「2015 富山の県境周辺を行く」3日目の②

折立キャンプ場を出た後は
そのまま有峰林道小見線で亀谷(かめがい)方面に向かい
林道を出ます
そして
料金所を出て少し走り
「富山市大山歴史民俗資料館」
(富山市亀谷1番地)
を訪れました
資料館では、ちょうど
『有峰を知ろう Ⅱ』
(平成27年9月15日〜12月6日)
という企画展が開催中で
なんともいいタイミングでの訪問
先日ビジターセンターでうかがった、
実物があるという有峰の木製狛犬、
それと『有峰の記憶』(桂書房)などの資料も
見てみたいと思っています

この資料館ですが、
平成の市町村大合併(2005年)で
大山町が富山市と合併
そのため
「大山町歴史民俗資料館」から
「富山市大山歴史民俗資料館」に
なっています
旧の地名で言うなら
有峰は上新川郡(かみにいかわぐん)大山町だったんですね

入り口で入館料を払う際に
写真撮影と、その写真のブログでの使用許可をお願いしたところ
「ええ、撮影はフラッシュを焚かなければいいですよ。
(出展を明らかにした上で)ブログ使用も大丈夫です。
宣伝してやってください」
と快諾いただきました。
こういうのは初めてだそうです。
そういえばこれまでにもいくつかの資料館などで
こういったブログでの写真使用のお願いをしてきましたが
「(ブログでの写真使用許可の申し出は)初めてです」
と返ってくることが、けっこうあったように思います。
この時の館内は私1人
じっくりと見ることができました。
資料館という名前の通り、
郷土ならではの貴重な資料がいっぱいで
特に
企画展『有峰を知ろう Ⅱ』は感動もの!
その中の、たくさんの展示資料の中から
有峰に関するものを、
『有峰の記憶』(桂書房)の記述も参考にしながら
一部ご紹介します。

なお、展示物は
当方の撮影の際の反射や歪みで
見づらくなっているものがあります。
また、先にご紹介しました
有峰記念館ならびにビジターセンターの展示と
重複しているものもあります。
ご了承ください
「大山の歴史」
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
有峰に関するものを拾ってみると
・1334年(建武元) 有峰、最初の狛犬を造る
・1390年(明徳元) 有峰村に薬師信仰が入る
・1585年(天正13) 江馬氏が金森長近に滅ぼされ、
河上富信、有峰に逃れる
・1595年(文禄4) 有峰に年貢割付状下付される
・1643年(寛永20) この頃、水須・奥山口留番所設けられる
1837年(天保8) 凶作、大飢饉 有峰12戸となる
1920年(大正9) 有峰山林を、県が買収
1921年(大正10) 有峰村解村
1937年(昭和12) 有峰ダム工事着手
1961年(昭和36) 有峰ダム完成
2000年(平成12) 有峰狛犬、松本市より返還される
などがありました。
有峰ダム工事着手(昭和12)から完成(昭和36)までが
24年もかかっているのは
途中、戦争のため中断されていたからです
下の写真は
ダム工事着手されたものの
長らく中断されていた有峰ダムの
堤体コンクリートです

※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
戦後再び工事再開されたダム工事。
下の写真には、52%打設と書かれています

※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
打設の進捗状況
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
画像をクリックすると拡大表示します
昭和36年の完成ということは
でき上がってからもう
50年以上も過ぎていることになります。
凄い、と思う一方で
老朽化は大丈夫なのか・・という思いも湧いてきます
ダムの寿命って
どれくらいなのでしょう
「有峰の歴史」
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
画像をクリックすると拡大表示します
戸数変化の棒グラフを見ると
有峰村では戸数の激減が3回
そのいずれもが
飢饉などによる凶作での逃散や餓死
ということがわかります。
元々、寒い気候のため米を作ることはできず
稗柞に頼る状況
食糧の自給率も極めて低いため
戸数13戸が厳守されるようになったようです。
大方が自分たちの生産するものを食べて生きる
自給生活
それだけに、自然の影響が大変大きいのでしょう

折立キャンプ場を出た後は
そのまま有峰林道小見線で亀谷(かめがい)方面に向かい
林道を出ます
そして
料金所を出て少し走り
「富山市大山歴史民俗資料館」
(富山市亀谷1番地)
を訪れました
資料館では、ちょうど
『有峰を知ろう Ⅱ』
(平成27年9月15日〜12月6日)
という企画展が開催中で
なんともいいタイミングでの訪問
先日ビジターセンターでうかがった、
実物があるという有峰の木製狛犬、
それと『有峰の記憶』(桂書房)などの資料も
見てみたいと思っています

この資料館ですが、
平成の市町村大合併(2005年)で
大山町が富山市と合併
そのため
「大山町歴史民俗資料館」から
「富山市大山歴史民俗資料館」に
なっています
有峰は上新川郡(かみにいかわぐん)大山町だったんですね

入り口で入館料を払う際に
写真撮影と、その写真のブログでの使用許可をお願いしたところ
「ええ、撮影はフラッシュを焚かなければいいですよ。
(出展を明らかにした上で)ブログ使用も大丈夫です。
宣伝してやってください」
と快諾いただきました。
こういうのは初めてだそうです。
そういえばこれまでにもいくつかの資料館などで
こういったブログでの写真使用のお願いをしてきましたが
「(ブログでの写真使用許可の申し出は)初めてです」
と返ってくることが、けっこうあったように思います。
この時の館内は私1人
じっくりと見ることができました。
資料館という名前の通り、
郷土ならではの貴重な資料がいっぱいで
特に
企画展『有峰を知ろう Ⅱ』は感動もの!
その中の、たくさんの展示資料の中から
有峰に関するものを、
『有峰の記憶』(桂書房)の記述も参考にしながら
一部ご紹介します。

なお、展示物は
当方の撮影の際の反射や歪みで
見づらくなっているものがあります。
また、先にご紹介しました
有峰記念館ならびにビジターセンターの展示と
重複しているものもあります。
ご了承ください
「大山の歴史」

有峰に関するものを拾ってみると
・1334年(建武元) 有峰、最初の狛犬を造る
・1390年(明徳元) 有峰村に薬師信仰が入る
・1585年(天正13) 江馬氏が金森長近に滅ぼされ、
河上富信、有峰に逃れる
・1595年(文禄4) 有峰に年貢割付状下付される
・1643年(寛永20) この頃、水須・奥山口留番所設けられる
1837年(天保8) 凶作、大飢饉 有峰12戸となる
1920年(大正9) 有峰山林を、県が買収
1921年(大正10) 有峰村解村
1937年(昭和12) 有峰ダム工事着手
1961年(昭和36) 有峰ダム完成
2000年(平成12) 有峰狛犬、松本市より返還される
などがありました。
有峰ダム工事着手(昭和12)から完成(昭和36)までが
24年もかかっているのは
途中、戦争のため中断されていたからです
下の写真は
ダム工事着手されたものの
長らく中断されていた有峰ダムの
堤体コンクリートです

※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
戦後再び工事再開されたダム工事。
下の写真には、52%打設と書かれています

※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
打設の進捗状況
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
画像をクリックすると拡大表示します
昭和36年の完成ということは
でき上がってからもう
50年以上も過ぎていることになります。
凄い、と思う一方で
老朽化は大丈夫なのか・・という思いも湧いてきます
ダムの寿命って
どれくらいなのでしょう
「有峰の歴史」
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
画像をクリックすると拡大表示します
戸数変化の棒グラフを見ると
有峰村では戸数の激減が3回
そのいずれもが
飢饉などによる凶作での逃散や餓死
ということがわかります。
元々、寒い気候のため米を作ることはできず
稗柞に頼る状況
食糧の自給率も極めて低いため
戸数13戸が厳守されるようになったようです。
大方が自分たちの生産するものを食べて生きる
自給生活
それだけに、自然の影響が大変大きいのでしょう
有峰集落の見取り図を拡大してみました
12戸になってからのものです
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
川は右(南)が上流、
岐阜との県境になります
こうして見ると
2つ川が合流する盆地に民家が点在していた
そんな感じだったのでしょう。
写真の拡大です
上の見取り図とあわせてみると
村在りし頃のイメージが持ちやすくなりますね。

※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
それぞれの家が密接せず、距離を置いて建てられているのは
火事などの際の類焼を避けるためだそうです
有峰はたいへんな豪雪地帯
冬場には大方が雪で埋もれてしまうものと思われますが
その間は、周囲とは全く隔絶された状態となります。
冬の暮らしはいかなるものだったのでしょう・・
「有峰の狛犬」
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
画像をクリックすると拡大表示します
阿吽の2対8体のこれらの狛犬は
先の見取り図でいうと
2つの谷の合流点あたりにある東谷宮の本殿に
置かれていたそうです
クマ

※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
江戸末期〜明治前期頃の製作で
一番新しく作られたものです
ヌエ


※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より室町後期の製作です
ヌエという妖怪がありますが
それをイメージして作られたものなのでしょうか
シシ


※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より室町中期の製作で
有峰では一番前に置かれていたそうです
サル


※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より鎌倉末期の製作なので
一番古く制作されたものということになります
傷みが大きいのもそのためでしょうか
これらの狛犬たち、
有峰閉村後は外部の個人の方が所有されていたようですが、
それが昭和32年に松本市博物館で保管されるようになった後
平成12年に旧・大山町に70年ぶりに帰ってきています
返還の際には、この資料館で
企画展『よみがえる有峰の狛犬と歴史文化』が催され
一方、同年に松本市立博物館では
『狛犬さよなら展』が催されたといいますから
互いの、狛犬に対する温かい思いを感じますね
何百年にわたり有峰の人々に大切にされ
大変素朴な、どこか愛嬌も感じるこれらの狛犬、
初めて写真を見た時から、ぜひ実物を見たいと思っていました。
この日、こうして見ることができ
大変嬉しく感じました
「有峰の懸仏(かけぼとけ)」
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
画像をクリックすると拡大表示します
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
これも狛犬と同様、東谷宮に祀られていました。
先の年表に「1585年、河上富信が有峰に逃れる」とありますが
その家臣の家に伝来していたものだそうです。
ただ、その家が断絶したことで
その後は
1年交代で各戸が保管していたとあります
なお製作年、製作者とも
正確なことはわかっていないようです
「伊勢代参」
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
画像をクリックすると拡大表示します
出発は11月の雪の降り始める頃、
2人で
往復640kmの道のりを20日間で行きます。
書かれている道順ですが
今でいうと
大多和峠を経て国道41号線に出た後は
ひたすら南下して愛知まで行き、
伊勢街道を通って伊勢神宮へ
といった感じでしょうか
途中、尾張国津島神社と
鈴鹿の白子観音寺に参拝していたそうです
こういった強い信仰心は
厳しい自然の中で暮らす人たちの中で
大きな心の支えとなっていたことでしょう
「薬師岳」
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
画像をクリックすると拡大表示します
病気になると艾(よもぎ・もぐさ)を用い
それで治らなければ薬師に祈るしかない。
もちろん医者などいるはずもない、
そういう環境の中で
薬師岳への人々の信仰は強いものとなったのでしょう
旧暦6月15日が有峰の「岳の薬師祭」で、
15〜50才のまでの男が真夜中に村を出発して
小畑尾峠、真川谷、太郎兵衛平を経て頂上へ
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
稗酒を供えて参拝し
頂上の祠には鉄剣が奉納されたそうです
途中からはハダシ参りをしたといいます
「有峰のくらし」
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
画像をクリックすると拡大表示します
天保の飢饉について書かれています。
天保6年には飢饉に加えて大洪水にも見舞われ、
その時には
食糧が尽き、餓死者も多くだし
全村乞食となって諸国をまわったものの
どこも飢餓は同じ
命を繋いで村に帰った者は半数ほどだった
とあります。
また主食であった稗については
鳥や猪、鹿も寄りつかないくらい不味いものだった
と書かれています。
明治43年の登山家の記述にあるように
その頃でも有峰では稗が主食であることがわかります。
もしダム建設がなかったとしたら
「有峰」集落はどのような運命をたどったのでしょうか。
「有峰の道」
ビジターセンターのところでも少しご紹介しましたが
こちらの方がいくぶんきれいに写せましたので
もう一度、ご紹介しておきます
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
画像をクリックすると拡大表示します
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
画像をクリックすると拡大表示します
一番近い集落への道というのは②と③のルートで
いずれも岐阜県の集落へつながる道です
亀谷への道は地図には記載されていません
②のルートの途中
「大多和」もしくは「佐古」から北に山を越え
長棟川沿いに歩いて富山方面へと向う道もあったんですね。
「長棟」が鉱山で栄えていた頃は人も多く
この道もよく踏まれていたのかもしれません
「御仕立村となった有峰」
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
画像をクリックすると拡大表示します
御仕立村というのは聞き慣れないことばですが
この場合、
壊滅状態になって、自力での復興が不可能な有峰に、
周辺村に食糧補給の協力をさせながら立て直しを計る藩の措置
といった感じでしょうか。
その間、土地や財産など一切が藩の管理下に置かれていたようです。
「飛越大地震」
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
画像をクリックすると拡大表示します
1858年(安政5)に起きた大地震です
これにより立山温泉が埋没して多数の犠牲者を出し
完工したばかりの亀谷新道が
崩落により閉鎖されています
また有峰の立山温泉も埋没し
多数の犠牲者が出ています
「有峰の教育」
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
画像をクリックすると拡大表示します
驚くべきなのは「義務教育就学免除地」ということばです
巡回授業所には有峰の名も記載されていますが
実際には行われていなかったようです。
教育が義務でありながら
学校が設置できず、巡回授業さえも実施できない
つまり
有峰は、公の学校教育が及ばない場所だったわけです
まさに
「公教育から見放された集落」
だったようです
明治39年になって
ようやく有峰特殊教育所が設置され
夏の1ヶ月だけ講師が派遣されて
廃寺となっていた寺にて授業が行われます
翌年の明治40年からは
冬季を除く3ヶ月をめどに開所されたとあります
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
年間わずか3〜4ヶ月程ではありましたが
献身的な教師の努力と
教師を心から敬う村人や子どもたちの前向きの姿勢は、
ゼロからのスタートでありながらも
子どもたちの学力のみならず、ものに向う姿勢などを
大きく変え、高めたといいます。
わずかな期間でもこうして功を奏したのは
やはり
子ども・親・教師が一体となった教育が
そこにあったからなのでしょう
今の学校教育界は何なんだ!
など
思わず、ちゃぶ台をひっくり返したくなりますね
文政の頃までは仮名文字を村内で学んでいた有峰の人々も
飢饉や凶作などで教育にまで手が回らなくなり
やがて、文字の読み書きはできなくなりました。
手紙きがきた時などは
岐阜県の「大多和」まで行って読んでもらっていたそうです。
日清事変に従軍した村の青年が
故郷に手紙を書けないことを嘆いたという話も残っています
それを大きく変えた
「有峰特殊教育所」だったのでしょう
最後に
有峰とは少し話はそれますが、
先に出てきた「義務教育就学免除地」について少しだけ
旧・大山町では、「有峰」の他に
「長棟(昭和10年廃村」
「奥ノ山(昭和32年廃村)」
の2カ所の義務教育免除地があったようです
※廃村年は『村の記憶』(桂書房)からのものです
3集落の大体の位置を地図上に示してみました
※「国土地理院 電子国土WEB」からのデータを一部加工
画像をクリックすると拡大表示します
いずれもが岐阜県境に近い
山深い地にあることがわかります
「長棟」はかつての鉱山集落で、
この企画展でも紹介されています
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
ここでは昭和元年に解村となっていますね。
長棟分校は昭和10年に廃止となっているようです
「長棟」集落の見取り図
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
画像をクリックすると拡大表示します
1780年代の長棟鉱山
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
画像をクリックすると拡大表示します
大正12年の「長棟」は
戸数15戸、人口70人
鉱山長屋の戸数10戸、人口36人
計25戸106人もの生活がありました。
40年前の「長棟」集落の写真です
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
今も神社の鳥居は残っているのでしょうか
なかなか困難なようですが
一度訪れてみたいものです
以上
「富山市大山歴史民俗資料館」の展示より
有峰に関することを中心に
少しですが紹介させていただきました。
資料館にはこの他にも
当時の富山日報が伝えた有峰の貴重な記事や
『有峰と常願寺川(北陸電力株式会社)』
『有峰を探る(昭和32年刊行)』
などといった
貴重な郷土資料が多数展示されています

また資料では
『有峰の記憶(桂書房)』
『ふるさとの再発見(大山町教育委員会)』
『有峰を知ろう(富山市大山歴史民俗資料館)』
などが購入可能です
「有峰」のことや
周辺の山の集落について関心をお持ちの方に
「富山市大山歴史民俗資料館」は
大変おすすめです
ということで
この日はこの後、いくつかの山深い集落をまわりますが
長くなってしまったので
次回に続きたいと思います
「2015 富山の県境周辺を行く」3日目の②
終了!
※画像をクリックすると拡大表示します
12戸になってからのものです

川は右(南)が上流、
岐阜との県境になります
こうして見ると
2つ川が合流する盆地に民家が点在していた
そんな感じだったのでしょう。
写真の拡大です
上の見取り図とあわせてみると
村在りし頃のイメージが持ちやすくなりますね。

※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
それぞれの家が密接せず、距離を置いて建てられているのは
火事などの際の類焼を避けるためだそうです
有峰はたいへんな豪雪地帯
冬場には大方が雪で埋もれてしまうものと思われますが
その間は、周囲とは全く隔絶された状態となります。
冬の暮らしはいかなるものだったのでしょう・・
「有峰の狛犬」
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
画像をクリックすると拡大表示します
阿吽の2対8体のこれらの狛犬は
先の見取り図でいうと
2つの谷の合流点あたりにある東谷宮の本殿に
置かれていたそうです
クマ


江戸末期〜明治前期頃の製作で
一番新しく作られたものです
ヌエ


※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
ヌエという妖怪がありますが
それをイメージして作られたものなのでしょうか
シシ


※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
有峰では一番前に置かれていたそうです
サル


※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
一番古く制作されたものということになります
傷みが大きいのもそのためでしょうか
これらの狛犬たち、
有峰閉村後は外部の個人の方が所有されていたようですが、
それが昭和32年に松本市博物館で保管されるようになった後
平成12年に旧・大山町に70年ぶりに帰ってきています
返還の際には、この資料館で
企画展『よみがえる有峰の狛犬と歴史文化』が催され
一方、同年に松本市立博物館では
『狛犬さよなら展』が催されたといいますから
互いの、狛犬に対する温かい思いを感じますね
何百年にわたり有峰の人々に大切にされ
大変素朴な、どこか愛嬌も感じるこれらの狛犬、
初めて写真を見た時から、ぜひ実物を見たいと思っていました。
この日、こうして見ることができ
大変嬉しく感じました
「有峰の懸仏(かけぼとけ)」
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
画像をクリックすると拡大表示します

これも狛犬と同様、東谷宮に祀られていました。
先の年表に「1585年、河上富信が有峰に逃れる」とありますが
その家臣の家に伝来していたものだそうです。
ただ、その家が断絶したことで
その後は
1年交代で各戸が保管していたとあります
なお製作年、製作者とも
正確なことはわかっていないようです
「伊勢代参」
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
画像をクリックすると拡大表示します
出発は11月の雪の降り始める頃、
2人で
往復640kmの道のりを20日間で行きます。
書かれている道順ですが
今でいうと
大多和峠を経て国道41号線に出た後は
ひたすら南下して愛知まで行き、
伊勢街道を通って伊勢神宮へ
といった感じでしょうか
途中、尾張国津島神社と
鈴鹿の白子観音寺に参拝していたそうです
こういった強い信仰心は
厳しい自然の中で暮らす人たちの中で
大きな心の支えとなっていたことでしょう
「薬師岳」
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
画像をクリックすると拡大表示します
病気になると艾(よもぎ・もぐさ)を用い
それで治らなければ薬師に祈るしかない。
もちろん医者などいるはずもない、
そういう環境の中で
薬師岳への人々の信仰は強いものとなったのでしょう
旧暦6月15日が有峰の「岳の薬師祭」で、
15〜50才のまでの男が真夜中に村を出発して
小畑尾峠、真川谷、太郎兵衛平を経て頂上へ

稗酒を供えて参拝し
頂上の祠には鉄剣が奉納されたそうです
途中からはハダシ参りをしたといいます
「有峰のくらし」
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
画像をクリックすると拡大表示します
天保の飢饉について書かれています。
天保6年には飢饉に加えて大洪水にも見舞われ、
その時には
食糧が尽き、餓死者も多くだし
全村乞食となって諸国をまわったものの
どこも飢餓は同じ
命を繋いで村に帰った者は半数ほどだった
とあります。
また主食であった稗については
鳥や猪、鹿も寄りつかないくらい不味いものだった
と書かれています。
明治43年の登山家の記述にあるように
その頃でも有峰では稗が主食であることがわかります。
もしダム建設がなかったとしたら
「有峰」集落はどのような運命をたどったのでしょうか。
「有峰の道」
ビジターセンターのところでも少しご紹介しましたが
こちらの方がいくぶんきれいに写せましたので
もう一度、ご紹介しておきます
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
画像をクリックすると拡大表示します
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
画像をクリックすると拡大表示します
一番近い集落への道というのは②と③のルートで
いずれも岐阜県の集落へつながる道です
亀谷への道は地図には記載されていません
②のルートの途中
「大多和」もしくは「佐古」から北に山を越え
長棟川沿いに歩いて富山方面へと向う道もあったんですね。
「長棟」が鉱山で栄えていた頃は人も多く
この道もよく踏まれていたのかもしれません
「御仕立村となった有峰」
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
画像をクリックすると拡大表示します
御仕立村というのは聞き慣れないことばですが
この場合、
壊滅状態になって、自力での復興が不可能な有峰に、
周辺村に食糧補給の協力をさせながら立て直しを計る藩の措置
といった感じでしょうか。
その間、土地や財産など一切が藩の管理下に置かれていたようです。
「飛越大地震」
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
画像をクリックすると拡大表示します
1858年(安政5)に起きた大地震です
これにより立山温泉が埋没して多数の犠牲者を出し
完工したばかりの亀谷新道が
崩落により閉鎖されています
また有峰の立山温泉も埋没し
多数の犠牲者が出ています
「有峰の教育」
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
画像をクリックすると拡大表示します
驚くべきなのは「義務教育就学免除地」ということばです
巡回授業所には有峰の名も記載されていますが
実際には行われていなかったようです。
教育が義務でありながら
学校が設置できず、巡回授業さえも実施できない
つまり
有峰は、公の学校教育が及ばない場所だったわけです
まさに
「公教育から見放された集落」
だったようです
明治39年になって
ようやく有峰特殊教育所が設置され
夏の1ヶ月だけ講師が派遣されて
廃寺となっていた寺にて授業が行われます
翌年の明治40年からは
冬季を除く3ヶ月をめどに開所されたとあります

年間わずか3〜4ヶ月程ではありましたが
献身的な教師の努力と
教師を心から敬う村人や子どもたちの前向きの姿勢は、
ゼロからのスタートでありながらも
子どもたちの学力のみならず、ものに向う姿勢などを
大きく変え、高めたといいます。
わずかな期間でもこうして功を奏したのは
やはり
子ども・親・教師が一体となった教育が
そこにあったからなのでしょう
今の学校教育界は何なんだ!
など
思わず、ちゃぶ台をひっくり返したくなりますね
文政の頃までは仮名文字を村内で学んでいた有峰の人々も
飢饉や凶作などで教育にまで手が回らなくなり
やがて、文字の読み書きはできなくなりました。
手紙きがきた時などは
岐阜県の「大多和」まで行って読んでもらっていたそうです。
日清事変に従軍した村の青年が
故郷に手紙を書けないことを嘆いたという話も残っています
それを大きく変えた
「有峰特殊教育所」だったのでしょう
最後に
有峰とは少し話はそれますが、
先に出てきた「義務教育就学免除地」について少しだけ
旧・大山町では、「有峰」の他に
「長棟(昭和10年廃村」
「奥ノ山(昭和32年廃村)」
の2カ所の義務教育免除地があったようです
※廃村年は『村の記憶』(桂書房)からのものです
3集落の大体の位置を地図上に示してみました
※「国土地理院 電子国土WEB」からのデータを一部加工
画像をクリックすると拡大表示します
いずれもが岐阜県境に近い
山深い地にあることがわかります
「長棟」はかつての鉱山集落で、
この企画展でも紹介されています
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
ここでは昭和元年に解村となっていますね。
長棟分校は昭和10年に廃止となっているようです
「長棟」集落の見取り図
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
画像をクリックすると拡大表示します
1780年代の長棟鉱山
※富山市大山歴史民俗資料館/企画展『有峰を知ろう Ⅱ』より
画像をクリックすると拡大表示します
大正12年の「長棟」は
戸数15戸、人口70人
鉱山長屋の戸数10戸、人口36人
計25戸106人もの生活がありました。
40年前の「長棟」集落の写真です

今も神社の鳥居は残っているのでしょうか
なかなか困難なようですが
一度訪れてみたいものです
以上
「富山市大山歴史民俗資料館」の展示より
有峰に関することを中心に
少しですが紹介させていただきました。
資料館にはこの他にも
当時の富山日報が伝えた有峰の貴重な記事や
『有峰と常願寺川(北陸電力株式会社)』
『有峰を探る(昭和32年刊行)』
などといった
貴重な郷土資料が多数展示されています

また資料では
『有峰の記憶(桂書房)』
『ふるさとの再発見(大山町教育委員会)』
『有峰を知ろう(富山市大山歴史民俗資料館)』
などが購入可能です
「有峰」のことや
周辺の山の集落について関心をお持ちの方に
「富山市大山歴史民俗資料館」は
大変おすすめです
ということで
この日はこの後、いくつかの山深い集落をまわりますが
長くなってしまったので
次回に続きたいと思います
「2015 富山の県境周辺を行く」3日目の②
終了!
※画像をクリックすると拡大表示します




































