言葉

2004年09月16日

老人を敬う日

 来週20日は、敬老の日ということで、近所の花屋へ行ってきた。
 田舎で暮らしている祖母にプレゼントをする予定である。

 本当に気持ちばかりの小さな花束だが、なにぶん初めてのことなので
 喜んでもらえる気がする。ここでどれだけ書いても、ネタばれの
 心配がないのでありがたい。

 ところで僕が最近、違和感を覚える言葉のひとつに、
 「お年寄り(親)を大事にしよう」というものがある。

 もっとも、僕自身、ふとしたスキに、
 「おばあさん(←コモリ家の呼び方)を大事にせんとアカンなぁ」
 と思ったり、ひどい時には友達のおじいちゃんおばあちゃんに
 対してまで、「ちゃんと大事にしてあげや〜」などと、
 利いた風な口をきいている。よく考えれば、とんでもないことだ。

 子どもは、両親や祖父母から大切に育てられこそすれ、
 こちらが「大事にしてあげる」なんて対象では絶対にない。
 最近になって、ようやくそんなことに気がついた。
 初めてプレゼントをしようなんて思い立ったのも、
 きっと同じ理由からだ。


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ekomo at 03:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2004年08月19日

毛筆のライブ

 先週、実家へ帰ったついでに、習字セットを持ち帰ってきた。
 というわけで、今日は念願の毛筆デー。
 さっきまで、扇風機なしの部屋で汗だくになりながら、
 100枚近くの書と取っ組み合っていた。

 いま考えると、子どものころ通っていた習字教室の先生の教えは、
 ちょっと突飛なものだった。

 「とにかく墨をたっぷりつけろ」
 「墨をつけ直すな」
 「筆が割れても、そのままで書け」

 だから、小学校で初めて習字の授業があったときには、ショックを受けた。
 お手本の教科書を真横に置いて、それをいかに忠実に再現できるか
 を競うなんて、面白くもなんともなかった。気持ちがまるで弾まなかった。

 毛筆は、ひと筆目に置いた墨のサイズや、割れた筆の遊びによって、
 独特の臨場感が味わえる。
 書の極意とは、この“二度とは出せない”というライブ感にこそ
 あるのではないだろうか。

 いくら喋りや文章が上手くなろうが、自分の書いた字には
 決してウソをつけない。すべて一度きりの勝負だ。

書

ekomo at 05:42|PermalinkComments(3)TrackBack(0)

2004年08月16日

語源を体感!

 帰省の最終日、友達に頼んで、初サーフィンへ連れて行ってもらった。
 これまで、海は「眺めるだけ」のものだったので、そこで
 遊ぶことができるというのは、僕にはとんでもない体験だった。

 結局、サーフィンの方は難しすぎて手も足も出なかったが、
 ボディボードでは、曲がりなりにも「波に乗る」という
 手応えを肌で感じることができた。
 そして、カンカン照りの日差しで「ひと皮むける」という体験も。

 二つとも、表現としてはよく使う言葉だが、語源となった出来事を
 実際に味わえば、文章に向き合う姿勢がまた一つ変わってくる気がする。
 そして、それをむやみには使えないと思う。

サーフィン

ekomo at 21:57|PermalinkComments(2)TrackBack(0)