「2015 富山の県境周辺を行く」1日目の②

白山白川郷ホワイトロードの無料区間にある
中宮温泉ビジターセンターから少し走ると
料金所があります。
ETCは使用できないので
片道分の1600円を払います。
ここは観光林道
紅葉の季節ということもあって、けっこうな車の量ですが
どの車も速度は控えめで
風景を味わいながらゆったり走行
片側一車線が確保された快適な道が続き、
その要所要所にはしっかりした駐車場があり、
それ以外にも
停められそうなスペースがそれなりにあるので
写真撮影目的の者にとっては、ありがたいです。
ここは標高780mほどの所にある駐車場

遊歩道で谷へ下りると
「姥ヶ滝」と「親谷の湯」があります

白山白川郷ホワイトロードの無料区間にある
中宮温泉ビジターセンターから少し走ると
料金所があります。
ETCは使用できないので
片道分の1600円を払います。
ここは観光林道
紅葉の季節ということもあって、けっこうな車の量ですが
どの車も速度は控えめで
風景を味わいながらゆったり走行
片側一車線が確保された快適な道が続き、
その要所要所にはしっかりした駐車場があり、
それ以外にも
停められそうなスペースがそれなりにあるので
写真撮影目的の者にとっては、ありがたいです。
ここは標高780mほどの所にある駐車場

遊歩道で谷へ下りると
「姥ヶ滝」と「親谷の湯」があります
残念ながら
露天風呂の「親谷の湯」は湧出量が少なくなり
今はポンプで汲み上げて足湯だけになっているそうです
遊歩道の手すりが見えているのがわかるでしょうか・・

階段を下りて50mあまりの高低差を行くようですが
温泉が無いことに加え、今回は先を急ぐので
行くのはやめました
このあたりは紅葉には、まだ少し早いですね

標高を上げながらもう少し走ると見えてくるのが
「ふくべの大滝」

そういえば、何年か前にも
この滝を撮影したことがあるなあ、など思い出します
その正面には、立派な駐車場

すごい岩壁・・
滝の上はどうなっているのでしょうか・・

この時は晴天が続いていたので
水量は少なめ??

落差86m!
滝の上方にもう一つ滝がある二段の大滝ということで

「ふくべ(瓢箪:ひょうたん)の滝」と呼ばれているそうです
駐車場は標高950mくらいなので
滝の上辺りはおそらく1000mを越えているでしょう

上の木々は、色つきも進んできています
さらに車を走らせると
次第に山の斜面がオレンジ色に変わり
いよいよ紅葉という雰囲気が出てきて

そのまま快調に
標高を上げながら次の駐車場までくると

一気に紅葉モード!

なかなかのものです

秋といえば
ススキも忘れてはいけませんね

そして
岐阜県境の少し手前にある
「とがの木台駐車場」


ここからは道の向こうに

遠く
霊峰白山を臨むことができます

左から順にアップにしてみました

案内看板には「御膳峰」「剣ヶ峰」「大汝峰」とありますが

写真と比べても
わかりませんでした・・
爽やかな秋の空と紅葉
そしてうっすらと雪化粧をした白山

印象に残る秋の風景となりました
そして
三方岩岳(標高1736m)と
瓢箪山(標高1637.1m)の鞍部にある
県境の隧道(標高約1460m)を抜けて、岐阜県に入ります。
そのトンネルを出たすぐの所にあるのが
「三方岩駐車場」
ここは車がいっぱいで、混雑していました

早く逃げ出さないと!
など思っていたのですが
少しだけ撮影

残念ながら
あまり景観はよくありません
ここから
ちょうど北に6〜7kmほどの所に
あの「加須良」集落跡があるはずなのですが
展望台からは見えず・・
少し登れば「加須良」集落跡が見えるよ
と
以前教えていただいたことがあるのですが
この日は人も多く
先を急ぐということもあり
早々に退散することにしました。
そして
ホワイトロードをクネクネと下っていくのですが、
岐阜県側は石川県側のような山深さは、それほど感じません
かつての合掌集落「馬狩」跡あたりに
「トヨタ白川郷自然学校」の関連施設なのでしょうか、
合掌造りの風の建物が新たに建てられていたのには驚きました。
(写真撮影はしていません・・)
「馬狩」集落を再現したものなのでしょうか
通り過ぎただけなので確認できていませんが
7年前に訪れた時とは
ずいぶんと雰囲気が変わっていました

上の写真は7年前(2008年)の時の写真で
露天風呂の「親谷の湯」は湧出量が少なくなり
今はポンプで汲み上げて足湯だけになっているそうです
遊歩道の手すりが見えているのがわかるでしょうか・・

階段を下りて50mあまりの高低差を行くようですが
温泉が無いことに加え、今回は先を急ぐので
行くのはやめました
このあたりは紅葉には、まだ少し早いですね

標高を上げながらもう少し走ると見えてくるのが
「ふくべの大滝」

そういえば、何年か前にも
この滝を撮影したことがあるなあ、など思い出します
その正面には、立派な駐車場

すごい岩壁・・
滝の上はどうなっているのでしょうか・・

水量は少なめ??

落差86m!
滝の上方にもう一つ滝がある二段の大滝ということで

「ふくべ(瓢箪:ひょうたん)の滝」と呼ばれているそうです
駐車場は標高950mくらいなので
滝の上辺りはおそらく1000mを越えているでしょう

上の木々は、色つきも進んできています
さらに車を走らせると
次第に山の斜面がオレンジ色に変わり
いよいよ紅葉という雰囲気が出てきて

そのまま快調に
標高を上げながら次の駐車場までくると

一気に紅葉モード!

なかなかのものです

秋といえば
ススキも忘れてはいけませんね

そして
岐阜県境の少し手前にある
「とがの木台駐車場」


ここからは道の向こうに

遠く
霊峰白山を臨むことができます

左から順にアップにしてみました

案内看板には「御膳峰」「剣ヶ峰」「大汝峰」とありますが

写真と比べても
爽やかな秋の空と紅葉
そしてうっすらと雪化粧をした白山

印象に残る秋の風景となりました
そして
三方岩岳(標高1736m)と
瓢箪山(標高1637.1m)の鞍部にある
県境の隧道(標高約1460m)を抜けて、岐阜県に入ります。
そのトンネルを出たすぐの所にあるのが
「三方岩駐車場」
ここは車がいっぱいで、混雑していました

早く逃げ出さないと!
など思っていたのですが
少しだけ撮影

残念ながら
あまり景観はよくありません
ここから
ちょうど北に6〜7kmほどの所に
あの「加須良」集落跡があるはずなのですが
展望台からは見えず・・

と
以前教えていただいたことがあるのですが
この日は人も多く
先を急ぐということもあり
早々に退散することにしました。
そして
ホワイトロードをクネクネと下っていくのですが、
岐阜県側は石川県側のような山深さは、それほど感じません
かつての合掌集落「馬狩」跡あたりに
「トヨタ白川郷自然学校」の関連施設なのでしょうか、
合掌造りの風の建物が新たに建てられていたのには驚きました。
(写真撮影はしていません・・)
「馬狩」集落を再現したものなのでしょうか
通り過ぎただけなので確認できていませんが
7年前に訪れた時とは
ずいぶんと雰囲気が変わっていました

上の写真は7年前(2008年)の時の写真で
馬狩分校跡の校門です
ホワイトロードを出た後は
白川村にただ一つのコンビニで(他にもあったら、すいません)
ホワイトロードを出た後は
白川村にただ一つのコンビニで(他にもあったら、すいません)
少し遅い昼食をとり、
今回の目的の一つである「水無」集落跡を目指します
まずは
「水無」に至るための牛首林道の起点へ行き
通れるかどうかを確認
しかし
やはり今回も工事中・・

工事のお邪魔になってはいけないので
すんなりと諦めることにしました

よく見るこの看板の絵、
お辞儀をしているというより

体をブルブル揺すっているように見えるのは
私だけでしょうか
それにしても
なかなかご縁の無い、牛首林道です・・

その林道起点あたりにある
美しい合掌造り家屋の風景にしばし見とれた後、
それならば と

北へ進んで
五箇山から利賀村に入り、
そこから県道34号線を南下して「大勘場」に入って
さらに南進して「水無」へ向ってみることにしました
庄川沿いの道を下流(北)に進んで
岐阜から富山に入り
祖山ダム湖の上流あたりから山(東)に入り
新山の神トンネルを通って利賀川沿いの道へと出るわけです
下はその周辺の地図です
青い線が行こうとしているルートで
起点が「鳩谷(岐阜県大野郡白川村)」
終点が「水無(富山県南栃市利賀村)」 となっています
※グレーの線は関係ありません
今回の目的の一つである「水無」集落跡を目指します
まずは
「水無」に至るための牛首林道の起点へ行き
通れるかどうかを確認
しかし
やはり今回も工事中・・

工事のお邪魔になってはいけないので
すんなりと諦めることにしました

よく見るこの看板の絵、
お辞儀をしているというより

体をブルブル揺すっているように見えるのは
私だけでしょうか
それにしても
なかなかご縁の無い、牛首林道です・・

その林道起点あたりにある
美しい合掌造り家屋の風景にしばし見とれた後、
それならば と

北へ進んで
五箇山から利賀村に入り、
そこから県道34号線を南下して「大勘場」に入って
さらに南進して「水無」へ向ってみることにしました
庄川沿いの道を下流(北)に進んで
岐阜から富山に入り
祖山ダム湖の上流あたりから山(東)に入り
新山の神トンネルを通って利賀川沿いの道へと出るわけです
下はその周辺の地図です
青い線が行こうとしているルートで
起点が「鳩谷(岐阜県大野郡白川村)」
終点が「水無(富山県南栃市利賀村)」 となっています
※グレーの線は関係ありません
このあたりは以前よく走りました。
途中、岐阜と富山が交互に何度も入れ替わったり
合掌集落があったり
越中桂・飛騨加須良へと向う境川ダムへの道があったり
などなど、見所の大変多い所です
そして今でも残っているだろうかと思って心配だった
「小白川分校」の木造校舎ですが、
これも健在でした
正式名は、白川村立白川小学校小白川分校で
平成4年の廃校です。

今回は通り過ぎただけなので
上の写真は2006年に撮影したものです
そして大回りすること45km、
ようやく
利賀川沿いの最奥の山峡集落「大勘場」に到着
そこからさらに
県道34号線を南下しようとすると

通行止めの表示!
でも、いける所まで行ってみようと進みます

すると県道34号線は完全にゲートで封鎖

それではと
分岐している牛首林道に入って少し進んでみたものの
ナビを見ると、このルートはいったん県境の牛首峠へ向い
そこから「水無」しに向うという
大変大回りのルート

その距離は18kmで
荒れた林道を思うと
「水無」まで通れるかどうかもわかりません。
辿り着けたとしても、すでに撮影時には薄暗く
そこからまた
戻ってこなければならないことを考えると、
とても時間が足りそうにありません。
ということで「水無」は無理と判断し
周辺の山村を少し散策することにしました
で
現在の最奥集落である「大勘場」です
正式にいうと「奥大勘場」ということになります。
「大勘場」は
「奥大勘場」「桂尾」「千束」「中口」「田ノ島」の5つの集落からなり
その一番奥の「奥大勘場」です
この「奥大勘場」からは、戦後の開拓事業で
滋賀県に入植された方がおられます。
そのあたりのことは
たまに一言のあしあと「#225 開拓者」
や、このブログの
2012 富山・岐阜県境への旅2 〜寺崎先生の講演会と「奥大勘場」〜
でご紹介していますので
興味のお持ちの方は、併せてご覧いただければと思います。
これは
坂上小学校奥大勘場分校の校舎跡です

昭和52年度より休校となり、平成8年に閉校
以前、ここをご使用になっている方にお話をうかがったのですが
すでに冬の準備が終わっているようで、
この日は、もうおられませんでした

その時のお話では
「奥大勘場」には冬場にも人がおられるので
除雪もされているとのことでしたが
今はどうなのでしょうか
昭和54年発行の
『角川日本地名大辞典』には
「奥大勘場」については8戸35人の表記があります。
今は何人がお住まいなのかうかがってみたかったのですが
この日は、どなたとも出会うことはありませんでした
国土地理院の電子国土WEBより
空撮写真で1970年代と今の「大勘場」を比較してみました。
2枚の写真を比べると
集落周辺には田畑があったことがよくわかります。
下の写真は1974年〜78年の間の撮影です

※国土地理院 電子国土WEBより
下の写真は2007年以降の撮影の同地点です

※国土地理院 電子国土WEBより
今は、覆われた深い緑の木々の間から
辛うじて家屋が見えるという状況です。
高い杉などの木の多い所は
日差しが遮られ薄暗くなります

ただでさえ周囲が山に囲まれて日の短い所ですので
日差しは、さらに限られてしまうことでしょう


でもそのわずかな日の光を受けて
こうした季節の植物が花を咲かせています


なんだかホッとするとともに

人の温かみを感じたりします
八幡神社の鳥居には真新しい注連縄(しめなわ)


春祭や秋祭などの時には
村を離れた人たちも集まってくるのでしょう
南栃市営バスの利賀井波線の大勘場バス停です

この市営バスの発着ですが
大勘場発は朝・昼1本ずつ
大勘場着は昼・夕1本ずつなのですが
いずれもデマンド方式で
予約があった時のみの運行となるようです。
つまり
予約が無い限り、ここにはバスは来ないのです。
という
「奥大勘場」でした
この後は、利賀川を下流(北)へ向うのですが
ふと見ると川を挟んだ対岸に家屋が見えたので
行ってみることにしました
富山県の廃村を調査報告した
『村の記憶(桂書房)』という秀逸な書籍がありますが
それに、この利賀川沿いの廃村のことも書かれており、
おそらくその内の一つと思われます
いったん谷に下りていくと橋があります

集落へ渡る橋の横には
昔使われていたであろう吊り橋の遺構らしきものが残っています
程なくして、いくつかの家屋が見えてきます

しかし、どこも

現在居住中の所は無いようです

その中で
たいそう立派な家屋が一軒

記念植樹か何かでしょうか
木柱碑が建てられているので見に行ってみると

「◯◯◯園利賀村移動授業25周年記念植樹」と書かれています

帰宅後に先出の書『村の記憶』で調べてみたところ、
東京にある短期大学の保育科の学生さんたちが
ここで移動授業をされていたことが、わかりました。
以前はここで宿泊もされていたようですが、
その後は他所の民宿で泊まり
アトリエと呼ばれるこの場所で学習活動を されているようです。
その25周年の記念植樹の碑だったんですね。

きれいに整備されているところを見ると
今も活動で使用されているのでしょう
それにしても
東京からここにやってきた学生さんたちは
この山深い地の廃村を訪れて
どのような感想を持たれたのでしょうか。
きっと貴重な体験をされたことと思います。
ちなみに、『村の記憶』によりますと
この「田ノ島」、
以前は川の西側にも民家があったそうですが
表層雪崩の被害に遭って
そのお宅も東側に移ったとあります。
下の空撮写真は1974年〜78年に撮影されたものです
ポツポツある家屋の周りに田が広がっています
※国土地理院 電子国土WEBより
かつては11軒もの家が建ち並び
冬季分校もあったのですが
昭和49年に1軒となり
その3年後には最後の1軒も村を離れ
遂には無住の集落となってしまったようです。
ですので
上の空撮写真の撮影の頃には
もう「田ノ島」には、
人が住んでいるお宅は1軒だけになっていたのですね
『角川日本地名大辞典』では
「田島」と表記され、1戸6人というように
記されていました。
今も道ばたの石垣の上には、石仏があります

観音様でしょうか
厳しい自然条件の中で村を守り続けた人々や
道を行き交う旅人たちの
心の支えとなっていたことでしょう

そして今も
静かになった村を見守ります
年に数日か
たくさんの学生がやってくる日を
心待ちにしているのかも知れません
ということで
この後は

R471、R472を目指してウロウロし
楢峠行きを確認してみたのですが、
ここも工事で通行止めのため断念

途中、
道に飛び出してきたニワトリを轢きかけて驚いたりしながらも
結局、北陸自動車道の流杉PAで泊をすることにしました
少し走ってサブバッテリーを充電したかったのと
周辺に適当な道の駅が見つからなかったということ、
そして明日の食糧購入や有峰行きを考えての選択です

なんだか富山には道の駅が少ないような気がするのですが
縁が無かったのかもしれません・・??
調べてみると
富山県の道の駅数は14で全国36位でした
よく行く北海道、岐阜が多いので
少なく感じたのかもしれません
ということで
流杉PAで泊をしながら
「2015 富山の県境周辺を行く1の②」は終了!
※画像をクリックすると拡大表示します
途中、岐阜と富山が交互に何度も入れ替わったり
合掌集落があったり
越中桂・飛騨加須良へと向う境川ダムへの道があったり
などなど、見所の大変多い所です
そして今でも残っているだろうかと思って心配だった
「小白川分校」の木造校舎ですが、
これも健在でした
正式名は、白川村立白川小学校小白川分校で
平成4年の廃校です。

今回は通り過ぎただけなので
上の写真は2006年に撮影したものです
そして大回りすること45km、
ようやく
利賀川沿いの最奥の山峡集落「大勘場」に到着
そこからさらに
県道34号線を南下しようとすると

通行止めの表示!
でも、いける所まで行ってみようと進みます

すると県道34号線は完全にゲートで封鎖

それではと
分岐している牛首林道に入って少し進んでみたものの
ナビを見ると、このルートはいったん県境の牛首峠へ向い
そこから「水無」しに向うという
大変大回りのルート

その距離は18kmで
荒れた林道を思うと
「水無」まで通れるかどうかもわかりません。
辿り着けたとしても、すでに撮影時には薄暗く
そこからまた
戻ってこなければならないことを考えると、
とても時間が足りそうにありません。
ということで「水無」は無理と判断し
周辺の山村を少し散策することにしました
で
現在の最奥集落である「大勘場」です
正式にいうと「奥大勘場」ということになります。
「大勘場」は
「奥大勘場」「桂尾」「千束」「中口」「田ノ島」の5つの集落からなり
その一番奥の「奥大勘場」です
この「奥大勘場」からは、戦後の開拓事業で
滋賀県に入植された方がおられます。
そのあたりのことは
たまに一言のあしあと「#225 開拓者」
や、このブログの
2012 富山・岐阜県境への旅2 〜寺崎先生の講演会と「奥大勘場」〜
でご紹介していますので
興味のお持ちの方は、併せてご覧いただければと思います。
これは
坂上小学校奥大勘場分校の校舎跡です

昭和52年度より休校となり、平成8年に閉校
以前、ここをご使用になっている方にお話をうかがったのですが
すでに冬の準備が終わっているようで、
この日は、もうおられませんでした

その時のお話では
「奥大勘場」には冬場にも人がおられるので
除雪もされているとのことでしたが
今はどうなのでしょうか
昭和54年発行の
『角川日本地名大辞典』には
「奥大勘場」については8戸35人の表記があります。
今は何人がお住まいなのかうかがってみたかったのですが
この日は、どなたとも出会うことはありませんでした
国土地理院の電子国土WEBより
空撮写真で1970年代と今の「大勘場」を比較してみました。
2枚の写真を比べると
集落周辺には田畑があったことがよくわかります。
下の写真は1974年〜78年の間の撮影です

※国土地理院 電子国土WEBより
下の写真は2007年以降の撮影の同地点です

※国土地理院 電子国土WEBより
今は、覆われた深い緑の木々の間から
辛うじて家屋が見えるという状況です。
高い杉などの木の多い所は
日差しが遮られ薄暗くなります

ただでさえ周囲が山に囲まれて日の短い所ですので
日差しは、さらに限られてしまうことでしょう


でもそのわずかな日の光を受けて
こうした季節の植物が花を咲かせています


なんだかホッとするとともに

人の温かみを感じたりします


春祭や秋祭などの時には
村を離れた人たちも集まってくるのでしょう
南栃市営バスの利賀井波線の大勘場バス停です

この市営バスの発着ですが
大勘場発は朝・昼1本ずつ
大勘場着は昼・夕1本ずつなのですが
いずれもデマンド方式で
予約があった時のみの運行となるようです。
つまり
予約が無い限り、ここにはバスは来ないのです。
という
「奥大勘場」でした
この後は、利賀川を下流(北)へ向うのですが
ふと見ると川を挟んだ対岸に家屋が見えたので
行ってみることにしました
富山県の廃村を調査報告した
『村の記憶(桂書房)』という秀逸な書籍がありますが
それに、この利賀川沿いの廃村のことも書かれており、
おそらくその内の一つと思われます
いったん谷に下りていくと橋があります

集落へ渡る橋の横には
昔使われていたであろう吊り橋の遺構らしきものが残っています
今の橋には
「たのしまばし」の文字

ここは大勘場の5つの集落の一つ
「田ノ島(田島)」
だったようです
橋を渡って再び勾配を登っていくと「たのしまばし」の文字

「田ノ島(田島)」
だったようです
程なくして、いくつかの家屋が見えてきます

しかし、どこも

現在居住中の所は無いようです

その中で
たいそう立派な家屋が一軒

記念植樹か何かでしょうか
木柱碑が建てられているので見に行ってみると

「◯◯◯園利賀村移動授業25周年記念植樹」と書かれています

帰宅後に先出の書『村の記憶』で調べてみたところ、
東京にある短期大学の保育科の学生さんたちが
ここで移動授業をされていたことが、わかりました。
以前はここで宿泊もされていたようですが、
その後は他所の民宿で泊まり
アトリエと呼ばれるこの場所で学習活動を されているようです。
その25周年の記念植樹の碑だったんですね。

きれいに整備されているところを見ると
今も活動で使用されているのでしょう
それにしても
東京からここにやってきた学生さんたちは
この山深い地の廃村を訪れて
どのような感想を持たれたのでしょうか。
きっと貴重な体験をされたことと思います。
ちなみに、『村の記憶』によりますと
この「田ノ島」、
以前は川の西側にも民家があったそうですが
表層雪崩の被害に遭って
そのお宅も東側に移ったとあります。
下の空撮写真は1974年〜78年に撮影されたものです
ポツポツある家屋の周りに田が広がっています

かつては11軒もの家が建ち並び
冬季分校もあったのですが
昭和49年に1軒となり
その3年後には最後の1軒も村を離れ
遂には無住の集落となってしまったようです。
ですので
上の空撮写真の撮影の頃には
もう「田ノ島」には、
人が住んでいるお宅は1軒だけになっていたのですね
『角川日本地名大辞典』では
「田島」と表記され、1戸6人というように
記されていました。
今も道ばたの石垣の上には、石仏があります

観音様でしょうか
厳しい自然条件の中で村を守り続けた人々や
道を行き交う旅人たちの
心の支えとなっていたことでしょう

そして今も
静かになった村を見守ります
年に数日か
たくさんの学生がやってくる日を
心待ちにしているのかも知れません
ということで
この後は

R471、R472を目指してウロウロし
楢峠行きを確認してみたのですが、
ここも工事で通行止めのため断念

途中、
道に飛び出してきたニワトリを轢きかけて驚いたりしながらも
結局、北陸自動車道の流杉PAで泊をすることにしました
少し走ってサブバッテリーを充電したかったのと
周辺に適当な道の駅が見つからなかったということ、
そして明日の食糧購入や有峰行きを考えての選択です

なんだか富山には道の駅が少ないような気がするのですが
縁が無かったのかもしれません・・??
調べてみると
富山県の道の駅数は14で全国36位でした
よく行く北海道、岐阜が多いので
少なく感じたのかもしれません
ということで
流杉PAで泊をしながら
「2015 富山の県境周辺を行く1の②」は終了!
※画像をクリックすると拡大表示します






















