韓国に行った日本人―Welcome to Korea

韓国の農家の男性と結婚した韓国在住の日本人。江原道鉄原のガイドをしています。 「鉄原」「あむツアー」のカテゴリをご参照に、elephants322@hotmail.comへご連絡ください〜

May 2011

4
おじいちゃんが亡くなって5日目の早朝、お墓参りに行きました。

5日目にみんなでお墓参りをすることは慣例として決まっているようで、遠方からかけつけていた叔父や叔母も、この日に済ませてから帰宅していました。

私が今まで見た韓国のお墓って、こんな感じのものばかりだったけど、初めて共同墓地を訪れることに。






広大な敷地、一つ一つに派手な造花がそえられ、お花畑のような雰囲気でした。
韓国は火葬、土葬が選べるので火葬の人は小さいお墓、土葬ならそれなりの面積を必要とします。
もちろん、金額もそれに応じてます。
(ちらっと聞こえた話ではっきりした数字でないですが、火葬は180万?くらいにだったように思います。土葬は500万くらい。)

おじいちゃんの前でお供え物を並べて、地面に膝と手と頭をつける挨拶を3度行います。
お供え物は同居していた叔母が全部用意します。
それが済むと駐車場でブルーシートを広げて、さっきのお供え物をおかずにみんなで朝ご飯をいただき、それぞれ帰宅しました。

韓国も日本と同じで、お墓の管理は誰がするか。。。といった問題は昔より大きくなっているようです。
一人に一つある点で、日本よりもっと大変そうです。
だから最近は、土地の問題もあって火葬が推奨され、家族納骨堂のスタイルも浸透してきてます。

火葬は最近になって当たり前になってきたことなので、年輩の方は土葬を希望する方がまだ多いみたいですが。
おばあさんも、おじいさんを火葬にしたのに「私は土葬にして」って言ってた・・

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5
やばいやばい!!
ちょっと急いで行かなきゃならないのに!!

・・・という時に限って、出会ってしまう、この団体。
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訓練場に向かう(帰る?)タンク大移動。

うちの方面は部隊がたくさんあるので、このように大型戦闘車両が行き交うのはちっとも珍しくありません。
韓国生活の最初の1年こそは、「うわぁ〜!」なんて目を丸くしたりしたけれど、今じゃ運が悪かった、と思う以外なにものでもなくなってしまった

何十台もが通り過ぎるのを道を譲って待ったり、または自分の前に来られちゃうと追い越すこともできないからトロトロとスピードを合わせて道を曲がるまでついて行ったり。

でも、国のために若い軍人さんたちは本当に頑張ってくれているんです。
タンクの上部からは顔に迷彩色のペイントを施した軍人さんが、鉄砲をかまえながら遠くを見つめています。
田んぼの忙しいときは申請をして軍人さんに手伝いに来てもらいますが、短く清潔に切りそろえた髪にひきしまった筋肉質の若い体はなかなかかっこいいですよ〜☆じゅるる〜おっと、私ったら。

そんな軍人さんたちの体は残念ながら写真に撮れませんので、代わり(??)にうちの子たちのセクシーショットでも・・・

お風呂タイムは彼らの大好きな水遊びの時間です。
昔から頭や顔が濡れるのがイヤで、今でもやっとの思いで頭を洗っている娘そらに対し、息子ヒョンは全く怖いものなし。
自分でひたっっすら頭からお湯をかけて、20分くらいは遊び続ける。
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自分でかけては、きゃっきゃっ喜び、

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お姉ちゃんにかけられて更にテンション倍増。
笑いながらかけるので、口にも目にもお湯入りまくりで、口をブガブガ言わせながらそれでも大笑いしてます。

もしかして、修行??いくらお寺のコボーズっぽいからって。

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3
今日はお葬式2日目でした。

私は昨日の夕方に一旦引き上げて、今朝9時半頃にまた行きましたが、私がいた時間帯は特に忙しそうでもなく、家族親戚がぶらぶらと時間を潰している状態でした。
参列者は今日の夜から本格的に大勢訪れるんだと聞きました。


今朝は、近しい親族だけ小さな別室に通され、そこで冷蔵保管されていたおじいさんのお顔を見ての最後のお別れでした。それは「염(염습とも) ヨム」と言います。

綺麗にされた遺体は、顔だけを除き首から下は黄色い麻布で包まれていました。
本当に背丈も小さく小柄な人だけど、こう見るとますます小さく見えました。
布の下には寿衣(スイ)という装束を着ているそうです。
その状態で、ステンレスの学校の理科室のようなただの台に乗せられていたのにはちょっと驚いたけど、最後の挨拶として、お義母さんたちが顔を触ったり言葉をかけたりしたあとは、顔も布で覆われ、「昨日主人が言ってたのはきっとこのことだ」と思いました。

進行役の葬儀社の男性が、「とても心安らかな世界にお行きになりました。悲しむことではありません」など、おごそかに話しながら進めます。
顔まで見えなくなると、おばあさんと娘息子達が順に、「考」と一文字書かれた縦長の布板を一枚ずつ、おじいさんの体の縦中心に、文字が隠れないよう半分ずつずらしながら置いていきます。一つ置かれる毎に、あらかじめ遺体の下にたくさん敷いてあった短冊状の布の両端を体の上で結び、「考」の布は固定されます。
こうして、頭からつま先まで「考・考・考・・・・」の文字が縦に並ぶと、いよいよ横においてあったお棺に納められます。
おじいさんは、これでもかってくらいぎゅうぎゅうにキツク布で何箇所も固められ、これじゃまるで身動き取れないじゃないか、なんて思ってしまいました。

部屋の雰囲気は、それはそれは終始涙で溢れていました。
私はおじいさんのことをよく知らないと言いましたが、今日みんなの様子を見て、おじいさんはどんな方だったのか、もう少し感じてとれたような気がしました。
明日の朝に火葬場、お墓へ向かいます。

昔と比べると、葬儀もずいぶんと簡素化されたそうです。
中でも服装は

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今回見る限りは、男性は皆黒いスーツ、女性はスーツとか黒っぽい服装。でも靴はスニーカーだったり。小中学生の従兄弟の女の子は、白いキャラクターつきのTシャツに黒いジャージ、スリッパでした。
お義母さんは、会場で借りれる真っ黒の韓服を着てましたが、チマの裾からちらちらと普段愛用のもんぺが見え隠れしてました・・・しかし弟(叔父)には、お前髭も剃ってこなかったね!、と怒って注意してました。いいんだ、お互いそんなんで。。。

これを書いている今頃、会場では大勢の人が来て賑やかに飲んだり食べたり、花札したりしていると思います。

おじいさん、80年本当にお疲れ様でした。


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2
今朝早く、主人の実家の近くに住む義祖父が亡くなりました。


家はとても近くだったのに、考えてみれば、私はそのおじいさんのことを何も知らないのでした。

おじいさんは叔父さん一家と暮らしていて、私たちは盆正月、あとは用事があるときちょこっと年数回顔を出す程度。顔を見ても私とおじいさんが一対一でおしゃべりするわけでもなく、挨拶するくらいです。
5人の子供のなかで第1子であるうちのお義母さんは、昔なにやら土地の配分かお金かのことで親ともめたようで、あまり実家に行かなくなった様子でした。同じような理由で、近くにいながら何年も親の顔すら見なかった叔父の一人もこの日ばかりは来ていて、おじいさんは、5人の子供全員とその配偶者たち、8人の孫に見守られながら眠るように息を引き取ったと、主人は話しました。


私はそれから何時間か経って病院に着きましたが、平均的な年齢をまっとうされましたし、ここずっと調子がよくないながらも間際まで家で過ごせたこともあるせいか、悲しみに包まれたようなひどい雰囲気ではありませんでした。むしろ、田植え真っ最中の上での睡眠不足で皆さん疲労しているように見えました。(5人の子の中で4軒が農家)

韓国は、病院の地下が葬儀場になっていて、大抵は亡くなった病院でそのまま葬儀を執り行います。
私は初めてなので全く勝手がわかりませんが、とりあえず今日は親戚が集まり、何時間も色んな事務的な話をしていました。私は子供や、まだ小中学生のいとこたちと外で遊んだり、アイスを買いに行って食べたりと、自由に時間を潰して待っていました。
一応黒い服を着て行きましたが、本当に正装が必要なのは人々がやってくる夕方からで、その時間になる前に「小さい子がいるし、お前達は先に帰りなさい」とお義母さんに言われ、私たち嫁2人と子供達は家路につきました。

これから明日にかけて、大勢の人が訪れるようです。広い会場にテーブルをたくさん並べて、食堂と変わらない雰囲気で使い捨てのお皿に何種ものおかずやごはんが出されます。それを、来た人から適当にテーブルについて、食べて飲んで、お焼香をして帰るのです。主人やお義母さんたちはそのお相手やサービングをするようです。
あさっての早朝に火葬場、お墓に向かいます。

韓国は結婚披露宴もそうだし、少人数でおごそかにするより、形式ばらずに大勢でわいわいとやるのです。私もその方がいいかも!と韓国に来て思うようになりました。


私は先週、おじいさんのお宅で少しお顔を見たのが最後となりました。
その時も非常にしんどそうで、一日に一食お粥を口にするだけでした。
今日もお顔を一度拝見したいと言いましたが、日本のように目に触れるところにお棺を置くのではなく、会場とは別の部屋にあって、しかもミイラのように包帯で全身を巻いてあるから顔も見えないと主人に言われました。(でも実を言うと主人もよく知らないので、多分・・・と言いながらの会話だったけど)

こういう時って不思議です。
私は冷たいようですが、おじいさんの死に対して悲しいという感情はあまりないのです。なのに頭の中には、数日前に会いに行ったときに、しんどそうながらもニッコリと笑顔を作っていたおじいさんの良い顔しか浮かばないのです。他の表情は思い出さないのです。

おじいさん、どうか安らかに。
明日は私も、最後の挨拶に参ります。


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5
先週の話になるけれど、鉄原にまた一組のお客様をお迎えしました。

今度は、いつもと違った・・・というのは、御年84歳。
この年齢を超える方にお会いするのは、きっと後にも先にもないでしょう。
息子さんとお二人でいらっしゃいました。

そして目的は、鉄原の観光の目玉である第二トンネルでもありませんでした。
鉄原という地は、朝鮮戦争時に大戦闘が勃発したため当時の戦跡が見所なのと、北朝鮮が南侵用に掘った地下トンネルが韓国に4つありますが、その一つである第二トンネル、それからDMZが展望台から一望できるのが主な売りなのです。

いつもと違う視点から鉄原を見る大変にいい機会をいただいたのは、私の方。
だって、今回の目的は戦前の栄えていた鉄原だったからです。


日本統治時代にお父さんが韓国に転勤になり、韓国で生まれて10代まで鉄原で過ごされたそうです。
かれこれ70年前の鉄原。
今は戦争で全て焼けてしまい、地雷地帯や田園地帯になってしまってなにも残ってませんが、当時の栄え振りといったらかなりのものでした。

何千人もの人が働いていた紡績工場。
200人もの児童がいた普通学校。
金剛山へ続く電気鉄道と、汽車が通っていた鉄原駅。etc..

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それらは全て過去の幻のようになってしまいました。

かろうじて残っている建物や線路の残骸を見て回り、
「まぁ、なんと、何にもなくなったんやなぁ」
「りっぱだったのに、もったいないことを、、、」


繰り返しおっしゃっているのを聞きながら、私も、当時の賑やかさを見てみたい気持ちでいっぱいになりました。それは絶対に無理でも、子供だったにもかかわらず地名や建物の位置関係、当時の様子など細かいところまでかなり密に記憶していてお話ししてくださるお客様に、戦前の鉄原に誘われた気分なのでした。

「おかげで、いいものを見せてもらいました。鉄原で一緒に暮らした親兄弟、親戚は皆死んでしまいましたが、親のお墓に(鉄原をもう一度見てきた)と、今日撮った写真を持って報告に行かないかん。」

なんとも忘れられない言葉をいただきました。
その言葉に含まれている想いや、重みは私にはきっと理解しきれない大きさです。
だけど、微力ながらこんな風にお役に立てたこと、通常のご案内とは違った喜びがあります。

日本統治時代。
残念ながら、こちらでは「日帝強占期」という言い方をします。
その期間をどう捉えれば正しいのか、私にはこうだと断言できるほどの知識はない。
日本の統治がなければ、今の韓国はなかったでしょう。
しかし、今回は義両親におしゃべりするのをやめておきました。
いつもお客様を迎えたあとは雑談として話をします。
戦後生まれとはいえ、今回は嬉しげに何にも言わない方がいいかもな、と、、私の勝手な考えすぎだといいのだけど。


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2
実家では今年も、田植えの準備が始まりました。
村の中ではもう植え始めている人も結構いて、田園地帯の色合いがどんどん緑に染まっています。

そんな中、お義父さんの病気がまた出始めました。

鬱病です。
去年も眠れないとか、心配がつきないとか、人に会いたくないとか様々な症状に悩まされていました。
苗の生育状態が良くないことがキッカケになったようですが、病院では先生に、昔お金のトラブルで実兄と相当に揉め、絶縁状態になったことのショックを話したそうです。
もう20年くらい前のことなのに、お義父さんの消えない深い傷になっているみたい。

去年は収穫が終わり冬になって、仕事がなくなったことで大きな心配事が取り除かれ、元のお義父さんに戻ったように見えてたのに・・・また田んぼが始まって皆が恐れていたことになり始めました。
薬はずっと飲み続けてても、眠れない、食欲不振、元気がない、など・・・・

今回も確かに苗は少しは良くありません。
しかし大きな問題じゃなくて、あとでも十分挽回できる程度です。

主人は「この程度なら、そんな心配するほどじゃないですよ」と声をかけ、
嫁達は少しでも孫を連れて遊びに行き、お義母さんはお義父さんの好きなものを作り、
離れて暮らしているお義姉さんはよく電話をしたり気遣ったり、、、
など、それぞれ無力微力ながらできそうなことをやってるけど、鬱病ってそんな甘いものじゃなさそうです。
仕事をちゃんとこなしているだけ、まだ大丈夫なのかもしれませんが。
加えてお義母さんは、長年患っている膝がさらに痛くなったので診てもらったら、水がたまっていて仕事がし辛くなりました。
普通に歩くのは大丈夫だけど、しゃがんだりぬかるむ田んぼにずぶずぶ入るような仕事は難しいのです。

さらに加えて、ソウルで証券に勤めているお義姉さんもストレスから来る体調不良に悩まされ、2,3ヶ月の病気休暇をとると言います。お義姉さんは「もう仕事辞めたい」とずっと言ってるけど、お義母さんは35歳でまだ結婚していないことを心配するあまり、大手企業に勤めていることは結婚の大きな強みになる(辞めたらその肩書きがなくなる)と言って反対しています。
親心も分かるけど、健康な心身あっての結婚なのになぁ・・・

みんなが健康でいなくてはならない。とても、もどかしい。

このような状況の中で、今のところとても健康で普通以上に体の強い主人に感謝せずにはいられません。
主人は傷の治りも人より早いし、病気知らずで力持ちだし、軽くサイボーグみたいだけど、油断ばっかりはできませんネ。
主人あってこその私、大事にしなけりゃなーと思うのでありました。



ホント、彼には助けられてばっかり

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少し更新が止まってしまいました・・・

朝に子供と一緒に家を出て、子供と一緒に帰って来て、子供を寝かせて一通り家事を済ませると気力が無くなってだらだらと過ごしていました。改めて思う、世の中の働くお母さん達はすごいなぁ!!と。


で家はどこまでできたでしょう??
最近はトマトハウスの方に手が行ってて、実はあんまり進んでいません。
しかし主人は頑張ってくれています。
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家正面にコンクリを打ったところに、3坪程の組み立て式の部屋を設置。
本来の玄関は中玄関になり、新しく外玄関ができました。
中で二つに分かれているので、靴脱ぎ場と、ちょっとした収納庫として使えます。
冬に勤めていた土方の先輩に技術者がいて、そのお兄さんと主人と2人で建ててくれました。

それから窓はどうなってるかというと・・・



明日には入るかと

あとは電気。
電気の線が壁を伝って丸見えぐちゃぐちゃだったこの家。
電気のことは分からないからプロに任せようと言ってた主人、費用が相当かかることを知ったら、通信会社に昔勤めていたことのある自分の兄さんと一緒に今やってます。兄さんも、仕事絡みで少しかじっただけだと言いながらも、主人を十分助けてくれました。



私の出る幕は正直ありません
小間使い的なことや、単純作業を手伝ったり散らかると片付けたり、庭に目を向けてみたり。
まぁネズミのようにウロチョロしてます。

主人に頭の下がる思いの今日この頃です。


実際は絶対下げませんけどねー
上げられもしません。




最近あんまり子供と遊んでないなぁと気になっていた今日、久しぶりに3人で公園に遊びに行って、シャボン玉を飛ばして大喜びでした。
どんなに遊んでやれなくても、私にお菓子はもうダメ!と言われてもどんなに叱られても、お母さんが一番好きだと言ってくれる子供達にも、頭が下がる思いです



もっと更新がんばりまっす☆
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5月5日は、韓国でも子どもの日で祝日でした。


ちょうど私の住んでる街では、毎年恒例の旧石器祭り(石器が発掘されているのを売りにしている街です)が開催されていて、お義母さんたちと遊んで来ました。

普段は何もないだだっ広い芝生広場です。
お店や、色んな体験ができるブースがところ狭しと並んでます。
写真クリックで拡大
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原始人がいたり、石器のオブジェがあったり。
そらは、「おっきいニンジンがある〜!!」って。

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マグカップに写す絵を描いています。汽車です。
 
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消防署主催の脱出用の滑り台を滑る体験。
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そして!
5月8日は両親の日。

子ども達が、保育園で作ってきてくれたカード。
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ヒョン(黄色):チュウと、「お父さん、お母さんありがとう。サランヘヨ」
カード表紙の花をヒョンが貼りつけ、先生が手首を持って一緒に字を書いてくれたようです。

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そら(赤):チュウと「お父さんお母さん、空くらい、大地くらいサランヘヨ」 
自分で薄く印刷されている文字をなぞってくれました。

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2人ともありがとう
子ども達はなんだか分からないまま作ったものだとしても、こんなものを貰う立場になったんだなぁと、とても嬉しくも不思議な感じもするのでした。
DSCF5644肉が似合う

ちなみに、私達は義両親に今年はケーキと現金のプレゼントです。
定番のカーネーションを
毎年差し上げていましたが、正直あまり興味がないようなので、初めて変えてみました。
明日、喜んでくれるといいな。
あまり喜ぶ素振りは見せてくれない人達ですが 笑。


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5

日々が走ってます。
時間と寄り添って行かなくてはならないのに、完全に背中を追っかけてるような・・・?
実際せかせかしているわけでもないんですけどね、ふっとそんな感覚になる、それが5月。

そんな中、鉄原にお客様をお迎えしました〜!
そう、もうお約束の言葉「久々」です。

前回のツアーしばらく休止のお知らせから、実は2組お迎えしてて、、、それでも数ヶ月に1度の間隔になってますが。いつでも確実に出動できる状況でないため、宣伝を全くがんばらなくなっています。
しかし、来る者は拒まずの精神。(なーんて偉そうに・・・)

鉄原はマイナーなので、旅行会社のツアー一覧から選ぶなど受身では発見が難しく、「第2トンネルに行きたい」とか、「鉄原に行く」というような鉄原に対する明確な興味を自らが持ってないと、なかなかキッカケがありません。
ですから、わざわざ私を探しだして来てくれる方々には、できる限り良い対応をしたいと思っています。
どうしても都合が悪くて、お断りしてしまうことも稀にありますが・・。


今回のお客様は、事前に「韓国はもう30回ほど」と聞いていたので、どんだけ韓国好きなんだろう?!と思っていたら、カジノ好きの方でした 笑。
以前にもカジノに通うお客様がいて、そういうお話を聞いていたら全く知らないのにちょっと行きたくなります。

このお客様がしきりに仰ってたこと。
鉄原にこうやって来る前は、もっと塞がった閉鎖的な雰囲気を想像していたそうです。
しかし実際は、至ってフツーで、明るい田舎で、田園風景が広がり、また繁華街には背の高いマンションも沢山あるしお店もあるしでイメージが変わったと言います。

とても良いコメントをいただいたと思っています。
この方は、先に第3トンネルや板門店を訪れたので、そこの硬い空気や家も無いような印象を鉄原にも重ねたのかもしれません。
無理もありません。そして来て見なければ分かりません。
DMZ(非武装地帯)のある街だと聞けば、誰だって知らなければ暗いイメージをするでしょう。
でも実際は、明るい農村です。国内外からかなりの観光客も来ます。

この日も、とても良い一日となりました。
本当にありがとうございました。


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