少しずつ、私のカウンセリングや心理療法についての考えを書いていきたいと思います。
今日は、私の失敗談から見えてくる、「カウンセリングや心理療法にとって大事なもの」について、お話します。
「カウンセリング」と聞くと、何を思い浮かべられますか?
カウンセラーが、うんうんと話を聴いてくれて、問題を解決するためのアドバイスをくれる、
もしくは、自分の悩みを話して、気持ちをすっきりさせる、
……そう思いますよね。
カウンセラーは、すごく良く話を聴いてくれて、とっても優しい人。
そういうイメージを抱かれる方も多いと思います。
でも、実際は……。
同じ業界の臨床心理士の方々を見ていても、皆さん、ある種の「厳しさ」を奥底に秘めている感じがします。
でもそれは、「厳しい部分を持った人」が臨床心理士になるのではなくて、
臨床心理士としてカウンセリングや心理療法を行うには、その「厳しさ」を身に着けなければ、人の命を守れないからです。
カウンセリングにはルールがある。
そのことを、皆さん、ご存知ですか?
私たちはそれを、「治療構造」、または、「枠組み」と呼んでいます。
カウンセリングを受けていらっしゃる方々は、知らず知らずのうちに、それを受ける曜日や時間、場所、受ける頻度、そして同じカウンセラーが担当すること、が設定されているのに気づかれますよね。
例えば、「毎週土曜日の午後3時から50分間」、「○○相談室の第1面接室で」というふうに。
あれは、何でだろう?と思われたこと、ありませんか?
カウンセラーの都合で、時間設定してあるのかな、とか、この施設での利用時間は、一人当たり1回50分と決まっているのかな、とか、おぼろげながらに感じて、あまり疑問を持たれないことが多いと思います。
でも、実はそういう枠組みを設定するのは、「クライエント(相談者)を守るため」なのです。
ちょっとだけ想像してみてください。
自宅に帰った時、帰る度に、部屋の中が全く変わっていたら?
家族が会う度、顔が変わっていたら?
かかりつけの病院の診療時間が、毎日くるくる変わるシステムだったとしたら?
定期的に来てくれるはずの人(例えば、郵便配達、生協の配送担当者、ゴミ収集車などなど)が、来たり来なかったりしたら?
困りますよねぇ(笑)。
安心して生活できませんよね。
それと似ていて、「同じカウンセラーが、同じ場所、同じ曜日、同じ時間に待っていてくれて、いつもと同じ時間の分だけ話を聴いてくれる」。
……それって、とっても安心すると思いません?
「今、苦しい。なんだかつらい」と思っても、きちんとカウンセリングの枠組みのお約束ができていれば、「次の土曜日まで待てばカウンセラーに会える。この気持ちを聴いてもらえる」……そう思えば、何とか今の苦しさを持ちこたえることができると思いませんか。
そういう意味で、ひとつは、そういう枠組みがあることで、支えられる面もあるということ。
そして、その副産物として、クライエントは、「自分の苦しみを一人で抱える力、対応する術を身につけていける(=ストレス耐性を高め、ストレスの対処法を工夫する)」ことができます。
カウンセラーは、その方の一生を通して支えていける訳じゃない。
だから、その方が、いずれは自分一人で、悩みや苦しさに対処したり、問題を解決できる工夫ができるように、「離れていくための力」を育てることが必要です。
そのために、その枠組みがあって、クライエントが自分で対処しなければいけない時間もありつつ、カウンセラーに会って相談できる時間も持てるようにするんです。
だから、いつまでも、自分に依存させようとさせるカウンセラーは、その人が自分の足で立って歩いていこうとするのを阻んでいるとも言えます。
大抵の方は、問題が解決したり、自分の苦しみが減り、自分で何とかやっていけそうになった頃には、自ら離れていかれます。
それを、一抹の寂しさと、その方の身につけられたたくましさを誇らしく思う思いで見送るのが、私たちの役目なのだと思います。
そして、実は、ここからが本題。
私の失敗談から、どうして、そういう枠組みやルールが必要なのか、一般にはあまり知られていない危険性についてお話したいと思います。
私は、中学3年から、将来、心理学を学んで、カウンセラーになりたいと強く望んでいました。
そして、運良く、穏やかで人の話を大事に聴くような優しい人と見られていました。
私自身も、人の心というものに興味があって、カウンセラーになりたかったので、人の話をしっかり聴こうと、将来に向けての練習のつもりで、誰かの悩み相談にはよく乗っていました。
カウンセリングの知識がほとんどない頃は、誰かの悩み事を聴いても、大丈夫でした。
私自身も疲れることもなかったし、話した相手の人も、「話してすっきり!」くらいで済んでました。
ところが、心理学のこと、カウンセリングや心理療法について集中的に学び始めて1年ほど過ぎた頃から、何かが変わってきました。
とにかく、やけに悩みを打ち明けられることが増えたのです。
それも、その人の根幹を揺るがしかねない、とてもとても深い傷や痛みを。
とにかく一生懸命に聴きました。
時には、夜に電話がかかってきて、呼び出され、心配になって会いに行ったら、思ってもみない悩みを打ち明けられたり。
いろんな人から電話がかかってくることも、しょっちゅう。
でも、私は迷惑だと思うどころか、自分が必要とされていることが嬉しくて、とにかく話を聴きました。
1時間、2時間、3時間……。
「人の話をひたすら聴くことで、その人の悩みが解消される」
それがカウンセリングというものだ、という生半可な知識を得たがために、私は無知にも、何の枠組みもなしに、悩み相談に乗っていったのです。
その結果、その方たちの多くは、状態が悪くなっていき、私の手に負えなくなっていきました。
心の中に何とか抑え込んでいた傷や、微妙な心のひずみを、私が際限なく話を聴くことで、開かせてしまった結果です。
ある人は再び開いてしまった傷のせいで怯え、ある人は何とか平穏に保たれていたはずの心のひずみが顕在化して、問題行動が頻発し、感情のコントロールが効かなくなって、私を敵対視するくせにほぼ毎日のように電話をかけてくるという状態になりました。
またある時は、私が様々な心の病理についての知識を得ていくにつれて、友人の話を聴くだけでも、その問題の構造が見えてしまうがために、「こうこうこういうことで、あなたは今、こういう状態になってるんじゃないの」と、あまり深く考えずに、核心部分を告げてしまうということもしてしまっていました。
当然、無意識の世界で動いていたもの、本人が受け入れられないからこそ、心の奥に沈めていたものを引きずり出すことになって、その人たちも具合が悪くなってしまいました。
本当に、今、思い出すだけでも、その方たちに申し訳なく、心が痛んで仕方ないです。
だからこそ、そういう危険性もあるんだよと、皆様にお伝えしたいわけです。
何が悪かったか。
今は分かります。
最初に挙げた治療構造、枠組みというものがなかったがために、相談される方々は、自分の心の闇に触れることについて、ブレーキをかけられなかったのです。
なまじ、私が話しやすく、ある程度、人の痛みが分かるがために、どんどん分かって欲しくなっちゃうのです。
そして、どんどんどんどん話して、自分の傷をさらけ出してしまう。
でも、さらけ出した傷に対して、私は、何もしてあげられなかった。
なのに、肝心の私もブレーキをかけてあげることなく、更に、その人を自分の傷に向き合わせてしまう。
心が健康な人は、自分で「そろそろ危なくなりそう」と感じて、自分から距離を取ってくれます。
でも、心に深い傷を負ったり、人を信じられない体験を繰り返してきた方にとっては、こういう状況になると、「この人に私の苦しみを何とかして欲しい」と、期待が高まっていってしまう(つまり、依存心が高まり、甘えたくなる)のです。
でも、その期待に100%応えることが難しいわけです。
私には私の生活があり、その人のすべてを守ることも、24時間一緒にいて、不安を鎮めてあげることもできないわけです。
その現実に気づいた相談者の方は、絶望的な気持ちになって、改めて、自分の隠し持った傷の深さを呪い、人を信じられない気持ちになっていくのです。
今、プライバシーを配慮して、かなり大まかでいくつかの例をミックスしながらお話していますが、
こうなると、「話を聴く」ということは、「人の心を壊す」とも言えるわけですよね。
人の心について触れていくことは、諸刃の剣。
だからこそ、相談に来られる方の心を壊さないように、「治療構造」というカウンセリングや心理療法のルール、枠組みを作って、それを厳しく守りながら、話を聴いていくのです。
週に1回50分、話を聴いてもらう。
50分なら、少しずつ自分の中にあるものを出していけますし、深みにはまる前に終了時間が来て、「また来週」となり、クライエントはまた自分の普段の生活の中に帰って行き、しばし、その傷のことを忘れることができます。
週1で50分と決まっていれば、深い心の闇について話しても、そのカウンセラーにずっとずっと24時間そばにいて不安な気持ちを聴いてほしいと期待を高めていくことは、なかなかないでしょう。
(ただし、自我の弱い方は、治療構造がきちんとしていても、そこがうまくコントロールできなくなることもあります)
……少しだけ、片鱗だけでも、枠のないカウンセリングや心理療法が、いかに恐ろしいか、感じ取っていただけたでしょうか。
少なくとも、臨床心理士であるからには、この『治療構造』(カウンセリングの枠組み)については、きちんと学んでいるはずです。
その相談者の心の健康度を考えながら、枠組みの設定を行うことができるはずなのです。
50分しかお話を聴いてあげないなんて、ケチ~!と思う方もいらっしゃったかもしれませんが、それは、相談される方の心を守るための大事なルールなのです。
カウンセラーを選ぶなら、「いくらでも話を聴いてあげますよ!」という方は、
申し訳ないけど、ただの聞き上手なだけの素人さんです。
(自戒を込めて、そう呼ばせていただきたいと思います)
いくらでも話を聴いてあげても、別に誰も具合悪くなったりしてないよ?という方は、それもまた申し訳ないけど、カウンセリングや心理療法のセンスがない(相談者のつらさや悩みを、本当の意味では分かってない)人、です。
この人に話しても無駄だなと思う場合は、心の深い部分なんて話さないじゃないですか(苦笑)。
それでもところ構わず相手構わず話しちゃう人は、それはそれで、自我の弱い、かなり大変な人です。
カウンセリングを受ける時には、どういう枠組みでやるのか、きちんと確認して、その辺りがしっかりしているカウンセラーや相談機関を選ぶのが、ベターです。
(相談機関によっては、設定された時間が50分ではないことも多いですので、必ずしも、50分でないところがどうこうとは言いませんが、50分以上のカウンセリングは、初回面接時以外で、継続して行われるようならちょっと大変かもしれません。自分の心に向き合うのは、意外と疲れますからね)
これが、カウンセリング・心理療法の枠組み。
私は、これを大事にすることで、相談に来られる方の心を守りつつ、深い部分に触れていくということをしています。
あともうひとつ。
実は、この週に1回50分というのには、もうひとつ大事な側面があります。
そのことについては、カウンセリング料金のことと合わせて、次回、お話しますね。
ではまた、次回!

魂にメスはいらない ユング心理学講義 (講談社プラスアルファ文庫)
クチコミを見る

- カテゴリ:
- 私のポリシー
- カウンセリング・心理療法
>>聞く以外のこともするから、余計におかしくなるんです。勝手に判断するから・・・
何も期待を持たせずにただ聞くだけ、ならいくらでも話を聞いても大丈夫なんですよ。
あなたの失敗は、話を聞きすぎたんじゃなくて、アドバイスしたことですわ。