阿蘇から1ヶ月も経とうとしているのに、あれから全く運動してません。
歩く度に地面に足先が突っかかるのがストレスですので、最近は如何にして歩かないか?という事に苦心しております。意地でも事務所から出ないように頑張っております!
歩きでこれですからランなんてとんでもない。
立山登山から今日までの通算走行距離は贔屓目で見積もっても200mくらいでしょう。
200㎞じゃないんだよ(涙)
すっかり良識ある民間人に成り下がったエロビス氏ですが、これではイカン!これではイカンと思うのです。慌ただしい年末に備えて、ちょっとお散歩してきましたw
11月17日(土)曇り
11月16日は生憎の雨模様でしたが、20時頃には止んで星空も見えてきました。”お散歩”を決行します。
20時45分に出撃。静寂な夜道にガサッガサッ♬と鳴り響く足のつまづく音にイライラしながら近所の二日市温泉に到着。ここを起点とします。
濡れたアスファルトを踏みしめながら一歩前へ。
二日市温泉から1㎞程進んで、いつもの旧街道に合流します。
日田街道 石崎
石崎!って連呼されても、こんな暗闇じゃどこか分りませんよねw
この道を日田方面に進むのですが、針摺でR3が立ちはだかり行き止まりです。
針摺から針摺峠間の街道は造成工事で消滅してますので迂回せざるを得ません。
この屈辱、決して忘れません(怒)
R386をしばらく進んで再び日田街道に入ります。
今回はライトを忘れてしまい、静寂な住宅街を歩く明かりも点けない不審者モードです。いつ職質されるか分りません!
しばらく進んで筑紫野病院を横切ると郡境石がお出迎え。
郡境石から更に数十m進むと、何気ない右脇道。
普通にスルーされそうな分岐ですが、直進が日田街道。右の脇道が長崎街道です。今回は癒やしを求めて長崎街道に進んでみました。
長崎街道 一九ラーメン
自称ラーメン評論家であるエロビス氏も一九ラーメンは地味に好きであるw
西鉄筑紫駅横を通り原田へ進みます。足の調子とは裏腹に、何度も歩いてきたせいか長崎街道をトレースする精度は上がってきています。何でもない普通の舗装道路を黙々と歩くのは苦痛そのものですが、街道歩きは別格です。静寂な街道を在りし日の姿を思い浮かべながら歩くのは楽しい。
見た目は不審者そのものですが orz
そんな感じで筑紫神社に到着。ガーミン計測でここまでの行程距離は10㎞でした。
長崎街道 原田宿
ようやく原田宿へ到着。足の調子も良くないのでもう帰ろうかと思ったのですが、澄み渡る星空を眺めてもう少し徘徊してみるかと前進する事にしました。
昔、原田から鳥栖方面に進む際、三国峠という屈強な激坂を擁する峠があったそうです。
原田駅から陸橋を越えて基山方面に100m程進み左折すると養鶏場あるのですが、その脇にある廃れた畦道が由緒ある長崎街道であると誰が知るだろう。
地元の方も殆ど知らないだろう・・・って、
養鶏場の畦道!って連呼されても、こんな暗闇じゃどこか分りませんよねw
ここの下り道を進むと川を渡って、さぁ激坂へ!となりそうですが、残念ながらもう激坂は存在しません。原田地区の開発で峠は削られ今は見る影も無い。
長崎街道 三国峠(推定地)
三国峠から佐賀県に入ります。
この国道3号を少し進むと右手に大人のビデオ試写店がありました。いつも気になってて、いつか行こうと思ってたのですがw、いつの間にかタイヤ屋さんに変わっていました。
深夜で無人の店舗。こんなに道路に接する箇所に無造作にタイヤ並べて盗まれないんだろうか?といらぬ心配をしてしまう。
あれ、ビデオ試写の看板は残ったままのような・・・(^_^;)
基山町に入る。
しばらく進むと、以前ブログでも紹介した関屋土塁跡の案内板
太宰府を防衛する南側の”水城”跡ですね(笑)
基山町の長崎街道は在りし日の雰囲気を色濃く残している。古い町並みが良い感じ☆
基山町を跡にして田代昌町方面へ。
長崎街道 今町
今町を過ぎると例の交差点に至ります。左折するとJR弥生ヶ丘駅、右折すると鳥栖アウトレットね。
ここも直進してしばらく歩くとようやく到着します。
長崎街道 田代宿
時刻は深夜1時すぎ。もちろん人影などない。
そのせいか、車のライトが見えると思わず物陰に隠れてしまう。何も悪い事はしてないが、車のドライバーから変な目で見られたく無いんだ。
もう不審者絶好調だが(>_<)
田代宿の道を少し進むと左手に久光製薬の工場があって、ここの角から左折します。
久光製薬は本社を東京に置いているがそれは便宜上の事で、本家本元はここ田代宿だ。ここが発祥の地なのだから(笑)
長崎街道 田代追分
追分とは道の分岐点のこと。『ひだり くるめへ みぎ さがへ』と書いてある。
右手に進むが、ここからしばらく街道の案内板は見なくなる。
観光地されてる区間では、これでもかと街道の道路標識があるが、そうでない大半の箇所はなんの道しるべもない。これが街道を正確にトレースする事を難しくしている。
街道を嗅ぎ分ける嗅覚だけが頼りだ(笑)
しばらく進むとようやく確認。安堵します(^_^;)
古野町の交差点を左折、鳥栖本町を抜けるとようやく例の小橋が見えてきました。
轟木川に架かる何気ない小橋だが、ここが対馬藩と佐賀藩の藩境だった。当時はここに関所がありました。
長崎街道 轟木宿
轟木宿を過ぎ、5号線、34号線といった幹線道路を渡り工場地帯の中につづく長崎街道。
小さな山が近づいてきた。名を朝日山という。
筑紫野市の天拝山。鳥栖市の朝日山。そして小郡市の城山。
人々は敬意の念を込めて、低山の見本3人衆と呼んだそうである。
この朝日山の麓をかすめるように進む長崎街道です。
長崎街道 安良
朝日山公園先にゴルフ場があるのでしょう。天井をネットで覆われた区間があります。
午前2時。少し霧がかかった薄暗い街道はなんとも言えない不気味さを醸し出していました。
・・・。
そこにいるのか?( ´,_ゝ`)
朝日山脇から下り国道34号線を渡ると34号線に併走するように長崎街道は続いています。
長崎街道 村田町
さて村田町から始まる区間は長崎街道でも苦手な場所だ。
田手宿までのほぼフラットな直進が10㎞もある orz
34号線を横に眺めながら、また途中で34号線に合流したりとひたすら真っ直ぐ進みます。
佐賀競馬、本日開催ですよ!(*^_^*)
長崎街道 中原宿
長崎街道 目達原
長崎街道の旧宿場町には、こんな古いが立派な建物が幾つも現存しています。
さて、午前4時。エロビス氏は佐賀県吉野ヶ里町の長崎街道を西に進んでいました。
夕食を取ったとは言え、筑紫野市をスタートしてここまで無補給で来ましたから我慢も限界が近づいていました。幹線道路と違い人気の無い脇道である長崎街道にこんな時間に開いているお店などありません。やむを得ず、一旦国道34号線に出て、すき家で補給しますw
近くにあった追分石
エロビス氏のような徹夜強行軍で街道を縦走する者にとって、すき家は貴重な存在です。
すき家 ・ 吉野家 ・ ジョイフル ・ ウエスト。
我々はこの4社を街道助っ人四天王と呼び、敬意を表さなればなりませんw
長崎街道 田手宿
長崎街道 ひのはしら一里塚
神崎市に入るも、依然として真っ暗だ。
夜明けが近いせいか放射冷却でやたら寒くなってきた。秘密兵器のユニクロウルトラライトダウン(笑)を着込み、UTMKでもお世話になった、ゆずはちみつホットレモンジュースを飲んで一休み。
結局、今回補給した飲み物は、すき家で飲んだ水とこのジュース一缶だけだった。省エネ縦走も完成間近です!w
長崎街道 神崎宿
神崎宿はキレイに整備されており、たくさんの土産屋があるのですが、こんな時分では・・・
お察しください(>_<)
神崎宿から次の宿場町である境原までは一里半だから6㎞ある。
城原川の河川敷を延々と歩いている頃、ようやく明るくなってきました。
昨日、仕事が終わってから街道歩きを始めて一睡もしてないせいか、もう眠くて仕方がありません。
フラフラしながら歩いていたのですが、ちょっと危ないと思い人気の無い木陰を見つけて小休憩。
燃え尽きたぜ、真っ白になぁ・・・
少し仮眠して再び歩き始めたのですが、なかなか睡魔から解放されず苦戦を強いられます。
長崎街道 境原宿
境原宿は佐賀の乱の境原の戦いで宿場町が全焼してしまい、往事の雰囲気は失われています。
さぁ、ここまで来たら佐賀宿もあと僅か!と言いたい所だが、まだ8㎞以上ある orz
ここからは基本、264号線をベースに長崎街道は続いています。
長崎街道 戸次塚
戸次塚を過ぎる頃には、ようやく眠気からも解放され、勇躍進撃の巨人ですw
ようやく構口交差点に到着。この橋の向こうからが佐賀城下です(^^)
街道の路面に貼ってあるお洒落なレリーフ
街道だけ路面の色が違うw
何気に、こくらへ ながさきへ と書いてある道標。なんとなく楽勝感が漂うが騙されてはいけない。
何度も言おう!エビス様であって、断じてエロビスではないw
長崎街道 佐賀宿
佐賀宿の長崎街道は防衛上の観点から何カ所も折れ曲がっており、正確なルートを確認しながら進みます。
どうやら区画整理で建設されたビルの中を街道が通っている模様。
このビルの入口から中を進む長崎街道、入れない(涙)
お宮の移転で、この境内の中を通っていたらしい長崎街道。
長崎街道 龍造寺八幡宮
何気にこの鳥居を眺めていたのですが、この鳥居。戦国武将で有名な鍋島直茂の嫁さんが寄進したと彫ってあります。しかも寄進したのは慶長9年です!
素晴らしい。慶長9年といえば、江戸幕府ができた慶長8年の翌年じゃないか。こんな古い鳥居もそうそうありますまい。
有頂天になってはしゃいでいたエロビス氏を眺めていた参拝客は、きっとこう思っていたに違いありません。
良かったね( ´,_ゝ`)
さてと、時間もないので・・・
今回はこの辺りで勘弁しといてやる( ´,_ゝ`)
足の調子が悪いので、ご近所散歩のつもりが、気づいたら佐賀市内まで徘徊していました。
全く運動してない割にはまだ余力はありましたが、今までの経験から本当に苦しくなるのは、肥前山口先にある小田宿あたりからです。ちょっと厳しいかも知れないな orz
今回の費用対効果。特急券も含めて1,400円也。
往路は12時間近くもかかりましたが、復路は1時間もかかりませんでした。
文明の利器にはかなわんなぁ・・・(-_-)