我が村のお年寄りのほとんどは、村の始まりからここにいる、先住民と言える人たち。
そんな中でうちの隣のおばあちゃんは、去年新しく引っ越してきた、私と同じ「他所から来た人」です。

そのおばあちゃんは田舎の空気や穏やかな生活を求めてここに移住し、毎日敷地内の畑をしたり本を読んだりして過ごしていますが、一番仲良くなった近所のおばあちゃんが入院してしまい、最近は寂しそうにしている様子が私の目にもはっきりと分かるくらいでした。

私から見たら村内に山ほどいるおばあちゃん同士、皆様忙しくもなくどこかの庭先にたむろしてはしゃべっているのだから、そのコミュニティに入るのは簡単のように思えます。
ところが意外とそうでもなくて、そのおばあちゃんはたった一人仲良しだった人がいなくなり、他に行くところもないので家ばかりにいる感じ。

私こそ基本が社交的でないので村内に友達などおらず、ママさんたちと会えばしゃべるがわざわざ家に遊びに行くような関係の人はいません。村内だけで生きてるのでなくあちこちで社会の付き合いがありますから、寂しさは全くなくこのくらいで大満足している根暗な私ですが、隣のおばあちゃんの目には逆に、私たち若い人たち同士がそのような一線ひいた付き合い方をするのが違和感らしい。お互いに、「年寄は誰とでも仲良くできる」「若い人は一緒によく遊んでいる」と思ってるんですね。

私の住む村は200世帯ほどの、典型的な農村です。

韓国でも最北端に位置し、朝鮮戦争時は国内でも指折りの激戦区となった歴史を持つここ鉄原郡は、戦後荒廃して地雷しか埋まってないような非武装地帯沿いの土地を開拓して、村を造る事業を進めました。元々居住していた住民たちの帰郷への声の高まりに加え、主に食糧増産と、北に対して心理的に優位に立つ戦略上の目的がありました。

北の「宣伝村」は人が住もうが住むまいが、わざと韓国から見える近い場所にはりぼてのような建物群を建てて、国民が豊かに暮らしているように見せかける集落がありますね。
韓国のそれは政府の計画によりその役割や意味は村によって様々ですが、本当にちゃんと人の住んでいる普通の村を造りました。

私の村も当時、荒れ地を開墾し農地開拓を主な目的に造られました。1968年のことです。
地雷だらけの土地にまずは男たちが入り、2年ほどかけて形にしたころに家族を呼び寄せて移住した…その先駆者は今や80をゆうに超えるお年寄りたちです。

開墾の過程では地雷の事故で大けがをする人も、命を落とす人さえいました。昼間はそのように命がけで作業をし、夜は夜で北の脅威が今よりもずっと危うく、ぴりぴりしていた時代でした。

村人は強い絆を持ってともに苦労を乗り越えてきたのです。

しかし時代というのは優しくもひんやりとしますね。ずっと変わらないものではありません。
村人の心がお互いに思いやることに変わりはなくても、時代に合わせてその思いやる方法は変わっていきます。

お義母さんからもたくさん聞きました。
昔は機械がないから村人たちはもっともっと共同体で作業をし、ご飯も一緒に食べ、自分ちも隣もなかった。

私から見ると今でも十分に仲良しすぎる農村なんですが・・・

末っ子である私の旦那は村内にできた幼稚園に通いましたが、義姉・義兄の時は幼稚園がありませんでしたので通っていません。親も忙しいので、子供は近所も自分ちもなく伸び伸び走り回って過ごしたのだろうと想像します。私と旦那、同世代なのに幼き頃の話の世界が違いすぎます。旦那の話は、私の父の時代を彷彿とさせます。

また、今はなーーーーんもない村でも、クルマがまともになかった昔は結構お店があって毎日の食材には困らなかったらしい。時代は村が発展する方向ではなく、村人がクルマを所有して町に買い物に行く方を選びましたね。

昔と今と、どっちがいいとかそういう話ではないです。村の人が楽しく笑っているなら、なんだっていいんです。
ただ、特殊な絆で結ばれた村の先住民が亡くなりつつあり、その三世、四世が中心の今、そして今後、村の雰囲気はがらりと移り行くんだろうなぁ。というのは、何も知らない余所者のくせに生意気にも思うんです。

寂しそうな隣のおばあちゃんの姿から、そこまで迷想が膨らみました・・・
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