植民地朝鮮の実情を記した当時の資料(1)
植民地朝鮮の実情を記した当時の資料(2)
の続き
朝鮮関連では「京城日報」がよく出てくるが、これは朝鮮総督府の機関紙である。
なお朝鮮は植民地ではない、という主張については過去エントリ日韓併合は植民地支配ではなかった、というウソ参照


時事新報 1920.11.3-1920.11.16 (大正9) 
朝鮮を如何にする乎 (一〜十) 
独立運動の経路=民心悪化の情勢=我朝野の態度 
京城特派員 長野直彦 (一) 

妄動予想 
独立運動の勃発以来正に二十個月を経たり当初我朝野は此妄動が此も永引き此も時局を紛糾せしむるに至るべしと想像したりしか、之を隠謀好きの朝鮮人が愚しき事を企てたりとて嗤笑せし人々は不逞の徒が日ならずして独立の不可能事たるを覚り妄動を止むるならんとは思わざりしか、縦し然らずとも事を重大視せざりしは事実ならん当時政府は聊か狼狽の体なりしも夫れは斯る事変の発生は申す迄も無く国家の不祥事なるが故に刻下に之を鎮撫せざるべからずと為し又鎮撫し得るものと為したる対策が寧ろ狼狽の余に出でたるやに、見受けられたるものあり、尤も中には此種の運動一たび勃発したる上は終熄の時期を予想し能わずと云う者もありしが其等は多く外国他民族の独立運動を引例し類推したるものにして朝鮮の事情、朝鮮人の思想、朝鮮に於ける独立運動の真相を査覈して得たる結論にあらず 軽視す 而して説者の真意は独立運動が急に終熄せずとも何程の事やあらんというに在りたり是等の外種々の観測行われたれとも要するに甚だ事を軽視せり、然れども昨年九月斎藤総督等着任の際一老兇が総務の暗殺を企て爆弾を投じてより事態日を追うて陰悪に赴き本年初春の頃より不逞団は種々兇暴なる手段を弄して民心の悪化を図り終に最近に至りては西北国境附近恰も恐怖時代を現出したるの観あり即ち曩に我朝野が事を軽視したるの過誤を立証せるものと謂うべし今日に及びては其の意外の成行きに驚きつつも尚お『多寡が朝鮮人の蠢動に過ぎず』とて前途を楽観し真摯に朝鮮の時局を研究する者甚だ少きは実に国家百年の憂患を醸成しつつあるを識らざるに由るか・・・

三) 独立運動の真相(二) 
潜在的感情 
「・・・試みに農夫にまれ又労働者にまれ其衷心を披瀝せしめよ一人として総督政治に悦服せるはあるまじ彼等は自ら識らざるにもせよ朝鮮の独立は一千五百万民の一度せる要求たるを察知し得べし独立運動は此要求を満たさんが為めに起したるものなり少数の浅慮者が米国の声援を恃み或は西伯利満洲等に於ける五六十万の移住鮮人を背景として各自の不満を遣り野心を満たさんが為めに起したるものにあらず」とは最初より陰謀に参画せしか然らずとも何等かの関係を有したりと思わるる一青年の談なり是れ恐らくは語を飾るものにあらず彼等の確信なり当時の状態に於て最も深刻に屈辱を感じたる者が先ず奮起したるものと解すべし 

官僚政治
(ロ)果して然らば人民は何故に総督政治に悦服せざりしか総督政治に何故に民心は擢る能わざりしかというに夫れは前述せし如く我国人特有の官僚的?政治思想を以て庶政を行いたると内地人の朝鮮人に対する優越感が頗る熾烈にして極めて露骨に表現されたるが為めなりと断ぜんとす・・・加之内地人の優越感は官民の別無く朝鮮人との接触に於て無遠慮に迸出して彼等の屈辱感を刺激し不逞団の所謂山野に磅●たる不平の気を●醸せしめたり

(六) 独立運動経過(二) 
運動第二期 
斉藤総督、水野政務総監等着任の際一老兇が爆弾を以て総督暗殺を企て総督は幸に其難を免かれたれども多数の死傷者を出し内地人は憤慨し朝鮮人は迷惑気に見えたり内地人の憤慨したるは其兇暴を悪みしが為めにて朝鮮人の迷惑気に見えたるは幾許か独立運動に対して期待する処あり凶暴なる手段を弄するは事に益無きのみならず或は政府が高圧政策を執るに至る無きやを恐れたるに由らざらんや。之れは独立運動の筋書き以外の出来事なりしこと後に判明したるが此事有りしより物情頓に騒然たり是れより本年三四月頃迄を吾人は第二期と呼ぶことにせん民族自決の主張に対して国際連盟会議は一顧だに与えず米国の後援も頼むに足らざるを覚りて陰謀団が失望したる時期なり而して朝鮮内に於ては不良青年輩が思い思いに徒党を組み各地に出没し文書又は口頭にて盛んに煽動を試み軍資金調達の為めと称しては強盗脅喝取財等を行い人心を悪化せしめたる時期なり実否は固より知る由もあらざれども貴族富豪仲不逞漢に強請され出金したる者ありとも聞えたるが韓国時代と異なり文明政治の有り難きは独立運動に多少の関係を有すとも生命には別条無きことを知り彼等が従来の態度に幾分緩みを生ぜし観ありたり中流知識階級の態度は依然として変る処無く下層社会は独立運動なるものを稍々解するに至れり是れ軈て人心の悪化を語るものなり 制度改廃 此間総督府に於ては憲兵警察制度撤廃の後を承けて警察機関の拡充を急施し不逞の行動に対しては峻厳なる取締りを加うると同時に所謂文化政治即ち時勢の要求に応じ民意の暢達を図る趣旨の下に連りに制度の改廃を行い或は運用方法を釐革せしが而かも乖離も去らんとする民心を如何ともする能わざりしなり四五月の交間島方面に於ける無朝鮮人団が露国過激派より供給を受けしと思き武器を携え豆満江を渉りて成鏡北道に侵入せんとし警備警察隊は軍隊の援助を得て之を撃譲したるが引続き警戒しつつある中吉林、奉天両省管内に於ける不逞鮮人は集団を成さず五々五々鴨線江を渡りて平安北道に潜入し殺人(主として巡査面長等公職を帯ぶる者を狙えるが如きも中には金銭の強請に応ぜざるが為めに殺傷されたる者あり)強盗等兇暴の限りを尽し人心を畏怖せしめ某々群の如きは郡内の各面(内地の町村に相当す)面長以下吏員全部逃避して一時其事務を廃止したるあり道庁の所在地たる義州に於てすら内地人官吏は単身外出の危険を感じたる有様にて局限的にて且軽度ながら拾も恐怖時代の現出をすら想到ぜしむべき状態なりしのみならす一派の不逞団は爆弾を密かに上海より輸入し総督以下大官の暗殺総督府其他大建築物の破壊を企てたるあり此陰謀は幸いに警務当局に於て未然に之を探知し犯人を逮捕し爆弾を押収して事無きを得たるも他の一派は平安南道警察部、平安北道警察署、同新義州停車場等に爆弾を投じ何等被害は無かりし由なるも人心を刺戟せしこと一通りにあらず斯くて本年の夏季を過ぎたり此期間を第三期と呼ぶこととせん 

 (七) 独立運動経過(三) 
職業的排日 
若し満洲西伯利方面に於ける不逞鮮人即ち職業的排日鮮人—疇昔は排韓鮮人とも称し得べかりき—が独立運動の総勘定を為すべき地位若くは成行きにあらば其勦滅は可なり厄介なりとは云え朝鮮統治上左程憂慮するにも及ばざるべきも吾人の所見を以てすれば最後の解決は朝鮮内の郷土に定住せる良民を相手とせざるべからず其良民たるや独立運動に加担せるに非ず又現在不穏の行動を為しつつあるにもあらず然れども彼等は独立運動勃発前は総督政治に対する不満、内地人に対する不快を感ずることの少からぬながら、大多数は之を如何とも致し方無き運命と諦め居たりしに独立運動起りて一年半を経過せし間に彼等は如何にして其不満を医し其不快を消し得べきかを考うるに至れり本年春頃迄は極めて平穏無事なりし地方に於てすら昨今農民が通学の児童を途に要して「倭奴の言語を学習する為め通学して何の益する処ありや」と嘲罵するより学童は通学を憚り学校当局をして困惑せしめつつあるが如き事例少からず以て民心悪化の状を察するに足るべく随って独立運動の総勘定は容易に行われ難きを知るべし殊に満洲西伯利の各地に流寓せる不頼鮮人の行動即ち平安北道地方を騒がしつつあること、豆満江沿岸に於ける武力侵入計画乃至琿春事件も独立運動の本筋にはあらず彼等の行動に依りて政府を手古摺らせ民心を動揺せしめ得べしとは考え居るならんも独立を遂げ得べき方法とは思わざるのみならず陰諜団中にても多少思慮ある者は内心彼等の行動が此上進展することを寧ろ憂懼しつつあるにあらざるか 鮮人残忍性 一朝鮮人は「満洲在留の朝鮮人は尚且可なり西伯利に放浪せる徒輩に至りては彼等が過激派化せると否とを問わず実に朝鮮人とは思われざる残忍性を備え居るを以て万一彼等が国境内に侵入することあらんか誰れよりも朝鮮人に取りて最も恐るべき禍なり」と語れるが之は一般朝鮮人の代表的意見と見るを得べし実際独立運動は今や国境方面の騒擾を背景として陰諜団が最後の手段として其のプログラムに記せりと伝えらるる「社会的反抗」に向って歩武を進めつついるが如し社会的反抗とは内地人に対する反抗なり延いて朝鮮統治を困難ならしめんとするもなり彼等は先ず内地品不買朝鮮品不売を提唱し京畿道の一部黄海通及び平安南北二□に於ては或は種々の名称を附したる団体を組織し規約を設け或は個々思い思いに之を実行しつつあり最近黄海道に旅行したる者の談に依れば朝鮮人中官公吏以外巻煙草を用いる者無く例の煙管の竿を短くして携帯し居り又衣類は朝鮮産の木綿を用いることに申合せ居る由にて内地産金巾木綿等を着用せるは十人に二三人に過ぎず夫れすら多くは他処より入込み居たる者なりしと云う西鮮地方は人心の悪化特に甚しく斯くの事は別段驚くに及ばざる程なるも吾人は二週間前慶尚南道の某郡内に於いて内地人と一切取引を為さざるべく決議した部落ありと云う報道に接したり漸次他地方に及ぶの虞なしとせず、 対内反感 尤も朝鮮人が内地人との取引を拒絶することは自ら生活の根柢を破懐するに等しく日ならずして其無諜の挙たるを覚るに至るべきも彼等の内地人に対する反感は決して消滅せず同様反抗的計画は次ぎ次ぎに手を代え品を代えて現われ来るのみならず内地人に対する反抗心は凡て優者に対する反抗心を誘発すべき傾向の既に顕著なるものあり・・・

 (九) 対策(二) 
・・・(ハ)今春普通学校入学生の多かりしこと近来各学校生徒の休学少きこと等を理由として学生の思想改まれりと称するは各学校の内地人教師が教壇に立ちたる時の感想と一致せざるの事実を否認するの勇気ありや

(十) 対策三  
・・・(ロ)政府は総督府財政独立計画が総督誠意の民心を失いたる主因とは認ざるか独立運動の勃発したる当時「総督府財政独立」なる事が朝鮮人をして朝鮮の独立可能を覚らしめ民心に悪影響を与えたりとの説ありしが或は斯くことの有りしやも知れざれども夫れは独立という語が時に取っての辞柄を供されし程のことならんと思う然るに財政独立計画其事の急激なる促進は可也無理を強行せり併合以来産業は発達せり物資輸送の便開け物価も大勢上年次昂騰し□うるに都鄙を通じて金融機関も備わり総じて経済状態の改善経済力の増進は著しと雖も税率の引上げと頻々たる新税の設定と租税以外の公課金の増加等によりて人民が負担額の増加程度は負担力の増進程度を超えたるは事実なり乃ち無埋を強行せるものなり・・・

三、国民の態度に対する疑問 
(イ)内地に於ては朝鮮の事情を知り得べき便宜を有する人にして尚全鮮各地兇暴なる不逞漢の出没し内地人に危害を加え殆んど旅行も出来ざるものの如く想像する者多しと聞く果して然るか朝鮮の事情を知り得べき便宜を有する人士中には之を知らざるべからざるが多き筈なるに何故に之を知ることを努めざるか之を知るの要無しとするか是れ疑問の一・・・
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東京朝日新聞 1920.11.16 (大正9)

朝鮮統治の根本義

鮮人の内地人に対する思想は、昨春暴動の勃発せし以来、一般に悪化せりと伝えらる。是に於てか近来朝鮮統治に関する論議行われ、不逞鮮人の盲動は文化政策の結果なるを以て、宜しく威力を以て之に臨み、寸毫も仮借する所なかるべしと説く者あり。・・・
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大阪時事新報 1920.12.3-1920.12.18(大正9)
朝鮮の治安回復 (一〜十一)
朝鮮視察を了りて 小川生

(十) 民心悪化とは何ぞや
悪化か善化か
然るに記者が京城に行った時、在住日本人の多数から朝鮮人は文化政策を謳歌して居る所か、却て反対して居る其証拠は彼等が日に増し悪化しつつあるに見 [欠] 化ではなく只日本人に対して理屈を云う様になったとか電車の中で座席を譲らなくなったとか云う意味の悪化であると云う事が解った□して見れば朝鮮人の所謂悪化とは世界の大勢に伴れて個人の権威の上に目醒めたのであって何も朝鮮人に限った事ではない、東京でも同様の悪化は沢山ある、否東京こそ本元で京城などは其出先きに過ぎぬ、而して此の意味の悪化ならば寧ろ賀すべき事である、蓋し日本の同胞となった一千三百万の人間が何時までも小供の様に何等の自覚もなく何等の向上もなく卑屈一点張りで終る様な事では日本帝国将来の上に悲しむべき事であるが之に反して彼等が斯くも自覚し向上したと云う事は我帝国に取り大なる強みであるからだ其れを日本人が悪化したと云えば彼等の向上を抑え様とするのは誤って居る。殊に文化政策を標榜する総督府が一旦発行を許した朝鮮諺文新聞が少しく階級打破、自由平等を叫び若くは内鮮人差別撤廃を主張したからと云て直に発行禁止を命ずるなどは余りに了見狭少なるを示すもので記者の断じて与せざる所である 

不平の数々
其証拠は朝鮮の知識階級に属する連中が今尚総督政治に対して無限の不平を抱いて居る事実に見て明かである、現に記者は京城に於て色々な階級の人に会ったが何れも皆総督政治に対し無限の不平を漏して居た。今其代表的のものを摘記して見ると彼等は斯う云う事を云って居る、曰く 
 日本は朝鮮の土地が取りたいのであって朝鮮民は何うなろうと一向御考えはない、現に是迄は勿論今でも朝鮮人に対しては少しも人間らしい取扱いをして下さらないではないか、此の間も私(某侯爵の所へ訪ねて来た某郡守が途中で一巡査に誰何されてマサカ自分の事ではあるまいと思って通り過ぎようとするといきなり某巡査に蹴飛され大怪我をして某病院に入院した事実がある、こんな所を見ると日本は朝鮮の土地丈けが欲しいのであって人民は欲しくないのではありますまいか、若しそうだとすれば日本は早く三百万の内地移民を朝鮮に入れて確固たる植民地を造られた方がよかろうと(某侯爵談) 
又曰く 
 内地人は動ともすれば鮮人をヨボヨボと云い、又総督府は一向吾々の自由を認めて呉れない、否其れ所か重要な地位にもつけて呉れない、現に総督府の役人名簿をご覧なさい 

[図表あり 省略] 

 右表の如く朝鮮人の地位は内地人に比し未だ甚だ低いではありませんか、之を彼の米国が比律賓に自治を認めハリソンの総督時代から上下両院は固より総督府の役人迄全部比律賓人を用い米人を一人も用いない事実や又英国が同国内閣内に印度省を設け其次官に印度人を用い、或はトランスパールの叛将ゼネラル ポータを南亜連邦の首相とし或はトランスパール出身のゼネラル スマツツを講和委員として講和会議に出席せしめた事実等に対照せば雲泥の差があります、こんな事では何うして吾々は日本に信服する事が出来ましょう、現に併合当時は吾々は日本留学を以て得意とし先を争うて之を学び且つ日本に留学し中には日本婦人と結婚したものもあった位です、其れが今日では何うです日本語を以て和奴の語となし斯かる語を学んで何んになるものかと云う思想を懐く様になったではありませんか、之れは全く総督府が吾々に自由と地位とを与えないからで、こんな事では吾々はワシントンを真似る訳ではないが「自由を与えざれば死を与えよ」と云いたくなるのです(某留学生談)と 
又曰く 
 文化政治と云うも其れは名ばかりで税は高し手続きは面倒だし到底吾々は感服せない、殊に朝鮮人の唯一の楽みは濁酒と煙草とである、其れに総督府が高い税を課けるなどは甚だ以てその意を得ない、寧ろ地租を増して此等の貧民税は廃した方が可いと(某実業家談) 
又曰く 
 内地の人は朝鮮に対し一視同仁の内地延長主義を以て臨むべしと主張して居るが総督府の官吏は依然朝鮮を以て植民地となして居る観がある、勿論斉藤総督は就任以来憲兵制度の廃止、会社令の撤廃、言論の自由解放、自治制令の発布等を決行し此主義の実現に努めて居らるる様だが其実未だ植民地風が去って居ない様である、若し真に内地延長主義を採るの雅量があるならば何故朝鮮に内地府県制度と同一の制度を布かれないのか又何故帝国議会に参与するの権利を与えて下さらないのか又何故言論集会出版の自由も内地人に許与されたると同一のものを解放して下さらないのか是等の事を考えて見ると吾々は未だ日本を信用する事が出来ないのですと(某政客談) 

東京日日新聞 1920.12.9-1920.12.19(大正9)
朝鮮半島雑記 (一縲恚)
松岡正男
 
(二)
半島国民の不平
誓え騒擾は半島国民の天牲なりとは云え、それが為に彼等の不平に耳を貸さぬは乱暴に非ざれば、怯儒か、然らざれば愚なる業である。 
 私は先ず直接に彼等から聴いた不平の数々を列記すれば大凡そ左の通りである。 

一、参政権絶無なり 
二、租税は高きに失す 
三、行政上の諸手続は煩雑を極む 
四、内鮮人の差別を撤廃せよ 
五、民意の暢達を計るべし 
六、教育の普々並に改善 
七、同共埋葬は旧慣に反す 
八、道路夫役及用地奇附の強制 
以上の不平に就て詳細に研究すれば、誤解から導かれたものもあり、又実際無理がないと認むべきものもある。而して新総督就任以来無理からぬと思わ るる大部分は制度の改正を敢行した。

(三)
吾輩は今回の旅行に於て多数の知識階級の朝鮮紳士に遭った。彼等の中には伊藤公暗殺事件に連坐して、二十六箇月間旅順の鉄窓に繋がれた、生粋の排 日者も居る、乃ち試みに彼等に「朝鮮の独立を欲するや」と問えば、彼等の多数は「然り」と答える。「然らば独立は可能性を有するや」と反問すれば、其大多 数は「否」と答える。「外らば貴公等の望む所は何なりや」と促せば日鮮人間に於ける差別待遇の撤廃なり」と答える。是は真実の朝鮮同胞の希望である。

(七)
半島の教育
・・・併し乍ら朝鮮に於ける教育には根本に於て困難なる一つの問題がある。それは畏れ多い事であるが教育 勅語を如何に奉戴すべきかと云うことである。総督府学務局では大体故重野文学博士の解釈を基礎として内地同様に之を奉戴する事に決めて居る。然るに私は本 問題に就きて、教育当路者や自ら教育の衝に当る人々の意見を尋ねて彼等の多くは教育勅語の御趣旨、御精神を伝うるよりは、寧ろ其奉戴の形式に就て、迷うて 居るものの多い事を認めた。私は彼等が一日も早く斯る形式の桎梏より脱離して勅語を捧読するよりは、寧ろ其趣旨の存する所を理解せしむるに努むべきであろ うと思う。而して直後の趣旨を半島国民に宣伝し、理解せしむるには勅語を捧読する事が決して絶対の必要事ではない許りでなく、時に之を捧読せざるの利益あ る場合もなきにしもあらざるを悟了せねばならぬ。

京城日報 1920.12.25-1920.12.30(大正9)
朝鮮現下の治安 (一〜五)
警備機関の活動と不穏分子の剿滅

(三)
宗教類似団体以外にある各種団体は参政権の獲得、社会の改善、教育の発展、育英事業、儒学の振興、労働者の救済、婦女子の覚醒、商事の発展等を標榜せるが其の多くは穏健質実の目的を有するものは皆無と云うも可ならんか殊に警備力の充実と不穏企画の検覈とに依り独立運動漸次不能となるや不逞輩は青年会又は基督教伝道隊等を組織し若くは学術講演会等文化運動の美名の下に巧みに隠語又は反語を用い排日独立思想を宣伝せんと企画せしも苟くも併合の大精神に背反し統治の方針に悖り独立を主張すと認むる結社に於ては解散を命じ、不穏の後援は悉く之を禁止すると共に一面弊害なきものに対しては斯道誘掖に努め以て当局は結社及言論に対する方針を明示せり


国民新聞 1922.8.29-1922.9.23(大正11)
朝鮮の労働者 (一~十五)
鈴木文治
 
(一) 町から野へ
・・・七月の十二日に東京を発し、八月の二十日に東京に戻った。此間往復の船車に費した数日を除いては、全部朝鮮に暮したのである。或時は大洪水を冒して、舟に乗って朝鮮小作人部落を訪問した。或時は巻脚袢をつけ、災天百二十度の酷暑を凌いで農場の視察に出かけた。或は汽車の便に、或は自動車の便によって、町から野良へと視察の旅をつづけた。かくて咸鏡北道の一道を除いては、大抵の道に足跡を印した。勿論、一通りの視察旅行である。観察の範囲も狭く、且つ浅い。夫れでも私としては、一応朝鮮に対する理解を得たとの感なきを得ない。 
・・・私は右の見聞に基き、大体工、鉱、農の区別に従って、朝鮮の労働者に就いて述べて行こうと思う。

(二) 工業労働者
・・・従って朝鮮には工場法のような規定もなければ、労働争議らしいものも従来は殆んどなかった。此点のみを以て見れば、朝鮮に労働問題なしというは、現状を道破したる至言である。凡そ労働問題の発生には、二個の条件が必要であると言われる。一は労働の悲惨なる状態の存在、二は労働者の自覚、即ちこれである。知らず、朝鮮の労働者の労働状態は、果して天国の夫れの如くであるか、はた又朝鮮の労働者はいつまでも無自覚にして止むであろうか。 
私の視察の範囲では、労働状態は頗る区々であった。例えば労働時間に点に就ても、短きは八時間より、長きは十三時間に及ぶものがある。労働賃銀も区々であるが、概して内地人三円乃至三円五十銭位(役付職工は夫れ以上)、朝鮮人支那人は大抵、最低八十銭より一円二三十銭に至る。(少年労働者は勿論夫れ以下)、支那人朝鮮人と雖も熟練者は内地人と同様なものがある。内地人の比較的高級なのは、技術的に秀れて居るのと、内地より呼び寄せたという点にあるらしい。生活程度の高いのも勿論一因である。 

(三) 能率と勤怠
・・・朝鮮の労働者には年齢の制度というものがない。そこで事業の種類によっては、随分頑是ないような少年少女も成年男女の間に立ち交って働いて居る。労働時間の制限のない上に、年齢の制度もない少年少女の無制限使用は、其弊決して少くはあるまいと思われる。加うるに朝鮮の工業労働者に取りて、重大なる苦痛の一つは、作業中の負傷、疾病並に不具、老衰、失業等の場合に対する保障の殆んど全く欠けていることである。会社によっては多少の規定の存するところもある。併し夫れすら労働者の立場を十分尊重した者というよりは、むしろ会社の恩恵的施設に属する者である。

(四) 鉱山労働者
・・・けれども私は丁度最近平安北道の雲山金鉱を実査したる一友人に就、精確なる実況を聞くを得た。・・・今日は会社組織となし、東洋合同鉱泉会社と称している。従って幹部は悉く米人であって、事務員に一人、雇員に一人、日本人を使用するの外、労働者は悉く朝鮮人支那人である。・・・労働時間は朝六時より夕六時まで十二時間で、採鉱関係の仕事は昼夜二交代、五日目に交代する。休憩時間は一時間あるが、休日は絶対にない。尤も係員の米人は勝手な日に休むそうな。宿舎は各自豚小屋然たるものを構えて住んでいるが、便所、水道等の設備がないというから、その衛生状態は大抵想像される。好景気の際は採鉱奨励の意味であろう、共同賞与というものを出したが、今は中止した。但し山火事等の場合、消防に尽力したものには特別賞与を出すという 

(六) 屋外労働者
・・・夏の朝鮮に行く人は、誰でも町に、村に、辻々に、路上に、何千何万と堆く積まれた黄色に熟した真瓜売る人々を見るであろう。又その前には大人も子供も群をなして集まり、手に手に真瓜を煩張っているのを見るであろう。私は最初これらの真瓜は全く間食の為だと解した。そして朝鮮人は馬鹿に真瓜を喰うものだと驚いた。併しよく聞けば、彼等の真瓜を喰うのは、決して間食などと贅沢沙汰ではない、食料にするのだ、飯の代りだと聞いて、再び更に驚いたのである。 
真瓜の代価は一個二銭位である、一寸甘味のある味のいいものだ、併し我々にはこれを飯の代りに食わうとは思われぬが、『チゲ』さん達は之を一個又は二個を以て食料とし、甚しきは日に三度、夏中を通して之許りを常食としているものがあるという。そこで昔は夏真瓜の出る頃になると、米の値段が下ったという嘘のような話もある。 

(十三) 土喰う農民
朝鮮の小作料は地方によって一様でないが、半々に収穫物の叩き分をする所が多いようだ。然るに奇怪なるは、長年の習慣として、土地改良の諸費用、肥料代等は勿論、甚だしきは実に地租を小作人に負担せしめて居る所が今尚多いことである。とこの世界に小作人が地租を負担するところがあろう!真に驚くの外はない。是に於て小作人は実に骨までもシャブリ取られるという有様である。故に小作人の大部分の生活は、文字通りの亦貧洗うが如しである。汽車の中よりも眺められる、鉄道沿線到るところに、水田の間に点在している藁ぶきの低い小さい豚小屋のような家が、小作人の生を託する所である。下には石ころを集め、泥で塗り固めた温突を作り、その上に細い曲った杭を立て、周囲を泥で塗り、屋根に藁を重ねたのが、千数百万の農民の『家』なのである。時価にして百円乃至二百円で出来るという。窓や出入口は小さく、室内は薄暗い。板敷の床というものはなくて、泥の温突の上にアンペラを敷いて坐臥する。紙を張ってあるのは上等の方である。布団というものもない、夏も冬も著のみ著のままゴロ寝をするのである。尤も温突の焚口は同時に炊事場になっているので、夏も火を焚く関係上、暑くて室内には眠れない。そこで夏は家族悉く藁むしろやアンペラを敷いて屋外の地べたの上に寝る。枕は木の角枕である、中には石を枕にするものもある。湯には年中入ることなく、夏は時々小川に入って水浴を試みる。米産地の農民の外は滅多に米を食せず。粟、稗、高梁の類を常食とする。 
それもこれ等の食料が喰い続けられればよいが、大抵収穫季より春までで尽きて終う。都会地に近いところでは野菜を作ったり、日傭に出たりして喰いつなぎをするが、そういう便りのない片田舎になると、その生活の悲惨なる、正に想像以上である。 
彼等は先ず野に出で山に出でて木の実を拾う、草の葉をむしる。そして粟や稗と交ぜて粥のように煮て喰う。朝鮮には不思議といろいろな薬草がある、これ等はいはば彼等の状剤となるわけである。松葉の青みや、松の甘皮などは好個の食料となるのである。然もその混食用の穀物も尽きて終えば、遂には土を取って喰うのである。 
土を喰うといえば如何にも嘘らしいが、実に嘘のような話である。私は裡里の田舎の朝鮮小作人の持って来たものを見、且つ研究資料としてその一塊を携え帰った。指に摘めばサラサラとして丁度メリケン粉のような粘土である。茶褐色をしていて、内地の安いビスケットに混ぜるという粘土に似ている。それは医学上格別害にならないが、又滋養分もないものだという。これを草根木皮と共にゴタ煮にして、腹の中へと詰込むのである。彼等は正しく平時よりして飢饉の生活を送りつつありというべきである。 
種子は地主の方から借りる習慣になっているが、それは大抵喰って終う。そしていよいよ播種の時になって騒ぎ出す。又肥料を貸せばその肥料にする豆粕を食うという話である。彼等としては背に腹はかえられぬのだ、若し秋の収穫まで米や粟を地主から借入るる時は、秋はこれを二倍にして返さねばならぬ。誅求、搾収は正に極点に達している。農村の改良も何もあったものではない。 
   
京城日報 1923.1.1(大正12)
農家経済の現状及び其の向上に就て
殖局産長 西村保吉

・・・以上の三項目は現在朝鮮農業の進歩を阻害するの病根であって朝鮮の農民を以て之の内地農民に比すれば其一戸当耕地面積は内地の平均約一町歩に比し朝鮮は平均約一町六反歩にして其耕作面積の多大なるに拘らず其収益は却て甚だ少く単に主作物たる米のみに就て見るも大正九年に於て内地の一旦当り収穫高が二石二升一合なるに比し朝鮮の一反当り収穫高は僅に九斗五升五合即ち内地の半数にも足らない状況である亦以て朝鮮農家の収入が如何に貧弱であるかを知るべきでないか以上は朝鮮の農家の経済が微々として振わざる主なる原因であって是等の原因からして朝鮮農民の地主の一部階級を除くの外は一般に薄弱微力であって啻に余財なきのみならず大多数の小農は少からざる負債をも有し日常生活に苦しんで居る状態である 
即ち毎年収穫を了りたる後一定の小作料を支払い其残余の半産物を自家用として保留し得る余裕ある者は極めて少く米の如きは概ね直に売却して金銭に換え負債の償却、納税、日用品の購買其他□□の雑費に充て実際の食料代□□を以て之を充たすの状況であって中には負債を償却する余裕さえもない者が少くないのである殊に甚だしきに至りては青田売買と称して立毛の□にて之を売却し若くば担保に供する者さえもある位である農家経済の向上を図る方法は之を□論せ□□々の事項を挙ぐることを得べきも要は主業副業の発達を図りて農家の収入を増加すると共に一面消費を節約するより外には仕方がない即ち・・・
 
京城日報 1923.6.7-1923.6.17(大正12) 
朝鮮の治安に就て (一〜六、八〜十) 
五月十四日全国新聞記者大会に於て 
警務局長 丸山鶴吉

(六) 要するに朝鮮は全然平穏無事なりとは私は申しませぬけれども、段々落著いて居ることは事実であります。其落著は如何なる処に落著いたかということを少しく説明したいと思います。今迄講和会議の力に依って独立しようとか、国際連盟の力に依って独立しようとか、又亜米利加の同情があったので、亜米利加の力に依って朝鮮の独立を齎そうとか、そう云うことを考えて種々の運動を継続して見たけれども、此等の希望は総て駄目であった、殊に亜米利加の議員団は比津賓の独立問題を研究した者であるから、定めし朝鮮にも非常の同情を有って、朝鮮独立の為めにも相当な理解と援助をするであろうと期待して多少の動揺を感じたが、朝鮮人の歓迎会にも臨まないし、又一切の政治問題を避けると云う口実の下に鮮人を回避したので、非常に失望落胆したのであります。結局亜米利加頼るべからず、講和会議、国際連盟頼るべからず、要するに、他力に依る独立運動は是れ一場の夢であったと云うことを、朝鮮全道の人々が考え始めたのであります、結局朝鮮人が独立を欲するならば自分の力に依って之を遂行するより外にないと云う自覚が漸次拡まって、今や何人がどう言っても、朝鮮上下を挙げて居る思潮であろうと思います。自分の力に依らざるべからざる自覚を得て、さて自からを顧みる時に、一部の人は進んで居るかも知れませぬ、或る種の階級は富を有って居るかも知らぬけれども、千七百万の人間を平均すれば其文化の程度其経済力に於て、今直ぐ独立すると言って見た所が到底独立を支持することの出来ないことに気附くのであります。今日本が手を引いて、直ぐ独立国を維持して行くことが出来るか、出来ないかと云うことを聞いて見たならば、総ての人が否と云う返事をするより外はないのであります。大部分の人々が此の観念を持って居ることは動かない事実であります(拍手)。直ちに独立が不可能とすれば何に依って自分等の要望を満たすのか、結局朝鮮人が奮闘努力して文化の向上に努力せねばならぬ、産業を発達せしめて朝鮮人の富を増殖せなければならぬと云う考になることは当然の径路であります。其処で産業開発、文化促進と云うことが近頃朝鮮人の頭を支配する思潮となって来たのであります。・・・

(八) 最近に至って、朝鮮を視察された方が内地で色々御報告になって居るパンフレットも拝見致しますし、演説の筆記も拝見致しますが、朝鮮の前途に就ては誠に堪えないと云う悲観的な観察が多いのを見るのであります。それで茲に詳さに私の信ずる現状を披瀝して置くことが必要であると思います。御承知の通り段々文化が進んで参りますれば必ず民族的自覚が起って参りますることは何れの民族の例を以てしても明かなことであります。殊に欧洲戦争と云う思想界の大鉄槌を受けて以来、各地の諸民族が到る所で紛糾せる問題を惹起して居ることは御承知の通りでありまして、独り朝鮮が此の圏外に出ることはできないのであります。朝鮮人が漸次に民族的自覚心を起すと云うことは当然のことであります。殊に新総督政治になって以来言論の自由も相当程度に認められ、朝鮮人の方で諺文の新聞を経営されて、各地に此の新聞が配布されるのでありますから、今迄嘗て知らなかったことが全鮮の朝鮮人の頭に這入って来る訳であります。忌憚なく申せば朝鮮人諸君の御やりになって居る新聞が本当に公正を保ち、虚心坦懐に所懐を披瀝して真に朝鮮民族の将来を憂えて居るかどうかと云うことを疑問に致しますけれども、一種の意見抱負を有って新聞を経営されて居て、それが津々浦々迄廻って来るから、段々に民族的自覚を煽るようになって来ることは勿論のとであります。それであるから実力養成を標榜して各種の社会団体が雨後の筍の如く起り、或は青年会と称し、或は矯風会と称し各種の会合の起って来ることは皆文化促進の為め一つの現われでありますが、内容に至っては一つの民族精神の刺戟機関となる場合が多いのであります。又教育を尊重して行かなければならぬと云う場合に於ても朝鮮の人達が教育を批判する時には、常に朝鮮人の為の教育を主張されるのであります。今度教育令が改正されて殆んど内地と同一の教育制度となり、内地との連絡は完全になり、此改革位教育上の大改革はないと信ずるのでありますが、鮮人諸君は何故根本的に朝鮮語を以て教育しないか、難しい日本語を以て教育するのは、生徒の能率を害し教育の効果を減殺するものである是は要するに教育を国策に利用するものであると批難攻撃をして偉大なる教育界の大進歩に対しては寸毫も推賞しようとはせないのであります。唯朝鮮人本位という一点を以て立派なる教育令の全体の価値を没却する如くプロパカンダされたのであります。それ或折角の教育令改正も朝鮮人の多くの人には美しいもので、大なる革新であるが如きは到底伝わらないのであります。かく教育に対しても民族的自覚が進むに従って、朝鮮人本位の教育でなければならぬと云う議論が一般に伝わったのであります。官立大学が出来ると云うことになりますれば、全道を挙げて熱狂的に民立大学既成準備会と云うものが出来て活動を開始するのが現状であります。併しながら完全なる大学を推持して行くには中々容易なる資力、容易なる財力で出来るものではありませぬが、一千万円の金を民間から募集して私立大学を造ると云うので、全道挙って有識階級の人々が騒いで居るのであります。勿論是は文化の発展上喜ぶべき現象でありますけれ共それを為すより猶一般民衆として為すべき他の施設か沢山残って居る様に思うのであります。官立大学が出来んとするから反抗的に民立大学を建設せんとするのであると見る外はありません、又先年朝鮮の経済政策を樹立する為に、専門家、実業家を集めて朝鮮産業調査会が催された際にも、朝鮮に於て其方面を研究すると称して出来た経済会、維民会等の会合から同会に建議されたのでありますが、朝鮮の産業は宜しく朝鮮人本位の産業でなければならぬ、朝鮮人の産業を発達させるには日本人の産業に対して制限を加えなければならぬ、内鮮人を同一の基礎に置くときは朝鮮人が圧迫されるから、日本人の産業を制限し朝鮮人の企業を助成せねばならぬと云うことが終始一貫した議論でありました。そうして日本の資力の移入と云うことに対して反旗を翻えしたのであります。又消費を節約して生活を安定する方法として、土産を奨励する為めと称して物産奨励会、土産愛用会等の会合が出来たのであります。名は美しいものであって表面から攻撃することは出来ないが、その衷心を割って見れば土産奨励は裏面に日貨排斥の思想を懐いで居るであります。斯の如く近頃総ての方面に於て日本を排除すると云う気分が稍々濃厚に現われて居るのであります
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10102781&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1

大阪朝日新聞 1924.11.22-1924.12.7(大正13)
朝鮮見たまま (一~十四)
 
(十一) 東拓移民に集まる怨嗟 悲痛なる鮮人の叫びを聞け
以上数回に亘って挙示した耕地改良拡張上の障碍は、いずれも制度及び組織上の欠陥であるが、更に大なるものは経済上の障碍である。経済上の障碍とは他なし、工事のお金がままならぬこととだ。地獄の沙汰も金次第で解決が出来る世の中だから、朝鮮の耕地改良拡張も金さえあれば少しぐらい制度や組織上に障碍があっても、何とかこれを突破して事業を押進められないこともなかろうと思われるが、その先立つ金が不如意では手も足も出ない。 

だから、本論も朝鮮に於ける現在の事業資金融通状況と、今後の資金を如何にして何処から求むべきかを延ぶれば終局を見るのであるが、東拓へ向いた筆序に同社の朝鮮に於ける事業と、朝野の評判をチョッピリ紹介して置くことにしよう。 

朝鮮に於ける農業の改良進歩を促すには、内地の精農を移住せしめて、進歩せる農法を目の当り鮮人に示すに如くはない。東拓は実にこの使命を果すべく政府の絶大なる庇護の下に設立されたものである。然るに創立以来十有六年、政商に対する不良貸や、大政党に対する選挙費の御用達などは精々勉強したようだが、肝腎の使命の方はカラお留守で、今日までに東拓の手で移住した内地人は一万人に過ぎない。本年の七八月頃も東拓は各府県で朝鮮移住者を募集したが応募者は予定数の半分にも充たぬ不成績に終った。 

東拓は移住者の募集に少からぬ費用をかけているばかりでなく、移住した者には五町歩の既墾地を与え―尤もこれは二十五年賦で売るのであるが―更に農業資金を貸付けるやら、その他いろいろの便宜を与え、政府からはその移住旅費まで給しているのである。然るに募集成績は叙上の如く、而して移住者は政府の庇護を受けて大地主となりながら、尚現状に慊らずして五町歩の耕地を七町歩に増加せんことを要求し、鋤鍬などは手にすることも忘れ、俄然として鮮人に臨みつつあるため、農業の改良進歩に稗益するどころか、徒らに鮮人の呪いの的となっている。 

一鮮人は東拓の移民に対して斯く語った。「東拓は進歩せる農法を鮮人に教えるという理由の下に内地人を移住せしめ、之に五町歩ずつの土地を与えているが、その土地は我々の祖先から耕作し来った既墾地である、鮮人地主の所有耕作地は多く一町歩内外だから、内地陣が一戸移住すれば鮮人五戸が流浪しなければならぬ結果となる。荒蕪地に移住者を迎えるならば兎にも角、先祖代々の既耕地に内地人を入れて鮮民を路頭に迷わしむるの要何れにかある。我々鮮人は内地の進歩せる農法を眺めながら飢えねばならぬのであるか」と。 

何と悲痛な叫びではないか。「これは実際大に考えねばならぬことである」とて西村前拓殖局長は辞職前にどんなことを言っていた。「朝鮮に内地人を移住せしめることは必要であるが、東拓が半官半民の会社であるために、鮮人は政府が東拓の手を通じて内地人を移住せしめ、鮮人を放逐するのだと言っている。だから東拓を純然たる民間会社とし、自由移民にしないと政府はあらぬ誤解を受け。徒らに鮮民の怨府となるに至るであろう。」と。(狩野生) 

第50回帝国議会
貴族院予算委員第六分科会議事速記録第四号 大正14年3月10日 ※1925年

○政府委員(下岡忠治君)
・・・内地人の移住の有様でありますが、現在は確か三十八万人ほどと思ひます、近年余り殖えない、遅々として進まぬとでも申しますか、一時のやうには殖えませぬ、併し多少づゝは先づ殖えて行く見込があるのであります、併し余り之を人為的に無理に移住せしむると云ふことも考物で、朝鮮人が非常にそれを嫌ふ、例へば東拓会社が朝鮮人の怨の的になって居るが、其怨の的になって居る一つの理由は、東拓が内地から百姓を伴れて来て、我々の土地を奪って占領してしまふと云ふことは甚だ怪しからぬ、と云ふやうな点が東拓に対する怨の本になって居るやうなので、人為的に内地人を向うに移住せしむると云ふことは、彼等に取っては非常にまあ脅威とでも申しますか、之を好まぬやうな訳であるから、余りに特別な取扱を以て内地人を移住せしむると云ふやうなことは考へ物であらうと思ひまするが、(p7)

出席者左の如し
政府委員 朝鮮総督府政務総監 下岡忠治君(p8)
http://teikokugikai-i.ndl.go.jp/SENTAKU/kizokuin/050/0184/main.html
(左蘭から大正14年3月10日第4号を選択)

吉野作造「公人の常識」大正十四年十二月十九日発行 ※1925年

朝鮮の農民
  朝鮮に二十年も居て農業を経営してゐる友人の手紙の中にこんなことが書いてある。
「朝鮮の農民は年々貧乏になりまさるのみです。
「総督府では朝鮮全道にわたり一郡村も洩さず金融組合と申す高利貸機関を設けてくれました。之はもともと農業資金を与へて貧困なる農民を救済するといふ趣旨のものでせうが金利は驚くべし抵当貸付に在て日歩四銭五厘延滞利子五銭八厘、また信用貸付に在ては五銭八厘、延滞日歩六銭五厘といふ高率です。金を借りるには一口拾円以上の出資をして組合員にならなければなりませんから、本当の貧乏人は実の所絶対に寄り付けません。貸付金額は普通五十円乃至二百円程度ですが、抵当貸付には一人、信用貸付には二人の連帯保証人がいります。猶借りる時に色々の名義で若干の手数料も取られます。さて愈弁済期が来ますと組合の役員は田舎に出掛けて居催促をやります。返せる見込は無論ありません。そこで田畑は勿論のこと、家屋から耕牛まで取り上げられます。組合の役員は自分の成績さへあがればいゝので、組合員が困らうが困るまいが頓着がありません。組合の決算期に近づくと、いつも私共の眼に映ずる事一から十まで不快でないものはありません。
「地方庁の技術員即ち農業技手は田舎を巡回して盛に金肥の奨励をして居ります。農民には固より之を買入るゝ丈の資金がありませんが、技手等は商人と結託して肥料の前貸をさせます。そして殆んど強制的に之れを使用せしめてゐます。肥料代金には月に三分の利子を徴するのが普通ですが、之が秋の収穫期になると有無を云はせず取られます。農民に残る所極めて少いことは御話の外す。
「斯んな風で朝鮮農民はとても浮ぶ瀬がありません。彼等が年と共に貧困に陥るのは単に彼等の無智なるが為ばかりではありません。内地の人々にも能くこの事を考へて頂きたいと思ひます。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/982101/71

京城日報 1928.8.16-1928.8.17(昭和3)
朝鮮人更生の途
=我が道の新施設=
慶尚南道参与官 李範益
 
朝鮮人の生活状態は依然として旧態を脱せざるのみならずその内容を査覈するときは困窘の度日に増し月に加え殊に全人口の七割強を占める細農民の生活は実に悲惨を極め正視するに忍びざるものあり然しながら朝鮮人の経済状態貧弱にして生活程度低劣なるはこれ祖先伝来の遺物にして近来の新事実にあらず否その生活様式は一般に向上進歩せりというべしただ他に比較しまだはその数において増加しその内容において困窮しあるのみなり、

大阪毎日新聞 1928.8.21-1928.8.28(昭和3)
朝鮮米の宝庫
全州平野を見る

西村生
知事の話を聴いて自動車を全州平野に馳せる。アカシヤの並木かげ涼しき通路は坦々として沃野の真中を貫く。一行は外山大阪府農林技師、杉本本社裏里通信部主任本山富民協会朝鮮出張所主任の人々である。外山技師はただ曠々漢々たる平野のつづく限りが稲田なることに驚くのみである。杉本氏は説明を加えて 
この道路の敷地も表向きは寄附だが実際は道路に占領してしまったものだ。ここに敷かれた割石は賦役で村民が割って敷いたものだが石を割るときに知事のあたま、知事のあたまといって割ったのだそうだ 
という、渡辺知事に尋ねることをつい忘れてしまったが、それじゃ知事の頭がいくつあっても足りっこはあるまい 

だが、朝鮮の道路改良も産米計画も、全くこの道路のように、左様に簡単に実行できるのだ、それは朝鮮の奨励なるものは直ちに命令となって下僚役人から農民に強制されるからである。悪いといえば悪いかもしれないが、とにかく徹底している。正条植がよく行われていると感心するとある役人は立どころに「正条植をやらないところは皆抜いて終うからだ」と応じた、そのくらい仕事に熱心な役人がおることと、またそのくらい強制的に奨励されて黙っている朝鮮人がおることによって、朝鮮の農業はグングン発達して来たのである。だから朝鮮の農業は命令的に発達して来たものだともいえるそれだけまた弊害もある。かつて某道では十ヶ年計画で棉作の奨励をやり、毎年少なからぬ費用を投じたのであった。十年目に見事統計は予定数量に達したが、実際市場に取引されたものは十年間に十分の一になっておったそうだ。役人がテーブルの上で数字を計画通りに製造しておったのである 

神戸新聞 1931.6.19(昭和6)
新総督の手腕に俟つ治鮮上の諸懸案
政治的、国際的に解決を急ぐ
産業、文化各般の要求

一、教育問題
 教育問題は池上総監時代に一面一校主義の実現に努めたが富裕の地方には行き亘っているが財政貧弱の地方には学校未設立のもの多く教育は行詰りの状態にありまた教員についても当局は内地人教員を主としているが内地人は俸給高く経費の都合上朝鮮人教員を多く採用すべしとの問題もある統治上多大の利害関係ある問題だけにこれを如何に解決するかは注目されている、また朝鮮においても内地と同様小学校卒業者の上級学校に進むに当り中学校を主とし実業学校を蔑視する弊習があるから実業学校の増設を奨励すべしといわれている、これは産業政治上朝鮮人の技術習得者を必要とする現状に鑑み軽視し難い 

大阪毎日新聞 1932.2.13(昭和7)
外地統治の一進歩
日刊新聞許可と立候補

最近外地関係において、二つの注意すべき出来事を見る。その一は、台湾党則府が土着民すなわち台湾本島人に、日刊新聞発行権を許可したことであり、その二は、東京および大阪において、朝鮮人が衆議院議員選挙場裏に打って出たことである。・・・
  台湾人が自己の手になる新聞を有せんとする希望は、決して今日にはじまったことではない。かれ等は大正八年朝鮮人に日刊新聞の発行権が許与されて以来、熱心に同様の特権獲得運動に従事したが、島内においては到底望みなきを知るや、大正九年東京において「台湾青年」なる月刊雑誌を発行し、昭和二年漸くその発行所を台北に移転することを得、「台湾新民報」と改題して、半月刊より旬刊に、旬刊より週刊と漸を逐うて進み、遂に今回当局の諒解によって、多年の宿望を達することを得たのである。・・・台湾当局は台湾人に日刊新聞の発行権を許可すると同時に、また内地で発行する新聞に対しても、島内における号外発行権を認めた。これも当然のこととはいいながら、当局の新聞に対する理解の進歩を示すものというべきである。然るに早くすでに土着民の新聞発行権を承認した朝鮮総督府が、今なおこの点につき逡巡決するところなきは、吾等の諒解する能わざるところである。

京城日報 1932.6.14(昭和7)
全鮮農家の七割借金で四苦八苦
哀れ生活費の赤字

朝鮮農村に於ける農業資金としての負債額につき本府当局が小作慣行調査に附随して調べたところによると昭和五年末の現在は次の如くである 
各種銀行貸出一億七千三百七十三万四千円 
東拓貸出八千二百六万七千円 
金組その他貸出二億八千四百八十二万六千円 
計五億四千六十二万七千円 
地主 土地購入資金、農業資金、土改資金、保証債務、浪費、商工業投資、投機、教育費冠婚葬祭費 
小作 大部分生活費、冠婚葬祭費、農業資金 
この他に個人賃借も相当莫大なる額に上る見込みで全鮮農家の七十パーセントが借金に悩まされて居るが当局者の談によると一戸当り先ず二百円見当の負債を背負っている模様である、なお右借金は地主に於ては大体抵当債務、小作に於ては信用貸でその種類は次の如くである 

国民新聞 1933.1.28(昭和8)
全鮮の司法官結束 宇垣総督を排撃す
一大廓清運動を開始

独裁政治に阻まれる司法部の威信 速やかに本省の直属とせよと議会を目指して運動 
  裏面に潜在せる理由としては?その影響するところを恐れて厳秘とされているが、朝鮮の司法部は地方法院、覆審及び高等法院の三部制となっていて、しかも司法の権限は総督の独裁政治下にあるだけに総督の自由意思によって左右され得るものである、これが為め仮令重大な事件或は犯人についても断然法の処分を免れぬものであっても、最後の裁断に至って総督の意思により往々握り潰しにされる事があり、又内地に於て過般来問題となり涜職事件をじや起して、遂に幾多起訴収監された鉄道省の談合事件の如きも、朝鮮に於ては法律に処断すべき条文がない為め官公吏の如きは公々然として醜行為を行っているので検事局では官制の欠陥に何れも切歯しているものの手の下しようなき有様などその一例に過ぎぬものであり又新時代に適応した思想方面の取締り施設に関する新規事業の予算を提出せんとしても前記の如き冷淡な態度よりして貫徹せず遂に宇垣総督不信任の声となり、更に神聖なるべき司法部の威信をより良く発揚する為めこの際裁判所法を改正して司法大臣の直属とし、根本的に改革せよと云う重大なる要求を拓務、司法両省に向って提出せんとするもので、中野氏は全鮮判検事の決議と意思とを代表して議会開期中を機会に密かに上京し、先ず倉富枢府議長、貴族院議員法学博士鵜沢総明氏等を初め政界要人等の間に賛同を求め小山法相、永井拓相等の間に実際運動が着々として行われつつあるもので過日朝鮮より司法官代表者が密かに上京し在京司法官及び法曹団との間に諒解が行われた模様で、朝鮮及び内地相呼応して猛烈なる運動が愈々展開される雰囲気となった

中外商業新報 1933.1.31-1933.2.4(昭和8)
満洲国成立後に於ける朝鮮
法学博士 蜷川新

・・・然るに事情はここに一変した、朝鮮人のための天地は日本の努力によって広き満洲に拓けたのである、これ迄朝鮮人は朝鮮を以て日本の西北端であるとなし、いわば辺境にあるの心情をもっていた。日本内地に対する独立運動の如きも、日本からの冷遇と、辺境にあるという二つの誤解より出発しているものが多かったのである、然るに満洲国の成立により、ここに日本内地人、朝鮮人の進出の地が見出されることになれば、朝鮮は最早、辺境の地ではない、それどころではなく、朝鮮の地は朝鮮人を含めた日本民族の移動、活動の大中心地となったといわなければらないな。 
 これ等のことが朝鮮人の思想、精神に良好なる影響を与えたことは否むことの出来ない事実であるこれは予の親しく目撃せるところであるが、今より三四年前までの朝鮮人の気持の中には、現状に対する不満と、呪咀と、悲観とが明かに観取されていたのである、しかるに今日の朝鮮にはかかる悲観的気持と、思想的危懼は一掃されているのを見ることが出来る、これは即ち朝鮮に思想的又物資的に輝ける希望の齎らされたことの反映である、これは甚だ喜ぶべきことであるが、それと同時に、この朝鮮に齎らされた一好転機を利用助長しないならば再び元の朝鮮、暗い憂鬱なる朝鮮に復帰しないとも限らないのである、・・・

昭和九年一月十日於総督府 ※1934年
宇垣総督口演要旨(各道農村振興指導主任者打合会席上)
朝鮮総督府

○農村窮乏の実情
  始政以来各般の施設は年を逐ふて面目を革めつつあることは、統治の大局より見て争ひなき所でありますが、飜て仔細に之を見直すときは、尚未だ刷新改善を要するものが少くないのであります。就中最も窮乏を訴へつつある現下の農村に付て之を見まするならば、其の約八割は小作階級に属する細農を以て占めて居ります此等は過去多年の秕政の結果、搾取、誅求に苦しめられて来たのでありまして既に其の心境は著しく荒み、所謂酔生夢死奮発心も感激性も消磨し希望も理想も意気もなく、其の日暮しの悪習に惰し、自ら意識して其の生活に改善工夫をすると謂ふやうなこともなく、全く時代後れの環境に甘んじ年々歳々食糧の不足を訴へ、高利の負債は逐年増嵩するのみならず、収穫時期には債鬼殺到して、彼等全年の努力も或は借入食糧の返済となり、或は負債利子の償還に充て余す所なく、春窮即ち端境期に於ては食糧不足し、山野に草根木皮を漁り辛ふじて一家の糊口を淩ぐが如き惨目なる状態であって、此等は年の豊凶に依り素より一様ではありませんが、其の概数は農家総戸数の四割八分約百二十万戸に及ぶ年も在ったのであります。換言すれば朝鮮の農民中には過去に追はれ、現在に苦みて、将来を楽むなどは思ひも及ばざるものが多いと申さねばならぬ

○農村窮乏の恢復困難なりし原因
  始政以来此の窮乏を恢復することが容易に出来ざりし原因が奈辺にあるかと申しますれば、一言にして盡せば、農村の大衆が一般に無自覚であると謂ふことに落付くのであります、更に之を具体的に申しまするならば、一般農民が農村の特色、農業の本質、農村人の理想信念人生観と謂ふやうな、農村生活の基調となるべき大切な事柄に付ての理解が極めて乏しかったからであります、之は独り農村人のみの罪に課すべきものでなく、広く政治、経済、学術等に携はる者の認識の欠如も斯くせしめた一半の責を負ふべきであって、其の窮乏打開の途も亦自ら此等両方面の覚醒に俟って之を解決するの必要があるのであります、此の点は御互も深く反省して見る必要が大にあると思ひます。
  話が少し横途に入りましたが元に帰って、此等農民の無自覚は如何なる点に顕れ、如何なる点に禍するに至ったかに付、少しく考察を加へて見るならば、先づ第一に自家の立直し、即ち生活、営農に或種の必要を意識して之が改善工夫を為すことがない為に、各種作物に尚幾多増収の余地を残したまま、余剰労力は利用消化の途を講ずることなく捨てたまま、孰れも之を放任して顧みない、其の結果は食糧の不足も補ふことも出来ず、負債の償還は素より利子さへ碌々払へないのである。更に経済的打算の観念に疎い結果として、必要の前には前後の事情も弁へず、極めて無頓着に高利の債務を新に作りて益々其の重圧に苦しみ、自己の立場に不相応なる文化生活の風潮に煽られて自給自足の経済観念を弛めたる結果は、交換経済、貨幣経済が不自然の状態に迄農村に喰ひ込んで来て、農村社会組織の特色は驚くべき勢を以て破壊に導かれつつあったのであります、朝鮮の農村は大様以上の如きに原因を胚胎して積年の疲弊に更に一段の拍車を加ふるが如き、状態に至ったのであります。

○農村救済の必要
  斯る窮乏の中に多数の農民が不安なる生活を続けて居るから、春窮期には食を山野の草根木皮に求むるが如きことにもなるのであらうが、如何に之が旧来の陋習であり、自他共に怪まざる伝統的農村の姿でありしとは申しながら、誠に気毒千万、実に一視同仁にまします陛下の赤子を永く此の状態に置くことは忍びないのであります、此の多数の恵まれざる農民の存在は、正しく朝鮮統治の一大憂患であって其の生活の安定と向上とを放任しては朝鮮の開発は断じて望み得ないのでありまして、之が対策は統治上最先最急の要諦であり、且其の根幹を成すものと信ずるのであります、始政以来二十有五年、其の間歴代の統治者が、此等大衆の生活に同情し、苦心して過去幾多の施設を重ね来れるは寔に其の着想に敬服の外ないのでありまして、私が着任以来特にこの点を重視し従来の施設に更に一歩を進め、之を強調しつつある所以も、亦此の意味に外ならないのであります、殊に最近異常の豊作と農産物価の低落とに因り、一層の施設対策を要するものがあり、更に連盟脱退後に於ける帝国内外の情勢と朝鮮の経済的、地理的特種事情とは、本施設に格段の重大性を加へ且急速度を以て其の実施を要するに至った次第であります。
・・・

アジア歴史資料センターhttp://www.jacar.go.jp
レファレンスコードC13021421300

時事新報 1934.1.18(昭和9)
農奴解放を唱えつつ何故弾圧を加う?
朝鮮小作令制定に絡む不可解な当局の態度

朝鮮総督府に於ては朝鮮全土に小作令を布き、以て朝鮮に於ける農村経営の合理化並びに農村振興の資に供せんとて目下拓務省を始め法制局方面とで折衝中であると云われている、朝鮮小作令の趣旨は政府に於て曩に内地に制定せんとした小作法案を骨子とし、これに朝鮮特有の慣習を考慮して立案されたるものにして、朝鮮総督府はこの小作令を以て「朝鮮の農奴を解放するものなり」との殉情的感情に自ら興奮を感じていると伝えられている、然るにも拘らず朝鮮総督府は一たび朝鮮農民がこの法令に対して賛否の声を挙ぐるや之に対して断乎として弾圧を加え、小作令に対する言論、出版の一切は禁止し、集会をも禁止するの強圧手段を執りつつあるは何故であろうか、吾々の頗る不可解とする所であって、人心の不安動揺を却って激化せしむるに役立てばとて百害あって一利なき次第である、故に本社は茲に朝鮮小作令の骨子並に農村事情を報道すると共に小作令に対する賛否の意見を掲載し内地人が朝鮮小作令に対する是非の批評を為すの資とし進んでは朝鮮統治の立場より検覈するの要あるを感ずる次第である

京城日報 1934.6.28(昭和9)
総督府の自主解除果然、好評嘖々!
農林省の横槍を他処にして米価も徐々に安定

朝鮮総督府において全鮮的要望と特殊的な鮮米事情に鑑みて実施を発表した長期貯蔵籾六十万石解除問題は、飽迄目前の米穀有掠れに頬冠り態度で静観にあった農林省にとって寝耳に水の大衝動をあたえ、朝刊既報の如く農林省では朝鮮総督府の解除を遺憾とする旨の態度に出で、俄然内鮮米界にこの喰い違いは一大センセーションを捲き起しているが、一般朝鮮財界及び貯蔵者は総督府のこの英断的な解除を早天に慈雨の如く歓迎し、かつ金融筋その他でも解除実施に好評さくさくたるものがある、即ち 

一、鮮内の米穀事情は例の外米統制を繞り極端に出越せるため、飯米飢餓は特に深刻を極め、四月以降より満洲への代用食輸入、蓬莱移入をもって充てる状態で、この解除実施はこの極端化せる飯米飢餓解消の役割を果たす 
二、長期籾貯蔵は周知の通り朝鮮の特殊的な□積が行れて居り、梅雨、□実期をむかえてその懸念あり、積替えの技術的困難(混保を行い得ず、特別保管のため)等から実際問題としても解除の必要があった 
三、一部解除は、これがため産繭安で春窮から夏窮と連続する鮮内農村に丸貸と時価差収入で弾力をあたえ、購買力を助長する 
四、更に籾貯蔵は内地と異り朝鮮にとっては連続的実施の必要あり、この点解除条件に適合に際し解除実施は、貯蔵者金融筋ともに好感をあたえ明年度実施上にも好響がある 

しかして前日籾解除のニュースを移して衝動的に悪化した米価も、解除内容の徹底とともに漸次落付き、本日の市況は前日太引に比し朝取十二丁高、釜山十三丁高と夫々前日の人気下げを訂正し来っている 

京城日報 1934.8.9(昭和9)
米と朝鮮
高田米穀顧問の調査報告

過般来鮮、約一ヶ月に亘り、朝鮮の米穀事情を調査して帰東した米穀顧問高田耘平氏は、七日、農相官邸に開かれた米穀顧問会議に於て、氏が調査の結果を報告したその梗概は、本紙八日の朝刊に記載せる通り、昨年来、立替り入代り米穀事情調査のためとて、朝鮮を訪れた人々のそれに比し、幾分立優っているようであるし、殊にその結論に於て特色が認められるので、ここに簡単に論評を試みることにする、尤も氏の調査も他の調査班や、視察者同様、不徹底の憾みはあるように見える、ただ他と異るところは、結論を、朝鮮海峡の彼方に於て準備し、これが引証のために、種々の材料を、朝鮮に物色するの□みに倣わなかったことである。 

氏は『朝鮮農民の生活は、全くお話にならない、その大半は大麦や粟を常食としている』といい、春窮期には麦も粟も食尽し、草根木皮に露命を継ぐもの百二十万戸六百万人に達す、と驚き、一、而もこれ等の農民が、小学児童の月謝七十銭を納め二、併合当時、米一人当り消費量は七斗二升一合であったものが、最近では、四斗八合に激減している、自分は、朝鮮の農家を実地に視察するまでは実に不思議に思っていたが、あの状態では、朝鮮農民は、到底米を食うわけに行かない、と嘆じ、而して、ただ徒らに朝鮮米の内地移入を問題にするのは、朝鮮農村の実情を知らないもののいうことである、と悟り、『朝鮮の農民を如何にして救うべきかが先決問題で、それが自ら朝鮮米問題の解決ともなる』と断じている、即ち朝鮮の実情を直視し、そこから結論を抽出している、然し実情を真情を直視しながら、その由来と、動向と、更にその内臓、裏面に対する洞察に於て、多くの及ばざる点がある、総じて『今一息』の憾みがある。 

氏の観察に従えば、併合以来二十五年、朝鮮総督は、総督府は、一体何をしていたか、ということくらいのものだが、氏といえども、既往二十余年間に於ける産業の発達、民度の向上が、如何に目醒ましきものであったかを、よもや見落し、聞漏らしはしなかったであろうと思う、先ずこうした事実を具わなくては、氏の報告は、嘘ではないが、真を伝え得ないことになる、何故ならば、春窮は近年に始まったことでなく、内地でも端境期の農村は、随分平年でも、生活に苦しむ時期なのである、況じて朝鮮の農村である、文字通りの春窮は、晩春の交から、夏日の暑気と同じく、間違いなく、襲来するけれども、併合前と、今日では、多大の相異がある、その程度をいえば、疇昔、春窮期に於て、草根木皮に露命を維ぐのは全鮮を通じて、細農一般の恒例であったものが、現今では、早魃、水害、或は特産物の不作など、諸多の原因による、或地方における或階級或村落に於ける或家族の上に起る特例的な事象になっている。 

尚お上記一、二の事項に就ては特に一言するの必要を感ずる、一初等学校の月謝七十銭は、朝鮮の場合、頗る重き負担のようであるが、各校々舎は、原則として官の建設に係り、教職員の俸給は、官給であり、未だ義務教育の制度を採用するに至らないので、月謝はいわば負担し得るものが、負担するという立前におかれてある、さすれば改善の余地はあるにしても、非難の理由はない筈、併合当時、米一人当消費量七斗二升一合であったものが、最近四斗八合に激減した、という、ただこれだけを指摘したのでは、如何にも民度衰退の左券を挙げたようで、甚だ面白くない、鮮内雑穀の増産著しきのみならじ、巨額の満洲粟を輸入し農村では米よりも雑穀を以て主食物としているのである、だから米の消費率は、これは民力の衰退を意味するものではない、但し安価な雑穀を食い高価な米を売るの必要なる、悉くは已むを得ざる事情の厳存を否認することは出来ない、だから氏が鮮米の内地移入に関し、『朝鮮の農村民を如何にして救うか、ということが先決問題であり、それが自ら朝鮮米問題の解決ともなる』とする氏の見解はその妥当性に於て、従来発表されたる雑多の鮮米対策を圧して特色を示すものである。 

京城日報 1934.9.12-1934.9.16(昭和9)
朝鮮の将来 (一)
中等学校長会に臨み 宇垣総督の大講演 京城帝国大学講堂にて
地方振興、自力更生 ※宇垣一成

先刻は話が一寸地方振興自力更生のことに触れましたから、少しく話題をその方に進めます、即ち今日疲弊萎靡の極にある半島を蘇生せしむるには、何んと申しても総人口の約八割を占むる農村の建直しと云うことが最も先決問題であると考えまして、現在の統治に於て最大の力をこめ、大車輪になって遣り居るのが此建直しの作業であります、今日内地でも農村問題のやかましく白熱化し居る折柄朝鮮の夫れの一端を御紹介申上げるも敢て徒爾ならずと存じます、併合以来各般の施設は年を逐うて面目を改めつつあることは統治の大局より見て争いなき事実でありますが、飜て仔細に之れを見直す時は、尚未だ刷新改善を要するものが少くないのである。就中朝鮮実力の核心をなし、而も最も窮乏を訴えつつある現下の農村に付き之を見ますならば、其の約八割は、小作階級に属する細農を以て占めて居るのである、此等は李朝中葉以降搾取、誅求に苦しめられて来たので既に其の心境は著しく荒み意気は甚だしく衰え、所謂酔生夢死、奮発心も感激心も工夫力も消磨し、全く其の日暮しの悪習に堕し、自ら意識し、発奮して其生活を改善工夫するとか、向上発展を図るとか謂う様なことは乏しく全く貧窮の環境に陥り、年々歳々食糧の不足を訴え、高利の負債は逐年増高するのみならず、収穫時期には債鬼殺到して、彼等全年の努力の結晶物も或は借入食糧の返済となり、或は負債利子の償還に充てて余す所なく、春窮即ち端境期に於ては食糧が不足し、山野に草根木皮を漁りて、辛うじて湖口を凌ぐとか、袖乞となりて他家の門前に立ち、僅かに露命を繋ぐが如き誠にみじめなる状態であって約言すれば朝鮮の農民中には過去に追われ、現在に苦しみ、将来を楽しむなどは全く思いも及ばざると云う状態のものが頗る多いのであります、併合以降此の窮乏を回復することが容易に出来ずして、最近に至りし原因が那辺にありしかと申しますれば、一言にして尽せば、農村の大衆が一般に無自覚であると謂うことに落着くのであります 
 更に之を具体的に申しますならば、一般農民の特色、農業の本質、農村人の理想信念所謂人生観と謂う様な、農村生活の基調となるべき大切な事柄に付ての理解が極めて乏しかったのであります、之は独り農民のみの罪に帰すべきものでなく、長い間の因習及び政治経済学術等に携わる者の此の点に関する矯正努力の欠如も斯くせしめたる一半の責を負うべきである、従て今後に於ける窮乏打開の途も亦自ら此等両方面の覚醒に俟って之を解決すべく、今や正に其の方途に進みつつある所であります 
更に此等農民の無自覚は如何なる点に触れ、如何なる点に禍するに至ったかに付、考察するならば先ず第一に自家の建直し、即ち生活営農に或る種の必要を意識して之が改善工夫を為すころが無い為めに各種農作物に尚幾多増収の余地を残したままに、又余剰労力は利用消化の途を講ずることなく捨てたままに申す様に、孰れも之を放任して顧みない、其の帰結は食糧の不足も補うことも出来ず、負債の償還は素より利子さえも碌々払えないのが普通である、更に経済とか打算とかの観念に疎い結果として必要の前には前後の事情も弁えず、極めて無頓着に高利の債務を新に作りて益々其の重圧に苦しみ、又自己の実力に不相応なる文化生活の風潮に煽られて、自給自足の経済観念を弛めたる隙に乗じて、交換経済、貨幣経済の風潮が不自然の状態に迄農村に喰い込み来たって、農村の社会組織の特色は破壊に導かれ、斯くして朝鮮の農村は積年の疲弊に更に一段の拍車を加うるが如き惨状に立ち至ったのである 
 斯る窮乏の中に多数の農民が不安なる生活を続けているから、春窮期には食を他家の門前に、或は山野の草根木皮に求むるが如き事になる、昨日到城廊、帰来涙満巾、遍身綺羅者不是養蚕人とか米作人非米食者との古入の言葉も偲ばれて、如何に夫が旧来よりの陋習、仕来りであり、自他共に怪まざる伝統的農村の姿でありしとは申しながら誠に気の毒で、実に一視同仁にまします、陛下の赤子を永く此の状態に置くことは忍びない、相済まざることである、而して此の多数の恵まれざる農民の存在は、正しく朝鮮統治の一大憂患であって、其の生活の安定と向上とを放任しては朝鮮の開発も進歩も、繁栄も断じて望み得ないのでありまして、之が対策を講ずることが実に統治上最先最急の要諦であり且其の根幹をなすものであると考えまして、就任の翌年即ち昭和七年の初春以来、夫れに大いに努力を傾注して来った所であります 
然らば如何にして此の窮状を匡救打開すべきか、如何にして其の運動を強化すべきかの方策につき案ずるに、凡そ二つの方策がある、即ち其の一つは土木砂防工事等の□銀撒布に依る救済施設がこれであり、他の一つは所謂自力に依る農業経営の改善、農家経済の建直しである、前者は素より必要であり、現に実行も致しては居るが、其の効果は一時的に農村に活を入れるようなもので、恰も重病人に対するカンフル注射と同様で、時を経て更に又第二、第三の注射を要するものであります、斯の如きことは政府の財政の見地からしても永続せしむべき性質のものではない、畢竟するに、真に農村を救い、農民を根強く起ち上らしむる唯一無二の根本方策は、後者の所謂自力更生の運動で、即ち現に最大の力を傾注して実行中の農村振興運動より他に求むべき方法はないと信じて居ります、而して此の運動は第一に農村今日の窮乏の因を成している点に遡って其の方策を建てねばならぬ、之には先ず農村の特色と農業の本質と、農民の理想信念所謂人生観の三つの重点に立ち帰って農民は勿論、農村の指導に当る一切の関係者を挙げて之れを自覚せしめねばならぬことであります、この自覚を促進する方法として昭和七年春以来盛んに精神作興、民風改善の教化施設に力を用いたのである、之を基調として更に生活の改良、営農の改善、余剰労力の利用等の経済施設に及ぼして農村の更正を実現しつつある所であります 
此の自力更生運動は民衆が比較的今尚素朴、簡易生活になれて居り農法は原始的にして、改善の余地大に存し居る関係上着手後日尚浅きにも拘らず、一般の自覚と、あらゆつ公私機関、有識者の協力一致せる努力と、全鮮総動員的の奮闘によりまして、着々と効果を挙げつつある所にして、五年八年の後には朝鮮農村の面目は一新し実力は充実し、農民の生活は安定より更に其の向上の域にまでも進みて裕に母国の進運に寄与貢献し得るの見込みが確立しかけて居る所であります 
而して尚当局としては此の運動を強化し、促進し、且効果的ならしむる為めに、農村中堅人物の養成に格段なる努力を払い、高利の借金を低利債に借換えしむべく便宜を図り、地税を引下げて農村負拠の軽減を行い、低利資金を融通して自作農の創設に資し、小作法(農地令)を制定して地主小作人間の協調により農事の改良、小農の生活安定を図る等色々と此の運動の大成に資すべき施設を致して居る所であります、斯くして農民が自覚し、農村が振興し、地方が楽園化せんとする結果として、田舎の人々が禄々に仕事も無いのに都会地に集中し来らんとする、忌むべき傾向も漸次薄らぎつつある様であります、此の運動に関する目覚しき、溌刺たる趨勢は恐らく今の処では母国に誇り得る朝鮮特色の一つであると申上げ得るのであります尚都会地の更正運動も地方振興と相呼応して今春来着手している処であります 

京城日報 1934.12.27(昭和9)
過剰非常時下の米穀界
鮮米擁護運動の苦験

鮮米の三四年の苦験は正しく歴史的事実であった、と同時に強化しゆく米穀政策下の朝鮮はその統制おいて銘記さるべき自主的統制を発揮し他動的ならざる朝鮮独自の対策を施行した点に、おいても記録さるべきであった、まず全鮮を一度は亢奮のルツボの真只中に投入した米穀統制の試錬を回顧すれば本年初頭に展開され来った米穀過剰非常時の展開八年度の端境持越が理想持越の三倍余一千七百万石突破予想と米統法が公定米価買上の激増によって遂に破綻にひんする……との新事態は過剰対策として鮮米の法制的移入管理問題を内地において熾烈化せしめ、これは帝農、政党のみならず、六十五議会において農林省もまたこれに追随の形勢を示した、朝鮮経済の生命線、鮮米に切迫せるこの事態は鮮内の官民識者の与論を沸騰し、鮮米擁護期成会の決然奮起となり二月七日まず松井、三井等の鮮米擁護統制絶対反対を中央に徹底せしめる陳情運動となり、引続き東上運動員五十余名を送り全鮮各地において暸原の火の如く統制反対運動を烽起せしめたこの全鮮をうって一丸とする猛運動と拓務及び朝鮮総督府の猛運動は遂に奏功し、六十五議会では外地米統制は 

一、臨時外地米統制法 
二、米穀特別会計資金の拡充 

但し来るべき米穀年度までに根本解決を計るべしとの附議決議を付せられて鮮米の危機は一応経過したのであった、その後米穀対策が強調されつつ斉藤内閣は岡田内閣に代った、夏期を迎えて稀有の変調天候は北陸の水害をトップに九州旱害、朝鮮水災、東北冷害、関西風水害の連続的の現出は飯米飢饉の現出となり、九年米米作は俄然一大記録的凶作を見越されるに至った、この状勢の下に、斉藤内閣の公約たる米穀根本対策のために十月初頭米穀対策調査会が招集された、同会には農林省を始め政党、有識者の夫々試案の提出をみ、政党、官界、民間の権威をあつめて対策を附議したが、依然最終解決を見出すに至らす現在に及んでいるが、常に鮮米の差別待遇説を生じ勝ちで、これに対し米調会の調査委員有賀賀光豊氏及び総督府関係では効果的な反対運動を継続したのである、この米調会帰着点は未だに逆睹を許さぬものの、鮮内官民が白熱的に一致団結し、鮮米統制論に抗した事に、ながくながく銘記さるべき事実であった 
しかしてこの一面、好むと好まざるに拘らず、米穀政策は一歩一歩強化を示し、九米年度には米穀法第四条による季節調節買上げ及び、籾の長期貯蔵三百万石が施行を見たのである 
鮮米買上げは、米穀統制の第四条により、公定米価買入の補強工作として十二月初頭より四回に亘り、通計百三十四万石余を買上げ、鮮内の浮動米を一掃したこれと併行的に朝鮮総督府では低資二千九百万円をもって籾の三百万石長期増蔵を施行し、両者共に殺到的要望で大成績をおさめたが、これは内地の公定米価により政府へ米穀吸収と相俟ち、本年五月末より政府は一千五百万の手持米を擁し乍ら目縄自縛的な飯米飢饉を惹起し特に春窮期の朝鮮の飯米不足は極度に達したこの対策として本府では六月末敢然籾自主解除を断行したこれは朝鮮の特殊的事情に立脚し鮮内から好評嘖々たるものがあったが内地特に農林省ではその抜打的態度に対する批難を生じて問題化したものの結局内地の六百万石貯蔵もこれに追随し断然朝鮮は面目を見せた、この長期増蔵は八月及び九月と三回に亘って解除をみ鮮内の籾放売慣習並に金融化に大きい貢献をあげつつ貯蔵差益七百万円余を農村に潤した 
九米年対策内鮮凶作によって、過剰米穀の事情は解消しきたったが、米価の急奔騰と内地凶作のため移出調節が考慮せられ、十一月末の米穀委員会では外地米の百三十五万石買上方什を決定したが、年内に実施をみず、籾の鮮内貯蔵も長期を行わず短期のみ十二月より玄米二十万石、籾三十四万石に対して施行せられたのみだが、自治調節問題がこの前途に横り依然多難を予期せられている 
この米穀統制の波及は鮮米の移出動向に反射的に現出し、本年初の買上げ、籾貯蔵は二月上期まで順調の月別移出を示したが、その後統制問題は見越移出を激増せしめ内地の飯米不足も作用し総移出が九百四十九万九千石と記録的大量を示したのみならず移出月別もまた変調を示した、五年平均の季節指数及び前年及び本年を対比すれば次の通り 

大阪朝日新聞 1935.6.11-1935.6.29(昭和10)
朝鮮の経済
特派員 広岡知男
 
人口の急増加に伴わぬ産業 内地、満洲へ溢れ出る因
 ・・・しかしながら、翻って産業の伸張と人口増加が相伴っているかどうかをみると、総人口の七七・五%(昭和八年末現在)を占めている農林牧畜業者が、大正十三年より昭和八年にいたる十年間に百二十六万一千人(全増加の約半分)殖えているに対し、農牧産品価額は世界的な農産物価低落のため十二億八千五百万円から九億二千万円に減少し、林産物価額も同様な傾向を示しているのである。もっとも農産物収穫高は耕地面積の拡大と耕作技術の進歩とによって漸増してはいる。しかし父祖伝来の重い負債をおい、冠婚葬祭を□る弊風に縛られている多くの下層農民達にとっては、価格の下落は最も手ひどい打撃に違いない。 
 この窮状こそ農家の男女をして満洲へ、内地へ、都市へと流動せしめている原動力である。貧農階級の子弟達は、旱害と水害と風害に脅かされねばならない農耕を捨てて直接現金を握ることの出来る労働生活に走る。斎藤総督時代に創始された窮民救済土木事業は、もともと農家経済を霑すことが目的であったのだが、農村を離れて労働者に転身するものが続出したため、地方庁が財源難に苦しみつつある今日、総督府は失業問題ひいては内地渡航問題の激化をおそれてなお打切り得ない現状にあるこの事実は前記の傾向を反映するものに外ならず、朝鮮農村が労働者群に吸収しうべき過剰人口を、豊富に包容していることを物語っているものではあるまいか。 

知識程度の低い朝鮮の労働者
 工業にとって労働が有利な条件であるためには、労力が容易に得られると同時に、それが安価でなくてはならないが、朝鮮における労働は供給が豊富であるのと労働者の生活程度が低いために今なお低廉である。朝鮮には担軍という、よく支那の苦力に対比される自由労働者の群がいる。担軍は苦力と同じく荷物の運搬が主な仕事で、南鮮地方の波止場人足など大部分これだ。群山の港では担軍達が重そうな米袋を背負って船に積込んでいるところをみたが、朝から晩まで□々として働いても五、六十銭位なものであるという。また、朝鮮人の土工トロ押し、担軍などの並人夫についても、総督府の「道路、港湾、建設諸工事に関する労働者使役状態調査」は、日給四十銭乃至八十銭と報告している。 
 以上は単純な筋肉労働を売る戸外労働者であるが、工場労働者についても同様である。即ち当時十人以上の労働者を使用する鮮内各工場について、総督府学務局が調査作成した統計によると、男子成年工(十六歳以上)の賃銀は、内地人が最高七円四十五銭、最低十銭平均一円八十七銭であるに対し、朝鮮人は最高四円八十銭(精穀業)最低十銭、平均八十五銭で大体朝鮮人は内地人の半分となっている。さらにこれが朝鮮人の幼年工(数え年十六歳未満)や女工となると、また遥に安く、男子幼年工は最高一円、最低十銭、平均三十銭、女子成年工は最高二円五十銭、最低十銭、普通四十六銭、女子幼年工にいたっては最高一円二十銭、最低六銭、普通二十九銭を示している。 
 六銭という全く途方もない日給は、製網工場に働く少女の賃銀である 
 賃銀が安いのみならず、労働時間も内地に比して遥に長い。前記の統計によると、千百九十九工場中就業時間九時間以内のものは六十七即ち総数の五%強に過ぎず、十二時間以上のものが四百九十三即ち四六・九%を占めている。就中、米の収穫期後における精穀業メリヤス製品製造業などの如きは一日の労働時間十五時間以上に達し、しかもその莫大小製造業が昼食時に一時間の休憩を与えている以外は、休憩時間の定めさえないものが多い。 
 現に、平壌の三共洋襪工場(木綿靴下製造)の如きは、歴代総督の視察した模範工場でありながら、普通就業時間は午前六時より牛後八時までであり、繁忙時には午後十二時まで延長することになっていると語っていた 
 なお朝鮮において内地人職工の賃銀が朝鮮人の約二倍に達している理由は、内地人が主として熟練工であるに反し、朝鮮人は概して知識程度の低い未熟練労働者である結果である 
 記者が参観した内地資本系の工場では、内地人は係長や特殊技能者が多かった。殊に屡々見かけたようにそれがやっと二十四五歳位にしかなっていないような青年である場合には、内地から出かけたものの目には何だかチグハグに映ずるのであった。 
 勿論、労賃の高低は労働者の能率と関聯せしめて、これを見なければ無意味である。朝鮮人の労働者としての素質に関しては袤貶とりどりの批評が行われている。先ず欠点としては、知識程度が低いために頭脳を必要とする仕事または緻密な仕事に適せず、また忍耐力薄弱で不平が頗る多いということが一般にいわれている。 
 日本鉱業の鎮南浦の精錬所では責任感の弱い点をあげ、嘗て同所で金鉱石の分析に朝鮮人労働者を使用していたところ、鉱山側に買収されて鉱石の品位を高めるために金粉を試験用の鉱石粉末中に混合して、非常に困った事実を述べていた。また、新義州の王子製紙では、退職金のやっとつくころになると、これをほしさに会社をやめるものが多く、また賃銀につられて諸所を転々し熟練するまで一定の仕事に辛抱するものが少い点を指摘していた。 
 しかし、一般に認めめられている鮮人労働者の長所は、天性手先きが極めて器用であり、どの仕事に対してもこれを厭わずに相当こなして行く点である。平壌の小野田セメントでも、仁川の東洋紡でも操業の最初は内地人職工を混ぜたり、内地へ見学にやったりしたが現在では完全に仕事に習熟してその必要を見ないといっている。殊に前記の欠点は教育の普及と生活の改善によって最近迅速に矯正されつつある。 
 即ち一方において総督府が下層民の生活改善に力を尽しているのと同時に、他方朝鮮人の自覚により近来民間の教育熱が頓に旺盛となり、学校設立、図書館設置などに対する民間の寄附は年々多額に上っている。特に普通教育の発達には驚くべきものがあり、貧弱な藁葺の朝鮮人部落の間に堂々たる西洋建築の普通学校(小学校)が聳えているのに目を瞠る場合が少くない。 
 上述の諸点を総合すれば単純労働では苦力に劣り、頭脳において内地人に劣る朝鮮人労働者の今後進むべき途は、この両者の中間を行くメリヤス、紡績、麻布、製糸セメント、製紙等の軽工業方面であろうと思われる。 

京城日報 1935.10.26(昭和10)
西北鮮六道 冷害・高地帯対策会議
特異地帯に対し最初の根本討議
本府、関係道五十余名の知嚢を集めてきょうから本府に開かる

・・・然るに西北鮮高地帯に昭和六年以降殊に昭和八年、九年及本年と引続き夏期低温過湿であって日照充分でなかったのと農家の之に対応すべき経営法当を得ず、農法亦粗放なる為同地方の主要農作物は伺れも被害を受け著しき凶作を示すに至り元々豊ならざる農民の被った打撃は実に甚大であって、困窮の状態は見るに忍びざるものがあるのには遺憾とするところであります、従て当該地方農民の窮状に一日も之を忽にするを許さざる実情に在りますので直に応急的の善後措置を講ずると共に将来に於る災害の防止及高地帯農民の農業経営並に生活様式の改善等恒久的の対策にも関し慎重なる研究を遂げ成案を得て以て本地帯開拓の使命を全うすると共に農民の安定と其の福利の増進を期せなければならないのであります 

京城日報 1936.1.8-1936.1.9(昭和11)
農村振興運動の強化
進展に寄与することを念とす
農林局長 矢島杉造

翻って地方の現状を観るに輓近経済界の好転に伴う農産諸物価の高騰と昨秋の豊作とは多年疲弊せる農村にも一脈の活況を呈せしめ、所謂農村景気を現出せんとする恵まれたる情勢の下に在って此の点独り農会のみならず邦家の為め同慶に堪えないところであるが、斯の種好調時代には人心動もすれば緊張を欠き節制を失って浮華軽佻に流れ易く、或は廃退的風潮を馴致する等却て禍根を将来に胎した事例も洵に少くないのである、

金振九「国癌切開」昭和十一年四月二十日発行

三、現下両民族間に於ける極端なる感情の尖鋭化
1、警務局と言論界の睨み合ひ
 最近京城のニュースの一端を、紹介して見れば、朝鮮総督府警務局と、朝鮮文新聞雑誌業者との間に、極端なる感情の疎隔があるさうであります。
 これは、今に始まったことではないけれども、昨年の十月以後、殊にこれが、露骨化してゐるさうであります。その原因は十月一日、総督府の主催で、始政二十五周年記念式を、盛大を極めて挙行しましたが、これが記事をば、民間朝鮮文新聞並びに雑誌では、一切に掲載しなかったことに、出発してゐるさうであります。
 これは、公平な立場から論ずれば、言論界の方に、非があるのではないかと思ひます。何となれば、如何に気に食はぬことにせよ、全道を挙げてのお祭騒ぎであるから、百歩譲って、社会相から見た時にも、立派な三面記事の材料ではないでせうか。
「君等は、新領土を得たから、祝賀もお祭騒ぎもするであらうが、我等は国を失った方であるから怨恨こそあれ、祝賀のあらう筈がないぢゃないか」といったような心底であったでせうが、それにしろ、目前に湧き出づる感情とか気分とか、いったような微小なる問題に囚はれて、明日の大局を見透せず、それがため、将来する所の無形、有形の苦痛を如何にせん?。且又両民族間には、何時までも、この不幸と積怨とを継続して行って、百年後に、禍福何れかの結実を、見るのでありませう?
 最近、二三言論界の一流人士に逢ひましたが、開口一番に「朝鮮で我々の仕事は、どうしてもやりきれない。切抜く方法がない」といふ、哀訴の声であります。無論、当局の弾圧を意味するのであります。
 旧臘上京中、丸山鶴吉氏を訪へば、「困ったものだ、朝鮮の諺文新聞は、困ったもんだ」と、繰返して歎声を漏らすのでありました。これは、同一の事実を以て、日本の識者としての訴へであります。
「抑も、朝鮮の言論界は、斉藤総督時代に、吾々の手に依って造り出したものだが、この間、施政記念式に行って見たら、あれだけの事実を故意に一行だも書かない。困ったもんだ。あれだから、朝鮮には、新聞もこれ以上許せない。して見れば、それだけ、朝鮮は文化発展が、遅れるといふことになる。それを書いて、人気が落ちるとか、読者が減るとかのことなら、吾輩は少くとも、それ位は諒解するけれども、今日朝鮮の情勢から見て、そんなことでもないのに、新聞社が率先して、敵意を表しようと務めるから、全く困るものだ」
と、しきりに、悲歎已まざるものがありました。
 しかし、朝鮮のような畸形的社会(僻見、愚痴、仮面、反発の世の中)に於ける、言論機関の人々も、当局と民衆との間に立って、人に言はれない悲哀と苦痛が、あるだらうと察します。十二分同情はしますが、しかしこれが打開策なしに、「なるようになれ、止めろといって来たら、何時でも止めるまでだ」と、自暴自棄に、事を進ませようとするのも、指導階級として、大いに、取るべき道でないと存じます。

2、親日と排日を如何に色別せん
 朝鮮には、親日とか排日とかいふ言葉が、盛んに行はれます。先づ総督府所属官公吏、同名誉職並びに総督府に依って、衣食する者をば、親日派と指し、民間新聞雑誌系統宗教団体、私立学校教員並びに同学生生徒、新文学者、思想団体、青少年会等を、排日派と見做すのが、朝鮮に於ける智識階級の色彩を、大別するものでありませう。
 しかし、朝鮮の思想界ほど、鑑別のつかぬものはありませぬ、総督府所属官公吏だからとて、必ずしも親日派と見るのも浅見であり、一般社会人だからとて、必ずしも、排日派だといふわけでもありませぬ。同じ親日派の中にも、苟くも最高学府を出たる者を、忠良なる日本臣民であり、総督政治に全然心腹したるものだと見るのも早計であります。
 要するに、排日派といっても、少数積極主義者の外は、極めて消極的なる名誉維持と、一種の処世術(排日派と見られると、大衆から尊敬される)に囚はれるのが、大部分であります。之と同様に、親日派と目される官公吏の中にも「俺は、パン問題解決の為め、不本意ながら、総督府の厄介になるまでだ」と、友人或は社会人に逢へば、さういふのであります。上司の命令の通り、器械的執務をするものが、これ亦多数であります。
 試みに、京城市内の官公吏を検討して見れば、直にわかります。朝の八時から、夕方の四時までが、総督府の役人にして忠良なる日本国民であるけれども、退庁後、一旦家庭人となり、社会人となれば、立派な民族主義者であり、社会主義者であり、或は今尚依然として尊周主義者ともなることがあります。これは、万已むを得ませぬ。その家庭制度から、親戚友人の関係から――。祭祀、接待、門閥、族譜(系図)、結婚喪葬其他の家礼、処世、交友等が、悉く旧態そのまゝの環境でありますから――。
 これが、心服政治であり、同化政治であったと、いひ得られるでありませうか。私は朝鮮人にして愛国運動者の一人と自任し、今後進出すべき道も、この精神に由る決心であるから、少しも遠慮せず、忌憚せず、躊躇もせず、他人行儀を執らずに、率直に申述べるのであるから、江湖の諸君子は、この点諒解すれば、幸甚に存じます。

5、徴兵制度実施の着手(p31)
 昨冬、宇垣総督の上京車中談に曰く、「朝鮮に徴兵実施は、義務教育実施後のことだ、言葉も通せず、文字も読めない者に、兵役ができるか」とあります。それは、全く道理であります。又曰く、志願兵位は、出来るかも知れないと――。・・・
 昭和九年度から、朝鮮人中等学校の一部に軍事教練を施行するさうであります。これは確かに宇垣総督の一大英断であります。「朝鮮人に、銃を持たせてはならない。朝鮮人に、鉄砲の打方を教えるのは、危険千万だ」と、思ってびくびくしてゐた人等とは、自ら選を異にする感がします。
http://www.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1274703/15

京都市社会課「調査報告第四十一号 市内在住朝鮮出身者に関する調査」昭和12年1月30日発行 ※1937年

第三節 朝鮮に於ける農業の状態
 以上の如き小作慣行の下に小作料は農民の上に課せられてゐるのであるが、今これらの方法に依る小作料の生産高に対する割合を見るに、畓に於いては定租、普通四割乃至五割一部、打租は四割五分乃至六割、執租は五割乃至五割五分であり、田に於ては定租三割五分乃至五割、打祖四割九分乃至六割、執四割乃至五割五分となってゐる。
 然しその高額なるものにあっては八割、九割等の驚くべき高率を示してゐるのである。即ち次表の如くである。
(表省略)
 小作料が八割も九割にも上るものがあることは真に驚異すべき点であり、朝鮮農業の特殊的様相を示すものといふべきである
 斯かる高率の小作料の下に於て彼等は幾何の面積の耕地を占有し得るやを見るに
(表省略)
則耕地面積は平均一町五反であり、内地に於ける農家一戸当平均耕地面積に比較すれば比較的好条件の下にあるが如くであるが、上述の小作料の苛酷性は彼等をして極度の窮迫に陥らしめてゐるのである。
 今朝鮮総督府発行の昭和十年「農村窮乏の実情とその原因」七一六―七一七頁を引用すれば
「半島総人口の約八割を占むる農民の生活向上と安定とは、半島施政以来の緊要問題であり歴代総督の深甚なる考慮と最善の努力とを費して来た所である。今これらの農村を通観するに、耕地面積の如き一戸当内地の一町歩余に比し、朝鮮は一町六反歩余である。従って農家の生産と経済とには大に余猶があるべき筈の如く考へらるゝにも拘らず、事実に於ては遙かに内地の農家に及ばざる現状である。これら農民の八割は細農階級であってその多くは資力極めて薄弱且一般の教育に恵まれず自覚に乏しく従って自分に依り栄養各般の改善向上等は出来ぬ。徒らに旧習に捉はれて極めて低級なる生活に甘んじながら、年々歳々食料の不足を訴へ、現金の収支は年五、六十円乃至二百円程度の者最も多く、又一面必要の前には前後の事情を顧るの暇なく、徒らに高利の負債を増嵩し、春収、秋収等一年の努力もこれらの細農者の為めには或は借入食糧の返済となり、或は利子の支払となって余すところがなく、甚しきは所謂春窮期(自二月至四月)に於て食糧不足の結果、野生の草木に依って辛うじて一家の糊口を凌ぐやうな者が頗る多いのである。これらは多く多年被搾取者として虐げられた結果、勤勉、節約、貯蓄の気分は喪失し、向上発展を求むる希望もなければ努力も為さず、全くその日暮しで陋屋の中に酔生夢死して今日に至ったものである。所謂長き歴史と環境とが然らしめたものであって、決して朝鮮民衆の素性ではない」
以て朝鮮農民の如何に苦難の状況におかれたるかを指摘せるものであり、われわれはこれに依ってその状況を具体的に把握し得るのであるが、更に昭和十年版「朝鮮年鑑」に依りその状況を再瞥すれば
「内地に劣らず半島農村の疲弊は甚しく農家、特に小作農の中には生活に窮して折角粒々辛苦の結晶とも云ふべき貴き生産物も年々嵩み行く借金の利払ひ位が関の山で、中には秋の収穫の際、小作料と食糧返済及債金の利払とを済ませば後には籾を打ち落した臺と、籾を掬ひ込みたるバカチのみが残るといふ惨憺たる状態にあるものも決して少くない。故に之等の農民は地主に向って来年の収穫物を引き当にして食糧の前借をなすを常とする。これを食糧と云ってゐる。食糧も高利の利がつき、斯くて農家は食糧と借金とに追はれ、毎年々々これを返済して行くばかり、尚甚しきものになると、自ら食糧を生産しながら自分はこれを食ふことが出来ずして端境期になると全く草根木皮によりて生を保ってゐるものも沢山ある。この窮状を表現するために朝鮮特有の「春窮」とか「麦嶺難越」とかいふ様な言葉が出来るやうになった」
とあり、朝鮮農民の地主的高利貸的搾取に依り惨憺たる生活を営みつゝあるを髣髴せしめるものがある。即ち農地改良策、産米増殖計画等諸政策の下にその生産の年々の発展にも拘らず、その下に如何に農民が惨目なる状態にあるかを推測し得るのである。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1451731/11
 
「極秘」 ※1937年
別冊第二 昭和十二年六月 調製
朝鮮人志願兵制度に関する意見
朝鮮軍司令部

・・・半島民心趣向の善導は現下に於ける重要焦眉の大問題たるを失はず。然るに今静に半島統治の現況と之に対し滔々として隠然底流する朝鮮民族の反撥(原文旁「発」」、自棄的思想の儼存を看取するとき、吾人任を朝鮮の防衛に承くるもの断じて晏如たる能はざるものあり、・・・

尚参考の為
一、朝鮮民族思想変遷概要
二、日蘇開戦に対する朝鮮の観察
三、朝鮮人の経済状態概観
四、朝鮮児童就学状況
を添付す。 
 
三、朝鮮人の経済状態概観
・・・然れども朝鮮総戸数四百一万戸中三百一万戸は農民にして実に全人口の八割を占む。
而も其の農民中自作は二割弱自作兼小作二割強に過ぎずして小作五割、被傭者及火田民等一割にして其の生活状態は一般に貧賤困窮の状態に在り

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昭和12年「密大日記」第2冊


昭和十五年初頭に於ける朝鮮食料資源に関する一般情勢 ※1940年
昭和一五、一、一六
朝鮮軍司令部

判決
一、旱害に伴ふ朝鮮食糧の対策は一応樹立せられたるを以て実施之に伴ふに於ては鮮内の食糧問題は漸次好転すべしと雖も春窮期に於ける食糧不足に対し速に鮮外雑穀を輸移入するは刻下に於ける急務なり。而して其の輸移入せる雑穀を適時適切に鮮内に配給すると共に速に鮮内民間手持米を買上げて米穀の需給を確実ならしむること必要なり。

二、都市に於ける米穀の配給は昨年末の状態より漸次改善せられつつあるも尚円滑を欠くものなしとせず。雑穀の輸移入は今尚充分ならず。然れ共一般に民心緊張し目下の所大なる動揺なし。特に地方農村に於て然りとす。
然りと雖も雑穀の輸移入現状の如く遅々たるに於ては春窮期至り遂に食糧甚しく欠乏するの地方を生ずべきを以て其の推移に付ては特に戒心の要あると共に軍としても亦鮮外雑穀の輸移入に付て積極的に之を助力するの要ありと認む。

三、昭和十五年度軍需動員整備精米八十万石の取得に付ては鮮外雑穀の輸移入予定数量三百万石の外更らに同量八〇万石の雑穀を増加輸移入するの要ありと認めらるるを以て特に各関係当局間の打合等之が処置に付遺憾なからしむるの要あり。

説明
一、に付て
イ、朝鮮食料の対策輸移入の急務等に付ては別冊第一を参照せられ度。特に旱害地方に於ては農家にして収穫皆無のもの多数あるを以て此等の者の食糧の取得は麦の収穫まで鮮外雑穀を以て補填せざるべからず
然るに目下に於ける輸移入の状況は別冊第一の五、六、七にあるが如く対策遅々として進まず若し現状を以て推移せんか二三月の頃局部的には全然食し得ざる者あるに至るべし
又旱害地方に於ては鮮外の雑穀を速に輸移入し僅少なりと雖も収穫せる籾を農民より買上げ都市に対して米穀を供給せざるべからず。然るに現状の如くんば右の買上は至難にして米は農家に於て消費せられ都市の供給亦至難なるに至るべし。

二、に付て
食糧の配給取得特に都市に於ける状況は別冊第二を参照せられ度。農村の情況に付ては一月十三日山之内参謀の実施視察したる所に依れば旱害地方農家の食糧欠乏は意想外にして十数名の家族を搖〔ママ〕しながら僅かに粟等数升を貯へあるは寧ろ良好なる向にして全然貯蔵なき農家も亦少からず。此等の農家は●、「ドングリ」の実桔梗の根、「ヒマシ」の葉等を単独に又は僅かなる粟と交ぜて粥(※原文「米」+「弱」)とし一日二食を常とし時としては一食場合に依りては全然欠食する向もあるは確実なり(別封山之内参謀自ら現地に於て農家より求め来れる代用食参照)。此等の者は旱害対策としての各種労務より得たる僅かなる所得に依り小売商に付雑穀を求めあるも輸移入の雑穀不足の為此等小売商の手持極めて少く現に交通の便必ずしも良好ならざる農村の小売商に於て僅かに五日分を有するに過ぎざるものあるを認めたり。此くの如きを以て満洲方面の雑穀の輸入遅延するに於ては二月乃至三月に至り寒心するべき状況を呈するに至るべし。従て要輸入雑穀の大分は速に春窮期前に鮮内に配給するの要あり。
但し農村に於ける民心は極めて平静にして忍苦しあるは全く時局の結果にして朝鮮人知事某の言に依れば大正十三年の旱害時に於ては既に此の如き程度に至らざるに拘らず農村の倉庫襲撃事件等起りたる由にして今回此の如きことなきは全く時局に基く民心緊張の結果なりと感歎しありたり。
然れども当局としては決して民心の現状を以て楽観すべきにあらざることに深く鑑み今日に於て断乎たる対策を講ずるの要ありと認む。
尚遺家族食糧問題に関しては対策徹底しあるを以て憂ふべき点なきものと信ぜらる。

三に付て
別冊第一参照

四、軍は万一騒擾勃発せる場合には断乎たる対策を取り得る如く準備しあり。


別冊第二
食糧問題に伴ふ治安観察
判決
一、米穀の出廻は漸次促進され頭初の情勢は幾分緩和されたるが如くなるも一部地方特に下層階級に対する配給は依然円滑を欠き物資の不足、物価の高騰と相俟て国民生活を圧迫し大衆の不満相当深刻なるものあるのみならず旱害地住民の動向亦楽観を許さず。
治安に対する顧慮は目下特に憂慮すべき事象なきも端境期の近迫と共に相当警戒を要する情勢にありと認む。
二、当局をして速に雑穀の確保と配給の円滑化を期せしめ以て民心の不安を一掃すると共に旱害罹災民の結氷期間に於ける救済策を講ぜしむるの要ありと認む、
説明
一、食糧取得難に伴ふ治安監察
朝鮮米穀配給調整令の施行、関係各機関の努力等により米穀の出廻は漸次促進されあるも京城地方並南鮮の一部地方に於ける配給は依然円滑ならず特に下層鮮人の米穀取得難は相当深刻にして雑穀の品薄並価格の割高と相俟て之等細民の生活を脅威し不安を生ぜしめ或は米穀業者の店頭に群衆殺到し或は米騒動勃発を流布し或は当局の施策を非難する等騒擾惹起の危険性を包蔵せる事象尠しとせず、
之が具体的事象を挙ぐれば次の如し、

(一)米穀取得に対する特殊事例
○京城府岡崎町 龍山精米所
   〃 孔徳町 兄弟精米所
右店頭には米穀購入者常に殺到しあるが十二月十八日には数百名に達したるを以て所割署に於ては治安上有害なりとし制服警察官数名を派遣し之等群衆を解散せしめたり、

○京城府北米倉町 京一商会
右は十二月十七日江原道より五百叺(原文口偏に「人」)の入荷ありたるを以て道経済警察課に連絡の結果四百叺を府内小売商人に配給し残量百叺を同店に於て翌十八日午前十一時より一人五升以下の制限販売を開始したる所付近の細民蝟集し大混雑を呈したるを以て所割署員十名立合し之が整理に努めたるが購入不能者二百名ありたり、

○京城府西大門地方鮮人経営の各精米業者は籾入手難の為十二月十五日以来販売停止中なりしが十八日に至り某精米所に入荷せるを探知せる付近住民は同精米所門内に殺到販売方を要求せり。之が為同精米所は各門を閉鎖し門内に於て小量宛配給しありたる所殺到せる群衆は外部より各門を破壊侵入し大混乱を呈し警察官の応援により鎮撫し事なきを得たり。

○京城府内某店に於て飯米販売中購入者多数殺到せる為忽ち売切となりたるが此際購入出来ざりし鮮人群衆は購入を急ぎて列を離れ先に割込みたる内地人数名ありたるに対し臨場警察の取締不公平なりとて該警察官を難詰し遂に口論となりたるも大事に至らず解散せり、

○京城府永登浦町 甲敬植商店
右店に於ては十二月下旬に至り一日平均約一千名の飯米購入者殺到し百名内外の購入不能者を出しあり

右の如き事象は鮮人の特性上一歩誤れば直に騒擾化●虞あり治安上偸安を許さず

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昭和15年「密大日記」第9冊

第七期演習処置書 其の一 ※1941年
 
内地の食糧逼迫に伴ふ朝鮮及台湾の措置
一、朝鮮に於ては約二千四百人〔ママ〕の人口中約半数は最低生活者にして食糧の消費規整を強化すべき余地なし、其の他の半数は現在最高程度の生活者と雖も三割の雑穀を混食して其の配給は普通大人一日二合五勺なり
二、台湾に於ては人口約二百五十万にして其の半数は朝鮮の場合に同じく最低生活者にして食糧の消費規整を強化する余地なし、其の他は台湾に於ては雑穀の生産なき(?)を以て南部地方に於て一部甘藷の混食を為さしめつゝあるの外はすべて米食にして、其の配給は内地と仝じく一日普通成人玄米二号五勺、之を精白して二合三勺となる、
三、朝鮮及台湾に於ては従来より消費規整の徹底を図余剰はあげて内地に供出しつゝある現状なる●、内地に於ける食糧事情の一段と逼迫せるに対応し、、朝鮮、台湾に於ても更に規整を強化し、一日一人当二勺ずつを減ずる事とし、其の結果朝鮮に於ては七五万石、台湾に於ては約八万石、合計約八十三万石を内地へ供出することゝす、

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第1回総力戦机上演習経済戦処置書 昭和16年8月

「極秘」印
朝鮮人及台湾人の政治的処遇に関する伊澤枢密顧問官口述要旨
(昭和十九年十一月二十八日)

二、参政権問題
・・・要するに純然たる日本人たることを前提として差別なく取扱ふこととし、唯其の日本精神に徹したる程度に応じて参政権を賦与せんとするものである。之は一面政治的にも意味があり、一度に多数の議員が朝鮮及台湾より選出されるときは、現在の皇民化の段階ではアイルランド問題の二の舞を演ずる虞も考へられるからである。

三、朝鮮及台湾統治に関する所見
余は外地に付ては大学卒業以来関心を持して居り、明治二十八年大学卒業と共に領台直後の台湾に仕官を志願しただが遂に其の志を得られなかった。而して当時台湾の留学生とも数ケ月間寝食を共にして、方法を以てすれば必ず新付の台湾人を悉く陛下の赤子として純乎たる日本精神に徹底せしめ得るものとの確信を得たのである。大正五年寺内総督時代に、余は朝鮮を視察したことがあるが、其の際努めて独立運動者等の民族意識の強い者に会ったのであるが、其の結論として左の如き所見を総督に対して述べた。第一は善意の悪政が存すること、第二は威あれど恩足らざること、第三は行政が煩瑣なることの三点である。第一点は例へば総督は道路の整備を説き交通の便が民政上に及ぼす好影響を語り、殊に洪水に際して部民が自己の家財を省みず道路の防衛に協力せる美談を●えたが、事実は部民は道路の再建に要する夫役の負担の大なるを虞れ家財を失ふを寧ろ軽しとしたに外ならなかったのである。第二点は例へば余はさる汽車旅行中襤褄を纏へる一西洋人に対して到る●に於て朝鮮人が相慕ひ相擁(?)せんばかりの有様を目撃したが、之は引上げの洋人宣教師に対する別離を惜しむ美しい情景であった。併し乍ら内地人に付ては全鮮何れに於ても斯く内鮮人相睦び相和する姿なく、唯見るは相互に白眼視する有様のみであった。第三点は韓国時代に比し内地の役人は何れも清廉潔白にして施政公平なるが、行政は煩瑣画一的にして迷惑多きを訴へたのである。
尚大正六年には台湾を視察し朝鮮に於けると同様に台湾人の真意を探った。台湾人は朝鮮人とは民族性を異にし、漢民族特有の社会的国際的成熟の結果、装うて容易に真意を語らないが、其の漏らす所に依れば台湾に於ける内地人の官吏は朝鮮とは違って貪官汚吏であると云ひ、事実又其のやうに考へられた。又当時台湾人の官吏登用の状況を見るに朝鮮と異りて一人の判任官も存しなかった。台湾は朝鮮より十数年前に領有され統治の効も●るべきに拘らず、事実は右の如き有様で、鮮台の統治方法に相違あり、其の処遇にも著しき差異を存して居た。
右に述べた朝鮮及台湾の状況は余の見る所では今日に於ても同様である。
思ふに右の如き状況では朝鮮人及台湾人は真に満足して皇民化することを得て臨むことが出来ない。参政権の賦与も固より必要であるが各種の事実上の処遇の改善が寧ろ第一である。
右にも触れた官吏の任用の如き又教育上に於ける差別待遇の如き其の他各般の社会上、経済上、行政上の差別待遇を撤廃するに非ざれば真に民心を獲得することは出来ない。

四、台湾統治の実情
尚世間一般は台湾に対しては無関心にして、朝鮮に付ては種々憂慮して居るが台湾は大丈夫と考へて居るやうである。併し乍ら事実は逆で台湾は朝鮮以上に民心が離れて居る。唯朝鮮の如く表面に表れないのみである。・・・

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本邦内政関係雑纂/植民地関係 第三巻

京城日報 1941.9.23(昭和16)
国民皆労座談会 (一~六)

出席者
朝鮮連盟総長 川岸文三郎氏 
同 総務部長 烏川 喬源氏 
同 宣伝部長 御手洗辰雄氏 
朝鮮軍参謀大佐 山之内二郎氏 
総督府労務課長 林 勝寿氏 
城大教授 森谷 克己氏 
鐘紡京城工場長 片岡 勉氏 
社会思想家 青山覚鐘氏 
(旧名李覚●) 
三千里社長 白山 青樹氏 
(旧名金東●) 
淑明女専教授 豊川淑宰女史 
京城友の会 花山芳子女史 

(二) 妥当な労務の供出 半島で六百万
林労務課長 従来朝鮮で道路の修理そのほかに賦役という制度があったことは御承知の通りでありますがこの賦役と勤労報国隊との根本的な相違は前者は労働の強制でありかつまた賦役に出る人が極めて特定な限られた人、すなわち一部の下層階級の人であったのであります。しかし勤労報国隊の狙いどころはあくまでも自発的、積極的な愛国運動であって民衆から真に盛り上がった愛国精神に基づいて国家的、公共的方面の仕事に労力を提供して戴くのであります。従って勤労運動は単に賦役で狙っておるような単純な肉体的な労働ばかりでなく精神的な労務をも意味するのであって、肉体的精神的なあらゆる自己の技能を通じて国家に奉仕して貰うのであります 
御手洗宣伝部長 どうです皆さん、今のお話が一般民衆に解るだろうか、解らないということになると皆労運動が思想的に相当に悪い結果を生む虞れがあると思います