2006年11月

2006年11月24日

真理は誠に厳しい

 岡本太郎の生き方、考え方に深く魅せられてきた僕にとって、
 太郎のそばで半世紀近くもの間、秘書を務めてこられた敏子さんに
 お話を伺えなかったことは、悔やんでも悔やみきれない一事である。

 僕の勤務している会社は、太郎の実家兼アトリエのすぐそばにあり、
 敏子さんにはいつでもお会いしに行けると思っていた。
 実際、お亡くなりになる前日に、
 いつもと変わらぬ敏子さんの元気だった姿を、
 僕は道端で見かけている。

 それだけに昨春、突然の訃報に接した時は、
 驚きのあまり言葉も出なかった。
 そうしてしばらくすると、
 どうして会いに行かなかったんだ、
 と後悔の気持ちでいっぱいになった。

 先日、その話を会社の先輩にしたところ、
 その方も最近同じような経験をしたという。
 ある老婦人にしたためる手紙を、
 近々、別のお礼を兼ねて出そうとしていたところ、
 その間にご本人が亡くなってしまわれたのだという。
 本当にやるせないといった気持ちが伝わってきて、
 僕自身も身に詰まされるものがあった。

 思想家・中村天風の言葉に、
「真理は誠に厳しい。あなたの都合に合わせてくれない」
 とある。
「機会」は二度やってはこない。真理は、誠に厳しい。

■致知出版社公式ブログ
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2006年11月18日

サービスを超える瞬間

 前々回にも書いた92歳の現役審判員の方に
 お話を伺っていた時、取材中にもかかわらず
 たびたび声をかけてくる人があった。
 近頃、交通事故に遭ったということで、
 隣の部屋で寝込んでいた奥様である。

「私は体が悪いから、きょうは何のお構いもできませんよ」

 と初めに断られたにもかかわらず、

「ちょっと兄ちゃん。悪いけど、帰り際でいいから
 食器棚の外れたガラス、はめていって」

 とそれだけを言いに起き上がってきては、また寝込む。
 20分おきに同じことが繰り返され、同じ依頼を3回も受けた。

 そしてとうとう4回目。
「兄ちゃん。悪いけど、食器棚のガラスはめて。“いま”」
 と、末尾に新たな言葉が加わった。

 仕方なしに取材をいったん中断し、
 台所へお邪魔してガラスを戸棚にはめ込んだ。
 すこし離れて眺めてみると、指紋だらけで見映えがあまりよろしくない。

 僕は一度はめたガラスを外し、ぞうきんの在りかを聞いて
 ぴかぴかに磨き上げ、もう一度戸棚にはめ込んだ。

「まぁ、そんなことまでしてくれて……。うれしいわぁ」と、
 とても喜んでもらえた様子だった。
 その後、上機嫌になった奥様にカステラを詰めてもらい、
 帰りは僕が道のかげに隠れるまで見送っていただいた。

 審判員の方のお話もよかったが、あれから2週間がたったいま、
 僕の頭に浮かんでくるのは、あの時の奥様の嬉しそうな表情である。
 編集者もごく稀に、サービスを超える瞬間がある。

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2006年11月09日

言語の海

 先日、録画しておいた『情熱大陸』の番組を見ていたら、
 主人公の男性が、認知症患者であることを打ち明け、
 全国を講演に回ったり、奥様と二人で暮らす
 日常の様子が放映されていた。

 認知症の方が、きょうが何曜日であるかを忘れたり、
 実の娘の名前が出てこなくなったりする場面は
 正直なところ想定できたが、「プルルルルル……」と鳴る
 電話の着信音が何を意味するかを忘れたり、
 受話器の持ち方を忘れてしまったりする場面には
 少なからずショックを受けた。

 ただ一つ、僕の心に残ったのは、
 いくら男性が固有名詞や道具の扱い方を忘れようと、
 奥様や取材スタッフとの日常会話が
 立派に成り立っていたということだった。

 ちょうど最近、認知症患者の方の
 面倒をみている女性の方にお話を伺う機会があった。
 その方の話によれば、認知症になった人でも、
 実は9割以上の機能が失われずに存在しているのだという。

 人の話を瞬時にキャッチし、頭の中で咀嚼して、
 新たに言葉を紡ぎ出す能力――。
 何十年という時の中、一人の人間が獲得してきた言語の海は
 そう簡単に失われはしない。


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2006年11月02日

挨拶は先に言え

 年齢をまるで感じさせない強健さで、
 近しい方から「ありゃあ化け物だ」と言われている
 草野球審判員(93歳)の方にお話を伺った。

 少年野球のジャッジも務める氏は、子どもたちに
「挨拶は先に言え」と口酸っぱく言う。
「先に“おはよう”と言えば、相手のほうが楽になる。
 返事がしやすくなるだろう」と。

 階下から足音が聞こえても、視界の隅に同僚のかげが見えても
 気づかぬフリをしてやり過ごしてしまうことの多い僕。
 ヒャヒャヒャヒャヒャヒャーーーッ!
 と快活に笑う氏の姿を見て、
 なにをカッコつけてるんだ、自分は、と恥ずかしく思った。

ekomo at 21:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)