2012年05月03日

天国から届いた手紙

1月下旬、見知らぬ人から会社宛てに封書が届いた。
差出人に、村山○○とある。

一度でも仕事をした人や、どこかで会ったことのある人なら
名前ぐらいうっすら覚えていそうなものだが、
まるで心当たりがない。

恐る恐る封を切ってみて、中から現れた手紙の冒頭に
しばらく言葉を失ってしまった。




「突然ではありますが・・・

       村山孚 敬白


 わたくしこと、このたび死去いたしました。
 わが祖先未踏の長寿を保ち、この上、欲を申せばきりがなく、
 まあ、こんなところであきらめることに致します……(後略)」


手紙の脇には、幽霊の格好をし、
頬に笑みを湛えながらお辞儀をしている
ご本人らしき老人の挿し絵があった。


手紙の主は、中国古典研究者の村山孚(まこと)先生。
突然の知らせに驚かされはしたものの、
その「死亡通知」はまるで悲哀を漂わせず、
残された人たちへの温かい思いやりとユーモアとに溢れていた。

       *   *

村山先生に初めてお会いしたのは2年前のこと。
その時、すでに89歳になっておられた。

取材依頼をし、数年前から
入居されているという老人ホームへ伺うと、
先生はベッドからよっこらしょ、と起き出して、
1時間だけなら座っていられます、と椅子に腰掛け、
いろいろな話をしてくださった。

「この老人ホームには大先輩がいてね。
 来年98になるおばあさんなんですが、
 私も負けてられませんよ」
と笑みを浮かべておられたのが心に残っている。

その後、先生とは手紙やメールのやりとりをし、
古典の難しい語句などにぶつかると、
電話で教えを請うたりもした。


再会が叶いそうになったのは、それからちょうど1年後のこと。
会社で『孔子の人間学』という本をつくることになり、
ぜひ村山先生にも登場いただこうということになった。

久しぶりに電話をすると、
「私でお役に立てますかどうか……、
 まぁ、それまで一所懸命勉強しておきます」
と言われ、4日後の日曜に訪ねる約束をして電話を切った。

楽しみにしていた当日、電車を乗り継いで駅に着くと、
留守番電話にメッセージが入っている。


電話の主は村山先生。
なんだろう? と受話器を耳に当てると、

「申し訳ありません……。今朝から急に具合が悪くなって……、
 きょうの取材はどうも……、受けられそうにありません……」

と呂律の回らない声で、メッセージが吹き込まれていた。
慌てて折り返したが、電話は繋がらず、そのまま引き返すことにした。

――早く元気になっていただきたい。
そうしたら、またお会いしに行きたい。
その日が来るのをとても楽しみにしている。

先生には、そう手紙を書いて送った。

死亡通知には、ご子息から手紙も添えられてあり、
通知を出すのはご本人たっての希望だったことや、
差出人リストも古くにつくってあったことなどが書かれてあった。

しかしなにぶん急だったこともあり、
そのリストのありかが分からず、
最近手紙のやりとりのあった人宛てに
通知を出すことにしたのだという。


あと2か月で92歳を迎えるという大往生。
最期のときには、笑みさえ浮かべたような
安らかな表情であったという。

先生はご自身でブログも運営しておられたが、
去年の2月に「余命12か月となった」、
そして8月の「余命のカウントダウンはあと7ヶ月」
という記録を最後に、更新は止まっていた。

村山先生にもう一度お目にかかれなかったことは
残念でならないが、不思議と悲しいという気持ちはない。

先生は僕に、いくつになっても学び続けるという姿勢と、
死後の始末を自分自身でつけるということ、
そして、周りの人に笑いとユーモアを残して逝く、
という生き方があることを教えてくださった。


「ありがとうございました。さようなら! 再見!」

 ※これは「冥府通信」ではなく、
  生存中に書いたものですからご安心ください。


手紙はそう結ばれてあった。
人は生きてきたように死んでいく、というのは本当だと思う。



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2009年02月27日

不滅の魂

原爆投下直後の長崎で、被爆者の救護に尽力された
久松シソノさん(永井隆記念国際ヒバクシャ医療センター名誉センター長)が
今年1月にお亡くなりになっていたことを、
先週の新聞で初めて知った。誰もいない部屋の中で一人、
思わず声をあげてしまった。

久松さんとお会いしたのは、2年前の夏のことである。
非常に小柄な方だったが、貴婦人のような洒落た帽子が
とてもよくお似合いで、お話しになっている様子から何から、
こちらの心を惹きつけてやまないものがあった。

昨年、勤務先の致知出版社で運営している音声版ブログ
久松さんの記事を紹介したいと申し出たところ、
さっそくご快諾の返事が届き、
「今年は永井隆先生の生誕百周年行事があって
 忙しくしています」と書かれてあった。

80歳を過ぎておられたにもかからわらず、大変お元気そうで、
いつかまたお目にかかれる日を楽しみにしていたから、
突然の訃報には言葉もなかった。
けれども久松さんのことだから、天国で恩師の永井先生と
再会できた喜びに、いまは浸っておられることと思う。

久松さんからはこれまで何度かお手紙をいただいたが、
その締め括りには必ず「平和を」の三文字が添えられてあった。

形あるものは皆、必ず消えていく。
しかし、久松さんがこの世に託してきた「思い」は
僕の胸の中にはっきりと残っている。
無形のものこそは不滅である。(モ)


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2007年06月16日

言葉を惜しんではいけない

ひと月前、妹が結婚した。
式に出れば泣くことは初めから分かっていたが、
予想以上に涙が出て、嗚咽に近い状態になってしまった。

半年前、結婚の意思を固めていた妹が、
「あったかくなったら、一週間くらい東京に泊まりに行くわ」と
話していたことがあった。
僕はその約束を楽しみにしていて、
どこか街へ出かけたり、友達とレストランに入ったりするたび、
ここへ連れてきたら喜ぶかな、こういう料理は好きそうだな、
と妹の好みを考えながら、いろいろな店のカードを持ち帰り、
いつでも予約の段取りをつけられる状態にしていた。

しかしその妹からは、春になったというのに、
一向に連絡が来ない。
しばらくするうち、母が「結婚式のことで忙しくしてる」と
連絡が入り、とても東京へ来るどころではないように思えた。

僕がゴールデンウィークに実家へ帰った時、
5月半ばに結婚を控えた妹に
「結局、遊びに来んかったな」
とさり気なく話してみたら、こんな答えが返ってきた。

「東京へ行く、とメールをしたけど、
 そのことには何も触れず、ほかのことについてメールを
 返してきたから、迷惑なのかな? と思っていた」

言われてみれば確かにそんなメールをもらっていた気もする。
しかしそれについての返事をしなかったのは、
あえてする必要もなく、妹は当然遊びに来るものだという
考えが自分の中にあったからだ。
妹にそんな遠慮があったとは思わなかった。

今年、僕はある本の中で、
「あらゆる人々に対して言葉を惜しんではいけない」と
いう言葉に出合い、それを一年の抱負にしようと決めていた。

自分にとって身近な人であればあるほど
意識しておかなくてはならない言葉である。

ただ一つの言葉を惜しんだがために、
二度と戻らない時間がある。


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2007年02月28日

無名人の光

「百ます計算」と聞いてまず頭に浮かぶのは、陰山英男先生の名前だろう。
しかしその生みの親が、岸本裕史先生であることはあまり知られていない。
その岸本先生が昨年末、亡くなられたことを最近新聞で知った。

僕自身も先生のことを知ったのは、
2年前の新聞記事を通じてである。
百ます計算を考え出したのが陰山先生でないことに驚き、
即座に取材を申し込んだ。

翌週、さっそく来社いただいた岸本先生は、
ユーモアをたっぷり交え、百ます計算の誕生秘話を
3時間近くにわたり、お話ししてくださった。

本題が一段落した頃に、
「先生、私も小学校の頃、百ます計算には
 ずいぶんお世話になりました。
 もう15年も前のことになります」

と興奮気味に話したら、

「ほお、小学校の頃に。生まれはどこ? えぇ、大津……坂本!
 はぁ、あのあたりは教育熱心な先生が多くてねぇ、
 よく覚えてますよ」
と、とても喜んでもらえた様子だった。

先の新聞記事によると、先生は
「人に気と時間を使わせたくない」と
最期まで入院先を伏せていたらしい。

生前の先生をよく知る方は、
「ジョークで上手に人を立てる。
 カリスマになろうと思ったらなんぼでもなれるのに、
 ならなかった」
とコメントを残している。

本当に偉大な人の多くは、歴史に名を残さない。
残るのはただ、その仕事の跡だけである。

ekomo at 19:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2007年02月10日

最小限の言葉で、最大限の気持ちを

 昨年10月、わが社初のIT担当として入社してきたA氏は、
 PC関連の知識に習熟しているばかりでなく、
 僕の見るかぎり、好感度ナンバーワン社員である。

 中でも「はい」の返事の感じのよさには、
 本当に頭の下がる思いで、僕はひそかに
“「はい」のプロフェッショナル”と名づけている。

 A氏は、僕ら編集部の部署と壁一枚隔てたフロアにいて、
 そこからA氏の電話を取る声が聞こえてくる。

「はい、Aですー」から始まって、
「はぁい」「はいっ」「はいー」「ハーイ(笑)」と、
 喜怒哀楽・共感共鳴、とにかく多種多様な「はい」を、
 実に巧みに使い分けているのである。
「はい」のバリエーションだけで受け答えが
 成立しているのではないかとさえ思うほどだ。

 最小限の言葉で、最大限の気持ちを。
 A氏の「はい」を耳にするたび、そう思う。

■致知出版社公式サイト
http://www.chichi.co.jp/


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2007年01月25日

心臓のペースで書く

 先週、『品のいい人と呼ばれる技術』という、
 人に見られるとちょっと恥ずかしい本を読んでいると、
 こんなことが書かれてあった。

「印象のよい話し方のポイントは“テンポ”で、
 いちばん落ち着くのは、心臓の鼓動とそろったときだ」

 テーブルマナーや女性のエスコートの仕方など、
 いろいろ役立ちそうな技術が書かれてあったが、
 僕にはこの言葉が一番印象に残った。
 同じようなことを、誰かの文章を読んでいる時にも思う。


 パソコンで文章を打つようになって久しい僕だが、
 最近、本当に“書きたい”という気持ちが起きた時は、
 あえて手書きで書くようにしている。
 頭で考えたことを文章化するとき、
 入力のスピードに思考が追いつかず、
 次の文句が定まらないうちに
 一文が終わってしまうことがあるのだ。

 その点、手書きはものを考えながら文章を
 書き進めることができ、そのゆったりしたリズムが
 僕には心地よく感じられる。
 心臓のペースで話すこと。心臓のペースで書くこと。
 案外、これが一番楽なんじゃないか。

ekomo at 09:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年12月05日

肉声

 きょう会ったばかりの人の顔や聞いた話の内容を、その日のうちに
 忘れてしまうこともある僕だが、その人の「声」だけは
 いつまでたってもはっきりと覚えている。
 そして思い出すたび、やさしい気持ちになったり、
 二度と会えない切なさに胸が詰まりそうになる。

 六年前に祖父が亡くなった時、僕は祖父に二度と会えなくなる
 寂しさと同時に、あぁ、あの声がもう聞けなくなったのだと
 思うと、居たたまれない気持ちになった。
 死によって最も取り戻せなくなると感じたのは、
 僕の場合、「声」だった。

 もともと無口な人で、それほど話をしたこともないのだが、
 遊びに行くたびこちらを見て
「よう来てくれたな」と笑いかけてくれた祖父。
 八十年近くの人生を生きている人の温かみに溢れていた。

 肉体。そして、肉声。
 体だけではない。声も肉をまとっている。


ekomo at 10:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年11月24日

真理は誠に厳しい

 岡本太郎の生き方、考え方に深く魅せられてきた僕にとって、
 太郎のそばで半世紀近くもの間、秘書を務めてこられた敏子さんに
 お話を伺えなかったことは、悔やんでも悔やみきれない一事である。

 僕の勤務している会社は、太郎の実家兼アトリエのすぐそばにあり、
 敏子さんにはいつでもお会いしに行けると思っていた。
 実際、お亡くなりになる前日に、
 いつもと変わらぬ敏子さんの元気だった姿を、
 僕は道端で見かけている。

 それだけに昨春、突然の訃報に接した時は、
 驚きのあまり言葉も出なかった。
 そうしてしばらくすると、
 どうして会いに行かなかったんだ、
 と後悔の気持ちでいっぱいになった。

 先日、その話を会社の先輩にしたところ、
 その方も最近同じような経験をしたという。
 ある老婦人にしたためる手紙を、
 近々、別のお礼を兼ねて出そうとしていたところ、
 その間にご本人が亡くなってしまわれたのだという。
 本当にやるせないといった気持ちが伝わってきて、
 僕自身も身に詰まされるものがあった。

 思想家・中村天風の言葉に、
「真理は誠に厳しい。あなたの都合に合わせてくれない」
 とある。
「機会」は二度やってはこない。真理は、誠に厳しい。

■致知出版社公式ブログ
http://www.chichi.co.jp/



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2006年11月18日

サービスを超える瞬間

 前々回にも書いた92歳の現役審判員の方に
 お話を伺っていた時、取材中にもかかわらず
 たびたび声をかけてくる人があった。
 近頃、交通事故に遭ったということで、
 隣の部屋で寝込んでいた奥様である。

「私は体が悪いから、きょうは何のお構いもできませんよ」

 と初めに断られたにもかかわらず、

「ちょっと兄ちゃん。悪いけど、帰り際でいいから
 食器棚の外れたガラス、はめていって」

 とそれだけを言いに起き上がってきては、また寝込む。
 20分おきに同じことが繰り返され、同じ依頼を3回も受けた。

 そしてとうとう4回目。
「兄ちゃん。悪いけど、食器棚のガラスはめて。“いま”」
 と、末尾に新たな言葉が加わった。

 仕方なしに取材をいったん中断し、
 台所へお邪魔してガラスを戸棚にはめ込んだ。
 すこし離れて眺めてみると、指紋だらけで見映えがあまりよろしくない。

 僕は一度はめたガラスを外し、ぞうきんの在りかを聞いて
 ぴかぴかに磨き上げ、もう一度戸棚にはめ込んだ。

「まぁ、そんなことまでしてくれて……。うれしいわぁ」と、
 とても喜んでもらえた様子だった。
 その後、上機嫌になった奥様にカステラを詰めてもらい、
 帰りは僕が道のかげに隠れるまで見送っていただいた。

 審判員の方のお話もよかったが、あれから2週間がたったいま、
 僕の頭に浮かんでくるのは、あの時の奥様の嬉しそうな表情である。
 編集者もごく稀に、サービスを超える瞬間がある。

 ■致知出版社公式サイト
  http://www.chichi.co.jp/



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2006年11月09日

言語の海

 先日、録画しておいた『情熱大陸』の番組を見ていたら、
 主人公の男性が、認知症患者であることを打ち明け、
 全国を講演に回ったり、奥様と二人で暮らす
 日常の様子が放映されていた。

 認知症の方が、きょうが何曜日であるかを忘れたり、
 実の娘の名前が出てこなくなったりする場面は
 正直なところ想定できたが、「プルルルルル……」と鳴る
 電話の着信音が何を意味するかを忘れたり、
 受話器の持ち方を忘れてしまったりする場面には
 少なからずショックを受けた。

 ただ一つ、僕の心に残ったのは、
 いくら男性が固有名詞や道具の扱い方を忘れようと、
 奥様や取材スタッフとの日常会話が
 立派に成り立っていたということだった。

 ちょうど最近、認知症患者の方の
 面倒をみている女性の方にお話を伺う機会があった。
 その方の話によれば、認知症になった人でも、
 実は9割以上の機能が失われずに存在しているのだという。

 人の話を瞬時にキャッチし、頭の中で咀嚼して、
 新たに言葉を紡ぎ出す能力――。
 何十年という時の中、一人の人間が獲得してきた言語の海は
 そう簡単に失われはしない。


ekomo at 08:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年11月02日

挨拶は先に言え

 年齢をまるで感じさせない強健さで、
 近しい方から「ありゃあ化け物だ」と言われている
 草野球審判員(93歳)の方にお話を伺った。

 少年野球のジャッジも務める氏は、子どもたちに
「挨拶は先に言え」と口酸っぱく言う。
「先に“おはよう”と言えば、相手のほうが楽になる。
 返事がしやすくなるだろう」と。

 階下から足音が聞こえても、視界の隅に同僚のかげが見えても
 気づかぬフリをしてやり過ごしてしまうことの多い僕。
 ヒャヒャヒャヒャヒャヒャーーーッ!
 と快活に笑う氏の姿を見て、
 なにをカッコつけてるんだ、自分は、と恥ずかしく思った。

ekomo at 21:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年10月25日

感謝の「謝」


 先週日曜、元灘校の名物教師・橋本武先生より
 出版記念パーティーの誘いをいただいたので、
 夜行バスで神戸まで駆けつけた。
 今年で御歳94歳になられるが、いまなお矍鑠としていらっしゃる。

 祝いの席に集まった300名近くの教え子たちへ
 返礼のため壇上に立たれた先生は、
「みなさんに、ただ“ありがとう”という、
 その言葉以外にありません。……ほかに何も言えません」
 と深々と頭を下げ、感謝の意を示しておられた。

「感謝」という言葉には、「謝」という字が含まれる。
 僕はこれまで、有り難いという気持ちの中に、なぜ「謝る」という
 字が入るのかと疑問に感じていたが、ピンと張った背筋を
 ふたつに折り曲げ、挨拶をされている先生の姿を見て気がついた。

 人間が心からのお礼をいう姿と、お詫びをする姿とは、
 とてもよく似ていると。

 僕たちはよく「感謝します」とか「感謝申し上げます」と
 口にしたり、手紙に書いたりしているが、
 人が本当に感謝の気持ちを述べる時、
 それはお詫びともお礼ともつかない恰好になるものなのかもしれない。


ekomo at 21:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

人間は言葉よりも、仕草だ


 最近話題になっている『憲法九条を世界遺産に』の本を
 読んでいたら、ミラン・クンデラという作家の言葉が紹介されていた。
 氏は『不滅』という本の中で、こんな意味のことを述べているらしい。
「人間は言葉よりも、仕草だ」と。

 僕自身も取材を通じていろいろな方に巡り合うが、
 出会いの感想を聞かれれば、本人がいった言葉より、
 その人がどんな表情で話をしていたかや、
 どんな息遣いでしゃべる人だったかなどを伝えたくなる。

 恋焦がれている人が果たして自分に気があるかどうか、
 その人間の言葉が信頼できるものかどうか、
 仕草や表情を見れば、はっきりと分かる気がする。
 肉眼で見える、本当に大切なものがある。


ekomo at 21:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

それ、捨てられちゃあ困る


 先週、中野で単館上映されていた
『ツヒノスミカ』という映画を観に行った。
 旧家の取り壊しに伴う、90歳のおばあちゃんと
 その家族の動きを追ったドキュメンタリー作品である。

 道具の始末をする際、「これ、捨てていい?」と息子に
 聞かれ、そのたびに「それ、捨てられちゃあ困る」と返す
 おばあちゃん。
「これじゃ何にも片付かないな」とでも言いたげに
 苦笑いする息子。

「これはどうする?」「捨ててもいいよ」
「……、ホントにいいの?
 いや、これは俺がとっとく。じいちゃんに叱られるから」

 捨てる、捨てないの判断を母親に任せていた男性は
 心のどこかで、母親がすべてに対し「残す」と
 言ってくれるのを期待していたのだろう。

 捨てることは難しい。
 ものには思い出が詰まっている。


ekomo at 21:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

金色の眼鏡


 押入れに眠っていた眼鏡ケースを2年ぶりに開いたら、
 ガンメタ色だった眼鏡フレームのメッキが剥がれ、
 中から金色の素材が顔をのぞかせていた。

 近々、眼鏡屋へ行って部分的に塗り直してもらおうと思うが、
 いっそのこと、ガンメタ部分を引っ剥がし、
「金色の眼鏡」にしてしまうのも悪くないと考えている。
 金色の眼鏡。なんだか人生が変わりそうだ。



ekomo at 21:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2005年10月15日

見えない仕事

 一年前、会社に入ったとき、これだけはやろうと決めていたことがある。
 皆が出社する前に到着し、全員分のゴミを集めること。
 それは今も続けているし、これから先もやめることはないだろう。

 半年前、さらに一つ付け加えた仕事がある。
「プリンタ・コピー機の給紙」だ。

 編集部のある2階フロアは、紙の減りが早く、すぐに用紙が切れてしまう。
 出力の指示をしても反応せず、「ああー!」といいながら、不機嫌そうに
 プリンタへ走る先輩の姿を何度も目にしていた。

 朝、ゴミ箱を空っぽにしておけば、たしかに仕事の痕跡は残る。
 しかしあるときから、人から礼を言われたり、その思いを人に
 抱かせたりするのは、たいした仕事ではないと思うようになった。

 人に気づかれず、見えない作業をすることで、何事もなく事が運んでいく。
 僕はそこに、本当の仕事の意義を見出すようになっていた。


 それから数ヶ月が過ぎた頃。

 たまっていた仕事があったので、いつもより三十分早く家を出た。
 表参道の一本道を歩いていると、ある年配の女性が道端の掃除をしている。
 手にしたホウキ一本で、次々に道が掃き清められていく。

 表参道は、「“日本の道100選”に入る」とか、
「こんなに気持ちのいい道はない」と耳にしたことがあったが、
 愚かなことに、僕はこの道の美しさが自然と
 保たれているように感じていた。

 反省の気持ちを抱きながら会社に着くと、
 昨日まで隅に積み上げられてあったはずの
 ダンボールの束が、どこかに片付けられている。

 自分の気づかない所で、いつも誰かがしてくれている仕事。
 してくれていた仕事。
 何事もなく、今日も一日が過ぎてゆく。


ekomo at 07:50|PermalinkComments(1)TrackBack(0)

2005年03月10日

水色のネクタイ

きょうは、入社祝いに友人からプレゼントしてもらった
ネクタイを着用している。
光沢のあるブルーの水玉模様で、僕には少々派手じゃないかと
いう気もする。

しかし友人が、
「おまえが自分では絶対に買わない色だから」と、
わざわざチョイスしてくれたもので、
僕は朝から思いきってつけてみることにした。
そういえば、「春先にするように」とも言っていたな。

こっそりトイレに行ってファッションチェックをしてみると、
我ながらまんざらでもない気がする。
自分では「これまでマジシャンみたいだから」という理由で
敬遠してきた柄だったが、端から見てみても
けっこうキマッているかもしれない。

プレゼントの品を選ぶ際、「その人にぴったりのもの」を
選ぶことは、とても大事なことだ。
しかし、その人自身じゃ手を出せないものを贈り、
新たな一面を引き出すようなプレゼントには、
贈り物以上の価値がある。

人の秘めた可能性を引き出すのは、いつも自分ではなく、
周りの誰かによってだ。


ekomo at 21:52|PermalinkComments(3)TrackBack(1)知人・友人 

2004年12月12日

温かさのポイント

子どもの頃、初めてマフラーをつけ、「あったかいなぁ」と
母に伝えたところ、
「首もとがあったまると、全然ちがうやろ?」と言われた。

初スキーのとき、耳あてを装着した感激を同じく母に伝えたら、
「耳があったまると、全然ちがうやろ?」とよく似た答えが返ってきた。

「○○があったまると、全然ちがう」

その感覚は、中学時代に皮の手袋をはめたとき、
くつ下の二枚穿きをしたとき……、また最近では、腹巻きや
股引デビューを果たしたときにも、同じように味わった。
要は、人間の体はどこもかしこも大切で、各部位を温めれば、
総じて幸せな気分になれるということだ。
すべては全体につながっている。


ekomo at 12:20|PermalinkComments(4)TrackBack(0)

2004年11月26日

では、握手をしましょう

 きょう、ある盲学校の先生に取材をしに行った。
 インタビューをした先生ご自身も視覚障害を持っていたが、
 僕は形式どおり、胸ポケットから名刺を差し出そうとした。
 
 すると先生は、
 「じゃあ、握手をしましょう」
 といって、やさしく僕の手を握ってくれた。
 名刺入れに手をやっていた自分が、無性に恥ずかしかった。

 そして取材を終えた後も、先生は、
 「では、握手をしましょう」
 といって、同じように握手をしてからお別れをした。

 やわらかい、温かい手で、とても先生らしい手だと感じた。
 その手の温もりは、いまもしっかりとこの手の中にある。
 人はやはり名刺ではなく、肌と肌で触れ合わなくてはダメだ。


ekomo at 01:11|PermalinkComments(2)TrackBack(0)取材 

2004年10月03日

チチローのセリフ

 きのう何度となく報じられたイチローニュースの中で、
 ほぼ同じ回数テレビに映っていたのが、父・宣之さん(チチロー)だ。

 わが子の偉業に、感無量といった表情で、
 「新記録達成のとき、感激しました。イチローの表情、
  皆さんとの触れ合いが、もうジーンときましたね。う〜ん……」

 このとき、テロップ上では「イチロー」になっていたが、お父さんは
 本当に「イチロー」のつもりで呼んでいるのだろうか。
 新記録が歴史的にどうこうよりも、それを祝福してくれる
 チームメイトのことや息子の表情についてコメントしたのを
 聞けば、お父さんにとってはやっぱり「一朗」のままなのだろう。


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2004年09月30日

人生は歩いて考えろ

 先週、ひさびさに会った友人と飲みに行った。
 以前から、なにか僕に相談したいことがあると言っていたのだが、
 しばらく経っても切り出す様子がないので、あれはもういいのかな?
 と思っていると、「本題はあとで話すね」とのことだった。

 けっきょく店を出たのは、夜2時ごろ。
 当然、終電もないので、とりあえず行けるところまで行こうと、
 夜道をひたすら歩くことにした。

 やがて話を切り出した友人の様子は、ちょっと切羽詰まった感が
 あったが、今日あすにでも答えが必要というものでもなかったので、
 僕はああじゃないかこうじゃないかと、じっくりと自分の考えを
 話していた。

 すると彼のほうでも、だんだんと前向きな気持ちになってきたらしく、

 「う〜ん。まぁ、もうちょっと頑張ってみるよ」

 と、最後にはだいぶ元気な声を聞かせてくれた。
 時刻はすでに朝4時を過ぎており、いつのまにか2時間以上も
 歩き続けたことになる。しかしお互いに「疲れた」ともいわず、
 さらにテクテクと足を進めていた。

 これは何かの裏付けがあるわけではなく、あくまで僕個人の経験に
 よるものなのだが、いままで、歩きながら考え事をしていたときに、
 思考がネガティブな方向へと行ってしまったことは一度もない。

 僕はなにかに落ち込んだりすると、よく気分転換に散歩をするのだが、
 しばらく歩いているうちに、

 「まぁ、なんとかなるんじゃないか」

 と少しずつ前向きな気持ちになってきて、けっきょく最後には、

 「よしやるぞっ、絶対にやってやるぞ!」

 と逆に強い決意を秘めて、家に戻ってくることが多い。
 僕はこれを、身体が精神にもたらす浄化作用なのだと考えている。
 肉体はおそらく本質的に、生きることへはプラスの力を働かせるのだ。

 もし心配事や悩みごとを抱えていて、気持ちがネガティブになり始めたら、
 とりあえず外に出て、散歩でもしてみるとよいかもしれない。
 僕の場合、歩いていると、自然とたまっていた感情が放出され、
 いつのまにか前向きに人生を生きてみようという気持ちになっている。
 友よ、オレよ。人生は歩いて考えろ。


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2004年09月27日

地下鉄のオシャレ紳士

 今日、地下鉄に乗っていたら、向かい側の席に
 ひと際オシャレな男性を発見した。

 といっても、白のワイシャツに、赤&朱色のネクタイ、
 グレーのスラックスと、取り立てて目立つ恰好でもない。

 しかし、いまどきの若者がズラリと並ぶ席の中、
 没個性なはずの中年男性がなぜ輝いていたかといえば、
 その男性のしていたネクタイの柄が、ちょうど電車のシートと同じ、
 「赤&朱色」の模様だったからである。

 その2つの柄は、偶然と呼ぶには恐ろしいほど、色のトーンや
 幾何学模様のサイズ、ちょこっとした赤の効かせ方にいたるまで、
 まったく同一のデザインで、こちら側から見ると、
 「朱 → 白 → 朱」 (シート → ワイシャツ → ネクタイ)
 のパターンが、じつに美しく映えていた。

 上着と靴の色を揃えるのは、オシャレの基本だとよくいわれるが、
 「赤&赤」、「黄&黄」などの組み合わせの場合、逆に狙いすぎで、
 イヤミだと感じるときがある。

 その点、自分のネクタイがシートの色と調和していることなど、
 思いもしていない済まし顔のおじさんには、なんだか
 非常に好感がもてた。このさりげなさこそ、オシャレの基本だ。


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2004年09月26日

うれし楽しナツカシ

 今日は、隣室に住むおばあさんの部屋に、誰か友だちが来ているらしい。
 もともとよく声の通る人なので、業者の人となにかやりとりしているのは
 耳にするが、今日は明らかに声のトーンが違う。
 透き通るような声でしゃべり、キャハハと快活に笑う。
 じつに解放的な感じがする。

 ところで、僕はよく人から意外だといわれるのだが、同窓会が大好きで、
 地元へ帰るたび、幹事役を自ら引き受けている。

 この夏もいつものように祖母の家へ遊びに行き、
 これから同窓会へ行ってくるんだと話したら、
 祖母はうんうん、とゆっくりうなずいて、

 「友だちはええもんやなぁ。友だちは離すなよ〜。
  お祖母さんらも、最近はみんな歳とってしまって、
  なかなか集まれへんけど、一年にいっぺん出会えたら、
  やっぱり、ウレシイ、楽しい、なつかしい」

 と話していた。
 そうか。同窓会には、人間の喜びの感情がこんなに詰まっているんだ。
 あそこへ行くと、なんだか胸がいっぱいになるのはそのせいか。


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ekomo at 03:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)知人・友人 

2004年09月21日

トモダチ

 先月のお盆、中学時代に仲のよかったメンバー4人で
 ひさびさに集まった。
 そのうち一人は、高校を卒業後、すぐに美容師として働き出し、
 今年の7月からは、京都に自分の店を持つことになったのだという。

 学生時代の彼は、勉強の成績こそからっきしだったが、
 なにか一つのことに打ち込むと、凄まじい力を発揮し、
 卓球にしろ、空手にしろ、全国大会のイイ線までいくほどの
 すばらしい実力を備えていた。

 これから実際に店を切り盛りしていくのは本当に大変だと思うが、
 彼の腕前や社交センスを持ってすれば、必ずうまくいくと思う。

 ところでみんなで集まるたび、いつも驚かされるのは、
 その彼の、飛び抜けたファッションセンスのよさである。
 あるときはスリムの、またあるときはダボダボの、
 彼でしかあり得ないような型のズボンをはき、
 それを実にさらりと上の服に合わせている。

 人はあまりにオシャレな人を見ると、ライバル意識なんてものは
 消え失せ、ただただ「今日はどんな服を着てくるのだろう?」と、
 そのモデルさんを鑑賞してみたい気持ちになるものらしい。
 もし僕が彼の恋人なら、それだけでも毎日ときめき続けて
 いられる気がする(あくまで、気がする)。

 ちなみに彼とは、小学校時代からの付き合いだが、作文の授業にしても、
 図工の製作にしても、お互いにやたらと張り合う場面が多かった。
 中学を卒業するまで、タレント本の読み比べなどもしていたが、
 僕が、いまこんなホームページを開いているんだと話したら、
 「オマエらしいな」といって、とても興味深げに耳を傾けてくれた。

 その後、店を出てカラオケに行ったら、終盤に彼がケツメイシの
 「トモダチ」を歌ったので、思わずジーンときた。

 「ずっと友だち だが時は経ち……」

 出会ってから、一緒に遊んだりしていた記憶が浮かんでは消え、
 すこし切ない気もしたが、感傷にひたってる場合じゃない、
 僕も負けていられない、と自分自身に言い聞かせた。
 お互い別々の場所で暮らしていたが、やっぱり同じ歌を
 聴いていたことが、うれしかった。


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ekomo at 02:20|PermalinkComments(2)TrackBack(0)知人・友人 

2004年09月19日

あっぱれ大阪人

 先日放送されたNHKの番組「課外授業ようこそ先輩」の収録中、
 猛烈にスクワット運動をしていた少年が、腰を疲労骨折していたのだ
 という。

 この番組は、著名人が母校を訪ね、後輩たちに授業を行うという
 シリーズで、僕もときどきはチェックすることにしている。
 (毎週日曜朝8時25分〜)

 ちなみに僕はこの回の放送も見ていたが、彼は仲間たちから
 「クラスでいちばん強い子」として紹介され、のちに問題となる
 スクワットの場面でも、ほかの男子児童と一騎打ちの状態になり、
 回数が350回に達したところで、講師役の赤井英和から
 ストップの声がかかったほどだった。

 それでも彼は、「まだまだできるよ」とでもいわんばかりに、
 涼しい顔をしていたから、非常に根性のある子だなと思っていたが、
 そのときの彼の様子を見て、あとで骨を折ることになるなんて、
 いったい誰が想像できただろう。まったく「誰かに見られる」と
 いうことは、人のおそるべき能力をも引き出してしまうものらしい。

 さて、記事を読んでいて、通例のように、両親が苦情→テレビ局が謝罪、
 という流れになるものだと思っていたら、

『すぐに児童に謝罪に行ったが、両親は放送を喜び、逆に恐縮された』
 (日刊スポーツ 2004.9.16付)

 とある。詳しいことは書かれていないが、この一文を読んだだけで、
 頭の中に、家族でテレビを見てはしゃいでいるシーンと、
 少年が誇らしそうな顔をして済ましている様子が目に浮かぶ。

 だが、それにしてもこの局面で、逆に「放送の喜びを伝えた」という
 両親の応対ぶり。さすがは赤井英和を育てた土地柄である。


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ekomo at 01:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)本・映画・テレビ 

2004年09月18日

ASKAマジック

 最近、チャゲアスの新曲が発売されたと聞き、さっそく近所の
 レンタル屋で借りてきた。
 今回の曲(「36度線 ―1995夏―」)は、とくに衝撃を受けると
 いうほどのものでもないが、非常に快活なテンポで、地面を蹴って
 歩きたくなるような気持ちのよいメロディである。

 ところで、僕がチャゲアス(ここではASKAに限定)の歌を聴いて
 よく思うのは、ASKAという人間の、不思議なまでの所在のなさである。

 たとえば、ミスチルやドリカムの曲を聴けば、そこに桜井和寿や
 吉田美和がいて、ああ、彼らはこんな恋愛をしてきたんだな、というふうに
 なんとなくイメージが浮かぶのだが、ことチャゲアスの曲にいたっては、
 不思議なくらいに、ASKAという人の影が見えてこない。

 もちろん、恋人がワイン色に見えたり、ロマンスがわがままで
 疲れやすかったりする情景(心情)はとてもよく分かるのだが、
 曲中にある彼自身の存在は、それとはまるで対照的に、
 どこまでも透明感に満ちている。

 かつて松山千春が、ドラマの主題歌はやらないのか? と聞かれたときに、
 「オレの歌が(ドラマを)食っちゃうから」と答えていたのを見て
 なるほどなと思ったが、チャゲアスの歌は、圧倒的な存在感を
 放ちながらも、しっかりと引き立て役に回ることだってできる。
 (「101回目のプロポーズ」なんかは奇跡に近い)

 ASKAのつくり上げる世界観は、そこに彼自身が登場しないため、
 リスナー一人ひとりを陶酔させることができるのだろう。
 そして聴く者たちを、自分が物語の主人公だと錯覚させてしまう。
 カラオケでASKAを熱唱する人物の顔が、決まって恍惚としているのは、
 おそらくそのためである(失敬!)。


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ekomo at 03:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0)本・映画・テレビ 

2004年09月16日

老人を敬う日

 来週20日は、敬老の日ということで、近所の花屋へ行ってきた。
 田舎で暮らしている祖母にプレゼントをする予定である。

 本当に気持ちばかりの小さな花束だが、なにぶん初めてのことなので
 喜んでもらえる気がする。ここでどれだけ書いても、ネタばれの
 心配がないのでありがたい。

 ところで僕が最近、違和感を覚える言葉のひとつに、
 「お年寄り(親)を大事にしよう」というものがある。

 もっとも、僕自身、ふとしたスキに、
 「おばあさん(←コモリ家の呼び方)を大事にせんとアカンなぁ」
 と思ったり、ひどい時には友達のおじいちゃんおばあちゃんに
 対してまで、「ちゃんと大事にしてあげや〜」などと、
 利いた風な口をきいている。よく考えれば、とんでもないことだ。

 子どもは、両親や祖父母から大切に育てられこそすれ、
 こちらが「大事にしてあげる」なんて対象では絶対にない。
 最近になって、ようやくそんなことに気がついた。
 初めてプレゼントをしようなんて思い立ったのも、
 きっと同じ理由からだ。


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ekomo at 03:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)言葉 

2004年09月14日

イチローの真の打率

 今年もイチローが打ちに打ちまくっていて、ここ最近騒がれているように、
 メジャー新記録も照準に入っているらしい。

 ちなみに僕の一日は昼前に起き出して、録画しておいた
「めざましテレビ」を見るところから始まるのだが、さっきまで
 暗いニュースに顔を曇らせていたキャスターたちも、この記事を
 読み上げるときだけは、決まって明るい表情になる。

 ところで昨年、僕がアルバイトをしていた会社には、一日中FMラジオが
 流れていて、午前10時ごろになると、必ず本日のニュースが
 入るのだった。
 ちょうど夏のあたりには、中学生による陰惨な殺人事件が
 起きていた時期で、ニュースを読む女性キャスターの声も冴えなかった。

 しかし必ず一度だけ、彼女の声がとても快活なトーンになるときがあり、
 それがやはりイチローの活躍ぶりを伝える最中でのことだった。

 「昨日、マリナーズのイチローが○試合連続となる安打を放ち……」
 という声は、さっきまでの事件をフッ飛ばすような明るい調子で、
 その声を聞けば、僕もずいぶんと救われる思いがした。

 これまでのシーズン、また今年のイチローが、いくら高い打率を残そうと、
 当然、毎試合ヒットが打てるわけではない。
 しかし、彼は仮にヒットが打てなくても、好捕をしたり、
 盗塁を決めたり、あるいはライトから矢のような送球を返したりしながら、
 一試合にたいがいは、なにかしらの見せ場をつくっている。
 (ほかにも、記録達成までの日をカウントさせたり)

 僕自身、イチローが本当にすごいと思うところは、打率はもちろんのこと、
 日本国民に「ポジティブなニュース」を、ほぼ10割近い確率で
 放ち続けているということだ。

 ここに彼が、日の丸を背負う意味がある。


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ekomo at 13:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)本・映画・テレビ 

2004年09月12日

街レベルの視野

 今から半年ほど前のことになるが、知り合いのカメラマンの方が
 口にした印象深いセリフがある。

 その日、僕たち二人は、いつもの街頭取材を終え、「おつかれさま」
 と言いながら、お茶でも飲もうと街中を歩いていた。
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2004年09月09日

金メダルを繰り上げる!?

(↓推敲しているうちに、ずいぶん古い話題になってしまいました……)


 本当にいまさらという話題になって恐縮だが、ハンマー投げの
 アヌシュ選手にドーピング違反が発覚し、室伏選手が繰り上げの
 金メダルを授与することになった。

 僕は深夜に行なわれた決勝の模様をナマで見ていたが、
 室伏が投擲をした直後にあげた「ウォ――――ッ!」という
 雄叫びやガッツポーズの力強さ、その確信に満ちた面つきを
 見ながら、これぞ金メダルにふさわしい映像だと感じていたから、
 彼がけっきょく銀に終わったときは、いささか拍子抜けの感がした。

 事件後、金メダルの通知を受けた室伏は、
 「本当は表彰台でもらいたかったのですが……」と
 さわやかに会見していたので、スゴいなと感じたが、
 僕はありきたりの意見になるのを承知で、IOCには
 事前の検査チェックをより厳重なものにしてもらいたいなと思う。

 室伏が後日いくら金になろうが、彼が競技後に味わった屈辱感、
 もっと限定すれば、あのとき過ぎ去った栄光の瞬間というものは、
 どうあがいても取り返しようがない。

 かつて、ベン・ジョンソンが9秒79という100メートル走の
 快記録を出したとき、僕は子ども心に異常にエキサイトし、
 またそれだけに後日、裏切られた感も強かったが、
 彼がいなければ、文句なしに世界一の風を浴びていた
 カール・ルイスの目の前に、走っても走っても追い着けない
 怪物走者がいたとき、ルイスの感じた挫折感や屈辱の気持ちと
 いったものは、一体いかほどのものだったろうかと想像する。

 アスリートに限らず、人が決して裏切ってはならないものがある。
 そのひとつが「時」だ。


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