2020年07月01日

目指せ充実の7月inノルウェー

106431654_2616516585264073_5453582583458027614_n7月になりました。

7月。口に出してみただけでワクワクしてくる冬生まれの夏女、内林絵美です。

まぁ、今週から一気に気温が下がって、暑かった5月、6月が嘘のようなのだけど。


106555587_3294684277258277_4418142973394953479_n7月1日の今日は、日本人の女子会「パエリア会」をしました。

午後に少し昼寝をして夜からはジムに行ってインターバル走。


よし!最高のスタートだ!


今月はトレーニングに励んで、友達と会って、引っ越しの準備をして、ブログの更新頻度を上げていきます。

8月から新生活が始まる前の一ヶ月。

最高の一ヶ月にするぞ〜。

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2020年06月30日

一つ一つ

気が付けばもう6月も終わり。時間が待ってくれません。

ヨーヴィク・ハンドボールクラブとの契約が5月で切れて、6月からは時間がたっぷりできるかと思っていたのに、契約が切れた後もトップチームの練習に混ざって、セカンドチーム、新U16女子チーム、新U16男子チームのトレーニングでお手伝いをしていたら、働いてるときと変わらない毎日でした。

本当に言葉の通り、「趣味を仕事に、仕事を趣味に」していたような7年間だったんだなぁ、と改めて実感しました。

7月は引き続きトレーニングに励みつつ、本腰を入れて引っ越しの準備を始めなければ・・・。


6月18日のブログ「優しい一日」に書いた、切なくて、でも温かい一日。
2008年生まれ女子チームとの交流、クラブが企画してくれたお別れ会のことについて書きました。

それからの1週間は、最後の数年間で特に関わりの深かったチームとお別れをする日々でした。

一つ、一つ。前へ進むための儀式のように、みんなとの最後の時間を大切に過ごしました。


IMG_10073シーズン、アシスタントコーチをしていた2005/2006年生まれ男子チーム。

2年前からヨーヴィクと Snertingdal が合同チームを組んで、昨シーズンから新監督のマルクスが来て、私の役割は少しずつ変わりながら、その時その時にチームが必要としているサポートを心がけていました。

アカデミーでケンカをしていたような幼い子どもたちが、いつの間にか私の身長を抜いて、たくましい少年に変わっていくのを見るのは楽しいものでした。
女子選手とは全く異なるフィジカルで、遊び心満載のプレーでいつも驚かせてくれる男の子たち。
練習や試合でそのプレーを見るのは、とても刺激的でした。

1999年生まれ男子チームの後に受け持つことになったこのチーム。

ヨーヴィクは女子選手が圧倒的に多いクラブで、チーム数も男女で大きく開きがあるので、男子チームの関係者はいつもクラブから後回しにされているような感覚を持っていました。
そんな背景もあって、私が男子チームを熱心に指導することを喜んでくれていた人は少なくなかったのだと思います。

年齢も男女も関係なく、ハンドボールの実力も関係なく、クラブのすべての選手たちと私なりに真剣に向き合ってきた、ということだけは絶対の自信を持って言い切れます。


IMG_10356月18日。夏休み前最後のトレーニングを終えて、花束、チームの写真、プレゼントをもらいました。

選手たち一人ひとりからもお礼の言葉をもらって、感動してまた涙がこぼれそうになりました。

「こちらこそ、ありがとう」

これからも周りの人たちをワクワクさせるような選手、チームでいてね。


IMG_10656月21日の日曜日は、新U16女子チームのシーズン打ち上げがありました。

5月にトレーニングが再開してから、一つのトレーニンググループになった2004年生まれ女子チーム(J2004)と2005年生まれ女子チーム(J2005)。
昨シーズン、J2004はシャロットと、J2005はヘンリと一緒にコーチをしていました。
J2005は週に一回トレーニングを受け持つようになってから、早いもので3シーズンがたっていました。

シャロットが家を開放してくれて、30人前のお寿司作り。シース―祭り。

みんなでワイワイと、お寿司を作ったり、おしゃべりをしたり、日本のことについて聞かれて答えたり、楽しい時間を過ごしました。


IMG_1052J2005の頼もしいマネージャートリオ。

ヴェロニカ、イェニー、グンの3人はそれぞれ選手のお母さんで、チームのために本当に力を尽くしてくれています。
特にグンはリーダーのような存在で、監督を探すとき、クラブと交渉するとき、トレーニング時間を決めるとき、何度、深夜にメッセージを送りあったでしょう。

こういう人たちの陰の努力が、ハンドボールクラブを支えて、選手たちのプレーの場を守っているんだということを、強く強く感じます。


IMG_1082移籍が決まった後に涙の報告をしたので、この日は笑顔で。

ここでも花とカード、プレゼントをもらいました。

最高のチームだったな。

これからもずっと応援し続けるよ。


6月22日から学校が夏休みになったヨーヴィク。

この夏休み最初の一週間が、トップチーム、セカンドチーム、U16女子チームにとって夏のブレイク前、最後のトレーニングでした。


IMG_11046月23日はトップチーム、2019/2020シーズンの打ち上げでした。

U16女子チームのトレーニングを終えてすぐに向かった Overby。

来シーズンにプレーを続けない選手は5月、6月とトレーニングに参加していなかったので、ずいぶん久しぶりに会う選手もいました。


IMG_1111この日のテーマはマイスター・オブ・マイスターズ。

マリF、シリエ、ユリエが企画してくれた「チーム内の覇者を決めようぜ」といった競争でした。



IMG_1132第1回戦は、小さな林の中に隠された「丸いマーカー」「お手玉」「木に張られた目」を探して数を当てるというもの。制限時間は30分。

全員一斉にスタートして、みんな血眼になって林の中に隠されたお宝を探します。

誰よりも素早く駆け出して、誰よりも必死で探したはずの私は、どうやら辛抱強さが足りなかったらしく、何度マリのところに行って答えても正解できませんでした。

全員が正解を見つけた最後の最後、制限時間ギリギリでマリにヒントをもらってやっと正解。
汗を尋常じゃないほどかきながら1ポイントをGETしました。


IMG_1146一回戦の後は、みんなでバーベキュー。

太陽がサンサンと照りつける快晴の下、みんなで楽しく食事をしました。



2回戦はチーム戦。4チームに分けられて、チームごとに課題をクリアしてタイムを競うというものでした。
300メートルあるキッチンペーパーを巻き取ったり、ボールをバケツに投げ入れたり、階段をダッシュで往復したり、木に釘を打ちつけたり、片足でバランスをとって床にある紙袋を口で持ち上げたり。

チーム内の全員が一つずつ課題をクリアしていくというゲームでめちゃくちゃ盛り上がりました。

個人的には、めっちゃ早くクリアできたと思っていたのだけど、1位、2位、3位と僅差の3位。
結局ここでも1ポイントにとどまりました。

2回戦を終えて、2ポイント。これはきびしい。


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3回戦は個人戦。

風船を持って、3分たったと思ったら手を離すというシンプル&意外に難しいゲームでした。

マテアが完全に静止したまま真剣に3分を数えているのがツボにはまって盗撮。
風船をボインボインさせながら一緒に数を数えてるマリンとオティリエとのコントラストがおもしろすぎる。

私はここで2分50秒の好タイムを出して、2位の8ポイント。
よし、よし。まだ勝負は終わっちゃいないぜよ。


IMG_1183元1999年生まれ女子チームのみんなとパシャリ。

同じチームでも、2013年、2014年からコーチをしている選手たちは、やっぱり愛着が強い。

想い出たくさんの6年間を過ごしました。


IMG_1205ゲームの合間には団欒できる時間も十分にあって、素晴らしい打ち上げでした。

企画部長の3人に拍手。




IMG_12114回戦は4人一組になって、2つの簀の子を移動させながら前進するというものでした。

全員が一つの簀の子に乗ったら、もう一つを前へ移動させて、今度はそちらに飛び移る。
誰かの手や足が地面についたら10秒のペナルティ。

これも単純だけど白熱するゲームでした。


IMG_1220私のチームはちっちゃい順、弱い順に並べて最初の3人が集まってしまった布陣。

見た瞬間「あ〜、こりゃダメだ」と思ったら、意外や意外、素早さとチームワークで1位になって、10ポイント獲得。

すごい剣幕で「はい。次!はい。次!頑張って!はい。」と叫び続けたマーンの気合が勝利を呼び込みました。


IMG_1237ラスト、5回戦は2人一組で卵投げ。

下投げで卵をパートナーにパスして、パートナーが卵を落として割ってしまったら終わり、という、こちらもシンプルなゲームでした。
徐々に距離が広がっていって、最後の方は片足で立って、一人、また一人と減っていきました。

私は10才のケナンがパートナーだったのですが、ナイスチームワークで最後の2組まで残りました。

下はアスファルトなのにダイビングキャッチするガッツを見せて、堂々の2位。8ポイントGET!


これですべての競争が終了。

途中から素晴らしい追い上げを見せたと自負していた私はドキドキしながら結果発表を待ちました。

優勝は!


IMG_1244マーン!

私は1回戦、2回戦のスタートダッシュ失敗を頑張って巻き返すも・・・マーンに10ポイント近く及ばず完敗でした。






IMG_1262それでも胸を張れる総合2位!

完敗でも乾杯。

未成年のマーンに代わって優勝賞品を飲んだら、「あぁ〜〜きつい」


IMG_127917時から始まった打ち上げは、マスター・オブ・マスターズが終わった21時過ぎに一旦締められて、それから選手たちは徐々に帰宅していきました。

最後まで楽しく話し込んだマリ、リサ、マテア、シリエ、イングヴィルと私は、結局0時半頃まで Overby にいました。

素敵な打ち上げでした。

この打ち上げを企画してくれた3人にスペシャルサンクス。


そして、この日もまたチームから花束とプレゼントをもらいました。

当たり前じゃない、と思う。本当に有難い。

もらったカードやプレゼントは大切に、みんなの気持ちとともに新居へ持っていきます。


IMG_1307この1週間で家が花だらけになりました。

この写真じゃ分かりにくいかもしれないけど、リビングのテーブルが花で占領されるくらい。

花を見るたびに心が温かくなる1週間でした。


IMG_1349そして迎えた6月25日。

ついにヨーヴィクの体育館でトレーニングをする最後の日がやってきました。

15時半から17時まではU16女子チームの練習。

ヘンリ、シャロット、グン、ヴェロニカ、イェニー。コーチ陣もみんな顔を出してくれました。
夏休みに入って旅行に出かけてしまった選手もいたけれど、練習に参加した選手たちはみんな楽しそうにハンドボールをプレーしていました。

これからもずっと、できるだけ長く、ハンドボールを楽しんでね。

心からそう願います。


IMG_135617時から18時半はトップチームの練習に選手として参加しました。

5月、6月はトップチームのトレーニングに混ざって体を動かしていたので、クラブとの契約が切れてもチームの一員という意識がありました。
そして、みんなも温かく私を迎えてくれていました。

この体育館に次に戻ってくるときは、対戦相手の監督として。

選手としてこの体育館で練習することは、もう二度とないかもしれません。

7シーズン、プレーをしたヨーヴィク。7年間を過ごした体育館での最後の日。
実感はわきませんでした。

ともに戦ってくれた仲間たち。本当にありがとう!


IMG_1362練習後にいつもダラダラと話し込んでいたシリエ。

いつだったかトランベルグ体育館が閉まるまで話して、体育館が閉まるタイミングで外に出たのに話が終わらなくて、そうこうしているうちに何故か野球のキャッチボールが始まって、気が付いたら23時半。。。みたいなこともあったっけ。

そういう何気ない時間を、いつかものすごく懐かしく思い出すんだろうなぁ。


IMG_1377この日の最後のトレーニングはセカンドチームでした。

セカンドチームは監督として関わった選手もいれば、チームメイトとして一緒にプレーした選手もいて、4年間、いろんな立場で受け持ったチームでした。

昨シーズンまでU16でプレーしていた2003年生まれ女子チームの選手たちも5月からはセカンドチームに上がってきて、新しいグループとしてのスタートを切りました。
2003年チームはコーチではなかったけれど、時間があるときはトレーニングに顔を出して、練習メニューを組んだり、個人的な指導をしたり、監督とディスカッションをしたり、とできる限りでサポートしていたチームでした。

トップチーム同様に、何年も前から知っている、もしくは何年も指導してきた選手たち。
一緒にコートにいて居心地のいい選手たちです。


トップチームとトレーニングした後だったので少し休憩して、途中から練習に参加しました。
セカンドチームの選手たちと一緒にプレーできる最後のチャンスだったから。


練習が終わって、2003年チームの監督トゥ―リーが「2003年チーム集合!」と私の横で言いました。
私の横にいるトゥ―リーを囲んで円陣を作る選手たち。

『トゥーリー、2003年チームで集合したいなら、もう少し私から離れてくれないと、嫌でも話が耳に入ってくるんだけど』と言った私に、「いいんだよ。エミために集まったんだから。これから悪口言おうと思って」という返事。

『アハハ。悪口聞いてもヘコまないよ〜』

なんていうやりとりをしていたら、本当に私のために集まってくれたようで、2003年チームからも思わずカードとプレゼントをもらいました。

「2003年チームのためにエミがしてくれたこと全てに感謝しているよ。いつも笑顔でポジティブなエネルギーいっぱいで練習に来てくれてありがとう。私たちも見習わなくちゃ」

ハンドボールアカデミーで小さなころから知っていたイェニーは泣いていました。

感動して、ただただ感謝。


この時に、「あ〜、本当にヨーヴィクでのハンドボールが終わるんだなぁ」としみじみ思いました。


IMG_1360一つ、一つ。

「始まりのための終わり」を摘み取るような日々でした。

ここでハンドボールに打ち込んだ7年間は幸せでした。

そして、この最後の日々で「その幸せ」がどれだけの意味を持つのか、改めて感じることができました。

何年か後には、この年月が本当にどれだけ幸せだったのかを知るのでしょう。


みんな、本当にありがとう。


さぁ、あとは前を向いて新しい世界へ飛び出しますか。

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2020年06月29日

ノルウェーの6月〜プルシィとシュレーク〜part3〜

CIMG9422夜を徹して山道を歩き続けた翌日は昼過ぎまで眠りました。

午後からはジモーネも一緒に4人でリレハンメルへ。





CIMG9424ジャンプ台に登ったり、町を散策したり、天気のいい午後にゆっくりと過ごしました。

翌日にはツヴィッカウに帰る予定だったプルシィとシュレーク。

でも、コテージ泊から無人島への遠足、サイクリングにスラックライン、そして、前日の山登り。
夜はピザや寿司を作って、1週間の休暇を満喫しきった感がありました。
だから、最終日はゆっくりのんびりと、一緒にいる時間を楽しみました。


CIMG94302人にノルウェーで最後に食べたいものを聞くと、すぐに「エビ!」という返事が返ってきたので、休暇の初日においしく食べた小エビを使ってパスタを作りました。

1週間を振り返りながら、居心地のいい2人との最後の夜は更けていったのでした。


翌朝、電車でオスロ空港へ向かう2人を駅まで見送りました。

「帰りたくな〜い」

『帰らないで〜』

そんなことを言い合いながら、2人が帰ることを本当に名残惜しく思ったことをはっきり覚えています。


幸せなことに、今まで数えきれないほどの友達が私のところへ遊びに来てくれました。

そんな中でも、「思い出深い訪問」といってすぐに思い出すのは、このプルシィ、シュレークと過ごしたノルウェーの6月。

もちろん、山で遭難というなかなかのハプニングが鮮明に記憶に残っているから、ということもあると思うけど。

一緒にいて家族のように気が休まる、他愛のないことで笑える、感覚や価値観が似ている、そんな2人と過ごした時間が、今も心に残っています。


6月もそろそろ終わります。

今年は日本に帰国する予定がないので、ノルウェーの夏はまだもう少し続くけれど・・・暗くならない深夜の空を見上げながら、あの休暇の日々を何度も思い出すことになるのは、また来年かな。

emi_aus_riesa at 23:25|PermalinkComments(0)clip!

2020年06月25日

ノルウェーの6月〜プルシィとシュレーク〜Part2〜

CIMG94086月になって日が長くなると思い出す、5年前にプルシィとシュレークが遊びに来てくれた時のこと。

忘れることができないあの登山のこと。


1週間の滞在も終盤に差し掛かった6月10日の水曜日。

月曜、火曜とヨーヴィクでのんびりしたので、この日は少し遠出をしようと3人で決めていました。
この前日の夜にプルシィがインターネットで見つけた目的地。

「エミ、この近くにスクライアっていうところある?そこにここらへんを見渡せる展望台があるらしいよ。」

『へー。スクライアはここから車で30分くらいだけど、展望台があるのは知らない。じゃあ、明日はそこに行ってみようか!』

そんな軽いノリで決めた遠足が、まさかあんなことになるとは・・・このときは夢にも思いませんでした。


CIMG9361当時、私はまだ車を持っていなかったのですが、この日は、お隣さんのシャロットが車を貸してくれました。

「せっかくお友達がドイツから来るなら、車があった方が色々できるよね。この日は私車必要ないから使っていいよ」って。
本当に天使のような優しさ。おかげでヨーヴィクから離れた町へ遠足に行くことができました。

昼頃に家を出て30分ほどでスクライアに到着。
町の中心から山の方角へ向かって車を走らせると、道が細くなっていきました。

「こっちでいいのかなぁ」

プルシィのおおざっぱ道案内を頼りに進んでいくと、舗装されていない道に出ました。


CIMG9368静かな道を我が物顔で歩く羊たち。

こんな普通に羊に遭遇することは滅多にないので、テンションのあがる3人。

窓を開けて『すみませーん。道を聞きたいんですけど・・・』と、羊に話しかけるという小ボケをした私。
予想外にアグレッシブで窓から顔を突っ込んでくる羊、車を走って追いかけてくる羊にビビッて逃げる羽目になりました。


CIMG9362放牧地と休暇を過ごす場所を兼ねているような場所で、道の横には湖が光っていました。
その周りには小屋があちこち点在。

私もまだノルウェーに来てから日が浅かったので、見るものすべてが新鮮で、興味深いものでした。


CIMG9367私と同じように目に映る景色や道をふさぐ羊に感動してくれるプルシィとシュレーク。

天気も良くて最高の遠足でした。



CIMG9371この日の羊ベストショット。






CIMG9378そんな風にドライブを楽しんでいると突然大きな建物が現れました。
登山を楽しむ人たちのスタート地点でした。

駐車場に車を停めて様子を窺うと、オシャレなカフェを発見。



CIMG9376コーヒーを飲んでワッフルを食べて大満足。

この日の夕方からは1999年生まれ男子チームの練習があったので、コーヒータイムを終えた私たちは帰路につこうとしていました。

けれど、来た道を戻る私たちには疑問が一つ残っていました。

「展望台は結局どこにあったんだろうね・・・」


すると、行きには気付かずに通過していた山へと続く道が右手に見えました。

「どうする?」

『練習まではまだもうちょっと時間があるし・・・』

「行っちゃう?」

好奇心が抑えられなかった私たちは、練習の時間を気にしつつもカーブの先の上り坂へとハンドルを切ったのでした。

その道は明らかに山の上の方へつながっていました。
さっき走っていた道は比較的平たんだったけれど、今度の道はかなりの傾斜。

15分ほども登り続けたでしょうか。
小さな駐車場があって、道はそこで行き止まりになっていました。

『ここがプルシィが言ってた展望台の駐車場なんじゃない?』

「そうだとしたら、ここから30分で展望台に行けるはず!」

時計を確認すると練習開始までは2時間を切っていました。


CIMG9384片道30分なら往復1時間。帰りの時間を入れてもギリギリ行けるかも!?

迷う時間があったら前へ進め!ということで、3人は駐車場から伸びていた青い目印にそって山道を登り始めました。

それまでノルウェーで本格的な山登りをしたことがなかった私は、今まで経験してきた登山との違いにカルチャーショックを受けていました。
私が登った日本やドイツの山はしっかりと登山道が作られていて、途中で道を見失うなんてことはありませんでした。

ところが、ノルウェーの山は道があってないも同然。

かろうじて人が歩いた形跡が分かる場所、道がどこなのか全く分からない場所があって、目印を見失わないように必死でした。


CIMG9383結局、45分ほど歩いても頂上が見えず、折り返すことにしました。

「展望台まで行きたかったねぇ」

「どこにあったのか気になるよねぇ」

そんなことを言い合いながら急ぎ足で駐車場まで戻って、ヨーヴィクへ帰りました。


1999年生まれ男子チームの練習が終わったのは21時。

練習を見学していたプルシィ、シュレークとこの日の夜になにをするかを相談しました。

『今の時期は0時まで明るいから、スクライアまで30分、駐車場から歩いて往復で1時間、展望台に行っても明るいうちに帰ってこれるんじゃない?』

言い出したのは、多分私。

でも、2人もノリノリで私のアイデアに乗ってくれました。


無知は罪。


夜登山の危険なんかこれっぽっちも知らない3人は、冒険を予感させるアイデアにテンションが上がって、ワクワクしながら出発したのでした。

家に帰って前日作りすぎたお寿司をお弁当にして、水を持って、昼に走った道を戻りました。


CIMG9388駐車場に着いたのは22時。
外はまだまだ明るくて、暗くなる気配は一向にありません。

駐車場からの道もこの日2度目だったのでスムーズでした。

ところが、昼に折り返した場所を過ぎたあたりから、足元のコンディションが一気に悪くなりました。


CIMG9389折れ枝を超え、ぬかるみを避け、草をかき分けて進む。

これ・・・登山っていうのかな?

そうして進んでいくと、目の前に迂回もできないような大きな水たまりが現れました。

「・・・・・」

「これ、超えられなくない?」

この日、終始テンションが高かった私は、風雲たけし城のイメージそのままに『これ、速く走り抜ければ、水にはまる前に渡れちゃうんじゃない!?』と言い放ち、勢いをつけて、風のようにダッシュでぬかるみの上を走り抜けました。

と・・・イメージではね。

実際には、2歩目くらいで足が脛まで水の中に埋まっていました。

だよね〜。


CIMG9391山頂に近づくと雪の残るところまであって、6月にまさか雪解け水でぬかるみだらけの山を登ることになるとは思っていませんでした。

スニーカーで登山に来た3人は足元がビショビショになって、ゴールの見えてこない登山に途中途方に暮れながらも歩みを進めていきました。



CIMG9395大自然の中の登山で楽しいはずなのに、日没というタイムリミットが迫ってきていてハラハラ感が半端じゃない。

先を急ぎました。




CIMG93981時間歩き続けてやっと開けた視界。

頂上がすぐ近くにあることが確認できました。

最後の坂を黙々と登る3人。

ただただ展望台に辿り着きたいという、半ば意地のような感情だったと思います。


CIMG9404
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CIMG9408ようやく山頂に到着!

インターネットには30分と書いてあったのに、結局1時間半近くも足元の悪い山道を登り続けました。
でも、苦労した分、感激も倍増。

ミューサ湖を見下ろして、周りの山々を見渡せる最高の景色に感動していました。

達成感に包まれた瞬間でした。


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784メートル。Hervenknappen という山の頂上で記念撮影をして、登山ノートにメッセージを書いて、ひととき登頂の喜びに浸った後は、下山前の腹ごしらえ。


CIMG9421山頂でお寿司を食べながら時間を気にしていました。

時刻は23時半。

ずっと明るかった空も光を失ってきていて、白い空が私の気持ちに焦りを生んでいました。

それでも、このときの3人には登頂して展望台に辿り着けた喜びとお寿司のおいしさを味わう余裕がありました。
帰り道に不安を抱くこともなく、ただ時間が予定より押していたことに多少の焦りを感じていた程度でした。


お寿司を食べ終えて下山という時。

誰が言ったのかもう覚えていないけれど、この日の運命を変える一言が飛び出します。

「30分で着くはずのルートで1時間半かかるのはおかしいから、きっと最短のコースじゃない方で登って来たんじゃない?この先にも青い目印があるから、こっちで帰れば早く駐車場に戻れるはずだよね。」


・・・もう一度言いましょう。無知は罪。


そうして、来た道とは違う道で下山を始めた私たちは、後からこの決断を悔やむことになるのでした。


下山に選んだ道は、登山道としてはすごくしっかりと整備されていました。

今思い返してみると、駐車場から展望台まで登った道が正規のルートだとは思えないのだけれど、でも、来た道を戻ることが、あの時の私たちにできた唯一の正解だったと気づくのも、やはり後になってからでした。

歩き始めて15分、30分とたって、見覚えのない道が続くことに少しずつ不安が募っていきました。
どこかで登ってきた道に戻るはずだと思っていた私たちは、今歩いている道が正しいのかどうか迷い始めていました。

30分以上歩いて、方角も分からなくなってきて、「いよいよ道を間違えたかもしれない」と考えだした私たちがそれでも歩を進めたのは、その直前に一気に山道を下って、もう来た道を戻る気力がなくなっていたからでした。

「どうしよう」

「これ、道間違ってるよね」

そんな会話をしながら、か弱い光を持つ6月の空に助けられていました。

途中、道が森の中に入っていったときはあたりが暗くなって、さすがに心細くなりましたが、3人で励まし合いながら、足元に注意しながら歩き続けました。

夜の弱〜い光の中で私は目印を見つけることができなかったので、プルシィ―が先頭を歩いて、私が2番目、そして、シュレークが最後尾。
1人だったら心が折れる状況でも、2人といることでどんなに励まされたか分かりません。

森を抜けると湖が見えて、その湖畔に小屋が何軒か建っていました。

「もしかしたら誰かいるかも!」

そんな私たちの期待は、すぐにむなしく散りました。
どこの小屋を見ても人のいる気配はゼロ。


こんな道路もないような山奥に小屋を建てて、どうやってここまで来るのだろう・・・と不思議に思いながら、湖の周りを囲むように作られた道を歩いていきました。

このあたりまで来た時には、今歩いている道が駐車場につながっていないということは確信に変わっていました。

車でかなり坂道を登って行った駐車場は、山頂から程遠くない場所にあるはずでした。
今いるここが、もっと下まで降りてきてしまった場所ということに疑いの余地はありませんでした。


森の中、湖畔の細い道を抜けて、開けた道に出ました。

空が大きく見えて、明るくなってホッとした瞬間、まさかのゴリ捻挫。

鋭い痛みを感じると同時に、『あー!捻挫した!はい。飲み物休憩〜』と叫んだ私がおかしかったらしく、プルシィとシュレークは私の捻挫を心配するどころか大爆笑。

あの過酷登山でたった一度、みんなが声を出して笑った瞬間でした。

幸いにも捻挫は思ったより重症ではなくて、5分ほど休憩した後はまた歩き出せました。
あんな場所で歩けないくらい足を痛めていたら・・・と想像するだけでビビります。


しばらく歩くと、さっきの湖が再び目の前に広がって、その横には大きな駐車場がありました。
「あ〜、小屋を所有してる人はきっとここまで車で来て、ここからボートで小屋に行くんだ・・・」
ノルウェー人の小屋への情熱・・・本当にすごいな、と改めて思いました。


この駐車場は私たちの車が停まっている駐車場ではないものの、そこから伸びる車道に安心感が湧きました。
山道で遭難、といってもいい状況から、少なくとも、車が通る道まで出てこられたのだから。


そして、そのまま車道にそって山を下っていくと、途中で視界が一気に開けた場所に出ました。

目の前にミューサ湖が広がっていました。

標高がめっちゃ低くなってる・・・。

もう駐車場なんて目指してなくて、どこかの道に出ることがゴールになっていました。


黙々と山を下ること数時間。

ついに麓に降りて来て、家が並んでいるのが見えました。
そして、その先に大きな道路が見えました。


山から下りてこられたことへの安堵と、でも、車があるのは全く違く場所という事実への戸惑いが混ざった気持ちで道路に出ると、見覚えのある光景が広がっていました。

そこは、スクライアからオスロ空港へ行くときに通る道でした。


時計を見ると深夜3時。

6月の空は明るさを取り戻していました。


「さぁ、どうしよう」


人々が寝静まる深夜の3時に道路に立ちすくむ3人。

山での遭難を乗り越えて人里まで戻ってこれたのは良かったけど・・・問題は解決していない。

後ろを振り返ると大きな山がそびえていました。

「あの山のどこか上の方にある駐車場まで行かなくては・・・」


3人で相談をした結果、トゥーネに電話をかけることにしました。

申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらコール音を聞く私。
トゥーネは深夜の電話にもかかわらず、すぐに電話に出てくれました。

事情を説明すると、「警察に電話しな」という予想外の返事が返ってきました。

『違うの。もう遭難してないから警察に電話するような状況ではないの。私たちがいる場所も分かってるからタクシーの番号だけ教えて!』

トゥーネに教えてもらった電話番号にかけると、こちらも深夜にも関わらずすぐに電話に出てくれました。

『あの〜、私、今 Toten Viken の学校の横にいるんですけど、実はさっきまで登山してて道に迷って、車を停めた駐車場に戻れずにこの道に出てきちゃったんですね。だから、ここまでタクシーで来てもらって、駐車場のところまで乗せてもらいたいんです・・・え?駐車場は・・・どこか分からないです。いや、車に乗っていけば説明できます・・・』

電話越しにタクシーの運転手さんの戸惑う感じが伝わってきました。

私が誰なのか、どうしてこんなことになったのか、どこへ行きたいのか把握できていないようでした。
もしかしたら、いたずら電話と疑われていたのかもしれません。


電話を切ってから待つこと・・・1時間以上。

3人の疲労はピークで無言が続きました。
雰囲気は悪くて、ただただタクシーが来るのを待っていました。

今なら笑い話。

でも、この時は本当に疲れ切っていました。


タクシーが来たのは、4時をだいぶ過ぎていたと記憶しています。

遠くから見えたタクシーが救世主のように光って見えました。

スクライアに戻ってもらって、駐車場までの道を説明していて、よく分かったこと。
ちょっとそっとの迷子じゃなかった。

山をぐるーりと周って、下山した山をもう一度山頂近くまで登って、やっと駐車場までたどり着きました。

5000円くらい払ったと思います。高かったけど、背に腹は代えられない。

こんなにタクシーに感謝したことは後にも先にもありません。
あのときのタクシーの運ちゃん、ありがとう。


結局、ヨーヴィクの家に帰ったときには6時を回っていました。

疲労困憊の3人は、そのまま倒れるようにして眠りについたのでした。



翌日、目覚めてからトゥーネに電話をしてお礼を言って、事情をしっかりと説明しました。

すると、笑ってくれるかと思っていたトゥーネはいたって真剣で、今後また山で迷子になった時にはどうすればいいかを教えてくれました。

「ノルウェーで登山中に道に迷ったら、なにがあっても来た道を戻ること」

「蟻塚は南の方角に長く伸びているから、それを見て方角を知ること」


トゥーネの真剣な様子で、私たちがどれだけ危険なことをしたのかを改めて気づかされました。

蟻塚で方角を知る必要がこの先あるかどうかは別として、いつかまた同じようなことがあったら、絶対に来た道を戻ると決めました。


ちょっとした遠足のはずが大冒険となった登山遠足は、忘れられない思い出として深く心に刻まれました。

ノルウェーの夏が近づいて日が長くなると、この日のことを思い出します。

そして、プルシィとシュレークと過ごした夢のような1週間も懐かしく思い返すことになるのです。

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2020年06月21日

ノルウェーの6月〜プルシィとシュレーク〜Part1〜

13315240_10209442201353580_8620529187938765618_n6月。ノルウェーで私が一番好きな季節です。

今の時期はとにかく日が長くて、ヨーヴィクは一日中、夜中でも真っ暗になることがありません。

北極圏に位置しているわけではないので白夜とはいきませんが、日付が変わる0時頃になっても空は薄明るいままで、3時頃にはまた明るくなってくるので、真っ暗になって道が見えないという瞬間がないのです。

このことを自らの経験として実感したのは、5年前にヨーヴィクに遊びに来てくれたプルシィ、シュレークと一緒に行った≪プチ登山≫の時でした。

あまりに強烈な記憶として残ったこの登山。
プルシィとシュレーグがいた1週間が最高の休暇だったことも重なって、6月になって日が長くなるたびに思い出すのです。


プルシィはツヴィッカウで一緒にプレーをした元チームメイト。
プルシィの彼のシュレークともツヴィッカウにいたときから仲良しでした。

私がノルウェーにやって来た2013年には、11月にさっそく遊びに来てくれて、雪深いノルウェーで雪遊びをしたり、ハンドボール見学をしたり、アイスホッケーを見たり、楽しい数日を過ごしました。


CIMG9164それから1年半後の2015年6月。

今度は夏に1週間の休暇を取って、再び私のもとを訪ねてくれました。

6月6日の日曜日。オスロ空港へ着いた2人をジモーネと一緒に迎えに行って、そのまま南下。
当時トゥーネが働いていたリハビリテーションセンターのあった町、ソンへ向かいました。

土曜から金曜まで1週間ノルウェーに滞在するプルシィとシュレークに、「ノルウェーの夏らしい休暇を体験してもらいたい」とトゥーネに相談したところ、ソンでの週末を企画してくれたのでした。


CIMG9188この日はトゥーネが予約してくれたコテージに5人で宿泊。

トゥーネと合流したのは夜だったので、初日はみんなで夕食を食べてビールで乾杯。
嬉しい久しぶりの再会に話題は尽きることなく、楽しいおしゃべりは続いて、夜が更けていきました。


CIMG9170夕食は「THEノルウェー食」、小海老にマヨネーズとレモンをかけて食べるパンでした。

「ノルウェーらしい」にこだわって食べるものまで決めてくれたトゥーネ。
実はこの海老パン、私も食べるのは初めてでした。

海老の皮を剥くのに苦戦するドイツ人3人+日本人1人を横目に、目にも止まらぬ早業で皮を剥いていく唯一のノルウェー人。
お世話好きのトゥーネは皮を剥いた海老をみんなに取り分けていました。


CIMG9183楽しい時間はあっという間に過ぎて、酔いも回って最後の方はこんな感じ。

このコテージは大家さんの家の離れを旅行客に貸していて、大家さんの家族の誰かの趣味らしいバンドセットが無造作に置いてありました。

大丈夫。壊してないから。


CIMG9178あ〜、おいしかった。

あ〜、楽しかった。

一日目からこんなに楽しくていいのかしら。



CIMG9199二日目の日曜日。

ソンの町まで車で行って、港でマルクスと合流しました。

マルクスはツヴィッカウで Laufwerk という靴の中敷きを個人の足の形、走り方に合わせて作るという工房を経営しています。
ツヴィッカウにいたときに、ハンドボールシューズの中敷きを作ってもらった縁で知り合いでした。

私がノルウェーにやって来る前から趣味の釣りでよくノルウェーに休暇で訪れていて、この年の夏も友達のジルビオと2人、釣り旅行用に改造したバンでノルウェーに来るということで連絡をもらっていました。

偶然にもプルシィとシュレークが来るタイミングと重なって、ツヴィッカウから来た4人がノルウェーの小さな町、ソンで合流。
ジモーネのお父さんは確かツヴィッカウ出身だったし、世界は狭いなぁ・・・と感じました。


CIMG9204ソンの町が初めてだった私たちはすぐに合流できず、港の周りを歩き回ってやっとマルクスを発見。

自慢の改造バンを見せてもらった後は、トゥーネが職場から借りてくれたボートで無人島へ出発!



CIMG9215ボートを操縦できるトゥーネに尊敬の念を抱きながら、頬を打つ風を感じていると、10分でソンの港からほど近い場所に浮かぶ島に到着しました。

こんなに気軽に渡れる無人島なんて素敵だわ。




CIMG9219空はこの青!

めっちゃテンションあがる〜!





CIMG9234島に着いたのは正午を過ぎくらいだったと思います。

まずは、プルシィ、シュレークと3人で島を散策。

快晴の空のもと、自然の音しか聞こえてこない静かな空間でした。

それでも、ポツン、ポツンと建てられた小屋にノルウェー人の自然と小屋への情熱を見ました。

途中、足元にデカい鳥がいて3人で声も出ないほど驚きました。
道という道もなく、本当に自然の中にいるんだと痛感。


CIMG9228
CIMG9251

大自然の中に友達と一緒にいる、というだけでこんなに完璧な時間が流れるなんて・・・。

本当に贅沢な時間と空間でした。


CIMG9257小さな島を一周してボートを停めた場所へ戻ると、マルクスが釣りの準備をしていました。

釣り方を教えてくれたので挑戦してみるも・・・私は10分で飽きました。
ノルウェーに来てすぐにトゥーネが釣りに誘ってくれた時も思ったけど・・・私に釣りは向いてないみたい。


CIMG9266この日が釣りデビューだったプルシィは意外な才能を発揮。

5分ほどで大きな魚をGET!

すげー!!


CIMG9278その後も飽きることなく海に釣り糸を垂らして魚が来るのを待っていました。

辛抱強く当たりを待ちながらマルクスに色々聞いていて、釣りが楽しかったみたいです。





CIMG9304プルシィとマルクスが釣りをしている横で、シュレークと私はそんな2人を見守りながら談笑。

あまりにも天気が良かったので、海で泳いでみたら・・・水が思ったより冷たくて、「お〜さぶっ」



CIMG9269そうこうしているうちに、ボートに乗って海釣りに行っていたトゥーネ、ジモーネ、ジルビオが島に戻ってきました。

収穫はゼロで。



CIMG9292釣り上げた魚を慣れた手つきで調理するのはマルクス。

さすが、普段から釣りをするためだけに休暇を取ってノルウェーまでやって来るだけあって、素早く下処理をして、ササっと焼いて塩コショウをかけて、あっという間に新鮮な魚料理の出来上がり。




CIMG9294ドイツからのおみやげのソーセージとビールも用意して。

かんぱ〜い!

いただきま〜す!


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CIMG9306

7人で過ごした島の時間。

ノルウェーの夏を満喫した、気のおけない友人と楽しい時間を過ごした、最高の思い出になりました。


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夕方までたっぷり遊んで、ボートでソンの港へ戻りました。

素敵な週末を企画してくれたトゥーネ、ありがとう!


トゥーネと別れて帰路についた私たち。
ヨーヴィクに着いた頃にはすっかり疲れていて、この日は早めに就寝しました。


CIMG9321翌朝。

前日に私たちと一緒にヨーヴィクへ移動して、ヨーヴィクのキャンピング場で夜を明かしたマルクス、ジルビオと一緒に朝食。
ゆっくりと朝食を食べながら、前日に話せなかったことを色々と話しました。

朝食後、マルクスとジルビオは釣り休暇のメインとなるポイントを目指して、改造バンで北上していきました。

私たちに合わせてくれてありがとう!楽しい時間をありがとう!


CIMG9322マルクスたちを見送って、3人になった私たち。

最初の2日間だけ計画を立てて、後のことはその時の気分で決めよ〜というノリだったので、この日以降の予定は未定でした。
「なにしよっかぁ」「天気もいいし・・・自転車でヨーヴィクの町が展望できる場所に行く?」


CIMG9324ということで、お隣さんシャロット一家から自転車を3台借りて、登ってきました山道を。

道があるようで、ない。

途中からは道なき道を漕いで、押して、登りきったら一気に視界が開けました。


CIMG9327屋外博物館を散策して、ノルウェーの古い建物を見てまわって、景色を見て写真を撮って。

のんびり流れる時間に幸せを感じます。

帰りは下り坂。一気に坂を降りきって家に帰ってきました。


CIMG9335夕方には1999年生まれ男子チームのビーチハンドボールのトレーニングがあったので、モエルヴという町に行きました。

6月はビーチの季節、ということも心ウキウキする理由の一つです。




CIMG9336私がビーチハンドのトレーニングに行っている間、家にいたプルシィとシュレークは、ピザを作って待っていてくれました。
トレーニングから帰ってご飯を作って待っててくれる人がいるって最高に幸せ。

この日のこと、ビーチの話、明日のこと、そんな話をしながら3日目の夜が更けていきました。


CIMG9337翌日ものんびり過ごそうと決めていた私たち。

お昼に留守宅のシャロットの家に行って、スラックラインで遊びました。

もちろん、不法侵入ではなくて事前の確認済みで。

週末の前にプルシィたちが来ることをシャロットに話したら、「自転車はタイヤに空気入れとくから、使いたいときに使っていいよ。スラックラインもトランポリンも勝手にやりにおいで」と言ってくれていたのでした。

もうシャロットの優しさたるや、天使の領域。


CIMG9340センスのない私はスラックラインで歩けるマックス2歩くらい。
プルシィもシュレークも苦戦していて、なかなかに難しいものでした。

と同時に、これでそんなに笑えるかなっていうくらい爆笑。

気付いたら、不審な人を見るようにこちらを窺うお隣さんと目が合いました。

そりゃ、そうだ。不審だ。

だって、この家の住人じゃないもの。


CIMG9341そんなの関係ねぇ〜!イエーイ!!

こういうちょっとした遊びでめっちゃ楽しめる、笑える。

何気ない時間を満喫できる、満足できる。

そういうことって本当に大事だな、と思います。

それが一緒にできるのが、居心地のいい友人なんだろうなぁ・・・とプルシィ、シュレークといると感じることができます。


CIMG9353シャロットの家で遊んだ後は、湖を散歩してからお買い物。

この日の夜ご飯にはお寿司を作りました。

2人に説明しながら、巻いたり、握ったり。


CIMG93543人分とはとても思えない量が完成して、満腹になった夜でした。

プルシィ、シュレークの7日間の休暇も4日を終えて、早くも折り返し。

でも、この翌日に一生忘れられない出来事が待ち受けているとは、この時の私たちには想像できる由もなかったのでした・・・。

〜パート2へ続く〜

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2020年06月18日

優しい一日

104330115_1197407650606489_1268962737098148278_n今日はいい日でした。

ちょっと切なくて、でも、心が温まる一日。






82952537_2726537970916857_6379538099565218170_nまず一日の始まりがすでにパーフェクト。

3ヵ月以上ぶりに Toten トレーニングセンターへ行きました。

今週の月曜日からジムの再開が許可されたノルウェー、初日は激混みするだろうとタイミングを見計らって今日のランチタイムにGO。

昨日は遅くまでブログを書いてたから、昼まで寝て、朝ごはん食べて、ジムに行ってビックリ。
予想外に人がいませんでした。

13時半過ぎにジムに着いたときには5人もいなかったんじゃないかな。
今日も30度近くまで気温が上がったから、きっとみんな太陽の下で日光浴をしてるんだろうなぁ。

久しぶりのジムだから怪我をしないように、しっかり走ってアップして、筋肉を入念にほぐして、準備万端。

イエーイ!3か月ぶりの懸垂だぁ〜!

「10回は流石に無理かな、でも体は軽く感じるから結構いけるかな?」って張り切ったら、めっちゃ体が重くて3回目で左腕が攣りました。

もう自体重のメニューの前にもウォーミングアップが必要な年になったかぁ、と落ち込んだのは一瞬。
その後は、上半身、下半身、体幹、ジムでしかできないメニューをこなして充実の90分でした!


104960515_932855693867752_7956766008844254077_n家に帰ってからはご飯を食べて、体育館へ。

今日はハンドボールアカデミー、ハンドボールスクールによく参加してくれていた子たちが多くいる2008年生まれ女子チームの夏休み最後の練習でした。
1年生、2年生の頃から知っている子たちももう6年生で、成長に目を細めてしまいます。

最後の練習は私がコーチ。

テーマは「スピードをつけて前を狙う」

愛着のすっかり湧いている素直で真面目な選手たちと楽しくトレーニングをすることができました。

コーチ陣もすっかり仲良くなったお母さんたちで、子どもを体育館に送るついでにアカデミーを見学したり、練習の前後に話し込んだり、クラブの中でも特に仲良く交流していた人たちでした。

IMG_1011一緒に記念撮影をして、プレゼントまでもらって、最後はみんなちゃんとお別れの言葉をくれて、感無量。

直接コーチとして関わっていなくても、こうして私のやってきたことに目を向けてくれる、そして、別れを悲しんでくれる人たちがいることに、何とも言えない気持ちになります。

悲しいんだけど、優しい。

温かい人たちに囲まれていたな、と改めて感じます。


IMG_1012その後はトップチームの練習を見学して、家で急いでシャワーを浴びて、Hovdetun へ。

チームメイト、そしてクラブの理事会からも8人が集まって、お別れ会を開いてくれました。

パスタを食べて談笑した後は理事会の一人、スタイナーのスピーチ。

「エミが7年間でどれくらいの時間をクラブのために費やしてくれたかを知りたくて、選手、コーチとして7シーズン合わせて何試合したのか聞いてみた」

あ〜、だからこの間メールしてきたのか。

「トップチームで150試合、1999年生まれ女子チームで50試合・・・合わせて400試合はあっただろうね。でも、試合数より何時間体育館にいたのかの方が興味深い・・・」

私が書いた返事を読み上げるスタイナーの話を聞きながら、本当に可能な限りハンドボールに時間を費やしてきたなぁ、と我ながら改めて感心してしまいました。

スタイナーは私の事務仕事を受け継いでくれて、今日のお別れ会も企画してくれた人。
こうやってクラブのために尽力してくれる人がたくさんいるから、安心してヨーヴィクを離れることができます。


104412441_270868027567054_5122458072483089950_nスタイナーの後にアイナが挨拶をする順番になって、話し始めて私と目が合ったアイナが徐々に涙目になっていきました。
私が涙目だったからもらい泣きしたのかもしれないけど・・・。

理事会の中でも一番お世話になって、一番お互いを理解しあって、いつも夜中にメッセージのやりとりをしていた人でした。

私たち二人の涙がすべてを物語っている気がしました。


83518619_569245853736189_2879570575550766154_nしばらくすると今度はリサとマリのスピーチ。

2013年に私がノルウェーに来てすぐの頃、リサがドイツ語ができると聞いてやたらとドイツ語で話しかけてきたとか、セレクションでヨーヴィクに来たときにマリの車に2人きりになって、英語が話せなさ過ぎて「オー!サン!」みたいなことを話してたとか、そんな恥ずかしい話。

でも、リサが真面目な話をしだした途端にマリが泣き出して、私ももらい泣き。

もう涙は出しきったと思ってたんだけどなぁ。


最後に私の挨拶になって、短めに、この間ブログにも書いたようなことを伝えました。

『ヨーヴィクは私のファミリーだったよ』って。

『ありがとう』って。


心に響くお別れ会が終わって、みんな家路に着いた後も、私はユリエとユリエのお母さんのグリュー、マリンとマリンのお母さん、アン・クリスティンと話し込んでいました。
ユリエは2001年生まれ、マリンは1999年生まれ。二人とも、私が7年間ずっと監督として指導していた選手でした。

みんなで行ったトーナメントの話。
デンマークでボートに乗り遅れそうになってアクセル全開で車を走らせたこととか、ドイツのアスレチックで木に激突した話とか、トーナメントで試合に出ようとしてたマリンが肺炎にかかっていたこととか。
懐かしい思い出が一気に蘇りました。

幸せな7年間だったなぁ、いっぱい楽しいこと、笑ったこと、喜んだことがあったなぁ。

いつも、みんながそばにいてくれたんだなぁ。


IMG_1016出会いがあれば別れもある。

別れがあるから出会いがある。

ヨーヴィクでの出会いや思い出は、大切な大切な宝物になりました。


帰り際にはマリンとアン・クリスティンからプレゼントとカードをもらって、心がほっこりして帰宅。

家でメールをチェックしたら、日本とドイツの大学卒業の資格認定を申し込んでいた NOKUT という機関から返事が来ていました。

日本の学士(Bachelor)はノルウェーでも学士(Bachelor)として、ドイツの修士(Diplom)はノルウェーでも修士(Master)として認められるそうです。

ずっと認定を申し込もうとして後回しにしていたこと、6年越しにチェック。


なんだか、完璧な一日だったんじゃないかしら。

幸せで、ちょっと切なくて、でも、心が温かくなる一日。

いい夢を見て、また明日もいい日にしよう!

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2020年06月17日

どのようにして移籍にいたったか〜後編〜

3月12日にハンドボールの活動が休止されて以降は、トレーニングに励みながら、来シーズンに向けての可能性を模索する日々でした。


1部リーグの監督数名に連絡を取った時点ですでにいい感触がなかったのに、新型コロナウイルス感染拡大の影響でほとんどのクラブが「先が全く分からない」という状況に陥っていました。
いつまで活動禁止が続くのか、スポンサーはどうなるのか、クラブ運営は続けていけるのか、そういったこと全てに答えが見つけられない状態でした。

コーチや事務員を期限付きで解雇しているクラブも多くあって、そもそも監督と連絡が取れない、というチームまでありました。

3月末にはストーハーマルの知り合いにメールをしましたが、「今は来シーズンのことは分からない」という返事が来ました。
その他のクラブからも返信がなかったり、返事がくるまでに時間がかかったり、ということばかりでした。

「待つ」ことしかできない日々が過ぎていきました。


そんな3月末のある日。

ヴィグディスの勧めで応募していたスポーツに特化した中学校 Wang Ung から、一次面接に招待したい、というメールが来ていました。

ノルウェーの多くのハンドボールコーチにとって、Wang や NTG は憧れの職場です。

しかも他の町に比べて格段に倍率が高いであろうオスロの Wang からの書類審査通過の通知に、私のテンションはMAX、というかなんなら若干パニック。

心の準備ができていなかったうえに、このタイミングなので面接がマイクロソフトの Teams というミーティングアプリを使用するというではあーりませんか。

早速トゥーネに電話して『トゥーネ!応募してた Wang、一次面接に招待されちゃった!どうしよ。どうしよう。しかも、Teams っていうアプリ使うんだって!!』

「エミ、落ち着いて。まずはおめでとう。とりあえず、Teams をダウンロードしてみようか」

冷静なトゥーネのおかげで我に返った私は、パソコンを立ち上げてアプリをダウンロード。
Teams を職場で使うこともあるトゥーネに試しに電話してもらいました。

『かかってきたー!トゥーネ、やったよ。私 Teams のダウンロード成功したみたい!』

「・・・うん。でもエミ、顔が横になってるよ・・・」

どうやらパソコンのカメラの向きの関係で、私の顔が横向きになってしまっていたらしく、トゥーネが見ている画面には横から飛び出る私の顔が。

『まぁ、いいんじゃない。声は聞こえるんだし』

「いいわけないじゃん!学校の現場で一番使われてるアプリなんだから、顔が横向きで面接きた奴なんて採用されるわけがない!」

爆笑のちに納得。

結局、携帯電話にアプリをダウンロード、お試しミーティングを含めて、トゥーネに一時間以上付き合ってもらう羽目になったのでした。


その週の金曜日の午後、ランニングを終えて家に帰ってきた私のもとへ一通のショートメール。

「Hei エミ。面接はスカイプでやるよ、リンクはメールで送ってあるから、問題があったら言ってね」

え?え?えぇぇ??

慌ててパソコンを開くと Wang の面接責任者のマルティンからスカイプのリンクが張られたメールがこの日の午前中に送られてきていました。
どこを見ても、(そして、後からすべてのメールを見返しても)面接の日時なんて一切書かれていなかったのに!今日なの?

慌ててスカイプを立ち上げて、乱れた呼吸を整えて、何事もなかったかのように画面に映る私に、マルティンはとっても優しく声をかけてくれました。
「突然アプリをスカイプに変更しちゃってごめんね」

それからお互いに自己紹介をして、マルティンの質問に答えていたら、あっという間に30分が過ぎていました。

「中学校でハンドボールを教えることに関して、エミが一番大事だと思う要素は何ですか?」

「エミの長所を教えて」

質問は予想できる範囲のものだったので、しっかりと自分の考えを伝えることができました。
面接というよりは、言い方は悪いかもしれないけど、楽しいおしゃべりのような感覚で過ぎた時間でした。

面接の準備を全くしていなかったどころか、下手をしたら約束をすっ飛ばす危機を間一髪乗り越えて、最後は2人笑顔で挨拶して面接を終えました。

とてもいい経験でした。

後日、マルティンから「二次面接には他の候補者を選んだけれど、エミのこともバックアップとして候補者リストに残しておきたい」というメールが来て、それからさらに数日後、「候補者の中から一名を雇用した」という連絡が来ました。


4月に入って、クラブありきで移籍するのが難しいかもしれない、と感じていた私は、オスロ近郊の高校の体育教師、ノルウェー全国の Wang、NTG の募集に応募するようになりました。

オスロはクラブ数が多いので、安定した職に就ければ、トップクラブでコーチをすることも可能だろう、という考えがありました。

オスロの NTG Ung、ボード―の NTG、リレハンメルの NTG Ung ではハンドボールコーチ、体育教師を募集していたので履歴書を送りました。
ボード―、リレハンメルはハンドボールクラブが3部リーグなので、もしも就職が決まっても、「トップリーグのクラブでコーチをする」という私の当初の目標は叶いません。
でも、「ハンドボール専科のある学校で働いた」というキャリアはノルウェーではとても重要視されて、そのステップアップを踏んでトップリーグの監督になる人もいるし、逆にトップクラブの監督を経て学校でプロコーチになる人もいるほどです。

どちらが先に来ても、目指すゴールは同じと言えるかもしれません。

なによりも、ハンドボールに関して多くの新しいことを学べるという点で、とても魅力的な職業でした。


4月の上旬には、同じ地域のコングスヴィンガーからトップチーム、U18カテゴリーの監督にならないか、という誘いを受けていました。
一番最初に声をかけられたのは、リレハンメルとほぼ同時期の3月上旬だったのですが、その時に一回断って、そして、改めてもう一度連絡をもらいました。

コングスヴィンガーは2018/2019シーズンにトゥーネがプレーしていたクラブで、そのシーズンと、昨シーズンは3部リーグ所属でした。
途中でシーズンが終了してしまった昨シーズン後は、残り数試合を残して残留のチャンスが0だったチームだけが降格したので、ほとんどのチームがリーグ残留を果たしていました。
コングスヴィンガーも実際には降格は免れないという状況ながらも、残り試合の関係から来シーズンも3部リーグでプレーすることが可能でしたが、勝ち星をほとんど奪えなかった若いチームの成長を一番に優先して、4部リーグへの降格を希望していました。

若くて将来性のあるチーム。
来シーズンは4部リーグで圧倒的な力を見せて昇格するでしょう。
指導しがいのあるチームだと、トゥーネも勧めてくれました。

でも、「上のリーグへ」という目標を持って行動していた私の選択肢には入りませんでした。

ただ、インランド地域の3部リーグの2チームからオファーが来たことを、素直に嬉しいと思いました。
本当に光栄なことでした。

少なくともこの地域では、私のやってきたことを目に留めて、認めてくれている人たちがいる。
クラブに私の名前を挙げてくれる人たちの顔が浮かびました。


4月中旬、NTG ボード―から一次面接への招待メールが届きました。

ボード―は北極圏に位置する北ノルウェーの町。
NTG は2年前にできたばかりで、今までハンドボールの授業は近隣クラブのコーチを招いて行っていました。
学校の規模が大きくなるにしたがってハンドボールを専攻する選手も増えて、今年の秋からは専任のハンドボールコーチを採用することが決まったのでした。
引き続きトレーニングでサポートしてくれる近隣クラブのコーチとのトレーニングのプランニング、夏の合宿、コーチや合宿といった予算の管理、入学試験の実技、そういったものすべての責任者。

私が他に応募していた Wang や NTG と異なって、コーチというだけではない大きな責任の伴う仕事でした。

驚きとともに、自信のつく出来事でした。

ノルウェーで多くのコーチが働きたいと希望する Wang、NTG の両方で書類審査を通過できたことが、自信につながりました。
普段は意識することのないドイツの Diplom、ブンデスリーガでプレーした経験、ヨーヴィクでやってきた数々のこと、私の履歴書が「ハンドボールコーチ」を採用する人にとって、目を通して流してしまうだけのものではないことが嬉しくて、誇らしい気持ちになりました。

それからはワクワクして面接の日を待ちました。

ボード―の町をインターネットで調べたりして、友達に話をしては北ノルウェーでの生活を夢見るような単純さ。

唯一の不安は、面接官が理解困難な北ノルウェーの方言で話しかけてきたらどうしよう・・・というものでした。

この面接も Teams を使ったミーティングで、学校長とスポーツ科の責任者の女性2人が面接官でした。
標準語を話す2人に、始まってすぐに胸をなでおろす私。
2人ともオスロ出身だったようです。

この面接も30分があっという間に感じるほど、楽しく時間が過ぎていきました。
聞かれたことはオスロの Wang とは多少異なっていたけれど、「エミの長所はなに?」「3部リーグの監督をして一番学んだことは?」「選手を育てるためにエミが必要だと考えることは?」等々、考えながら、しっかりと自分の考えを伝えられる内容でした。

「興味深くて、楽しい面接だったわ」

嬉しい言葉で面接は終わりました。

「応募者の中から一名を採用した」というメールが来たのは、面接から10日ほどがたってからでした。


オスロの Wang Ung もボード―の NTG も、面接に招待された時は素直に喜んで、ワクワクして、期待を胸に先走って未来を妄想したりして、そうやってポジティブに面接に臨んで結果を待ちました。
でも、採用されなくても落ち込むことはありませんでした。

信心深いタイプじゃないけど、この2か月で一貫して持っていた感覚は、「人事を尽くして天命を待つ」というもの。

決まらなければ、そういうことだったんだろうって。
自然に受け入れられました。


ボード―の面接があってから、ストーハーマル、コングスヴィンガーから連絡が立て続けに入りました。

ストーハーマルからはU16女子チームの監督を探している、という話でした。
セカンドチームの監督が辞める、という話を聞いた直後だったのと、具体的なことが一切示されない会話だったので、どこかで「この話はうまくいかないかもしれない」と感じていました。

ストーハーマル・エリートは1部リーグの強豪で、そのエリートから学べるということならば最初に私が望んでいた条件そのものだったのですが、それに関してもはっきりとした答えをもらえませんでした。

コングスヴィンガーは引き続き誠意を感じる勧誘をしてくれましたが、こちらも具体的な条件は提示されないままでした。


そんな風に時間は流れていって、4月も終わりを迎えていました。

ヨーヴィクからは3月以降、定期的に来シーズンのことを聞かれていて、その度に『今はまだ返事待ちの募集があるから答えられない』と言っていました。

実は、「ヨーヴィクから絶対に出る」と決めていたわけではなくて、よりよいチャンスが巡ってきたら移籍する、というスタンスだったので、何も見つからなかったらヨーヴィクに残るつもりでいました。
そうなったら、また幸せな一年が送れるだろうとも思っていました。

同時に、ヨーヴィクが私の進退を早く知りたがっていることも当然のことだと理解していました。
私が移籍することになったら、空いたポジションを埋められる人を見つけなければいけないからです。

『4月中に返事をする』と言っていた期日が迫っていました。


U16女子チームを一緒に指導していたヘンリからは、「今はコロナ感染拡大の影響もあってクラブを見つけるのは簡単じゃないだろう。今年はヨーヴィクに残って、来年また移籍先を探したっていいだろう」と言われていました。

確かに、「ヨーヴィクに残らない」という選択をして、このまま何も見つからなかったら、ヨーヴィクで私にできる役割はあったとしても、今の契約は予算の関係で確実になくなるのだろう・・・。

4月末までに何も決まらなくて、これから応募する予定の学校の募集もなくなってきて・・・もうこのまま全部ダメになるかもなぁ・・・。


そんなことを考えていた時に、私を支えたのはドイツの大切な友人マリーの家に飾ってあったポストカードの言葉でした。

「Ich weiss nicht, ob es besser wird, wenn es anders wird. Aber es muss anders werden, wenn es besser werden soll.」

「変化したら良くなるかは分からない。でも、より良くするためには変化しなければならない」


5月末で終わるヨーヴィクとの契約を更新しない旨を、クラブのフロントに伝えました。

全てを失う覚悟を持って。


5月は一気にすべてが動き出した月でした。


4日に再びコングスヴィンガーから連絡があって、コングスヴィンガーにある NTG にハンドボールコーチの募集がかかると聞かされました。
1年間だけの臨任だけど、クラブのコーチも兼ねればフルタイムの雇用。

NTG での経験が積めるという点でとても魅力的な話でした。
さらに、もともと私を監督にと考えてくれていたクラブからの連絡だったので、採用される確率は今までの面接で受けた学校の比ではないと思われました。

早速、募集がかかると同時に応募しました。


5日にはヨルゲンから電話がかかって来て、「リレハンメルのトップチームでプレーを続けながら、セカンドチームの監督にならないか」と改めてもう一度声をかけてもらいました。
トップチームの監督には私を推薦してくれたアトレがなったので、セカンドチームの監督をしながらトップチームでプレー、そして来年にはトップチームの監督になれるから、と。

ヨーヴィクで3年間絶大なサポートをしてくれたヨルゲンにここまで言ってもらえること、胸が熱くなりました。


「でも、3部リーグでプレー、4部リーグで監督だったら、ヨーヴィクと同じカテゴリーだ。そうしたら、ヨーヴィクと対戦かぁ、私にはできないな・・・。コングスヴィンガーの NTG が受かったら、経験を積むためにチャレンジしてみたいなぁ」とこんこんと考え続けていました。

その週末に、ふと、思い出したことがありました。

「あ、ストーハーマルから全然連絡なかったけど、なにかが決まる前に電話しておいた方がいいかもなぁ・・・」

その私の心を読んだかのように、前にも電話をくれたスポーツマネージャーのウノから「Hei エミ、ハーマルにコーヒーでも飲みに来ないか」というメールが来ました。

「じゃあ、来週の火曜日に」と約束したものの、仕事が見つかったという話も聞かないし、U16チームの監督の話か、世間話でもするつもりかな・・・と軽〜く考えていました。


5月12日。ストーハーマルの事務所へ行くと、コーヒーを飲みに行った気分の私の予想に反して、ウノ、事務局長、ストーハーマル・エリートのアシスタントコーチが勢ぞろいしていました。

圧がすごくてビビる私。

まずは私から話をしてほしいと言われたので、軽く自己紹介。
その後に、ウノがストーハーマルの女子ユースチームの説明を始めました。
選手の人数、監督の名前、試合のカテゴリー(U14、U16、3部リーグ、4部リーグ、U18全国リーグ、NM20)、リレハンメルのプレゼンテーションを思い出すような分かりやすい説明で、ストーハーマルの女子ユースチームの状況が把握できました。

「今年は複数の監督が同じタイミングで辞めてしまったんだ」

ウノが切り出しました。

確かにホワイトボードに書かれた各チームの監督の欄には空白ばかり。
セカンドチームは監督1名、コーチ2名が未定、U16は監督、コーチともに未定、U14はコーチが未定。

ここまできたら、さすがに具体的に「このチームの監督をお願いしたい」と言われるだろうと察した私。
緊張が高まっていきました。

ドキドキしながらセカンドチームとU16の監督の空きを見つめる私に、間を開けて焦らすウノ。

多分、時間にしたら10秒もなかったのかもしれないけど、1分ほども待ったように感じる長い時間でした。

「それで・・・」

「ここにエミの名前を書きたい」

そう言ってウノが私の名前を書いたのは、セカンドチームの監督の場所でした。

鳥肌が立ちました。

私がまさに望んでいた、1部リーグ所属クラブのセカンドチームの監督というチャンス。
さらには、「ただの」1部リーグ所属ではなくて、ノルウェー2位のストーハーマルのセカンドチーム。

3月から必死に模索した「1部リーグ所属のクラブに移籍する」という目標は、諦めかけたその時に叶いました。

巡り合わせは不思議だ、と思わざるを得ません。


セカンドチームの監督に加えて、U14女子チームのアシスタントコーチのオファーも受けて、今後のことを話しあって、ミーティングは終わりました。


帰りの車内、気持ちは昂りながらも冷静な自分がいました。

『返事をするまでに1週間ほしい』と言ったけれど、もう気持ちは決まっていたようでした。


静かな驚きと喜びに包まれていました。


意外にもガッツポーズするような歓喜が襲って来なかったのは、きっと、ここがスタートにすぎないから。
ワクワクする冒険の始まりではあるけれど、辿り着きたい場所はもっと先にあるからなのだと、思います。


ミーティングから2日後、コングスヴィンガーの NTG から一次面接に招待のメールが届きました。
翌日には学校から電話がかかって来て、事情を説明して面接に行かないことを伝えました。

NTG で働けたかもしれないチャンスなんてそうそうないのに、勿体なかったかな・・・という気持ちはありましたが、もう迷いません。


それから数日間は家族や友人に報告をしていきました。

みんな一緒に喜んでくれる中で、キョンの言葉が心に残りました。

「エミさん、よかったね。これもダメで、これもダメでってなにもなくなりそうだったのに、最後まで待っていたからもらえたチャンスだね」

本当だなぁ。


信じて待てば、幸運が巡ってくるとは限らない。

今回だってタイミング的には、ストーハーマルが他の候補者を当たって断られた後だったかもしれないし、待った挙句なにもなかった・・・っていう可能性だって十分にあったのだと思う。

でも、リスクを恐れて安定を求めていたら、今回のチャンスが巡ってこなかったことだけは間違いない。

前へ前へと歩みを進める自分でいられたことを誇らしく思います。


移籍先を探す過程で、たくさんの人たちと話をして、履歴書を書いて、仕事の面接を受けて、そんな中で新しい自分を発見して、とても貴重な経験ができました。

そして、たくさんの人たちに応援してもらって、信頼してもらえていることに気が付きました。

そうして私を支えてくれる人たちに感謝をして、私にできることをこれからも継続していきたいと強く思っています。


5月15日、ウノに電話をして「ストーハーマルで新しいチャレンジをしたい」と返事をしました。


応援してくれる人たちの気持ちに背中を押されながら、ワクワクするハンドボールの日々に向かって歩き出します。


新しい冒険の始まりです。

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2020年06月15日

どのようにして移籍にいたったか〜前編〜

ノルウェーでハンドボールコーチとして生きていくには、大まかに分けて二通りの方法があります。

ハンドボールクラブでコーチをするか、ハンドボール専科のある中学校、高校(WANG、NTG)でプロのコーチとして働くか。

WANGやNTGは全国いくつかの町に点在していますが、その町のハンドボールクラブが必ずしもトップリーグ所属というわけではありません。
オスロ、フレードリクスター、トンツバルグ、ハーマルなど、ハンドボール専科の中学校、高校があって、さらに町のハンドボールクラブが1部リーグ所属という町は片手で数えられる程度です。
そうした町のWANGやNTGで働くコーチのほとんどは、クラブでも監督を兼任していて、元ノルウェー代表選手だったり、1部リーグ数チームの監督を歴任したり、とエリート街道を歩んだ人たちです。

私の最終的な理想を言えば、こうして1部リーグのトップクラブとハンドボール専科のある学校の両方でプロコーチとして働くことですが、とても狭き門で夢のような話なので、まずはトップリーグ所属のクラブに移籍するか、もしくはハンドボール専科のある学校で働くことを目標に行動を起こすことを決めました。


私が1月の時点で希望していたことは、1部リーグに所属するクラブのセカンドチーム、U18カテゴリー、U16カテゴリーのいずれかで監督になることでした。
トップリーグのクラブで働きながら、トップチームの練習見学や監督とのコミュニケーションを通して成長していきたい、と思っていました。

1部リーグ所属クラブのセカンドチームの監督になるのは難しい気がしていたので、U18、U16カテゴリーで全国リーグにも出場できるような、若手育成に力を入れているクラブに連絡をしてみよう、と漠然と考えていました。

ただ、ノルウェーにはフルタイムでコーチを雇うクラブがほとんどないという環境に加えて、セカンドチーム、もしくはユースチームはポジション上、下手をすればアルバイト程度にしか給料が出ないという可能性もあります。
どこのクラブに行くとしても、ハンドボール以外で仕事を見つけることが必須条件になることは間違いありませんでした。

クラブ内の様々な役割を担っているとはいえ、フルタイムで私を雇用してくれているヨーヴィクは、やはり特別でした。


心を決めたまではいいけれど、元来物事を後回しにする癖がある私。

2月上旬に、知り合いの1部リーグチームの監督にメールを送ると、そのチームがあるトロントハイムの近辺地域の2部、3部のチームに連絡を取るように勧められました。
2部リーグならともかく、3部リーグならヨーヴィクと変わらないなぁ、と考えて、さらに1部リーグのクラブには自分を売り込んでもなかなか入っていけないのかもしれないな、という感触が残りました。
それからは、ハンドボール界に知り合いの多いトゥーネやモナを頼って、目星をつけたコーチに連絡を取ってもらうのを待つ日々でした。

3部残留を目指すシーズンに、「試合に勝つ」ことに集中する以外すべてのことが、負担にもなっていました。

なかなか具体的な行動を起こせない私に、2月下旬のある日、転機が訪れました。


ハンドボールスクールの最終日を終えて、家に帰る前にクラブのメールをチェックしていたら、ヨーヴィクと同じ3部リーグのリレハンメルから「エミに連絡を取りたい」というメールが来ていました。
現在トップチームの監督をしている人が辞めるという話は聞いていなかったので、おそらくセカンドチームかユースチームの監督に誘われるのだろうなぁ・・・と思いながら、ヨーヴィクのフロントにメールが来たことを伝えました。

3月最初の金曜日にリレハンメルにミーティングに行くと、プレジデント、事務局長、スポーツマネージャーが揃っていました。
軽く自己紹介をしあって、プレジデントがクラブのプレゼンテーションをした後、「トップチームの監督をしてほしい」と突然、予想もしていなかった話を切り出されました。

とても名誉なことでした。

リレハンメルはここ数年、堅実な運営が功を奏してクラブの規模拡大に成功して、男女ともにトップチームの強化面でも伸びしろを示していました。
女子は昨シーズン3部リーグ4位という好成績を残しました。

丁寧に説明してくれた今後のプランを聞いて、数年計画でノルウェー2部リーグへの昇格を十分に狙えるポテンシャルのあるチームだとも思いました。
セカンドチームのコーチを兼任してもいいし、できればハンドボールスクールなども手伝ってほしいと言われて、まさに私が今までやってきたこと、これからもやっていきたいことをオファーとして提示してくれた、という感じでした。

帰りの車中では、私を強く推薦してくれたであろうヨルゲンとアトレの顔が思い浮かんで、感動で胸がいっぱいになりました。


何かが、確実に動き出した瞬間でした。


誠意を込めてオファーを提示してくれたリレハンメルに返事を長く待たせるわけにはいかないので、翌日から知り合いの1部リーグ関係者に電話をかけ始めました。
もしも、1部リーグへの移籍が可能なら、そちらを選びたい、と思っていたからでした。

話は少しそれますが、今回、移籍を目指したことで沢山のことを学びました。
その中でも個人的に一番興味深かったのは、自分を改めて見直すきっかけになって、自分の知らない自分を発見したことでした。

私は今回、ちょっとした知り合いくらいの関係の人に電話するのをすごくためらっていました。
「なんでだろう・・・」って考えて分かったのが、私は自分を売り込むのがとても苦手、ということでした。
だから、トゥーネやモナに頼って、できれば他の人に誰かと繋げてもらいたい・・・と甘えていたのですが、いざ時間が迫って来て、さらにモナから「自分が移籍したいのだから自分で電話しなさい。それが一番相手に響く方法。自分を売り込むのも勉強だよ」という正論すぎる正論を浴びせられて、携帯電話を手に取ったのでした。

2020/2021シーズンから1部リーグへの昇格を決めたフリント・トンツバルグの元チームメイトのマリ。以前から知り合いのアーケルの監督ヴィグディス。顔見知りのフレードリクスター監督アイリク。

毎日一人ずつ電話をかけていって、監督は探していない、と言われたり、プレジデントに連絡してごらん、と言われてメールしたものの返事が返ってこなかったり、なかなか望んでいた結果に結びつきませんでした。

でも、ヴィグディスが親身になって相談に乗ってくれたことが、小さな、でも確実な勇気を与えてくれました。
「クラブに監督を必要としているチームがないかどうか確認してみるね」「Wang Ungが求人しているはずだけど、応募はしてみた?」「オスロは住むのが高い町だから、仕事を3つくらい掛け持ちしないときびしいかも」

調べてみると、ヴィグディスの言っていたオスロのハンドボール専科のある中学校「Wang Ung」が週に何コマかの授業のためにハンドボールコーチを募集していたので、さっそく応募しました。

ヴィグディスは1部リーグ所属アーケルの監督で、そのアーケルと提携を組んでいるウーランというクラブでは育成担当の職を持ち、ハンドボール専科のある高校「Wang」ではプロコーチとして授業を受け持っています。
私の応募に当たっては、彼女の名前を履歴書に書いてもいいよ(ノルウェーでは就職、転職、引っ越しなどの際に保証人のような役割の人を一人上げるのが一般的)、と言ってくれて、本当に誠心誠意、私のために考えてくれました。


それからの1週間は考え事の多い毎日になりました。

1部リーグ所属のクラブへの移籍は手応えを感じないながらも、返事が来るとしたらまだ先だし、「Wang Ung」を皮切りにこれから応募が始まるであろう学校での仕事は、当然結果は3月下旬、4月にならないと分からない・・・。

難しい選択になったのは、目の前に「A」と「B」があって選ぶというわけではなくて、今は「Aを選ぶ」か「Aを選ばない」の二択しかないということ。
Aを選ばなかったとして、その先にBがあるのか、Cがあるのか、それとも何もないのか、予測ができない。

今まで何度か移籍を経験したけれど、ツヴィッカウ、フランクフルト、ヨーヴィク、どの場合でもオファーが来て、二者択一で移籍を選んだ、というものだったので、今回は勇気のいる決断でした。

でも、本当は答えは最初からもう自分の中にあったのかもしれません。

3月17日、リレハンメルのオファーを断りました。

この日のブログ(3月17日『どんな自分でありたいか』参照)には、この時の気持ちが綴られています。

後日、ストーハーマルへの移籍が決まった後に読み返してみて、感無量になりました。
あまりにも想いを的確に表現して、その後の出来事まで知っていたような内容だったから。


{この挑戦はずっと私が望んでいたものと、100%の想いで信じることができなかったから}

{可能性の追求}


それからの私は、自分のやれること、やるべきことに集中していました。

前を向いて、可能性の追求のためにできることを探していました。


そして、この出来事を前後して、新型コロナウイルスの猛威がノルウェーにまでやってきて、ハンドボールにおけるすべての活動がストップしたのでした。

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2020年06月10日

なぜ移籍を決めたのか

前回のブログにたくさんのコメントをありがとうございました。

ずっと変わらずに応援してくれている友人の存在を感じて、いつも勇気をもらっています。


10日前の投稿は移籍の報告と私の気持ちについての内容でしたが、今日は移籍をしようと思い立った理由について書きます。
そして次回は、具体的に起こした行動について書いていきます。



私が最初に移籍を強く意識しだしたのは昨年末のことでした。

7年前にヨーヴィクにやって来た私には「再びヨーロッパ1部リーグでプレーすること」と「ノルウェーの育成を学ぶ」という夢と目標がありました。

選手としては満足できる結果が出せなかった年月だったけれど、最後まで夢を追いかけてプレーしていた日々でもありました。

一方で、コーチとしては確実に経験を積んで、一歩一歩前進しているという感覚がありました。

1年目でノルウェー語を学んで、2年目からは複数のユースチームの監督になって、ハンドボールアカデミーやハンドボールスクールでクラブのジュニア育成の責任者を務めて、コーチライセンスを取得して。
シーズンを重ねていくうちにセカンドチーム、トップチームと監督を任されるようになってカテゴリーが上がっていったのは、積み上げた信頼と重ねた経験を生かせているからだと思っていました。

そうしてノルウェーでコーチをしているうちに、目標としていた「ノルウェーの育成を学ぶ」ことが、いつしか「ヨーロッパ1部リーグの監督になる」という夢に変わっていきました。

2018年にヨーヴィク・トップチームの監督になったときには、その夢を叶える最初の一歩を踏み出したような気がしていました。


1シーズン目は、思っていた結果が出なくて苦しいシーズンを送りながら、でも、向上心のある選手に囲まれ、経験値のある選手にも恵まれて、勝てない苦しさとともに、一緒に戦う喜びを感じたシーズンでした。
アシスタントコーチとして支えてくれたヨルゲン、マネージャーとしてサポートし続けてくれたエリンの存在もあって、心に残るシーズンになりました。


戦力ダウンして迎えた昨シーズンは、勝つのが難しくなることを覚悟して臨んでいました。
クラブ目標も3部残留になって、若い選手を育てながら、将来再びヨーヴィクがトップリーグに返り咲くための土台作り、といった位置づけのシーズンになりました。

でも、シーズンが始まって秋から冬にかけて、その前の年とは全く異なる苦しさを感じていました。

一番近い言葉の表現を探すとしたら「孤独」

勝てなかったことが原因ではありません。そもそも勝てないことを選手のせいにはしません。

気が付いたころには、私の目指している場所と、選手が目指す場所に大きな大きな開きができていたようでした。

3部リーグでプレー出来れば満足な選手。
チームの勝敗よりもプレー時間に不満を抱く選手。
練習の質、選手の意識は前シーズンに比べてはっきりと落ちて、コートに表れました。

選手に責任はありません。
仕事や学校との両立をしながら、できる範囲で一生懸命にプレーをしてくれていたことも知っています。

ただ私が、すべてを懸けてさらなる高みを目指したいと強く強く思っただけ。

努力しても力及ばず、結局は3部リーグの監督が最高で終わってしまうかもしれません。
けれど、まだ可能性があると信じて前進したい。

そう真剣に考えたときに、焦燥感に駆られました。


「今のままでは足りない」

「この1年、学んでいない」


そんな気持ちが徐々に大きくなっていった昨年の11月、私はビョルゲに相談しました。

ビョルゲは私をヨーヴィクへ引っ張ってきてくれた当時の監督で、今はインランド・ハンドボール協会で選手育成、コーチ育成、その他のプロジェクトをまとめる責任者として働いています。

『ノルウェーでトップレベルのハンドボールに触れたい。そこで学びたい。セカンドチームかU18、U16カテゴリーで監督をしながら、1部リーグのクラブで学べる可能性はないか』と正直な気持ちを伝えると、「5年計画を立てたときに、エミにとって最も優先されるべきはライセンス4をとることじゃないか。それには1部リーグ、2部リーグで監督をしていなきゃいけない。1部リーグのクラブに行っても、セカンドチームやユースチームの監督という立場ではライセンスの取得はできない。ヨーヴィクは将来的には2部昇格を目指しているし、ヨーヴィクがノルウェーハンドボール協会に手紙を書けば、エミがライセンスを受講できる可能性はある。俺もエミがライセンス取得できるようにサポートするから」という返事が返ってきました。

それでも、「トップレベルのハンドボール」にこだわる私に、ビュルゲは私が連絡を取れそうな1部リーグの監督の名前を挙げてくれました。

1時間半ほど話をして、別れた後は少し気が抜けていました。

ビョルゲは、私の生活やライセンスのことを考えた上で、確実で現実的な提案をしてくれました。

それに対して私が口にしていたことは、具体的な道がまったく見えない、雲を掴むような話でした。


そんな想いを心の隅に抱えながら、3部リーグ残留を目指して全力を尽くそうと誓っていた1月中旬。
ヨーヴィクは新監督のヴァルターと契約を結びました。

この時に私は、シーズンが終わるまで「ヴァルターのサポートをすること」「今まで通りクラブの仕事をすること」「選手としてトップチームでプレーすること」をクラブと合意しました。

クラブからは来シーズンの話もされて、セカンドチームの監督、ユース年代全体の育成コーチとして、これからもヨーヴィクに残ってほしいと言われました。

事務仕事も含めれば今までの契約よりも条件が良くなって、プレーも続けられる。
ヴァルターから学びながら、育成コーチとしてこれからもハンドボールを生業に生きていくことができる。


必要としてもらえている。ありがたいことでした。

でも、私の心には響きませんでした。


結果が伴わなかったシーズンに、途中で監督を更迭されたことに関しては、ただその事実を受け止めます。

それは、勝たなければいけないクラブが選んだ当然の選択肢の一つだったでしょう。


私は、ヨーヴィクがヴァルターと契約を結んで、来シーズン以降も指揮を執ってほしいと考えたこと。
そして、クラブにとって大事な若手育成を私に任せようとしたことを、一つの答えだと思っています。

正解や不正解があるわけではなくて、一つの答え。

その答えが私に合うか、合わないか。それだけ。


対して、私の手元にあったのは2択の決断。「居心地の良いクラブで、安定した契約をもらって、今まで通り楽しくハンドボールに携わっていく」のか「リスクを背負ってでも、自分の成長を求めて、新しい世界へ道を切り開くのか」


考える必要はありませんでした。


「ハンドボールを職業にしている」ということに対しての、私のささやかな誇り。

−くだらないプライドだと、今なら笑えます。


「コツコツと歩んで辿り着いたトップチームの監督という立場」にも少なからず固執していました。

−でもそれは、ある日を境に失うほど不確かなものでした。


「優しい人たちに囲まれて、私を必要としてくれているヨーヴィク」というクラブを本当に離れられるのか・・・。

−今ここで夢を追いかけなかったら、リーザに別れを告げた、ツヴィッカウを去った、ドイツさえも後にした私のこれまでの決意はなんだったのか。


失う物なんて何もない。

心は決まりました。


そうして、1月のミーティングで「移籍、または転職を考えている」と、ヨーヴィクのフロントに伝えて、2月から具体的な行動を起こしたのでした。

emi_aus_riesa at 21:55|PermalinkComments(2)clip!

2020年05月31日

死守せよ、だが軽やかに手放せ

GHK_Presentasjon_Uchibayashi_1080x1351今日、5月31日に Gjovik Handballklubb との契約が満期を迎えました。

2013年にノルウェーへやって来てから、7シーズンを過ごしたヨーヴィク。
全身全霊を込めて、ハンドボールに打ち込んだ日々でした。

有り難いことに、「来シーズン以降もクラブに残って選手育成の責任者として働いてほしい」という話をもらっていましたが、私はヨーヴィクで契約を更新することを選びませんでした。


慣れ親しんだ町を離れ、私を必要としてくれる人たちがいるクラブを去る決意をした理由はただ一つ。

夢を叶えたいから。


5月26日、監督として Storhamar Handball と2年契約を結びました。

ストーハーマルは16才から21才の若い選手中心のチームで、ノルウェー3部リーグ(2.divisjon)、4部リーグ(3.divisjon)、U18全国リーグ(Leroyserien)、U20の国内カップ戦(NM20)に参戦しています。

Storhamar Elite はノルウェー1部リーグ2位の強豪で、私が指導することになるチームは、このトップチームでプレーする選手を育成することを目標としています。
ハンドボール強豪国ノルウェーの国内リーグで優勝を争うクラブ。そこでのプレーを目指す選手の育成を担うチームの監督としてオファーがきたことを誇りに思うと同時に、その役割の重要さをしっかりと自覚しています。

ずっと望んでいたノルウェートップリーグの環境に身を置けること、一流選手に学び、最高のコーチに学ぶ。
そんなチャンスが巡ってきたことに感謝しながら、全力でハンドボールに取り組んでいきます。

契約開始は8月1日から。

心からワクワクする日々が始まります。



本気で夢を叶えたいと考えたときに、今回の決断は避けては通れないものだったのだと思っています。

でも、新たな挑戦は同時に、7年間を過ごしたヨーヴィクとの別れを意味していました。


ヨーヴィクは、私のお城でした。

選手、監督、育成コーチ、シーズンを重ねるごとにクラブ内での役割を増やしながら、最後の数年は事務的な仕事まで引き受けるようになっていました。
プロ選手としての契約を勝ち取って、その後も自分の価値を高めることに集中して、それまでクラブにはなかったポジションと新たな契約を作り出しました。

選手、選手の家族、コーチ、チーム関係者、市の職員、体育館の管理人、スポンサー、ファンの人たちとの信頼関係を築き上げて、ハンドボールをプレーする、指導するといった現場だけではなく、スポンサーのイベント参加、練習時間の調整、クラブ関係者やハンドボール協会からの連絡を受ける窓口といった役割を受け持って、ヨーヴィクを支える大黒柱のような存在になっていったと感じていました。

そうして、ハンドボールに携わることを仕事としていることに、ささやかな誇りを持っていました。

この町で、ユースチームから始まったコーチとしてのキャリア。
選手の年齢とともに私もカテゴリーを上げていって、セカンドチーム、トップチームと監督を任されていったことに、小さな喜びを感じていました。

ここは、大切な人たちと一緒に少しずつ築き上げた、私のお城でした。


ヨーヴィクは、私の帰る家でもありました。

何千時間を過ごしただろう。
ヨーヴィクの体育館は、どこよりも居心地のいいホームでした。

私が指導した選手たちや仲間たちは、苦楽を共にした私のファミリーでした。

忘れられない思い出の数々を作って、練習で汗を流して、試合に勝って笑って、負けて泣いて、かけがえのない時間を一緒に過ごすことができました。

たくさんのトーナメントに参加して、みんなと学校に泊まったな。

国境を越えて、ドイツの Rodertalbienen とも交流した。

U16全国リーグ、U18全国リーグでトップのチームにも挑戦した。

ハンドボールアカデミーやハンドボールスクールで、何百人もの子どもたちと一緒にハンドボールを楽しんだ。
2014年から始めたアカデミーとスクールは、ヨーヴィクでの私の一大プロジェクトでした。
6年間ずっとアカデミーに通ってくれた選手もいて、「エミと一緒にするハンドボールは楽しい」といつも笑顔で練習に取り組んでくれました。


そして、ヨーヴィクは私の夢でした。

7年間も働いて、結局、最後の最後まで仕事という表現に違和感を覚え続けました。
ヨーヴィクでのハンドボール漬けの日々は、仕事でもあったのだけど、それ以上に夢であり、情熱でした。

2013年、フランクフルターHCの破産で夢を突然失った私を救ってくれたクラブ。
1部から2部、3部と降格を繰り返しても、監督の契約が破棄されても、経営破綻の危機に面しても、それでも、ヨーヴィクが私の契約を切ることはありませんでした。

私はノルウェーにやって来て、ヨーヴィクでもう一度夢を見ました。

降格や経営難で苦しい状況でも、私は私の夢を、そしてクラブの夢を守り続けていました。

どんなに壊れそうになっても、必死に、手の中で守り続けました。



最後の数年間で何度も耳にした言葉がありました。

「ヨーヴィクHKは、エミ」

クラブが私と同義語になるほどクラブのために尽力をしている、という意味でした。


移籍を迷っているとき、移籍を決めたとき、たくさんの心に響く言葉をもらいました。

「ずっとエミにコーチをしてもらいたかった」

「エミがいなくなったらクラブはどうなってしまうんだろう」

「エミと一緒にハンドができるアカデミーを、うちの子はなによりも楽しみにしていたの」

「体育館でエミの姿が見れなくなるなんて、想像できない」

「寂しくなるよ・・・」


トゥーネに言われた言葉も、強く心に残りました。
「エミがいなかったら、ヨーヴィクは苦境を乗り越えられなかった。エミがクラブの人たちみんなをつなぎとめてたんだよ」

どれだけの人たちがクラブのために頑張っているかを知っているから、その言葉をすべて真に受けることはありません。
でも、そんなことはないと完全に否定をする謙虚さは持ちません。


なぜなら、誰よりも長い時間コートに立ち続けて、ヨーヴィクの力になりたいと常に考えていたから。

誰から何を質問されても、必ず答えを見つける努力をしたから。

誰かがサポートを必要としていたら、全力でできることを探したから。

一人ひとりと向き合って、ハンドボールを楽しんだから。

この7年間、24時間、365日、クラブのために力を尽くしたと、言い切れます。


そして、それだけの想いを込めて、時間をかけて、このクラブのために力を尽くしたいと心から思えるだけのギフトを私はもらっていました。


温かい人たちに支えられて、励まされて、助けられ続けた日々でした。

かけがえのない宝物のような時間を過ごすことができました。

今までも、そしてこれからもきっとないほど、大好きなハンドボールに没頭させてもらえた年月でした。

仲間とともに夢を追いかけました。

言葉ではとても伝えきれないほど、たくさんの愛情を注いでもらいました。



そのヨーヴィクを去る。

自分で選んだ道なのに、選手たちに伝えるときには涙が溢れ出しました。


Time to say good bye。


私には、叶えたい夢があるから。

守り続けたこの場所を後にして、前へ進みます。


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「死守せよ、だが、軽やかに手放せ」



ヨーヴィクHKのすべての人たちへ、心からの感謝を込めて。

『ありがとう』

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