2015 富山の県境周辺を行く2日目の①

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流杉PAの朝は爽やか
この日も、秋晴れのいい日が続きそうです

今日は有峰林道(有料林道:富山県富山市)に入り
林道からの風景や、ダム底に消えた村「有峰」の資料などを
見にいくつもりです

日の出を見たい!

と思っていたのですが、
目が覚めたのは7時前で、既に日の出は終了

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それでも朝の立山連峰の風景を見よう

前日に買っておいたパンを食べ
流杉PAを出発

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下に地図を載せてみました
オレンジ色の道が有峰林道で有料区間です。
ご覧のように、北の富山側から2本
南の岐阜側から2本の進入路があります。


しかし
岐阜県とを結ぶ進入路の
左(西)側の大多和峠からの道は数年前に閉鎖されてしまい
もう、そこから入ることはできません

そういえば10年ほど前(2005年)、
神岡町の「土」「跡津川」「佐古」を経て
「大多和」集落を訪れました。

051009岐阜神岡「大多和」036

大変静かで
ラジオの音だけが大きく流れていたのを覚えています。
作業に帰ってこられている方の
獣よけの手段だったのかも知れません 

その「大多和」訪問の後
そのまま有峰林道へ抜けようかとも思ったのですが
天候もイマイチ良くないので
諦めた記憶があります。

ところが、
そのすぐ後に、大多和峠から有峰の道が閉鎖されてしまい
今思うと、無理してでも行っておけば良かった・・
など後悔しております。

051009岐阜神岡「大多和」024

その先の有峰林道への道は未舗装で
結構荒れていたという記憶がありますが
通行止めなどの表示は無く
その時はまだ通れたようです。

岐阜県側からは
立派な道のついている
神岡町「打保」からの飛越トンネル経由の道が
メインになったのでしょうね。
先ほどの地図でいうと
岐阜県側からの右(東)側の道です

070729岐阜「有峰(~山の村)」023

ちなみにこの飛越隧道、
冬場はこうして完全に塞がれてしまいます

061225岐阜・山之村「飛越トンネル」24

で、今回ですが

下の案内図にある
富山県側の「有峰林道小口川線」から
林道に入ることにします。

そして、帰路に小見線を利用し
そこにある民俗資料館に立ち寄るという計画です

まずは
小口川線の入り口である「水須」を目指します

070729岐阜「有峰(~山の村)」124
※画像をクリックすると拡大表示します
有峰記念館の案内図(2007年撮影)より

その途中、
立山連峰のシルエットが見えたので、少し撮影

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この風景を見るだけで

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富山県のことを
好きになってしまいます

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上の方には雪

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まだ10月中旬なのに、さすがですね
 

次は
常願寺川沿いの「新町」という所からの撮影です

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下に流れているのが常願寺川

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見えている集落は
横江野開(中新川郡立山町)だと思います

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見事なシルエットですが
一つ一つの山の名前はわかりません

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だから、立山連峰なのです


有峰ダム湖は
どのあたりになるのでしょうか 

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わかりません・・




山間部に入ってゆき
もう少しで料金所、というところで出合ったのが
料金所のすぐ手前にある
「水須」の集落

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『角川日本地名大辞典』によると
9世帯37人となっています。
昭和50年代の頃です。

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でも
実はこの「水須」集落、
以前はもっと山深い地にありました。

下の地図の「旧・水須」(昭和22年廃村)が、それです

水須と旧水須
※画像をクリックすると拡大表示します
「国土地理院 電子国土WEB」より

『村の記憶(桂書房)』によりますと
「旧・水須」は
古道である有峰往来(うれ往来)の入り口に当たる所に位置し、
ここまでの道は馬で来れるものの
その先の「有峰」までは馬は使えず
人々は
高杉山を越え1日かけて歩いたといいます。
また「旧・水須」からは
「小原」と「河戸」とをつなぐ東西の道ものびており、
つまり
「旧・水須」集落は
ちょうど2つの途が交差する地点でもあったようです。

今でこそ人が踏み入れることも無いような山奥ですが、
その昔は 飛騨へ抜ける重要な道の、
「旧・水須」は口留番所(藩の関所) のある
重要な役目を持った村だった んですね。

ただ『角川日本地名大辞典』には、
安政3年の古文書の記述として
「有峰に入る役人以外の商人の通行もなく、
ただ有峰村のものが御収納皆済と
板(へぎいた)を搬出するために通行」
ということも書かれています。 

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大山町教育委員会発行の『ふるさと再発見1』にも
「旧・水須」のことが書かれています。
それによると
「旧・水須」は有峰往来の宿屋をしたり、木呂切りをしたり、
炭焼きをしたり、若干の畑を耕して暮らしていたとあります。

子どもたちの小学校は、
当初は小原分校に通っていたようですが
大正6年頃に北にある牧小学校に切り替えられています。
また
「有峰」集落がダム建設のために大正10年に移住を始め、
昭和3年に閉村となります。

これら周囲の状況が変わるとともに
有峰往来をはじめ、「旧・水須」周辺の道も廃れ
人々の生活に、大きな不安が出てきたことでしょう。

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『ふるさと再発見1』には、
有峰往来が寂れ、子どもたちの通学が不便となり、
村には熊が出没して家の中に入るようになり、
狢(ムジナ)が出没して家々の障子を撫でて女、子供を不安がらせたり、
木呂出しにも、木炭を搬出するにも、奥地の不便が重なり、
加えて川戸にトロッコ道ができるようになり
昭和17〜18年には3戸が転出し、次々と村を下りる者が続き、
同22年に最後の1軒が転出して、水須村は廃村となった
などというようなことが記されています。

ここに書かれている狢ですが
通常ムジナはアナグマのことをいうようですが
ここでは
寂しき山奥の孤村ゆえ
不安と恐れを募らせる人々の心情を
妖怪ともおもえるような獣の存在で示しているのかもしれません

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こうして深い山腹の地から移転していった「水須」ですが、
新たな地でも、やはり時代の浪が押し寄せてきます

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今の村の風景を見ると
集落の最奥には事務所風の建物がありますが

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古くからの民家の傷みは激しく
もう住む人はないようです。

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白く染まる冬を前に
彩りを見せるこうした植物に
 
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かつてあった
人の温かみを感じます

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あと2週間もして11月に入る頃には
有峰林道も閉鎖され、
翌年の開通までこの静かな村は
さらに静かになるのでしょう 

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その「水須」を通り過ぎると 
有峰林道小口川線の料金所 です

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紅葉を期待しながら
車を走らせます



というところで


2015 富山の県境周辺を行く2日目の①

終了!

富山県周辺地図ルート2の①
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