Poeta

先週の土曜日。
午後イチでMakoさんとセントロへ向かう。Al-Farabiというレストランの閉店記念(?)
で、素晴らしいショーロのホーダがあってその見学に。Saideira(最後の1杯)という
タイトルのホーダ。
いわゆるスーパースターばっかりで参った。
Rogerio Caetano、Ze da Velha, Silverio Pontes等々、選曲もお馴染みのものばかり。
終わってから憧れの人たちと写真を撮ってもらって感激。
同じ趣味の人間はやっぱり同じ場所に集まるようで、
2005年来の友人でAry Barrosoの孫にあたるDanielと再会。
Bip Bipで一緒に演奏する約束をして別れた。

暑いのでコーヒー休憩がてらCCBBの1階に行くと、なんと、アート リンゼイ氏が休憩中。
プライベートな時間に申し訳ないと思いつつも記念撮影をお願いする。
その後、同じフロアの書店をのぞく。場所柄、音楽、演劇、写真、映画等々、
芸術関係のものが多くて思わず長居。
cariocaの風俗を紹介したものと、選びに選んでサンバ関係の本を3冊仕入れる。

その足でGamboaのTrapicheへSamba de Fatoのホーダ ヂ サンバへを見に移動。
Pedro Amorim, Pedrinho Miranda, Alfredo Del Penho, Paulino Diasと、サポートで
Claudio Brito. 

ホーダと言いつつ彼らのショーではあるけど、テーブルを囲んでおなじみの空気。
2005年の留学時、あちこちのホーダを毎日見に出かけてはワクワクしていた時期を
思い出す。そしてやっとやっと、Pedrinho Mirandaと再会を果たすことができた。

2005年3月26日に始まったMestreのaulaに僕を引き入れてくれたのがPedrinhoだった。
リオのサンバ社会に僕を引き入れた人ということになる。
一生かけて大切にしたい友人の1人。そして恩人。

Manchuuuuuuuu!!!!! やっと会えたなー。
ほんとだよ。Mestreがなくなってもうすぐ1年だよ、早いよね。
早いよなぁ。いまどこにいるの? 
メストリの自宅にお世話になってるんだよね。
そうかー! それはZéも喜んでるよ。Donaは元気かな? リオにはいつまでいる? 
3月9日に帰りの飛行機を予約したんだよ。
じゃあ、それまでに必ず遊びに行くから。

次のライブはいつだっけ?
3月4日にまたここでやるから、マシューもおいで。

丸2年会っていないのに、abraçoして懐かしむのは一瞬。
さっと踵を返して次の話に進む。
生粋のcariocaの生きるペースが心地よい。

僕がここに滞在していることを、メストリを知る演奏家が喜んでくれる。
そして、必ず最後に、

「Mashu, ele sempre falava muito de você. Com muito carinho, sabe?」
 
と付け加えてくれる。到着早々に会ったTeresaもそうだった。
この晩もAlfredoとPedrinhoの話に胸が詰まって言葉が続かず。
mestreの残していったものに囲まれてサンバができていると感じる。

昨日は久しぶりに丘でマフィアと軍警の小競り合いが発生。
買い物に出ていた僕とJonattは丘を登れず、ふもとの公園でビスケットをかじり
ながら2時間近く時間をつぶす。
(※ファヴェーラに行きたい〜、とか、ファヴェーラを見てみたいー、と軽く口に
する邦人の方々をよく見かけます。どういう期待をしているか分かりませんが、
そもそも他所の軒先を覗いて歩くのはいい趣味ではありませんし、くれぐれも知ら
ない丘には入り込みませんよう。) 


この日、ウチから300mほど先の通りで深夜バイリファンキが予定されていて、
そこに運び込まれるビールを満載したトラックを、イベントとドラッグディーラー
との関係を警戒した軍警が検挙、押収。その報復だったそうだ。
ドラッグディーラーが関係していない丘のバイリファンキなどあるものか。
それでも、予定通り朝7時までイベントは行われたようだ。 

結果、流れ弾があちこちの電線、インターネットのハブに当たったようで、昨日の
午後から全く回線が使えず。先ほど、やっと復旧した。

今朝は6時半に起床。
家中に箒をかけ終わって、Linda(イヌ)のシャンプーをしてから、朝ごはん。
いつも通り、この時間からお昼ご飯の作業をするDonaと台所で話し込む。
メストリと50年近く一緒に過ごした人だからこそ出る話がたくさん聞ける。

「あの人(Bem)はねー」

どうもこの言葉を聞くだけで胸が詰まる。 
もう1年、まだ1年。 

従兄弟がこっそり名言&迷言をノートに書き留めていたらしい。
いつか見せてもらう約束をする。
Grupo Sementeも録音したMestre Marçalには、そのノートにも記されている
師匠の名言がたくさん詰まっているそうだ。長女のAlineが、
「こことここの歌詞はね」と教えてくれる。 サンビスタの家庭ならではの会話。
 
先日のブログにも書いた作曲家のGodôも、曲を頼んだその5分後には、

Machu oh escuta ai, o samba fica mais ou menos assim,,,

とサビを送って来た。子どものお絵かきのように、きっかけさえあれば、
のびのび、メロディと詞があふれ出てくる。 

車で丘を下る時、

「そこで雑貨売ってるMiguelも、あそこで、掃除しているTioも、みんな作曲家だよ」

と時々Jonattが笑って手を振るが、このエリアはまさにそんな地区。

今日はこれからEnsaio Técnico.

カーニバルはもうすぐそこ。


2015-11-24-13-13-29 


Homenagem ao Mestre Trambique

前回の滞在時、2014年末から2015年3月の間、毎日のように丘の中腹にあるメストリの
家を訪ね、昼寝の時間以外はほとんどくっついて歩いていた。
だいぶ痩せてきてはいたのけど、演奏で前日の帰宅が深夜になっても、
朝5時過ぎには起きて中庭でコツコツと手作りのヘコヘコ製作を進め、僕はその隣に座り、
不器用ながらも手伝いをしていた。

ある朝、滞在も半ばにさしかかっていた頃だと思う、

「Mashu、東京のブロッコにサンバはあるのか?」

と尋ねられ、あ、や、それがまだないんです、と答えたところ、

「それなら、書いてやるから東京に持って帰りなさい」

という会話になった。

その年の滞在中に1曲書いてもらおう、というのは当時僕の中で決めていて、
いつお願いをしようか、隣でその機会をうかがっていたこともあり、
まさかの師匠からの申し出に、この人は僕の心の中を覗けるんじゃなかろうか、
と背筋がまっすぐになったものだ。

ということで頂いたのが、すでにCDになっているPor Amor a Naturezaだ。

デモ音源はGrupo Sementeのメインボーカルで、Diogo Nogueiraのバンドでも活躍中の
Bruno Barretoの自宅スタジオで録ることになった。
場所はお隣のニテロイ市内。日程は、まさにギリギリ、僕の帰国2日前に決まった。

実は出来上がっていたのは別の曲だったのだが、録音日の朝、スタジオに向かう途中、
マンゲイラのクアドラ(練習場)の脇を抜けたあたりで、

「Mashu, こういうサンバもあるぞ」

と歌って聞かせてくれたのがPor Amor a Naturezaだった。

「どっちが好きだ? お前が決めていいから」

ということで、一目惚れしてしまったので、今の曲にしたい、と僕からお願いをして、
なんとレコーディングに向かう車中で録音メニューが変更となった。

「よし、それならこの曲を録ろう」

と、がっちり握手を交わした手の感触まではっきりと覚えている。
50年以上毎日のように楽器を演奏し、楽器を作り続けた分厚い皮の、温かい手。

その年の11月末には病気をおして来日を果たしてくれた。
旅程が決まったその後、病気が進んで床に伏していたが、本人の強靭な意志と、家族の
後押しで実現した来日だった。医者には、空港についてもゲートまで歩けるかどうか、
と言われていた。僕は最後まで知らなかったが、末期の胃がんだった。
処方箋ととともに、内視鏡カメラでの写真を見せてもらった時、妻には
ただならない病状だということが、すぐに分かったようだった。
初日の晩、メストリが部屋に戻った後、何も言わず、いつも通り、ただメストリの歩調
で滞在中のお世話をしようと2人で決めた。

作曲者のメストリご自身で歌入れもしていただいた。残念なことに、これがメストリの
人生最後の録音になったわけなのだが、この録音と残してくださった全ての音源は、
僕のブロッコだけでなく、日本のサンバへのプレゼントだったのだと思えてならない。

メストリはブラジルへ帰国後、ちょうど3ヶ月経った2月22日、
奥さんであるDona Normaの誕生日に亡くなられた。


間もなく1周忌がやってくる。
今年はここの家族にも、僕にとっても特別な年であり、縁がある作曲家にサンバを書い
てもらおうと考えていた。 

次のテーマはメストリのHomenagem にすると決めていた。
録音はメストリと常にいた仲間、息子、僕を含む門下が加わったものにする、というのが、
僕の絶対条件だった。このどちらかが叶わないのなら、諦めることにもしていた。

声掛けで2人が引き受けてくれた。 

まずはメストリの旧友であり、1988年のVila Isabelの優勝曲Kizombaの作曲者の1人、
Rodolpho de Souzaの息子・Godôのサンバができあがってきた。
メストリを昔からよく知る人だけに、歌詞も楽曲も腑に落ちる内容になった。
その次に、Jonattの叔父でMangueiraの2014年、2015年のサンバエンヘード選考の
ファイナリストであるHenrique Guerreiroのサンバがあがって来た。こちらは、いわゆる現役
の職業作曲家で、WhatsAppで送られて来たアカペラを聴くだけで、すでにアレンジまで出来
あがっているような内容だ。

レコーディングのメンバーについては、Vila Isabelだけでなく、
お隣のMangueiraからもMestre de Bateria2名が、そういうことなら、と参加表明をして
くれた。長男Alisson, 義理の息子にあたるJonatt, 愛弟子だったMangueirinha, 甥のLuann,
MangueiraのパゴーヂでおなじみのDanilo do Cavaco, 
同じくMangueiraの現役Primeiro RepiqueのPetterson, 
僕が2005年のVila Isabelのバテリアへの入会時、当時ヘピニキ一番手だったLuiz Paulo, 
昨年までVilaのPrimeiro Repiqueで最近Salgueiroへ移籍したMalcon, 
前回のレコーディングでも世話になったGrupo SementeのBruno Barreto, 
大人気のサンバグループになったGrupo Arrudaのメンバーで、メストリの甥にあたるPopo, 
今回の作曲者でタロールの名手であるGodô, そして生前、メストリが娘のようにかわいがって
いたNaraも来てくれることになった。彼女はZeca Pagodinhoのバンドでコーラスを担当して
いる現役歌手だ。

そしてメストリの幼なじみで、最後までヤイヤイと言い合っては肩を組んで笑って過ごして
いた無二の親友、そして僕のもう1人の師匠でもあるPeryが、録音全体を見守りに来てくれる。

こんな贅沢な布陣が他にあるものか。

メストリも気になってきっとどこからか、こっそり覗きに来ているに違いない。
あー、と舌打ちして見ているのか、黙って笑って見てくれているのか。
 
O barco tem que ir na frente, Mashu
O Samba não tem fronteira. Você já sabe de tocar. 
Tem que andar sozinho.

度あるごとにかけてもらって、今も毎日思い出している言葉がある。
いまの僕の音楽生活の全ての支えだ。
おじけず舟を漕ぐのみ。


 スタジオには先生の写真を持って行こう。


IMG_2319 


年末からのあれこれ。

ここに来て1ヶ月半。 先生の話をいろんな人から聞いたり、伺ったりして、
どうやってここで生活してたか、 どんなことを話していたのか、親族、友人、
それこそ地区全体の人たちから聞かされ生活している。

Zéはよぅ、Trambiqueはさぁ等々、機会があれば会話にたいてい登場してくる。
東京の家の中以外、日本では感じられなかった感覚に根ざした会話がここでは全て。 
まだまだ、どこからかじっと見てるんだな、そんな気がする。

最終的にいくつかは記録にとっておきたいものもあるのだけど、それよりも、
そういう話を何度も、例えば 同じことを違う人から聞くのでもいいから、
何回も浴びて、頭に体に刷り込んで、染み込ませたい、とい うことの意味の方が大きい。

年末から年明けまでArraial do Cabo に奥さんのNormaさんと出かけて1週間ほど過ごした。
目的地に着く手前の町では ”ここでたまたまパゴーヂ を見かけてBem(先生のこと)が輪に
入ったらウケちゃって、次の日も、その次の日も、隣町から迎えのタクシーが来て困った”
そうだ。他にもArraialにブロッコを作ろうとしていたこと等、知らなかったエピソーソド
をたくさん聞かせてもらう。

2017年最初の週末はいとこのFilipeの初めての誕生日を先生の自宅で開く。
2歳の誕生日に父親が亡くなったことがあり、
31年間、誕生日を祝うこと自体を封印していたそうだ。
ここでは、当人が買い出しをし、人を集めて盛大に行うのが慣例。
2日間かけて親族延べで40名くらいが集まったか。
2日目の晩、身内だけになったタイミングで、お前はこれを知っておいたほうがいい、
とCandombreの演奏を突然教えてくれる。
1月末にはTerreiroへ連れて行ってもらうことになった。

8日。
MadureiraまでPortelaのエンサイオを見学に出かける。Madureiraはサンバの盛んな街。
そんな空気を改めて感じる機会に。 白頭鷲の旗が美しかった。
お隣のImperio Serranoも同日開催。理由があってか時間差で始まり見ることが できた。
よそのウチのこととはいえ、この時期に人があまりに少なかったのが気になる。

9日。
Manguririnha, Jonatt、Samba som seteのメンツでサンバの営業に出ることに。
知り合いの実業家の誕生日のシュハスコの席での演奏。
場所はなんとBarra da Tijucaの大きなコンドミニアムの共有スペース。
市内とは別世界。

黒人メンバーの中にでかい日本人がいてかなり珍しがられる。
Japa, Japaとビールを飲まされて困った。
休憩を挟みつつ4時間は演奏したか。


先日、Zezinhoのパンデイロを注文することに成功。
来週の木曜にDuque de Caxiasまで引き取りに行くことに。
その後、お昼にMakoさんと会う。夜はBNDESという銀行協会(のようなもの)の
運営する劇場でArrancoの無料ライブ。あれだけのクオリティのものを無料で見られる、
というのは本当にうらやましい。早速CDとDVDを購入。

昨晩はvilaのエンサイオ@クアドラ。
いつも同様、さらっとした感じで終了。
2時半で退散。
帰りに入会時から世話になったCativeiroとその息子のRodrigoが、
車にもたれかかって泣いている脇を通る。
何かあったのかな、とJonattと話して帰る。
今朝、Rodrigoの奥さんのご両親、息子が交通事故で亡くなったことを知って絶句した。
娘も集中治療室に入ったままだそうだ。
よく知っている家族だけに残念でならない。

本日、VilaのバテリアでMocidadeを訪問。
PortelaとGrande Rioも来るとか。

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