日韓併合は植民地支配ではない、という嘘(3)

日韓併合は植民地支配ではない、という嘘(1)
日韓併合は植民地支配ではない、という嘘(2)
の続き

東京朝日新聞 1933.3.23 (昭和8) 
鮮米五十万石買上 
尚落勢続けば更に内地米買換

改正米穀法により政府は出回り期における植民地米就中の季節的内地市場殺到を防止しその流入の月別平均円滑化を計り内地米価の維持を行うべく
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大阪朝日新聞 1933.9.7 (昭和8)
植民地米の統制
米穀法の補強プラン
農相の態度注目さる
現在農林当局で考究されているプランは左の如きものである
・・・
一、植民地の生産統制ー朝鮮の増産計画を縮小し棉花を代作せしめ、台湾の水利計画を縮小し甘藷および甘蔗の代作を奨励すhttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00741881&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

神戸又新日報 1933.9.9 (昭和8) 
生産統制に均等論を主張す 
内外米の差別待遇は不可 
拓務首脳部の意見

従来の植民地殊に台の増殖計画を打切り、生産統制を行うことともなれば
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大阪朝日新聞 1933.9.10 (昭和8) 
外地米のみの統制は無意義 
今井田朝鮮政務総監言明 

植民地の生産統制問題は漸次具体化の傾向にあるに鑑み上京中の今井田朝鮮総督府政務総監は来週早々後藤農相を訪問してこれに対する農林省の方針を聴取するとともに朝鮮総督府としてはあくまで内地米と同一歩調をとる方針である旨を強調して農相の考慮を求め今後の対策につき種々協議することとなったが、
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大阪毎日新聞 1933.9.11(昭和8)
暴露せられた農業組織の矛盾
豊作飢饉の惧れに
効果危ぶまれる諸対策

豊作飢饉の言葉は昭和五年以来ここに再び繰り返えされることになった、そこで農林省自体さえ米価対策に生産の統制を持ち出した、すなわち内地における土地改良計画ならびに技術改良による品質改善などの補助奨励施設を全然打ち切り、積極的施設を明年度より見合わす方針だといいまた植民地米のためには鮮米増産計画を打ち切り、朝鮮では水田を棉に、台湾では甘藷、砂糖に転向させると発表した
 
大阪朝日新聞 1933.9.14 (昭和8) 
減段と併行して籾の貯蔵を奨励 
二大米穀非常時対策 
農林省で発表 

臨時米穀作付段別制限法の公布 
一、昭和九年度産米の需給を推算し来年度過剰米を目標に内地及び植民地を通じ六百万石を減産せしむることとし、台湾米は九年二期作及び十年一期作、内地及び朝鮮は九年産米につき減段せしむ
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国民新聞 1933.10.25 (昭和8) 
籾の貯蔵倉庫を六百五十設置 
府県一ヶ所案を変更

植民地の籾貯蔵 
対農林交渉方針決定す 
拓務省では曩に四相会議に於ける明年度一千万石の籾貯蔵案に基き植民地米貯蔵に関し、二十三日正午から拓務省に会議を開いた結果 
一、朝鮮の三百万石籾貯蔵は施設如何によっては実現可能なるも現在朝鮮の既設倉庫は九十万石の貯蔵能力を有し目下之等の倉庫は使用中であるから更に倉庫の新設を必要とする、
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大阪朝日新聞 1934.1.5 (昭和9) 
昭和八年度の国際収支 
貿易外収入は好調 
正金頭取 児玉謙次

もっともバランスにおいて前年の入超二千三百万円に比し、昨年は四千九百万円に上り、これに台湾、朝鮮の入超三千万円を加うれば、内地、植民地入超尻合計七千九百万円となり一昨年の六千七百万円に比すれば千二百万円の増加である
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大阪朝日新聞 1934.1.24 (昭和9) 
植民地米の統制 
議会で大波乱惹起の形勢 
拓相窮地に立つか

内地米価の割高のため生産費の低廉な植民地米殊に朝鮮はますます採算有利となって内地へ流入甚だしく
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中外商業新報 1934.2.8 (昭和9) 
共同管理法により植民地米を統制 
拓務首脳会議原案決定 

拓務省では対内的利害の調整を失わずして如何に植民地の米穀統制を実行するかに関し過般来全的努力を傾注し、これが具体案を考究しつつあり、五日右に関する本省並に朝鮮、台湾両総督府首脳部の連合協議を行うところあったが、
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台湾日日新報(新聞) 1934.3.7 (昭和9) 
帝国議会と台鮮等の利害 
外地の代表があって欲しい 

台湾や朝鮮等の外地の代表者が帝国議会に一人も議席を持っていないという事は、今日までも度々不便とされ不都合と考えられて来た。・・・かくの如くでは充分植民地の実情を天下に識らしめる事も不可能だし、特別会計予算の修正削除等に当っても現地の実情に適応せざる結果をも生ずる場合なしとしない。故に参政権という様な大ぎょうなものでなしに兎に角外地の実情や利害につき必要に応じて発言し得る植民地代表を議会へ送るの途を開きたい。
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満州日報 1934.3.20 (昭和9)
外地米案の帰趨に就て

現に昨年農林省が発表した減段案の如き、内地農業者の立場を主として起草されただけ、後者に取っては必ずしも苦痛でないが、朝鮮若くは台湾の如き植民地に於ては甚だ困る。元来が在来耕作物を廃止してまで米作を奨励され、その収穫物を内地市場に提供して生活に資した関係にある。

大阪朝日新聞 1934.4.12(昭和9)
本年の金買上量五千八百貫見当
全部納入に決定した六社の見込高


船主、造船側の船質改善案 改善協会に附議
船質改善案の延長如何はわが海運界の興廃に多大の関係あるものとして注意を払われているが過般船主協会対造船協会の連合委員会において決定した具体案は来る十八日の改善協会委員会を経て発表されるはずである、右の原案は大体左の如きものとなっている

一、新造船は総トン数四千トン以上とすること(船主協会案では逓信大臣の許可を得ば四千トン以下も可能となっているがこの附帯条項は削除、また造船協会案では当初一千トンまで認めたが四千トンに譲歩)
二、新造資格船は大連、台湾、朝鮮などの植民地籍船にも及ぼすこと(現行は内地籍船のみ)

報知新聞 1934.5.24 (昭和9) 
植民銀行の本領

我国の朝鮮銀行及び台湾銀行は右の主張に反して本店を植民地において居る
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国民新聞 1934.6.5-1934.11.3 (昭和9) 
電力界の功罪史 
動力国策と電気の必要性 
駒村

今日あらゆる商品が海上又は航空輸送によって国際的に流動交換をなし得る時代に、電気のみは各国相互間はおろか本州と朝鮮、台湾、樺太等植民地間とすら設備の共用、電力の融通、共にこれをなし得るの途がついて居らない
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大阪朝日新聞 1934.10.9-1934.10.12 (昭和9) 
統制法とこの頃の米界 
儘ならぬ相場の動き

今春の議会で政府の強硬な移入調節案に対して両総督府殊に朝鮮側は植民地農民の死活問題であると真向から反対して結局骨抜きの暫定案に落ついたものだ
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京城日報 1934.12.25(昭和9)
小運送の総合統制
自動車は統制準備工作時代
特記すべき朝鮮認識普及

植民地、原料国として朝鮮、宇垣総督の積極開発計画と満洲国の現出、オウターキー経済時代現出によってその包蔵する諸資源の開発機運を俄に進めてきたが、

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大阪時事新報 1935.2.23 (昭和10)
日銀の台鮮発行権回収は不可
長銭短銭

高橋蔵相は二十二日の赤字公債委員会で銀の発行権を将来日銀に回収する旨宣明しているが、これは余程考え物だと思う、・・・植民地の発行権を内地の中央銀行に回収統一して見たところで、証券制度としては安全な策かは知らぬが、植民地の開発とは別個の問題である。
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大阪朝日新聞 1935.2.24 (昭和10)
兌換券発行統一
日銀の統制力を拡大強化
きょうの話題

若し銀行券発行権が台、両銀行より日銀に回収されることになれば、従来兌換券発行による貸付を主な利潤の源泉としていた両行にとっては非常な傷手となるわけで、両行を植民地における普通銀行として存続せしむるためには、政府がこれに対し低利資金を融通するとか何とか代償を考慮する必要があるわけである
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大阪朝日新聞 1935.4.28(昭和10)
銀狂騰の旋風!
毎日のように正札の書きかえ素人迄が一かどの思惑屋気取
巷に描く種々相

ところが受入銀地金の内容は、従来は内地の地金屋さんが大声あげて全国から買い集めた各種の銀製装飾品とか台湾、朝鮮、南洋諸島など植民地方面の各種銀製装身具が大部分を占めていたが引き続く“銀高”の声に煽られてもうこれらの製品も国内では出尽したものかこのごろでは殆ど跡を絶ち袁世凱、孫文らの肖像の入った支那の大洋銀貨や光緒元贅の小洋銀貨が全体の九割も占めこれじゃ支那政府が銀流出に冷汗をかくのも無理はないといわれている

台湾日日新報(新聞) 1935.10.17 (昭和10)
台米の改善躍進を更に将来へ期待す
恵まれたる台湾と農業者
米穀会副会頭 法学博士 渡辺鉄蔵氏(談)

同じ植民地でも朝鮮はまだ一本立ちが出来ない、国庫から年々補助して来た、台湾は糖業政策が早く確立したので財政の独立を早めたとは云え天恵に加うるに官憲の指導は宜しきを得且つ官民の協力を以てし諸産業の躍進発展は洵に目覚しく今日記念博が展示するような盛況を招来し今更の如く燦然として光彩を放つ産業台湾の姿に驚く次第である
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大阪毎日新聞 1935.10.31 (昭和10)
強化拡充と自治権附与要望
洋灰連答申提出

植民地にも統制法を適用すること、朝鮮のごときは政治的には多少事情を異にするも経済的には何等内地との差異を認めず適用は当然である▲罰則を加重すること
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神戸新聞 1938.4.27(昭和13)
朝鮮と朝鮮人
わが綜合経済ブロックの一環内鮮一如徹底化へ

由来朝鮮は日満間に介在して日満鮮ブロック結成に重大な役割をもっているのであって、面積二十二万七百六十九方粁、帝国総面積(六十七万七千五百十四方粁)の三割三分、植民地面積の七四・八%を占め、人口二千二百八十九万九千人(昭和十年度)人口密度方粁百四人となっている。

大阪毎日新聞 1938.7.1(昭和13)
皮革使用制限は当然の帰結
原皮主要輸入先は支那

植民地からの移入は朝鮮が主で台湾は少量だがどちらもほとんど問題にならず内地需要の約六分、これでは焼け石に水の類である、しかも需要は年々増加の傾向にあり、供給はそれに伴わないので当然、原料皮の輸入が逐年増加することになる 

743 植民地の海事 法規と行政の統一 : 台湾の改正案を先ず審議

皇軍と右翼の結びつき

自衛隊と右翼(思想)の親密さが話題だが、旧日本軍も右翼ととても仲が良かった。あるいは軍人自身が右翼だった。

神戸新聞 1932.7.16 (昭和7)
軍部を中堅とする大ファッショ陣成る
愈よ国民指導の立場を獲得すべく近く綱領を発表、具体運動へ

世界的に捲き起ったファッショの嵐は我国においても対外硬化、農村問題、政党腐敗、財閥の不正行為、テロリズム等の問題を引っくるめて物凄く展開されて来たので既成右翼団体は素より全右翼大衆に呼びかける新ファッショ団体が右翼無産陣営中からさえ展開されるに至った、然るにこれが決定的中堅勢力をなしていると認められるいわゆる『軍部』方面においては却って鳴を鎮めている状態であったがその実この方面における潜行運動は驚くべき進展を見たものの如く、遂に表面化し尖端的にファッショの旗印を掲げて国民の指導的立場を獲得すべく愈よ運動を起すことに決定し実際の陣容を完成するに至った、この全日本大衆に呼びかける軍部方面の大ファッショ運動の出発こそ政界、財界、思想界に一大センセーションを捲き起すであろう

田中大将を中心に全国的に活動網
神戸にも支部設立準備進行
軍部首脳部も承認済

軍部関係方面から国民大衆に提唱せんとするファッショの陣容を見るに総帥としてその運動の中心をなすものに予備陸軍大将田中国重氏を推し、予後備佐官級の陸海軍首脳数十名を網羅してその左右に配置し、総本部を東京に置き大阪京都、神戸、名古屋、横浜、福岡広島、金沢、仙台、小樽の十ヶ所に大支部を設け更に他の主要都市に小支部を、町村には各班を配することになっている、右のうち東京の総本部はもちろん神戸その他の四ヶ所にも目下潜行的に設立準備を急いでいる、これら支部の組織は実に堅実を極めその附近における軍部関係者中で前途有為な府県市会議員を支部員とし、その他における在郷軍人団の中堅をこれに配して統一的に活動を行う仕組みである
田中国重大将はこの挙国的非常時に臨み時局匡救のため当然投げかけられるであろう世間の毀挙褒貶の責を一身に負う覚悟をもって毅然としてファッショ運動の旗印を以て全国民に呼びかける決意の下にすでに軍部首脳部の諒解を求むべく先般来両三回の交渉の結果軍部首脳部においては在郷軍人を中心とする愛国運動の熱意を承認するに至ったのでこの運動に着手したものである(写真は田中大将) [写真あり 省略]

三大綱領 議会政治を否認せず=既成政党打破=農民労働者救出 既に実行期に入る
この数日来その首脳部と指導部は荒木陸相、小磯次官と頻繁に往来して運動は既に実行の範囲に入り今日まで潜行的だったのが近く本格的に宣言綱領等の発表を見るはずでその三大綱領は左の如くである
一、議会を否認せず
一、既成政党打破
一、農民労働者の救出
右によると議会政治を否認するものではないが党弊百出の既成政党に対してはあくまで打破をもって進む方針であるから既成政党内はこれによって動揺を来し在郷軍人たるものはもとよりであるが可なりの脱党者を見るであろうと観測されている、またその綱領である農民労働者の生活救済はそのファッショ運動が在郷の将兵をもって根強く建設されることを物語るものでこの運動の大衆性に大きな期待がかけられている

石原産業社長も有力なる支持者
既成政党に大動揺か
この新運動が新日本の大衆に如何に反映するかは今後の進展に俟たねばならぬが予後備軍人らの共鳴はもちろんこれが新武士道精神によるので右翼思想団体を初め既成政党中の右翼派の参加は確実と見られ、既成政党の大動揺を免れざるものの如く運動にとって最も肝腎とされている財界方面においても海外にあって皇軍の庇護に感泣している在外事業家を初め内地の財的有力家にしてこの運動を援助するもの少からず神戸市海外通に本社を有つ石原産業海運株式会社社長石原広一郎氏の如きはその一人で氏は既に田中大将らとともに幹部の一人として陸軍首脳部と折衝を重ねあくまで之を援助するといわれている(写真石原広一郎氏) [写真あり 省略]

本部としては何等関知せず
帝国在郷軍人会 佐藤忍氏談
帝国在郷軍人会本部主軍佐藤忍氏は語る 在郷軍人がファッショ運動を起しているというようなことについては本部としては何等関知せずまた在郷軍人会の有志間に憂国の至情迸るところ世相不安一掃のため何等かの相談をしているかどうかと云うことも言明の限りでない、しかしこれだけは云える、在郷軍人はつねに国家社会の中堅をもって任じ国難に一身を挺するだけの覚悟と決心を十二分に有している、又一部の間には既成政党との関係をいかにも清算するかの如く考えているが要するに在郷軍人は出でては国家の干城であり、入りては忠良なる臣民として国家の御役にたつことを寸時も忘却しておらないことを断言する
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神戸新聞 1936.9.6 (昭和11)
現役軍人を中心に右翼大合同計画
注目される橋本大佐の活躍
建川中将らも支持す

去る二日社会大衆党が、条件附門戸開放を声明して以来、多年分裂抗争を続けて来たわが国の農民戦線も、社大系の全国農民組合を中心として全国的大合同を図り所謂人民戦線を強化して反ファッショ勢力の糾合を図りつつあるが、これに対抗して退役軍人による右翼の大合同が企図せられ、人民戦線に対する国民戦線の結成が急速に進展せんとする形勢にあることは注目に値する
右の国民戦線強化運動は八月の陸軍定期異動において待命となった前三島野戦重砲兵第二連隊長橋本欣五郎大佐が中心となって活躍し同大佐等は最近内務次官湯沢三千男氏及び社大党の亀井、麻生両氏を始め在郷軍人会方面の主要人物と屡々会見してこれが実現を企図しつつあり、橋本大佐と同時に待命となった前第二師団長建川美次中将等も右の運動を支援して居る模様である
この国民戦線の強化運動は労農協会及び全国農民組合等による人民戦線に対抗するを目的とせるは勿論であるが、従来五・一五および二・二六の両事件に於て現役軍人が国家改造運動の中枢として活動せることが独り軍秩を紊すのみならず、却って当初の目的に反するが如き結果となるに鑑み、合同せる右翼の大勢力を以て国家革新の実を挙げようと言うのがその主眼である 然し乍ら右運動の成果については成否二様の観察が下されて居り、成功すべしと見る方面に於ては、資金関係の整備と、中心人物たる橋本大佐が、三月事件並に十月事件の幕僚ファッショの中枢として大勢力を糾合し得た力量を挙げて居り、これに反してその成功を疑う方面に於ては、現在退役軍人を中心とする右翼団体には明倫会あり、皇道会あり、三六倶楽部があり、その他荒木大将、秦中将の一派があってその派別的対立は退役後極めて猛烈なものがあるのでこれ等の諸勢力を民間の右翼団体と共に合同せしむるとの困難さを挙げて居る
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報知新聞 1936.9.24 (昭和11)
昭和維新を目標に青年学生を糾合
全国で五十名を検挙

二十二日早暁を期して行った右翼の一斉大検挙は東京では神兵隊の獄外被告三十名、大アジア青年連盟、帝大七生社等より学生、青年等十数名、大阪で七名、茨城、群馬、長野、山梨の各県で各一名宛合計五十余名に上る全国的検挙で、中心の警視庁では特高第二課の係主任警部八名で直に取調べを開始したが、一斉大検挙の動因たる神兵隊獄外被告を中心とした前田虎雄、安田鉄之助中佐、影山正治、鈴木善一の諸氏が神兵隊蹶起の意志を継続し、あくまで昭和維新断行を目標に多数の青年、学生を非合法的に糾合したことに端を発していた、影山正治氏は麹町区飯田町に修養国体青年道場『維新寮』を設置、毎月五の日に二十数名の青年を集めて五の日会の催しをなし、その模様は厳粛のうちに神前礼拝と神兵隊の軍律綱領を朗読、次で神兵隊の幹部である安田中佐、鈴木善一の諸氏を講師に『生命奉還論』の訓話を聞くという物々しさ、ここに集まる青年学徒は二・二六事件で処刑された山口元大尉の主宰していたアジア青年連盟の青年と拓大、明大、中大等の学生で組織している大アジア学生連盟の学生で、一方日本橋浜町の神兵隊の寄宿舎には鈴木善一氏を中心に地方の青年を糾合していた、ここでは神兵隊検挙の行われた昭和七年八月十一日を記念して十一日会を組織し、毎月十一日集合してここでも昭和維新断行の『生命奉還論』論を論議していた、この二ヶ所へ集合する青年学徒のメンバーは、本年八月明徳会で開催した千葉県勝浦町の林間講習会に臨み、ここでも『生命奉還論』の訓話をきき二・二六事件処刑者の慰霊祭を行うなど当時から既に今回検挙の危機をはらんでいた、なお地方の検挙は既報の通り大阪の七名と茨城小池銀次郎(神兵隊被告)群馬未詳、長野吉川澄(神兵隊被告)山梨橋爪宗治(神兵隊被告)の十名であるが、この中修成寮の主宰者で元新日本国民同盟の水島完之氏を原宿署に留置したが老人で健康上釈放される筈http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10064724&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

件名
日本国粋大衆党首笹川良一氏に伊国陸軍大臣宛「メッセーヂ」托送の件
(大臣、次官等の押印有)

陸軍大臣より伊太利国陸軍大臣宛(軍務課経由)
書翰を以て啓上致候
日本国粋大衆党首笹川良一氏貴国訪問に際し同氏に托し本官の閣下に対する深甚なる敬意を表するを光栄の至に存候
笹川氏の本親善飛行は貴国訪問を目的とするものにして日本民間企ての嚆矢なることを特に強調致候
茲に本官は日伊両国並日伊両国陸軍の友好関係の益々緊密ならんことを希念し重ねて閣下に対し衷心より敬意を表し奉候
敬具
昭和十四年十二月二十三日
日本帝国陸軍大臣
陸軍大将 畑俊六
伊太利国陸軍大臣
ベニト、ムッソリーニ閣下
昭和十余年十二月二十一日(「野口」印)

アジア歴史資料センターhttp://www.jacar.go.jp
レファレンスコード C01001776100

盾津陸軍飛行場敷地及建物無償使用許可に関する件伺
昭和十五年九月十六日 大阪師団経理部長 桂巽
陸軍大臣 東条英機殿

昭和十三年二月七日陸普第六五七号指令に基き首題の敷地及建物を国粋義勇飛行隊長笹川良一に無償使用許可しある所本年九月三十日を以て期間満了引続き向ふ三年六ケ月間使用方願出ありたるに付前回同一条件を臥し許可し差支なきや指示相成度
 追て本件に関しては留守師団長に於ても同意に付申添ふ

アジア歴史資料センターhttp://www.jacar.go.jp
レファレンスコード C01002327600

※盾津飛行場について
1933年(昭和8年)に国粋大衆党(笹川良一総裁)の組織する「国粋義勇飛行隊」によって[1]民間人搭乗員養成用の「(財団法人)大阪防空飛行場」(発起人:笹川良一、藤本忠兵衛)として建設開始。1934年(昭和9年)2月に起工、9月に完成。同時に陸軍省・陸軍に寄贈され大阪陸軍飛行場として開業。盾津飛行場と呼ばれた[2]。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%BE%E6%B4%A5%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E5%A0%B4


皇道挺身隊兵営宿泊状況に関する件報告
昭和拾年五月拾九日 第八師団長中村孝太郎
陸軍大臣林銑十郎殿
首題の件に関し憲兵隊より左記要旨の通報に接し師団に於て調査せし事項並処置別紙の通報告す

左記
一、管内右翼分子に依り結成せられたる皇道挺身隊は「石川観農社青年修養会」名義を以て兵営宿泊を計画し四月二十六日正午より二十八日迄二泊三日間歩兵第十七連隊に宿泊せり
二、此間軍事教練の外皇道挺身隊員の座談会を催したるが座談会中矯激なる言動ありて注意を要すべきものあり

別紙
皇道挺身隊歩兵第十七連隊兵営宿泊に冠する件報告
一、皇道挺身隊に就て
皇道挺身隊は「石川観農社青年修養会」の別名にして川原挺進隊の名称より本団体名を採りしものの如く其趣意書並守則付録第一、第二の如し
該団隊体は結成後日尚浅く其真状を観察すること能はざるも会員営内宿泊時の一般状態より観察せば善良真摯にして尚思想的団体と認め得ざるものあり
二、兵営宿泊の状況
付録第三の計画に基き石川観農社(秋田県の篤農家たりし故石川力之助の設立せる農事研究を主とせるもの)を中心として各地方代表青年を集め兵営宿泊を実施せんとし出願せしを以て連隊に於ては之を許可し将校二名、下士官、兵若干名を指導官として任命せり。而して四月二十六日午前十一時半幹部以下百十三名秋田駅前に集合し入隊したるが其大部は青年団、青訓服を著用したるも中には四十歳に過(?)ぎ農民、地方農会義手在郷軍人等を含有し何れも熱心に指導に従ひ四月二十八日正午過解散退営せり。
訓練事項は行事予定の如く第一日夜は乃木将軍の映画を視覧せしめ第二日午後の講演は友部国民高等学校長加藤完治の日本農民道に関する講演を連隊将校以下と共に聴講し又第二日夜は下士官集会所に於て座談会を開催せり。
兵営内に於ては毎朝勅諭奉読、遥拝、楠公の壁文暗誦等を真面目に実施して精神修養に努め又指導に従ひ軍事教練を熱心に実施し其効果相当大なるものありたるが如し。
三、座談会の状況に就て
座談会は県下各地方より集合し未だ相互一面識もなきもの多きを以て兵営宿泊の機会を利用し会員相互に意志の疎通を図り且指導を目的とし許可を得て富永中佐監督の下に実施せり。従ひて懇談は講話を主とし指導的に実施し併せて各自の意見を述べしめたるに席上稍々矯激なる意見を発表せしものありしも富永中佐は団員の心底を洞察する好機なりと認め某程度迄之を吐露せしめたる後之が誤れるを正し皇軍の本義を説示し之を指導せり。
座談会席上配布せる書類左の如し
書名  部数  作成者
核心(昭九、一一号)  一  核心社
皇道挺身隊守則  一  鈴木真洲雄
熟(解説書)  一  鈴木真洲雄
皇道挺身隊趣意書  一  鈴木真洲雄
連絡委員表  一  鈴木真洲雄
●●  一
改造対内案  一  不明
日本産業等の非常監察  一  富永良男
創生  一  創生会本部
大亜細亜青年  一  大亜細亜日本青年同盟
四、 地方に及ぼしたる反響に就て
1、会員の兵営宿泊に関し富永中佐は県知事、経済部長等を訪問し連絡せるに知事、部長等は会の精神及兵営宿泊に依る軍隊の指導誘掖と会員修養に関し賛意を表し経済部長は第二日午後の講演者加藤完治を兵営に伴ひ来り県農民の更生の為本団体の発展を冀望する旨述ぶるありたり。
然れ共県特高課等は本団体を右翼団体として密に内査を進めあるが如し。
2、地方民心に対しては好影響を与へたるものの如く爾後団員其他のものより兵営宿泊に関し幾多の感謝状を連隊に送り来れり。又各地に漸次修養団体として結成せられんとする趨勢に在るものの如し。
五、処置
1、此種地方団体の営内宿泊並営内に於ける会合の際の指導に関しては将来特に注意を周到ならしむ
2、旅団長並連隊長の報告に依れば富永中佐は思想的に注意を要すべきものを認めざるも将来思想上の容疑ある団体及人物との交渉等に関しては特に慎重ならしむる如く注意す。

付録第一、
皇道挺身隊趣意書
満洲事変以後の国際関係はまさしく非常時の雲行を見せてゐる。だが翻って国内を見れば生民は憔悴し菜色あり政党政治の信頼地を払ひ思想混沌として帰する所を知らない。
不幸にして此のまゝ外難至らばその結果や恐るべきである。今日の状態は恰も尊王倒幕、廃藩置県を断行し外難を突破せる明治維新の前●にも似まさしく歴史的瞬間を包蔵せり。
我等は此の危機に際し一刻の猶予なく内昭和維新を断行し国内を整備するにあらずんば外難に当ること能はずと信ずるものなり。
それ故に我等は真剣なる研究によりて日本更生の正道を発見しこれを唱道せざるべからず。
されども天下の大事は先づ己より始め己より治めよ。
我等同志の団結同行を画策し我等の住む町だけでも村だけでも正しく歩ましめんとす。
この主旨に従って自ら相集りたるもの即ち皇道挺身隊なり。
付録第二
皇道挺身隊員守則
(以下略)

アジア歴史資料センターhttp://www.jacar.go.jp
レファレンスコード C01004088800
 

戦前日本のユダヤ観




朝参密第六八五号
京城に於ける「フリーメーソン」状況に関する件
昭和十一年九月二十二日 朝鮮軍参謀長 佐枝義重
陸軍次官梅津美治郎殿

首題の件に関し朝鮮憲兵隊にて調査せる所別冊の如くなるも彼等目下に於ける活動状況に鑑み当分の内陰に充分なる警防査察の措置を●ずると共に右を端緒とし広く内鮮満に亘り更に深刻大規模なる調査を開始し以て有事の際に対する彼等秘密結社の陰謀企図を偵知し十分なる証拠を把握し将来適当なりと思惟せらるる時期に於て一網打尽的弾圧に出で得る様準備せんとす。憲兵に対しては其旨内示し置けり
右報告す

アジア歴史資料センター https://www.jacar.archives.go.jp
レファレンスコード C01004387800

満州日日新聞 1917.1.24-1917.3.1 (大正6) 
講和と対露貿易 (一〜十七) 
哈爾賓特派員 
南東

肛門芸当の密輸
だが大きな声ではいえないけれど実際はこの禁制品も猶太人と朝鮮人によりあ主として密輸出されて居るのだ、黄金板を巧みに脊広の裏に縫い附けたり砂金をばチョッキの脊中に匿したりするようなのは猶太人には常套手段で珍らしくは無い、金の小さな棒をば蝋で包装し恰も小さな蝋燭の如く仕拵え考えたりな処もあろうに肛門の中に押し込んで出て来たという朝鮮人もあるのだ、
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大阪朝日新聞 1917.1.30-1917.2.14 (大正6) 
露国の大陸的帝国主義 (一〜十二) 
君府領有問題 太田生

(但し猶太人に関しては、露国は特に法律を以て、その居住区域を限定して居るが、是は猶太民族の先天的民族性として、到底融和す可らざる性質を持って居るからである)。
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東京朝日新聞 1919.3.28-1919.4.22 (大正8)
露国潰裂の真相 (一〜二十五)
露国中将イ・トルマチョフ (一)

本日の紙上より掲載する「露国潰裂の真相」の筆者イ・トルマチョフ将軍は、露国の崩壊と共に避難し来りて、目下我国に滞在する露国の愛国者であるが、・・・

新に国事犯者
是に反して今まで皇帝に忠義を守って居った悉くの帝政主義者は、皆新しき国事犯者とせられ、其多くは今度の革命の際に殺害せられ、或は残酷なる迫害を受け、枢要な位置にあった官吏は何れも捕縛投獄せられて非常な虐待を受けた、露都には労兵会の主唱にて特別調査委員なる者が設けられ、帝政時代の高官の往時に於ける所為を調査した、此委員会は此高官を裁判に附する程の証拠を発見するを得ずして、只此人々に関しての世間の風説などを集めたに過ぎなかった、而して特別調査委員会の補助機関となったものは、自由勝手に判検事の権を掌握した或者共の団体であった、彼等は敢て法律に依らずに勝手に捜索、拘留、拷問を執行した、此機関の重なる主動者となった者は猶太人にて、彼等は今露西亜人に対する宿年の怨を消遣さんために純露西亜人を苦めんと欲して、政権を其掌中に掌握せんとした者共である
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大阪朝日新聞 1919.4.19-1919.4.29 (大正8) 
露国革命の回顧 (一〜一〇) 
露国 イ・トルマチョフ

露都には労兵会の主唱にて特別調査委員なる者が設けられ、帝政時代の高官の往時に於ける所為を調査した此委員会は此高官を裁判に附する程の証拠を発見するを得ずして、唯此人々に関しての世間の風説などを集めたに過ぎなかった、而して特別調査委員会の補助機関となったものは、自由勝手に判検事の権を掌握した或者共の団体であった、彼等は敢て法律に依らずに勝手に捜索、拘留、拷問を執行した、此機関の重なる主動者となった者は猶太人にて、彼等は今露西亜人に対する宿年の怨を晴らさんために純露西亜人を苦めんと欲して、政権を其掌中に掌握せんとした者共である
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報知新聞 1928.4.28 (昭和3)
ソヴィエト露国と日本の労働運動

労農ロシアのヴォルシュビッキの遣方は丁度漁夫が餌を撒いて、いろいろな魚を集め一網打尽に捕獲し生簀に飼いおき今頃はボチボチ引上げて大きいのは二枚におろし小魚やアラはフライか煮込みにしてスラブ族でない猶太族の赤鬼達が舌鼓を打ってむさぼり食っているような状態である。・・・ソヴィエト露国の最高執政官以下、カミッサール(地方代表委員)等□要なる地位は、極少数のスラブ族の外殆ど猶太人に依て占有され彼等が掠奪したる帝政時代の国有財産及びブルジョワ階級の財宝を私用に供し豪奢なる王侯の生活を営んでいるに比べ、革命勃発頭初よりお先棒となり第一線に働いた労働者、農民等は一寸考えると今頃は財産を平等に分けて貰って何不自由なく呑気な境遇に在るかの如くに日本のカブレ者やナマケ者は信じているかも知れないが事実は非常なる懸隔がある。・・・労農露国空前の大革命に功労ありし多くのスラブ族の労働者、兵卒、農民等の中より抜擢されて枢要の地位を与えられた者も無いではなかったが、彼の猶太人又は猶太系の露人に比しては九牛の一毛というも敢て誇張でない。
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時事新報 1932.3.10-1932.3.13 (昭和7) 
惑星ユダヤ人の動き金権の世界支配人 
文明批評 
安江仙弘 

世界のあらゆる革命にユダヤ人の関係しないものはない。また"Unseen Empire of Finance"‐見えざる金融帝国‐としてのユダヤ人の世界的活躍は夙に世人の駭目する所である。その人口一千五百四十六万人、世界に散在し、日本にも一千人内外は安住するそうであるが、いまや有力国家の政治、外交の裏面にも、その活動の手は延びつつある。本稿の筆者は、曽て『世界革命を暴く』を著わしたユダヤ人研究の権威である。 

「世界の富は汝のものなり」と、猶太聖典が猶太人に教えて居る通り猶太人と金は附きものである。 昔から世界商業の中心は猶太人と共に移動したと云われて居る即ちそれは猶太人が西班牙で、圧迫なしに自由な生活をして居った時代には、西班牙は世界金融界の中心であったが、十五世記の末葉、西班牙が猶太人を逐放するに及び同国は財政上の覇権を失い、遂に之を回復する事が出来なかった。
欧洲の経済史を研究するものは何故に商業の中心点が、西班牙から伊太利、和蘭、英国、独逸と逐次に北方の国々に移ったかと云う疑問を持つが、此の疑問は猶太人が南方から遂われて北方へ逃げたことを語るのである。ユダヤ人の移動即ち商業中心移動に外ならないのだ

即ち事実に於て猶太人が他に移動せねばならなくなった時には金融上の世界中心点が移動する時である。巴里、伯林、フランクフルト、ハンブルグに於ては、猶太人は株式取引所に絶大の勢力を振った。有名な英蘭銀行は和蘭から移住した猶太人の意見と援助とによって設立されたものであり世界の金融を支配した倫敦の取引所は其の死活の鍵は全然猶太人に握られて居る所で、紐育の取引所も亦其の内部には猶太人が莫大の勢力を振って居ると云う事である。
そもそも株式取引所と云うのは、猶太人によって発明されたもので、株式会社なるものも亦猶太人によって創始されたものである尚お公債証書、為替、小切手、デパートメントストーア等は皆猶太人の財的才能の発明である。それはさて置き先年私が土耳其に行った時、土耳其人は『金持の猶太人は世界大戦の始まる前、未だ土耳其人が戦争に就て何も知らない中に、其の全財産を皆金貨に換え、仏蘭西に移動してしまった』といって憤慨して居た。
近くは、昨日迄世界の黄金国であった英国の金庫が、近頃がらあきになり、金本位停止に迄至ったが、それでは此の英国の金貨は何処へ行ったのであろうかと、一方を眺むれば、今仏蘭西の国庫には七百億フランの金貨がうなって居ると云う。
世界大戦に因って疲弊その極に達し僅か数年前まで非常な財政難で苦しんだ此の仏蘭西が、茲数年の間に、斯くまで富力を増大したのは猶太人が英国や独逸に見切りをつけて仏蘭西に移動した結果である。
彼等の移動と同時に倫敦や伯林の金貨が吐き出されて、仏蘭西に集まったものであると云うから金権猶太人は其の国の繁栄と黄金高とを計るバロメーターに相違あるまい。現に世界の富の半以上は猶太人の所有にかかり、世界商業利得の二分の一は日々猶太人の懐に入って行くとは、既に数年前大猶太新聞たるハースト系新聞に発表された事がある

昔から猶太人は国際的金融業者として知られて居る。殊に十九世紀の頃は、欧洲諸国の帝王は、猶太人に相談なしには戦争は出来なかった。
日本に於ても日露戦争の時、遼陽会戦以後の戦闘は、米国猶太富豪ヤコブ シッフが五億の外債を一手に引き受けたことによって継続されたことは皆人の知る所である。
それで欧洲諸国の政府が金の入用な場合先ず猶太人に相談した、其の相談を受けた猶太人は自分の手元で其の金の出来ない時には、財界の中心地又は他国の首府にある一味猶太人と連絡し直に金を融通した。
又甲政府が乙政府に負債を支払おうとする場合には、猶太人は昔から易々として之を引き受け、彼等が一片の証書を送附することに依って、全負債は直に乙首府の銀行で支払われた。斯くて今日に於ては猶太一族による銀行組織は、網の目の様に地球表面に張り渡さるるに至った。

ユダヤ人の財界に把持する勢力は単に金融方面許りではなく、世界のめぼしい有らゆる事業に及んで居る。 例えば宝石類の取引は殆ど猶太人の独占である、殊にダイヤモンドは其の発掘より加工販売に至る迄全然猶太人の経営である。又有名なアラスカの大金鉱は勿論米国の領土ではあるが、事実は米国のものではなく猶太人に関するものだとさえいわれて居る。金鉱といえば今まで一番猶太人を圧迫したといわれる露国の大金鉱の持主は大抵猶太人であった。
又沿海州やジャライノールの炭鉱は今哈爾賓で第一の富豪スケデルスキーという猶太人の経営であった。

世界の大資本国弗の亜米利加に於ける猶太金権の勢力はいうまでもないことであるが、米国の今日の富力は世界大戦の結果であって其の戦争成金の七十三パーセントは猶太人の占むる所であることから考えても、其の米国財界に於ける勢力は窺われるのである。
其の活動方面は銀行、金貨、公債債券業、宝石類、デパート等は申すに及ばず我々日本人に直接関係ある活動写真工業、新聞通信、運送業、製糖業、煙草工業毛皮、棉花取引、穀物取引等は全然猶太人の独占業である。又缶詰業の五割余も既に其の掌中に帰し、特に農産物の取引には驚くべき怪腕を振って居る。
現在亜米利加の農家は猶太人仲買には悲鳴をあげて居るが、如何とも致し方ない現況である。猶太仲買人が農民間に介在して、其の利益を独占し問題を起した例は波蘭にもある。波蘭は初め西暦一三三三年カジミル大帝が大いにユダヤ人を歓迎入国せしむることによって、波蘭の商業を隆盛ならしめんとした所に発するが、猶太人は商業方面のみならず、之と共に農産物の方面に逐次勢力を伸長し、遂には波蘭の農産物の利益は挙げて猶太人の手に帰して了った。
之が為め波蘭の一部保守党は猶太人排斥の必要を認め、農民間に特別のコーペラティーフを作り対猶太ボイコットを為し、猶太仲買人の農産物の利益独占防止に努めた程であった。

さて翻って極東に於て一昨年来支那の銀が大暴落を来し、我が国でも満鉄あたりが非常の傷手を負い、財界の大問題であった。この時、銀専門家の研究によると、此の銀の暴落は周期的自然現象でなく人為的であり、而してこの人為的大作用は紐育猶太人の画策であるとのことであった。紐育といえば亜米利加猶太人の中心で、猶太人は約二百万、彼等自ら新エルサレムと称し、猶太金権の大根拠地である。
欧洲諸国の猶太金権の勢力は大は英仏より小は巴爾幹の小国に至る迄、其の富の大部は猶太人の手中にあると見て支障はないであろう。而して其の活動方面は米国と大同小異である。独逸は米国と反対に世界大戦の敗戦国であるが、此の戦争で独逸猶太人の富力は戦前に倍加し、独逸全財産の七十五パーセントを占むるに至ったという。
又同じく敗戦国土耳其は、世界で最も貧乏な猶太人を収容して居ると称せられて居るが、それでも土耳其人と猶太人一人との資本の割合は一に対し一、〇〇〇の割合で、君府商業の中心地スタンブールの市場は僅に四人の猶太人資本で動いて居る。

昔から地獄の沙汰も金次第というが、金は力の凡てでなくとも、大半の力である。斯くて事毎にある点までは金が物をいう。猶太金権の勢力が各国の政治、外交其の他有らゆる方面に如何に作用しつつあるか、恐らく想像以上であろう。従ってこの作用が我が日東帝国に大影響なしと何人が断言し得よう。

欧米の猶太金権に就いては以上に依って、其の概念は得らるることと思う。序であるから東洋方面の猶太金権に就て少しく述べて見よう。
支那貿易の中心で国際都市たる上海は、目下日支の戦場と化しその為め国際連盟や米国は、支那の暴虐を棚に上げて、日本にのみ文句を付けた。而してこの国際市場は今迄政治的にも経済的にも英国の延長であるかの如く思惟されて居った。 即ち上海の土地家屋の殆ど大部は英国人の所有であり、工部局も市参事会も英国の勢力下にあり、勿論貿易高も列強中第一位を占めて居る。併し之は皮相の観察である。之を仔細に観察する時は、それはアングロサクソンならぬ猶太人であることに驚くであろう。(つづく) 

上海に於けるユダヤ人の権力を第一に語るものは、共同租界の行政長官たる工部局長が、猶太人フェッセンデン氏である一事である。更に又数億の富を擁し上海の有らゆる方面に絶大の勢力を有する大富豪は、一番から五番迄ハードン、カドウリ、エヅラ、サスン、ジョセッフ等の猶太人である。
彼の南京路の大通りの大部分はハードン氏一人の所有であるのだ。尚お米国、独逸、波蘭、露西亜等に国籍を有する上海猶太人の各方面の勢力は実に偉大なるものがある。内面的に斯く観察すれば上海は英国の延長と考えるより『猶太人の上海』といった方が適当であろう
又彼等はこの上海を中心に漢口に天津に不動の根拠を据て居ることは見遁すべからざることである。上海セントジョンス大学教授ナイト博士は嘆じて『今や支那に於ける英国は共産党よりも寧ろ如何にして支那より猶太勢力を排除せんかが問題なり』と叫んだ。支那に於ける猶太金権の勢力は此の一言で尽きるではあるまいか。今や満蒙の権益は漸く我が手に帰せんとして居るが、此の満蒙を初め北支一帯から産出する毛皮類、羊毛、カシミヤ其の他革類の輸出は満洲、哈爾賓、天津等の猶太人の手に依って行われて居るのである。

今日迄支那本土に於ける経済的外国勢力は、英国に次いでは日本であるが、外国勢力の主力は猶太勢力である以上、日本が支那から駆逐された時、其の経済的勢力は自ら猶太人の掌中に収めらるるは当然だ。
然るに一方現下の満蒙及上海問題がジュネーヴに於て非常な難局に立ち、特に国際連盟の対日本の立役者がレーヂング卿、現外相サイモン、連盟事務総長ドラモンド等の猶太人であり、且つ又在支の活動者は彼のライヒマン博士、フエッセンデン、ランプソン等の猶太人であることに想到し、而して「猶太人の同胞は英国人にあらず猶太人なり」ということを考えたならば感想果して如何
目下上海事件に就て、英国人は支那に対する日本軍の徹底的膺懲を切望し、又一方英国サイモン外相を初め連盟側が、支那の暴虐を差し置き日本に対してのみ、横車を押しつつある奇現象に就て人々は或る一種の感想を起さずには居られまいと思う

序に革命について一言して置くことは今日の必要事であろう。革命に就ては猶太人は二千年来の研究者であり又実行者である。
事実に於て仏蘭西大革命を初めとし、世界大戦後の欧洲諸国の革命と云う革命に、猶太人の参加しないものがあったか?露国の革命に続いて独逸大帝国の崩壊、洪牙利の革命、土耳其の青年土耳其党の革命にさえ、猶太人の活動目醒しきものがある。
露西亜革命は実に猶太人の御蔭で成功したのだ。トロキー、ジュノウィエフ、ヨッフェは、何れもユダヤ人で、ロシアの共産党の緻密な組織は皆是等の猶太人が作ってやったのだ。日本人には勿論革命は罪悪だが、猶太人には罪悪でない、寧ろ彼等の使命であるのだ。猶太民族の中からマルクスが生れラサールが生じ、リーブクネヒトが出で、ベラクンがとび出すのも無理はない。

今の所謂共産主義は猶太族の産物だ、露西亜の産物ではない。露国の革命以前既に一八八〇年代猶太人が故国パレスタインに帰還し始むると同時にユデヤの地バレスタインにはエンハロードとか、ダガニヤとか十数個の共産村が生れ、此等の村々では現に理想的共産を実施して居る。而して真の共産を実行し得るは宗教民族たる猶太人以外には絶対に出来まい。特に自己の義務を忘れて権利許りを主張し、節制を排して自由のみを求め、而も放縦を以て自由と心得て居るような人々には共産生活は三日と出来ないであろう。
今や世界に分散する猶太民族は挙げて猶太国の建設に努力し、現にカナンの地にはシオン団の本部があって、国際連盟公認の下に着着建国の基礎を固めて居る。而してこの革命児猶太民族中、自己の国家に対し革命をなさんとした馬鹿者は一名もなく、又現猶太国パレスタインには、赤露の破壊主義者の一名も居ない事を銘記せねばならない。 近時我が国に於て革命を志す人達よ。同じく猶太人に倣うなら、世界の金権の方を願いたいものである。
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時事新報 1936.6.25 (昭和11)
フリーメーソンへの挑戦
世界最大秘密結社の非常時
横浜で仮面脱ぐ?
県当局遂に上京し重大なる打合せ [写真あり 省略]

【横浜電話】 フランス革命、ロシヤ革命、欧洲大戦其他幾多の重大な世界的事件の背後に暗躍し、国際連盟の日支交渉にも潜在的勢力を振ったといわれる怪奇の団体—世界最大秘密結社「フリーメーソン」の存在に対し我が警察当局は従来何等手をふれなかったが国際関係急迫し非常時を叫ばれている折柄此種団体の活動については十分なる研究考慮の下に適正善処するの必要を認めた神奈川県外事課では横浜に多数外人結社員の居住往来する関係から秘密裏に内定を進めた所意外なる事実が続々現われるに至ったが、フリーメーソンに対しては明治三十年外務省が手を触れぬ公約を結んだといわれ、団体が団体だけに核心にふれるには慎重に事を運ぶ必要があるので鈴木欧米係長等は数日前内務省警保局及警視庁外事課を訪い、フリーメーソン今後の取扱いについて重要な打合せを為し連絡をとって帰県した従来取締りの対象とならなかった同結社に対し断乎たる態度に出れば其奇怪なる全貌と組織は世界の驚異となって現れるであろう 外務当局語る 右について外務省情報部佐藤第一課長は語る『フリーメーソンの本部は米国に在る、結社員は大部分がユダヤのもので日本人でも在外居留民には加盟しているものもあるらしいが、その数は判然せぬ、国際的な結社であるだけにその動向は注目に価するが、帝国の国是に反する様な事実があれば遠慮無く摘発する方針だ、最近憲兵隊その他からフリーメーソンの実体、動向等に関する照会が増加している、神奈川県外事課で手を付けると云う話は未だ聞いていない』
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大阪毎日新聞 1938.2.17 (昭和13)
電力国家管理案の法制上の疑義に就て憲法の精神に反せざるや
電力国家管理案の再批判 慎重を要する私産の収用

逓相の誤算は猶太人の好餌
一億五千万円の唯奉公
もう一つは、本案の強行に因って五大電力会社の外債が信託証書違反の事実を以て期限の利益を失わしめられて元利金回収の手段に出られるとすると、外債の償還金額は額面に依るから現在の市価との差額を唯損することになる。例えば紐育相場(二月二日)東電六分利社債五十四弗1/4のものを利に敏い紐育市場人が額面百弗償還を目指して、どんどん買付けて来るとする、仮に額面償還を余儀なくされるとなると額面の四割六分を為替相場で換算した額丈け唯損することになって之が少くとも一億五千万円になる。之は原料を輸入する資金でもなければ軍需資材を買入れる資金でもない、唯で、無償で国の乏しい財布から猶大人に呉れてやることになるのである。斯う云う危険な結果を憂うることは独り経済人に限ったことではないのである。支那事変の相手は支那ではなく、其背後に在る者、英、ソの二国、就中イギリスであり、イギリスの権益を代表する猶太財閥の手が強力に働いていることは今日の常識であるが彼等が世界的に反日運動を有効に普及しつつあるのは日々の新聞で明かである、彼等が国際的に如何なる暗躍を為すかは想像に余りある所である。逓相が自己の考え丈けで、之丈けの手段を以て備えれば外国債権者も安心して差支ない筈だとの意味で自信を持って居られるならば、之は大きな誤算になろうも図られぬことであるのみでなく、其自信ある手段が見当外れであっては之をしも冒険と云わずして何と云おうか。英米殊に英国に対しては外交上愛想を尽かした我々ではなかったか。其猶太財閥の道徳的支援を経済問題に対して、利害の直接問題に対して、期待して居るのが電力問題解決の逓相の真意なることを委員会速記録の事実に依って知った我々は呆然たらざるを得ないのである。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00056029&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

読売新聞 1938.11.23-1938.11.25 (昭和13)
事変とユダヤ人問題 (上・中・下)
宇都宮希洋
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10014430&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

大阪時事新報 1939.12.24-1939.12.28 (昭和14) 
支那事変と欧州戦を繞る日米の関係 (1〜4) 
条約・中立法・東洋策・軍備拡張 
桑港本社特置員 川島伊佐美

米国民がなぜ斯く反日になったかというに第一は事変勃発当初以来の英国の大規模のシステマチック反日宣伝工作それから支那の間断なき哀訴的と日本呪詛的の対日悪宣伝と、大部分英国系から糸を曳き居る新聞通信の反日報道の頻発や、ドイツに深怨を有する米国政界財界に重勢力を有し殆んど米国経済界のキーを握っていると云われる猶太民族が「坊主が憎けりゃ袈裟迄憎い」という日本憎悪感の深刻化や更に在支英国系の資本家及び猶太人系資本家等の反日暗躍も加わり、その上ソ連より糸を曳き居る米国内の赤化分子の不断の反日排日運動等が相重なって今日の米国の全般的反日となりこの反日センチメントが竟に今回の日米条約廃棄を作ったものであろう
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10170253&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

大阪毎日新聞 1940.10.1 (昭和15) 
英国と結合"神の選民"と自任 
世界制覇を策する猶太族 

"皇軍仏印に進駐の交渉が開始されたのは六月下旬であったにもかかわらず、仏印当局が言を左右にして解決が三ヶ月近くのびた裏面には仏印為替管理局長として財政権を握っているユダヤ人ガネーの魔手が動いていた、ということが本社特派員の報道によって明かにされた、上海の反日勢力の大御所がユダヤ財閥サッスーンであることも知らぬ人はあるまい、こうなるといままで比較的日本には縁のうすいように思われがちであったユダヤ人問題というものがなかなかゆるがせにはできないことになる、こんどの欧洲戦争も一皮むいてみるとそこには色々の意味でユダヤ人の力が作用している、ナチスの対英標語であるところの"ユダヤ的金□者"という言葉をかりるまでもなく英国とユダヤ人というものが 不可分に結合していることは周知の事実だが、こういう点でローマ・テヴェレ紙の主筆で、民族問題に造詣のふかいテレジオ・インテルランディ氏が今年五月べルリンの雑誌「べルリン・ローマ・東京」に書いている「二つの神の選民」と題する論文は頗る興味深いものがある、以下その要旨を訳出してみよう ギリシャ語で英国を意味するBritanikeという言葉は元来ヘブライ語のBarat-anakからきたものである、バラトは島アナクは池を意味し"池の島"の語意、ギリシャの詩人ヘロドトスはKassi,Teriden(池中のもの)というほかの言葉でいまの英本国を呼んでいたことからみてもブリタニケがバラト=アナクの転化であることは間違いない、さてこのことは英国人がイスラエル民族の後裔であり英国人の祖先がアブラハムであることを裏書きするものだ、しかもこれは決して反英態度をとっているものが故意にでっちあげたことではなく一つは聖書によって、一つは実際の歴史によって証拠だてられるところなのだ。 ちょっと前、ロンドンで発行されている英猶雑誌「ナショナル・メッセージ」にこんな注目すべき文章がのっていた"英国民すなわちイスラエル人だという説をつくりごとだといってしまうのはわけのないことだが、アングロ・サクソン民族は全人類を救済する使命を委ねられた神の選民である事実は容易に否定できない、神の選民の任務は最高の理想にむかって献身的に責任を遂行することにあるのだ"ところでこのアングロ・サクソン族の世界(米国を含む)における英猶宣伝機関であるこの雑誌のいうところによるとアングロ・サクソンの"サクソン"は元来アイサクの子という意味であり、したがってアングロ・サクソン族はイスラエル人の先祖アブラハムの後裔ということになる 旧約聖書によるとアブラハムは妻サライに子がないため、その許しを得て奴隷の女ハガルと契り、その間にできたのがアラビヤ人の先祖イシマエルということになっている、サライはその後になってアブラハムの子を産んだが、これがアイサク、イスラエル諸種族の□祖となった、イスラエル種族は多種多族にわかれるがそのうちの一種族は欧洲をあちらこちらと放浪してあるいたあげく、いまの英国におちついた、アイサクの子すなわちアイサクソン—Isacson—で英国の王位はすなわちダヴィデの王位である、イシアエルの後裔であるアラビヤ人もそしてアイサクの他の妾ケトラとの間に出来た一種族ブラマン(インド)人も当然英国人に屈従すべきものであり、英国こそは全世界に散在するイスラエル人の結合体でなければならぬ、そして今度の戦争はイスラエル人の世界支配を確立すべきエホバの意思に基づくものである、というのが英国でもひろく支持されている説である アレンビー将軍がイスラチルの名において聖地パレスチナを占領したのも、ローレンスがアラビヤ人をしてダヴィデの王位(英国王)に奉仕せしめたのも、英国ではひろく認められているところだ、ところでアブラハムの血か数百年の長い間に如何なる径路をとって英国に流れこんだかについては上に引用したナショナル・メッセージ紙所載の系図を見て貰いたい(別図) ところで英人を神の選民として世界制覇の使命を帯びているとなす思想はこうした聖書の伝説をさぐるよりももっと現実的な問題として英国民のユダヤ化という事実を見るならばもっと明瞭にわかるだろう、モーゼス・マーガリヤスの著「英国におけるユダヤ人の歴史」を読むといかにユダヤ人が英国のユダヤ化に努力してきたかがよく分る、たとえば十三世紀にニューカッスル、ダービー、サザンプトンその他の諸都市はユダヤ人の居住を拒むことを公証されていたが、現在は ユダヤ人が自由に出入できないというよらな土地は猫の額ほどもない、そのころユダヤ人の権利、職業を制限する法律があったが、いまでは逆にユダヤ人が英人にイスラエル人代議士を□舉する権利を与えるような法律をだしたところで誰も怪しむものはないであろう、ユダヤ人解放後英国で最も著名になった二人のユダヤ人がある 一人はネーサン・ロスチャイルド、一人はべンジャミン・ディスレーリ、前者は東インド会社が□りだした八十万ポンドの金を買って、それによって英国の首を締める首輪の最初の一□を□た男、後者はヴィクトリヤ女王の寵愛を利用して英猶を合体せしめた男だ、ヴィクトリヤ女王の治世時代、アイサク=ライオン・ゴールドスミッド、ネーサン・メーヤー、ヘンリー・ド・ウォームス、シドニー・スターンなど多数のユダヤ人が華族に列せられた、今日ユダヤ人が英国で如何なる権力と財産をもっているか知りたい人はThe Jewish Year Bookを見るがいい、ただし今日のユダヤ人にはAbrahamをBrahms,Braham,BrayamにSamuelをSams,Sammy,SammelにBernardをBarnett,をBurnett,Bennet,Benにというように変えているからなかなか名前だけでは分らない 概算して約百年前英国に住むユダヤ人は約八千人(ロンドンに六千人)であったが今世紀の初頭英本土に少くも十六万 海外領土に十万と□せられた、英国人はしかもこのユダヤ化をむしろ誇りとして英猶合体の世界制覇に向わんとしたのである、ところがいまやこの神の選民たちの運命が漸くぐらついて来たのであって、いまでは予言者といえども「英人の将来は洋々たるものがある」などとはいい得ないであろう 
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10014356&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

日本工業新聞 1940.6.22 (昭和15) 
中南米への市場転換 
安売は絶対に慎しめ 
大阪市緊急貿易対策討議

それはヒトラが色々の機会に云っている通り欧洲の平和を乱すのはロンドンを中心とする金権主義の猶太人で、これを攻撃しプロトクラシー少数□□者を破壊し欧洲改造を行うのが独伊最後の目標であると見られるからである
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報知新聞 1941.6.23-1941.6.29 (昭和16)
アメリカの地底政府 (1〜6・完)

与論が白聖館を支配し、与論が政治的権機力に先駆するとまでいわれた与論の国アメリカ—その民主主義の牙城アメリカが今や一億三千万国民の与論を、"頬かぶり"して参戦の無限軌道を猪突驀進しようとしている、国民がストップと手を挙げているのに運転手ルーズヴェルトは赤信号を無視して遮二無二参戦の交叉点を渡ろうとしているのだ、冷静な与論を踏みにじってまでアメリカは何故"参戦"の危い橋を渡ろうとするのか、アメリカの実思を歪め、アメリカの与論を去勢するものは誰か?この疑問符をあぶり出しにかけると『参戦を煽るものユダヤ地底政府』という文字が大きく浮び上って来る、ニューヨークがジューヨークと呼ばれ、ニューディールがジューディールと皮肉られ、ニュースペーパーがジュースペーパーといわれるくらいジュー即ちユダヤ勢力が浸潤し、ユダヤの資金力によって金しばりにされているアメリカである、米の参戦近しが喧伝される今、ここにアメリカの参戦をあおる"ユダヤ地底政府"を白日下に暴き、参戦の鐘は論がために鳴るかを解剖して見よう

(1) 黄金の力ぞ偉大 
大統領選挙の裏を覗けばユダヤ財閥の大芝居 
ナポレオン一世がかってユダヤの恐るべき悪について述べた言葉のなかにユダヤは地球上癩病よりも恐ろしく他民族の体に附着せる寄生虫である という警句があるが、現代のアメリカはさしづめ政界といわず、財界といわず、言論、文化機関とあらゆるものをユダヤの寄生虫によってむしばまれた異常体質、異常国家である、下はギャングから上は大統領に至るまでユダヤの恩のかからないものはないといわれる位ユダヤ黄金力によってあやつられ、踊らされるドンキホーテ・アメリカ、その恐るべきユダヤ黄金王朝の威力を最も端的に示した卑近な例は昨秋の大統領選挙であった、ウイルキーか、ルーズヴェルトの三選かと世紀の話題を賑わした大統領選挙も、種を明かせばユダヤ地底政府が書御し—ユダヤ財閥が演出した国際的"からくり芝居"であったのだ 世界の金の三分の二以上を自己の懐におさめ、左団扇で凉しい顔をきめこんでいたユダヤ国際金融資本にとって今次大戦—ヒトラーの金本位打倒戦は恐るべき現状打破の□槌だ、ヒトラリズムを呪咀し、ナチスの覆滅を企図したユダヤは、アメリカの参戦によってドイツを叩きつぶし世界にみなぎる反ユダヤ思想を撲滅して国際金融資本を死守せんとした しかし一億三千万のアメリカ国民を馬車馬のように参戦街道へ駆りたてることは容易な業ではないそこで書卸されたのが一九四〇年の大統領選挙戦の"からくり芝居"であった、ユダヤ財閥の秘蔵っ子ウイルキーをさくらにこれも同じくユダヤ黄金力で金縛りにしたルーズヴェルトを花形役者に仕立てて演じられた世紀の"八百長芝居"ウイルキーが当選してもル大統領が三選してもアメリカを参戦へ引きずって行くようにとの手形で、ユダヤ財閥から巨額の選挙運動費が両派にバラまかれたこと勿論である、しかしユダヤの支配力はあらかじめルーズヴェルトの確定票を握っていてル大統領の三選即参戦を目標に、ウイルキーは飽くまでさくら、道化役者として筋書を進行させていたのだ、なぜならウイルキーよりもルーズヴェルトの方が参戦の与論を引ずって行くのにたくましい追力を持っているからである ユダヤ財閥の脚色、演出に成る"大統領選参戦劇"はこうして国際舞台に上演されたのである、しかしこれは楽屋裏のことであって、表面は巧妙にカムフラージュされ、ウイルキーとルーズヴェルトの鎬を削る舌戦、文書戦が展開されて行った ルーズヴェルトが徹頭徹尾援英を強調したのに対しウイルキーは戦争の圏外に止まることが合衆国の義務であると高らかに呼号し米国民及び世界の眼を巧妙にまどわしつつさくらの役割を果した、その間にユダヤの掌握する新聞、ラジオ、映画は盛んに参戦熱をあおりつつルーズヴェルトの三選即参戦へと与論をマス・プロダクションしていたのである、当時の日本あたりでもウイルキーが当選すればアメリカの参戦を阻止することが出来るからとウイルキー優勢?ウイルキー危し!の外電に一喜一憂した人々も少くなかったようだが、これなど笑止の沙汰だ、選挙の結果は筋書通りル大統領の三選となってユダヤ財閥の威力を遺憾なく誇示して終幕となった それから僅か数箇月後の本年一月世界のジャーナリズムを驚倒させる選挙後日談が突発した"ウイルキー仇敵ルーズヴェルトの親書を携えて英国に使す"というニュースである、選挙の際ルーズヴェルトの反対候補として文字通りの鎬を削ったウイルキーが、打倒ルーズヴェルトの舌の根もかわき切らない中に豹変も豹変政敵ルーズヴェルトの軍門に降って対英援助の使者としてロンドンに渡るというのであるから世界中がアッと驚いたのも無理はない、しかしこれもユダヤにとって見れば予定の筋書をプログラム通り取進めたのに過ぎないのであって、米国の識者は初めてウイルキーの正体を知り大統領選挙のからくりを看破したのであるが、時即に遅かったのである ウイルキーの英国訪問の費用は全部ウォール街から支出されたというし、英国での談合もドイツが提唱する新しい経済理念に対する金本位ブロック死守の相談であると伝えられるのは、ユダヤに対する彼の忠実なご用振りを如実に物語っているではないか 

(2) 買われる献□ 共にユダヤの□く 反猶の旋風に抗□の横顔 
大統領候補ともあろうものがユダヤの走狗を務めるなんてそんな馬鹿気たことがあり得るものでない、とその信憑を疑う人があるならルーズヴェルトとウィルキーの経歴を洗って見るがいい、ウニンテル・ウィルキーはそもそもドイツ系市民である、彼の肉体にわれっきとしたゲルマン民族の血が流れている、しかし彼はウォール街の願問弁護士から身を起しユダヤ金融資本家の庇護を受けてコンモンウェルズ・エンド・サザーン電力会社の社長にまで栄達した、いわばユダヤ財閥の給費生として今日の地位を築いたのである 今度の戦争でもドイツ系市民として当然『欧洲問題不干渉』『参戦反対』を絶対主張すべき立場にありながら、大統領選挙戦に敗れるや仇敵ルーズヴェルトの使者としてイギリスに渡り対英援助の御用を務めているのである、それだけならまだしも、三月五日ロンドンから空路帰国に際し祖国ドイツに対して次の如きメッセージを発表、ナチドイツを非難しているのである 自分は純粋なドイツ人の後裔であり、ゲルマンの血に誇りを感じている、しかし余は侵略と暴君を嫌う、そしてこれは自分ばかりでなくドイツ人の後裔である余の同国人もまた自分の信ずるところに全く同感の意を表している、独系米国人はナチ政府の侵略と力による征服慾を嫌悪し、これを拒否するものであると祖国罵倒の飛箭を放っている、そして米国に帰るやルーズヴェルトと□を並べて援英を煽動し、米国の参戦を強調しているのである 果せるかなユダヤ地底政府はウイルキーのユダヤに対する熱情的な献身振りを多とし"ユダヤに対する功績顕著なり"としてユダヤ歴戦勇士団の本年度メダルを授与したとAP通信は報じている、ルースヴェルトに至ってはよりユダヤ的色彩が濃い、彼がかって一九三五年三月十四日のニューヨーク・タイムスが紙上に述べたところによると 遠き過去において余の先祖はユダヤ人であったらしい、ルーズヴェルト家について余の知っていることはただオランダから渡来したクラエス・マルテンゼン・ヴン・ローゼンヴェルトの後裔だということだけだ と興味ある述懐をしている、またルーズヴェルト家の国籍に関して元ミシガン州知事チェイス・オズボーン氏が一九三四年の春、セントビータスバーグ・タイムズ紙の記者に語ったところによると ルーズヴェルト家の先祖は一六〇二年にスペインから放遂されたロスカンボ家の後胤である 同家はスペインから放遂されてからドイツ、オランダその他諸国に身の安全を求めた、そして家名はローゼンバーグ、ローゼンボーム、ローゼンブラム、ローズヴェルト、ローザンサル等に変更されたのである、そして北部オランダにおけるローモンヴェルト家は結局ルーズヴェルトと呼ばれるようになったが、同時にその初代ルーズヴェルトはユダヤ教の信仰を捨ててキリスト教に転じた、それ以来ルーズヴエルト家は代々キリスト教徒である、ただ四代目のジャコブ・ルーズヴェルトという商店主だけはユダヤ教の信仰を守り通した、このユダヤ人の血統があるのでルーズヴェルト大統領の血液の中には安全を求める強烈な血液がある とルーズヴェルトにユダヤの血が流れていることを立証している —血は争えず ル大統領の性格は多分にユダヤ的だといわれる、彼は伝統と因襲を極端に嫌悪する、これはユダヤの特徴である、伝統と因襲が重んじられる国ではユダヤの存立が許されないからである、ル大統領はまた言行不一致で自己の約束を平然破棄する、これもユダヤ人特有の性格である —血は水よりも濃し ル大統領は世界でも有数のユダヤ保護者である、彼の側近、いわゆるブレーン・トラストはほとんどユダヤの勢力で固めているといわれる位の親猶冢である、だから世界のユダヤ同族は彼をユダヤ民族のチャンピオンとして崇め新時代のモーゼと尊敬している、米国のユダヤ地底政府はル大統領のユダヤに対する抜群の功績に酬いるためゴットハイルメダルを授与したと一九三八年一月十四日付のアメリカン・ヘブリュー誌は伝えている、その表彰事由は ル大統領は一九三七年ユダヤ人と米国人間の親善運動に多大の尽力をし顕著なるサーヴィスをなした、またル大統領が世界的の反猶運動に対し猛烈にして、明快な演説をシカゴ市において行った功労による と記されてあるそうで、これによってもル大統領のユダヤに対する並々ならぬ献身振りが察知出来るのである ユダヤ排□の本陣ドイツでは最近戦争をたきつけるユダヤ英米帝国主義者のことを"第六部隊"とやゆしているが、ユダヤの金権太夫に操られて米国の参戦を煽るル大統領などはさしづめ"第六部隊長"の名称を奉らるべきところであう、ル大統領ばかりでなく白聖館の主は初代大統領ワシントン以来ほとんど大部分がユダヤの支持者で、しかも揃ってユダヤの秘密結社フリーメーソンの結社員であるといわれる 

(3) 重慶政府は"出張所" 戦火の挑発者秘密結社は躍る 笑止や蒋夫妻もその一員 先ず挙げただけでもジャクソン、ボルク、ブカナン、ジョンソン、ガーフィールド、マッキンレイ、セオドル・ルーズヴェルト、タフト、ジェファーソン、モンロー、ハーヂング、ウイルソンと十指にあまる大統領がフリーメーソンの結社員だといわれ、また結社員ならざるものは大統領となる資格がないとまでいわれている、現に反猶的な色彩をもっていたクーリッヂ大統領はその反猶的な言動が祟って怪死を遂げ、いまだにその死因は分らないが、おそらくユダヤの魔の手にかかったものと信じられている、一方第一次戦の大立物ウイルソン大統領はユダヤの伏魔殿ともいうべき国際連盟をつくったのを初めユダヤに貢献したお陰で、ブリンストン大学総長時代の彼の桃色事件はついに新聞種にならずに済んだといわれる、その闇取引の陰には米国軍需委員長で大戦中アメリカの経済界を掌握していたユダヤ人バーナード・バラックの奔走が大いに与かって力があったということで、これによっても歴代大統領の陰に糸を引くユダヤ地底政府の威力が思いやられる、白聖館現在の主ルーズヴェルト大統領も今から三十年前の一千九百十一年十一月二十八日にニューヨークのホーランド・ロッジ第八号結社でフリーメーソンに加盟し、その後一千九百二十九年にはアルバニーで同結社の第三十二級を授けられたということである(フリーメーソン結社の最上級は三十二級である) またル大統領の愛息二人もつい最近フリーメーソン秘密結社に加盟したと伝えられている、ここでちょっとフリーメーソンについて簡単に説明して置こう、元来フリーメーソン結社は非ユダヤ人によって創設され発達したものであるが、ユダヤ民族特有の根強く巧妙な策動によって現在ではフリーメーソン結社の中心勢力は各国共ユダヤ人によって掌握され、ユダヤ人によって指導されている、そして最近ではほとんど彼等の世界革命即ちユダヤ王国建設のための陰謀機関となるに至った、フリーメーソン結社が表面掲げるモットーは人道主義、自由平等、博愛とひどくしかつめらしいものであるが、これは完全な羊頭狗肉であって、同結社の目的とするところは無神論的な世界共和国の建設にある これはそのままユダヤ世界制覇の野望と一致する、ドイツ、イタリアではフリーメーソンはユダヤ地底政府の一翼を形成するものであると喝破してつとに結社を禁止、またポルトガル、スペイン、ルーマニア、ブルガリア、トルコ等の諸国でもこれに習っている、兔に角ユダヤとフリーメーソンとは楯の両面であってユダヤの陰謀とフリーメーソンの策謀とは常に影の形に添う如く連れ添うことを忘れてはならない 第一次世界大戦がユダヤ人によって計画され、ユダヤ人によって遂行されたことはあまりに有名であるが、その第一次大戦を点火した彼のサラエボの一青年こそは実にフリーメーソン結社員であった それでは今次大戦にけるフリーメーソンの役割はどうか、世界をおおう硝煙と鉄火の陰に仕掛けられた時計爆弾、フリーメーソン結社の陰謀のあることを忘れてはならない、ここにおいてアメリカ参戦の性格が初めて明らかにされるのだ、試みに世界の地図を枢軸国と連合国の二色に分けて見るがよい、そしてアメリカの援助のもとに抗戦を続けるイギリスと、重慶政権の元首並に独裁者が誰であるかを想起して貰いたい イギリス皇帝ジョージ六世陛下並に将介石こそはアメリカ大統領ルーズヴェルトと共に実にフリーメーソン結社員なのであるジョージ六世陛下は今から二十二年前の十二月三日にロンドンでフリーメーソンに加盟され、結社番号二千六百十三号を持っておられる、将介石に至っては宋子文、宋美齢などの宋家一門とともに挙げてフリーメーソンの有力なメンバーであり、ユダヤ財閥と結社して軍政権下の人民を絞り上げている ユダヤ国際金融資本にとって重慶政権は彼等の支那出張所であり、将介石は実にジュー介石なのである、一昨年の夏イギリス皇帝がカナダ訪問のお席を以てワシントンに赴かれ、ルーズヴェルトと会見、また最近ルーズヴェルトの子息(前述の通りフリーメーソンに加盟している)が重慶を訪問して大歓迎を受けたことは何を物語るか、フリーメーソン結社には一旦結社に加盟した以上は結社員は互に兄弟の関係を結んで扶け合い、一方の兄弟から援助を乞われた場合は万難を排しても扶け合うという仁義がある とするとル大統領とイギリス皇帝とは兄弟であり、ル大統領と将介石とも兄弟であり、またイギリス皇帝と将介石とも兄弟であるということになる、ル大統領が自国を民主主義国の兵器廠と化してまで狂人じみたイギリス援助、重慶政権援助に狂奔する無軌道的な行動の陰には、フリーメーソンの仁義がル大統領の心理に大きく影響していることを見逃してはならない、アメリカ参戦の鍵はここにもあることを忘れてはならない 

(4) 乱れ飛ぶデマの本拠 
騒ぐ世人尻目に楽屋裏で赤い舌 
燃えさかる大戦の戦火はついに独ソ国境に飛んだきのうまで固く握られていた独ソの握手が、きょうは反撃のアッパーカットとなってベルリンからモスコーの顔面へ飛んでいる、まこと猫眼のようにめまぐるしい世界の情勢である、ひとり北□笑むのはユダヤ国際金融資本であろう さて独ソ交戦に先だって去る十九日ニューヨーク、ロンドンの新聞街を震源地として 独ソ国交断絶ドイツ軍大挙ソ連に進入 というセンセーショナルなニュースが青天の霹靂の如く全世界に撒布され、世界の人々の耳目を□動したことはまだ読者の記憶に生々しいことこと思う、これは間もなく英米側から流布されたデマと判明したが、なんぞはからん、このデマの紙つぶてこそは実にユダヤ地底政府の製造したものである 資金が世界第一の力であるならば出版物は第二の力である とユダヤ人アドルフ・クレミエが述べているようにユダヤは世界の初めニューヨーク・ヘラルド紙、ニューヨーク・ポスト紙、フィラデルフィア・レコード紙、ニューヨーク・ワールド紙と全米要衝の有力紙はほとんどユダヤ資本の傘下にあり、その他数え上げたら際限がなく、アメリカでニュースペーパーがジユースペーパーといわれるのもまことに宜なる哉と思わせるものがあるここで見逃してならないとは新聞事業の投資者並に新聞機構内の支配者がユダヤ人であるばかりでなく、新聞の糧道である広告の八割までがまたユダヤ人企業家によって占められ、殊にアメリカの諸新聞は百貨店の広告をドル箱としている関係上、ユダヤ系百貨店の日刊新聞に及ぼす影響は想像以上に大きいものがあるということだ、ここにそれを立証する一挿話がある ニューヨーク・ヘラルド紙は最後までユダヤ禍と戦い通した新聞として有名である、同紙の社長ジェームス・ペネット氏は敢然としてユダヤの財閥に挑戦し、死に至るまでジユーの軍門に降ることはなかった、彼はかってニューヨーク一流の百貨店を経営するユダヤ人社長から市長立候補についての応援を依頼された、氏はその時この手紙を紙上に公表してその策動を暴き断然拒否したのである、その結果ユダヤ広告主の経済封鎖を喰ってそのための損失は毎年二百五十万マルクといわれるほどの財政的苦痛であったという、しかし彼は非ユダヤ人の広告料を安くし顧客を吸収して死に至るまで経営を維持しユダヤと戦い続けたのであったが、この光栄ある孤立も彼の死後無残に蹂躪されて同紙は間もなくニューヨーク・サン紙と合併、ユダヤ財閥の交渉下におかれることことなった 与論を神聖視し、与論の敵を仇視し与論のためには自己を殺してまで盲従するというアメリカ国民はかくしてユダヤ言論機関によって圧迫、歪曲、捏造された変質与論に踊らされて反日、反ナチを叫びついにはアメリカ参戦の旗手たらんとまでしている 

(5) 仮面剥れた米国映画 
恋愛や文化にも破壊の触角 
天を衝くマンハッタン、炬火を掲げる自由の女神、不夜城タイムス・スクエア、映画の都ハリウッド、そしてGメン、カウボーイ、ギャング—と、映画といえば反射的にこれ等一連のアメリカ影像が脳裏に浮び上ってくるほどアメリカ映画が我が国民殊に若き青年子女の上に及ぼした影響はかって著しいものがあった、事変以来は為替管理の強化でアメリカ映画の輸入も月々数える程に制限されてしまったのでその影響もほとんど目立たなくなってしまったが、一時は若い女性のモードが全くアメリカ映画によって支配され、和製デイトリッヒ、和製ガルボ、和製ヘップバーンをきどった女性が百鬼夜行のように銀座、新宿街頭を闊歩し、日本観光に来たアメリカ人がびっくりしてツーリスト・ビューローに注意の手紙を置いて行くというような笑えぬナンセンスさえ生んだことがあった 振分の髪を短み春草を髪にたくらむ妹をしぞ思う と万葉の女性以来大和撫子が誇り続けて来た丈なす黒髪がすつぽりと切られてスズメの巣のようなパーマネントに変り、眉毛を落して三日月眉毛をかいたりするような風潮が流行したのも全くアメリカ映画のお陰であった、恋愛至上主義、刹那主義、享楽主義、尖端好奇、モダニズム、道徳軽視と人間獣化の恐るべき風潮が若い青年男女の間に燎原の火のように燃えさかったのもアメリカ映画のスクリーンがまき散らした影響であった、このアメリカ映画こそ言論機関と共にユダヤ金融資本が一手に掌握する独占事業なのである、ハリウッドはユダヤのエルサレムであり、ジユーのメッカであり、ウオール街と共にユダヤ地底政府の本丸ともいえるのである、現在アメリカの代表的映画会社でユダヤ人の息のかからないものは一つもない パラマウントはユダヤ人アドルフ・ヅーカーの経営であり、ユニヴァーサルはユダヤ人カール・ラムリの創立にかかり、ラムリ一家が過半数の株券を所有している メトロ・ゴールドウィン・メーヤーはマーカス・リユー、ルイズ・メーヤー、カール・レムールの三ユダヤ人の共同経金の三分の二を自己金庫に納める一方"紙の砲弾""ペンの爆弾"ともいうべき言論機関を着々その傘下に吸収して今や世界の新聞通信事業の七十パセントを一手に掌握して世界の与諭を意のままに虚造、歪曲、捏造している、ロイテル、AP、UP、アヴァスの四大通信社を初め全世界にくもの巣のように張りめぐらされたユダヤの言論機関はユダヤ地底政府の発する捐令のままに反日、反ナチ、反枢軸のデマニュースを毒ガス弾のように全世界に撒布して彼等の国際金融資本を擁護し、世界の新秩序を死守せんとしている 去る十九日の独ソ交戦!のデマも独ソ国境の逼迫感を利用したユダヤ言論機関が世界の与論を煽って一日も早く独ソ開戦を焚きつけんとした作為的虚報であることは一見して分る、試みに二十日付東京各紙夕刊に掲戦された"独ソ衝突"の記事出所を調べて見ると 【ニューヨーク発同盟】ロンドンのロイテル通信社がトルコから入手した情報によると…… 【ロンドン発同盟】ロイテル通信社は十八日NBC放送局アンカラ特派員の報道として…… 【ニューヨーク特電】コロンビア放送会社アンカラ特派員報道…… 【ロンドン特電】ロンドン有力紙デーリー・メールは十九日確実な筋より得たる情報として…… 【ニューヨーク特電】十八日ロンドンより当地に達したAP通信社の確認されざる情報によれば…… 【ニューヨーク発同盟】ロンドンAP通信報道によれば…… とデマの出所は期せずしてユダヤ系の新聞通信社並に放送会社である 先ずロイテル通信社はユダヤ系の勢力下にあることはあまりにも有名で、かって昭和十一年の台湾基隆港における英兵暴行事件の際悪意的反日ニュースを撒布して世界の与論を煽ったのもロイテルの所為である、NBC放送会社はユダヤ人のディヴィッド・サーノフが社長であり、コロンビア放送会社も会長はユダヤ人ウィリアム・ベイリである、またデーリー・メール紙は前大戦の時ドイツが武力戦で勝ちながら宣伝戦のため敗れたとルーデンドルフ元師をして千秋の恨をかこたしめた英国宣伝戦の総参謀格である有名なノースクリップ卿の創立にかかるものでいわずと知れたユダヤ系、更にAP(アソエニテッド・プレス通信社)はアメリカにおいてUPと並び称されるユダヤ資本の大通信社である とデマの製造者を洗って見れば揃いも揃って同じ穴のユダヤである、結局十九日のホットニュースは独ソの国境緊張を察知したユダヤ系言論機関が両国の交戦を拍車せんと捏造したデマでトルコの首府アンカラ駐在のアメリカのNBC、コロンビア両放送会社並にアメリカのAP、イギリスのロイテル両通信社の特派員をして打電せしめた虚報を更にロンドン、ニューヨークのユダヤ系新聞が一斉に尾鰭をつけて報道したもので、ここにも大戦の楽屋裏に戦火の拡大を煽るユダヤ地底政府の恐るべき陰謀がある、大戦以来このようなデマニュースがどれだけ撤布されたことであろう、ユダヤ系の紙鉄砲から日毎夜毎発射される大小さまざまの虚報こそは実に満洲の新秩序を、そして東亜の新秩序を阻止する大きな障碍物である、今や枢軸国を除く全世界の目と目はユダヤ系に着色された情報によって全く色盲にされてしまっている 今春ユーゴスラヴィアが一旦三国同盟に参加しながらクーデターによって反独戦争を起したのも全くユダヤの言論機関に踊らされた結果であるし、蘭印政府が東亜共栄圏参加を頑強に拒んで日本に楯つくのもユダヤ通信機関によって"英国最後の勝利"を吹込まれているからであることを銘記しなければならない、支那事変当初我国で対外宣伝の拙劣さが喧しく小田原評定されたことがあった、満洲、上海両事変以来日本の宣伝は下手で、支那の宣伝は白髪三千丈式で巧みだと定義されたのであったがこれはものの表面を見た定義で如何に日本の宣伝が正義人道を説いても世界の言論機関の七割を握るユダヤ地底政府が支那ユダヤ財閥援護のために親支反日的な報道を行ってはてんで太刀打も出来ないのである、反日ニュースの最も代表的な例は米砲艦バネー号事件の時アメリカのユダヤ系新聞通信が爆撃の真相を伝えず、日本空軍の恐怖のみを書立てて米国民の反日感情を尖鋭化し、今にも日米戦争が起るかと思わせる程の煽動的、作意的宣伝を行ったことである 全然ユダヤの息のかかっていないアメリカ国民主義同盟ニュースの伝える処によると、バネー号事件の時の与論硬化は十億ドルの機密費を持つユダヤ宣伝機関の使そうの結果であるとその陰謀を暴露している、この一例を見てもわかるように今やアメリカの興論はユダヤ言論機関によってユダヤの意のまま飴細工のようにこねくり廻されている、ここでアメリカにおるユダヤ勢力下の新聞通信機関を一瞥して見よう AP、UPの二大通信社がユダヤ資本下にあることは既に述べたが、新聞ではロンドン・タイムスと併称され世界的権威を有するニューヨーク・タイムスを□、コロンビアは同社資本の九十六パセントまでがユダヤ系で、実権はハリー・コーヘンというユダヤ人が握っている、R・K・Oも会長はユダヤ人レオ・スピッツで資本はユダヤ系レーマン兄弟会社の支出、ユーナイテッド・アーチスツ社の大株主もダグラス・フェアバンクス、サム・ゴールドウインといずれもユダヤ人、フォックスも重役会長はジョセフ・スケンクというユダヤ人と数えあげたら際限がない、またトーキーの世界三大会社たるウェスタン・エレクトリック会社、R・C・A会社、トビス会社はいずれもユダヤ人の経営である、映画製作者では現在八十五名のうち五十三名がユダヤ人で、また監督陣ではルビッチ、スタフバーク、グリフィス等、俳優はチヤップリン、ロイド、キートン、シルヴィア・シドニイ、ピックフォード、エデイ・カンター、ポール・ムニ、アンナ・ステン、ジャッキー・クーガンと枚挙にいとまがない、かくてアメリカ産業の第四位を占あるといわれる映画産業を独占したユダヤ地底政府は、これによって巨利を博する一方映画を利用してアメリカの与論をユダヤの意のままに動かしているのである、ユダヤの地底政府はハリウッドに対し毎年九月になると満一箇年間の映画製作仕様書を配布し、各映画会社は大体このスケヂュールに従って製作を行うといわれている、最近あちらで封切られ四箇月続映という大当りを博したチャップリンの"独裁者"などは完全に反ナチ宣伝の意図をもって製作されたものである、筋書は ユダヤ人の床屋が独裁者ヒンケルに似ているというので偶然 政治犯収容所を出て、オストリッチ国に侵入、ヒンケルの替玉となって演壇に立ち自由の宣言を行う という道化役を使ってヒトラー及びナチを風刺したもので、ユダヤ人のチャップリンが例によって自ら原作を書きおろし、監督し、主演したものである、その外最近のアメリカ映画は戦争一色に塗りつぶされ、ユダヤ傘下の新聞、ラジオ、雑誌などと歩調を揃えてアメリカ国民を参戦へ駆立てている、上院孤立派のホイラー議員などは大いに憤慨して『パラマウント会社を初め各映画会社が戦争を煽動する映画を作り、商売に利用するのはアメリカを損うものだ』と抗議書をハリウッドに叩きつけたが、映画会社は一向に反省の色もなく盛んに戦争熱を煽動しているのである、ユダヤはまた映画を三S政策の一翼として利用していることを忘れてはならない、三S政策とはセックス、スクリーン、スポーツによって国際主義を高揚し道徳を破壊し家族制度、社会秩序を攪乱しユダヤ思想への同化を誘導するものである、事変前ユダヤの三S政策は段々として日本に押寄せ青年男女を初め日本の交化層を腐蝕し、まさに日本精神は懐滅に瀕せんとした、アメリカ交化の仮面をかぶった映画は冒頭で述べたように我が純真な青年男女の気風に大きな悪影響を与え、浮華軽佻、侈奢逸楽の都会生活を謳歌せしめるようになった、またセックス即ち歓楽界への影響はバンテージ・ショー、マーカス・ショー等の来□上演を契機にいかがわしいレヴュー、ショーが娯楽街を風靡し、ジャズ音楽、ダンス・ホールの盛況等が人心の□□を招いたのを初めアメリカ判事リンゼーの著作になる『友愛結婚』や某婦人雑誌に掲載され販売禁止になった元仏首相でユダヤ人のレオン・ブルムの論文になる『幸福な結婚』の如きは全世界の処女に結婚前の身を誤らせる如き恐るべき恋愛倫理を撒布して我国の性道徳をも破壊せんと試みた、スポーツの悪影響は我国においては比較的少かったが、それでもスポーツ英雄崇拝の風潮は女学生の外人選手サイン問題となって教育界に大きな暗影を投じたのであった、このようにして事変前ユダヤの文化侵攻、三S政策はまさに我国の醇風美俗を根底から破壊せんとしたのであるが、支那事変の勃発によって幸いにもこの怖るべきユダヤ禍から免れることが出来たのである、春秋の筆法をもってすれば『支那事変日本のユダヤ禍を防ぐ』ということろであるが、我々はむしろ支那事変をもってユダヤ打倒の聖戦たらしめねばならない ロスチャイルドのような千万長者から下はニューヨークのイーストサイドユダヤ人窟に巣喰う一文なしに至るまでユダヤ人の共通した特質は金に対する執着と狡智である、在米那人はユダヤのことを九一と呼んでいる、九に一をたせばジユーになるというのであるが、また一面九一といえば拝金主義者の代名詞を意味するというくらいジユーの吝嗇性をさげすんでいる 

(6) 銭の金にも□ 世界の血□亡者 
私はジユーの母と娘が電車賃をお互に相手に支払わせようとして争っているのを見て不愉快に思ったことがある、母は娘に払えという、娘はおっ母さんは自分で持っているではないか、何故私が払わなければならないのかと衆人環視の中で頭を真赤にしていがみ合っていた この二つの例はよくユダヤの性格を赤裸々に描写していると思う、こうした義理人情もない貨幣への叩頭、金への執着、拝金主義がつもりつもって今日のユダヤ国際金融資本、ユダヤ黄金王朝を築いたのである、現在世界におけるユダヤの財産は推定五千億万円という天文学的数字を数えているが、その中の約三分の二がアメリカ・ユダヤの懐ろに山吹色の光を放っている スポットライトをウオール街に向けて見よう、そこに浮び上ってくる花形役者二人—片や"ドルの王者"モルガン、資産百八十億ドル(邦貨約七百億円)片や"黄金王朝の皇帝ネロ"クーン・ローエブ商会主ヤコブ・シッフ、資産二百五十億ドル(約一千億円)この二人こそはアメリカ・ユダヤ富豪番付を飾る両横綱である 大統領を黄金しばりにし、アメリカ国民をドルの奴隷とするユダヤ黄金王朝の全貌を剔抉するには膨大なスペースを要するのでここにはモルガン、シッフ両ユダヤ巨頭の黄金罪悪史を掲げてユダヤ千万長者の片鱗を描写するにとどめよう アメリカ排猶陣の旗頭自動車王フォードは『第一次大戦最大の利得者、それはユダヤ人だ』と喝破しているが、事実四年半の間ヨーロッパを咬み合せ、敵味方二股かけて軍需品を売込み、戦争を長びかすことによって巨利を拍したのは彼等ユダヤ人であった 数千億ドルの戦費と二千八百万人の流血をすすって豚ように太ったジユー、わけてもアメリカ軍需工場は配当率五百割という驚異的利益率を挙げたが、その儲け頭こそクーン・ローエブ商会のシッフ一党であったのだヤコブ・シッフは近世ユダヤ財閥発祥の地といわれるドイツ、フランクフルトの出身で一八九五年アメリカに渡りローエブの長女と結婚、女婿となったが、生来の経才は忽ちにしてアメリカ経済界を席巻、アメリカ・ユダヤ人の大同団結を図って全米にユダヤ銀行の一大トラストを形成した、そして第一次大戦後の不況と一九二九年の大恐慌を織込んだ一九二三年から三二年の僅か十年間に閉鎖された非ユダヤ系銀行七千五百近くをことごとくその傘下におさめてしまったしかも一九二九年フーヴァー大統領時代の大恐慌もシッフ一党の計画的陰謀であった、インフレ政策を金看板にフーヴァーを当選させたユダヤ財閥は彼等一流のトリックを弄して全米に株式熱を奔騰させ、大戦景気で懐ろの温いアメリカ国民の金をことごとく株式□券に代えさせたことで米の非ユダヤ人銀行を一斉に取付けてしまった かくて彼等が吊上げた株価の差額は奔流のようにユダヤの懐ろに、シッフの金庫に雪崩込んだのである、これが黄金の魔術師ユダヤ財閥の演じたアメリカ経済恐慌の正体である、またシッフについて銘記して置かねばならないことは日露戦争の時彼が日本に財的援助をなしたことである、故高橋是清氏が財務官として国債募集に行った時『日本の勝利を望む』といってポンと二億五千万円の金を借してくれたのは実に彼シッフであった、ところでシッフは本当に日本の勝利を望んでいたかというと、決してそうでなく、ここにもユダヤ一流の狡猾な智計が秘められている それは当時ロシアのロマノフ王朝が猛烈にユダヤ人を排斥していたので、日本を扶けロシアを敗戦に導き革命を起させることが目的であっていわば他人の褌で相撲を取ろうとしたのである、その後一九一七年ロシア革命のときにもシッフは一千二百億ドルをレニン、トロツキー、リトウイノフ等のユダヤ人テロリストに軍資金として提供、ついに宿望の帝政ロシア打倒を達成してしまった さて片や"ドルの王者"モルガンは戦争挑発者として既にあまりにも有名だ、前大戦のときアメリカ参戦の口火を切ったモルガンがまたもやルーズヴェルトを駆立ててアメリカを参戦街道へ追いやろうとしている、参戦反対派のアメリカ上下両院議員が去る三月十一日、ワシントンの上院議員ジョンソン氏私邸に集まって参戦の反対運動展開につき協議を遂げた席上、孤立派の領袖ホイラー上院議員はモルガンとルーズヴェルトの"馴合い"を次の如く暴露している 私は七十憶ドルの数字に少しも驚かない、これはルーズヴェルト政府が欧洲戦争をたきつけるほんの序の口に過ぎないからだ、アメリカの納税者はどえらい権限を大統領に与えてしまったからには一大決心をしなわればなるまい、おそらく納税額が現在の二倍となり、公債発行額の最高限度も現在の六百五十億ドルから一躍一千憶ドルに改正される日の来るのも遠くはあるまい、これはまさにモルガン財閥と国際銀行家達が望んでいるところである ユダヤ金権打倒の選手"ナチス"に対して金融資本擁護の選手"ルーズヴェルト"は今やまさにチャレンヂ・ゲームを挑もうとしている、そのルーズヴェルトのパトロンこそモルガンであり、参戦のゴングを鳴らす影武者こそモルガン財閥である アメリカにこんなジヨークがある ユダヤ人が帽子屋に行って帽子の値段を聞く ジユー『これは大き過ぎる、耳がすつぽり入ってしまうが値段はいくらだね』 帽子屋『四円でごさいます』 ジユー『この方は下度よい、値段はいくらかね』 帽子屋『失張り四円でごさいます』 ジユー『そうか、それじゃ大きい方を貰う』 また舞踊家伊藤道郎氏はその著『アメリカ』の中でユダヤ人気運を次のように書いている 

(完) 参戦へ煽動する毒杯 "自由の女神"も遂に歎く猶太化 
中央協力会議総会の席上石井情報局第三部長が『米国与論の動向』について説明を行った中に 米国の現状はあたかもプールの飛込台と水面の中間にあり、まだ水に濡れてはいないが今更飛込台に戻ることは出来ないという興味ある引例を用いていたが、アメリカを飛込台から参戦のプールへ突き落した者こそユダヤ国際金融資本でありユダヤ地底政府である、アメリカ大陸の地底深く根を張ったユダヤ秘密国家は毒蜘蛛さながらブナイ・ブリス、ケヒラ、フリーメーソン、ミオン団、ユダヤ人同盟、ロータリー倶楽部、救世軍とさまざまの毒糸を張りめぐらして一億三千万のアメリカ国民を参戦の大謀網に追込んでいる ルーズヴェルトの側近には"陰の大統領"といわれるフランクフルター大審院判事を初めモーゲンソー財務長官、イックス内務長官、ローゼンマン判事のユダヤ四天王が傲然と居据わり白聖館をユダヤ地底政府の意のままに動かしている、ル大統領のブレーン・トラスト三十人の中二十九人までがユダヤ人だといわれ、大統領の顧問格バーナード・バルーク、デヴィド・デュビンスキー、ヘンリー・ホーナー、ハーヴァート・レーマン、レオ・ウォルマン等もすべてユダヤ一色、歴代大統領のうちで最もすぐれているといわれるルーズヴェルトの演説はベンジャミン・コーヘンというユダヤ人の下書きになるもので、ニューディール政策も実に彼コーヘンの樹立したもの、反枢軸国の経済戦に来配を揮い日本に対する輸出禁止を画策したのはモーゲンソーであり、大統領の露骨な親英政策は私的交友関係の深いフランクフルターの親英思想が深く影響しているといわれる、兔に角今アメリカで最も声高に参戦の音頭取をやっているのは、何れも皆甲羅の生えたユダヤあるいは親猶政治家ばかりである アメリカは今やまさにジユーナイテッド・ステーツ・オブ・アメリカと改称せねばならない、ヒトラーの弾圧政策に追われたユダヤ避難民はその流氓の主流をアメリカへ向け滔々として流れ込んでいる"自由の女神"を玄関番にするアメリカこそユダヤの理想境であり、ユダヤの楽天地であり、そして永遠のエルサレムであるとばかり怒濤のように雪崩れ入っているのである 欧洲唯一の中立地帯リスボンからクリッパー機で飛んで来る千万長者を初め、ユダヤ救済協会の旅費補助によってシベリア、日本経由でやっとのこと西海岸にたどりつく貧窮の流亡者に至るまでユダヤ避難民の求める新天地は□って星条旗の下である『フランス敗れたり』の著者アンドレ・モーロア、相対性原理で有名なアインシュタインを初め著名のユダヤ人も多数交っているが、最近アメリカにおいてノーベル賞の受賞者が殖えたといわれるのもこれ等ユダヤ系学者の亡命のためである かくて従来ユダヤ最大の保護国であるイギリスの敗色を目の辺りに見たユダヤ人は米国をユダヤ永遠の城砦とすべく碧々準備を進めているのだ、近東の沙漠地帯でしかも猫の額ほどの面積しかない彼等の祖国パレスチナにくらべればアメリカは土地も広く富も豊かだ、そして既に政界、財界、言論界、文化方面とアメリカ各層に亘るユダヤ化の地均しは九分通り完成している、ユダヤの新しき祖国アメリカ、彼等のシオニズム(祖国復興)運動の目標は今やパレスチナからアメリカに書換えられようとしているのだ そもそもアメリカ大陸を発見したコロンブスそのものがユダヤ人である、当時スペイン、ポルトガルを初め全欧にみなぎっていたユダヤ人迫害と追放のはけ口として取上げられたのが未開の南北米大陸であった、コロンブスの新天地探険の状途を援助したものはスペイン王室収税宮サンタンゲルを初め大蔵大臣、出納官等のユダヤ人で彼等がイサベラ女王を動かして王室から三十万円の探険費用を無利于で貸与えることに成功したのだ、全欧ユダヤ人の□望を集めたコロンブスは困苦艱難と闘ってついに新世界を発見した、そして欧洲を追放されたユダヤ人七十万は怒濤のように新天地アメリカへ向け殺到したのだ だからアメリカは開拓建国から現在に至るまでユダヤ人の手によってなされたといっても過言ではない"漂浪ユダヤ人"という語が固有名詞として取扱われているほどさまよい続けた彼等も今こそ安住の地を得ようとしているのである、ここでちょっとアメリカにおけるユダヤ人口の歴史的増加を数字によって示して見よう 一八〇〇年 二、〇〇〇人 一八五〇年 五〇、〇〇〇 一八八〇年 二三〇、〇〇〇 一八九〇年 五〇〇、〇〇〇 一九〇〇年 一、〇〇〇、〇〇〇 一九一〇年 二、二〇〇、〇〇〇 一九二〇年 三、二〇〇、〇〇〇 一九三〇年 四、四〇〇、〇〇〇 一九三三年 四、五〇〇、〇〇〇 と幾何級数的な増加を示している最近は正確な数字がないが恐らく六百万を超えるだろうといわれている、改宗ユダヤ人などを合せれば優に一千万に達するであろう、しかも注意せねばならないことはユダヤ人はどこの国でも決して辺鄙な片田舎に住まず大部分はその国の首府や大都会に住んでいるのでユダヤ人は人口に比して非常に大きな活動力を持っていることである、アメリカでもニューヨークには二百五十万、全市の人口にくらべて約三十パセントのユダヤ人が居住している、ニューヨーク州長官レーマン、ニュヨーク市長ラ・ガルディアは共にユダヤ人である、またユダヤ人は他の種族にくらべて非常に人口増殖率が高く、アメリカでも年一割の増殖率を示しているといわれ、心あるアメリカの識者はアメリカは今にユダヤ人によって乗っ取られてしまうだろうと歎いている、"ユダヤ天国"ともいうべきこのアメリカにあっても民族主義を高唱しアメリカニゼーシヨンを主張する人達によって根強い反猶運動が続けられていることを見逃してはならない 言論機関をユダヤが握っているためその真相はなかなかに伝えられず、また反猶運動もほとんど秘密結社の形で潜行的に進められているが、銀シャツ党、白椿の騎士団、新K・K・K、キリスト戦線、アメリカ・ドイツ団等の有力団体を初め、百以上の反猶団体が『アメリカの建国精神に還ってアメリカ人のアメリカをつくれ、アメリカをジユーの魔手から解放せよ』と叫んでアメリカの支配勢力たるユダヤ系の資本閥、政治力、宣伝力に対して果敢な闘争を続けている、そして彼等反猶十字軍は日本に対し『日米参戦説はユダヤの宣伝で真にアメリカを愛する米国民は日米提携こそ想え、日本と戦う意思はない、日本の支那における行為は米国民にとっても赤化防止の意味からいって大いに援助すべきで、日本こそは米国の第一線として赤と闘う同志だ』と正論を吐いているのである、アメリカにも正義の士はいる、ただユダヤ支配力がそれをおさえて表面に出さないだけだ、我等はアメリカの吉田松陰、高杉晋作がアメリカ建国精神復古の大業を果す日の一日も早からんことを祈っている、その日こそ太平洋がその名のように平和な姿に立還る日なのだ データ作成:2008.5 神戸大学附属図書館
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日本工業新聞 1941.4.13 (昭和16) 
世界経済を侵蝕する猶太財閥 
猶太財閥の魔手は遠からず日本にも

これらの一切合財の舞台監督をしたのがドナルドです、蒋介石の最高顧問をして宋美齢に影の形の如く添うている、彼がこのプランを樹てたといわれていますがこの幣制改革を企てた理由は世界に巣喰っている猶太一派が支那をして日本に立ち打ち向はしめるためにああいう方法をとったという彼等でなければ出来ない理智的な巧妙な深謀術策というか、そういう建前からして支那事変を起さしめるためによったものとさえ結論しているものがあるそれからして翌年の昭和十一年十一月には西安事件というのが起った、これは蒋介石がどうしても起たないので国民党と共産党を合作せしめるためドナルドが仕組んだ事件で、蒋を救援のため宋美齢と共に飛行機で西安に飛んだのがこのドナルドです斯う段々と考えると彼等の連絡網陰謀網というものは実に測り知るべからざるものがあって、西安事件によって支那はやむを得ず日本に楯突くようになったといわれている、そして翌十二年七月七日に逐に蘆溝橋て事変が起り戦線は段々に拡大して八月十二日に上海事変が起ったつまり日本は不拡大方針をとっていたのでこれでは到底物になるまいというので大山大尉殺害事件を起して水に油を注いだのが猶太人英米政治家一派のフリーメーソンであり、その手先というか直接行動機関となったのがブナイブリスである、フリーメーソンは御承知でもありましょうが猶太人が中心となってその世界革命主義に共嗚した各国人が加わっている結社であり、ブナイブリスは猶太人の手を以て結成した直接行動団体であって、フリーメーソンの結社員は世界に四百五十万いてその中アメリカに三百三十万おる、アメリカの大統領は初代のジョージ・ワシントン以下数えて三十四人程あるが、その中フリーメソンに入っているものは二十七人、たとえば一番書頭のジョージ・ワシントンをはじめとして、テオドル・ルーズヴェルトタフト、フヴア、今のフランクリン・ルーズヴェルトも皆そうですアメリカにおいてはフリーメーソンたらずば高位高官になれないとさえいわれている、英国には四十六万いるそうです、それじゃ日本にもフリーメーソンがおるかいないかということになるがおるという人もあるソヴエトにもおる、フランスにもいた、フランスの三色旗は自由、平等、友愛を示しているがフリーメーソンのモットーは矢張り自由、平等友愛であって如何にフランスが彼等の温床となりそのために亡びたということは実に歴史の発転といわれるがその因果関係に興昧深いものがある
一方極東におけるフリーメーソンの活動も実に目覚ましいものであって故孫文も蒋介石も矢張りこの結社員であるとされすべて斯様に幣制改革から西安事件日支事件を画策したのはフリーメーソンと□衣社の合作事業だといっている人がある、これはどの程度まで本当か判らないがそうでないかと肯けるような情勢に昨今はなりつつある
例えば仏領印度における猶太人の結社が今活躍していることは色々なニュースで伝えられていますが昨年十月二十三日ドクー総督は河内にある猶太人の秘密結社に弾圧を加えたためその連中は皆南下して西実に集結して層一層反ドイツ反日本的な策動を続け更にシヨロンという町の支那華僑までこれに合体し十一月中旬には「ドクー総督は西実中心の猶太財閥対する押しが利かず立場困難なるためヴイシーのべタン内閣に辞意を洩したのでその後任としてアルゼリヤ総督のアブリアル提督が擁せられている」云々というデマが飛んだのも彼等の仕業であること明白で、彼等猶太系の連中は西実、シンガポールを中心としてドゴール政権派華僑とスクラムを組んで性懲りなく日本の建設工作を阻害している、・・・
(大阪府立貿易館通商課長青山忠氏談)
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満州日日新聞 1941.12.2 (昭和16)
ユダヤ問題を衝く (一〜十・11)

長谷川 ユダヤ問題に付て私共が最も重点を置かなくてはならないところはユダヤ人の世界征服の野望ということだろうと思う、・・・然し現在においては我々の目前にユダヤ問題は現れており、世界征服即ち国際主義がそのユダヤ問題である、それに対抗するのは国家主義である、もっと具体的にいえば、国際主義というのはユダヤ主義である、国家主義というのは日本主義である日本主義とそれからユダヤ主義の対立が現在のユダヤ問題であると、そういう風に私は見ております、併し彼らは武力を持っておるわけでない、何んに依って世界を征服するかというと金力と宣伝力を以て世界を征服しようとしておる、我々がユダヤ人を防御する上においても、この金力と宣伝力との線に沿うて防御しなければならないのではないかと、そう思うのであります

長谷川 ユダヤ教と日本の神道を考えて見ると、ユダヤ教より日本の神道の方が問題なく上ではないか、神道の方では私共は惟神の道ということを申します、神そのものと同じ、その儘の道を行くことが惟神の道である、これを見てもユダヤ人は神に選ばれた民に過ぎないのであるけれども、我々自身は神様と同じ性質を有っておる、我々が若し前線に行って戦死をしたという時には靖国神社に祀られる、その儘で我々が死んだならば神様である、その外に偉人として神様に祀られた人も沢山ある我々はその儘で神性を備えておるそこが我々のユダヤ人と違うところではないかと思う

出席者(順序不同) 場所 上海・新亜細亜ホラル 
満洲国上海総領事館 今島凡骨氏 同 酒井広治氏 
上海税務専門学校教授 浜野末太郎氏 
満鉄上海事務所嘱託 長谷川泰造氏 
本社 有難ら御座いました、それでユダヤ人が排斥されるということは、その強烈なユダヤ教によって作られた世界征服の野望に燃えていることからユダヤ排斥が起るということがよく分りました、次に浜野さんユダヤの世界征服政策はどんな形をとって現われているか、お願いします
浜野 昔から色々ユダヤ人が採り来った政策を歴史的に申上げると長いものになるが、最近一番人口に膾炙しておるのはユダヤの三S政策であります、これはスクリーン、スポーツ、セックスの三つで、スクリーンはアメリカ映画の九割迄がユダヤ人の資本で、そうして国民性とか或は国民の道徳というようなものを破壊して行く、先程長谷川さんが言われた通り国際主義を以て国家主義に対抗し、国家主義を破壊するのがユダヤの目的の一つであるのです、・・・
ニューヨーク・タイムスに大きく宣伝したのであるが斯ういうようなことは何れもユダヤ人がコントロールしておる通信社に依って出さておるニュースであって、それが今日世界の通信網を掌握し、ユダヤに有利なそうして非ユダヤ人即らゴイ(豚)他国民はユダヤ人からいえばゴイなんで、豚に対しては不利な情報をドンドン出しているというのが現在のユダヤの対ゴイ政策の現れだと思う
長谷川 ・・・一九一二年の九月十五日に発行されたフランスにある「国際秘密結社評論」の中にあるスイス人のフリーメーソンの言葉としてオーストリーの皇太子が殺されると、未だ皇位に上らない前に殺されるということを予言した記事があるのである、これから見てもオーストリー皇太子フェルヂナンド太公を暗殺しようという計画はその以前からあったものであって、しかもこれがユダヤ人によって計画されておる、或はフリーメーソンの関係者に依って計画されておるということは明らかに分るのであります、このフェルヂナンド太公を射殺した下手人はユダヤの青年でブリンチーブといい、これはフランスのフリメーソンの結社であるグラン・トリヤンから武器その他を受けて太公殿下を射殺する当日はやわり同じようにサラエボにあるフリーメーソン結社で御飯を食べて出かけたのであるということである
本社 それでは次に赤化革命、赤化運動と、そしてフリーメーソンとユダヤ人がどんな関係があるか、あるという説と、ないという説と両方あると思いますが 
浜野 それは結局ユダヤ人が、ユダヤ人として、ユダヤ民族として色々な陰謀をやる場合に、ユダヤ人が表面に現れては非常にやりにくい、ユダヤ人が関係した場合に、それをカムフラージユするために一種の別働隊というようなものが出来て来るのが今フリーメーソンで
本社 ところで蒋介石がフリー・メソンだという説があります 
浜野 そういうことを言っておりますね、宋子文も…… 
長谷川 蒋介石がフリー・メーソンだということは私の方にちゃんと証拠があります、
本社 そうなると、フリー・メーソンユダヤの世界攻略の別働隊になって来る、結局蒋介石はユダヤに利用されておるということになり、支那事変を解く鍵もユダヤ問題でなくてはならなくなる
、一体彼等が支那―東洋に乗込んで来たのは何時頃からですか
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10014614&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

東京新聞 1943.1.27 (昭和18)
不逞猶太人断乎処断 悪徳買占め、間諜的行為を許さず 比島軍政監部 警告を発す

軍政監部当局談われわれは八紘為宇の大精神のもとに一国民、一民族に対し何等差別感を抱くものでなく、敵国民に対しても極めて公正寛大の処置をとってきたが、一部第三国民就中ユダヤ人(無国籍民と否とを問わず)の間にはこの皇軍の恩恵的処置に狃れて不逞不遜の行動を企図し、曩にそれぞれ処罰されたことは軍政監部当局として甚だ遺憾とする、抑々ユダヤ人は祖国なき世界漂流民族であって、各国に於てもその居住国の居住民たる関係上、他国民以上に居住国の命令□法に忠実であるべきに拘らず、事実は寧ろこれに反し、彼等または彼等の同族かドイツ及びその占領地を追われて東洋に来たことからドイツの現政権に反感を有するのみならず、ドイツと同盟関係にある皇国に対しても同様の態度を持するものが少くない、比島在留ユダヤ人の中には最近彼等一流の潜行的手段により物資の買占め売惜しみによって物価のつり上げを行い民衆を苦しめ、或いは島人並に第三国人の生活窮乏に乗じてこれら婦女子を操り、
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00504054&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

台湾日日新報(新聞) 1942.7.21-1942.7.26 (昭和17) 
戦後の物資交流対策 (一〜五・完)

更に日仏印海事協定、日泰攻守同盟の成立は、三国間に残存していた英米の策動による不安定面を一掃し、同時に其の関係も単なる商業的、利己的対立関係ではなく共同戦争を遂行する高度の一体的関係に入り、恐らく戦争目的のための三国資源の共同使用は益々高度化せられ大東亜戦争に要する巨大な戦費負担も夫々の能力に応じて快よく負担されて行くであろう事が予想される、決してそれは眼先の打算でなく根本目的の為めの相互信頼と相互犠牲とが発展するのみであろう。これは素晴しい性格の変化である、猶太的商業理念は霧消して緊張の中に入りつつあるのである
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10047223&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

猶太財閥の跳梁跋扈振りを考え合せば、新嘉坡が東洋一の貿易港たる所以も自ら頷かれる、
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00501995&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA

104 国際連盟と国際語と日本 (一〜十二)

植民地朝鮮の農政の実態(途中)

久間(ひさま)健一「朝鮮農政の課題」昭和18年12月25日初版発行

巻末の著者略歴が二つ並んでいる

著者略歴
大正十二年 水原高等農林学校農学科卒業
同年 江原道農事試験場勤務
大正十五年 水原高等農林学校助教授
昭和五年 朝鮮総督府道小作官補
昭和八年 朝鮮総督府道小作官

著者略歴
宇都宮高等農林学校卒業
同校助教授を経
現在、朝鮮総督府小作官
京畿道庁農政課長
久間健一著者略歴 - コピー



以下抜粋
「第一篇 朝鮮農政の展望」
第一章 農業機構の基底を流れるもの
一、はしがき
二 権力的なもの(p6~13)
 朝鮮農業に関する官庁的指導が、組織的に開始せられたのは併合以来のことであるが、それは当初より極めて権力的であった。朝鮮総督府を始め、道、郡、面と系統的官庁に配置せられた、数多の農業指導者の活動は、国権主義的意識に極めて旺盛な人々を以てせられたが故に、農民に対する指導は恐ろしく権力的であった。次に掲ぐる繁野秀介氏の談話は、その間の消息を物語って遺憾なしである。2)

「其の当時の我々技術者は、銃及びビストルを携帯して……尤も比の銃器は官給品であります……指導奨励に従事したのであります。何故銃器を携帯したかと申しますと、其の当時は暴徒の横行が盛んで有りまして、何時暴徒の襲撃を受けるか判らないからでありました。(中略)少し遠距離になりますと頗る危険でありますから、昼は終日指導に従事し、夜は農民を集めて講話を致し、就寝する時は里長の宅か、又は酒幕で銃を抱へて壁に寄り掛った儘、転寝をして暴徒の襲撃を警戒し乍ら宿泊したのであります。」

 優良品種の普及を初め、耕種技術の改善、肥料の増施、堆肥の造成等々の凡百の農産増殖的な指導の数々は、知識と資力なき農民に直ちに強制せしめられた。之等の農産技術的な指導の凡ては、民度を顧慮する暇もなく、個々の経済を吟味する余裕もなく、官庁的画一性を以て、統一的計画の下に遂行せられたのである。
 例へば、之等の権力的な農事指導の最も集中せられた米作農業について考へてみる。今日に於てこそ、朝鮮を旅する人々の眼には、水利組合地区内は固より、相当奥地に至るまで、優良品種が普及し、改良苗代が作られ、正条植が徹底し、稗抜きが励行せられて、朝鮮稲作の躍進的発展に、驚異の眼を見張るであらうが、その発展の裏には、官憲の驚くべき強行軍的な農業指導の歴史が織り込まれてゐるのである。指導者の正しい指示に従はざる苗代は踏み破られ、正条植に応じないものは、苗を抜きすてられて再植を命じられる。稗抜きは幾回となく統一的な計画の下に、農民を動員して強行せられる。これらの所調「官の指導」に従はざるものは、警察の説論を受け、或は時に強制力を以てしても強行せしめられる。栽培品種に就ても同様一定の奨励品種が定められ、之が年次的普及更新の計画が立てられると、最下級の行政単位たる面に至るまで、年攻計画が系統的に整然と確立せられて、定められた品種以外の栽培は禁止せられ、農民の意欲に闘せす強力的に実行せしめられる。更にまた、収穫期に就ても適期刈取が喧かましく強行され、刈取れば乾燥に就て、乾燥すれば調製に就て、脱穀機の使用や筵蓆使用が強制せられる。稲の脱穀調整に筵を敷かないものは、道令を以て科料に処すとい簡単な法令を以て之が実行を強要し、違反者を処罰した事例は米作地帯の各道が既に経験せる所である。3)之を要するに、苗代に下種すべき種子から脱穀に至るまで、微細なる生産過程の隅々までも、指導の触手は浸み渡って、専ら強行的に実施せしめられたのである。この意味に於て、今日まで斯る強行的な指導を、執拗に絶間なく繰返して来た、技術指導者の努力は大いに評価されねばならない。今日朝鮮の米作農業が躍進的発展を遂げ、商品債値高き米が滔々として内地に送られ、ために内鮮米作農業対立の危機を産むに至ったのは、他の理由もあるが、斯る強力的な増産的開発が執拗に繰返された永年の努力の結果でもある。
 まことに朝鮮の米作農業の開発は、それが膨張する内地人口に対する食糧供給といふ、国防経済的自給政策の必要のために、何よりも先づ開始さるべきものであったが故に、しかも指導の対象たる農民は、技術に於て、資力に於て、何物をも有せざりしが故にこそ、最も極端な権力的指導が加へられたのである。しかも斯る権力的開発は日本人的な性急さを以て行はれたが故に、農民の理解といふことなどは願慮せられなかったし、顧みる暇もなかったのである。農民は唯官庁的指導の命するまゝに、配給された種子を、教へられた苗代に播き、与へられた田植縄によって正条植を行ひ、定められた日に肥料を施し、除草を行ひ、命ぜられた日に稗を抜き、刈取を行ひ、示された方法に従って乾燥調製を行ふのみであった。そこには唯監観と命令のみがあった。若しありとするも農民の創意の如きは全然存在しなかったのである。
 人々は、今日朝鮮に於ける米作農業に対する、官庁的指導の体系を子細に吟味せられるがよい。それは凡て農民に対する権力的な強制に終始して居る。それはまた、食種の国防経済的自給政策を貫徹するために、必要欠くべからざる槓杆であり、それ自身の必然的要請でもある。而して斯る権力的な官庁的指導は、大正九年産米増殖計画の実施せらるゝに及んで、益々拍車をかけられたことは云ふまでもない。
 権力的な農業開発は啻に米作農業のみではない。他の一例を棉作に就て見る。朝鮮で棉の奨励を始めたのは明治三十九年頃であるが、この新来の作物を農民に栽培させることは容易でなかった。之がため当時は憲兵や巡査までを動員して、強制的に栽培せしめたのであった。のみならず棉を栽培しない農家にして、麦や大豆を作ってみるものは、強制的に、大豆や麦を足で踏み倒してしまったことも一切〔ママ「再」の誤字か〕ではなかった。そして最後には、官憲の意を体して棉を作るものには奨励金を交付した位であった。4)その最も極端な場合は、笞刑を以て綿花栽培を強制した次の一文によって、如何にその開発が強力的であったかが知られるであらう。5)

「全南珍島は古来難治の地方でありまして、とても陸地棉栽培など承知しませんので、(中略)郡庁に郡守を訪ねて御願致し、栽培者を物色して呼び出し、必ず播種するやう厳重に申渡して貰ったのです。虜が頑固で中々応じない。そこで郡守は之に笞刑を命じ、始めは軽く打たせてをりましたが、依然として承諾しないので、段々と強く打たせ二十回臀部を打たせ大分局部が赤く腫れ上った頃になりますと、愈々兜を脱いで播種することを承諾しました。(後略)」(千葉喜千彌氏談)

 今日でも棉作奨励に於ける斯る強制は、その態容こそ異れ依然として存在する。所請「棉花増産計画」は道、郡、面、と系統的に樹立せられ、部落に於ては適地選定の名の下に、個々の農家の耕作地に、棉の裁境面積と氏名を記せる棒杙(原文「木」偏に「戈」)が半強制的に立てられ、一たび下種せられるや、摘心、摘芽、施肥、除草、等々の裁培技術の細部に亘って濃厚な強制的指導が加へられ、そこには農民の自主的行動の影は殆んど見出されないのである。それは恰も南部アメリカの棉栽培地方に於けるクロッパー(Corpper)〔綴りママ〕のそれにも類するものである。
 斯くして生産された棉花は、販売市場に強制せしめられる。官憲は栽培面積と作柄によって、収穫量を予定し、販売すべき数量を定め、と云ふよりも予め定められたる年次計画に随って、予定販売数量の実現に並々ならぬ努力が払はれ、目的の貫徹に懸命の活動が行はれる。そこには時に管轄を異にする両官庁の間に販売棉花の争奪に就て争を醸し出すことさへある。そして勢の赴く処、予定販売数量実現のため、指導者は栽培農家の家屋を点検して、隠匿せる棉花の捜索を強行することさへもある。
 更にまた、棉作に於ける権力的強制に関連して注意すべきは、繰綿器の使用禁止収納である。自給を抑制し棉花を販買市場に強制動員せしむるためには、このことは必要欠くべからざることであった。当局は種々なる手段を以て農民の繰綿器の使用を禁止した。こゝに農民の自然経済に対する強力的な破壊作用の一断面が見られる。
 朝鮮の棉作、就中、外来的な陸地棉は、農民にとっては未知の作物であり、之が栽培は経験せざることであった。しかも自給経済に慣れた農民経済にとっては、棉花の如き販売作物の経済上に於ける地位を理解することは困難であった。茲に辛うじて自然経済的な孤城を守る農民経済に対する、外来的な貨幣経済の侵入が展開せられる。すべてのものは理解を必要としなかった。否そんな間どろかしいことは、日本人的性格の許す所ではなかった。そこに必要であったものは唯強制のみであった。今日の棉花増産の結果は一に此の強制によると云ふも過言ではない
 朝鮮に於ける棉花増産計画は、昭和三年を以て第二期計画を終ったが、昭和八年に至り、新規に棉花増産計画が樹立せられ、最近の国際情勢に鑑み本邦棉花の自給を図るため、棉花増産は益々拍車をかけられつゝある。「南棉北羊」の宇垣スローガンの喧伝これである。斯くて朝鮮に於ける綿花栽培は益々農民への強制を強めて行くのみか、最近に於ける国防経済的自給政策の強化は、益々棉花の強力的増産へと加速度を増しつゝある。 
 人々は朝鮮総督府の統計表に現はれた、棉花の作付反別及び収穫高の始政以来の発展程度を注意深く見なければならない。それは、農業生産体系に於ける資本主義的分化の編成替であり、自然経済の解体による商品経済への転化である。朝鮮の農民経済の斯る解体転化は、啻に棉花のみならず米、繭等の販売作物の強制的増産政策の結果にもよるものであるが、斯る権力的な官庁的農産開発の触撃が、農民経済の貨幣経済化の一線と併行する所に、権力的開発の持つ反面の意義を見出し得るのである。
 以上、米作及び棉作の代表的事例に就て、朝鮮農業の強力的開発の如何なるものかを述べた。それは云はば「監視と命令」によって行はれた開発であり、自発的なものの全く認められない外来的強制である。随って、農民自らの観点に立って考へるときは、凡ての経済活動は、彼等の創造を許されないし、(又その力もないが)だと云って、停滞的な父祖伝来の旧法を踏襲することも許されなかった。そこには監視と命令とによって強制せしめられた近代的開発の軌道があるのみである。この軌道に従ふものは、善良な農民であり、進歩的な農民であった。言葉を換へて云へば、農民が曾つて有した経済的自動性は一挙にして破壊せられ、新たに与へらるゝを余儀なくされたものは、外在的な強制による他動的な経済活動の軌道であった。この急激な経済活動の変革は、彼等自らに、之に順応する知識も資力もなかりしため、そこに恐ろしき撹乱が巻き起されたのである。朝鮮農民の膨大な貧農暦への顛落は、斯る経済活動の他律的強制的変革による撹乱に、打克ち得ざりし一の現はれでもある。
 まことに、朝鮮農業の近代的開発は、祖国日本の国権主義的意識の下に、権力的に行はれたのであった。しからば、斯る権力的な開発は何れの方向を採ったか? それは取りも直さず、近代的農産開発であり、自給自足経済から商品経済への強力的な編成への方向を執ったのである。農民経済の貨幣経済化こそは、植民政策の第一の定石であり、これを通じてのみ初めて近代的農業務展の可能性が約束せられるのである。随つて朝鮮農業の基底には、極めて国権的背景の濃厚なる資本制的なものが、流れつゝあることは、吾々の容易に想像し得るところである。
 朝鮮農業に於ける権力的な官庁的触撃の如何なるものかは、以上によって知られ得るであらう。然し午ら、斯る編撃は、本質的には企業者的な編撃と解することによってのみ、真の意義を求め得られるのである。開発途上に於て官庁の演じた企業者的役割こそは、権力的な触撃の奥深くに秘められた核心である。吾々は斯る権力的そして企業者的な官庁的触撃の典型的なものを、組織ある国家資本の動員によって遂行せられた、彼の所謂「産米増殖計画」に見るのである。
 権力的な官庁的触撃は、それ自らが企業者的触撃であるのみならず地主、資本家の行ふ企業的触撃との間に、本質的な共通点を求め得られるのである。きればこそ地主、資本家による所謂「農事経営」の開発的触撃は、それ自らに於て官庁的な強力を以て行はれた許りでなく、多くの場合官庁の権力的触撃と提携することによって、より多くの企業利潤を獲得したのである。言葉を換へて云へば、官庁は時に地主、資本家に代って企業者的役割を権力的に行ひ、地主、資本家は時に官庁に代って、または官庁的権力の背景の下に、強力的な触撃を農民に加へることによって、企業者としての利益を確保したのである。朝鮮農業の基底を流れる権力的なものは、かくて資本制的なものと緊密な結合関係にあることが知られる。7)然らば、資本制的なものとは如何なるものか?

2)朝鮮農会報(第九卷、第十一号)始政二十五周年記念、農事回顧座談会号、四〇―四一頁
3)前揭書、二〇頁
4)前掲書、九、二〇、三六頁
5)前掲書、四四―四五頁
6)朝鮮總督府、朝鮮の農業(昭和九年)、七一頁
7)矢内原忠雄、帝国主義下の台湾、七〇頁

(以上「二 権力的なもの」全文抜粋)

 外来の企業的地主は、明治三十年代の未だ韓国の国情騒然たる時代に於て勇敢なる進軍を開始した。当時生命の危険を冒して土地の買収に従事せる内地人地主は、主として土地経営の有望なる南鮮に集中せられ、年と共に次第に北上したのであった。吾々は当時全南にあって土地の買収に従事せる兵頭一雄氏の経験談を掲げて、以て国権意識に燃えたる内地資本進出の状況の一端を説明せしめたい。9)

「当時この全南に開拓のため来て居った内地人農場の空気は、今の満州の武装移民を思ひ出すのであります。私共が土地の買収に出ますには、腰にピストルと望遠鏡を下げまして、而して二里三里の田舎に出掛けて農場としての有望なる土地がどこにあるかを探しに行くのですが、その時にはどこの山で内地人が殺されたとか、人質に日本人が何人も拉致されたとか、必ず耳にしたものであります。」(兵頭一雄氏談)(p14)

 朝鮮農業に於ける資本制的支配の最も顕著なるものは、外来の企業的地主経済の小作農民に封する資本支配これである。上層から注入された多額の資本が、最下層に於て、毛細管的接触を、農民経済に作用しつゝ、再び利潤を内包し、上層へ復帰上昇して行く過程こそ、まさに吾々の注目を必
要とする所である。
 今慈に、企業的地主の農民支配を考へる。地主は先づ所属小作人に対して、極めて地主主義的な精細厳重なる耕作方法を強制する。彼等は先づ農民に対して栽培すべき品種を指定する。この品種の指定は初論販売市場に於ける有利性によって決定せられる。こゝに農民の生産過程に於ける資本の支配の第一歩が始まる。品種の指定が行はれるや、一切の栽培技術は間断なく秩序的に命令せられ監視せられ、その埒外に一歩たりとも出づるを許されない。農民は唯労働者の如く柔順でなければならない。定められた時期に植付をし、定められた時に草を取り処方箋の如くに肥料を施す。許されたる部分は資本の利益に闘係なき、極めて軽微な監視と命令に値せぬ些事に限られるのみである。
 施用すべき肥料の種類も用量も、使用すべき農具も、凡て地主によって決定配給せられ、之に従はざるものは不良小作人の烙印を打たれて放逐せられる。地主はこれらの生産技術を凡て小作人に代って決定し配給する。これがために、多額の低利資金が官庁によって地主経済に幹旋供給せられる。曰く、肥料資金、曰く、農其資金……。
 作物が成熟期に達すると、収穫の時期が制限せられ、地主は単独に小作料を決定通告する。打租制の如き場合には、刈取、脱殻に一々監視人が付けられる。愈々収納となれば、小作人の運搬せる小作籾は、乾燥、調製、容量、重量、包装の細部に互って厳重な検査が行はれ、それに合格せるもののみが受領せられる。若し品質にして不良なれば、契約によって再選を命ぜられ、或は逆に補償金を取られる場合すらある。斯くして品種の統一せられた、規格の整一なる籾の大量が、地主の倉庫に積み上げられ、地主自身の手によって製玄されるか、或は時期を見て精米業者と大量に取引せられる。
 然し乍ら、地主の収得する籾は単に小作料籾のみではない。小作料籾の納入告知書にはこれに付随してもろもろの前貸資本の請求が行はれる。曰く肥料代、曰く農具代、曰く貸付金、曰く農糧籾、曰く種子代、と、……これらのものは出来秋に於て換算せられ、すべて籾を以て余す所なく回収せられる。随つて農民は、全収穫籾の七割乃至八割を地主の倉庫に納入するを余儀なくされる。斯くて流通過程の起点に於て、すでに資本は自らの支配を迅速周到に完了するのである。
 小作農民に対する斯る資本支配は、単に自らの属する地主の資本のみに限らない。地主とすべてを決済し、幸ひ剰余籾を存するも、それは地主以外の資本によって更に支配せられる。農村に於ける商業資本、高利貸資本の支配これである。斯る資本の支配を受けざるとしても、食糧不足のために零細なる剰余籾は換価せられて、市場に流出して行く。朝鮮米の著しき内地移出は、まさに斯る強力な資本支配の結果であり、農民から云へば、これこそ正に「飢餓移出」の現はれでもある。それは決して三餐に飽き尚剰す所を移出するのではない。斯くして農民経済の隅々にまで、毛細管的に浸透せる資本の触手は容赦もなく生産過程と云はず、流通過程と云はず、全面的に支配し、農産物を商品市場へと強制動員して行くのである。
 斯る農業に於ける資本制的機構は、何れの植民地農業に於ても見受けられる所である。それは資本主義と非資本主義との接触に於ける当然の結果であり、それが常に収奪的傾向を帯ぶることも亦当然である。而してその収奪性は、農民の経済が貨幣経済を距たること遠き程、顕著にあらはれることも亦絮説するまでもない。10)
 朝鮮農業は曾つて、主として南鮮を対象とせられた米作農業を中軸として、極めて資本制的な開発が弾力的に行はれて来たのであるが、今や斯る経済機構の変動は、次第に西北鮮へと拡大し、全鮮を席巻せんとしつゝある。所請「北鮮開拓」の経済的意義も亦斯る観点よりして把握せらるべきであらう。
 朝鮮農業の基底を流れてゐる、資本制的なものの実相は右の如くである。朝鮮農民の近代経済生活に於ける、深刻な困窮も亦茲に胚胎する。これは協力的にその生産機構を、資本制的に触撃変革せしめられ、しかも自らをこれらの新しい生産体制へ適応せしむることも、ましてや自らをこれらの資本支配から共同防衛することもなし得なかった朝鮮農民にとっては、不可避的な運命とも云ふべきものであらう。(p17~p20)

8)東畑精一、日本農業の展開過程、八二頁
9)朝鮮農会報、前掲書、四二頁
10)矢内原忠雄、植民及植民政策、二一四頁

 昭和九年の農業統計に依れば、、朝鮮農民三百一万戸中、小作農民は二百二十八万戸、即ち全農家戸数の七五%強を占めてゐる。之等の圧倒的多数の農民は、夫々地主との間に一定の小作関係の下に、農業経営を営んで居る。斯る膨大な農民層の土地離脱は、遠く李朝時代の土地制度の紊乱に胚胎するとは云へ、之を著しく促進したものは極めて資本制的な近代的農業開発の必然的結果である。とまれ七五%の小作人は、貸付地主の土地を耕作してゐるのではあるが、之等の地主小作人間の関係は、地主によってその内容傾向に著しき差異が見られる。
 朝鮮の地主を大きく分けて二つの型に分ける。一は企業的地主であり、他は封建的地主とも呼ばるべきものである。前者は主として内地から渡来した営利的な土地投資家であって、前述せる如く、官庁的開発と提携して朝鮮農業の近代的開発に貢献した「先駆者」であり、極めて営利衝動に充満せる地主である。東洋拓殖株式会社を初めとし、全鮮各地に散在せる所調「農場」「土地会社」等は凡てこのタイプである
 これらの近代的地主の小作関係は前述せる如く、極めて資本制的であって、地主と小作人との間には、封建的な従属関係は左程濃厚ではない。そこに現はれた小作条件は、極めて精細厳重で著しく階級的であつて、営利德動に充満せるものである。
 後者は所請在来型地主とも云ふべきものであって、李朝の両班貴族を淵源的主流とする土地所有者群である。(p22・23)

 この極めて原始的な、技術の低劣な、而もその故に発展なき静態的な旧来の農業に、改良増殖といふ技術的変革を巻き起さんとすることは、それ自体まことに至難なことであった。動かざるもの、動き得ざるものを動かさんとするには、到底内務的なものを期待することは出来ない。随って、これを他動的に動かすより以外に方法はなかった。この動かす力こそ指導に必然的に加へられた強制である。言葉を換へて云へば、農民に封する強制的指導である。これが当時に於ける指導精神に内在せる一つの重要なる特徴であったことは云ふまでもない。一例を当時の棉作奨励に闘する、松井房次郎氏の回顧談に採れば次の如くである。7)

「僕が全北に居る時橘君が濃霧課長だったが、その時棉の奨励をやったところが面白い。農家に対して、お前の家は来年棉を作るかいくら作るかと云ふので、その作り攻第で金を貸してやったものです。さうしてその年行って見ると棉は一つも作って居ない、皆麦を作って居るからその変を全部踏み倒して終った。随分強行軍をやったものです。」

 斯くの如く、当時の農民指導者のイデオロギーには、一種の国権的意識が強く、随ってその指導上に強制が著しかつたことは、国情騒然たるこの時代としては、治安の不充分なる点と相俟って、止むを得なかったことと考へられる。当時の事情の一端として、明治四十二年頃の棉作指導の状況を示せば 8)

「当時の各地棉採種圃の職員は真に生死の巷に身を置いて、之が奨励に当ったものである。即ち指導の為出張する場合は銃(官給品)を持ち望遠鏡を肩にする等、全く武装に身を固め、又少しく遠隔の地の場合は守備兵又は警察官を護衛に付し昼は終日指導に従事し夜は農民を集めて講話をなし、就寝する時は里長又は有力者の宅或は酒幕等にて、銃を枕に靴をはきゲートルを巻きたる儘、暴徒を警戒しつつ、仮睡したと云ふ。明治四十二年一月三日、全羅南道珍島に蜂起した暴徒は、警察署、財務署等に弾丸を浴せ農事経営者の家屋を灰燼に帰し、或は毒手に斃す等基の惨状見るに忍びざるものありたるも、幸に棉採種圃及其の職員は災害を免るゝを得たが、次で三月二十四日、全南霊岩採種圃は数十名より成る暴徒の襲撃する処となり、所員は備品の銃を執って防戦大いに努めたが、衆寡敵せず、途に事務所其の他の物品等悉く焼失せらるゝに至った。唯比の間に在りて五名の職員何れも身を以て逃れ得た事は全く天祐と称するの外は無い。」(p67・68)

7)朝鮮農会報(第九巻、第十一号、九頁)
8)前掲(※日満棉花協会朝鮮支部)、朝鮮の棉花事情(一八六頁)

 昭和の当初頃より、その萌芽を示しつゝあった今次の農業恐慌は、昭和五―六年に至って愈々その深刻の度を深めた。農産物の急激な暴落は、農民の生活を悲惨なものにした。この世界的不況に於て、朝鮮農業は云ひ様のない様々は苦悩に逢着した。そしてそれをどう切抜けるかが最も切質な問題であった。それは言葉を換へて云へば、農業に於ける指導精神の暴風雨時代であった。そして到る処のヂャーナリストは、声を大にして、農民生活の底知れぬ窮乏を伝へて来た。今その一つの描写を掲げる。10)

「農業恐慌のるつぼの中に四苦八苦の農村の呻吟を尋ねて忠面牙山郡温陽面を訪れた。この附近は綿花栽培に適してゐると云ふので特に忠南道庁から棉作指定郡とされてゐる。いはば産米増殖計画による米作単一農業の弊を排し、多角的農耕によって農村の向上をはからうとの試煉台上にある地方である。しかし如何せん米価の惨落を償ふはずの綿花も底なしのつるべ落しとなり、有難い総督府の方針も世界を吹き荒す恐慌の旋風の前にはひとたまりもなくけし飛んで寧ろ棉作に従つた農民は情けが仇の受難に陥ってゐる。かうなつてはさすが純朴な農民達も有利な副業であるから、大いに作れとの郡の奨励なんかに耳をかさばこそ我らはまづ食ふべきものを植ゑねばならないと悲痛な叫びをあげて、どしどし棉作をなげうつて麦、大豆、栗へと転作をなし、本年の如きは綿花耕作地が昨年の牛分に減じてしまった。指導的立場にある当局者は農民が近視眼的だといってゐるが、彼らは表面大びらに口にこそ出してはいはないけれども生か死かの岐路にあってみすみす損するやうな棉作なんかやれるもんか、少しでも自分達の口を潤す麦でも粟でも作ることが先だとの考へを誰もが抱いてゐるのだ。わづかばかりの畑に植ゑた麦でさへ成熟するまでに待ち切れずに、未だ実もかたまらない乳熟期に刈取つて精白しさらにこれを粉にして粥を作つてすゝつてゐる有様だ。それでもまだ麦が出来るやうになれば多少とも潤ふけ れども、四、五月のいはゆる春窮期には、草の芽を摘み、木の根を掘り、木の皮を剥ぎアカシヤの花を取ってヤット生命をつないでゐる。だがら四、五月ごろはだれもだれもが弾力なく膨れあがって栄養不良となり、むさ苦しいオンドルに水ばかり飲んで寝ころんでゐたものである。ある農業指導員から『農民の最も多忙な田植のいまでさへ粟飯でも三度三度戴いてゐるものはほんの僅かでせう』と聞かされて驚いた。」(p76・77)

10)大阪毎日朝鮮版 昭和七年六月二十一日(?)〔ママ〕


 既に述べたる如く、朝鮮農業は就中米作農業に於て、偉大なる発展を遂げたにも拘はらず、農民の穀物消費量は、多くの論者の指摘する如く、漸減の傾向を示してゐるのである。このことは第十九表の示す如くであるが、それは米消費の減少と、之と代替する雑穀の潮増でなくして、両者の潮減である点に特質が見られるのである。即ち当然増すべきものさへもが減少してゐるのであって、これはまさに消費生活の乏しき暗黒面を示すものである。
 しかもこの乏しき消費生活は、勿論地方的にも差異あるが、更に重要なことは、それが季節的に極端なる偏位を示せることである。いま米国消費を米穀年度の前半期と後半期に分けて、米穀統計の示す所に従って分類すれば、第二十表の如く、前牛期に於て総消費量の八〇%を消費し、後半期に於て消費すべき量は、僅かに二〇%にすぎない。このことはまさに後牛期の食糧不足を意味するものであって、これが所請「春窮」である。まことに東畑教授の言を借りるまでもなく、「新緑の春は彼等にとっては正に春ではない」のである。春窮の民は依然として尽きない。華々しき鮮米移出量の激増の背後に、斯くの如き反面を見ることは、忘却すべからざる事柄と云はねばならぬ。憐れむべきシンドレラが大群となって、背後に横はってゐるのであって「農民は乏しきまゝに今日の生命を、明日の運命より重しとして、先づ持てるものより胃袋に入れてゆく」ことが実証せられるのである。
 かくて、春窮は朝鮮農村に於ける一つの恒常的な生活現象であって、唯それが「自然のむら気」即ち農作の豊凶と経済界の変動によって、春窮民の量とその質に変動を来すにすぎないのである。いまこれらの最も凄惨な実相を現はすために、昭和八年の早害の中心地たりし、咸南徳源郡豊上、豊下面地方の、農村の春窮描写の一例を掲げたい。7)

『村落に入ると丁度正午ごろである。道ばたのとある一軒に立寄って見ると、家族五人が力なげに寝そべったまゝ、ムシャムシャと頬張ってゐる。「何か」ときいてみると、稗糠に少量の大豆と、つぶし胡麻を混じたものだといふ。家人は何れも目の周りが紫色にふくれ上り、全身に水腫が浮いてゐる。話す言葉も全く力がなくて、丸で蚊のないてでもゐるやうな弱さだ。亭主らしい四十がらみの男が、物憂げにゐずまゐを直してポツリポツリ語るところによるとかうだ。―
草根木皮のあるうちはまだこんなに衰へはしなかった。それもいつか食ひつくしたので、詮方なく今は稗糠に大豆と胡麻を混ぜた粥や粟糠の粥、米糟などを常食にしてゐるが、それでもまだ上等で、時には大根のひげ根の部分や、葛根のたゝき粕を細かく砕いたもの、玉蜀季の芯の部分を包丁でそいだ粉などを、一所に煮て食って飢ゑを凌いでゐるといふのだ。そのうちに子供が腹痛を訴へて、大声に泣き出した。するとその男はチェッーと舌打ちをしながら、危なっかしい足どりで泣く子を抱へたまゝ戸外に出て行って佇んだ。
怪訝に思って彼の仕草を見てみると、尺あまりの棒の先きで、子供の尻を突いてゐるではないか、やがて子供はその男につれられて戻って来た。男はまた話をつゞけ―
粟糠を食ふと大人はさうでもないが、子供は通じが悪くなり、腹を痛めていつもあの通りに泣くし、米糠も子供は胃腸を痛めて困ると訴へるのであつた。
見、聞いてみる自分の胸はグッと押しつまって、痛いくらゐに圧迫感がのしかゝる。次の部落へ入って見た。道ばたに寝そべってみた痩大がまさに踏まれようとするまで、その位置から離れようとしない。漸くのこと自分達の一、二尺前まで来たころ、痩せ弱った脇腹に助骨の波を打たせて、道ばたまでよろめきながら身を避けたかと思ふと、そこでバタリ足を二本づつ揃へて横なげに身を投出してあへいでゐる。雑穀の屑まで貴い生命の糧とされるので、家畜や家禽の口には容易に渡らない結果、鶏も犬も骨と皮で作った剥製同様痩せ切ってしまふのも道理だ。この両部落からは鼠がとうに姿を消してしまった。多分死に絶えたのでせうと伴れの者が説明した。』
 
 以上の描写は北鮮の畑作地帯で、雑穀生産を中心とする地帯に於ける、いはば極端な典型的な春窮譜であるが、之と反対に、昭和八年の南鮮地方の豊作にあっても、穀価の下落による春窮もまた起り得るのであって、春窮が深刻となるのは凶年に限られたことではないのである。いまその一例として、稲作地帯たる忠南牙山郡温陽面地方の農村春窮描写を掲げると、8)

『わづかばかりの畑に植ゑた麦でさへ、成熟するまで待ち切れずに、未だ実もかたまらない乳熟期に刈取って精白し、さらにこれを粉にして粥を作ってすゝつてゐる有様だ。それでもまだ麦が出来るやうになれば多少とも潤ふけれども、四、五月のいはゆる春窮期には、草の芽を摘み、木の根を掘り、木の皮を剥ぎ、アカシヤの花を取って、ヤッと生命をつないでゐる。だから四五月ごろは、だれもだれもが弾力なく膨れあがって、楽養不良となり、むさ苦しいオンドルに水ばかり飲んで寝ころんでゐたものである。ある農業指導員から「農民の最も多忙な田植のいまでさへ、粟飯でも三度載いてゐるものはほんの僅かでせう」と聞かされて驚いた。
各部落をぐるぐる廻って歩いてゐる郡農会の技手さんの話によると、
「郡内のどの部落も、一年中粟さへをがめぬ者が、約一割は確実にありませう。地主から出来秋には一倍半にして返すと云ふ、話にならない高利で籾を借り、市日に粟にでも代へて、粥でもすゝり乍ら、かすかす春さきを過してゐる者は、三割以上もあります。それもこんな不況になっては、地主も貸したところで、秋になって返済するかどうか疑問だから、一斗の籾だってなかなか貸してくれなくなり、どん底の農民達は増加する一方です。地主がこんな心配するのもまた無理からぬ点があるんです。昨年の秋なんか、出来秋になって、籾を安値でこっそり買って、一夜のうちにどこにも知らさず一家をまとめて逃げてしまったのがぼつぼつありました。この秋なんかもっとふえることでせう。こんな全く形容もできないやうな、みじめなどん底生活をしてゐるのですから、金と云ふものは鐚一文だって、手にしたことのない農家だって、決して少くありませんよ。粗末な壁が到るところ落ちて、サバリが四つ五つころがってゐるほか、何んにもないと云ふ農家はざらにあります。」との話に、記者は聞きしにまさるその貧窮状態に戦慄させられた。』

 人々はこの二つの描写を比較せられるがよい。それはともすれば誇張し易き、ヂャーナリストの記事だとは云へ、若干の真実を吾々に与へるものである。そして咸南のそれは自然経済的な春窮譜であり、忠南のそれは貨幣経済的な春窮譜であり、それはまた両地方の農業経済発展の程度を示すものでもあるが、いづれにしても、その帰結する所は、生理的欲求以下に、消費生活が低劣ならしめられてゐることである。
 吾々は故らに、農民の消費生活の低劣なることに就て、表面的な消費統計を掲げ、或はその消費の季節的差異を統計的に示し、或は曾つてありし豊作飢饉、凶作飢饉に於ける、農民生活の窮乏相を、くどくどしく或は説明し或は引用したが、これらはすべて、それが直ちに肉体的な生命線の間題であり、延いては栄養欠乏の間題であることは云ふまでもないのである。換言すれば、農民は最低限度に必要とする、生理的栄養すらも充分に与へられてゐないことが分るのである。第一図は春窮を栄養的に見たる場合の、標式的な生活形態を端的に示すものであつて、斯る状態にある農民にとつては、労働力の生物学的再生産そのものすらも、困難不可能ならしむるものである。しかもこれらの農民は、昭和五年の調査によれば、第二十一表の示す如く、百二十五万戸に達し、全農民の四八%に及ぶのである。(p446~451)

7)大毎 どん底の農村実相を描く(昭和八年六月十七日)
8)大毎 同記事(昭和八年六月二十一日)


皇軍実態集 兵は消耗品、武器や馬の方が大事



内閣情報部「写真週報」351号 1944年12月13日

「御紋章と小銃・・・自己の身命を顧みず小銃を尊重擁護する至高の精神もまたこゝに発するのであって」(p7)
https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M2006070616411057931
DN_HkotVwAAcXdE

私達の重機関銃隊には馬が十頭所属しており、雪の中での馬の手入れや飼育は大変な仕事で、古兵からは「貴様達より馬が大切だ」と叱られながらの手入れでした。(p438)野田

S分隊士 学徒出陣で来たB大出身中尉。「飛行機一機作るには七万円もかかる。貴様たちのような者を訓練しなくても一銭五厘でもっと優秀な奴がいくらでも集まる」と一銭五厘の価値も無い奴らだとののしる。兵の命は鳥の毛よりも軽い奴らだとののしる。兵の命は鳥の毛よりも軽かった。(p117)杉浦http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/11onketsu/O_11_113_1.pdf

班長の訓示では「お前達は消耗品である。一銭五厘(郵便葉書の値段)で幾らでも入ってくる。また、日に乾ききった桶である。これもみっちり締めなければ水が漏れる、水が漏れぬよう締め上げてやるから覚悟するように」と言われた。(p417)仁平
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/10onketsu/O_10_416_1.pdf

昭和十六(一九四一)年四月、徴兵検査を受け、甲種合格で、現役兵として、昭和十六年十二月十二日、朝鮮歩兵第七十六連隊に入隊、第一機関銃中隊自動車班に編入されました。同年十二月二十二日、洪儀に着き、直ちに国境の警備に就きました。 昭和十七年一月八日は陸軍記念日に当たり、夜、兵団長閣下の閲兵、訓示がありました。訓示では「君たちは消耗品である。不足すれば一銭五厘のはがきを出せば、いくらでも兵を集められる。日本国は物資が乏しいため兵器と被服を大切に、ことがあれば一週間でウラジオストックを攻撃する」と言明された。(p88・89) 荒明

師団長は訓示の中で「ソ連と始まれば、ウラジオを一週間で陥落させる」「兵隊は消耗品」などと言っていました。(p373)荒明
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/11onketsu/O_11_373_1.pdf

 そして呉軍港に碇泊している輸送船に乗船を完了した。ただちに出航である。客船ではなく貨物船である。設備はお粗末なもので、牛、豚並みである。この輸送船で思ったことは、静岡の第三十四連隊では、「お前達は一銭五厘並みだ、歩兵銃の弾丸は消耗品でもお前達より高価である。一発の弾丸でも貴重だ」と言われたことを思い出し、なるほど荷物並みで人間扱いではない、これが戦争かなと思った。(p114)竹内http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/12onketsu/O_12_108_1.pdf

 私の入隊した部隊は、輓馬の重砲隊であった。班には三十頭近くの馬がいたと記憶している。馬部隊では、馬をとても大切にした。「お前たちは一銭五厘でいくらでも来るが、馬はそういうわけにはいかない」とよく言われたものだ。兵隊は一銭五厘の切手を貼った手紙で集められるが、馬を集めるには沢山のお金がかかる。実際馬部隊では、馬に故障が起これば行動は出来ないのである。(p140)松井
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/11onketsu/O_11_137_1.pdf

 初年兵教育は満州でした。一月十六日に広島練兵場に集合させられ、一路満州国ハルビンまで連れていかれました。独立歩兵第一七四部隊に入隊し、星一つの新兵教育が始まりました。「お前たちは一銭五厘の葉書でいくらでも集まるのだ」という言葉と理不尽なビンタに泣いたことは今でも忘れられません。(p211)
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/10onketsu/O_10_211_1.pdf

そして上官は他の者に向かって「よーし下りろ、みんなようく聞け、お前達はこれから言うことを聞かないとバッターで思う存分打ってやる。一人二人たたき殺しても一銭五厘のハガキ一枚で来ているんだ。言う事を聞かないとたたき殺すぞ」と威嚇した。あとでそのバッターを見ると「海軍精神注入棒」と書かれていた。(p445)渡部
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/15onketsu/O_15_443_1.pdf

 同年十月、神戸軍管区の人は神戸山手小学校において壮丁検査を受ける。私は甲種合格になる。
 同年十二月一日付で西部第五十一部隊、姫路第十師団野砲兵連隊・第四中隊四班(中隊長片山中尉)に入隊。一〇センチ榴弾砲の挽馬部隊であった。
 「初年兵の心得五カ条」
第一 早めし、早がけ、早ぐそ
第二 要領を旨とすべし、員数の確保
第三 地方弁を使うな、そして大きな声
第四 軍馬は兵器、陛下からの預かりもの。兵隊は一銭五厘(ハガキ一枚)の消耗品だ
第五 軍隊は、メンコの数(食事の事)。
右五カ条を旨とすべし、だった。・・・(p473・474)

 軍隊では馬は大切な兵器である。何事にもまずお馬様が優先である。各中隊には専属の厩があり、馬当番がそれぞれ一頭ずつ割り当てられる。生き物であるだけに管理が難しい。特に馬は腸が細く長いので飲食のチェックが大切である。水すい嗽そうと称して、一日に二回以上水飲み場へ連れ出し、一口・二口・三口と喉を鳴らしながら飲むのを確かめ、何回飲んだかを当番下士官に報告、記録して健康の管理をするのである。
 朝は兵科の者より三十分早く起床し、厩でまず馬糞の回収、寝草干し、金櫛による馬体の手入れ、蹄蹉の手入れ、そして飼葉(岩塩を充分いれる)を与える。すべて終了後に、兵隊の朝食になる。何事でも朝飯前の一仕事と云うが軍馬に関しては重労働だった。
 また廊下不寝番ともなれば、徹夜で自隊の馬の管理を二人で担当するのだ。当番士官の巡察があるので怠けることはできない。初年兵を体験して、つくづく人間に生まれたのを情けなく思うのであった。(p474・475)柏井

令状は臨時召集令状で「昭和十三年八月二十日、宇都宮野砲第二十連隊に入隊せよ」でした。・・・
 入隊、即、教育係将校と下士官教育係助手の上等兵が全員を整列させて、第一声「貴様等達は一銭五厘の兵隊だ。只今から各任務教育に就くが充分に心して国家国民のために活躍せよ」でした。・・・
 野砲隊は砲手班と弾列班とに分かれますが、共に軍馬が原動力です。馬の手入れや運動が一番大切で、少しの休養も無く苦労しました。前述の如く兵隊は令状一本(一銭五厘)ですが、軍馬は「天皇陛下から預かる宝物である」といって、たて髪、尻尾の先、脚の蹄にいたるまで丹念に手入れを命ぜられ大変苦しい思いをしました。(p242・243)乙川
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/10onketsu/O_10_241_1.pdf

 私は昭和十八(一九四三)年徴集兵で、甲種合格となり、昭和十八年十二月初旬に久留米の第十八師団(菊)山砲兵第十八連隊に入隊しました。(p410)
 馬を使う部隊では人より馬が尊重されます。たまたま馬の扱いが悪く負傷でもさせたら「貴様ら兵隊は一銭五厘でいくらでも補充できるが、馬様はそんなわけにいかないんだ、この野郎!」と悪口雑言の上、目から火の出るビンタを見舞われました。心の中では「弾は前からだけではないぞ」と憤懣を吐き出したものです。(p411)田中

特に馬の手入れは人間より先にやらねばなりません。人間は一銭五厘の葉書で召集出来るが、馬は兵器だとよく言われて、絞られたものです。(p24)中嶋

 馬の取り扱いは古兵から「お前ら兵隊は一銭五厘だが馬は生きた兵器だ」とやかましく言われながら仕込まれました。特に水飼いが大切で朝昼晩と毎日馬が飲んだ水の量を記録して報告せねばなりません。それから消化状態を調べるため、湯気の出る馬糞を絞って水分を抜き、広げて麦が何粒残っているかを調べねばなりません。
 隊の馬は十二歳から十五歳で人間の四倍が馬齢ですから相当老馬でした。しかし人間を見るのは達者で、私ら新兵を馬鹿にして言うことを聞きませんが、古兵下士官を見ると途端におとなしく、言うことを聞くので腹が立ち、上官のいないことを確かめて馬小屋掃除用のほうきで思い切りブン殴ってやりました。(p246)斉藤

 迫撃砲の部隊は軍馬に迫撃砲を分解して乗せて行動するので、軍馬は大事な兵器で、兵隊より大切にされた。その当時は、兵隊は二銭の葉書一枚で召集できるが、馬は高価であった。(p43)村井

当日は秋田第十七部隊第二大隊長笠原中佐宅に一泊(笠原大隊長は戦
死した姉の夫の上官で、夫の生前から親族同様のお付き合いさせていただいていたので、奥様のご好意でお世話になる)しました。
 翌八月一日朝、第十七部隊の門をくぐると衛兵から祝いと激励の言葉を頂き身の締まる思いがしました。・・・
 同日第二大隊行李班に編入されました。・・・
先輩から「馬は銃砲同様兵器である。自身の世話より先ず馬の餌付け、手入れをし馬の健康管理に当るよう」と言われました。(p307)
 とくに前述の通り、馬は輜重隊の貴重な兵器ですので毎日朝夕の世話は欠かせません。要領の悪い者、動作の鈍い者は、自分の洗面、食事も落ち着いて出来ないほどの地獄社会で、私も入隊前は馬とは一切縁が無かったのですが、先輩の親切な指導を受け、何とか先輩並みにこなせるようになりました。(p307・308)山内(松川)
 
 昭和十八(一九四三)年四月十日、熊本市西部第二十一部隊野砲隊に現役入隊しました。第四中隊に編入され、中隊長は北森鶴雄中尉、第一内務班長野田一二三軍曹、寝台列長・塚原敬造兵長でした。(p231)
もし疝痛でも起こしたら当番に当った初年兵は夜も眠らず藁で腹を擦り続けなければなりません。もし一頭の馬を死なせたら、野砲隊に取っては大変なことで、「貴様達はハガキ一枚出せばすぐ補充出来るが、馬は一年間の調教が必要だ」と、古兵より何度か聞かされたことを覚えています。(p233)猪俣

連隊の中の桜が咲き始めた頃、私達は移動を命ぜられました。行く先は北満の満州第一〇八部隊、大村連隊の主力があります石門子の本部と聴きました。(p318)
大隊には約百頭の馬がおりますので馬の手入れも大変でした。厩の中の馬糞の片付け作業、蹄の馬糞のえぐり作業、馬への食糧の与え方、水の与え方、馴れるまでの苦労は大変でした。古年兵からは口を揃えて「馬は大切な兵器だぞ、貴様達は一銭五厘で何ぼでも補充できるが、馬はそうゆう訳にはいかんのだぞ」と叱られました。
 たしかに食べ物、水のやり方で「疝痛」になる恐れがありますので、皆が注意しました。私は石川子に二年近くおりましたが、外出は一回もしませんでした。理由は馬が心配でした。万一馬が「疝痛」にかかったら班全部が心配するからでした。天皇陛下から頂いた大切な兵器を一頭でも死亡させてはならないと言う心配が一日たりとも頭から離れませんでした。(p319)田浦
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/15onketsu/O_15_317_1.pdf

 一期の検閲も終った頃、歩兵第六十九連隊に動員が下り保健隊は解散し原隊に戻った。しかし保健隊にいた者は留守部隊に遺される、とのこと。何の面目あって家郷にまみえんとばかり准尉殿に泣きすがり、ようやく野戦隊に編入され、指揮班要員となる。・・・
 軍隊生活中、失せ物の員数合わせには苦労した。また兵器は歩兵の生命、いや命よりも大切なものとして扱われる。「兵隊は一銭五厘の葉書一枚で集まるが、兵器は天皇陛下よりお預かりしたものである。絶対に損傷してはならない。ましてや紛失するがごときは最大の不忠と心得よ」と。(p242)畠嶋

この時は、野砲に配属になりましたが、馬を大切にするため、「兵隊は一銭五厘、馬は二〇〇円」と言っていたし、「弾は前ばかりではないぞ、後ろからも来るぞ!」などとおどかしたので、野砲の将校は、配属されている我々に対し、あまりやかましく言わなくなりました。我々が逆におどかしたのは、自分の身を守るために言ったのですが、効果があったわけです。(p266)松崎http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/12onketsu/O_12_264_1.pdf

独立歩兵第六十大隊の第三中隊(安徴四河口)に入隊した。そして軽機関銃班に編成され地獄の初年兵教育が始まった。・・・半年か一年先輩の古年兵が「上官の命は天皇陛下の命だ」と言っては、何とか理屈を付けてビンタをくらわせ、「お前らは消耗品だ死んでも一銭五厘(ハガキ代)でいくらでも代わりが来る」と言う。(p31)加藤
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/19onketsu/O_19_029_1.pdf

 入隊して一カ月余りが過ぎ、気力も体力もヘトヘトで、限界である。まだあと二カ月足らずある。体力が持つかと思い、うとうとしておると、カツカツと長靴の音、週番将校の巡察である。銃の点検でカチンと音がする。しまった誰かが銃の装填落しを忘れた
 全員起床、ベット〔ママ〕の前に整列、一八〇センチもあるような将校が仁王立ちになり、「貴様ら、良く聞け。お前達は一銭五厘のはがきで、いくらでも集められる。兵器は国民の税金で造られる大変高価な物である。その兵器を休ませず、お前達だけ休んで良いのか。この馬鹿者。上等兵の初年兵訓練がなっておらん。たるんでおる」と言い捨てて出て行った。それからが大変である。(p133)森川
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/17onketsu/O_17_132_1.pdf

 初年兵の頃、古参兵はよくこんなことを言ったものです。「お前たち兵隊は一銭五厘(郵便葉書の値段)で集められるが、馬は一頭百何十円もするのだ」と、軍隊という所は、人の生命より馬の生命の方が一万倍以上もするのだということで、「価値の高い馬を大切にしろ」と言うことを強調したのでしょう。(p284)山地
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/12onketsu/O_12_280_1.pdf

入隊当日はいろんな手続き等、古兵が優しくしてくれた。軍隊とはこんなものかと思いきや、「お前達は今日から陸軍船舶二等兵である。お前達の身に着けている軍装品は皆、恐れ多くも陛下がお貸しくだされた物である。絶対に粗末にすることは相ならん」と厳しい訓示である。(p126)米重
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/11onketsu/O_11_124_1.pdf

 消灯ラッパが鳴り響いてきます。「シンペイサンハカワイソウダネー マタネテナクノカヨー」「何をいつまでモタモタしているんだ。早く寝ろッ」と怒鳴られる。休む間もなく働き通しのうえ、怒鳴られ叱られ殴られて一日が終わります。
 カチッと音がします。「第二班の初年兵!起きろッ」やっと疲れた体を横にしての寝入りばな、整列した自分たちを不寝番の古参兵が睨みつける。「貴様たちは、よくものうのうと寝られるもんだな。この銃は畏くも天皇陛下から授けられたものである。その銃の撃鉄が起きていた、ということはこの鉄はまだ今まで働いていたんだ。鉄を手入れした貴様たちの全員の責任だ。鉄に、あなたを働かせて自分は寝ていて申し訳ありませんでした、と謝れ」(p78)河村http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/13onketsu/O_13_065_1.pdf

編み上げ靴のことを軍隊では「へんじょうか」といいます。編上靴の手入れで春夏秋はさほどではありませんが、冬は本当に泣かされます。零下三〇度以下にもなる兵舎の外で手入れをしなければなりません。
 ご承知かと思いますが、靴底には滑らないように鉄の鋲が沢山打ち付けてあります。冬ともなりますと鋲と鋲との間に雪と泥が詰まり、それがカンカンに凍ってちっとやそっとではとれません。それを取り除くのに竹を尖らせた「竹へら」で取れというのです。しかし竹へらではとても取れるものではありません。そこでナイフでつついて取り除くのです。そこを見つかりますと、「こらッ!初年兵、貴様たちはこの靴を何だと思っておるのか、畏くも天皇陛下から戴いた大切なものだ。ナイフで革に傷をつけたら天皇陛下に申し訳がたたん。竹へらでやれッ!」というのです。「天皇陛下」と言う者もこの時は不動の姿勢をとらなければなりません。
 息を吹きかけたり、こすり合わせたりして手の感覚を甦らせてやるのです。古参兵がいなくなるとナイフでつついて取りますが時間がかかりますし、多少は革底にも傷が付きます。古参兵たちも初年兵のときはナイフを使ったと思い、恨めしくも思ったものです。
 泥を取ると今度は保革油を塗るのですがこれは手指で塗らなければなりません。油ですから手入れを終わった後にセッケンでよく洗わなければなりませんが、そんな暇はありません。いきおい手はアカギレと霜焼けになります。アカギレのところから血を流しながら寒さに震えて手入れをするのです。(p72・73)河村http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/14onketsu/O_14_072_1.pdf

 消灯ラッパが静かに鳴りひびく。夢の床に就くや、コツコツ週番下士官が巡回しつつ銃の引金点検である。次々と引く。俺は何番目…「よかった」と思う。「カチン」と鳴ると「OO出てこい」で捧げ銃をして「三八式歩兵銃殿、長々と……致しまして申し訳ありません」である。軍隊は馬鹿にならないと勤まらない。(p113・114)持山

すべて天皇陛下よりの御下賜品である、手袋、靴下に至るまで大切に使用せよとの厳しい教育でした。(p202)

 ・・・自分も上官や古兵の銃器を手入れした後に自分の三八式歩兵銃の手入れをして銃架に掛けておきました。突然班長が「ただいまから兵器検査を行う」と抜き打ち検査です。
 その時に自分の銃の床尾板のねじの溝に黄色い泥が入っていました。班長は烈火のごとく怒り「この銃は誰のか」でした。自分が名乗り出ると「馬鹿者」一言いって銃を持って下士官室へ引き返しました。数日前から班長は自分を「いじめ」ていました。西垣少尉(小隊長)は陸軍士官学校出身で、実に立派な陸軍将校です。その彼に私は実に良く可愛がられ「オイ小林ちょっと来てくれ」と何かについて指名されていたのです。それを憎んでの小銃引き上げ事件になったのです。
 班長室へ行って土下座して「天皇陛下より賜りし大切な三八式歩兵銃の手入れが悪く、心よりお詫び申し上げます」といったのですが、班長は知らぬ顔で他方を眺めながら煙草を吹かしていました。私は涙を流しながら一心不乱に、床に頭をつけて「お許し下さい」と一生懸命に懇願しました。
  最後には、どうしてよいか判断を失い、刑法懲罰でも、営倉(ブタ箱)でも軍法会議でもよい。この憎い班長を殺して自分も自決してやろうか、と物騒なことを、瞬間頭に思い描きました。隣の班長の計らいで「今回の不始末は許すが、以後絶対、兵器・武具を大切にせよ」となりました。このことは中隊全員に知れわたり、以後、小銃事件として語られていました。自分はこの苦い体験で「軍隊は運隊だ」ということを確信しました。(p205・206)小林
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/18onketsu/O_18_200_1.pdf

 勇名轟く脇坂部隊の原隊で訓練は猛烈、内務も厳正。「お前らは補充兵、一銭五厘の消耗品じゃ」と、ハッキリ引導を渡され、徹底的にしごかれ錬えぬかれた。(p133)權田
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/11onketsu/O_11_132_1.pdf

 夜の点呼が終わって消灯、床に入れどもおちおち眠れない。週番上等兵が巡視に回ってくる。銃架の銃の引き金を点検する。もし「カチッと」音がすれば、その兵は叩き起され、きつい制裁を受ける。「銃が休んでおらぬのに貴様よくも眠れるか」と。(p251)岩崎

軍人の魂として、自分の体よりも大切にし日夜手入れしてきた武器は、単なる物としてすべて衛兵所の脇に積み重ねられた。(p278)酒井
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/18onketsu/O_18_270_1.pdf

実は、その当時、このことが分かれば確実に死刑にされる菊の御紋章のある銃の木質部を焚いて暖をとり、それで私共は生き延びましたが、それができない多くの戦友達は、この四一〇〇メートルの山頂で凍死してしまいました。(p432)岡田

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