2012年05月03日

天国から届いた手紙

1月下旬、見知らぬ人から会社宛てに封書が届いた。
差出人に、村山○○とある。

一度でも仕事をした人や、どこかで会ったことのある人なら
名前ぐらいうっすら覚えていそうなものだが、
まるで心当たりがない。

恐る恐る封を切ってみて、中から現れた手紙の冒頭に
しばらく言葉を失ってしまった。




「突然ではありますが・・・

       村山孚 敬白


 わたくしこと、このたび死去いたしました。
 わが祖先未踏の長寿を保ち、この上、欲を申せばきりがなく、
 まあ、こんなところであきらめることに致します……(後略)」


手紙の脇には、幽霊の格好をし、
頬に笑みを湛えながらお辞儀をしている
ご本人らしき老人の挿し絵があった。


手紙の主は、中国古典研究者の村山孚(まこと)先生。
突然の知らせに驚かされはしたものの、
その「死亡通知」はまるで悲哀を漂わせず、
残された人たちへの温かい思いやりとユーモアとに溢れていた。

       *   *

村山先生に初めてお会いしたのは2年前のこと。
その時、すでに89歳になっておられた。

取材依頼をし、数年前から
入居されているという老人ホームへ伺うと、
先生はベッドからよっこらしょ、と起き出して、
1時間だけなら座っていられます、と椅子に腰掛け、
いろいろな話をしてくださった。

「この老人ホームには大先輩がいてね。
 来年98になるおばあさんなんですが、
 私も負けてられませんよ」
と笑みを浮かべておられたのが心に残っている。

その後、先生とは手紙やメールのやりとりをし、
古典の難しい語句などにぶつかると、
電話で教えを請うたりもした。


再会が叶いそうになったのは、それからちょうど1年後のこと。
会社で『孔子の人間学』という本をつくることになり、
ぜひ村山先生にも登場いただこうということになった。

久しぶりに電話をすると、
「私でお役に立てますかどうか……、
 まぁ、それまで一所懸命勉強しておきます」
と言われ、4日後の日曜に訪ねる約束をして電話を切った。

楽しみにしていた当日、電車を乗り継いで駅に着くと、
留守番電話にメッセージが入っている。


電話の主は村山先生。
なんだろう? と受話器を耳に当てると、

「申し訳ありません……。今朝から急に具合が悪くなって……、
 きょうの取材はどうも……、受けられそうにありません……」

と呂律の回らない声で、メッセージが吹き込まれていた。
慌てて折り返したが、電話は繋がらず、そのまま引き返すことにした。

――早く元気になっていただきたい。
そうしたら、またお会いしに行きたい。
その日が来るのをとても楽しみにしている。

先生には、そう手紙を書いて送った。

死亡通知には、ご子息から手紙も添えられてあり、
通知を出すのはご本人たっての希望だったことや、
差出人リストも古くにつくってあったことなどが書かれてあった。

しかしなにぶん急だったこともあり、
そのリストのありかが分からず、
最近手紙のやりとりのあった人宛てに
通知を出すことにしたのだという。


あと2か月で92歳を迎えるという大往生。
最期のときには、笑みさえ浮かべたような
安らかな表情であったという。

先生はご自身でブログも運営しておられたが、
去年の2月に「余命12か月となった」、
そして8月の「余命のカウントダウンはあと7ヶ月」
という記録を最後に、更新は止まっていた。

村山先生にもう一度お目にかかれなかったことは
残念でならないが、不思議と悲しいという気持ちはない。

先生は僕に、いくつになっても学び続けるという姿勢と、
死後の始末を自分自身でつけるということ、
そして、周りの人に笑いとユーモアを残して逝く、
という生き方があることを教えてくださった。


「ありがとうございました。さようなら! 再見!」

 ※これは「冥府通信」ではなく、
  生存中に書いたものですからご安心ください。


手紙はそう結ばれてあった。
人は生きてきたように死んでいく、というのは本当だと思う。



ekomo at 23:32│Comments(1)TrackBack(0)

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この記事へのコメント

1. Posted by すなふきん   2012年05月24日 22:45
生きたようにしか 死んでいけない…確かに そう思います

いきなり すみません

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