
5月23日東京競馬場で開催された第82回優駿牝馬(オークス)


紘和氏と6冠馬ゴールドシップ
特に2018年4月に洲本でのパネル展のため取材に北海道・新冠町のビッグレッドファームを突然訪問した時、たまたま事務所にいた紘和氏に応対いただいた。アポ無しのいきなり訪問にも関わらず「淡路島から来ました、稲田家臣子孫の取材をしています。写真を撮らせていただけませんか」と突然、厚顔無恥のお願いをした。紘和氏には快く応じていただき、どの馬がいいですかと聞いていただくと厚かましく6冠馬のゴールドシップをお願いして写真を撮らせていただいた。泥だらけだったゴールドシップを洗う間、遊園地ほどの広さのある大牧場を車で案内いただき色々とお話しをきかせていただいた。 紘和氏も父や祖父から淡路や稲田家臣であることは聞いていたそうで出口牧場や服部牧場も淡路関係者であることを知っていた。150年続く淡路の絆が信頼関係の基盤となっていることを感じた。

出口牧場は岡田牧場とも親戚にあたり静内町長を務めた服部吟次郎氏とも縁が深い、三男だった吟次郎氏は子供がいなかった出口家に養子にだされたが長男、次男が戦死、病死と相次いで亡くなり、出口家でも男の子が生まれ跡取りができたことにより養子が解消され服部家に戻ったそうだ。
平取でも賀集氏や樫野氏ら学校建設に尽力した淡路島出身者が教育功労者として表彰されている。他の地域からの移住者に比べ教育に熱心であったようだ。服部吟次郎氏も教員免許を持っていたそうだ。教育に力を入れた出口家のいこうか教育に熱心であった稲田家臣団という武士集団の一員だったためかはわからない。

厚い信頼と熱い情、強いリーダーシップと将来を見据えたすばらしい考察力から若くして静内農協の組合長に選ばれ農業改革を断行し雪印の監査役まで務めた。静内町政が紛糾した時、淡路出身者子孫の仲間たちが連日札幌へ押しかけ、静内町長への立候補を懇願した。上場企業の監査役という役職を投げうち故郷の為、町民の為尽力した。北海道稲田会を作ったのも先人をおもい絆を大切にする服部吟次郎氏の情熱によるものだ。

ビッグレッドファームは日本有数の大牧場だが岡田牧場、岡田レックスなども岡田一族で日本有数の大牧場である。
150年前淡路島から移住した稲田家臣達が力を合わせ産馬組合を作り馬市場会社を興したことが今日北海道・日高地方がサラブレッドの7割を生産する馬産地につながっている。


本庄康平は札幌の開拓使の農場で外国人教師より直接欧米式の近代的な農業技術の指導を半年間にわたってうけた。プラウなどの大型農機具を使った農業への変革の必要を痛感し、そのためには馬の品種改良、農耕に適した大型の馬の導入が不可避と考え、稲田家臣団の仲間に呼びかけ、馬質の改良を行い優良場生産の為、産馬組合を作り、良馬の普及のため馬市場会社を興した。







パネル展協賛御芳名 敬称略 アイウエオ順
淡路信用金庫、岡田猛、岡田隆寛、岡田紘和、木戸功、武岡大佶、堤俊昭、土井重男、長浜和也、長浜秋一、八田牧場、八田 禮子、服部健太郎、浜口英也、原剛、原順一、福岡清、藤沢澄雄、藤原彰、増本一廣、松田三千雄、矢野秀春、米田静江、芳住 革二
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