2012年04月

2012年04月29日

「緑の季節がやってきましたネ!」



柿若葉
 柿若葉

ユリノキ
 ユリノキ

紫モクレン
 紫モクレン


 雨が降って肌寒い日が続きましたが、やっと、緑の季節がやってきました。ケヤキの並木は、あっという間に、葉をつけてきました。枝ばかりの木々が1週間もすると、りっぱな並木道に…。自然のもつエネルギーというのはすごいと思います。

 私の好きなユリノキも、柿の若葉も、紫モクレンも、勢いよく成長しています。昨日、今日と暑いくらいの気温!!
いきなり初夏の感じです。

 クヌギもコナラも不思議な花を咲かせながら、青い空を楽しんでいるかのようでした。よく見て違いを比べてくださいね。

クヌギ
 クヌギ(コナラと比べてちょっと、長め10cmぐらい)
ドングリは、丸っこい

コナラ
 
コナラ(5〜6cmぐらい)
ドングリは、長め…


elma0451 at 20:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

2012年04月23日

「強くて、温かくて、優しい国、ニッポンを作ろう」鎌田實先生講演



紫花菜


 昭和63年、諏訪中央病院に赴任された鎌田實先生、当時4億の赤字を抱えた公設病院を黒字にし、地域医療に貢献してきた先生の近況の活動を元にした講演がありました。

 「誰かのために、何かをしていく」・・・この気持ちを大切にしてきたといいます。現在は、3.11の被災地を巡り、諏訪の病院からも31名の医師・看護士を派遣し、被災地の医療に自らもあたっているとのことです。クロネコヤマトのボランティアの方々、自衛隊の皆さん、警察の皆さん、お坊さんたちの活躍も印象に残ったとのことです。

 そこで出会った、ボランティアの方々もすばらしいけれども、「絶望的な状況の中でも、希望あることを求めて生きている人々」のすばらしさもあったことが語られました。

 ある女性を診察していたところ、眠れないという。薬をあげても、眠れない・・・。よくよく聴いてみると、離れ離れになった坊やのことが気がかりだと・・・。このような悲惨な震災・津波のあとでは、絶望的だろうと思ってしまうのが、ふつうだが、母親となると、「生きている、ぜったい、生きているから、探して!」と必死で、何枚もの手描きのメモを書いていた・・・緑のトレーナーをきた少年を見つけてと・・・懸命に訴えていた母親の声を、鎌田先生は、ラジオを通して呼びかけた。そうしたら、見つかった。しかし、その時は・・・。遺体で。

 また、ある女性は、父と母を捜していた。捜した結果、見つかった。「見つかってよかった。父と母が一緒でよかった。それも、自宅という家で見つかった。父はよく、最後は家で・・・」と言っていたのです。遺体で、でした。

 絶望的な状況でも、「人は、希望を求めるのだろう」というのが、印象的であったと、鎌田さんは、言います。福島原発から18~20kmゾーンで、助からない命を助けようとする医師の行為も話されました。仮説住宅が取り壊されるのは、2年後ぐらい。そこに、2000万円の投資をして、住民の診療に携わりたいという医師と看護士の方々の話もされました。

 無駄と思うのは、「ふつうの考え」でしょう。絶望的な状況の中でも、なにかをしなければならないと思う人たち・・・。なぜ、そのような行為が行われるのだろうか?と。

 目の前で、困っている人たちがいるのに、それを見逃すことができるのだろうかという思いを持てる立派な人がいる・・・人は、そんなふうにできている。誰かのために、何かをしたいというのは、人の遺伝子の中に組み込まれているのではなかろうか?・・・と。

 そこで、例に挙げられたのが、「スティルス性胃がん」で余命3ヶ月と言われた女性が「子どものために、卒業まで私の命を!」と言って1年6ヶ月ぐらい延命できた話。また、アウシュヴィッツで生き延びられたフランクル医師の話。そして、パレスチナの少年がイスラエルの軍に打たれ、脳死宣告された時に、自分の息子の心臓をイスラエルの少女に臓器提供をしたパレスチナの父親の話などを挙げられ、命の大切さを、どのようにして守っているかを話されました。

 信じられないようなことが、人の生き方、考え方で変わっていくことを示されていました。かけがえのない命を、救う、守ることができるのは、その人の日々の心がけ、生き方なのではないだろうかと。

 鎌田氏は、自分がもらい子であることを語りました。捨てられた子である自分を育ててくれた義理の父。その父は、小学校しかでておらず、上京してバスの運転手をして生計をたてます。バスの車掌だった義理の母と結婚しますが、非常に貧しい家でした。小学校に上がるときに心臓病を患い、入退院を繰り返していました。父は、毎日15時間も働きましたが、ほとんどが母の入院費に消えていました。

 もらい子であるとわかったのは、40歳近くになってのことでした。

 もらってやったとか、恩着せがましいことも一度も口にせず、泣き言も言わず、弱音も吐かず、父は苦難から逃げませんでした。苦しい時ほど、その苦しみを横に置いて、誰かのために生きようとしました。70歳くらいまで、タクシーの運転手をしていました。

 今生きていられるのは、父のお陰・・・。18歳の時に、大学に進学したくて・・・何度も何度もお願いしたけれど許してもらえませんでした。その時、私は、父の首を絞めていました・・・。

 二人ともいつの間にか、泣いていました。「おまえ、ほんとうに医者になりたいのか?」・・・それからの鎌田さんは、父からもらった「自由」だけを頼りに、責任を取りながら生きてきたといいます。「うちみたいな貧乏な家が医者にかかるとき、どんな思いでいるか絶対に忘れるな。弱い人たちを大切にする医者になれ」といった父親の言葉が、いまでも強い使命感になっているといいます。『岩次郎さんのおかげ・・・』そう、言っていました。

 『絶望にもかかわらず・・・』の「・・・にもかかわらず」が生きるヒントのように思えました。



elma0451 at 06:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

2012年04月22日

「アンリ・ル・シダネル展」於:損保ジャパン東郷青児美術館



アンリ・ル・シダネル展


 4月21日(土)に行ってきました。ちょっと、気になっていた展覧会です。午後2時から、京王プラザホテルでの『鎌田實講演会−強くて、温かくて、優しい国、ニッポンをつくろう』の後、4時過ぎに入りました。

 展覧会は、鑑賞客も少なく、ひっそりとしていました。花冷えのする日だったからでしょうか。

 初めて聞く名前でしたが、「薔薇と光の画家」と名うっての展覧会どおり、いい感じでした。日本では、初めての回顧展のようです。

 アンリ・ル・シダネル(1862〜1939)は、「印象主義や新印象主義の影響を受け、明るく透明感のある作品」を描いていました。夕暮れ時の風景、街並み、薔薇の庭、食卓などは、光が、そこにいた人でないとわからない雰囲気で、上手く描かれています。ちょっと、ボ~ッとした感じ。そこがいいなぁと思いました。解説にあったのですが、印象派の画家のような光ではありません。黄昏時の光、月の光…静かな光の中で感じられる幸せ感のような光です。なんとも、心穏やかになれる優しい光です。

 ル・シダネルに描かれた薔薇の館は、自分で、作った館であり、庭であるようです。今では、彼が住んで愛した街「ジェルブロワ」は、フランスで最も美しい庭の一つといわれ、観光スポットにもなっているといいます。

 7月1日(日)まで開催されているようですので、ご興味のある方は、ぜひ、お出かけください。70点の作品を楽しむことができます。

 以下、チラシの裏にあった作品を転載させていただきます。ここに載せた以外にもたくさん、良い作品がありましたよ。

帰りくる羊の群(エタブル)
 帰りくる羊の群

朝≪モントルイユ=ベレー≫
 朝(モントルイユ=ベレー)

広場(ブリュッセル)
 広場≪ブリュッセル≫

離れ屋(ジェルブロワ)
 離れ屋(ジェルブロワ)

夕暮れの小卓(ヌムール)
 夕暮れの小卓(ヌムール)

青いテーブル(ジェルブロワ)
 青いテーブル(ジェルブロワ)



elma0451 at 21:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

2012年04月15日

「散りゆく桜を楽しみながら…」



 4月も半ばとなってしまいました。遅かった春。今が満開の花がある一方、散りゆく桜も同時にある不思議な春。三寒四温で、繰り返し寒さと暖かさがやってきて、困惑しています。

 散りゆく桜を楽しみながら、写真を撮り、散歩を楽しみました。散りゆく花姿が愛おしい…。一年に一度しか、見られない桜だからこそ、これほどまでに、愛着を感じるのでしょうね。

桜の花が散る頃


桜の花が散る頃2


今が満開(2012年の桜)


公園で遊ぶ子ら


散りゆく桜


散りゆく桜2



elma0451 at 20:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

2012年04月12日

「雑木林にも春がやってきた!」



 やっと、春の到来!
桜も7,8日の土・日で、やっと咲き始めました。
今がちょうど、見頃、ポカポカ陽気です。

 清瀬の雑木林のほうに出かけてみました。冬の雑木林から春の芽吹きの季節へと変化しています。カタクリの花も出現!自生のカタクリらしく、ポツポツとしか咲いていませんでしたが、ちょっと、画像に収めてみました。

 忙しくて、ブログをやっと更新しました。

雑木林にも春がきた


カタクリが咲き始め


花のささやき



elma0451 at 21:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

2012年04月04日

「新・幸福論--青い鳥の去ったあと―」五木寛之著、ポプラ社刊



新幸福論


 人の「幸福」というのは、どういうところで感じられるのでしょうか。人、それぞれだと思いますが。

 今回の「五木寛之氏の考えは?」・・・というところで、一部、紹介させていただきますが…。
 
 彼の記述には、「ここに書いた文章は、明日の幸福の設計図ではありません。私の正直な実感を手さぐりしながら、幸福という、いささか気恥ずかしい主題を追いかけてみた足跡です。」とあります。

 私も、特に「幸福とは?」などと考えたことがありません。いつも、毎日の生活(仕事)で手いっぱい。常に「自転車操業」のような日々を送っています。毎日を必死に生きる中で、「あ〜、嬉しい!」「あ〜、良かった!」ということはあります。

 考えて見れば、「感謝する日々を送れば、幸せなのかなぁ」と思います。今、ここに「生きていられる幸せ」「仕事があるという幸せ」「健康でいられる幸せ」「五体満足でいられる幸せ」・・・それは、ただ単に、自分だけの幸せなのですが・・・。

 「アメリカ流の生き方」「ヨーロッパ流の生き方」なんて考えてみたこともありません。

 さて、彼(五木寛之氏)の考え方は、日本人を一くくりにして、一般の人はこう思うだろうと述べているのが気になりました。(僭越ですが、そう思ってしまいました。)

 それでも、考えさせられたのは、「金子みすず(当てはまる字がないので・・・)」のお魚という詩の引用でした。


 朝焼け小焼けだ
 大漁だ
 大羽鰮(いわし)の
 大漁だ。
 浜は祭りの
 ようだけど
 海のなかでは
 何万の
 鰮のとむらい
 するだろう。


 「他の命を殺さずには、生きていけない私たち」・・にも関わらず、私たちは、「それで、幸福と思っていないだろうか?」ということでした。

 その他にも、「青い鳥が去ったあと」の本当の思想。私の中の「幸福感とは?」を考えさせられました。

 将来に対して漠とした不安を抱えて生きている時代なのでしょうか。いつまでも続く不況、政治の混迷、経済の大変化…こういう時、何を求めて生きているのか?「絆」か?…絆の本当の意味は、私が考えてものとは違っていました。


elma0451 at 22:08|PermalinkComments(2)TrackBack(0)
Information
hatena

お知らせ

お立ち寄りくださいましてありがとうございます。 コメント&トラックバック大歓迎です。ただし、内容により、管理者の判断で非公開とさせていただく場合がありますので、ご了承ください。

hatena