、丘の斜面一面にコスモスが広がる。今年は品種を増やし、3品種400万本が見頃を迎えている。
「パークトレイン」が来た。いつもは親子連れ乗客が多いが、今日は大人が鈴なりに乗っている。






携帯、デジカメ、一眼レフ。コスモス花を収めんとカメラの花も咲く。休憩も昼食も芝生の上で。

画用紙を膝に広げて鉛筆を走らせる人。この花園をどう描くか、ず〜っと見続けたい気分に。



こちらは「原っぱ西花畑」。黄色に特化したコスモスの花が一面に広がる。今年の黄色いコスモスは、新品種「サンセットイエロー」を使用とか。爽やかな黄色の花は目の覚める思いだ。
2011年10月19日
行秋の風景(6)・・・薄紅葉

街路樹のカエデが薄紅葉に。“オオモミジ”か。薄く淡く、うっすらと色づきはじめて趣きがある。紅葉前線は北から南へ、山頂から麓へと駆け下りる。一本の木も染まる順序をくっきりと表す。
こちらの街路樹は朴の木。薄紅葉の時期は過ぎ、かなり染まってきた。
落ち葉を掃くご婦人の横を通る。
「これから大変ですね」 「はい、もう毎日の日課です」と笑顔が返る。
紅葉観賞の秋。街路樹周辺に住む人は忙しい。


ドウダンツツジも葉の表面はかなり色づいた。木も種類によって、色づきの進みはいろいろだ。
朝陽を浴びて親子連れが遊ぶ。染まり始めた木の葉と緑濃い芝生のコントラストが秋を語る。
晩秋に真っ赤に色づくイロハカエデは、まだまだ夏の色。染まり始めるのは11月中旬ごろか?
2011年10月15日
行秋の風景(5)・・・ ♪ 忘れがたき故郷
・・・ たまに帰ってそぞろ歩いてみると、あれこれ遠い昔のことを際限なく思い出す ・・・
この通りは国道13号線。東北地方の内陸部を縦貫する幹線道路ではある。
並行してバイパスができたことで、通過車両はほとんど見かけない。人通りも少なく、居住者の車が時々通るだけだ。
大半の家庭に車があり、バスは平日のみ1時間に1便足らず。年寄りの病院通いの足と聞く。

奥羽本線の踏切。今は山形新幹線が走るレールの上を、耕耘機や稲刈り機が横断する。
高校通学時、SL列車の窓を開けると石炭の燃えカスが目に飛び込んできた。冬場は雪が多く、早朝真っ暗な雪道を長靴で通った。ラッセルしても雪が入り込まないように、ゴムで縛って。
近道してこの先の線路を駅まで歩いたことも度々。その駅は、無人駅になって久しい・・・。

久し振りの墓参り。田園地帯の奥、小高い林の一角にある墓地。どこの家も8月13日の夕方に家族連れだって墓参に行った。薄暗くなった帰り路、揺れ動く提灯の灯りが幻想的だった。

墓参の帰りに肩に止まったトンボ。掌に移しても飛び立たない。舗道に出てきた虫。カメラにも動じない。当地OBの里帰りと知り、敬愛の情を示しに来たか?ふるさとは虫までも情が深い??

農道の傍らに果物が実る。いちじくとリンゴだ。今年は果物がいつも以上に甘く実ったという。
一時凍結した高速道路の延伸工事が再開された。国道と並行してバイパスも走るのに。豊かな自然を壊し、莫大な費用を投じて作る意味はどこにあるのか?爽やかな風にススキが揺れる。
形のいい老松が立つ。樹齢600年、市の天然記念物・尾上のマツだ。昔は枝が地面近くまで垂れ下がってもっと見事な姿形をしていた・・・。老化に加え、排気ガスや近年の大雪の影響もあってか、樹高の下半分の枝が削がれてしまった。太い幹のあちこちに残る枝の痕跡が痛ましい。

郷里を離れてほぼ半世紀・・・。住む人も家並みも、農道や田畑の風景も変わった。人は代替わりして家も建て替えが進み、昔の友達や知人宅もよく判らない。荷車やリヤカーを引いた農道は拡幅整備されて車が通る。中学校は離れた土地へ統合され、朝晩通った国鉄の駅も無人駅に・・・。その変貌ぶりはまるで今浦島だ。
昔話を饒舌に語るは歳をとった証拠。懐古談、懐旧談を熱く語りながら、ふと馬齢を重ねたことに気づかされる・・・。それでも、ふるさとの光景は懐かしい。変貌を遂げてもふるさとは忘れ難い。
2011年10月13日
行秋の風景(4)・・・ ♪ 小鮒釣りしかの川
・・・気の向くままの郷里の散策。景色の移りかわりに歩みが止まり、昔の記憶が甦る・・・

自宅の裏を流れる小川。その昔石垣の下を覗き込んで小さな釣竿で糸を垂れ小魚を釣った。
餌はいつもみみず。あの頃、川の両側は自然石を重ねたもの。今はコンクリートにかわった。
夏になると川底の砂利、石ころをさらって重ねあげ、水嵩を深くして水浴びもした。中央の仕切りはなかった。はて、あの頃海パンなどあっただろうか・・・??川幅も橋も、今見ると狭く小さい。
稲刈りの終わった現在の田園風景。機械作業に対応すべく大きな長方形に整地された。
昔はくねくねと畔で仕切られた田圃が無数にあった。父や兄はよく田圃や用水路を見て回った。
今は、最上川から水をポンプで汲みあげて田圃へ。干ばつの心配はなくなったが、子供たちは用水池での小鮒釣りなど経験できない。大きい沼は埋め立てて地域のグランドに。ゲートボールやグランドゴルフの会場だ。今どきの年寄りたちの楽しみはグランドゴルフと輪投げとか・・・。
自宅から歩いて30分。最上川の橋の上に立つ。
今は同じ市内だが、昔は隣村。幼い頃“村祭り”には、母親に連れられてよく来た。
橋の欄干に立つ「最上川」の標識。あの頃はまだ木の橋だった。車は辛うじて通れたか?
この橋は平成9年に架け替えられたものという。
お祭りに呼ばれて行った2軒の親戚。もう当主は代替わりして面識はない。1軒は遠くへ転居したらしい。
この道は、最上川舟運の起点であった大石田や、紅花の特産地尾花沢へと続く。『奥の細道』にゆかりの町だ。芭蕉は尾花沢で数日逗留し、大石田から舟で下った。
銘酒「十四代」の醸造元はこの先にある。
「尾花沢にて清風と云者を尋ぬ。かれは富るものなれども志いやしからず。都にも折々かよひて、さすがに旅の情をも知たれば、日比とどめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る。」 (『奥の細道』より抜粋。以下同じ)。
五月雨を集めて涼し最上川 芭 蕉
大石田で行われた句会の発句。土地への挨拶吟といわれる。「涼し」は後に「早し」と。一語を変えただけで、怒涛渦巻く最上川に変わるから、言葉の持つ威力はものすごい、と識者はいう。
「最上川のらんと、大石田と云所に日和を待・・・。最上川はみちのくより出て、山形を水上とす。ごてん・はやぶさなど云おそろしき難所有。板敷山の北を流て、果は酒田の海に入。左右山覆ひ、茂みの中に船を下す・・・。」(・・・は、以下略)
ごてん(碁点)・はやぶさ(隼)は、この上流にある最上川舟下りの難所。川中に碁石のように暗礁が点在し、隼の飛ぶように水勢が早い。三ヶ瀬を加えた「三難所舟下り」は今もある。大石田はこの橋のすぐ下流に。有名な「最上峡芭蕉ライン舟下り」は、この先さらに下流にある。
暑き日を海にいれたり最上川 芭 蕉
広き野を 流れゆけども最上川
うみに入るまでにごらざりけり 山形県民の歌 作詞 昭和天皇 御製
作曲 島崎赤太郎
《 この歌は、昭和天皇が東宮であられた大正14年に山形県に行啓なされ、ご覧になった「最上川」の様子を、翌15年の「歌会始」において御製「最上川」としておよみになられたものである。
昭和5年に至って宮内庁の許可を得て、東京音楽学校(現東京芸大)の島崎赤太郎教授が作曲し、以来県民に親しまれてきた。その後、昭和57年に「山形県民の歌」に制定されている。》
2011年10月11日
行秋の風景(3)・・・ ♪ 兔追いしかの山

自宅からは国道沿いを数百メートル離れたところ。小学生の頃、ここでスキーに熱中した。
田んぼの向こう、林の手前の畑の斜面で。あの頃はこの畑には木がほとんどなく、冬になると子どもたちにとって格好のスキー場だった。
その頃の雪国では、冬の遊びはスキーに橇(そり)にスケート。なかでもスキーはよく遊んだ。
何度も転ぶと尻廻りはびしょ濡れ。苦にもせず、時間を忘れてひたすら滑り、転んだ。暗くなる頃、バリバリに凍った尻を触りながら家路につく。母親はよくもまあ、怒りもせずに迎えたものだ。
今見るとほんの狭い小さな斜面。あの頃は広く大きく見えたから不思議だ。
新雪には、時々くっきりと兔の足跡を見かけた。しかし、兔を追いかけた思い出は一度もない。


家の裏にあるこんもりとした森に、「若宮八幡神社」が今も建つ。ここの斜面でもよく滑った。

神社の建物、姿は当時のまま。飛行機のものだろうか、木のプロペラもそのまま懸かる。


「羽黒山」と表示の鳥居。当時はなかったような。杉並木に囲まれた小ぶりの山は今もそのまま。夏休みには宿題を持ってこの上の古びた社へ。ただ遊んでそのまま持ち帰ること多かりし。


我に返って東側の裏山を眺めると・・・こんもりと色づき始めて。山の名前は昔も今も知らない。

そして田園風景の奥に聳えるのが「こしき岳」。そう高くはないが、このあたりでは目立つ山・・・。どっしりと大きく広がる姿は、中央沿線の扇山に似ている。そういえば倉岳山にも。
ふるさとの山に向かひて
言うことなし
ふるさとの山は
ありがたきかな 石川啄木


遠く西側に連なる葉山に日が暮れる。標高1462mとこのあたりでは最も高い山。登ったことはない。あの頃は山登りなど思いもよらぬことだった。月山(1984m)はこの陰に隠れて見えない。
途中、「連日の快晴、錦秋に大感激!」と、電話や携帯メール着信あり。「竜宮小屋でフルーツケーキとレミーマルタンで誕生会!」とも・・・。実はこの連休、RACメンバーは、全山紅葉の尾瀬縦走に。雨の多い尾瀬で二日とも快晴に恵まれるとはハッピーだ。結構けっこう!大いに楽しんでくだされ!!こちらも今、数十年前にタイムスリップして思い出に浸ってるところじゃて・・・。。












