2008年12月28日
中国歴史街道の旅ー知音の会2008 (11)
朝一番の大興奮見学が終わったら、再びバスに乗り込み、今度は殷墟の反対側に向かいます。
ここは殷墟の「王陵区」になります。昨日見た「宮殿区」から5�劼阿蕕のイ譴討い襪修Δ福F�口も全然別になっています。
ここは、中国最大の鼎である「司母戌鼎」が出土した場所です。
王陵区は、商の代々の王が葬られていたところですが、昔から有名だったため、ほとんどすべて盗掘されていたそうです。
それも、戦国時代にはすでに盗掘されていた・・・と聞いてびっくりです。せ、戦国時代ってめっちゃ古代じゃないですか〜〜〜(^_^;)
今はだだっぴろい公園になっていて、いくつかの王墓を公開しています。司母戌の方鼎のレプリカがこちらにも鎮座しています。
あちこち見たかったのですが、時間節約のため最短コースで、目的地の王墓へ向かいます。
何故かここには孔雀がおりました。
ほとんどの王墓は、十字型の形をした穴なのですが、「M1567」だけは未完成でした。これには墓室がなかったので、最後の王=紂王が使う予定だったものではないかとも言われているそうです。祭祀場もあります。祭祀場で、小さな穴がたくさん空いているのは、殉死した犬や牛などが埋められていた穴だそうです
現在公開されているのは「M260」という王墓です。深い穴に、殉死者の骨もあります。たしか商の時代は人狩りをして、殉死もさせてたんですよね・・・。ここには独特の雰囲気があって、誰も写真を撮っていませんでした。
車馬の展示館などもあったのですが、とばして次の目的地へ向かいます。
今日も予定がずれこんで来ていますからね(^_^;)
次の観光地は「ユウ里城跡」です。安陽の郊外で、あまり遠くはありません。周囲は青々とした麦畑です。
これは太公望の話で有名な場所です。周の君主であった姫昌さんが、商(殷)の紂王に捕らわれていた牢獄です。いわゆる奴隷収容所ですね。中国で最古の牢獄とも言われています。
地下の部屋に7年間閉じこめられて、足が腐りかけたという話ですが、当時はどんなのだったのでしょう。ここで、息子のスープを飲まされた姫昌さんは、その怨みを忘れず、解放された後に反旗を翻し、ついに商王朝を倒すことになったわけです。
またここは、人狩りで捕らえてきた奴隷達も働かされていたところなんですよね。
来てみると、立派な門が出迎えてくれました。明の時代に修復されたそうです。遺跡を発掘すると殷の時代のものも、それ以前の龍山遺跡の物も出ているそうです。
牛さんによると、1993年に初めて来た時は、こんなに立派ではなく古い石碑しかなかったそうです。しかし、今はすごく立派な石碑もあります。
「周易」といった文字が躍ります。ここは「易」の発祥の地とも言われていて、そちらの方が有名なのかもしれません。
入口には周の文王の巨大石像が堂々と立っておられます。やかで賢そうな表情の姫昌さんですが、十二等身(?)ぐらいある巨大なお姿です。写真スポットですね。
それから、珍妙な形の文字の石碑がありました。くねくねしていて金文に近いようですが、少し漢字っぽいような・・・専門じゃないのでわかりませんでした。(写真は後日アップします)
お堂に進むと、手前の建物の中に変な生き物の像があります。角の生えてる亀さんですが、玄武なんでしょうか。その横には囲碁のような易の白黒石を配した盤があります。
反対側には、ええっと・・・なんでしょう??普通は朱雀かと思う赤い姿ですが、馬みたいな像が・・・・・・麒麟??良くわからなかったです。
そして周文王をまつるお堂の壁には、周の文王の壁画シリーズがありました。ユウ里城で捕らわれている時に、1人で「易」を発明した話や、炮烙の刑や、「周の文王が太公望に会う」や、商(殷)の紂王を倒す、や、最後には中国の賢人たちが勢揃いの壁画がありました。諸葛亮さんまでおられましたよ。何でもありですね。
また、敷地内には小屋があって土壁が保存されています。これは龍山文化遺址だそうです。
龍山文化と言えば、黄河文明の1つ、新石器時代の遺跡ですね!黒陶が出ているので黒陶文化とも言われています。
だいたい紀元前3000〜2000年ぐらいのものだそうです。
山東省だけじゃなく、河南省にもあったんですね。で、その出土層が保存されているということだそうです。現場の説明板には、「7メートルの厚さ」とか「商周に至る文化」とか書かれていました。
屋根と手すりがあるのですが、見たところ、ちょっと穴のあいた土壁でした。土器とか陶器とか見えていたら面白かったのですが。
さらに、下の方に最近作られた観光施設があるようでしたが、牛さんに言わせると「見る価値はありません」そうなので、そちらには行きませんでした。
とても綺麗に整備されていて、古代の陰惨な雰囲気は全く感じられませんでした。
ユウ里城を離れ、次に行ったのは岳飛廟です。私は、今年の1月に杭州へ行った時に、西湖ほとりの立派な岳飛廟を見てきたのですが、こちらにもあるとは知りませんでした。
ここ安陽郊外の湯陰県は、岳飛の出身地なのだそうです。観光地なので、周囲はとても賑やかです。
ちなみに安陽育ちの牛さんは、子どもの頃にご家族とここへ来て、写真を撮ったことがあるそうです。
こちらの門内にも、入ったところに秦檜(しんかい)夫妻などが後ろでに縛られて座っている銅像がありました。岳飛に無実の罪を着せて殺した裏切り者と言われているからですが、杭州ではいまだにこの秦檜達の像に唾をはきかける人がいます。しかし、ここの像は汚れておらず綺麗でした。
杭州の岳飛廟ほど大きくはありませんが、さすがに国民の英雄です。有名な書家の扁額や石碑やなんやかんやもあります。お堂の中には、お母さんが岳飛の背中に「尽(精)忠報国」の入れ墨をしている姿などが置いてありました。
岳飛の書と言えば、有名なのが「出師の表」ですね。孔明先生の銘文を、闊達な筆致で書いたものですが、私は書に詳しいわけではないので、それが本当に岳飛の筆なのかどうか存じません。ただ、この拓本を持っていまして、とても好きです。
また、この近くには岳飛の故居跡が残っているそうです。
古来からの英雄とあって、お堂の中には、書がたくさん飾ってあります。書道をされる方には楽しいのではないでしょうか。
★年賀状の作業と発送作業がようやく終わりましたので、久しぶりの更新です。次は昼食です。年内にもう1回更新・・・出来ればいいなぁと思っています。
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この記事へのコメント
1. Posted by ベル 2010年08月06日 02:03
流星胡蝶剣でここにたどり着きました。
武侠小説って翻訳されてないものが多くて、
流星胡蝶剣も読んでみたいと思っていたのですが、
翻訳された本がなくて残念だなぁと思っていました。
こちらのブログで、少しでも内容が読めたのですごく嬉しかったです。
武侠小説って翻訳されてないものが多くて、
流星胡蝶剣も読んでみたいと思っていたのですが、
翻訳された本がなくて残念だなぁと思っていました。
こちらのブログで、少しでも内容が読めたのですごく嬉しかったです。

