【従軍慰安婦】戦前日本の誘拐多発

戦前日本では、海外への誘拐(騙して密航させる等)が多発していた。
それが従軍慰安婦でも繰り返されたと考えると分かりやすい。
関連エントリ
公第十号受第一〇四二六号 ※1890年
在新嘉坡本邦人民無旅券の者に旅券を付与致し可然否の義に付再伺

本年六月廿五日機密第十一号を以て、在当港本邦臣民にして従来無旅券渡航の者に対し当館より新たに旅券を交付致候可然哉否(しかるべきやいなや)の義に付伺出置候処、今般在当港無旅券者の数を取調候処、婦人のみにて凡百五十名前後に達し其来港の次第を尋れば大概本邦各港より密航したる者に係り、現今当政庁に認可を経て娼妓となり糊口致す者に之有り候。扨て是等婦女に対し旅券交付に其査証の義に付ては、未だ何等の御訓示之無く候得共、本年六月二十七日第十三号在芝罘領事館の伺出に御回訓相成候第一項但書の御主意に準じ、都て故障ある者と見做し其交付並に其査証を拒絶可致哉、又は己の来港致候政庁の認可を経て娼妓と相成候者なれば帝国領事規定に依て交付致し可然候哉、前記人各之者此節当館へ来り旅券交付方続々願出候条、前段至急何分の御回訓相成度此段申進候也。
明治廿三年八月八日
在新嘉坡領事代理
書記生斎藤幹
外務次官子岡部長職殿
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B15100739800
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二月三日 ※1893年
婦女をして妄りに海外渡航を企図せしめざる様注意せしむ
外務省訓令
外務省訓令第一号
警視庁 北海道庁 府県

近来不良の徒各地を徘徊し甘言を以て海外の事情に疎き婦女を誘惑し、遂に種々の方法に因りて海外に渡航せしめ、渡航の後は正業に就かしむることを為さず却て之を強迫して醜業を営まして、若くは多少の金銭を貪りて他人に交付するものあり。之が為めに海外に於て言ふに忍びざるの困難に陥る婦女追追増加し在外公館に於て救護を勉むと雖も或は遠隔の地に在りて其所在を知るに由なく困難に陥れる婦女も亦種々の障碍の為めに其事情を出訴すること能はざるもの多し。依て此等誘惑渡航の途を杜絶し且つ婦女をして妄りに渡航を企図せしめざる様取計ふべし
明治二十六年二月三日
外務大臣 陸奥宗光
内務大臣 伯爵井上馨
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藤田四郎「清国視察談」明治35年3月21(?)日発行 ※1902年
(1頁に前農商務総務長官 貴族院議員とある)

十五 醜業婦と貿易の関係(43頁~)
次に注目すべきことは醜業婦のことである、醜業婦のことに付て私共は外務省に居る時分にも心配したことで当時の政府の方針に依り調べたこともあるが条約改正の前であるから少しでも非難されることは避ける方針であった然るに最早今日あちらに往って見ると醜業婦は誘拐されて往くものは別として自分の自由意志に依って往く所の醜業婦はひどく制限する必要はないと思ふ、
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/767012/25

公第二一一号 ※1903年

婦女誘(原文=𢭆?)拐者の住氏名内地官庁へ直接通信承認方稟申の件

本邦無智の少女を誘拐して当港に来航する悪漢之有り候趣は本月八日付公第二〇三号を以て申進置候処、当港年来の商況不振は正当なる商業者より其職業を奪ひ新渡航者に対しては従前の如く容易なる生活の方法を与へず、意思薄弱なる本邦男児をして漸次堕落の境域に導き、茲に無頼の徒と化し賎業者の手に依りて漸く其口を糊するもの多きに至り候は、慨はしき次第に之有り候。而して是等無頼漢唯一の生命は実に本邦無智の少女に懸るを以て、彼等は出来得る限り好餌を捉へんと欲し、百方訏(?)策を廻らし在本邦の誘拐者と気脈を通じて、或は汽船に依り或は日本形小漁船等に依り無智の少女を誘致し之を奪食する者日一日増加の勢之有り候。当館に於ては其知れ渡りたる者に対しては厳に説諭を加ふると雖ども、素より法規の制裁之に伴はざるを以て、彼等は怡として憚る処なく非倫の罪悪を公行致居候。去れば是等悪漢の増加を防止し誘拐者を取締らんとせば、当館に於て誘拐の嫌疑ある者の住所氏名携帯旅券等を急速内地関係府県庁に通知すると同時に、船舶の発航地たる敦賀七尾長崎等の警察部へ通告して誘拐婦女の発航を停止するとを得ば、幾分か彼等の罪悪を減殺し当港の気風を改善する事を得んかと被存候間、御詮議の上直接通行御承認相成候様致度、此段及稟申候敬具

明治丗六年八月十三日
在浦潮
貿易事務官川上俊彦
外務大臣川上俊彦殿
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B13080096200(2・3画像目)
外務省外交史料館 戦前期外務省記録 直接通信関係雑件/許可 第二巻
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青木澄夫「明治末期のシンガポールの日本人社会 幻の日本人会成立と日本語新聞」中部大学国際関係学部論集「貿易風」 (9), 129-151, 2014-04

東京帝国大学医科大学を卒業し、1902(明治35)年にシンガポールに赴いてそのまま医院を開業して同地に住み着いた西村竹四郎は、日本から「密航」してきた少女たちを多数見てきた。1903年の日記に、西村は少女たちが誘拐される手口を次のように記録している。・・・
「即ち船員と結託して炭艙、ボート、其の他人目に触れない場所に匿かくし、少量のパンと水を与え、日の目を見せずに密航するのだ。密航は全く命がけである。此の密航女は新娘(ニューガール)と呼ばれ、到着した土地には各地の楼主連が集まり、よい玉は千弗(ドル)、八百弗、安くとも三、四百弗と競せりで売買される。馬の競りと同様である。」

長田秋濤「新々赤毛布 : 露西亜朝鮮支那遠征奇談」明治37年3月1日発行 ※1904年

醜業婦の出産地(196頁~)
西比利亜(シベリア)に渡航して行て醜業婦人と云ふ憐れむべき名称に甘んじて外国人に情を交はして、御髯の塵を払ふて居るもの共の出産地の戸籍を酔狂にも洗って見れば、大概は九州で其多数は九州の内で熊本県天草か、長崎県島原辺りの者で長崎市の内外も沢山ある、其の次は中国から中仙道に懸けてゞある、・・・其事を聞き込んだる誘拐者が有らん限りの甘言を尽して之を誘ひ出し、自分の懐暖めの材料に做すと云ふ様な具合で、斯く一人連れ二人連れて行たのが今日の如く殖えたのである。


「五大洲探検記2 南洋印度奇観」五大州探検家中村直吉 冒険世界主筆押川春浪編 明治42年1月1日発行 ※1909年

茲(ここ)に吾人の不審に堪へないのは、比較的教育の普及した今日、尚ほ九州地方から悪漢の甘言に乗って、誘拐される婦女の絶へないことである。(13・14頁)


意見書案 ※1910年
在外国売淫婦取締法制定に関する件
東京市麹町区上二番町平民私立女子学院長矢島楫外七百九十二名呈出

右の請願は現行法は海外に密航する売淫婦の取締法宜しきを得ずして此等醜業婦の世界各地に周きに至れるは独多数の婦女子を奴隷に劣るの惨境に陥るるのみならず実に我国の恥辱なるを以て之が取締を厳にするため適当の法律を制定せられたしとの旨趣にして貴族院は願意の大体は採択すべきものと議決致候因て議員法第六十五条に依り別冊及送付候也
明治四十三年三月廿三日 貴族院議長 公爵徳川家達
総理大臣 侯爵桂太郎殿
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B03041449800
外務省外交史料館 戦前期外務省記録 議員及人民ヨリ提出ノ建議請願関係 第二巻


公信第二五一号 ※1912年
明治四拾五年七月十日
在香港総領事 今井忍郎
外務大臣子爵内田康哉殿

婦女誘拐者取締方に関し内地官庁と直接通信方稟請の件
香港は南清南洋地方に於ける婦女誘拐の策源地とも見るを得べく、従て本邦より無智の婦女を誘拐し来るもの、或は斯る目的を抱きて当地より帰国する悪漢之有り。当館は斯るものに対し厳重監視致候へ共、法規の制裁之に伴はざるを以て、如何とも致難候。去れば是等悪漢の増加を妨ぎ誘拐者を取締らんと欲せば、是等嫌疑者の乗船帰国を探知し、或は日本発航を予知したる場合に之を内地関係府県知事へ通知すると同時に、該船舶の発着地たる長崎門司神戸横浜等の警察部へ取押方を通告することを得ば、幾分か彼等の悪行を取締ることを得んかと被存候間、右誘拐事項に限り急を要するものに関しては、在浦潮総領事館と同様本邦各地方長官と直接通信許相成候様致度。現に今日に至る迄、内地府県知事より当館を在清領事館同様に看做し直接通信の御許可済の者と心得、書状若くは電報にて続々警察事項に関する直接照会之有り候処、当館に於ては、右照会事項中当港に於て取締を得べき事項は応急の処分致居候得共、其事項中には右の府県知事に対し再応の照会を要する者之有り候も、直接通信の許可を経居らざるが為め取締上屡々遺憾の感之有り候に付、前述事項に限り被誘拐女子の原籍地又は出帆港府県知事と直接通信御許可相成候様致度、此段申進候敬具
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B13080101900(2・3画像目)
外務省外交史料館 戦前期外務省記録 直接通信関係雑件/許可 第四巻
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酌婦を解せず。 ※1913年
市内松公園内、料理店、松金、抱芸者、梅八、事、西本サキは、今度、内地へ帰り、大阪府下、西成郡勝間村生れ、金沢ノエ(十九)が丁度、遊んで居れば、満州にいっては何うか、酌婦をしても、月に七八十円の収入はあると、例の調子で誘ひ出し、一日入港(の)台中丸にて来連したが、満州の酌婦は内地と違ひ、女郎と一緒と解り、這麼(こんな)恐ろしい所であったら、来るのではなかったと、頻りに悔み居るより、松金の主人も呼出され、相談の末、ノエは一先づ内地へ帰る事となる。(満州日日新聞、大正二年八月二日)
(倉橋正直「従軍慰安婦と公娼制度」122頁)

山室軍平「社会廓清論」大正3年10月19日発行 ※1914年

○大連婦人ホーム
其翌明治三十八年、日露戦役の漸く終を告げんとする頃から、満洲大連を経て段々奥へ奥へと入り込む日本醜業婦が引きも切らず、中にはひどい誘拐の事実等も甚だ多い様子を、見るに見兼ねて、当時青年会の慰問部に居られた、今の廓清会理事益富政助氏其他の有志が、満洲婦人救済会といふものを起し、彼等の幾人かを救済して、最初の間は救世軍の東京婦人ホームに送り届けて居られたが・・・
 本年春頃悪漢の手に誘拐せられて大連西通の某料理店に連込まれし姉妹ありき。生れは山口県吉敷郡平川村の者にて姉は十九歳、妹は十七歳の娘盛り、好き良人を迎へて幸福に暮すべき身の、哀れにも満洲風に誘ひ出され、奉公する気で来て見れば鬼住む宿の恐しき事のみにて、来た其夜より客を取れと強ひられ、厭と言へば打ち叩かれて、姉妹相抱いては泣き悲み居たるが、
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1748928/197

八代英雄「秘密爆露裏面之南洋」1915年

『嗚呼淫売国』と誰やらが嘆息したが、事実に於いて日本から海外へ発展してゐる女は、十中の八九まで色香を売って口に糊する売春婦である。・・・
 娘子軍の大部分は、天草を中心としたる九州人で、熊本、長崎の両県から嗾出してゐる。これは海外に出稼ぎに行く事を自ら希望してゐるもので、顔の方はあまり感心しない連中だ。土人でも支那人でも、助平根性は同じ事で、醜婦よりは美人を好み、費消する金高も相違して来る。従って淫売屋の主人も上玉を欲しがり、四方八方に手を廻す。此処を例の無頼漢が付込んで、ある密約を結んで日本へ戻り、純潔無垢の良家の子女を誘拐して行く
 上玉であれば楼主も千や二千の金を惜まない。
 斯うして、多くの悪漢のために南洋の天地へ誘拐されて行く女は、可成り夥しい数に上り、新嘉坡の日本領事の手に取押へられ、内地へ送還される不幸中の幸ひなる女も又多い。それから誘拐中に、警官に観破されて悪漢が取押へられたり、今や船に積み込まうとして発見されたりする実例は、各新聞紙上で往々見受ける。又、誘拐されて南洋に亘り、捨鉢になって遂に悲惨なる最後を遂げたと云ふ、哀れな実話を耳にした事もある。楼主の命を奉ぜぬとあって、厳しい折檻をうけて悶死した一層可憐な実話も聞いてゐる。―自ら好んで出稼ぎに行くのはそれで可い、面白い目をしやうと困らうと自業自得であるから構はぬが、悪漢に欺むかれて南洋へ売られて来た女は、何んとかして救ふてやりたいものだ。

長田秋濤「図南録」1917年4月8日発行

第三編
誘拐、密航、詐偽結婚(二)
 石川や浜の真砂のそれならなくに、如何にその筋の取締厳なればとて、本邦の婦女誘拐と密航は蓋し絶ゆるの時あらざるべし、婦女を誘拐して海外に密航せしむる悪漢は、海外到る処気脈を通じて謀計を凝らせり、而して彼等の中には医者あり歯医者あり、商館の主人あり、坊主あり、軍人あり、船員あり、口入屋あり、随って其奇計妙策たる真に驚天動地底のものあり、奇想天外底のものあり、吃驚仰天唖然呆然として自失せざるは能はざる底のものあり、就中新嘉坡に於ける近来の密航と誘拐方法を聞くに、大抵は医者呉服屋その他の商店の主人が手先となつつ活動する者にて、即ち彼等が仕入その他の用務を帯びて帰朝するに際し、或は看護婦、或は召使、或は女中等の名目によって巧に当局を誤魔化すものなりと、而して彼等が毒手に捕はれたる者は大抵七八百円より千二三百弗に売り飛ばさる、更に注意すべき在留の所謂紳士なる者に恁る悪漢あり、彼等は一旦帰朝して結婚の手続を了し、而して公然渡航し去るも到着後直に離婚の手続をなして売り飛ばし、更に翌々年位にして又々結婚の手続を為す、恁くて再婚三婚四婚と可憐なる婦女を捕へて公々然の残骸を為す。就中当局の注意を促すべきは、毎年初秋の交仕入れの為め帰朝する呉服屋連なり、彼等は此頃内地に於ける夏物の売残りを安価に仕入れて、而して南洋に帰来するや即ち内地の新柄と称して売り捌くものなるが、此際店員或は女中として伴ひ帰る女は大抵彼等の毒爪に罹りて、永劫浮かぶ瀬もなき奈落の淵に投ぜらるゝ者なり。
 その他南洋各地に於けるイカモノ歯医者、イカモノ医者にして内実婦女誘拐と密航を本業とせる者尠からざる由なり。因に記す近来北米行の密航婦は多く上海より新嘉坡に到り、更に印度より英国倫敦に到り、同地より紐育に渡航する風あり、而して此間到る所同臭一味の気脈を通ぜるや勿論なり。その他詳細に彼等が密航の奸策密棒を曝露し来らんか、確に数千頁に余る浩瀚の一冊子たるべし。(170~172頁)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/955911/103

藤田敏郎「海外在勤四半世紀の回顧」昭和6年7月21日発行 ※1931年

醜業婦の輸入及裁判事件(32頁~)
 明治廿二三年の頃、桑港(サンフランシスコ)に於ける日本無頼の徒は種々の工夫を凝らし、醜業婦の輸入をなせり。・・・

醜業婦の送還(71頁~)
 明治廿九、卅年頃新嘉坡(シンガポール)在留日本人は約千人にして、内九百余人は女子にして其九割九分は醜業婦なり、其多くは誘拐されたる者に係る。彼等姓名を偽称するが故に、外務省より取調べ帰国せしむべく命ぜらるゝ毎に多大の困難を感じたり。

南洋及日本人社「シンガポールを中心に同胞活躍 南洋の五十年」昭和13年6月3日発行 ※1938年

一八、娘子軍時代
3、草分と其頃の新嘉坡(シンガポール)
 バンダが出来たのは一八九九年で支那人ばかり最初は邦人の娼家はなかった。華民保護局が出来たのは一八八八年で支那苦力が奴隷的に輸入され、殊に売られて来る女が余りに可愛想だと夫等を保護するために出来たのであって、インスペクタ・ピッカリング氏が最初の局長で、誘拐されて来る哀れな日本娘も亦其処で保護されてゐたのである。

昭和十三年六月一日付の在山海關副領事佐々木高義発、外務大臣宇垣一成宛の件名「支那渡航婦女ノ取締ニ關スル件」の文書に、「支那ニ於テ所謂酌婦ト稱スルハ單ニ酒間ヲ斡旋スル婦女ヲ指スニアラスシテ内地ノ娼妓ト同様ノ稼業ニ従事スルモノナルガ内地婦女子中ニハ往々ニシテ文字通リ解譯シ漫然渡来シ到着地ニ於テ醜業ヲ強ヒラレ」との記述https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/200/syuh/s200093.htm

「秘」印
在外邦人醜業婦の取締に関する訓令

一、明治十六年八月中上海密航婦女の取締を厳重にすべき旨内地各地方長官に訓令せり。
一、明治十八年七月中海外渡航婦女並に密航取締方長崎、福岡、山口、兵庫、大阪、神奈川各地方長官に厳達し重ねて同月中無旅券婦女の渡航及不正渡航者の取締並に乗船取締方訓令し同時に其旨各汽船会社に輸送せり。
一、明治廿五年十月中密航取締方長崎県外十二県へ訓令せり。
一、明治廿六年三月中不良の徒の甘言を以て海外の事情に疎き婦女を誘惑して海外に渡航せしめ醜業を強行せしむる者あり此等醜業婦は海外に於て悲惨の状態に陥るもの不尠(すくなからざる)に付厳重取締方警視総監北海道庁長官、各府県知事へ訓令せり。
一、明治丗三年四月中西濠洲に於ける邦人醜業婦取締方法に関し詳細報告方在シドニー帝国領事に訓令せり。
一、明治三十五年七月中密航婦女の取締方に関し福岡県知事に訓令せり。
一、明治丗九年法律第八〇号
  清国及朝鮮国在留帝国臣民取締法
第一条 「清国及朝鮮国」在留の領事は在留の帝国臣民該地方の安寧を妨害せむとし又は該地方の風俗を壊乱せむとするものある時は一年以上三年以下在留することを禁止す可し。
  以下省略
一、明治卅九年六月日露戦后一般に密航者の数増加の傾向あるに依り厳重取締方長崎、神奈川、兵庫、福岡、山口各県知事に訓令せり。
一、明治四十二年三月中在外邦人醜業婦取締に関し日本基督教婦人矯風会より取締法令制定方従来屡々議会に請願する処あり今回も議会に於ては之を採択すべきものと議決したる処本件に関しては新刑法を以て夫々規定する処あるを以て特に法律制定の要なきも醜業婦の渡航を未然に防止するは吃緊事なるを以て此際厳重取締相成度旨内地各地方長官並に在外各公館長に訓令せり。
一、明治四十三年十月中海外渡航移民にして他人の名義を藉りて出願し写真のみは自己のものを貼付するが如き奸策を弄するものあり特に米国行醜業婦にして此種の手段を用ふるもの多きに付旅券出願者に対し綿密調査相成度旨各地方長官警視総監へ通牒せり。
一、大正元年八月中新嘉坡渡航婦女にして領事発給の証明書を提出せずして旅券を願出るものに対しては醜業の目的を以て渡航する者に非ざるや否や将又領事発給の在留証明書を提示する場合に於ても事実の真相を究めたる後旅券交付相成度旨各地方長官に通牒せり。
一、大正七年一月中支那各地に於ける邦人醜業婦にして相当の居を構へ料理業を営むものの如きは兎も角満洲各地に於ては不体裁極まる場屋に於て専ら下級外国人を顧客とし醜業を営むもの多き為め過般奉天に於て開催せられたる領事館会議に於ては右様の醜業者は其営業状態を改善せざるに於ては本年末迄に之を禁絶することに決議の次第有之たるに付今般在満洲各領事官及各分館主任に対し右決議の趣旨実行方訓令置きたるを以て貴管内に於て右等下級醜業婦ある場合は右の趣旨に依り相当措置相成度旨在支各領事官に訓令せり。
一、同月中在満州邦人醜業婦人取締に関し奉天領事官会議に於て決議事項第五不正営業の取締に関する件の五として決議の趣旨を適当と認むるに付右実行相成度旨在満州各領事に通牒せり。
一、大正九年一月中醜業婦人の海外渡航に対しては今後特に厳重取締相成度旨警視総監各地方長官及拓殖局長官に通牒せり。
一、大正十年六月中邦人醜業婦の多数海外に在ることは我国の体面上面白からざるは勿論之が為めに我国民の堅実なる海外発展を阻害する所以なるを以て最近在新嘉坡山崎総領事代理の為せる如く一定の期間を定め全部はいぎょうせしむるか若し能はざれば当該地方官憲に対し新規営業の許可を与へざる様連絡を保ち現に営業する者は機を見て廃業せしむるが如き漸減主義を採るか何れにしても各地方の事情を参酌して一定の方針を確立し之に拠って醜業者の絶滅を計るべく尚ほ此際適当なる具体的廃娼実行方法を立案し報国すべき旨在外各公館長へ訓令を廃〔ママ〕せり(別紙写の通)(2~4画像目)

在外公館に於ける取締状況
新嘉坡
大正六年中我領事は醜業婦誘拐に対し鋭意取締をなし被誘拐者を発見せること夥し。(10画像目)
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https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B04122144900

その他の誘拐
明治四十一年九月七日接受 主管通商局 ※1908年
香公第一九五号
外国船乗組本邦船員取締に関する件

従来本邦人にして確たる目的を有せず漫然当地に来て直に糊口に其都度当館の保護を求め来たるもの、尠くとも一週二三名を下らざる有様に之有り候。右の中外国船々員として本邦より傭はれ来る者の如きは、何れも無教育のものにて外国語に通ずるものは無論皆無、従て大抵本邦に於ける船員紹介所の甘言に欺かれ彼等の信ずる所は実際の契約に反するを知らず、突然当地に於て解傭せらるゝ不幸に遭遇するものにして、其都度当館は当該船長に交渉せるも、実際の契約文を見るに皆な乗組員の陳述と異るに依り、該船長等に対し何等抗議の理由之無し。現に六月十六日澳国汽船カメタ(Cameta)号乗組員堀部外二名解傭の如き最近の一例にして、亦本月二十四日露国汽船ソペルニック(Sopelnic)号乗組員川崎外五名の者も突然当地に解傭せられ候。察する所外国船の邦人を傭入るゝは一時の間に合せに過ぎずして、初より当地の如き清人雇入の便ある地に於て給料其他の関係上之と更代せしむるの意あるものと信ぜられ候。
右の次第にして、当地の如き船舶の出入瀕繁なる地に在ては今後斯る場合の続々相生ずる恐之有り、為めに館務の煩雑と相成るのみならず一日も早く此等の弊害を艾除せざれば在外邦人取締上種々の不都合を生ずるの虞之有り候に付、門司、神戸横浜等船舶の輻輳烈しき各港当該官庁へ御厳達の上、此等不正船員紹介所取締方可然御移牒相成候様致度、此段申進候敬具。
明治四十一年八月二十七日
在香港
副領事船津辰一郎
外務大臣子爵寺内正毅殿
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B11092265800


福岡日日新聞 1913.10.16 (大正2)

訴訟の自然増加

過般管内視察後長崎控訴院に於る所長検事正会議に列席し十三日帰福したる能勢福岡地方裁判所長は最近の法況に関し左の如く語れり・・・

犯罪の種類県下の各地が活動力に富める事は今次視察の際にも感得したる所なるが管内に於て最も目立って見ゆる犯罪は殺傷罪と誘拐罪の多き事之れ也殺傷罪は各種犯罪中普通第五位又は第六位なるを常とするに管内に於ては実に窃盗罪に次第二位を占め居れり然し其動機は極めて淡泊なるもの多し又誘拐罪は門司其他開港地を有せる結果なるべし云々

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10119696&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA


法律新聞 1916.1.8 (大正5)

大正四年度東京監獄在監人月別

東京監獄典獄 本名瀬礼助君談


略取及び誘拐四月男四人、五六月男各三人七月男四人、八月男二人、九月男三人、十月男二人、女一月乃至九月無、十十一月各一人。

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10064701&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA



東京朝日新聞 1921.9.7 (大正10)

受刑者罪名別

司法省調査に依る七月末現在在監者は男四万四千四百五十四人女一千五百十人総計四万五千九百六十四人にして前月抹に比し四百二十一人の減前年同期に比し四千百三十八人の減少なる事は既報の如くなるが之れを罪名別に示せば左の如し


△略取及誘拐男百二十一人女九人計百三十人

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10065313&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA


大阪朝日新聞 1919.4.8 (大正8)


平和来で犯罪増加

争われぬ北九州の徴候

欧洲戦乱の終局に次いで講和会議の実現と共に北九州に於ける諸工業に大影響を及ぼしたる結果罪を犯す者増加したる徴候あり当局にては極力之れが検挙に努めつつあるも未だ実績を挙ぐるに至らざるが小倉署に於て三月中の取扱件数実に二百七十二件に達せり其内訳は左の如し(小倉発)


 強盗一、窃盗一六八、殺人一、傷害一一、失火三、詐偽二四、横領一〇、賭博五、猥褻姦淫二、誘拐、臓物故売一三、文書偽造一〇、其他刑事二五

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10065489&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA


東京日日新聞 1913.11.16-1913.11.21 (大正2)

見た儘の南洋 (一〜五)

在馬来半島 藤田天民

(一) 南洋の職業は何(上)(四) 名物の醜業婦(上)

高い処では喜摩拉椰の山腹、広い処で西比利の原野、日本醜業婦が到らぬ地はない、けれどもジヤパニース、ムスメの名が世界に轟き、新刊英語字典の中に載せらるるまでに至ったのは、欧亜の通路、世界の公道たる南洋諸港に陣取って黒白の人種、万国の族客を相手に公々然醜業を営むからであろう、彼女等は和漢洋折衷、那処にも類のない一種異様の服装(猿芝居のお姫さま)をなし、筆太に番号を記した楼下に椅子を列べ、英語馬来語打交ぜて行人を呼ぶさま奇異とも醜怪とも形容する□がない、私娼密売なら左ほど目立つまいけれど是はレジスタードと云い、ライセンストと云い、官許の公娼、しかも最も繁華な街□に開業しているのだから堪まらない、一夜五弗ショート、タイムニ弗という相場、支那人が常得意、白皙人にも商えば印度馬来人にも売る、原産地は九州方面、長崎天草が本場、バッテンでなければ幅がきかぬ、近年密航取締□行とあって、補充途絶え、老婆ばかりかと思の外、いずれも妙齢の女子、十五六歳と見ゆる者も少くないとの事、是はチョット不思議なようで不思議にあらずだ、香港行新嘉坡行と云えば、旅行券も必要、其筋の注目も厳しいが、支那行と称すれば、余り六ケしくない、(上海にも漢□にも日本茶館閉鎖以来醜業婦なし)であるから堂々と上海行の切符を買い郵船会社の欧洲行メールに乗込み揚子江の下流か□淞あたりで我敵は本能寺と出掛け、船賃を継続せば那処へでも自由である、現に先頃の郵船にも七八名の女客は確にソレと見えたが果して新嘉坡に着くと忽ち買手が現れ其中の二女一名六七百円に売買調談、四十ばかりの引率婆が十円札百余□帯に□んで帰□したと云う、□品はビーナン、コーラ、□ボー、其他の方面の紹介者に売渡されたであろう、□船諸港の水上署は□□がない、殊に門司警察なんと警部巡査七八名も剣□を緊握しながら、船内限なく捜査を行うが炭庫水槽さては暗□船底に隠れて密航するのは古手な方法、今では最も合法的手段を取り、警察官がノースの尖を掠て平然たるもの此種の密航婦、ではない公航婦も大抵皆欺かれて父母の国を去るので、羅漢相手の辛い勤め、サン泣いて暮すだろう、救済せではと義侠心を動かす日本人士も多いが、

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00501208&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

韓国併合時の全権委任状・条約案は日本の自演

以下示す通り、韓国併合条約時の全権委任状と条約案は日本側が事前に用意して、「これを使え、これでいこう」と韓国側に手渡した。
ここでは「韓国併合始末」という併合経緯をまとめた文書を引用して説明する

韓国併合始末とは
1910年11月7日 寺内正毅朝鮮総督が桂太郎首相に提出
同年11月21日 桂が天皇に提出
https://www.digital.archives.go.jp/img.pdf/2366443

1910

816日 

寺内正毅韓国統監が李完用韓国首相を統監官邸に呼ぶ。併合交渉開始

 

この日、寺内が李に示した覚書

「茲(ここ)に両国相合して一と成り彼我の差別を撤去し以て韓国の統治機関を統一・・・韓皇陛下は時運の趨勢に鑑み自ら進むで其の統治権を我が天皇陛下に譲与せられ其の位を去りて将来万全の地位に就かるべく」(韓国併合始末・8画像目)

818

 

 

 

 

寺内が李に条約案・委任状案を提示

「(寺内は李に)条約案を提示して之に詳細の説明を加へ、尚ほ韓国皇帝は内閣総理大臣を条約締結の全権委員に任命せらるるを以て正式の順序と為すが故に左案の趣旨に依り勅命(=委任状)を発せらるべき必要あることを告げ置けり」(韓国併合始末・1819画像目)

 

寺内が示した委任状案

「朕東洋の平和を鞏固にせむが為日韓両国の親善なる関係に鑑み相合して一家となるは相互万世の幸福を図る所以なるを念ひ茲に韓国の統治を挙げて之を朕が最も信頼する大日本国皇帝陛下に譲与することに決したり依て必要なる条章を規定し将来に於ける我皇室の安寧並に生民の福利を保障せむが為め内閣総理大臣李完用をして大日本帝国統監寺内正毅と会同し商議協定せしむ」(韓国併合始末・19画像目)

uiio

822日 

実際の委任状の日付がこの日「隆熙四年八月二十二日」

寺内が示した案とほぼ同一文面であることが分かる。

委任状

同日、併合条約調印

 

 







































ちなみに「委任状」についても誤解があるようだが、委任状とは

全権委任状


外交交渉、特に条約締結の権限をもつことを公に証明する、政府または元首からの公文書(デジタル大辞泉)


条約法に関するウィーン条約


第七条(全権委任状)


1 いずれの者も、次の場合には、条約文の採択若しくは確定又は条約に拘束されることについての国の同意の表明の目的のために国を代表するものと認められる。


(a)当該者から適切な全権委任状の提示がある場合

つまり、

×相手国にすべてをお任せします。煮るなり焼くなり好きなようにして下さい

自国代表に対して「お前に任せるから国を代表して署名してこい」

この者は全権をゆだねられた人間と証明します、という自国代表に持たせる身分証

 

具体例

日本・カンボジア友好条約(1955年12月9日調印)


日本国政府 外務大臣重光葵

カンボディア王国政府 外務大臣 サムダイ・プレア ノロドム・シアヌーク ウパユヴァレア殿下

 これらの全権委員は、互にその全権委任状を示し、それが良好妥当であると認められた後、次の諸条を協定した。


日本国とインドネシア共和国との間の平和条約(1958年1月20日調印)


日本国 外務大臣 藤山愛一郎

インドネシア共和国 外務大臣 スバンドリオ

 これらの全権委員は、互にその全権委任状を示し、それが良好妥当であると認められた後、次の諸条を協定した。


日韓基本条約(1965年6月22日調印)


日本国 

日本国外務大臣 椎名悦三郎

高杉晋一

大韓民国

大韓民国外務部長官 李東元

大韓民国特命全権大使 金東祚

 これらの全権委員は、互いにその全権委任状を示し、それが良好妥当であると認められた後、次の諸条を協定した。




敗戦前、内地・朝鮮の食糧配分方針「内地第一主義」

関連
植民地朝鮮で米を作らせ内地で食う、朝鮮人には雑穀を食わせる、という政策

上の関連エントリは太平洋戦争以前が中心だが、今回は太平洋戦争後半の朝鮮→内地の米・雑穀輸送についての資料を並べる(米・雑穀以外は扱わない)。ネット上ではあまり無いようなので。

余裕がある時は、あるいは外に対しては「一視同仁・八紘一宇・五族協和・大東亜共栄」などときれいごとを並べた日本だが、追いつめられると、あるいは内部では本音が出たようで、敗戦した1945年の文書には「鮮内の食糧事情に拘らず、内地第一主義」なので朝鮮米を予定通り内地に送る、と書いてある。また「特攻輸送」という単語も出てくる。

それに対して朝鮮総督府側は
・米や麦が不作で供出割当が達成できない
・日本に送る分の米は、朝鮮内の消費を削って確保する
・満州雑穀を送ってくれないと内地向けの米を食べるしかないかも
などと本国に対し繰り返し報告やお願いをしている

「内地第一主義」という言葉はそれ以前からあったようで、一応他の用例をこのエントリの一番下に挙げるが、今回の食糧問題関連ほどの悪意は感じられない。ちなみにアジア歴史資料センターで「内地第一主義」で検索するとヒットしないが、これは他意があるのではなくて、文字読み取り精度の問題だろう。

以下文書を並べるに際し、そこで出てくる要説明単語
「移出・移入」=植民地←→内地
「輸出・輸入」=外国←→日本
「買上」=ただの買い物お買い上げではなく、供出割当が事前に決まっていて、それに対して代金は払いますよということ。つまり農家の意志に関係無い強制買上

朝鮮及台湾ノ現況/2 朝鮮及台湾ノ現況の2

一五、食糧需給状況
(一)朝鮮
朝鮮に於ける昭和二十米穀年度食糧需給状況を見るに・・・本年度の過剰高は九十九万二千石となる。
右過剰高九十九万二千石と満洲雑穀二百万石を輸入することとに依り、本年度に於ける鮮外供出高を三百万石(内軍用米百万石)と策定せり。尚内地食糧事情緊迫化に鑑み右の外、更に雑穀の早場操作に依り五十万石を増加すべく努力することに協定せり
本年度朝鮮に於ける米及雑穀の買入状況は、計画数量に対し米九〇%雑穀八〇%程度に過ぎず、例年に比し極めて不振なるのみならず、麦類の生産予想に関しても天候肥料事情等に鑑み必ずしも楽観を許さざるものあり。又満洲雑穀の輸入も未だ計画数量の三分の一にも達せず、斯くて本年度鮮内に於ける需給は一段と窮屈化すべきものと予想せらる。又内地に対する移出は十一月以降三月迄約三十万石に過ぎず、現下我国に於ける食糧事情に鑑み前記既定計画数量の移出は万難を排し之を達成すべく目下輸送其の他に付各般の措置を講じつつあり

(二)台湾
(省略)

一六、最近五ヶ年間の外地米の内地移出状況及其の減少の理由
最近五ヶ年間に於ける朝鮮及台湾より内地に移出せる米の数量は左表の如し
米穀年度朝鮮台湾
昭和15429千石2,855千石
仝163,6811,958
仝175,6451,896
仝181,809
仝19(見込)3,292(見込)1,160

即ち朝鮮に於ては、昭和十七年に於ける大旱魃に引続き十八年度及十九年の旱魃凶作に因り、主要食糧たる米は平年作の二千二百万石に対し七、八百万石の生産減少を来したる。外米と略々仝(=同)量の消費量を有し且移出米の身代りとも為るべき麦類及雑穀も、米同様生産減退を来しつゝあるのみならず最近満洲国よりの輸入減少せる等、是等主として生産部面に於ける減少と他面人口増加・軍需産業の勃興に伴ふ一般消費の自然的増加並に軍用米の供出増加等に因り、内地に対する移出米は近年減少の一路を辿(?)りつゝある実情なり
台湾に於ても(以下略)

一七、食糧の蒐荷配給制度
(一)朝鮮
朝鮮に於ける食料蒐荷の方法に付ては先づ植付前に供出割当を行ふ。その経路は総督府は道に、道は郡に、郡は邑面と云ふ如く系統的に行ひ、末端の邑面に於ては生産者及地主の収穫高又は収納高並に其の家族構成等を基礎として部落を通じ之を行ひ、供出に当りては生産者及地主は朝鮮食糧営団(昭和十八年十月五日設立 資本金三千万円 内政府出資一千万円 本部を京城府に 各道毎に支部を設く)を通じ政府への売渡の委託を為し、営団は遅滞なく之を政府に売渡すものなり。而して食糧の種類は内地と異り朝鮮の特殊事情に基き米穀、大麦、裸麦、小麦及粟の外、其の他の雑穀及是等の加工品並に甘藷及馬鈴薯等、殆んど食糧作物の全般を網羅しあり。
配給に付ては原則として政府より朝鮮食糧営団に払下げ、営団は総督の定めたる配給計画及道知事の具体的指示に基き、之を小売商組合に売却し小売商組合は之を家庭に配給す。尚配給上必要ある場合は、政府又は営団自ら或は委託の方法に依り食糧の製造、加工を行ふ制度あり。又鮮外の輸移出入に付ては原則として政府の委託に依り営団之に当るも、内地移出米の如きは営団が政府米の払下げを受け之を内地の中央食糧営団に直接売却する建前を執る。

(二)台湾
(省略)

外務省外交史料館 本邦内政関係雑纂/植民地関係 第六巻
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B02031291700(7~10画像目)

朝鮮より軍用米の供出に関する件

陸軍次官より拓務次官企画院次長へ通牒(陸支密)

昭和十五米穀年度間朝鮮より陸軍所用米五十万石の供出方に関し、予(かね)てより格別の御配慮を煩し感謝致し居候(おりそうろう)
然る処最近陸軍は右五十万石の供出を必要とせざるものの如く誤伝せられある趣(おもむき)なるも右五十万石は派遣軍への追送用として絶対必要なるものに之(これ)有り、依然朝鮮よりの供出を強く要望しある次第に付、御承知相成度(あいなりたし)。
尚五十万石の内、供出不能部分之有るときは他より供出補充を受くる必要あるに付此の点併せて御含み置き相成度候
追て本件に関し朝鮮政務総監宛通牒写別紙の通為念添付申上候
陸支密一八三二号 昭和十五年六月八日

「写」印 (在東京朝鮮総督府事務所経由)
陸支密第一八三一号
朝鮮より軍用米の供出に関する件通牒
昭和十五年六月八日 陸軍次官
朝鮮政務総監殿

昭和十五米穀年度間貴府管内より陸軍所用米五十万石の供出方に関しては、予てより格別の御配慮を煩し感謝しある次第に之有り候。然る処本件に関し過日貴総督閣下と陸軍大臣との御懇談の結果、陸軍は右五十万石の供出を必要とせざるものと御諒解相成居(あいなりお)るやに伝へられある趣なるも右五十万石は派遣軍への追送用として絶対必要あるものに之有り、而して右懇談の際陸軍大臣より貴総督閣下に御答へ申上げたる真意は「物動計画上、関係各庁間に於ける決定事項として、予てより軍需供出予定の五十万石は之を必要とするは言外とし、右の外(ほか)更に軍用米の追加供出方を要求しありやとの御質問と解し、最近新追加に就ては陸軍は要求せざる旨」を申上げたる次第に付、御諒承願度(ねがいたく)為念(ねんのため)御通牒申上候(もうしあげそうろう)
尚予て依り供出方御願しある五十万石の内、若干にても供出不能の場合は、他より之が供出を受くるにあらざれば派遣軍の給養を確保し得ざる実状に付、貴府管内よりの供出促進方に関しては引続き深甚なる御配慮賜り度(たし)。而して若し全量の供出不能の場合は当方に於ても前述の如く速急に之が対策を講ずる必要之有るに付、此の際貴府管内よりの供出可能見込数量及月別区分に関し、至急御回示相煩度候也(あいわずらわしたくそうろうなり)
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C04122130000

管殖第九号
昭和二十年一月十一日
朝鮮農商局長
管理局長宛

糧穀の供出に関しては小官帰任以来更に鋭意督励を加へつつあるも、秋落に依る減収予想外に大にして各道共(とも)割当量の供出確保に苦心を重ねつつあり。就中主要米産地帯たる黄海、京畿、全北の各道にありては此の傾向特に顕著にして、供出後に於ける農村の食糧事情は既に相当窮迫を告げつつある状況にして、割当量の全量確保は目下の情勢にては至難なる情勢にあり。右関係方面に対しても可然(しかるべく)御連絡乞ふ。
尚十二月末現在買上実績次の如し。
 米8,056千石(割当に比し76%)
 雑穀1,719千石(〃56%)
前年同期
 米11,083千石(〃93%)
 雑穀1,647千石(〃75%)
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050484000(40画像目)

電報訳文(二〇、一、一二)
朝鮮農商局長
管理局長殿

本年度に於ける糧穀供出状況は、官民挙げての努力に拘はらず不振にして、加ふるに農村に於ける食糧事情は相当逼迫の情勢にあるを以て、実情調査の為此の際至急杉野事務官及相川技師の出張方取計相煩度(とりはからいあいわずらわしたし)。尚旅費は当方支弁致すべきに付、了知乞ふ。
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050484000(37画像目)

電報訳文(昭二〇、三、六)
朝鮮農商局長
管理局長宛

最近の食糧事情に関する件
糧穀の集荷に関しては曩(さき)に二月現在の実績を電せる通(とおり)。秋落の意外に甚大なりし為、官民一致の努力にも拘らず其の成績不振にして、今後の集荷に凡(あら)ゆる努力を払ふも米、雑穀を合せ計画に対し約一割の買上げ不能は止むなき情勢にして、之が対策に就ては目下種々腐心中なるに付、御了知乞ふ。一方満洲雑穀の輸入実績(前年度ズレ一四千瓲を含まず)は二月末日現在六三千瓲にして、二月末日迄の計画に対し三七%、年間計画に対しては僅か二〇%に過ぎず。今日迄は内地の了解の下に移出麦の一部転用と軍用麦の貸与を受くる外、鮮産雑穀を極力充当し暫く切り抜けたるも、今後は専ら満州雑穀に依存するの外なく、之が輸入は睫眉の急を要する為、近く小官渡満の上直接折衝する所存なるが、関係各方面に対しても之が促進方御高配相煩度御依頼申上ぐ。尚昨秋播種せる麦は近年稀なる寒気の為一部枯死するもの等予想せられ麦作に就ても危惧せらるる情勢にあるを以て御含置(おふくみおき)乞ふ。
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050484000(23画像目)

昭和20年3月6日発送済
電報案
管理局長
朝鮮農商局長宛

鮮米移出に関する件
貴地に於ける糧穀供出に付ては実に並々ならぬ御尽力の趣承知致居候処(いたしおりそうろうところ)、最近内地に於ては特殊用米の激増等に因る需給の逼迫化に鑑み、米穀の再供出、人口整理、配給量の改訂、防空用備蓄米の充当等、特段の措置に依り之が補填対策に腐心中なるも、輸送事情に基く満洲雑穀の輸入減少並に台湾米の移入見込薄となりたる此の際、内地に於ては朝鮮米に期待する所愈々(いよいよ)切実なるものあるに付ては、貴地に於ける供出並に内地移出に関し、更に一段の御尽力相煩度(あいわずらわしたし)。又満州雑穀の輸入並に鮮米の内地移入は、最近鮮内貨車繰の不円滑に伴ふ輸送事情に因り、著しく阻害せしめられつつある趣なるが、差当り輸送の緊急具体策を樹てられ之が促進に関し御尽力相煩度。
今後の鮮米対策に付(つき)打合の為、近く当省及農商省より係員を夫々(それぞれ)派遣せしむる予定https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483200(90画像目~)

電報訳文(二〇、三、一三)
在新京 朝鮮農商局長
管理局長宛

本年度満州雑穀の輸入状況は、二月迄の計画一八三千瓲(トン)に対し通関実績僅(わずか)に七七千瓲にして三月への繰越一〇六千瓲となり、更に三月分計画七二千瓲を加ふる時は三月の要輸送量は一七八千瓲となるを以て、右を三、四の二ケ月間に於て輸入せざれば内地向朝鮮米の移出計画にも影響する虞(おそれ)ある(※1)を以て、目下極力満州と交渉中なるも、結局は中央に於て開催せらるる第一・四半期の大陸輸送計画策定会議にて決定せらるる計画に認められざれば実行困難に付、右事情陸軍省、参謀本部其の他関係方面に御連絡の上、左記の通輸送の枠獲得方御取計乞ふ。
 四月 95,000瓲
 五月 95,000瓲
 六月 56,000瓲
右数量中には海上輸送を含み、又目下(もっか)の輸送情況より察し十九年度四半期の繰越見込数量を含む。
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483200(85画像目)

※1 満洲から雑穀が来ないと、朝鮮では内地移出用の米を食うしかありません、の意味

昭和20年3月15日発送済
電報案
局長
朝鮮農商局長宛

鮮米移入に関する件満州雑穀輸入に関しては目下関係各方面と折衝中なる処、今般鮮米の内地移入に関し集荷地より移出港迄の輸送を軍事輸送とし(※1)四月中に四四、〇〇〇屯移入方決定せるに付集荷地別数量折返し回電あり度。尚積出港は可及的郡山港を希望す。
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483200(76画像目)

※1 他に優先して輸送するということか

昭和20年3月17日発送済
案の一
局長
陸軍省整備局長 軍需省動員部長宛

満州雑穀朝鮮輸入に関する件
首題の件に関しては特段の御高配を賜りつつある処なるが、本米穀年度朝鮮に於ては二、〇〇〇千石(約三三〇千瓲)の満洲雑穀を輸入し以て略々(ほぼ)同量の鮮米を内地に移出することに協議決定し鋭意努力中なるも、二月末迄の輸入状況は計画一八三千瓲に対し実績七七千瓲にして差引三月への繰越一〇六千瓲と相成(あいなり)、更に三月分計画七二千瓲を加ふる時は三月の要輸入量は一七八千瓲と相成る実情に之有り候。而して右数量を此の際三、四月中に輸入せざれば鮮内に於ける米穀の消費量は計画以上に増大するは必至にして、従って内地向鮮米移出にも必然的に影響(※1)することと可相成(あいなるべく)を以て、今般(こんぱん)朝鮮総督府より右の実施方要請之有り候条(そうろうじょう)、事情御了承の上特段の御協力相煩度候。
尚右一七八千瓲を三、四月中に於て輸送実現困難なる場合は第一四半期の大陸輸送計画に於て左記の通輸入確保方ご協力相煩度、併せて依頼に及び候也


四月 九五、〇〇〇瓲
五月 九五、〇〇〇瓲
六月 五六、〇〇〇瓲
備考 右数量中には海上輸送をも含むものとす

案の二
局長
食糧管理局長殿 宛

満州雑穀朝鮮輸入に関する件
首題の件に関しては特別の御高配を賜りつつある処なるが輸入状況は二月末迄の計画一八三千瓲に対し其の実績七七千瓲にして差引三月への繰越一〇六千瓲と相成、更に三月分計画七二千瓲を加ふる時は三月の要輸入量は一七八千瓲と相成る実情に之有り候。而して朝鮮総督府に於ては右数量を三、四月中に於て輸入せざれば内地向鮮米の移出にも必然的に影響することと可相成を以て右の実施方要請之有り候条、事情御了承の上御配意相煩度候。
尚右一七八万瓲を三、四月に於て輸送実現困難ある場合は第一四半期の大陸輸送計画に於て左記の通り確保方御配意相煩度併せて依頼に及び候也


四月 九五、〇〇〇瓲
五月 九五、〇〇〇瓲
六月 五六、〇〇〇瓲
備考 右数量中には海上輸送をも含むものとす
(註)本件軍需相及食糧管理局へは口頭を以て一応説明(?)交渉中なり
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483200(78画像目~)

※1 満洲から雑穀が来ないと、朝鮮では内地移出用の米を食うしかありません、の意味

電報訳文(二〇、三、二三)
朝鮮農商局長
管理局長宛

鮮米移出に関し一七日付貴電拝承
(一)四月中四四千屯の軍事輸送に付ては一八日野鉄朝鮮司令部と配車取り極め済。集荷地別数量別途文す。
尚四四千屯は当方四月分移出米は今般全量軍事として輸送する方針なりや折返し電乞ふ。
(二)四月中港別積出可能量(単位千石)
群山250 
木浦80
麗水60
仁川30
海州15
鎮南浦10
計445
(註)第一項に付ては今後内地向鮮米の輸送は全量軍事輸送とする旨経済課より回答せり。

昭和二十年三月十八日
朝鮮食糧営団 理事長渡辺忍
大陸鉄道司令部朝鮮支部長殿
四月中内地向移出鮮米輸送申込書
(表は省略)
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483200(74頁)

20・3・27発送済
電報案(親展)
管理局長
朝鮮農商局長宛

昭和十九年産糧穀の買上成績は官民一致の努力に拘らず諸種の事情に依り米雑穀共相当の買上未済数量を生じたる処、鮮内調整を図ると共に内地移出数量の絶対確保の要請に対処し(※1)今後の食糧需給対策に関して鋭意考究実施中のことと思料せらるるも、其の措置概要並に見透承知致度折返回電乞ふ。
尚三月十日及二十日現在買上実績併せ回電乞ふ
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050484000(15・16
画像目)

※1 不作なら不作なりに朝鮮での消費を節約するとか、色々努力して内地向け移出分は絶対確保しろよ、の意

電報訳文(二〇、四、一)
朝鮮農商局長
管理局長殿

一六日付管殖第一一一号満洲雑穀輸入に関する貴電了承。満州雑穀輸入に対する鮮内貨車繰に付ては、之が確保に付万全の措置を講じつつあり。其の状況左記の通にして、実質的影響極めて僅少にして寧(むし)ろ輸入の遅延は現地に於ける諸事情によるもの多き様思料せらるるに付、御了承相成度。
尚満州雑穀輸入促進に付ては先般小官渡満現地に於て折衝せるも、尚中央に於かれても之が確保に付格別の御配慮相煩度。


(一)満鉄貨車の鮮内入込みは常時二七六〇車を認むる協定なるが三月中入込み平均三一〇八車にして借越は三四車にすぎず。
此の程度の波動〔ママ〕は従来とも普通のことに属し満鉄に於ける輸送力に及ぼす影響僅少にして之れが為輸入遅延の事由とはならざること
(二)鮮鉄の糧穀輸送制限は客年一二月●日以降五日間、本年一月一〇日以降六日間局用炭不足の為輸送制限せるも其の制限数量概算三一三六屯程度の量にして其の影響極めて少なること。
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483200(71画像目)

電報訳文(二〇、四、一)
朝鮮農商局長
管理局長殿

満州雑穀の輸入に関しては種々御高配を賜はり感謝に堪ざるところ、朝鮮としては内地の急迫せる食糧事情に協力すべく全量を五月末日迄に完送することとし目下官民一致努力を傾注し居るも、之が身代りたる満洲雑穀の輸入は極めて不振なるを以て、先般小官渡満各関係方面へ種々折衝輸送増強計画に付諒解を得たるところなるも、其後三月一日より二五日迄の通関実績は二九千屯にすぎず。此の儘にて推移せば三月の輸入三五千屯(計画に対し五〇%)程度に留まるべく誠に憂慮に堪ざるものあり。就ては満州雑穀の輸送も移出鮮米同様軍貨輸送とするに非ざれば到底所期の目的達成は困難(※1)と思料せらるるに付、各関係方面と御連絡の上右雑穀も至急軍貨輸送として取扱方御配慮相煩度、特に御依頼申上ぐ。
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483200(68画像目)

※1 内地への米輸送は軍事輸送だったが満州から朝鮮への雑穀輸送はそうではなかった、扱いに差があったことがわかる。

昭和20年4月4日発送済
電報案
局長
朝鮮農商局長宛

満州雑穀輸入に関し、目下上京中の満州国係官より朝鮮向総額三三二、〇〇〇屯とし六月末迄に完送の計画にして、三月迄の積出実績一七一〇〇〇屯と見込み年間計画三三二〇〇〇との差額一六一〇〇〇に対しては四月七〇〇〇〇五月六〇〇〇〇、六月三一〇〇〇の荷繰可能なるも、之がため包装麻袋の増送方要請ありたるを以て、内地在庫の湾米及砂糖空麻袋の徹底的動員を策することに略々(ほぼ)決定せるに付、荷受態勢に万全を期せられ度(たし)。
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483200(65画像目)

「写」印 
昭和二十年四月五日
朝鮮総督府 農商局長
内務省管理局長殿

食糧事情に関する件
昭和二十米穀年度の食糧事情並に之が対策別紙の通送付すべきに付御了知相成りたし

昭和二十米穀年度の食糧事情並に之が対策
十九年産米及雑穀の買上状況に関しては其の都度報告申上げたる処なるが、本年産米の実収高は収穫期前に於ける早冷害予想外に甚大なりし為、予想収穫高に比し更に相当の減収を見る等の次第もあり、買上に対する官民一致の努力にも不拘(かかわらず)計画に対し米に在りては約一二〇万石雑穀に在りては六〇万石合計一八〇万石の買上不能はまぬがれざる状勢に在り。然るに戦局の推移に伴ふ内地の食糧情勢に鑑み、鮮内食糧事情如何に不拘内地第一主義に依り五月中には移出米の完送を必期すべく目下鋭意之が蒐荷に努力中なり。而して右買上不足に伴ふ補填対策としては●々攻究の結果次の如く各部面に亘り消費の節減を図り(※1)之が実行に努めつつあり

一、加工用及酒造用 100千石

100千石

二、青少年特配(半減)

200千石

三、飼料用

30千石

四、業務用(外食券制度施行攻究中) 

40千石

五、労務者特配 

150千石

六、買上不能道の農家調整用の徹底的圧縮 

700千石

七、幽霊人口の整理

200千石

1,420千石


https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050484000(73・74画像目)
※1 朝鮮での配給を絞ってます、の意

無141題

電報訳文(二〇、四、六)
朝鮮農商局長
管理局長殿

三月二十九日付管殖九電照の件
糧穀買上不能分に付ては鮮内需要高の節減、早場米の買上強化等により辛うじて調整し得る見込なるも、戦局推移に伴ひ酒精原料、主要都市の非常備蓄、鮮内部隊等現下の情勢上真に止むを得ざる需要増もあり、加ふるに本年参麦の越冬状況は其の後懸念すべき情勢濃厚となり、食糧需給の見透は相当困難なる実情にあるを以てお含みを乞ふ。追て之が詳細別途送付せしに付、御了知ありたし。

尚一〇日現在の買上実績
米9,470千石 計画に対し89.8%
雑穀2,538千石 計画に対し80.6%

電報訳文(二〇、四、一六)
朝鮮農商局長
管理局長宛

三月三十一日現在糧穀買上実績
米 9,489千石(割当10,540に対し90.0%)
雑穀 2,576千石(割当3,140に対し81.8%)
前年同期
米 11,656千石(100.0%)
雑穀 2,035千石(92.1%)

電報訳文(二〇、四、二七)
朝鮮農商局長
管理局長宛

昨今に於ける麦の作況は未曽有の寒気と三月の降雨に因る湿害とに依り全鮮的に甚だしく不良にして現在の処半作程度を予想せらるるも鋭意肥培管理により減収防止に努めつつあり。
右一応報告す。尚農商省にも然るべく御連絡を乞ふ。
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483900(36画像目)

電報訳文(二〇、五、二)
朝鮮政務総監
管理局長殿

朝鮮向満洲雑穀の軍貨輸送取扱方に付ては三月二十九日電報を以て御依頼致し置きたる処にして種々御配慮相煩し居るものと思料するも、其の後の輸入実績は依然として不振にして四月二十四日現在輸入累計は僅かに一六四千瓲(計画総量の五割)に過ぎず、為に鮮内食糧操作上困惑致し居るのみならず麦作の不良と相俟って前途真に憂慮に堪へざるものあるを以て、別途政務総監より陸軍次官宛軍貨輸送取扱ひ方御願ひ致し置きたる(※2)に付、各関係方面と御連絡の上至急之が実現方御配慮相煩し度く重ねて御依頼申上ぐ
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483200(50画像目)

※1 満洲→朝鮮の雑穀輸送を軍事扱い(優先扱いということか)にしてくれと以前頼んだけど、全然改善されないんだがどうなってんだ?の意
※2 前回の農商局長のお願いじゃ駄目みたいだから、今回はもっと偉い政務総監からお願いしてもらったからな、の意

電報訳文(二〇、五、二)
朝鮮遠藤政務総監
灘尾内務次官宛

現下戦局の推移に伴ひ内地の食糧事情に協力する為、朝鮮としても米の実収減及麦作不良等の事情あるも鮮内の食糧事情に拘らず、内地第一主義に依り曩(さき)に移出米の緊急増送を計画し、五月中に移出米の還送を必期すべく目下鋭意実行中にして、四月二十二日現在港頭滞荷は40万石を突破し居る次第なるが、曩に電せる如く本年産麦は冬季間近年稀なる寒気と催青期に於ける湿害の為極めて憂慮すべき状況にして、忠清南北の如き漸く二分乃至三分作を予想せらるるに過ぎず、為(ため)に麦を唯一の食糧とする農村の食糧不安は春窮期に当面し深刻化しつつあるに加へ、一方満州雑穀の輸入状況は予(かね)ての御配慮にも拘らず三月末現在計画二四一千瓲に対し実績は一一九千瓲にして五〇%に過ぎず、四月に入りての輸入は従来に比し稍々好転せるも尚四月分計画の輸入も困難視せらるる状況にして、之が輸入不振は前述の麦作不良に依る農村の食糧不安に拍車し、現情を以て推移せば折角順調に進捗しつつある移出米緊急増送にも影響する虞(おそ)れ濃厚なるに付(※1)、右御含の上遅くも五、六月中に残量の輸入を完了する様、特段の御配意を乞ふと共に之が緩和策として差当り内地向満洲雑穀にして目下鮮内の滞荷中より所要量を鮮内に振替へ方特に御配慮乞ふ
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483200(54・55画像目)
※1 このままだと本当に内地向けの米食っちまうぞ、の意味

いいい

昭和20年5月5日発送済
電報案
局長
朝鮮農商局長宛

貴電並次官宛電拝承、朝鮮米の内地移出に付ての御尽力を謝す。御来照の件に付ては関係方面と折衝を進めつつあり
追而詳細電する予定なるも差当り左記御了知相成度
一、満洲雑穀輸入の促進に関しては極力完遂方申進むると共に、之が軍貨輸送の取扱方に付ても折衝を進めつつあり(※1)。本件に付大陸輸送京城支部と折衝経過あらば折返し回報乞ふ
二、鮮内滞荷中の満洲雑穀の振替(※2)に付ては農商当局も諒解し本件に付京城所長に司令する所あり、同時に目下新京滞在中の細田外地課長より満洲側にも諒解を進めつつあり。
尚振替希望数量折返し返乞ふ
三、朝鮮米の港頭滞荷処理に付ては、目下関係方面に於て船腹の配置替等に付考究中にして近く決定の見込なり。
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483200(47画像目~)

※1 朝鮮側が農商局長に加えて政務総監からも重ねてお願いして、やっと軍事輸送扱いの件が動き出したことがわかる
※2 内地向けの満州雑穀を、朝鮮で食べていいことにする話

昭和20年5月8日発送済
案の一
局長
食糧管理局長官宛

満洲雑穀朝鮮輸入に関する件
現下戦局の推移に伴ひ内地の食糧事情に協力する為、朝鮮に於ては米の実収減及麦作不良等の事情あるも鮮内の食糧事情に拘らず内地第一主義に依り曩(さき)に移出米の緊急増送を決定し、移出米の完送を必期すべく目下鋭意努力中にして、四月二十二日現在既に港頭滞荷は四〇万石を突破し居る次第に之有り候処、本年産麦は冬期間近年稀なる寒気と催青期に於ける湿害との為極めて憂慮すべき状況に之有る為に、麦を唯一の食糧とする農村の食糧不安は春窮期に当面し深刻化しつつあるに加へ、一方満洲雑穀の輸入状況は四月二十四日現在輸入累計一六四千瓲にして計画総量の漸く半に過ぎず、之が輸入不振は前述の麦作不良に依る農村の食糧不安に拍車し現状を以て推移せば折角順調に進捗しつつある移出米緊急増送にも影響する虞濃厚なるに付、遅くとも五、六月中に残量の輸入を完了する様、軍貨輸送の取扱と致度(※1)。又之が緩和策として差当り内地向満洲雑穀にして目下鮮内の滞荷中より所要量を鮮内に振替方、今般朝鮮総督府より夫々(それぞれ)要請之有り候条、事情御了承の上特段の御配慮相煩度此段依頼に及候也

案の二
局長
参謀本部第三部長 軍需省動員部長宛

満洲雑穀朝鮮輸入に関する件
首題の件に関しては三月十七日付管殖第一一一号を以て御依頼置に及び予てより特段の御高配を賜居候処、現下戦局の推移に伴ひに内地食糧事情に協力する為朝鮮に於ては米の実収減及麦作不良等の事情あるも鮮内の食糧事情に拘らず内地第一主義に依り本年度内地に移出すべき米二百万石に付曩に軍貨輸送に依り緊急増送を計画し之が完送を必期すべく目下鋭意尽力中に之有り候。一方右二百万石の米移出に当っては之が前提として二百万石(三三〇、〇〇〇瓲)の満洲雑穀を遅くとも三月中迄に其の大部分を鮮内に輸入することと相成居候処、四月二十四日現在之が輸入累計は僅かに一六四千瓲にして計画数量の漸く半に過ぎざる状況に之有り、本年度に於ける麦作不良と相俟って朝鮮内食糧操作上真に憂慮に堪へざるもの之有り斯くては折角順調に推移しつつある移出米緊急増送にも影響する虞も濃厚なるに付、五、六月中に右満洲雑穀の残量輸入を完了する様、又之が為軍貨輸送の取扱方に関し今般朝鮮総督府より要請之有り候条、事情御了承の上特段の御配慮相煩度此の段依頼に及び候也(※2)
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483200(44画像目)

※1・2 朝鮮総督府がああ言ってるので、満州→朝鮮の雑穀輸送を軍事輸送扱いにしたい、それでいいですか、の意。最初の要請からひと月以上経ってやっと本国が動き出したことが分かる
GYG

昭和20年5月7日発送済
局長
食糧管理局長官宛

朝鮮に於ける昭和二十年度食糧事情並に之が対策に関する件
朝鮮に於ける昭和十九年産米及雑穀の買上状況は、同年産米の減収等に累せられ官民一致の努力にも拘らず計画に対し米に於て約百万石及雑穀に於て約六十万石、合計約百六十万石の買上不能は免れ得ざる状況に之有り候。戦局の推移に伴ふ内地食糧情勢に鑑み鮮内食糧事情の如何に拘らず内地第一主義に依り移出米の完送を必期すべく目下鋭意之が集荷に努力中に之有り候処、右買上補填対策としては青少年特配、労務者特配、幽霊人口の整理、買上不能道の農家調整用の圧縮等に依り百四十二万石の消費節減を図るの外、極力早場米の買上強化、藷類の増産等に因り概ね切抜に鋭意努力中に之有り候。然るに戦局の推移に伴ひ
(一)酒精用、ブタノール原料 三〇〇千石
(二)主要都市備蓄 二〇〇〃
(三)鮮内部隊用 一六〇〃
合計 六六〇〃
等現下の情勢上真に已むを得ざる需要増も之有り、加ふるに本年産麦の越冬状況は厳寒期に於ける稀有の寒害並に催青期に於ける異常の湿害を蒙り極めて憂慮すべき状態にして就中忠清南北両道の如き漸く二分作乃至三分作程度を予想せらるる如き状況にして為に麦類を唯一の食糧とする農村の食糧ふあんは春窮期に当面し漸次深刻化しつつありて本年度下半期に於ける食糧需給の見透は相当憂慮すべき実情に之有り候条、右御諒知置相成度(あいなりたく)、此の段通報に及び候也。
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050484000(65画像目)

昭和20年5月8日発送済
電報案
局長
朝鮮農商局長宛

満洲雑穀(の朝鮮への)輸入に関し、之が促進方参謀本部に要請の処、貴地事情を了解参謀本部より関東軍主任参謀宛之が促進方連絡することとなれり。尚軍貨輸送取扱は目下の処速急には出来難き事情ある(※1)も可成(なるべく)速なる機会に於て実現せしむる様努力することに諒解せり。鮮内滞荷中の満洲雑穀の振替に付ては、関東軍の意向は無視し得ざる(※2)も参謀本部としては貴地実状諒解の上極力貴意に副(そ)ふ様努め度き以降なり。尚今後関係方面との折衝上必要に付、満洲雑穀輸入状況、鮮米の港頭集積及積出状況当分の局日報を以て御報告相成度https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483200(41画像目)

※1 内地向け米は軍事輸送扱いにするが朝鮮向けの満州雑穀は駄目、という意味だがその理由は不明
※2 満洲雑穀を朝鮮で食べていいかという話に、満州国でなく関東軍の意向が大事ということ

昭和二十年五月十九日
朝鮮総督府農商局長
内務省管理局長殿
米穀供出対策要綱送付の件

主要食糧の増産及供出の確保に付ては、現下の食糧事情に鑑み之が完遂を図る要極めて緊切なるものある処、最近に於ける農村の情勢は茲(ここ)両三年来の相次ぐ凶作に依り供出に対する農民の負担漸く過重となり却って農民の増産意欲を減殺せしむる虞なしとせざる実情にありたるを以て、本年産米の供出に付ては之が方法を改訂し別紙要綱に依ることと決定せられたるに付、参考迄通報す

電報訳文(二〇、五、二五)
朝鮮 農商局長
管理局長殿

時局の緊迫に伴ひ、内地の食糧事情を考慮して速急に移出米の港頭集荷を完了すべく四月以降努力中の処、最近気温の上昇に伴ひ滞荷品中に変質を来し、応急処分を為せるもの既に三〇千石以上に達し、変質防止に関しては極力努力中なるも、連日の降雨と燻煙薬品不足に加へ保管倉庫の不備等の為、之が万全は期し難く、変質に対しては一般米等を以て振替へつつある(※1)も、目下の鮮内米穀事情より推察するとき一定の限度を超ゆる場合之が置換は不可能となるのみならず、西南鮮方面の近況に鑑み一度滞荷品に被害を生ぜんか、之が補填は新穀に俟(ま)つの外(ほか)なき現状に之有るに付ては、緊急に配船を具体化し現在の滞荷五六五千石(五月十七日現在)の積(?)取方御配慮相煩度
尚既定計画の港頭集荷に関しては一時配車を停止、鉄道沿線の安全なる場所に保管の上配船と睨み合せ緊急に配車する様致度も、関係方面と御連絡の上何分の貴意至急御回示相煩度
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483400(21画像目)
(※1)「一般米=朝鮮で消費する米」という意味なら、変質した内地向け米を、朝鮮で消費する分のまともな米と取り換えて対処している、ということになる

電報訳文(二〇、五、二五)
朝鮮農商局長
管理局長殿

麦作況に付ては曩(さき)に御連絡せる所なるが、先般各道の農商部長を招致し詳細聴取せる処、冬季間長期低温連続に依る寒害、回青期に於ける降雨に依る湿害及三月中旬の低温芽寒湿害の重さなる来襲に依り、被害は予想外に激甚を極め今后肥培管理に最善の努力を払ふも現在の作況を以てせば忠南北両道の如きは生産責任数量の一割にも達せず、全鮮を通じ収穫予想は、三四二七千石にして生産責任に対し三割三分弱、平年作に比するも四割に過ぎざる実状にして目下之が対策腐心中に付御了知相成度。尚作況の詳細は別途文す

「極秘」印
麦類作況
 秋播麦に於ては、一部寡雨の為発芽稍不良なる地帯ありしも、一般に播種並発芽は概して順調に進捗せり。然るに十二月中旬より二月下旬に至る約八十日間、麦の主要生産地帯たる中南鮮地方に於ては降水量極めて寡く、京城に於ける例を挙ぐれば此の間の降水量は僅かに九粍余に過ぎず平年に比し五一粍七(?)少く、南鮮地方に於ても尚平年の二割程度に過ぎざる状態に推移したり。
 此の間全鮮的に稀有の低温連続し、就中中鮮地方に於ては平年に比し平均二度乃至五度過低に経過し、京城の例に見れば最低気温零下十度以下の日数は七十五日にして平年に比し三十六日多く、斯の如き低温連襲を過乾状態に於て受けたる為、特に田作麦に於て生育著しく阻碍されたり。
 而して三月麦の回青期に於て全鮮的に降雨を見、三月中の降水量は中南鮮地方に於て平年に比し尚六、七割程度多く、加之(しかのみならず)解氷期を迎へ雨水の停滞著しく、之が排水、肥培管理に最善の努力を尽したるにも拘はらず予想以上に甚大なる湿害を蒙り、特に畓裏作麦は枯死に瀕する状態となり田作麦と畓裏作麦の作況は全く其の位置を逆転するに至れり。
 更に春暖に伴ひ漸く麦の伸長を示し来りたる折柄、偶々三月中旬再び低温の襲ふ所となり停滞水は凍結し殆ど大半は凍死するに至り、特に畓裏作麦は全滅状態に陥り之が枯死面積約七十五万町歩(五四%)に及び未曽有の惨状を呈せり。
 之等尚残存せる麦類の肥培管理に就ては、現下の食糧情勢に鑑み特に鋭意之に当りたるも、東北鮮地方以外は四月中再び寡雨に経過したる為全般に著しく草丈低く蕾数も亦少くして、生育は十日乃至十五日程度遅延の状態を示しつつあり、目下の処作況は極めて不良にして約三分三厘作を予想せらるるに至れり。
 春播麦に於ては、秋播麦の作況不良に対処すべく之が面積の拡充に努めたるが、播種、発芽共に稍良好なるも引続く低温の為生育遅延の兆あり。
 而して之等麦の廃作せるものに対しては馬鈴薯、春播麦其他雑穀等の栽培を強行し、以て食糧補給の万全を期しつつあり。

昭和二十年麦予想収穫高(精穀単位千石)四月末日現在
道名
生産責任数量
自十三年至十七年五ヶ年平均
昭和二十年産麦の予想収穫高
仝上歩合
対生産責任対五ヶ年平均
京機91861318820.530.7
忠北6485176910.613.2
忠南895701505.67.1
全北98479320020.325.2
全南1,9951,66867033.640.2
慶北1,5401,4665703739.4
慶南1,4321,08980055.973.5
黄海90285836039.941.9
平南41939817742.244.5
平北99184242.433.3
江原396300912330.3
咸南1601391207586.3
咸北1121069080.484.9
合計10,5008,6463,42732.639.6

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483900(21~26画像目)

管殖第一一六号
電報訳文(二〇、六、七)
朝鮮農商局長
管理局長殿

満洲雑穀輸入状況は依然不振にして、農村の食糧事情に鑑み本日政務総監より農商次官宛左の通電せられたるに付、貴官よりも関係方面に御折衝の上宜敷(よろしく)御取計相煩度。

満洲雑穀の輸入促進方に関しては予(かね)てより種々御依頼改置きたる処、今般格別の御配慮に依り内地向満洲雑穀三二千屯の鮮内振替を見るに至り(※1)、雑穀窮迫の折柄洵に感謝致し居る所なるが、五月末現在到着実績は一七〇千にして之に前記振替分三二千屯を加えるも計画三三二千屯に対し僅に六割に過ぎず、然も本年の麦作は先般東上の折御説明申上げたる如く未曽有の大凶作にして最近の農村食糧事情は極度に逼迫し、六月中に未輸入満洲雑穀の輸入を完遂すると共に七月に於て相当量の増送を見るに非ざれば折角集荷せる移出米の喰込も保し難き窮状(※2)に在り。洵(まこと)に憂慮に耐へざるに付、満洲雑穀の輸入促進並に増加要求に関し早速御高配賜はるの要あり。就ては親しく当地の実情をも御聴取願ひたる上、満洲国に於て協議するを最も適当の様思料せらるるに付ては、時局柄御繁多中とは存ぜらるるも貴官若は食糧管理局長御出張相煩度特に御依頼す(※3)。追て御都合折返し電乞ふ
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483200(36画像目)
※1 内地向け満洲雑穀を朝鮮向けに振り替えることがようやく実現した
※2 満洲雑穀をちゃんと送ってくれないと内地向け米を食べてしまうことも避けがたい、それ位困ってます、の意
※3 電報ではらちが明かないから、あなた(本土の管理局長)か食糧管理局長が直接こっちに来て実情を見てくれ、の意

電報訳文(二〇、六、一六)
朝鮮農商局長
管理局長宛

六月十日現在水稲植付状況、植付予定面積一、四九一、五六九町三反に対し植付済面積七八、八〇一町五反 右割合五分三厘なり。
用水は豊富なるも五月の低温の為苗の成育進まず植付開始遅延、前年同期に比し六分二厘の減なり。
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483200(22画像目)

電報訳文(二〇、六、一六)
朝鮮農商局長
管理局長殿

麦作不良に伴ふ鮮内食糧事情の説明の為、小官及糧政課長とも知事会議等の関係もあり不取敢(とりあえず)本日発梅田技師を東上せしむ(※1)べきに付宜敷(よろし)く御願す。
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483900(43画像目)

※1 朝鮮側から担当者を東京に派遣し実状説明させます、の意。「東上」は東京へ行くこと

起案昭和二十年六月二十日
20年6月21日発送済(?)
(速達)
(第一案)
相川技師(栃木県庁食糧課)
笹本事務官宛
鮮満糧穀の月別輸移入状況に関する件
六月十八日付電報御照会の首題の件別紙の通に付御回報に及び候也。

(第二案)
電報案
六月十八日貴電照会の件本日文書にて発送せり 相川技師
朝鮮糧穀内地移入状況調(食糧管理局調査)
月別数量摘要
19年11月18,500屯
〃12月16,100
20年1月15,600
〃2月27,300
〃3月25,200
〃4月34,800
〃5月19,000
合計156,500
備考 一部麦及大豆を含む

昭和二十米穀年度に於ける朝鮮米移出状況(単位 玄米石)自一九、十一、上旬 至二〇、五、下旬
上旬中旬下旬累計
昭和19年11月4,014石24622石7,762石36,398石36,398石
12月2,72123,66826,38962,787
昭和20年1月14,94221,64016,81953,401116,188
2月27,02547,58874,613190,801
3月63,00125,919104,185193,015383,906
4月44,05253,884102,709200,645584,551
5月54,09963,37887,934205,411789,962
(朝鮮総督府報告)

満州雑穀内地輸入状況調(食糧管理局調査)
月別数量摘要
19年11月40,000屯
〃12月78,000
20年1月71,000
〃2月76,000
〃3月102,000
〃4月185,000
〃5月226,000
合計778,000
備考 食糧以外の用途のものも含む

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483400(34画像目~)

施行七月四日
起案昭和二十年七月四日
電報案
局長
朝鮮総督府農商局長宛

食糧消費節減に関する件
首題に関し、七月三日閣議を以て下半期の食糧需給の緊迫化に鑑み、臨時応急措置として概ね左記に依り七月乃至十月の間主要食糧の配給量を一割節減(※1)することと相成たるに付ては、御了知の上貴地の食糧需給状況に照し本措置の趣旨に鑑み実情に即し御措置相成様致度


一、家庭配給に付ては所定の配給量を一律に一割節減することとし各地方の実情に応じ適宜の方法に依り実施するものとす。
二、労務特配に付ても一割節減することとし此の際工場事業場等に対する配給に付ては其の正確を期するものとす。
三、節減実施に並行し都鄙を通じ野菜類の自家生産、配給制度の改善適正化、郷土食の奨励、粉食等可食資源の活用、食糧調理の合理化等戦時国民生活合理化に関する指導啓発の運動を実施するものとす。
四、節減の実施は七月十一日よりとし大消費都市は八月十一日よりとす。尚委細は後送す。https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483300(49画像目)

※1 朝鮮だけでなく内地も同様に1割減と決定された

昭和20年7月7日発送済
電報案
課長
朝鮮農商局糧政課相川技師宛

一、八月に於ける大陸物資の対内地輸送計画は、曩(さき)に総督府に連絡し置ける中央要請量四〇万瓲(南鮮一五万瓲、北鮮二五万瓲)に対し現地案三七万瓲(南鮮一二万六千瓲、北鮮二四万四千瓲)にして、中央に於ても尚検討を進め居るに付御含みの上、中央の鮮米移出要請量三万瓲に対する朝鮮軍側の一万瓲申入れに対しては極力右要請量を確保せらるゝ様ご尽力相成度。
二、右鮮米移出量に対応すべき満州雑穀輸入量に付ては、中央に於ても関東軍案八万五千瓲に対する総督府希望量一三万六千瓲を要する事情を諒とし、之を軍事輸送扱となす外希望量の確保を期し折角折渉を進めつゝあり(※1)。
三、七月末現在各港に於ける港頭在貨を品目別に返電あり度。尚最近に於ける南鮮諸港の鮮米、満洲雑穀、塩、銑鉄其の他大陸物資の到着船積・滞貨荷役等等の状況に付、釜山輸送統制部江崎参謀に面接し(参謀本部塩谷参謀より紹介ありと称して)実情調査の上事情詳細電報を以て通報相成度。
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483400(18画像目)

※1 内地向け米を軍事輸送扱いにするのはすぐ決めたが、朝鮮で消費する用の満洲雑穀を軍事輸送扱いにするのは最初の要請から3カ月経ってもまだ決まらないことがわかる。

電報訳文(二〇、七、一一)
朝鮮農商局長
管理局長宛

七月五日付食糧消費制の貴電拝承。昨年産米雑穀の集荷良好ならざりし為、本年初冬よりすでに一般食糧は各道にて自発的に一勺乃至三勺の基準量の引下を為し調整に努め来たりたるが、麦作不良の見透し確定するに至り六月一〇以降更に配給基準量を全鮮一律一人一日当一勺の引下げを為すと共に、労働者の特配に最低一割以上の節減を実施し居れり。尚戦時国民食生活の合理化に付ては今後更に強力なる指導啓発を為すべきに付き御了知あり度。
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483300(55画像目)

※ 主食配給1割減と通知が来たが、朝鮮ではもうそれ以前から削減してるよ、の意

昭和20年7月13日発送済
局長
食糧管理局長 農政局長宛

朝鮮に於ける水稲植付状況の件通報
朝鮮の水稲植付状況は、用水近年になく豊富なるも気温低き為六月二十日現在に於ては苗の伸長遅延に因り植付進捗せず、植付面積は四三七、三一〇町二反にして植付見込反別に対し二割九分三厘に過ぎざりしも、其の後気温の上昇に依り苗の伸長促進せられ植付も進捗し、六月三十日現在に於ては植付面積は一二一一、三四二町八反にして植付予定面積の八割一分二厘に当り、前年同期に比し三割九分三厘、前五年平均に比し一割六分の増に之有り候条、通報に及び候。
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483200(10画像目)

施行七月十九日
起案昭和二十年七月十四日

管殖一九四号
局長
農商省農政局長 食糧管理局長官宛

朝鮮に於ける水稲植付状況の件通報
朝鮮に於ける其後の水稲植付状況は西鮮地方の一部を除き降雨の分布良好なる為中鮮地方は植付順調に進捗し殆ど完了の域に達し、七月十日現在植付面積一、四三七、〇九〇町三反にして植付予定面積の九割六分三厘に当り前年同期に比し二割六分四厘、前五年平均に比し一割四分三厘の増に之有り候に付、此の段通報に及び候
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483200(6画像目)

昭和二十年七月十五日
朝鮮総督府財務局長
内務省管理局長殿

雑穀類輸移出入高通報の件
六月下旬分本件別紙の通通報す

六月下旬 雑穀類輸移出入高
輸入(百瓩)
大麦289
5,457
高粱8,810
玉蜀黍35,844
1
豆粕59,124
小豆8

外務省外交史料館 本邦農産物関係雑件/農作物作柄状況/外地関係
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483500(8画像目)

※ 「輸入」なので、満洲から朝鮮へということだろう

昭和二十年七月十五日
朝鮮総督府財務局長
内務省管理局長殿

米穀及雑穀類輸移出入高通報の件
六月分本件別紙の通通報す

昭和二十年月上旬 雑穀類輸移出入高
一、米
(イ)朝鮮米移出
白米 345,672(百瓩)内地仕向
(ロ)満洲米輸入
白米 600(百瓩)

二、粟、高粱及黍輸入
粟 19,510(百瓩)
高粱 14,469(百瓩)
黍 3(百瓩)

外務省外交史料館 本邦農産物関係雑件/農作物作柄状況/外地関係

昭和二十年七月十九日
朝鮮総督府財務局長
内務省管理局長殿

雑穀類輸移出入高通報の件
七月上旬分本件別紙の通通報す

七月上旬 雑穀類輸移出入高
輸入(百瓩)
3,666
高粱2,481
玉蜀黍21,151
大豆1,773
豆粕3,568

外務省外交史料館 本邦農産物関係雑件/農作物作柄状況/外地関係
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483500(4画像目)

施行 昭和二十年七月十九日
管理局長押印有
朝鮮農商局長宛

大陸物資輸送の件八月の計画は目下の処総額四〇万屯(トン)を目途とし内南鮮一五万屯 北鮮二五万屯にして鮮米は三万トンを予定す、又満洲雑穀の輸送は内地向一六万屯、朝鮮向一二万五千屯を予定す(せられあるにつき内報す)貴見あらば折返返乞ふ、尚七月下半期の輸送は実績見透一四、五万屯となる見込、鮮米は出来る限移出致度意向に付(二万屯前後)御協力相成度、満洲雑穀は現地に於て極力努力中なるも十四万屯程度と相成見込なり 追而最近に於ける鮮米の港頭在荷●●相煩度

外務省外交史料館 農作物作柄状況/外地関係/分割3

昭和二十年七月二十八日
朝鮮総督府財務局長
内務省管理局長殿

雑穀類輸移出入高通報の件
七月中旬分本件別紙の通通報す

七月中旬 雑穀類輸移出入高
輸入(百瓩)
2,997
高粱18,786
玉蜀黍87,565
豆粕26,344

外務省外交史料館 本邦農産物関係雑件/農作物作柄状況/外地関係

https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483500(2画像目)

電報訳文(二〇、八、一)
朝、農商局長
管理局長宛

二二日付大陸物資輸送に関する貴電拝承
一、鮮米移出は特攻輸送打切後三万屯予定にて実施中、七月末に於ける移出推定数量は港頭滞貨を含み六〇万石なり
二、満洲雑穀の輸入は七月分を計画通り一五〇千屯完送する事とし、八月中に一三六千屯の輸入を確保せざれば鮮内の食糧操作に  を来すを以て枠の増加方満洲国各関係方面へ打電依頼し置きたるに付、貴方に於ても然る可く御協力方御取計相煩し度

外務省外交史料館 農作物作柄状況/外地関係/分割3

起案昭和二十年九月四日
管理局長押印有

局長
終戦連絡中央事務局長官宛

朝鮮の食糧事情に関し連合国軍当局と折衝方依頼の件
朝鮮に於ける食糧事情は、米麦作不良に基因し此の端境期を控へ相当逼迫を告ぐべく予想せられたるを以て、予て相当量の満州雑穀の輸入を予定し居りたる処、過般の終戦措置とソ連軍進駐に因り事実輸入不能の状態と相成り、之が為九、十月の両月に於て一一万二千屯の不足を来し、搗(かて)て加へて食糧不足は一方鉄道用炭の不足を主因とする輸送力低下に依る配給不円滑と相俟(あいま)ち、局地的には容易ならざる事態を招来する虞あり。目下軍警の努力により人心稍々鎮静に向ひつゝある折柄、食糧不足により再び治安悪化の虞頗(すこぶ)る大なり。而して之が対策としては予定の通満洲雑穀を不足量丈(だけ)輸入する必要之有るに付、之が実現方連合国軍側と折衝相煩度。万已を得ず(ばんやむをえず)右輸入不能の場合に於ては、都市地域に重点を置き他は道知事に適宜措置を為さしむる様一任することゝし、不敢取(とりあえず)京城地域に対しては黄海道より一〇万石全南北道より六万石、釜山地域に対しては全南北及慶北道より二万石を供出せしむる如く措置することゝ致度に付、特にソ連軍占領下に在る黄海道より一〇万石輸送を為し得る様、現地に於ても占領軍との間に出来限り接衝すべきも、中央に於ても至急連合国軍総司令部に御交渉の上速急に適当なる御措置の採らるゝ様御配意相成度、此の段依頼に及び候。
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483400(11画像目)

電報訳文
朝鮮総督府政務総監
次官宛

終戦後に於ける朝鮮の食糧事情は複雑化せる諸種の事由に因り甚しく急迫し就中京城府、釜山府にありては十月中の食糧は全然手当し得ざる状況にあるを以て一、十一(?)万屯の満洲雑穀の輸入、二、ソ連軍政地区の黄海道より米十三万石の南鮮地区への移入を要するも右移出地区はソ連勢力範囲内にあり当方よりは折衝の方なきに付貴官に於て然るべき筋に対し至急御交渉の上何分の御回答煩度

※9画像目に昭和20年9月7日の消印あり

昭和20年9月7日発送済(?)
電報案(至急)
次官
朝鮮政務総監宛

鮮内食糧対策に関する件
一、曩に御依頼ありたる対策として満州雑穀輸入のこと及右不能の場合に於ての南鮮の食糧対策として黄海道より糧穀搬入のことに付ては外務省に対し連合司令部宛折衝方交渉中なるも目下の所早急解決は困難の模様なり。
二、九月配船に関しては前電を以ての南鮮所在の内地向雑穀三万屯移入に付通報せるが、農林省と交渉の結果鮮内食糧窮迫の実情に則し右の一部を鮮内に振向くことに付了解を得たるを以て青柳所長と連絡の上善処せられ度し。
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050483400(16画像目)

以下は「内地第一主義」の他の用例
日本工業新聞 1942.7.25 (昭和17)

大東亜ゴム工業対策(上・中・下)
凄産拡充関係のものは各品種総合の集中生産を必要とし、其の立地は内地第一主義とするも主として労力の事情よりして範囲を外地、満洲及び支那の一部までおし広めるも已むを得ざる可し、
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00233064&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

京城日報 1934.6.14 (昭和9)
政友発表の鮮米生産費に果然排撃の声昂る
半島民間機を見て動かん

過般鮮米調査のため来朝した政友会政務調査委員は本紙朝刊既報の通り十二日鮮米実地調査の結果について発表した。・・・鮮米実情に対して従来の内地第一主義から政友会が覚醒してきた点については相当好感をもってむかえている。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00742187&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

国民新聞 1940.8.2-1940.9.20 (昭和15)
再編成途上の経済界 (11〜35)

斯く内地を主とする台湾製糖会社に対立して居るのに明治製糖会社がある、同社は台湾製糖会社と経営方針を異にし多角経営に於て本邦斯業界の首位を占め直系、傍系会社合算すれば実に十八社に達して居る・・・更に南洋方面には熱帯農産会社を経営し、南洋パラオでカカオ其他を栽培している・・・其の多くは国策的事業が多く台湾製糖会社の内地第一主義に対し双翼の存在と云う可きであろう
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00485411&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

京城日報 1935.5.29 (昭和10)
産業統制法内外地適用問題

鮮内の一工業が単に内地当業者の脅威を与え又は漸く輸出貿易の部門に進出したからとて、直に統制法適用を云々するが如きは国内産業の興隆を悦ばざる理由なき尚早論と云わねばならぬ・・・軽々に外地適用を主張するが如きは明に工業に於ても内地第一主義を主張するが如く気取られる嫌いあり
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00745380&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA



1944年作況
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050484700
供出割当
https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B06050484000


降伏と原爆の関係を過小評価する傾向について

最近原爆を過小評価する主張をよく聞く気がする。
「原爆投下によって日本は降伏した」説は本当か?
古谷経衡
2020/8/7(金)

原爆の放射線障害の恐ろしさに無知だった当時の軍部や日本政府は、本土決戦と「一撃講和論」が根底から覆されるソ連参戦の方に驚愕した。
 本土決戦実行の前提条件のほぼすべてをソ連との非交戦(対ソ静謐)に頼り切っていただけに、これが日本終戦の決定的トリガーを引いたとみるのが自然なのである。つまりソ連参戦によって満州、北支、朝鮮、樺太が失陥すれば、原爆投下が無くとも日本は終戦を決定していたと解釈することができる。
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20200807-00192054/

映像データがほとんどない当時、広島・長崎の惨状は情報の無さ故に軽視された。というより、被爆地が壊滅したために東京に送信される報告そのものがほとんど無く、詳細が不明だったのである。
 よって「頼みの綱」ソ連による対日参戦―裏切り、が日本社会を絶望のどん底にたたき落とし、ポツダム宣言受諾へと向かわせしめたのだった。これが歴史の事実である。・・・
 原爆がいかに悲惨で、その放射能がいかに被爆者を苦しめたかの実相を知るのは、戦後、日本がGHQの検閲から脱して、独立を回復した以降のことであり、被爆の実相への理解は永い時間を要したのである。

原爆投下ではない 「ポツダム宣言」で降伏を決意した日本
加瀬英明
https://ironna.jp/article/1829

原爆が戦争を終わらせた…わけではない
神谷 宗幣 2015年8月22日
http://www.kamiyasohei.jp/2015/08/22/6490/

では実際はどうだったのかというと、以下の資料でわかる通りソ連参戦前日の8月8日時点で、つまり広島原爆投下の時点で、既に天皇は「原爆投下された以上戦争は止めよう」と意思表示しており、天皇の意を受けた東郷外相が最高戦争指導会議を開こうとしていた。
また古谷経衡氏が言うように「当時の日本当局は原爆をよく分かっていなかった情報が無かった」というのも誤りで、当時すでに現地調査が入り東京に報告され、その重大さは東京の各大臣に認識され、日本政府としてアメリカに抗議も行っていた。
八月八日
政務官会議
原子爆弾を重視せよ 根本的態勢を樹つべし
2政治力強化の為政治界を活用すべし
3軍内の統制必要 幕僚政治の排撃 軍民離間の封殺
 地方食糧を中心として

八月九日
閣議
総理大臣 
ソ連の参戦に由り形勢一変せり
一方原子爆弾に依り重大化せり
司法大臣
原子爆弾の対策ありや
陸軍大臣
大したことなし 対策はあるべし原子爆弾出現が戦争終結とはならざるべし
俘虜の言に依れば
内務大臣
民心動向・・・原子爆弾は国民に致命的打撃を与へたり
ソ連の戦争加入を見れば必勝信念を愈々失へり
以上観察は一般なり 勿論玉砕主義者も相当あるが数は少し
農林大臣
・・・原子爆弾明確ならざるもあなどるべからず
之が対策なき限り考へねばならず


アジア歴史資料センターhttps://www.jacar.go.jp/
レファレンスコードC14020184700
政務官会議史料 昭和20.8.8~8.14

東郷和彦「ポツダム宣言受諾と外相東郷茂徳の苦闘」産大法学 第51巻03/04号

8 月 6 日、広島への原爆が投下された。・・・しかし、7 日の関係閣僚会議では陸軍は「なお調査の結果を見る必要があるとて、原子爆弾攻撃なることを認めず、なるべく爆撃の効果を軽視せんとする模様があった」。そこで東郷(外相)は、8 日単独内奏 (三回目) し、「愈々これを転機として戦争終結に決すること然るべき」を述べ、天皇より「この種武器が使用せらるる以上、戦争継続は、愈々不可能になったから、有利な条件を得ようとして戦争終結の時期を逸することはよくない」として「なるべく早く戦争の終結を見るように取り運ぶことを希望す、総理にもその旨伝えよ」とのお言葉を頂戴する。これを受けて東郷は直に構成員会合召集を申し入れる
https://ksu.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=9957&item_no=1&page_id=13&block_id=21

大東亜戦争全史草案 第10編

第十篇第七章 原子爆弾とソ連の参戦
一、原子爆弾
新型爆弾に依る広島の惨害
(省略)
原爆第一号
(省略)
天皇の即刻終戦意図
 右調査委員の報告が東京に到着する以前に東郷外相は鈴木総理と相談の結果、ポツダム宣言の迅速な受諾方を陛下に奏上することに決めていた。
 東郷外相は八日午後、宮中の地下室に於て拝謁、原子爆弾に関する敵側発表並に之に関連する事項を上奏したが、陛下よりこの種武器が使用せらるゝ以上戦争継続は愈々不可能となるにより、有利な条件を得んが為に戦争終結の時期を逸するは不可なり条件を相談するも纏らざるに非るが成るべく速に戦争の終末を見る様努力せよとの御沙汰があり、又その旨を鈴木首相にも伝へる様命ぜられた。
 仍て鈴木首相は直に最高戦争指導会議を開くことにしたが会議員の或者の都合が悪かった為延期された。
二、ソ連の参戦
(省略)

第十篇第八章 終戦の聖断ー八月十日の御前会議
一、八月九日の最高戦争指導会議
 終戦派派要人のポ宣言受諾決意
広島に対する原子爆弾投下に引続くソ連の参戦は、天皇を始め、木戸内大臣、鈴木首相、東郷外相、米内海相、近衛公、重光元外相、その他従来早期終戦を支持していた要人達をして、急遽ポツダム宣言を受諾して戦争を終結に導くの外なしとの決意を固めしむるに至った。
 之より先、前日の八月八日東郷外相は広島の原子爆弾投下によってポツダム宣言受諾を決意し、陛下及び鈴木総理の同意を得て最高戦争指導会議開催を企図したが、構成員の或者の不在の為延期の已むなきに至っていた事情は記述の通りであるが、
(以下略)

アジア歴史資料センターhttps://www.jacar.go.jp/
レファレンスコードC13071343300・C13071343400

八月九日午後十一時五十五分より十日午前二時十分に至る間
於宮中防空壕
最高戦争指導会議 御前会議

外務大臣(東郷茂徳)
宣言は日本として不面目受諾し難きものなるが時局は之を受諾せざるを得ざるに至れり
全員之が受諾に関しては意見の完全一致を見たり
而して原子爆弾の出現と之に関連するソ連の対日参戦とは時局を愈々急変し相手方を強硬にせり
従って相手方との交渉に依て話を進めんとする方法は其余地を失へり
殊にソ連が武力を行使したる故益々然り
故に此情勢より見て多くの条件を出すことは全部を拒絶せらるゝに至るべし
唯一のものを提案すべし それは皇室の護持安泰なり
(以下略)

枢相(平沼騏一郎枢密院議長)
陸海軍に尋ぬ
将来戦争継続の確信ありや否や 疑あり
本土作戦は可能と云ふが 空襲は頻発し艦砲射撃は受け殊に原子爆弾は恐るべきものなるに之に対する防御可能なりや否や
国民の感想を聞くに多くの場合空襲に対し反撃(?)なし 中小都市全くなし 本土空襲激烈となる 東京も大半喪失し中小都市は全滅せん 機能は停止すべし
原子爆弾対策ありや
今日国民は不安増大し国民戦意は沮喪す 殊に交通機関破壊し食糧は不足す 東京の如きは他よりの輸送は喰ひ尽しつつあり
満洲よりの雑穀は移入困難に陥る
懸念に堪えへず

参謀総長(梅津美治郎)
出来るだけ善処し度い
原子爆弾の対策 惨害を絶対に防止するは困難なるも制空の機関を適当にせば或程度は阻止し得べし
(以下略)

アジア歴史資料センターhttps://www.jacar.go.jp/
レファレンスコードC14020184800

大本営陸軍統帥概史
第一復員局

終戦前後の経緯と其指導
一、終戦決定に至る梗概
・・・八月六日広島市に対する原子爆弾攻撃実施せられ同市は一瞬(?)にして廃(?)墟と化し次で八月九日遂に蘇連の対日参戦を見るに至る。茲に於て帝国は遂に戦争指導の重大なる転機に逢着せり。
即ち蘇連邦の対日参戦に拠り蘇連を中介とする対米和平は望みなきのみならず其満洲及朝鮮に対する脅威は本土の太平洋方面に対する対米決戦準備を甚だしく弱化せしむべく、又原子爆弾の使用は今後に於ける空襲被害の程度を一変せしむるものと判断せられたり
時恰もポツダム宣言発表せられ帝国は今後の戦争指導の方針は断乎戦争を継続して国を以て殪るも民族の光栄を保全するか、又は増大する被害を避けんが為戦争を終結するかの何れかを採らざるべからざるに至る。

アジア歴史資料センターhttps://www.jacar.go.jp/
レファレンスコードC13071250700

松村高夫「広島・長崎の原子爆弾に関する初期調査」三田学会雑誌 89巻1号  

大本営調査団は、8月10日に比治山東南の兵器補給廠で陸海軍合同特殊爆弾研究会を主催し、「本爆弾の主体は……原子爆弾なりと認む」とし、爆心は護国神社南方300メートル、高度550メートルと推定した。8月8日に広島に派遣された技術院調査団も、8月10日、東京で政府と陸海軍の連絡会議に広島の爆弾が原子爆弾であるとの調査結果を報告している。(109頁)

陸軍省医務局は陸軍軍医学校に命じ、8月8日、陸軍省広島災害調査班を派遣した。・・・7日島田は陸軍省の指示を受け、8日所沢を出発、その日に広島に到着すると、8月8日付けで次のような電報(第3号)を打っている。「一.調査班は一八・三〇広島に到着業務を開始す 二.死者約三万、傷者約一〇万 尚増加の見込……四.死者は圧死、焼死を主とす 傷者の大部分は爆風熱による火傷を主とす……」
 この陸軍省調査班も、調査2日目の8月10日にはレントゲン・フィルムが感光していることから爆弾が放射能を含むことを確認し、原子爆弾であるとほぼ断定した。(112頁)https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00234610-19960401-0108

米機の新型爆弾に依る攻撃に対する抗議文
昭和二十年八月八日

本月六日米国航空機は広島市の市街地区に対し新型爆弾を投下し瞬時にして多数の市民を殺傷し同市の大半を壊滅せしめたり。・・・本件爆弾に関する声明に於て米国大統領トルーマンは我らは船渠、工場及交通施設を破壊すべしと言ひ居るも本件爆弾は落下傘を付して投下せられ空中に於て炸裂し極めて広き範囲に破壊的効力を及ぼすものなるを以て・・・又実際の被害状況に徴するも被害地域は広範囲に亘り右地域内に在るものは交戦者非交戦者の別なく又男女老幼を問はず総て爆風及輻射熱に依り無差別に殺傷せられ其の被害範囲の一般的にして且甚大なるのみならず個々の傷害状況より見るも未だ見ざる残虐なるものと言ふべきなり。・・・
帝国政府は茲に自らの名に於て且又全人類及文明の名に於て米国政府を糾弾するとともに即時斯る非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求す。

外務省外交史料館 日本外交文書デジタルコレクション 太平洋戦争第3冊 七 終戦外交と降伏調印 1 人道的諸問題に関する対米抗議
の1691頁
https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/pdfs/taiheiyo3_02.pdf
https://www.mofa.go.jp/mofaj/ms/da/page25_001055.html


戦前戦中、タイの対日感情

関連エントリ
太平洋戦争 日本陸軍は初日にタイを攻撃
日本軍がタイ軍に変装しマレー侵略

タイは親日という主張をたまに一部でよく聞くが、では戦前はどうだったのだろうか。ちょっと詳しい人でも「日本とタイは当時同盟を組んでて」ぐらいの知識だろう。以下当時の実情に関する資料。
十二月二十七日第三回連絡懇談会 ※1940年
泰及仏印に対し採るべき帝国の措置の件

一、出席者 総理、平沼、陸、海、外相、総長、軍令部次長
二、外相発言
1,松宮大使の意見に依れば対仏印施策には武力的威圧を必要とす強硬態度を採るべし
2,泰勢力英米七割、日本三割、強力施策の要あり
3,仏印は松岡アンリー協定にて我を馬鹿にして居る爾後若干強硬態度を採るべし
経済交渉は案外まとまるかも知らず

四、総長発言
対仏印、泰強硬態度を採るに於ては南方施策全般に就き確乎たる腹を前提とす腹決定せざる場合は慎重なるを要す
軍令部次長同意を表すhttps://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C12120245900
5656543

一月十九日第五回連絡懇談会の概要 ※1941年
(泰、仏印紛争調停に関する緊急処理要綱の件)

其一
四、松岡(洋右外相)曰く
(イ)本案は考慮研究すべし
(ロ)英米に対し大なる刺戟を与ふることなきや果して可なるや
(ハ)本案の見透は疑問なり或程度の得することあるべし
(二)泰に対する効果は同国が英国と深い関係ある故期待し難い
(ホ)(以下省略)

其二
二、松岡発言(ロバン元仏印総督との会談内容説明)
三、ロバンとの右会見状況を説明したる後松岡更に発言し・・・ピブン(タイ首相)に対し義務付けとなる様な軍事協定は従来の如き(タイへの)援助の程度を以てしては成立不成功と思ふ次第なり
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極秘進展 昭和一九、五、二六
電報 五、二四 二二三〇発 二五、二二二一着 二五、二二四〇受付 二六、〇一〇〇提出
通電先 次長、次官、威 義部隊参謀長
義参電第一八一号

最近に於ける泰国の情勢判断
判決 
泰国は最近の情勢に刺戟せられ日泰同盟を基調とせざる独自の国防計画を樹立し逐次其の実行を促進しあるものの如し

説明
一、泰政府大臣は最近屡々重要会議を開催日泰同盟を基調とせざる独自の外交方針を樹立し泰の独立保全、防衛並に外敵に対する攻撃計画を立案し着々其の準備を進めつつあるの情報を得たるのみならず日本軍に対する偵諜は益々執拗となれり。時偶々緬甸及ニューギニヤ方面に於ける日本軍の情勢を謀知し枢軸側勝利の前途に疑懼を懐けるものの如し。
又折柄在泰日本軍の大部が挙げて緬甸方面に転進し其の兵力微弱なることを知れる為か一層右計画を促進しつつあるやの感あり。

二、親英米派の巨頭アドン警察大将は落下傘諜者訊問に名を藉り英米との秘密連絡あるものの如く親日派に対する圧迫対日政策妨害等特に最近活発となれり。
泰今後の動向には深甚の注意を要するものあり。

三、今回のワニットの怪死事件は其の死因に就て泰側と争ふ事の得策ならざるは前電の如くなるも坪上大使より再三取扱に就き申入ありたる彼を死に至らしめたる責任を追及するの要ありと考ふるも之に依り日泰関係を明朗化するか又は一層紛糾せしむるかは予断を許さざる所なるも日本軍の目下の情勢を知れる彼は或は反抗的態度に出ずるなきを保し難く右強抗態度を採らんとする時は相当の実力を準備するを要すべし。
又ワニット怪死事件と同時に駐日大使ウィジットの召喚を発電せしことは時局柄重大意義を有するものと考へらる。
之を要するに最近に於ける泰国の動向は予断を許さざるものあり。
軍は最善を尽して之に善処し対泰国施策に遺憾なきを期しあり。以上参考迄(終)

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発来電綴(写) 其6 大本営 自昭和19年1月至昭和19年12月(3)
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大本営陸軍部戦争指導班「機密戦争日誌」

昭和15年12月27日
二、泰及仏印に対し取るべき措置連絡会議に於て決定す
右席上外相松宮大使の意見として左の如く説明す
1、武力的威圧を必要とす
2、泰勢力英米七割日本三割速に交渉を必要とす
(以下略)
総長発言
対仏印、泰強硬態度を取るに方りては南方施策に確乎たる肚を必要とす未だ肚決定せざる場合は慎重なるを要す



昭和19年5月16日火曜
一、秦次長南方出張間に於ける各軍司令官連絡要旨
3、泰(※タイ)軍司令官(中村中将)
(イ)、泰は過度に圧迫せば重慶に趨(はし)る虞(おそれ)あるを以て適当に手心を加へあり
(ロ)、泰国駐屯軍は師団よりも独混を可とす(防備体制には有利)
(ハ)、遷都に関しては空襲に対する恐怖以外他意なきを以て懸念の要なし
(二)、海軍は陸軍と対等に要求す中央にて考ふること

6月1日木曜
一、泰国駐屯兵力は目下二ケ大隊なり、泰の政情にも鑑み有事の際即応する為仏印マレーに対し準備を命じあり

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サンホゼ州立大学教授E・ブルース・レイノルズ博士「帝国陸軍と日泰同盟」(新藤裕之抄訳)防衛省防衛研究所 戦史研究年報 第2号(1999年3月)

ピブーン(タイ首相)は、日本と交渉しながら併行して英米にも対日抑止行動を密かに要求し続けていた。十一月二五日という遅い時期に至っても彼は英国公使ホザイア・クロスビーを相手に、タイが侵略を受けたら英米が対日宣戦を布告する、と英米が共同で声明するように要請し、あるいは英国の単独声明でもいいと訴えた。(74頁)

十二月八日の日泰交渉において、タイ側は防守同盟及び全面的軍事同盟の両提案を拒否した。そして、日本側の最低限の条件しか認めない姿勢を取った。つまり、日本軍の領内通行権の承認と、日本軍への便宜供与である。(75頁)

日本がタイにおける軍事支出をタイ政府からの借金で賄ったこともあって、様々な品不足が発生し、物価も急上昇した。(77頁)

とうとう(1942年)十二月中頃に日本軍兵士がタイ人僧侶にビンタを加えたことが原因となって、タイの一般市民の間にいわゆるバン・ポン事件という暴動事件が発生し、日本兵六人を含む死傷者が双方から出た。・・・南方軍はバン・ポン事件の処理についてピブーン政権と交渉を始めたが、僧侶の処刑という南方軍の要求を巡って両者は対立し、交渉は難航した。(78頁)

(1944年)新しく成立したクアン・アバイウォン政権と良好な関係を築くために、日本は大東亜省次官山本熊一を、新大使としてバンコクに派遣した。・・・しかし、クアンが日本側の機嫌を取っている間に、(元内相、外相、財務省など歴任した)プリーディは連合国との接触を秘密裏に開始していた。一九四四年秋に英国及び米国の諜報機関と接触し、連合国の協力を得て自由タイ地下組織を作り始めた。(80頁)

山本が一九四五年五月二四日付けで本省に宛てた電文において、日本の軍事行動をタイが経済的及び物質的に支援したために、タイは高度のインフレに苦しんでおり、またこれが一つの原因となってタイが対日協力を渋っていることを指摘した。タイを武力で制圧しようとすればタイ側は抵抗するであろうし、他の戦線で必要とされている日本の兵力がタイで消耗されてしまうであろうことも述べ・・・山本の意見は受け入れられた。七月十七日、最高戦争指導会議は「現下の情勢に於ては泰国に対する武力処理は之を行はざるものとす・・・」と決定し、さらに現地に、武力の行使がやむを得ない場合はその規模・範囲をできるだけ制限するようあらゆる努力をするように、という指示も出された。(80頁)

一九四五年の七月から八月にかけて、自由タイ組織が極秘裏に建設したとされる数個の飛行場を巡って、日本側とタイ側は対立した。日本側はタイ側に地下組織の活動を察知していることを知らせ、現地査察、あるいは飛行場の破壊を申し入れたが、タイ側は時間稼ぎをしながら、問題の地域からゲリラを撤退させた。痺れを切らした日本側は飛行場を八月上旬に襲撃する計画を進めた。(81頁)

(八月)十四日になると、日本の敗北はバンコクで公の話題になっていた。一部ではお祭り騒ぎが始まる一方で、タイ指導部は日本の出方を不安な気持ちで見守っていた。タイ側は、日本軍が敗北を大人しく受け入れるとは限らず、「不忠な」同盟国タイに対して鬱憤を晴らすための暴動を起こす可能性があると見ていた。(82頁)
http://www.nids.mod.go.jp/publication/senshi/199903.html

吉川利治「タイ国ピブーン政権と太平洋戦争」東南アジア研究19巻4号1982年3月

公使館付武官、田村浩大佐は1941年4月16日に、「(1)タイ国における日本の影響力はあてにならない。(2)大英帝国が敗れるだろうとは、タイ人は一般に信じていない。(3)(タイ・仏印)国境紛争調停の日本の努力にタイ人は感謝していない。(4)日本側からの軍事同盟の申し出は可能な限り延期すべきである」という内容の報告書を陸軍省に送っていた。(370頁)

(1941年)11月26日の閣議では、ピブーン(タイ首相)が「日本人自身がタイ国内で悶着を起こしているのです。円の札びらで支払ったり、女性の胸元にタバコの吸殻をつっ込んだり、日本人は尊大ぶるのです。日本の天皇の映画をタイ国で上映しようとすると、日本人は自分たちの崇拝の対象であるから、駄目だというのです。日本の大使でさえ、日本人はどこへ行っても日本にいるような態度をとり、他国民の文化を認めようとしないといっているほどです。いまやタイと日本とのincidentはずい分増えました」。大使館の田村報告もこれを裏付けるように、調停後の日本への感謝の気持は急激に冷え、1941年秋には日本人は非常な嫌悪感を持ってみられていると伝えた。・・・ピブーンは7月31日にひそかにイギリス公使Crosbyと会見して、日本からの圧力を語り、8月9日にはアメリカ公使Grantと会見し、日本に対抗して積極的な行動を期待すると語った。(371頁)

11月20日には(ピブーン首相は)イギリス公使と会見し、イギリスがタイの防衛にあたってくれるかどうか打診し(372頁)

(開戦前日の12月7日)坪上(大使)は、今日、日本は米英に宣戦布告することを決定したと告げ、日本の敵であるビルマとマラヤのイギリス軍を攻撃するため、どうしてもタイを通過させてほしいと述べた。ディレーク(副外相)は、タイは中立国であるから、どちらの側も支援できないと答えたが、坪上は、陸、渇、空路をどうしても通過しなければならず、許可を求めたいのだと答えた。

(開戦当日の12月8日)首相官邸にピブーンが入るや否や、日本側はピブーンを取り囲み、日本軍の通過を認める回答を即刻ほしいと訴えた。ピブーンは、国の存亡にかかわることであり、閣議で審議して、国王陛下の政府として、返答すると答えた。すると浅田領事はドアを足げにして閉め、提示する協定文の写しを床に投げ付け、日本軍はぐずぐずしておれぬ、と威嚇し、どちらかにサインせよと迫った。(タイの国際貿易局長)ワニットは気が動転し、日本人はタイ首相に敬意を表さない、と泣き出した。そして日本軍がこんなことをしておれば、全ての企てが烏有に帰すと叫んだ。ピブーンが階段を上がろうとすると、守屋がピブーンの腕をつかんだので、ワニットはそれを離そうとした。すると守屋は軍刀に手をかけた。プラユーン・パモーンモントリー大臣とチャイ・プラティープセーン大佐は階段のかたわらにたって拳銃を用意すると、坪上が中に割って入り、ピブーンに30分の時間を与えた。(375頁)

(日泰攻守同盟条約の)の条約調印後、バンコクを初め日本軍の駐屯する地方都市には、日タイ合同委員会とその支部を設けて、日タイ問の連絡の窓口とした。日タイ合同委員会はその後、友邦連絡事務局と改称したが、日本兵の乱暴狼藩の訴えを処理する局となったからであろうか、皮肉にも本来の意味とは全く逆の“抗日局”と一般に呼ばれるようになった。(377・378頁)

1942年10月以来、カーンチャナブリーに司令部を置いて、タイ・ビルマ(泰緬)間鉄道建設に従事していた鉄道第9連隊の一隊が、12月19日、同じ県のバーンポーン郡警察と銃火を交えるに至った。ことの起こりは日本軍のタイ僧侶に対する不敬事件であった。(381頁)

1943年11月5日、東京で大東亜会議が開催され・・・タイ国ピブーン総理の出席が懇請されたが、ピブーンだけは心臓病があり医師のアドバイスがあるためと、出席を固辞した。・・・ピブーンはワンワイ親王を代理として出席させた・・・ワンワイ親王は・・・「日本は『大東亜共栄圏』なる政策を推進しているが、一体何を意味するか誰にもわからぬ。まして日本語で『八紘一宇』といって、同じ屋根の下にいるのだといわれても、ますます何のことやらわからなくなる」と、すでに日本の抽象的な政策スローガンのわかりにくさを批判していた。(383頁)

1943年12月、ピブーンはチラ・ウィチットソンクラーム陸軍中将を北部タイ方面軍司令官に任命し、雲南国境での重慶軍との連絡を指示し、その結果、数回の接触が行われた。司令官が替っても連絡は続けられ、タイ側は重慶軍に、連合軍にも連絡して、タイ側の意向を伝えてほしいと要請した。(384頁)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tak/19/4/19_KJ00000133800/_article/-char/ja/

泰作戦記録
昭和二十六年九月調製
復員局
「註」
本記録は元第三十九軍(第十八方面軍)参謀陸軍大佐小西健雄が主として本人の記憶に基き記述した資料を基礎とし復員局資料整理部に於て編纂したものである

第一章 日泰両国の関係
第二節 太平洋戦争開戦前後に於ける日泰両国関係の概要
開戦直前に於ける泰首相ピブン氏の動向には微妙なるものあり。対日感情は前節に述べたる如く、友好てきなるものありと雖も、太平洋戦争に於て日本が果して英米に勝ち得べきや否やの判断に迷ひ、過早に日本側に加盟することを躊躇せるは蓋し弱国の立場として当然ならん。対英米開戦に先だち日本より泰国政府に対し外交折衝を行ふことは開戦企図を暴露するを虞れ、開戦劈頭、一兵団を首都バンコックに無血進駐せしめ一挙に我が陣営に加盟せしめんとする方針を確定せられたり。
第二十五軍司令官の隷下に在りし近衛師団を一時第十五軍司令官飯田中将の指揮下に入らしめ、陸路泰仏印国境を突破して泰国に進入したるは概ね第二十五軍主力のシンゴラ上陸と時を同じくせり、即ち十二月八日〇三〇〇頃進撃を開始せる近衛師団は直路バンコックに急進し、途中殆んど抵抗を受けることなく同日夕刻までに首都に進駐せり。南泰に奇襲上陸せる第二十五軍主力は同日未明より正午頃迄に亘り、泰国軍警との間に局部的衝突を惹起し、彼我共に若干の損害を出したるも、遂にピブン首相をして、我が要求を全面的に承認せしめ、次いで十二月十一日坪上大使とピブン首相との間に意見の一致を見、所要の手続きを終り十二月二十一日午前十時、日泰同盟条約を正式に調印発表せり。

第四章 第三十九軍の作戦準備
第二節 昭和二十年初頭策定せる軍作戦計画の大綱
昭和二十年一月策定せる泰就中中部泰を安定確保し手南方軍の兵站基地たらしむ。
五、泰国軍警の背反に対する措置
日本軍の戦績不振に伴ふ自由泰系の策動は漸く活発化し来れり。就中警察局長アドン中将は窃かに下野中のピブン元首相と気脈を通じあるの情報に鑑み、泰国の背反を予期して左の如く準備す。
(一)泰国政府要人に対し、その行動を厳重に監視す、(憲兵及諜者をして終始尾行せしむ)
(二)隷下、指揮下各部隊長に対し、万一の場合は各々所在の泰軍警を武装解除すべく、情報収集に遺憾なからしめ、為し得れば背反に先だち機先を制してその武装解除を断行する準備を整へしむ。
(三)泰国軍特に空軍と英米軍との密楽を防止するため、秘密飛行場の捜索、無線探知を強化す。

第三節 情勢に即応する作戦準備促進の概要
四、秘密飛行場掃蕩計画
昭和二十年五月初頭緬甸方面軍はラングーンを失陥し今や泰は直接第一線に暴露せんとし泰国政治経済交通の中心たる盤谷周辺地区は敵空挺兵団の直接攻撃に対し厳戒を要するに至れり。
泰国内の敵側秘密飛行場の設定も亦進接しつゝあるを以て最悪の場合に於ては、敵空挺の進攻を受くるものと判断し、軍は、幕僚をして偵察せしめたる所略々その所在を確認し得たるを以て、泰国側に通告し、同盟条約の誠実なる履行を迫りたるも、泰軍首脳は、その所在を否認せり、(果して関知しありや否やは不明なるも少くも泰空軍の一部少壮将校が之に連絡を有することは確実と判断せられたり)
此に於て、万一の場合を考慮し、日本軍独力を以てする掃蕩計画を立案せり。その要旨左の如し。
(1)先づ確認せる主要飛行場(サコンナコン西南方約五十粁付近)を南北両方面より奇襲占領す。
(2)為之近く仏印より増加せらるべき第二十二師団の一部(歩兵一連隊砲兵一中隊工兵の一部)を以て、タケクよりメコン河を渡り、西南進せしめ、盤谷付近駐屯兵力の一部(歩兵第六十一連隊の約一大隊)を鉄道によりウボンに輸送し、ロイエト方面より北進して策応せしめ、企図を秘匿しつゝ一挙に九州して秘密飛行場を覆滅す。
(3)軍主力は、これを契機として起り得べき泰軍警の背反に備へ、大群警の武装解除に対する準備を周到ならしむ。
(4)掃蕩実施は、南方軍全般の企図に重大なる影響を及ぼすべきに鑑み、その時期は南方軍の指示を待ちて発動するものとす。
(5)その他の未確認飛行場に対しては捜索を続行す。

六、情勢切迫に伴ふ作戦準備の促進
昭和二十年六月上旬に於ける軍の作戦準備は単に兵団を、所望の地点に配置し、主として国境方面に於て軽易なる防御陣地を準備するに過ぎざりしが、情勢は急速に悪化するの徴候あるに鑑み、六月上旬末、左記の如く作戦準備を促進せり。
(一)盤谷周辺及内部の防衛設備を強化し、泰国軍の背反を未然に封殺し、最悪の場合に於ても盤谷防衛隊は、優勢なる敵の包囲に対し孤立して少くも約三個月間盤谷市の要点を確保し、軍攻勢の支撐たらしむ。

第五章 第十八方面軍の作戦準備
第二節 昭和二十年七月中旬策定せる方面軍作戦計画大綱左の如し
作戦方針
二、泰国軍に対しては為し得る限り同盟軍として我に共同せしむるに努むるも、最悪の場合に於ては機先を制し、背反の意図を破摧す。
第三節 作戦計画に基づく作戦準備促進の概要
一、防衛促進に伴ふ泰国側の態度
昼夜兼行にて七月上旬までに概成せる陣地設備を引続き増強せる結果、泰側に於ては、一部に不安動揺の兆を認められたるにより、軍は七月中旬泰側軍政の指導者及民間の一部に最も堅固に設備せる鉄道連隊の陣地を後悔見学せしめ、日泰同盟の精神により泰側に於ても米英軍の進攻に対する準備を促進することを示唆せり。
その真意は、飽くまで同盟の信義を守り敵をして窺窬するの虚隙(?)ならしめ、泰国をして戦禍より免れしむるに在る旨を強調せり。その結果は、泰国側の誤解を一掃すると共に背反を企図しありし一部の軍人に恐怖の感を与へて断念せしむるの効果を収めたるものの如し。
七月上旬泰国首相アバイオンは日本軍憲兵の尾行を感知して激怒し軍司令官及山本大使を官邸に呼び日本軍が尾行を付したる不信義を難詰し、辞職せんとせしが、情勢切迫の危機に於て政変を惹起することは、それを契機として泰国軍警の背反を誘発するの危険あるに鑑み、軍は虚心垣〔ママ〕懐にその非を陳謝して漸くアバイオンの辞職を翻意せしむるを得たり。

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市川健二郎「第二次大戦下のタイ社会」1971年

(1941年)7月には大蔵事務官愛知揆一(前外相)らが渡タイし、資源買付けのための3500万バーツ借款(在外日本責産凍結直後のため)を要求した。これに対してアドゥンAduL副総理、ディレク外相らの反日派閣僚はその買付け協定が特命全権大使の調印を経ず、ワニットVanit Ponanand貿易局長(親日派)の調印によるものだと称して引延し作戦に出た。また政府は10月にバンコックを無防衛都市として宣言し厳正中立国の立場を表明したが、部内の親日と抗日の意見は開戦当日までまとまらなかった。(82頁)

当時日本側をいらだたせた問題は日本軍のタイ領内通過作戦についてタイ 政府の態度が判明しない事であった。タイ政府は表面では友好親善を唱えながら、他方ではロプブリ陸軍基地、サタヒープ軍港、コラート、ウポン、ワーリンチァムラプ、プラチェンブリ等の東部基地を強化し、国土を日本軍の侵略から守る姿勢をとっていた。(83頁)

12月7日夜、日本人の老人、婦人、子供は秘かに市内の映画館へ集合し、 日本人の在郷軍人が運転するトラックに便乗して河岸停泊中のガンジス丸に乗移り帰国した。残った男子民間人はメーナム下流へ通ずる電話線を切断し、海路上陸する輸送船団の日本軍を迎えた。かかる日本側の行動は組織的かつ計画的な作戦活動だった。これに比べてタイ側は日本軍進撃に対するなんらの統一見解もまとめるに至らず開戦を迎えた。

2太平洋戦争期
1941年12月7日午後10時30分坪上大使はピブン首相の官邸を訪問し、対米 英宣戦布告の事実を伝え、作戦上日本軍がタイ領土内を通過するための承認を求めた。ピブン首相は東部タイ国境を視察中であったため、ディレク外相が首相代理として応待し、タイ国は厳正中立政策をとっているから、いかなる国とも組することはできないと拒絶した。しかし同席していた大使館付武官田村大佐は日・タイ両軍の武力衝突を避けるために即刻決断するよう強硬に要求した。(83頁)

1943年春になると戦局は連合軍側に有利になってきた。・・・そもそも この抗日運動は開戦直後から米英両国ではじまり、米国はセニSeni Pramoj 駐米公使が、英国ではスパサワットPrince Subasvasti殿下とブエイPuey Ungphakorn(現タイランド銀行総裁)がタイ人留学生を主体とする自由タイ運動を指導し、王宮内にいたプリディ摂政と秘密連絡をとっていた。在米タイ人留学生は1942年4月から、在英留学生は同年6月から連合軍に参加して、1年間の軍事教練を受けた。73名の在米留学生の中の21名は1943年3月に教練を終了し、重慶経由で雲南省昆明へ移動した。(88頁)

首都バンコックでも反日気運が表面化して、従来地下組織を通じて流布し ていた抗日華字新聞の『警報』、『真話報』に加えて、1943年から新らしく『泰華商報』が現われた。この抗日宣伝紙の発行者はピブン首相の女婿のプリチァPhraya Prichaであり、その刊行資金は自由タイ運動支持者のアドゥン副首相(1944年7月辞任)が拠出していた。(89頁)

日本タイ協会の奥村鉄男氏の回顧談によると、ディレク(駐日)大使の公式の挨拶文等はタナート書記官 (現外相)が起草しその文中に日本一辺倒の印象を与える字句を慎重に回避していた。かれらは大東亜共栄圏の思想に賛成するような首質を決して与えなかった。(96頁)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sea1971/1971/1/1971_1_79/_article

東京朝日新聞 1941.9.24 (昭和16)
英の包囲圧迫強化
岐路に迷う泰
親日派に不利の情勢

殊に十月中旬に催されるカンボジヤ平原における皇軍の大演習に対して非常に神経を高めつつある
泰国としてはもし東部国境に事ある場合には直に南部および北西部より英軍を引入れ、南泰における米、錫、ゴム、北泰におけるチーク材、鉱産資源などを提供することによって、英軍と共同戦線をはるという戦術を立てているといわれているが、何れにせよまず泰国に侵入せる軍を泰国の正面の敵として戦う旨伝えられている
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00501807&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA


東京朝日新聞 1941.10.17 (昭和16)
横行する抗日映画
根強い華僑と英国の勢力
岐路に立つ泰国を観る
特派員サイゴンにて 西島発

わが出先当局が、抗日宣伝の横行に憤慨して、泰国政府にねじこんだら『まことに仰せの通りですが、われわれとしては取締りようがない、その代り貴国の方でもドシドシこれに対抗する映画を持って来ていただきたい、いつでも上映の御便宜を計らいます』という返事だった。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00501811&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

台湾日日新報(新聞) 1941.10.30 (昭和16)
泰の動向を検討する (上・中・下)
(上) 注視すべき中立策 英の煽動で対日感情悪化

最近チェンマイの在留邦人が泰人の日本人に対する感情が急激に悪くなって来たといっている以前親しくしていた泰人が最近は敵意を持つように変って来たそうだ

大阪朝日新聞 1941.12.7-1941.12.8 (昭和16)
泰国の近情 (上・下)
前盤谷特派員 青木真

本年七月下旬以来泰国の対日感情は次第に変化して行った、日軍の南仏印進駐以来一線を尽した如く判然と泰国人は日本人から遠ざかって行った
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00501850&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

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