「2015 富山の県境周辺を行く」1日目の① !

3泊3日のプチ旅に出かけてきました
テーマは「富山の県境周辺を行く」
です
この春に富山県と新潟県にフラリと訪れ
「今度は、狭い範囲をじっくりとまわってみたい!」
ということで富山の県境付近に
行き先を絞ったのです。
行き先を絞ったのです。
そして、出発前にここには行きたいと
3つほど決めていたのが
3つほど決めていたのが
下の地図の赤丸印のついている
「水無」(富山県南栃市利賀村)
「有峰林道」(富山県富山市有峰)
「上市町周辺」(富山県中新川郡)
「水無」は、牛首林道から東に向った所にある廃村で
岐阜県の「牛首」集落とともに
行きたいと思っていながら、まだ一度も訪れたことのない所 です。
いずれも村在りし頃は、合掌造り集落でした。
いずれも村在りし頃は、合掌造り集落でした。
これまで何度かトライしながらも
通行止めや工事などで未だ実現していません
「有峰林道」は、だいぶ前に訪れたものの
飛越トンネルを経由で富山へ抜けただけという感じで、
ただ通っただけで終わっています。
ただ通っただけで終わっています。
しかも、その時は天候は悪く
肝心の美しい自然が味わえていないまま・・
また
ダムに沈んだ「有峰」集落の資料をもっと見てみたいという思いも
ダムに沈んだ「有峰」集落の資料をもっと見てみたいという思いも
強くありました 。
「上市町周辺」というのは
この春に富山・新潟を訪れた時に
アニメ「おおかみこどもの雨と雪」の舞台となった場所がある
という書き込みをいただき、
その後テレビでそのアニメを見て
その舞台となった古民家を訪れてみたいと思ったからです
なお、車はハイエースから
スバルのフォレスターという車になりました。

20万km乗るつもりでいたハイエースですが
機動性と走破製、安全性を重視して
乗り換えを決めました。
車泊するにはハイエースは最高!

あの広大なスペースに、
いまだ未練タラタラなのですが、
これからは小さな車で車泊旅をしようと思っています。
なお、車はハイエースから
スバルのフォレスターという車になりました。

20万km乗るつもりでいたハイエースですが
機動性と走破製、安全性を重視して
乗り換えを決めました。
車泊するにはハイエースは最高!

あの広大なスペースに、
いまだ未練タラタラなのですが、
これからは小さな車で車泊旅をしようと思っています。
ということで出発したのは
10月の中旬のとある日の夕方
10月の中旬のとある日の夕方
北陸自動車道を通って滋賀から石川県の小松ICまで行き、
そこから白山白川郷ホワイトロード(旧白山スーパー林道)を通って
岐阜の白川村に入って 牛首林道を通って「水無」へというプラン
もちろん途中、気になるところはあれば
どんどん寄り道をするつもりです
出発したその日は
北陸自動車道の尼御前SA(石川県)で泊
ソースカツ丼を夕食とし
すぐに就寝

下はマットと敷き毛布
上は掛け毛布とシュラフを広げて寝たのですが、
この日は夜になっても気温は10度を下回ることは無く
寒く感じることはありませんでした。
フォレスターは
後部座席を倒して就寝スペースを取るのですが
やはり狭い!
車泊という点から見ると、ハイエースはやはり別次元!
しかもフォレスターは
倒した後席と荷室との間に少し段差があるので
心地よく寝るのには少し工夫が必要です
このような感じでマットを敷いて寝ます

ハイエースが、広いワンルームマンションだとすると
まるで3畳一間のタコ壺生活・・
それでも
寝ころんでしまうと、けっこう快適なのですよ
で・・
車泊についての詳細は
この旅の最後にお伝えしようと思っています
翌朝、6時前に起床し
前日買っておいたパンを食べ

早速、出発!
小松ICを出てからは東へ走り、
白山白川郷ホワイトロード(旧白山スーパー林道)を目指します

山間部を目指す形となるので
進むほどに、通る車の数は少なくなってゆきます

しばらく走って、トンネルで山を越えると
「一向一揆の里」という道の駅がありました。

辺りはすごい霧!

道の駅は、朝が早いので店も開いておらず
洗面をすませて、すぐに出発!
不思議なことに
次のトンネルを抜けると霧は全くありませんでした。
なぜあそこだけあんなに霧が深かったんだろう・・?
など思いながら20分程走ると
「綿ヶ滝いこいの森」
という看板が見えたので
少し寄り道
滝を見に行ってみます

あたりに広がるのは美しい田園風景

「手取キャニオンロード」と表示されている自転車道、
これは廃線跡(北陸鉄道金名線)のようです
駐車場にある案内看板です
※画像をクリックすると拡大表示します
この手取川流域はとても魅力的な所で
これまでにも、けっこう訪れています
白山、温泉、清流、出作り集落跡、林道・・
でも
この「綿ヶ滝」というのは知りませんでした

※現地にある案内表示です
朝の光りが、とてもきれい

朝露に濡れて滑りやすくなっている急な階段を
ゆっくり下りていくと

見えてきた!

朝の光を受けて
なかなか見事な光景です

やわらかい綿に例えられたのが
何となくわかるような気がします

豪壮というより
繊細さを感じさせてくれます

滝に当たる木漏れ日の光りの加減も
ちょうどよかったようです

きれいやわ〜

ほんま、きれいやわ〜
なんて、思わず声の出る


「綿ヶ滝」でした
そして
水は下流へと流れていきます

当たり前ですね
ここにはもう一本滝がありますが

「綿ヶ滝」を見てしまうと
少々地味かもしれません・・
たまたま立ち寄った「綿ヶ滝」でしたが、
思いもよらず美しい光景を見ることができました
気をよくして走り
白山白川郷ホワイトロード(旧白山スーパー林道)に入ります
この「白山白川郷ホワイトロード」は
石川県白山市の尾添、中宮あたりから
出発したその日は
北陸自動車道の尼御前SA(石川県)で泊
ソースカツ丼を夕食とし
すぐに就寝

下はマットと敷き毛布
上は掛け毛布とシュラフを広げて寝たのですが、
この日は夜になっても気温は10度を下回ることは無く
寒く感じることはありませんでした。
フォレスターは
後部座席を倒して就寝スペースを取るのですが
やはり狭い!
車泊という点から見ると、ハイエースはやはり別次元!
しかもフォレスターは
倒した後席と荷室との間に少し段差があるので
心地よく寝るのには少し工夫が必要です
このような感じでマットを敷いて寝ます

ハイエースが、広いワンルームマンションだとすると
まるで3畳一間のタコ壺生活・・
それでも
寝ころんでしまうと、けっこう快適なのですよ
車泊についての詳細は
この旅の最後にお伝えしようと思っています
翌朝、6時前に起床し
前日買っておいたパンを食べ

早速、出発!
小松ICを出てからは東へ走り、
白山白川郷ホワイトロード(旧白山スーパー林道)を目指します

山間部を目指す形となるので
進むほどに、通る車の数は少なくなってゆきます

しばらく走って、トンネルで山を越えると
「一向一揆の里」という道の駅がありました。

辺りはすごい霧!

道の駅は、朝が早いので店も開いておらず
洗面をすませて、すぐに出発!
不思議なことに
次のトンネルを抜けると霧は全くありませんでした。
なぜあそこだけあんなに霧が深かったんだろう・・?
など思いながら20分程走ると
「綿ヶ滝いこいの森」
という看板が見えたので
少し寄り道
滝を見に行ってみます

あたりに広がるのは美しい田園風景

「手取キャニオンロード」と表示されている自転車道、
これは廃線跡(北陸鉄道金名線)のようです
駐車場にある案内看板です
※画像をクリックすると拡大表示します
この手取川流域はとても魅力的な所で
これまでにも、けっこう訪れています
白山、温泉、清流、出作り集落跡、林道・・
でも
この「綿ヶ滝」というのは知りませんでした

※現地にある案内表示です
朝の光りが、とてもきれい

朝露に濡れて滑りやすくなっている急な階段を
ゆっくり下りていくと

見えてきた!

朝の光を受けて
なかなか見事な光景です

やわらかい綿に例えられたのが
何となくわかるような気がします

豪壮というより
繊細さを感じさせてくれます

滝に当たる木漏れ日の光りの加減も
ちょうどよかったようです

きれいやわ〜

ほんま、きれいやわ〜


「綿ヶ滝」でした
そして
水は下流へと流れていきます

当たり前ですね
ここにはもう一本滝がありますが

「綿ヶ滝」を見てしまうと
少々地味かもしれません・・
たまたま立ち寄った「綿ヶ滝」でしたが、
思いもよらず美しい光景を見ることができました
気をよくして走り
白山白川郷ホワイトロード(旧白山スーパー林道)に入ります
この「白山白川郷ホワイトロード」は
石川県白山市の尾添、中宮あたりから
岐阜県の大窪、馬狩というかつての合掌集落を経て白川郷へと至る
33.3kmをひた走る全舗装の観光林道です。
今年度(H27年度)から呼び名が
「白山スーパー林道」から「白山白川郷ホワイトロード」
になったそうですが、イマイチぴんときません。
それに名前が長すぎ!
ちなみに、この道は有料で
普通車は片道1600円、往復2600円となります。
詳細は、この 公式サイト をご覧下さい。
紅葉情報、道路マップなど、いろいろ見ることができます。
その料金所までに少し走るのですが
途中に「中宮(ちゅうぐう)温泉ビジターセンター」があるので
そこでも少し寄り道

館内にあった周辺の散策路の地図です
※画像をクリックすると拡大表示します
「さるの移動日記」というのが
おもしろいですね
館内にはこの他にも展示物があり
周辺や白山白川郷ホワイトロードなどの情報も得られます
散策路を少し歩いてみました
ここには、かつて出作りの集落があったようでいろりの跡などが残されています


少し調べてみました
このビジターセンターがあるのは、
今は白山市なのですが
10年ほど前の市町村合併前は吉野谷村でした。
そして、このビジターセンターのあった所に
吉野谷村立中宮小学校「中宮温泉分校」がありました。
下の写真は、2009年に企画された
白山市にある『石川県立白山ろく民俗資料館』の企画展
『山の中の小さな学校』展からのものです
※白山ろく民俗資料館企画展「「山の中の小さな学校」(2009年)より
ここにあったという、「中宮温泉分校」の写真です。
この分校は、中宮温泉旅館や出作りでやってきた人々の
子どもたちが通う学校でした。
ただ、この中宮周辺の地域の出作りは、
定住型ではなく季節型の出作り
したがって
一家で出作りの地に赴いている期間中にのみ
そこの子どもたちが学ぶ
夏季分校(4、5月〜10、11月)でした。
冬季分校はよく聞くのですが
夏季分校ってあまり耳にしませんね
昭和20年代に温泉分校に通った方によると
当時の児童数は、
温泉分校4人、鈴原分校2人、本校2人だったとあります。
本校より分校の方が子どもたちは多かったんですね。
年によって子どもの数はまちまちで
1人の時もあれば10人を超える時もあったようです。
撮影の際の反射で見づらくなってしまっていますが、
下の写真も「中宮温泉分校」の写真です。

※白山ろく民俗資料館企画展「「山の中の小さな学校」(2009年)より
「中宮温泉分校」では
1人の先生が小学生から中学生までを教えます。
そして校舎は、納屋を移築・改装されたもので
教室は一階にあり、8畳くらいの広さ。
そこには
黒板、オルガン、机くらいしかなかったといいます。
下の地図は
「中宮温泉ビジターセンター」です
このあたりに分校や出作りの集落があったわけです。
その頃の出作り家屋のいろりの跡が
今もこうして残されているのですが
家屋などは、もう一切ここには残っていません。
下の写真は、場所は違いますが
旧尾口村の釜谷という所にあった出作り集落の家屋の写真です。
※白山ろく民俗資料館企画展「「出作りのくらし」(2010年)より
質素な造り、冬場の豪雪などを考えると
人の手が入らなくなると
倒壊してしまうのにそう時間がかからないということは
間違いないようです
ちなみに
分校の本校である中宮小・中学校は
昭和43年に吉野谷小学校と中学校に統合されますが、
2年間は中宮教場としてそのまま存続した後に
昭和45年に廃止となっています。
「中宮温泉分校」自体は昭和25年の設置ですが、
それ以前の昭和22年から
中宮温泉や出作り小屋の子どもたちのために
夏期授業が行われていたそうです。
また、同学区にはもう一つ「鈴原分校」もありました。
こちらは昭和27年の設置となっています。
この鈴原分校は
山の稜線にあった学校で
白山麓で一番高所(標高約1050m)にあったそうです。
山の稜線にある学校って、他に例があるのでしょうか・・
驚きです
下の写真は鈴原分校です
※白山ろく民俗資料館企画展「「山の中の小さな学校」(2009年)より
写真でもわかるように
地面からのびた茅葺き屋根の小屋の分校校舎。
中は土間、そして囲炉裏があるだけで
黒板や机は無く、むしろをひいての授業、
それでも、多い時で8人ほどの子どもたちがいたそうです。
これは、父兄により建てられたようですね。
台風による倒壊後、校舎はテントになったとありますが、
テントで学習する山の子どもたちの風景、
今の時代からはなかなか想像がつきません。
僻地教育の宿命というか
小1から中3、
多学年に渡る生徒に対して教師数が1人
教育水準の確保は、かなり厳しいものがあったことでしょう。
それでもこの頃は
山の中の小さな集落や季節集落に対しても
身近な所での教育の場が確保されていたんですね。
スクールバス通学という手段を用いることで
どんどん学校が減らされている今の時代とは
いろんな意味で大きな違いがあるような気がします。
山に多くの人たちが住んでいた、
徒歩でしか移動できない場所にも多くの集落があった、
社会生活を送る中で学歴の持つ意味が違ってきた、
親の教育への意識が大きく変化してきた、
等々
様々な環境の変化の中で変わってきている教育形態ですが
学校教育の場の主人公である子どもたちは
どう変わってきているのでしょうか
この山深い地での小さな学校で
子どもたちはどういう風にすごしていたのか
大いに知りたいところです
以上、
石川県立白山ろく民俗資料館企画展『山の中の小さな学校』
ならびに『吉野谷村史』を参考にさせていただきました。
なお、この2009年の企画展
『山の中の小さな学校』(白山ろく民俗資料館)については以前に、姉妹サイト「たまに一言のあしあと」で
少し紹介させていただいています。
そちらの方もご覧になってみてください。
話を戻します
「中宮温泉ビジターセンター」の周辺は
自然が大切に残されています。
これはオニグルミの林のようです

広葉樹の林は本当にきれいです
この辺りでは
紅葉はまだ少し色づき始めで
木々の葉はまだまだ緑が主体
でも
これから入る「白山白川郷ホワイトロード」は
どんどん標高を上げていきます
中宮ビジターセンターの標高が600mちょっとで
ホワイトロードの最高点は1400mを越えます。
かなりの標高差があるわけです
林道では
紅葉が大いに期待できるかもしれません

いつものことながら
ついつい話が長くなってしまいました
続きは
次回にご紹介したいと思います
ということで
「富山の県境周辺を行く1の①」は終了!
33.3kmをひた走る全舗装の観光林道です。
今年度(H27年度)から呼び名が
「白山スーパー林道」から「白山白川郷ホワイトロード」
になったそうですが、イマイチぴんときません。
それに名前が長すぎ!
ちなみに、この道は有料で
普通車は片道1600円、往復2600円となります。
詳細は、この 公式サイト をご覧下さい。
紅葉情報、道路マップなど、いろいろ見ることができます。
その料金所までに少し走るのですが
途中に「中宮(ちゅうぐう)温泉ビジターセンター」があるので
そこでも少し寄り道

館内にあった周辺の散策路の地図です
※画像をクリックすると拡大表示します
「さるの移動日記」というのが
おもしろいですね
館内にはこの他にも展示物があり
周辺や白山白川郷ホワイトロードなどの情報も得られます
散策路を少し歩いてみました
ここには、かつて出作りの集落があったようで


少し調べてみました
このビジターセンターがあるのは、
今は白山市なのですが
10年ほど前の市町村合併前は吉野谷村でした。
そして、このビジターセンターのあった所に
吉野谷村立中宮小学校「中宮温泉分校」がありました。
下の写真は、2009年に企画された
白山市にある『石川県立白山ろく民俗資料館』の企画展
『山の中の小さな学校』展からのものです

ここにあったという、「中宮温泉分校」の写真です。
この分校は、中宮温泉旅館や出作りでやってきた人々の
子どもたちが通う学校でした。
ただ、この中宮周辺の地域の出作りは、
定住型ではなく季節型の出作り
したがって
一家で出作りの地に赴いている期間中にのみ
そこの子どもたちが学ぶ
夏季分校(4、5月〜10、11月)でした。
冬季分校はよく聞くのですが
夏季分校ってあまり耳にしませんね
昭和20年代に温泉分校に通った方によると
当時の児童数は、
温泉分校4人、鈴原分校2人、本校2人だったとあります。
本校より分校の方が子どもたちは多かったんですね。
年によって子どもの数はまちまちで
1人の時もあれば10人を超える時もあったようです。
撮影の際の反射で見づらくなってしまっていますが、
下の写真も「中宮温泉分校」の写真です。

※白山ろく民俗資料館企画展「「山の中の小さな学校」(2009年)より
「中宮温泉分校」では
1人の先生が小学生から中学生までを教えます。
そして校舎は、納屋を移築・改装されたもので
教室は一階にあり、8畳くらいの広さ。
そこには
黒板、オルガン、机くらいしかなかったといいます。
下の地図は
「中宮温泉ビジターセンター」です
このあたりに分校や出作りの集落があったわけです。
その頃の出作り家屋のいろりの跡が
今もこうして残されているのですが
家屋などは、もう一切ここには残っていません。
下の写真は、場所は違いますが
旧尾口村の釜谷という所にあった出作り集落の家屋の写真です。

質素な造り、冬場の豪雪などを考えると
人の手が入らなくなると
倒壊してしまうのにそう時間がかからないということは
間違いないようです
ちなみに
分校の本校である中宮小・中学校は
昭和43年に吉野谷小学校と中学校に統合されますが、
2年間は中宮教場としてそのまま存続した後に
昭和45年に廃止となっています。
「中宮温泉分校」自体は昭和25年の設置ですが、
それ以前の昭和22年から
中宮温泉や出作り小屋の子どもたちのために
夏期授業が行われていたそうです。
また、同学区にはもう一つ「鈴原分校」もありました。
こちらは昭和27年の設置となっています。
この鈴原分校は
山の稜線にあった学校で
白山麓で一番高所(標高約1050m)にあったそうです。
山の稜線にある学校って、他に例があるのでしょうか・・
驚きです
下の写真は鈴原分校です

写真でもわかるように
地面からのびた茅葺き屋根の小屋の分校校舎。
中は土間、そして囲炉裏があるだけで
黒板や机は無く、むしろをひいての授業、
それでも、多い時で8人ほどの子どもたちがいたそうです。
これは、父兄により建てられたようですね。
台風による倒壊後、校舎はテントになったとありますが、
テントで学習する山の子どもたちの風景、
今の時代からはなかなか想像がつきません。
僻地教育の宿命というか
小1から中3、
多学年に渡る生徒に対して教師数が1人
教育水準の確保は、かなり厳しいものがあったことでしょう。
それでもこの頃は
山の中の小さな集落や季節集落に対しても
身近な所での教育の場が確保されていたんですね。
スクールバス通学という手段を用いることで
どんどん学校が減らされている今の時代とは
いろんな意味で大きな違いがあるような気がします。
山に多くの人たちが住んでいた、
徒歩でしか移動できない場所にも多くの集落があった、
社会生活を送る中で学歴の持つ意味が違ってきた、
親の教育への意識が大きく変化してきた、
等々
様々な環境の変化の中で変わってきている教育形態ですが
学校教育の場の主人公である子どもたちは
どう変わってきているのでしょうか
この山深い地での小さな学校で
子どもたちはどういう風にすごしていたのか
大いに知りたいところです
以上、
石川県立白山ろく民俗資料館企画展『山の中の小さな学校』
ならびに『吉野谷村史』を参考にさせていただきました。
なお、この2009年の企画展
『山の中の小さな学校』(白山ろく民俗資料館)については
少し紹介させていただいています。
そちらの方もご覧になってみてください。
話を戻します
「中宮温泉ビジターセンター」の周辺は
自然が大切に残されています。
これはオニグルミの林のようです

広葉樹の林は本当にきれいです
この辺りでは
紅葉はまだ少し色づき始めで
木々の葉はまだまだ緑が主体
でも
これから入る「白山白川郷ホワイトロード」は
どんどん標高を上げていきます
中宮ビジターセンターの標高が600mちょっとで
ホワイトロードの最高点は1400mを越えます。
かなりの標高差があるわけです
林道では
紅葉が大いに期待できるかもしれません

いつものことながら
ついつい話が長くなってしまいました
続きは
次回にご紹介したいと思います
ということで
「富山の県境周辺を行く1の①」は終了!






















