守本憲弘南あわじ市長様よりメッセージをいただきました。ありがとうございます。
12月8日~16日にかけて北海道・新ひだか町公民館で開催されるパネル展『北の零年子孫達は今』開催にあたり会場をおとずれるであろう多くの淡路島関係者に北海道地震にあたり激励するメッセージをいただけないかお願いしていたものにたいし早速心あたたまるメッセージをいただいたものである。淡路から北海道への移住は稲田家臣団の移住がきっかけであるがそのあと明治から大正にかけて15000人を超える淡路島からの開拓移民の大半は旧三原郡出身者であり、戦前、戦中、戦後と11年間にわたって北海道議会議長を務めた坂東秀太郎は北阿万村出身であり、現在の川上平取町長も仲山JAびらとり組合長も賀集出身で勤勉で仲間おもいの三原郡出身者は地域のリーダーとして常に信頼と尊敬を集め現在も多岐にわたり活躍している。今度のパネル展でもルーツを南あわじ市エリアにもつ多くの淡路島関係者は守本南あわじ市長のメッセージを読んで、遠く離れた温暖な淡路島から何もなかった北辺の開拓地に赴き困難に立ち向い家族を守り地域を興した先人の労苦を偲んでいただけることだろう。
祖父、父、と三代にわたって組合長を務める地域からの信頼の厚い仲山JAびらとり組合長
ミニトマトやびらとり和牛などの生産は全国的にも有名で北海道一の優良なJAに育てあげた。
曾祖父の仲山清作氏は北阿万筒井地区出身。
川上満平取町長は賀集地区出身者の子孫。平取町は南あわじ市とも友好都市
川上町長は安田氏と親せきで安田権平の曽孫も長年平取町議として地域の為に活躍
北海道を代表するブランド牛であるびらとり和牛を平取町で二番目に多く300頭を飼育する賀集久雄氏は和牛組合の組合長を務めたこともある。賀集村出身の賀集興三郎より四代目子孫
南あわじ市エリアないから移住した開拓者の子孫達は各方面で地域の信頼をえていまも活躍している。
12月8日~16日にかけて北海道・新ひだか町公民館で開催されるパネル展『北の零年子孫達は今』開催にあたり会場をおとずれるであろう多くの淡路島関係者に北海道地震にあたり激励するメッセージをいただけないかお願いしていたものにたいし早速心あたたまるメッセージをいただいたものである。淡路から北海道への移住は稲田家臣団の移住がきっかけであるがそのあと明治から大正にかけて15000人を超える淡路島からの開拓移民の大半は旧三原郡出身者であり、戦前、戦中、戦後と11年間にわたって北海道議会議長を務めた坂東秀太郎は北阿万村出身であり、現在の川上平取町長も仲山JAびらとり組合長も賀集出身で勤勉で仲間おもいの三原郡出身者は地域のリーダーとして常に信頼と尊敬を集め現在も多岐にわたり活躍している。今度のパネル展でもルーツを南あわじ市エリアにもつ多くの淡路島関係者は守本南あわじ市長のメッセージを読んで、遠く離れた温暖な淡路島から何もなかった北辺の開拓地に赴き困難に立ち向い家族を守り地域を興した先人の労苦を偲んでいただけることだろう。
祖父、父、と三代にわたって組合長を務める地域からの信頼の厚い仲山JAびらとり組合長
ミニトマトやびらとり和牛などの生産は全国的にも有名で北海道一の優良なJAに育てあげた。
曾祖父の仲山清作氏は北阿万筒井地区出身。
川上満平取町長は賀集地区出身者の子孫。平取町は南あわじ市とも友好都市
川上町長は安田氏と親せきで安田権平の曽孫も長年平取町議として地域の為に活躍
北海道を代表するブランド牛であるびらとり和牛を平取町で二番目に多く300頭を飼育する賀集久雄氏は和牛組合の組合長を務めたこともある。賀集村出身の賀集興三郎より四代目子孫
南あわじ市エリアないから移住した開拓者の子孫達は各方面で地域の信頼をえていまも活躍している。
コメント
コメント一覧 (3)
と、言いますのは、昭和28年にアルゼンチンのペロン大統領夫人のエビータから贈られたとされているアメリカサイカチの大木が倒れて仕舞いました。昭和27年の7月26日がエヴァの命日にあたるそうなので、少し疑問に思っておりましたら、その前年の昭和26年に焼け野原になった広島にアルゼンチン公園をと、種子40種が10月に中国新聞社に邦字紙の『亜国日報』の編集者の宮地勝夫社長から届いたので、広島市に手渡した。と言う記事に出会いました。どうやら、エビータ本人から直接広島市にと、送られて来たのではなさそうです。恐らく、在アルゼンチンの日本人会の世話をしていた賀集九平達の亜国花卉園芸組合などがかかわっていたようです。九平は『世界の日本ザクラ』の奥付に北海道出身、生まれとなっていますが、何と、昭和37年に南淡町の名誉市民となっていた事が判明しました、が、関係が不明でしたが
この賀集與三郎の記事にて、一件落しました。
本当に、不思議な縁と云うか地球の裏側にまで、果敢に挑戦した九平は、北海道移民の開拓魂を見る思いが、します❗エビータの命日も後10日程、そして更に10日もすれば、原爆の記念日を迎えます。ウクライナ情勢もイスラエルにも早く平和が訪れるコトを願わざる得ない今日この頃です。