「2015 富山の県境周辺を行く」3日目の③

「富山市大山歴史民俗資料館」 を出た後は
山の集落を少しだけまわってみようと思い出発しましたが
その前に
風呂に入ることにしました
そういえば旅出発直前に入って以来
2日間入っていない・・汚!
で
最初、立山の観光地のホテルの
風呂に入ろうと行ってみたものの
何とも立派で値段も高く
「こんなんと違う」
という感じがあまりに強く
退散!
しばらくウロウロ走っていて着いたのが
「立山グリーンパーク吉峰」
というところ

ここは
他にも色々な施設があるようですが
とりあえず風呂にだけ入りにいきます
大人610円で
大変心地よく入浴できました。
さっぱりしたので少し車で
地図を見ながら休憩していると
ついつい眠くなってきます・・
そういえば、朝が早かったし・・
しかし
集落に行かないと・・
など、葛藤しながらも、
いつの間にか意識が薄れ、夢の中・・

で
目が覚めたのは2時間近くも過ぎた4時前!
だいぶ寝てしまったようです
あまり時間も無いので
そこから近くの
最奥の集落に行ってみることにしました
目指すのは白岩川上流
「池田」(中新川郡立山町池田)という集落を通って
細い道を奥へと向います
先ほど地図で見た
「座主坊」という集落
なんて読むのだろう??
など、気になっていたので
行ってみることにしました。
それにしても「座主坊」って
なんと不思議で魅力ある名前なのでしょう
ここに限らず
山深い集落には、魅力ある名前がたくさんありますね
思いつくだけでも
「五僧」「保月」「屏風」「自在坊」「轆轤」「木地山」
「打明」「男鬼」「能家」「半明」「栃ノ木」
「加須良」「牛首」「護摩堂」「座主坊」「木地屋」
・・・もう、きりがありません
どれもが
いかにも何か由来がありそうな感じです
で、その「座主坊」ですが
周辺には、他にも
「松倉」「小又」「長倉」などの集落があり、
そこもまわりたいのですが、時間的には厳しそう・・
行けるだけ行ってみることにします
「座主坊」周辺の地図です
赤丸は『村の記憶(桂書房)』に掲載されている廃村で

「富山市大山歴史民俗資料館」 を出た後は
山の集落を少しだけまわってみようと思い出発しましたが
その前に
風呂に入ることにしました
そういえば旅出発直前に入って以来
2日間入っていない・・汚!
で
最初、立山の観光地のホテルの
風呂に入ろうと行ってみたものの
何とも立派で値段も高く
「こんなんと違う」
という感じがあまりに強く
退散!
しばらくウロウロ走っていて着いたのが
「立山グリーンパーク吉峰」
というところ

ここは
他にも色々な施設があるようですが
とりあえず風呂にだけ入りにいきます
大人610円で
大変心地よく入浴できました。
さっぱりしたので少し車で
地図を見ながら休憩していると
ついつい眠くなってきます・・
そういえば、朝が早かったし・・
しかし
集落に行かないと・・
など、葛藤しながらも、
いつの間にか意識が薄れ、夢の中・・

で
目が覚めたのは2時間近くも過ぎた4時前!
だいぶ寝てしまったようです
あまり時間も無いので
そこから近くの
最奥の集落に行ってみることにしました
目指すのは白岩川上流
「池田」(中新川郡立山町池田)という集落を通って
細い道を奥へと向います
先ほど地図で見た
「座主坊」という集落
なんて読むのだろう??
など、気になっていたので
行ってみることにしました。
それにしても「座主坊」って
なんと不思議で魅力ある名前なのでしょう
ここに限らず
山深い集落には、魅力ある名前がたくさんありますね
思いつくだけでも
「五僧」「保月」「屏風」「自在坊」「轆轤」「木地山」
「打明」「男鬼」「能家」「半明」「栃ノ木」
「加須良」「牛首」「護摩堂」「座主坊」「木地屋」
・・・もう、きりがありません
どれもが
いかにも何か由来がありそうな感じです
で、その「座主坊」ですが
周辺には、他にも
「松倉」「小又」「長倉」などの集落があり、
そこもまわりたいのですが、時間的には厳しそう・・
行けるだけ行ってみることにします
「座主坊」周辺の地図です
赤丸は『村の記憶(桂書房)』に掲載されている廃村で
廃村年も同書からのものです
※「国土地理院 電子国土WEB」からのデータを一部加工
画像をクリックすると拡大表示します
「池田」から「座主坊」への道は
距離はそんなにありませんが、
なにしろ道が細く、
だいぶ日が陰っていることもあり薄暗い・・
また
雨が降ったわけでもないのに
水が溜まっていたり・・
けっこう心細くなる道です

途中、車1台しか通れない道の両側には
かつては田畑であったであろう荒れ放題の地が
次々と現れ、通り過ぎ
次第に山中の景色に変わっていきます
そして
「座主坊」集落へ
薄暗い林の斜面を通る細い道の両側には
何軒かの家屋や家屋の跡地

ある1軒の家屋には車が停まっており
庭で焚き火をされているらしく
煙が立ち昇っていました
人がいる
こうして人の気配を感じるだけでも
何かホッとします
過疎が限界まで進行している
山深き集落特有のもの寂しさがある中で
やはり、人の存在というのは
温かみを感じるものです

上りながらグルッとまわると神社が見えてきました
神社は「刀尾宮」

なんて読むんだろう??

その神社の脇に車を停め
少し歩いてみます
神社から下りていくと見えてくる1軒の家屋
そこの軒先に腰掛けているおばあちゃんの姿
少しお話をうかがってみました
「おじゃまします。滋賀県から・・」
と、いつもの挨拶をすると
「こんな所に、ようこそ来てくれはったな」
(関西弁になっていますが、実際は地元のことばです)
のことば
「こんなところ」
ということばの中に
にぎやかだった時代から、ここで暮らしてきた
おばあちゃんの中の歴史を感じます
今は過疎が大変進み
住んでおられる方もほんのわずかになってはいますが
冬場でもここには、まだ暮らしがあります

そして、読み方のわからなかった「座主坊」ですが
「ざっすんぼう」と言われているように聞こえました
学校のことをうかがうと
このお宅の下の所に分校があったとのこと

おばあちゃんが嫁いでこられた頃は
「座主坊」集落も農業、林業に従事する人で
にぎやかだったのでしょうね
その頃とは村は大きく変わってしまっていますが
今なおこうして
静寂の空間となった故郷の地で生活されている姿は
私のような人間にとっては
何よりかっこ良く感じてしまいます

その横の
先ほど焚き火をされていたお宅の方にも
少しお話をうかがいました
先ほどの方より、少し世代は下の方のようです
「池田」からの道で来たことを告げると
「あの道は大変やったやろ。神社の前の道は走りやすいよ」
ということで
道路状況の良くない方の道から来てしまったようです
なお、神社前の通りやすい方の道は
冬場も除雪がされるとのこと
また、先ほど車を停めた刀尾宮は
「たちお」と読むそうで
すでにご神体は移されているとのことでした。

で、
『角川日本地名大辞典』で調べてみると
「座主坊」の読み方は
「ざすんぼう」と書かれています。
村の人口は
10世帯33人と書かれていますが
これは同書の発刊年からすると
おそらく昭和50年代初めの頃の数字でしょう。
ずっと前の明治5年には戸数20とあります。
また、気になる「座主坊」という集落名の由来ですが
同書には
「大宝年中立山開祖の従者に座主の坊あり。
この地に滞りて私邸内に社殿を造営し
雄山神の分霊を祀る。
後人家出来るにより座主坊と名づけたという説がある。」
と記されています。

大宝年中とは701年から704年ですので
この説が本当なら
大変古い歴史があることになります。
刀尾宮にあった刀尾権現像と御姥尊像は
室町時代のもののようです

ちなみに
山を越えた南に芦峅寺(あしくらじ)という集落に
「雄山神社祈願殿」というのがあります。
その分霊を祀るということですので
その発生には深いつながりがあったのでしょう
また、近くの「長倉」にも刀尾神社があります。
やはりこのあたりの集落は場所柄、
立山信仰と関係の深い所が多いようです
国土地理院のサイトから空撮写真を拾ってみました
下は
1961年の「座主坊」周辺写真です
今から54年前ですので
ちょうど、先のおばあちゃんが子育てをされている頃
だったのではないでしょうか
※「国土地理院 電子国土WEB」からのデータを一部加工
画像をクリックすると拡大表示します
「座主坊」集落は中央少し右の林の中で
その周囲にすごい枚数の耕作地が見えます。
ゆるやかな斜面を利用しているようです
次は
1975年の「座主坊」です
※「国土地理院 電子国土WEB」からのデータを一部加工
画像をクリックすると拡大表示します
集落東側の写真が、ちょうど欠けてしまっていますが
1961年頃と比べると、村の東側の耕地は減っています
そして、2009年の「座主坊」
※「国土地理院 電子国土WEB」からのデータを一部加工
画像をクリックすると拡大表示します
南には
新たに区画整理されたような農地が見えますが、
集落の東側に大きく広がっていた耕作地は
全く無くなってしまっています
同様に他の周辺集落も見てみます
1961年の「松倉」
※「国土地理院 電子国土WEB」からのデータを一部加工
画像をクリックすると拡大表示します
1975年の「松倉」
※「国土地理院 電子国土WEB」からのデータを一部加工
画像をクリックすると拡大表示します
1961年の「小又」
※「国土地理院 電子国土WEB」からのデータを一部加工
画像をクリックすると拡大表示します
1975年の「小又」
※「国土地理院 電子国土WEB」からのデータを一部加工
画像をクリックすると拡大表示します
これは
「伊勢屋」集落にあった目桑小学校です
1961年
※「国土地理院 電子国土WEB」からのデータを一部加工
画像をクリックすると拡大表示します
座主坊冬季分校の本校です
1961年の「長倉」
※「国土地理院 電子国土WEB」からのデータを一部加工
画像をクリックすると拡大表示します
1975年の「長倉」
※「国土地理院 電子国土WEB」からのデータを一部加工
画像をクリックすると拡大表示します
そして
1961年のこれらの集落周辺広域です
さらに
現在の周辺広域空撮写真です
集落周辺の耕作地は
その大部分が木々に覆われてしまっています
人々が山を下りるとともに
山間部の景観が大きく変わっていくことが
よくわかりますね
この日は「座主坊」を撮影している段階で
辺りは薄暗くなってしまい
「松倉」「長倉」といった集落へは行けず

帰り道に「小又」集落を
少しだけ撮影させていただきました

廃屋も目立ちますが
人が住んでおられるような新しい家屋もありました。
それでも
あたりは大変静かで
人の気配などを感じることはありませんでした



少し行くと
白岩川に架かる小又橋

白岩川の流れ

水量は少なかったですが
もう少し下流に行くと、白岩川ダムがあります

その白岩川ダムを通る頃には、もう陽も落ち
夕焼けの余韻だけが残っていました

この日訪れた「座主坊」と、
その周辺の「松倉」「小又」「長倉」について
立山町のホームページから
平成25年4月時点の人口を調べてみました
それによると
座主坊 3世帯3人
松 倉 1世帯2人
小 又 3世帯5人
長 倉 (記載無し)
となっています。
必ずしもこの数字が実際に居住されている方の数と
一致するものではありませんが
いずれも極度に過疎が進んだ集落で
「長倉」に至っては、既に住む人はいないようです

有名な立山の観光地の北側に位置する
山々に埋もれるようにしてあるこれら集落、
もう一度ゆっくりと訪れてみたい、など思っています
この後、少しウロウロと走り
有磯海SAで車泊
明日は上市町の
映画の舞台のモデルとなった古民家を
見に行くつもりです
ということで、長くなってしまった
「2015 富山の県境周辺を行く」の3日目ですが
これで終了!
※画像をクリックすると拡大表示します
※「国土地理院 電子国土WEB」からのデータを一部加工
画像をクリックすると拡大表示します
「池田」から「座主坊」への道は
距離はそんなにありませんが、
なにしろ道が細く、
だいぶ日が陰っていることもあり薄暗い・・
また
雨が降ったわけでもないのに
水が溜まっていたり・・
けっこう心細くなる道です

途中、車1台しか通れない道の両側には
かつては田畑であったであろう荒れ放題の地が
次々と現れ、通り過ぎ
次第に山中の景色に変わっていきます
そして
「座主坊」集落へ
薄暗い林の斜面を通る細い道の両側には
何軒かの家屋や家屋の跡地

ある1軒の家屋には車が停まっており
庭で焚き火をされているらしく
煙が立ち昇っていました
人がいる
こうして人の気配を感じるだけでも
何かホッとします
過疎が限界まで進行している
山深き集落特有のもの寂しさがある中で
やはり、人の存在というのは
温かみを感じるものです

上りながらグルッとまわると神社が見えてきました
神社は「刀尾宮」

なんて読むんだろう??

その神社の脇に車を停め
少し歩いてみます
神社から下りていくと見えてくる1軒の家屋
そこの軒先に腰掛けているおばあちゃんの姿
少しお話をうかがってみました
「おじゃまします。滋賀県から・・」
と、いつもの挨拶をすると
「こんな所に、ようこそ来てくれはったな」
(関西弁になっていますが、実際は地元のことばです)
のことば
「こんなところ」
ということばの中に
にぎやかだった時代から、ここで暮らしてきた
おばあちゃんの中の歴史を感じます
今は過疎が大変進み
住んでおられる方もほんのわずかになってはいますが
冬場でもここには、まだ暮らしがあります

そして、読み方のわからなかった「座主坊」ですが
「ざっすんぼう」と言われているように聞こえました
学校のことをうかがうと
このお宅の下の所に分校があったとのこと

おばあちゃんが嫁いでこられた頃は
「座主坊」集落も農業、林業に従事する人で
にぎやかだったのでしょうね
その頃とは村は大きく変わってしまっていますが
今なおこうして
静寂の空間となった故郷の地で生活されている姿は
私のような人間にとっては
何よりかっこ良く感じてしまいます

その横の
先ほど焚き火をされていたお宅の方にも
少しお話をうかがいました
先ほどの方より、少し世代は下の方のようです
「池田」からの道で来たことを告げると
「あの道は大変やったやろ。神社の前の道は走りやすいよ」
ということで
道路状況の良くない方の道から来てしまったようです
なお、神社前の通りやすい方の道は
冬場も除雪がされるとのこと
また、先ほど車を停めた刀尾宮は
「たちお」と読むそうで
すでにご神体は移されているとのことでした。

で、
『角川日本地名大辞典』で調べてみると
「座主坊」の読み方は
「ざすんぼう」と書かれています。
村の人口は
10世帯33人と書かれていますが
これは同書の発刊年からすると
おそらく昭和50年代初めの頃の数字でしょう。
ずっと前の明治5年には戸数20とあります。
また、気になる「座主坊」という集落名の由来ですが
同書には
「大宝年中立山開祖の従者に座主の坊あり。
この地に滞りて私邸内に社殿を造営し
雄山神の分霊を祀る。
後人家出来るにより座主坊と名づけたという説がある。」
と記されています。

大宝年中とは701年から704年ですので
この説が本当なら
大変古い歴史があることになります。
刀尾宮にあった刀尾権現像と御姥尊像は
室町時代のもののようです

ちなみに
山を越えた南に芦峅寺(あしくらじ)という集落に
「雄山神社祈願殿」というのがあります。
その分霊を祀るということですので
その発生には深いつながりがあったのでしょう
また、近くの「長倉」にも刀尾神社があります。
やはりこのあたりの集落は場所柄、
立山信仰と関係の深い所が多いようです
国土地理院のサイトから空撮写真を拾ってみました
下は
1961年の「座主坊」周辺写真です
今から54年前ですので
ちょうど、先のおばあちゃんが子育てをされている頃
だったのではないでしょうか
※「国土地理院 電子国土WEB」からのデータを一部加工
画像をクリックすると拡大表示します
「座主坊」集落は中央少し右の林の中で
その周囲にすごい枚数の耕作地が見えます。
ゆるやかな斜面を利用しているようです
次は
1975年の「座主坊」です
※「国土地理院 電子国土WEB」からのデータを一部加工
画像をクリックすると拡大表示します
集落東側の写真が、ちょうど欠けてしまっていますが
1961年頃と比べると、村の東側の耕地は減っています
そして、2009年の「座主坊」
※「国土地理院 電子国土WEB」からのデータを一部加工
画像をクリックすると拡大表示します
南には
新たに区画整理されたような農地が見えますが、
集落の東側に大きく広がっていた耕作地は
全く無くなってしまっています
同様に他の周辺集落も見てみます
1961年の「松倉」
※「国土地理院 電子国土WEB」からのデータを一部加工
画像をクリックすると拡大表示します
1975年の「松倉」
※「国土地理院 電子国土WEB」からのデータを一部加工
画像をクリックすると拡大表示します
1961年の「小又」
※「国土地理院 電子国土WEB」からのデータを一部加工
画像をクリックすると拡大表示します
1975年の「小又」
※「国土地理院 電子国土WEB」からのデータを一部加工
画像をクリックすると拡大表示します
これは
「伊勢屋」集落にあった目桑小学校です
1961年
※「国土地理院 電子国土WEB」からのデータを一部加工
画像をクリックすると拡大表示します
座主坊冬季分校の本校です
1961年の「長倉」
※「国土地理院 電子国土WEB」からのデータを一部加工
画像をクリックすると拡大表示します
1975年の「長倉」
※「国土地理院 電子国土WEB」からのデータを一部加工
画像をクリックすると拡大表示します
そして
1961年のこれらの集落周辺広域です
さらに
現在の周辺広域空撮写真です
集落周辺の耕作地は
その大部分が木々に覆われてしまっています
人々が山を下りるとともに
山間部の景観が大きく変わっていくことが
よくわかりますね
この日は「座主坊」を撮影している段階で
辺りは薄暗くなってしまい
「松倉」「長倉」といった集落へは行けず

帰り道に「小又」集落を
少しだけ撮影させていただきました

廃屋も目立ちますが
人が住んでおられるような新しい家屋もありました。
それでも
あたりは大変静かで
人の気配などを感じることはありませんでした



少し行くと
白岩川に架かる小又橋

白岩川の流れ

水量は少なかったですが
もう少し下流に行くと、白岩川ダムがあります

その白岩川ダムを通る頃には、もう陽も落ち
夕焼けの余韻だけが残っていました

この日訪れた「座主坊」と、
その周辺の「松倉」「小又」「長倉」について
立山町のホームページから
平成25年4月時点の人口を調べてみました
それによると
座主坊 3世帯3人
松 倉 1世帯2人
小 又 3世帯5人
長 倉 (記載無し)
となっています。
必ずしもこの数字が実際に居住されている方の数と
一致するものではありませんが
いずれも極度に過疎が進んだ集落で
「長倉」に至っては、既に住む人はいないようです

有名な立山の観光地の北側に位置する
山々に埋もれるようにしてあるこれら集落、
もう一度ゆっくりと訪れてみたい、など思っています
この後、少しウロウロと走り
有磯海SAで車泊
明日は上市町の
映画の舞台のモデルとなった古民家を
見に行くつもりです
ということで、長くなってしまった
「2015 富山の県境周辺を行く」の3日目ですが
これで終了!
※画像をクリックすると拡大表示します
































