韓国に行った日本人―Welcome to Korea

韓国の農家の男性と結婚した韓国在住の日本人。江原道鉄原のガイドをしています。 「鉄原」「あむツアー」のカテゴリをご参照に、elephants322@hotmail.comへご連絡ください〜

カテゴリ: 韓国で単独事故

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2週間で退院を迎えました!
まだ娘を抱っこしたり世話するのは無理だろうと、1週間ほど主人の実家でお世話になることになりました。確かに歩けても肋骨はまだ不完全だったり、体をごしごしこすることは痛くてできなかったり、目のピントが合わず車の運転はできない等不安は多く残ってました。
とか何とか言って、その一週間で娘を抱いて遊びまくった記憶もあるんだけど
退院して一週間後に撮った写真では、肋骨がちゃんとついててもう大丈夫だと言われました。だけど、折れた面と面がぴったりつくのでなく、クロスしてついてるんです。しかも、一緒に写真を見てる先生はそのことに触れない。もう大丈夫ですね〜といった感じ。そんなに普通のことなのか!!「えっ、こんなんでいいんですか」たまりかねた私が聞くと、「もう大丈夫ですよ」ってへぇ〜私は生涯クロスした肋骨で生きていくのか。内臓に刺さんなかったら、問題ないってことなんでしょうかね〜素人には分かりません、見た目衝撃でしたけど。

その後は、目のピントのずれはなかなか戻らなかったことと、一ヶ月間閉め続けた口がワイヤーを外しても元通りに開くようになるまで時間がかかったと心配したことを除けば、だんだん回復し、今は元より大口が開きます。

本当に皆さんのおかげで、回復したと感謝しています。
色々、運がよくてこの程度で済んだんです。単独事故で、娘も無事で、体も元通りでいうことなし。
そして、もうこれ以上、韓国の病院を知らなくてもいいってくらい分かったから!
ちょっと変わってしまった顔は、自分への教訓ですね、次やったらこの程度じゃ済まないよって。
皆事故には気をつけましょう〜

終わり

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歩けるようになったら、もう〜退屈です。寝てるか用も無く、ウロウロウロウロ徘徊大病院だったので、人が多く広いことは幸いしました。

実は術後、「顔を押さえないように」と両方のほっぺたに紙コップをつけられてました。鼻には石膏で作ったようなカバーを紙コップ同様医療用テープで貼り付けてありました。髪はぼさぼさだし、何だかふらふらしてるし、点滴をひきずってるし、かーなり怪しい、これまた人生で見られたくない姿BEST3には軽く入るでしょう

あと、すごく気になってたのはマユゲと歯。2週間もマユゲを手入れしないって結構一大事だと女性の皆様にはご理解いただけると思いますが当時は顔の上にごちゃごちゃとテープやら何やらあって微妙に隠れてたんだけど、日に日に先生が数を少なくしていくんです、つまり良くなってるってことなんだけど。

病院のトイレは暗いからはっきり見えないけど、太陽の下に出てみればおそらく・・・なんて心配を。
歯は、前歯の裏のぬめりが一度剥がれた(溜まりすぎ)。あと2週間以上歯磨きできないのに・・・それでもうがい薬を一生懸命して、どうにか虫歯は免れました

続く〜

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毎朝の日課で撮っていたレントゲンで見る、あばら骨の治りは順調だったようです。4本折れたと言っても、ただ簡単なサポーターをぎゅっと撒いてマジックテープで留めてるだけだから、こんなんでいいんだーと思ってました。骨ってすごい!

顔の手術の次の日、胸部外科から整形外科に担当が替わり、病棟も移動です。

担当だという若い先生が、有名なかわいい歌手と同じ名前な私に(もう名前分かっちゃいますね)、「もしかしてって超期待したんだけど〜」って、とっさに私「すいません」って何で謝ってんだ・・・

手術の際に鼻の形を整えるため、両方の鼻の穴にこれでもかとギュウギュウにガーゼを詰め込まれてます。5日間の我慢です。口は開かないわ、鼻は詰まってるわ、しかも鼻からペロ〜ンと出てくるガーゼの先っちょを見て主人は大うけだわで自分でもおかしいやら、腹立たしいやら

だけど、目の周りが固定されたせいか、頭のぐらつきが落ち着いたんです。
勇気を出して立ってみました。その瞬間から、どんどん回復を自分で感じるようになりました。

つ・づ・く〜

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ちょうど一週間経った日、顔の骨を繋ぐ手術です。
自分は説明を聞かなかったのでよく知りませんが、先生と話した主人から聞いた話では、顔の目の周りと、それ以下が全面的にばらばらに砕けたそうです…(オイオイ)

なんだか聞けば背筋が凍る話。骨だから、手術をしなくても命にはかかわりません、自然にくっつきます。だけど、歪んだ顔で生きて行くことになるんでしょう。

整形大国韓国、コレを機会にもっと美人にしてもらおうと考えてたら(本気でキムテヒにしてくださいと言おうとしていた)、執刀の担当医が来る前に麻酔をかけられてしまったので、言うチャンスを逃した。くそう〜

何がどんな手術か素人には分からない。両目の上下と耳の後ろにメスを入れた傷が残りました。
今ではすっかり普通の顔に。

だけど、元の顔にはなりませんでした。受け口になったのと、目が落ち窪んだと言うか、眉毛のトコの骨が出たようになりました。事故のことを知らない人からは、やつれたんじゃないとか、キツメな化粧に変えた?とか言われることがあります。

だけど、ここまで治ったことにとってもとっても感謝!主人が、変わらず好きでいてくれるのでそれでいいんですよ〜なんてね 恥ー

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口も開かないし、食べられるものと言ったら流れるものだけなので、お腹もあまりすかない毎日です

病院食のあまりの口の合わなさにいつも80%以上残してもったいないので、看護士さんに言って止めてもらい、自分で下のお粥やさんで買ってきたものとか、ヨーグルトとか食べてました。点滴で栄養は入れてたから元気は元気だったけど、寿司食べたいな〜とかよく考えた。歯磨きが一ヶ月できないことの方が心配でした。歯垢が溜まってきてるのぬるぬる感じるし・・・

事故から一週間、お義母様が子どもを連れてきてくれました。
驚いたことに、完全母乳育児であんなにはっていた胸は、授乳をやめたら数日でぺっちゃんこ(まぁ元通りってこと…)。人生初の豊乳時期がこんな形で終わるなんて
全然おっぱいが出なくなったのに、明日子ども連れて行く、という連絡をもらって楽しみにそのことばかり考えていたら、その夜に乳が何日かぶりにぴゅーぴゅー出るんですね、我ながらびっくり。
残念ながら、退院後もどんなにがんばってマッサージとかしてみても出なくて終わってしまったけど。自分を維持する栄養すら足りてなかったんでしょう。

4ヶ月の娘は、私を見ても別に何ってことなかったけど、一週間見ないだけで随分大きくなってる気がしました。完母だったので、最初はミルクを飲まなくて泣いてばかりだったりで、お義母様には苦労をかけました。

さらに続く〜

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結局主人はおむつを買ってきてくれたけど、「一番安かった」理由で買ったのは子供用の小さいの。だけど、子供用という表示がどこにもないので、気づかないおバカな私達。
「これ、すごく小さいよね…」「テープも無いし、パンツの中にはさむようにして使うんじゃないかな」「ホントかな…。ナンか違う気がするけど、使ってみるよ」


もちろん失敗。尿はシーツまで漏れ、結局忙しい看護婦さんの手間をもっと取らせてしまった…。その時来てくれたのは、さっきの舌打ち看護婦さんじゃなくて、優しい他の人だったのでちょっとほっとしたけど、恥ずかしいやら申し訳ないやらで、今までの人生の「恥」で結構上位に入る出来事です。゜゜(´□`。)°゜子供用だと分かったのは、その時に看護婦さんに教えられて

その日から二日間は週末だったので、義姉がずっといてくれて助かりました。義姉には、下の世話までさせてしまい、今回大変お世話になりました。その後は立てるようになり、トイレも自分で行くようになりました。

続く


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4日目で、胸部外科の大部屋へ入りました。
韓国の病院は、日本のように面会時間が決まってないのです。24時間OKな感じですΣ(`□´/)/
なので、6人収容のその部屋は常に、患者+付き添いや見舞い客でいっぱいで賑やか。テレビは一人一台でなく部屋の真ん中上部に一つあって、人気の番組の時間は大勢の人が集まって一緒に見ています。

よく言えば、夜でも常にひと気があり明るい雰囲気。ケイタイ使用自由。静かにしたい人にはキツイかも。

テレビの他に、冷蔵庫一台、シャワーつきトイレが一つ。

まだ立てない私は、トイレ、食事の際にどうしても介助が必要でした。だけど時期は田植えの真っ最中、主人もずっとは居られません。
その日の夜は主人は帰らねばならず、「朝になれば義姉に来てくれるようお願いしてあるので夜中のトイレ(尿瓶です…)だけ見てもらえませんか」と看護士さんにお願いしました。すると、あからさまにイヤな顔をされ、チッと舌打ちまで聞こえて「夜勤は三人しか居ないのに。どうしてもというなら介護人を頼んでください」と言われました。
介護人とはプロの付添い人のことで、同じ部屋の人にも長期入院をしているらしい人に付いているのを見ました。仲介会社に電話で依頼して、半日単位で来てくれます。

ベッドの横には必ず付添い人のための簡易寝台が置いてあります。付き添いが必要だろうが不必要だろうが関係なく、お泊り自由。これは驚きでした。
だから、朝から晩まで賑やかです。女部屋男部屋別れているけど、付き添いがご主人の場合も多いので、結局24時間頻繁に男女出入りしてます。

続く

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続きで〜す

中間室へ移動し、体は動かせなくて天井と壁の時計だけをずーっと見てました。
次の日は前日より視界がはっきりして、人の顔もしっかり見えるようになって不安は少なくなってました。トイレと食事は介助してもらってました。
大食らいの私が、丸一日何も食べていないにもかかわらず全くお腹がすかなくて、それに出されたサラサラの流動食が本当においしくなくて、私でも食べられないコトがあるのか!と新発見。逆に、ここまでの状況にならないと、食欲が無くなることのない私

全然気づかなかったけど、足首と頭皮に大きな切り傷があったようで、それの縫合を受けました。そこには大きな縫い跡が残りました。頭は髪の毛で見えないけれど、おそらく残ったはず。
偶然にも、主人と私は似たような所に古傷があり、主人は足首にもあったので「なんと、またおそろいが増えたねぇ!」とむしろ喜ぶのん気な2人〜
上下の顎がずれたので、それを固定して治すと説明をもらい、ホンの10分くらいの手術を受けました。
先生が口に手を入れて下と上の歯茎を掴んでグッとズレを戻すようにして、「かみ合わせはどう??かちかちってしてみて。元通りな感じ?」と聞くんだけど、実際かちかちしても良く分からないんです。
元々少しずれてるかみ合わせだったし、鏡見ながらの方が分かるかもしれないけど、普段ってどんな感じだったっけ・・・?と悩むんだけど、早く返事しなきゃいけないから、コレだったと思います。と答え、とっても小さいボルトを歯茎の上下の左右に計4つ埋め込み、左同士右同士で8の字にワイヤーをかけて締め上げ、完全に口はあかなくなりました。

一ヶ月絶対に口を開けてはいけないときつく言われ、もう笑うしか泣 歯をかみ締めた状態で話し、歯の隙間から流し込める液体状の食事しか受け付けません。しかしそれも慣れるもので、数日後には「私って腹話術師」みたいなジョークを言った記憶があるから、我ながら本当にのん気なものだ

事故から4日目、胸部外科の大部屋へ移動です。

次回へ続けま〜す

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それで一度最寄の病院に運ばれて何やらレントゲンかなにか撮ったり一通りしたけれど、田舎の病院なので結局そこから一時間位かかる大病院へ転送されました。主人曰く、普通なら一時間以上の道のりを救急車はびゅんびゅんと30分程で行って驚いたそうです。

私は意識こそ初めから飛ばなかったけど、痛いとか苦しいとかよりもとにかく頭がぼんやりとして眠くて眠くて、でも天井見ながら色んなコト考えてたのを覚えてます。
死ぬことはないなーとか、あぁホンット迷惑なばかな奴だなぁ、何でわざわざ田植えのピークに忙しい時期に…とかそらはどうしてるかなぁとか。
救急隊員が「目を開けててください!寝ないで!!」とずっと話しかけてくれてました。どれくらい経ったか時間の感覚は無くて、もう着いたとかいう人の話し声は聞いてました。

病院は患者で溢れているようでベッドに空きが無く、とりあえず運ばれてきた人全員並べられてるような救急室に一時待機のような形になり、様々な科の医師が入れ替わり立ち替わりやってきてちらっと診てくれましたが、皆非常に忙しそうで立ち寄り程度です。私がやっちゃったのは骨だったので、重症でも後回しだったのでしょう。

付き添ってくれた主人が心配して、いつまでここにいるんですかと何度も聞いてくれてたけど、空きがでないことには仕方ないようです。

私は痛みより、何時間も上だけ向いて寝ていることに我慢がならなくなり、体がむずむずして起きたくても(後で分かったけど)肋骨を4本折っていて起きられないし、目に水がかかってるみたいな不透明な視界だし、視野が非常に狭くなっていて横に居るはずの主人が少しでも視界から外れると「居るの〜?」と聞いてました。

すぐに実家の近所の人達が数人、救急車を追っかける形で来てくれ、夜には仕事上がりの兄嫁も来てくれましたが、人がそこにいることしか見えないので自分では体よりも目がやられちゃったんじゃないかとそれを不安に思ってました。

一晩そこに居て、次の日の午前中に中間室と言う殺風景な一人部屋に移動です。ずっと横に居てくれた主人とも、中間室は決まった時間しか面会できないため一旦お別れです。

話が暗くなってきちゃった
次回に続けま〜す

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去年の5月に主人の実家で単独事故を起こし10ヶ月経って、やっと思い出話として言えるようになりました。今はほとんど完全に良いです。劇的回復力で、入院中に先生に「鉄人ですね〜」とまで言わしめた私でございます

韓国で思わぬ入院体験までしちゃって、何で事故っちゃったか韓国の病院はどんなだったか、ちょっくら書いてみます

その日の夕方6時過ぎ、主人の実家で義母と主人と私がいて、簡単な仕事が一つ残ってて3人と娘とで畑にぱっと行って帰ってこようということになり、私が一番に車に行きました。
庭に停めてあった車の後部座席のベビーシートに娘を乗せたら、当時3ヶ月だった娘はぎゃぁと泣き出しました。エンジンがかかり、車が振動すると泣き止むことは事実だったけど、何を思ったか運転席のドアを開け、手だけ伸ばしてキーを回したおバカな私。事故を起こしたときってホントに「ナゼそんなことを・・・?」と自分でもワケの分からない行動をとっていることがあります。今考えてみても、さっぱり理解できない自分でした。

ちょうどギアはバックでした。もちろん車はバックし、運転席のドアに激突つんのめり。
壁に沿うように停めていた車の後ろでたまたま開いていた勝手口のドアにもぶつかったようです。車はカーブを切るようにバックしたので車はそのドアにあたらず、私だけ〜実際は何がどうなったか自分では分からないけど。ガラスが割れる音とか。地面が視界に入ったとか。ナンかメリメリ??とかいうイヤな音がしたとか・・・?

車は幸いにもカーブを切り、敷地から出ることなく隣との間のフェンスにぶつかって止まり、娘も無事。それが一番の幸運ですね娘に何かあったらもう、なにがどうするかでした。

大きな音に主人も義母も近所の人も飛び出してきて、すぐに救急車で運ばれちゃって。救急車初体験!なんて喜んでる場合じゃなくて、最後にしたいです、ホント

次回に続けます〜


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