皆様のおかげ様で、細ーーーくですが長ーく続いている鉄原ツアーでございます。

少しずつ紅に染まってきている鉄原に今回お迎えしたのは、大変貴重なお客様でした。
去年も来てくださったリピーターの方、一つ年をとって85歳になっておられました(当たり前ですが・・・)。

前回の記事〈戦前の鉄原を見る〉

上の前回の記事で

この年齢を超える方にお会いするのは、きっと後にも先にもないでしょう。

と書いたのですが、お会いしましたよ、同じお方で。

また息子さんとお二人で来られて、前回うかがったお話の記憶があるので前よりもっと興味深く、さらに色々なことを教えてもらいました。


とても簡単にまとめると、父親が朝鮮半島に転勤になり、それから昭和2年に今は北領の日本海側の地域、通川(トンチョン)でお生まれになりました。それから鉄原に越してきて、幼少時代から10代前半までを鉄原で過ごしました。15歳で今は北領の元山の中学校を受験しましたが失敗し、内地に帰って岡山の学校に進学したそうです。

私は自分が住んでいる場所のことなので、当時の話は本当に面白い内容ばかりだった。

冬は田んぼや池に厚氷がはって、スケートし放題だったこと。

鉄原からソウルまでは汽車で2時間で行けて、ソウルの動物園(今はソウル大公園へ移転した京城李王職昌慶苑動物園)や三越へ遊びに行くのはとても楽しかったこと。

スケート靴もその三越で購入したし、三越の4階には飲食店があってアイスクリームを食べたこと。

隣町の金化では銅が採れ、貨物車でソウルの方へ輸送されてたこと。

もし引き上げまで韓国にいたら色々大変だったので、受験に失敗して結局はよかったこと。

近所の韓国人ともとても仲良くしていたこと。


今は亡きご家族のこと。

食事は日本食だったが、キムチだけは当時から日本人も食べていたこと。

韓国の人からお餅をもらって食べたこと。

日本語の強要などしていない、ただ日本語が話せないと日本人が勤めている機関(銀行とか駅とか?)でのやりとりは日本語が話せた方が便利ではあったこと。

日本人の人口が一割程度であったこと。

あげるとキリがありませんが・・・
近くにあった教会のクリスマスの思い出や、学校、お祭りの話、金剛山、鉄原駅、鉄原中心ですがそれに止まらない多岐に渡る当時の事柄。
70年以上前だとは思えない記憶の鮮明さには、ただただ驚くばかりです。

戦争でほぼ全て破壊されてしまった中で、ぽつりぽつりと残っている当時の建物を見て回ります。

鉄原駅のタブレット。タブレットとは→
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当時の写真を懐かしみながら、お話してくれました。
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氷倉庫。
冬に近くの湖でのこぎりを使って氷を切り出し、牛に引かせて運んでこの倉庫に保管しておいて夏に売る、そんな氷屋さんが使っていたものだそうです。氷屋さんはいくつかあったようですが、氷屋の友達で「小宮山」というのがいた、そいつの家のだったかなぁと・・・仰天の記憶力。
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金融組合。
奥側に位置していた金庫は丈夫に作られているので、他の部分より焼け残っています。
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鉄原は今はド田舎ですが、戦前は、半島一の名山で温泉地でもありスキー場もあった大観光地の金剛山に行く、金剛山電気鉄道という私鉄が設けられ、多くの人が経由する町でした。

戦争が起こっていなかったら。
日本が撤退していなかったら。

考えてもしかたないが、半島の揺れ続けた歴史には感慨にひたってしまいます。
一方で、やっぱり日本が半島にもたらした文明はすごかった、と改めて認識もしたり。

日韓併合についてはなんやかんや物議を醸していますが、語ってくれたお話から受ける印象からは、韓国がぎゃあぎゃあ騒いでいるような後味悪い時代のようには、やはり一つも思えませんでした。

あぁ、今回も楽しかった!
本当にありがとうございました。


韓国の生き残っているお年寄りには、大きな声で国民に真実を語る義務があると思う。
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