2016年06月16日

エミの誕生

DSC015383月19日の話。

珍しく試合のなかったこの週末は、トゥーネの家に遊びに行きました。

午後にジモーネと一緒にIKEAに買い物に行って、それから夕飯の買出し。
おいしい食事を終えて、3人でおしゃべりをしたり、テレビを見たりしていたら、気がつかないうちに眠ってしまいました。

突然に目が覚めたのは私の携帯電話が鳴りだしたから。
ディスプレーを確認すると一緒にいたはずのトゥーネからの着信でした。

横目でジモーネも眠っていることを確認しながら電話に出ると、「子牛が産まれそうだよ。見たかったらおいで」とのこと。

トゥーネはヨーヴィクから車で15分ほどの小さな町の牧場の中にある家を借りて住んでいます。
その牧場主のハラルドが留守の時には、トゥーネは夜に牛舎へ行って掃除をしたり、子牛にミルクをあげたりする仕事を手伝っています。

この週末はハラルドが不在だったので、「夜23時になったら牛舎に行く」と言っていたことを思い出しました。

時計を見ると23時を少し回ったところ。

家を出て、向かいに立つ牛舎へ向かいました。

中に入るとトゥーネが入り口で待っていてくれました。
私に合う長靴を探しながら、出産を間近に控えた牛が二頭いること、本当はもう一頭のほうが先の出産だったはずなのに急に出産を早めた牛が今すぐにでも子牛を産みそうだということ、を説明してくれました。

牛舎の中へ入るのはこの日が2度目でした。
以前、やはりトゥーネが仕事の手伝いをしていた日に中を見させてもらったことがありました。

興味深々に色んな質問を投げかけていた私にトゥーネが慌てることなく、「あ、エミ。牛が尻尾をあげたら危ないよ・・・ほらエミの前・・・」と言った瞬間、目の前にいた牛に糞をかけられるという惨事に見舞われて以来でした。

この日、出産を早めた牛は牛舎の一番手前にいて、落ち着きなく動きながら、大きな声で「モーーー」「モーーーーー」とお産の苦しみを訴えるかのようでした。

なにをしていいか全く分からなかった私。
トゥーネに手伝うことはあるかと尋ねると、「通常の場合なら私たちは何もしないでも大丈夫。でも、稀に子牛が出て来られないときがあるから、そのときは人間が引っ張って出してあげなきゃいけないの。私は年末に手術した右手にまだ力が入らないから、エミに手伝ってもらうことになるかもね。」


おー。

なるほど。

よっしゃ。


もしものことを考えてビビリながら、でも牛の出産に立ち会えることに感激しながら、お母さん牛を見守ること・・・数十分は経ったのでしょうか。

動き回っていたお母さん牛が座って、たった一人(一頭)で頑張って、前足、鼻、と少しずつ子牛が出てきて、最後に一気に外へ出て・・・生命が誕生した瞬間はただただ感動しました。

奇跡だと思いました。


DSC01534生まれたばかりの子牛をすぐ横にあった柵の中へ移動させようとしたトゥーネは、やはり右手に力が入らなかったらしく「エミ、手を貸して」と一言。

ここまで来たらもうビビッてる場合じゃない。

トゥーネと一緒に、思っていたよりずっと重い子牛を策の中へ運びました。

ヌルヌルの子牛を藁が敷き詰めてある策へ移動させて、藁で体を拭いてあげて、プルプル震え続ける間ずっと撫でてあげて、なんだか我が子のようでした。

そうしている内に早くも立ち上がろうとする子牛。

後ろ足を伸ばして、でも前足を伸ばせなくてヨロヨロ。
勢いをつけるけど、やっぱり前足が伸びなくて、バランスもとれなくて、倒れて柵にガシャーンと突っ込んで。

何度も何度も倒れて、その度に柵にぶつかって、思わず「そんなに急がなくていいよ」って言いたくなったけど、早く立てなければ自然の中では生き残れないんだもんな・・・と思うと尊敬の念が沸いてきました。

生まれてから30分もかからなかったかもしれない・・・そんな短時間で。

子牛はついに立ち上がりました。


その後はトゥーネが持ってきてくれたミルクを子牛にあげました。

なかなかミルクを飲んでくれない子牛に、ミルク瓶の角度を変えたり、声をかけたり、トゥーネに言われたように口の中に指を入れて飲み方を教えてあげたり、と悪戦苦闘。

生まれてから最初の一時間のお世話をしているうちに、自然に愛着が沸いてきました。

トゥーネが、「エミが体を拭いてあげて、初めてのミルクもあげたから、この子の名前はエミだね」と言った頃にはすっかりお母さん気分。


DSC01543命名、エミ。

元気に大きくなってね。

たまに遊びに来るからね。

別れを惜しみながら、貴重な体験ができたことに感謝した夜でした。





昨日の話。

DSC02543先月ドイツで買った Polar の時計の使い方を教えてもらうために、トレーニングの後にトゥーネの家に行きました。
進化し続けるテクノロジーの世界と反比例するかのような生活を送る私は、買った時計をインストールする、という作業ができずにいました。

時計なのに初期設定をするまでは時間さえ見られない、という謎。

先週シャロットに助けてもらって初期設定に成功。
なんとか時間は見られるようになりましたが、本来の目的の心拍数の表示やインターバルの時間設定ができないままでいました。

「明日のインターバル走を前に、なんとしても時計を使いこなせるようになりたい」ということで、私が購入した時計と同じ型番の時計を持っているトゥーネに色々な機能を説明してもらいました。

私が必要とする機能を一通り教えてもらって、『日本行きのチケットをこれからとりたいから、今日は泊まらずに帰るね』と帰る準備をしていたのは23時を少し過ぎた頃でした。

突然、トゥーネの携帯電話が鳴って、電話口から慌てた様子の女の人の声が聞こえてきました。

「うん。分かった。分かった。すぐ行く」と言って電話を切ったトゥーネに事情を聞くと、電話をかけてきたのは牛舎で働いていた女性で、1週間先の出産予定だった牛が今にも子牛を産みそうで助けを必要としている、とのことでした。

トゥーネと一緒に牛舎へ向かうと、慌しく往来する女性の姿がありました。

この夜は機械が故障してアラームが鳴って、ミルクが足りなくて困っていて、ただでさえ忙しかったところに突然出産が始まって、そのお母さん牛を個別の柵に移動するのに一人ではどうしようもなくて・・・とお盆とお正月が一緒に来たかのような忙しさでした。

完全にお客様だった私は昨晩はほとんど力になれませんでしたが、その女性とトゥーネは手際よく柵を組み替えて、お母さん牛を即席の個別柵へ移動させていました。

そして、まさかの二度目の出産立会い。

そんなに頻繁にトゥーネの家に遊びに来てるわけじゃないのにすごい確率。

破水して、もう出産が始まるというタイミングでした。
前回同様に、「モーーー」「モーーー」と苦しそうに鳴く母牛。

しばらく動き回って、それから横になって、そして出産が始まりました。
前足、鼻、と出てくるのが前回よりもはっきりと見てとれました。

生まれてきたのはお母さんそっくりの真っ白な子牛。
今回は男の子でした。

エミのお母さんは黒と白のまだらで、エミは茶色と白のまだら模様でした。
当たり前だけど、やっぱり牛も人間も親に似るんだな、としみじみ。

子牛が生まれた後の対応は牛の種類によって違うらしく、今回はお母さん牛が近くにいて子牛のお世話をしていました。

子牛を舐めて乾かすお母さん。

しばらくすると立ち上がろうとする子牛。

3ヶ月前に見ているんだけど、やっぱり感動の光景でした。

ヨロヨロしながらも諦めずに頑張った子牛は、一度立ち上がってからは再び倒れることはありませんでした。

再び立ち会えた牛の出産。

トゥーネがまたも名付け親になりました。

命名、レミ。


昨日はエミとの再会も果たしました。

3ヶ月で見違えるほど大きくなっていてビックリ。
撫でようとしたらちょっと警戒してたけど、食欲旺盛に藁をモリモリ食べていました。

新しい生命の誕生を見届けて、エミにも会えて、満足してトゥーネの家に戻ったら1時になっていました。
シャワーを浴びてから帰宅。
それからチケットを探したら、明け方になってしまいました。

でも、眠さも感じない素敵な夜でした。


生命の誕生は奇跡。

子牛はすっごくかわいい。

そんな結論に達して眠りについた充実の一日でした。

emi_aus_riesa at 10:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2016年06月13日

砂送球

DSC02672今週末は金・土・日とミューサ湖対岸の町、Moelven でビーチハンドボールの地区大会が開催されました。

去年は2001年生まれ女子チーム(J01)の登録3チームのうち1チームが見事優勝を飾ったこの大会。

ビーチハンドボールが大好きな子どもたちは、今年もやる気満々でこの週末を迎えました。

私がコーチとして関わっているチームからは、1999年生まれ男子チーム(G99)が1チーム、1999年生まれ女子チーム(J99)が2チーム、そしてJ01が3チームの登録でした。

計6チーム。

体は一つ。

うん、無理がある。

というわけで、J99の2チームはエリンの全面的なサポートの元、できる限り多くの試合に参加してきました。


J99は2チーム登録した後に、予想外の怪我人、病人がでて人数がギリギリ、いやギリギリアウト。
1998年生まれの選手2人と、2000年生まれの選手3人に助っ人で出場してもらっての参戦でした。

今年の5月から今までのU16を卒業してU18のカテゴリーにあがった99年生まれの選手たち。

1学年上のチームも多い中、ヨーヴィクHK1は予選リーグを全てシュートアウトで競り勝ち3戦3勝、グループトップで準々決勝進出を果たしました。
もう一つのチーム、ヨーヴィクHK2は苦戦しながらも予選最後の試合で勝って1勝2敗、同じく日曜日の準々決勝へ駒を進めました。

勝てば準決勝でヨーヴィク同士の対戦となるはずだった準々決勝は両チームともに敗退。
残念でしたが、悔しがりながらも「すごく楽しかった」と言っていた選手たちを見て、「来年はもっとビーチハンドボールの練習をさせてあげよう!!」と密かに心に誓いました。


J01は3チームに分かれての参加。

ヨーヴィクHK1はかろうじてキーパーだけが交代できる5人という少人数だったにも関わらず、センターのハナを中心に健闘して1勝2敗。
ヨーヴィクHK2は本職のキーパーがいないながらも、みんなでフォローしあって2勝1敗。
ヨーヴィクHK3は個々の良さを生かして1勝2敗。

3チームともに無事予選を通過して日曜日のトーナメントを迎えました。

準々決勝へ駒を進めるためのトーナメント第1戦では、無情にもヨーヴィクHK1とヨーヴィクHK2のヨーヴィク対決となってしまいました。
この試合はヨーヴィクHK2が勝利。

ヨーヴィクHK3は、ヨーヴィク2000年生まれチームをやぶった Storhamar に、シュートアウト延長戦の末に劇的逆転勝利を飾りました。

準々決勝ではヨーヴィクHK2、ヨーヴィクHK3ともに体が一回りも違うチーム相手に負けてしまいましたが、J99チームと同様に、みんな敗戦に悔しがりながらも、楽しくて充実した週末を送れたようでした。


J99にもJ01にも共通して言えることは、もう少し本格的にビーチハンドの準備をして、2ポイントになるトリックシュートを練習しないと勝ちあがれない、ということ。

来年はU18、U16ともに上の学年になるので密かに優勝を目指します。


DSC02593J99、常にガッツ溢れるマリエのシュートシーン。

構図がお気に入り。



DSC02651こちらはJ01、アイラのシュート。





DSC02559これはシュートアウトの場面のはず。

指示してる人と、指示されてる人は目つぶっちゃってますね。

私の横にいるマッチ棒のようにヒョロヒョロの選手が、J01のキャプテンでセンターのハナ。
私が投げかける質問に対して彼女からは必ず的確な答えが返ってきます。
試合中の指示もすぐに理解して実行してくれます。

筋肉をモリモリつけて素晴らしい選手に育ってもらいたいと思っています。


最後の1チーム、私のかわいい男の子たちG99は予選を2勝2敗で終えて、日曜午後の準決勝では見事に勝利を収めて決勝進出を決めました。

決勝では、競り勝った前半の後に、後半ではミスから点差を離されて1−1。
シュートアウトではトリックシュートがクロスバーに弾かれて、さらにその後の大事な場面でミスが出て惜敗。
優勝カップまで手が届くという距離だったので本当に残念でした。

試合後には優勝、準優勝のチームが表彰されました。
そして、表彰後にキャプテンのヘンリックが私のところへやってきて、準優勝のトロフィーを私にプレゼントしてくれました。

その途端に私の目からポロリと涙。

突然に涙が出てきたことに自分でビックリしました。

どのくらいビックリしたかを文章ではうまく説明できないのですが・・・Wordで文章を書いたとしたら、普段12で設定されてる文字の大きさを16に変えて、太字にして、なんなら斜線に変えて、色までつけちゃうくらいの【ビックリ】

決勝が終わったときには感傷に浸る気は全くなかったのに・・・。

もちろん、思わず感情的になったのには理由があって、実はこの大会が、G99のチームに私が関われる最後の大会でした。

ブログでは「1999年生まれ男子チーム」と書いていましたが、実際は1998年生まれ2人、1999年生まれ6人、2000年生まれ2人、2001年生まれが2人の4学年から構成されたチームでした。

5月から一つ上の学年でプレーすることになって、U16でプレーできる選手はたったの4人。
逆にU18でプレーするには何人かの選手は体が細すぎました。

選手のため、そしてクラブのためになんとかチームを存続できる方法はないかと思案して、声かけをしてきましたが、最終的にチームは解散。
選手の多くは隣町の Toten への移籍を決めました。

女子チームへ力を注ぐクラブの陰で、おまけのような扱いを受けることも多かった男子チームの選手たち。
その選手たちを支え続けてきた両親。

個人の「別れ」ではなくてチームの「終わり」を迎えることしかできなかった、ということへの私個人の思いは無念に近いものがありました。
「ヨーヴィクが、女子だけでなくて男子ハンドボールの拠点になるように」という気持ちでG99チームに携わってきたつもりでした。

「最後まで力になれなかったなぁ・・・」と思っていた私にかけられた「ありがとう」の一言は、悲しいでも、寂しいでも、悔しいでもなく・・・ただただこのチームに関われた3年間の感謝の気持ちを溢れさせるものでした。

海外へ渡ってからどんどん強くなっていって、自分のことで、ましてや人前で泣くことなんて滅多になくなった私。
その私が太陽の下、陽気な音楽を背に涙ぐむなんて、まず考えられません。

思いっきり涙目になりながら、笑顔の選手たちとの対比にすごく恥ずかしくなりました。
「なにも知らない人から見たら決勝に負けて泣いてるみたいだ」と気付いてからは気まずさでいっぱいでした。

でも、感情に素直に、思わず涙を流せるような一面が自分に残っていたことが、なんだか嬉しくもありました。


いつも私をワクワクさせてくれるプレーをしていたハンドボールが大好きなヘンリック。

ずいぶん私になついてくれていたパワースターのクリスティアン。

パワーで負けても、食らいついていくことを決してやめなかったヴィリアム。

真面目に練習に取り組んで、私の言うことにも真剣に耳を傾けてくれていたロイ。

チームのお兄さん的な存在、シャイなペッター。

オールマイティー、安定のプレーのシャルベン。

笑顔が最高、不器用だけどパワフルなプレーでガッツ溢れるマリウス。

礼儀正しくて、怪我にも負けず復帰を目指して頑張っていたヘライク。

全身がバネのようなプレーで私を驚かせてくれたシオン。

15才で190cmという恵まれた体格とパワーを生かしてチームを支えたマルクス。

綺麗な動きとテクニックで2学年も下とは思えないプレーをしていたルードヴィク。

才能を秘めてこれからがおもしろいサンダー。


このチームを支え続けた両親と家族のみんな。

たった一言。心からの感謝を。

『ありがとう』


20160612_215710今日みんなからもらったトロフィーは私の宝物になるでしょう。

ノルウェーに来てから、わずか2ヶ月とちょっとで週に一回トレーニングを受け持つことになったG99。
G99との歩みは私のノルウェー生活と同じだけの長さで、このチームは間違いなく私の生活の一部でした。

選手たちのこれからの活躍を、心から願っています。





金曜日の夕方から始まった私の週末は、素敵な思い出と心地よい疲労感を残して幕を閉じようとしています。

金曜日は5試合、土曜日は8試合、そして今日は6試合。
計、19試合。


土曜日は10時から12時まで自分のトレーニングをした後にビーチハンド会場へ。
8時間太陽の下で活動して、帰宅後に翌日の試合時間をチェック、集合時間を選手に連絡をした後、元チームメイトのピアとテアの誕生日パーティーへ顔を出してきました。

今年で20才になった2人の合同パーティーに来ていたお友達はとにかく若者。
23時半前に会場に着くなり、20mくらい先の暗闇から「エミじゃない?エミでしょ!?エーーーミーーーーー!!!」と叫びだす女の子。
近づくと元チームメイトのティナでした。

抱きつかれて「久しぶり!!エミ!!覚えてる?ティナだよ!!」と大興奮のティナと、そこにやってきて「来てくれてありがとーーーーー!!!」とやっぱりテンションマックスのピアとテア。
パーティー開始から2時間半で、どうやったらこんなに泥酔状態になれるのだろう・・・と不思議に思わずにはいられませんでした。

会場に入ると他にもハンドボールの子達がいて、おしゃべりをしながら、ノルウェーの典型的な若者の泥酔パーティーを見て楽しんできました。

私の人生において、酔っ払っている人を私がシラフの状態で観察する、ということはまぁ滅多にないので(逆はたくさんあるんだろうけど・・・)なんだかおもしろい時間でした。
そのパーティーから帰宅して即就寝。

金曜日、土曜日と連続の6時間睡眠で今朝は起床が戦いのようでした。

ビーチハンドボールの大会が終わった後は、J01の選手を3人家まで送って、シャワーを浴びて、すぐに家を出て、さっき家まで送ったJ01の選手2人と映画館の前で待ち合わせ。

J01チーム一番の愛されキャラの選手が、学校の企画で撮った映画の主人公に抜擢されたと知ったのは2日前。
今日がその映画の試写会だったので、間に合えば見に行こうと決めていました。

17時半から出演者の挨拶、18時から1時間弱の映画上映、と聞いていた私たちは17時50分に待ち合わせをしていたのですが、私が時間に間に合わずに18時を過ぎて到着。
慌てて映画館へ入って、教えてもらった扉を静か〜に開けたらすでに映画は上映中でした。

とりあえず座らなきゃ・・・と空席を探していた私の目に飛び込んできたのは、まさかのいきなりラブシーン。
抱き合う2人の周りをグルグル回るカメラワーク、背後にはヨーヴィクの象徴ともいえるミューサ湖が。
そして、エンディングロールが流れて、映画しゅーーーりょーーーーー。

電気が点いて、学校の先生らしき人が現れて、「今日はどうもありがとう」・・・って。

18時から上映の映画、18時5分に終わっちゃいましたけど??

意味が分からないまま呆然としていたら、周りにはシャロットをはじめ顔見知りがたくさん。

昨日パーティーで会ったばっかりのテアも「あの主人公の男の子、私の弟。。」と恥ずかしそうな顔をして帰っていきました。

どうやら、17時半から挨拶が始まった試写会は予定を繰り上げて17時50分に始まって、映画自体も15分ほどのショートフィルムだったようで。

間違いが誤差の範囲じゃない。

でも、心優しい先生の配慮で、遅れてきた私たちのためにもう一度映画を上映してくれました。
手作りの、いまどきな感じの、でも知ってる子が演技しているからかとっても心がほんわかする映画でした。

無事に映画を観ることができて、主人公だった選手にも声をかけることができて、「良かった。良かった」と満足して駐車場の車に戻ると、フロントガラスに黄色い紙。
まさか・・・と思いながら近づいたら、そのまさか。
世界一、駐禁が高い国ノルウェーでの駐車違反。

日本円で1万円の罰金。

30分も停めてないのに・・・お高い駐車料金になりました。
というよりも、お高い映画鑑賞でした。

でもまぁ、主人公の選手は私が来たことをすごく喜んでくれたし、ラブシーン1回5000円っていうことで・・・いいか。

その後は、キョンの家でご飯をご馳走になって、キョン、ローゲル、トゥーネ、ジモーネと日本から遊びに来てるキョンのお友達と一緒にボーリング&レーザーをしてきました。

ハードな3日間だったのに、駐禁まで切られたのに、すこぶる元気。みなぎるパワー。


やっぱり、ハンドボールの疲れは心地いい。

疲れるよりも、もっともっと沢山のパワーを子どもたちからもらえるからでしょう。

そんなハンドボールとパーティーと映画とゲームな週末。


また明日からハンドボール三昧な日々を楽しみます。

おやすみなさい。

emi_aus_riesa at 10:20|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!

2016年06月07日

価値の証明

先々週、外国人局から滞在ビザ取得の通知が来たので、カード申請のためヨーヴィクの警察署へ行ってきました。
そして、先週の火曜日に滞在ビザ所持の証明となるカードが手元に届きました。

来シーズンの契約書には4月下旬にサインをしていたのですが、滞在ビザが下りるまでは正式に報告できませんでした。

日本を離れて13年目の挑戦となる2016/2017シーズンも引き続きヨーヴィクHKでプレーします。

今まで家族や友人、沢山の方々に支えられてハンドボールを続けてくることができました。
感謝の心を持って精進していきますので、今後とも熱い応援をよろしくお願いいたします。



以前このブログで報告したとおり、ヨーヴィクHKは9月からノルウェー3部リーグ(2.ディヴィション)でシーズンを戦うことになります。

ドイツ3部リーグから始まった挑戦。
長い月日をかけて世界最高峰の舞台へと歩みを進めたその道は、チームの破産を分岐点として再び3部リーグのコートへつながっていました。

積み上げてきたものがある日突然なくなって、再挑戦を決めて渡ったノルウェーの地でも思うように結果が出せない。
無力感や虚無感、行き場のない悔しさなどを味わうこともありました。

3部から2部、1部、そして2部、3部と、戦っているレベルだけで見れば完全に後戻り。
でも、私は日々前進していると思っています。

歩みを止めない限りはチャンスが必ず巡ってくると信じています。


2年前に2部リーグから3部リーグへの降格が決まったとき、将来のことを真剣に考えました。
来る日も来る日も、答えを見つけるために考え続けました。

そんな時、私に光をくれたのは前監督ビュルゲの一言でした。

「オレは2年か3年後に1部リーグへ戻るつもりでいる。それまで選手として若いチームを助けてくれないか。その間コーチとして経験を積んで、ヨーヴィクがトップリーグに返り咲いたらオレをサポートしてほしい」

ハンドボールでの挑戦の「終わり」を常に意識していたから、見えなくなっていた可能性があったということに気がつきました。

あれから2年。

再び3部リーグへの降格というきびしい現実を目の前にした私に迷いはありませんでした。
この町に未知の夢が待っているかもしれない・・・2年前に感じた予感は、今は確信のようになっています。

あの時、あの場所で抱いた決意は、今も変わらず胸の奥で燃えています。

ちょっとやそっとの困難で揺らぐくらいの決意なら、最初からしないほうがいい。

この確信が根拠のあるものだったのか、ただの勘違いか。
固い決意が何かを変えるのか、それともなんの力も持たないのか。

数年後には分かるでしょう。

36才、まだまだ現役。

一日一日を大切にハンドボールを楽しんでいきます。



来シーズンもこれまでと変わらずに1軍チームでプレーヤー兼アシスタントコーチを務めます。
2001年生まれ女子チームの監督は継続、そして新たに2軍チームの監督になることが決まりました。

今回、私がサインした契約書は「コーチ」としてのものでした。

2軍の監督になるから、という理由ではなくて単純に手続き上の問題。
ヨーヴィクに来てからはずっと「プロ選手」として契約書にサインをしていましたが、基本的に「プロ選手はノルウェー1部、ないし2部リーグでプレーする選手に限る」という条件に引っかかるかもしれない・・・という理由からの判断でした。

でも、肩書きがどうかなんてぶっちゃけどうでもいいことです。

ハンドボールをプレーして、ハンドボールを教える。

やることに変わりはないし、ハンドボールを生業にできている、ということにも変わりはないから。


ドイツに渡ってからの数年でよく耳にした言葉がありました。

「ハンドボールで飯を喰いたい」

大きな夢を抱いてドイツへ移籍を決めた若いハンドボーラーたちの言葉でした。

スポーツ番組などでは「右腕一本で稼ぐ」などという表現もよく使われています。

そういう言葉や表現を聞いて自分と照らし合わせても何だかピンと来ない・・・というのが正直なところでした。


私の右手は短めで、速いシュートが繰り出されるわけでも、すごいテクニックシュートが放たれるわけでもありません。
右腕一本で世界トップリーグのコートを渡り歩けるような選手では到底ありません。

幸運だったことにヨーヴィクHKはコーチを必要としていて、私はずっと指導者になることを目指してきました。
コーチという仕事は、プレーするのと同じだけ大きな夢と情熱を私に与えてくれます。

でも、コーチとしてここで結果を残せたかと問われれば、NOと答えるより他ありません。
自分が望む「結果」をいまだに出せたと思っていないからです。


それでも私がチームにとって必要な存在になりえたのは、「価値を高める」ことに真摯に向き合いながら、「価値を証明」するための毎日を過ごしたからでした。


右腕だけで10点取れる選手じゃないのなら、全身を使って地味なプレーにも全力を注ぐ。
普段のトレーニングから若い選手の見本になって、エゴを通しながらもチームのために戦う。

チームをすぐに勝利へ導いて、選手を短期間で見違えるほどに変えられないのなら、日々学ぶ。
片言でも言葉を紡いで、それでも通じないならジェスチャーを使って指導する。
そして周りのコーチやサポーターと協力して選手にとって最善の環境を作り出す。

情熱や想い、ハンドボールの楽しさ、そんな目に見えないけど必ず伝わるものを、全身全霊を込めて一人ひとりに伝える。

私は、一人のスーパープレーヤーとしてでも、一人の敏腕コーチとしてでもなく、「エミ」としてチームにとって必要と言ってもらえたのだと思っています。


先のことは分からない1年契約です。

だからこそ、ここで挑戦を続けるチャンスをくれた全ての人たちに感謝をして、自分のために、チームのために、そしてヨーヴィクでプレーする若いハンドボーラーみんなのために全力を尽くします。

自分を磨いて、恩返しするつもりで毎日を過ごしていきます。

一生懸命。いつか、私が本当に価値あるハンドボーラーとなるために。

emi_aus_riesa at 23:17|PermalinkComments(5)TrackBack(0)clip!

2016年05月30日

スナイパー

DSC01570今週の木曜日は、毎月最終木曜恒例のドイツの集い(Stammtisch)の日でした。

3週間のオフに入る前の最後のトレーニングを終えた足で向かった先月の Stammtisch から、早一ヶ月。

たっぷりあると思っていた時間はいつも通りに過ぎ去りました。


前回の Stammtisch の翌日、金曜日から日曜日まで1999年生まれ女子チームとトロントハイムのトーナメントに参加して、そのまま慌しく2001年生まれ女子チームとドイツへ。
5月4日から10日まで1週間のドイツ滞在も、振り返ればあっという間に過ぎた感だけが残ります。

昨年の今頃、ふと、1週間の休みが取れることに気がついて急遽ドイツ行きを決めた私は、今年はドイツ滞在中に水曜日と金曜日のハンドボールアカデミーの日程さえ組み変えていれば、あと1週間長くドイツにいられたことに気がつきました。

でも、さすがに帰りの飛行機をキャンセルして、責任者として受け持っているアカデミーを他の誰かに任せるわけにもいかないので、残りのオフをノルウェーで思いっきり楽しむことに決めました。

その決意通りの2週間弱と、来シーズンに向けて早くもトレーニングが再開した1週間を今日は写真盛り沢山でご紹介。


5月10日にドイツからノルウェーに帰ってきた私は、翌水曜日のハンドボールアカデミーを終えて、トゥーネの両親が所有する山小屋へ向かいました。
トゥーネのドイツの親友が遊びに来ていて、「2人で山小屋にいるから是非おいで」と誘われていました。

車で1時間半かけて Fagernes へ。
前日から山小屋へ来ていた2人とは、山の麓のお店で待ち合わせをして買い出し。

そこからはトゥーネの車で山道を登っていって、山道の途中の駐車場に車を止めて、小屋まで最後の5キロは徒歩orチャリ。
荷物を抱えて山道を自転車で登る2人を尻目に、身軽な私は一人快走して山小屋へ到着しました。

DSC02198はじめまして、のメルとはすぐに意気投合できました。

トゥーネの親友らしく、サバサバしていて、気が利いて、おもしろい子でした。
語学学校、大学とあわせると8年間も通ったライプツィヒに住んでいるということも、きっとすぐに親しみを覚えた理由の一つだったんだと思っています。

ビールを飲んで、太陽を浴びて、3人以外誰一人としていない山の中の澄み切った空気をめいっぱい吸い込みました。
時間を気にしないでただ自然の中にいる、っていう何気ない時間が、実はすごく特別なものになっていることに、改めて日々の喧騒を振り返りました。

DSC02200沈む夕日。

息を呑む、っていう表現がピッタリの景色でした。

ちなみに、メルとトゥーネがライプツィヒで知り合ったのは、ちょうど10年前だそうで。

だから、10周年記念だね、なんていう話をしているときに、『そういえば、私もトゥーネと大学選抜で一緒にプレーしたの、ちょうど今から10年前だ!!』と話に割り込んだ私。
連絡を直接取ることもなく、お互いの状況も知らない時期が長かったので、薄〜〜〜い10周年だね〜なんて話していました。

ところが、後日もう一度考え直してみたところ、トゥーネとは大学選抜でプレーする前にすでに相手チームのゴールを守るキーパーとして対戦していました。

Naunh-Uchi2証拠写真。

薄〜い交流の上、10周年も誰に気に留められることもなく過ぎてしまっていたようです。



DSC02288日が暮れた後は山小屋に入ってピザを食べて、私が持参したリグレットというカードゲームで盛り上がりました。

リグレットは10枚の手札を早く場に出し切った人が勝ちで、それ以外の人は手持ち札がマイナスの数として計算されるというゲーム。
場に出ているカードはプラスの数として換算されるので、いち早く手札を出し切るとともに、手持ち札とは別のカードの山から少しでも場に自分のカードを出すことが勝利の秘訣です。

スピードと運が勝負の行方を左右する、スピードに似たカードゲームです。

この日は圧勝だった私。
メルは2番手で、トゥーネはビックリするほどのショボさでした。


翌日は昼前まで快眠。

遅めの朝食をとった後は、山道を散策しました。

山には雪がところどころ残っていました。
雪解け水がすごい勢いで川を下っていって、夏には車も通れる道は雪解け水のために地盤が緩くなっていました。

DSC02223DSC02211





山の片方の斜面は白いのに、逆側の斜面は緑色と茶色で不思議な光景でした。

DSC02224散策の途中にアーモンドのような物を発見。

なにかの実かと思ってトゥーネに聞いてみると、「オオジカの糞」とのことでした。

・・・・・

そしたら、まぁ・・・・・


DSC02229やらないわけにはいかないだろう、ということで。

とりあえず、踏ん張ってみました。






DSC02231道なき道を進み、雪に膝上まで足を取られて進んだ山歩き。

頂上まで辿り着いて地平線を眺めたら、一気に疲れも吹き飛びました。


2時間半ほどの散策から戻った後は、とりあえずまたビールを飲んで、トゥーネの手料理を食べて、午後寝。
夕方の18時半とかから「少し昼寝しようかぁ」って誰ともなく言い出して、眠る。

ぐーたら。

20時頃に起きだして射撃対決がスタートしました。
カードゲームみたいな間隔で「射撃しようか」っていうところがノルウェー風。

DSC02252唯一のノルウェー人トゥーネはさすがの腕前で、見た目も様になってるし、見本で打った2発を的に当てるというスナイパーぶり。




DSC02258メルも見た目は完全にスナイパー。

射撃の経験があるらしく、試し撃ちの時点で的を射抜いていました。



DSC02255私はというと、支えるべき箇所に手が届かない、肘が当たらないというハプニング。

単純に手が短すぎるのだと思います。

フランクフルトでスポーツ射撃をしたときは全く的に当てられず、昨年の冬にバイアスロンをしたときにも25発1中という記録を叩き出した過去を持つ私は、射撃の才能がないと自分で決め付けていました。

DSC02256的までこの距離。

この日も的に当てられる気が全くしなかったのですが、トゥーネの分かりやすい説明を受けたあとに的に銃口を向けると、なるほど言ってることはよく分かる。

でも、銃が重くて手が震えてしまって照準を合わせることができませんでした。

「床に伏せて撃つと安定するよ」と薦めてくれたトゥーネの作戦。

DSC02262試してみると・・・





DSC02261オーーーーー!!!!!

な〜〜〜んと、見事命中。



DSC022591順目の0から一変、2順目一気に50ポイントを獲得すると、その後も次々に的を打ち抜いていきました。

思わぬ才能を発見。

射撃って当たるとめっちゃおもしろい。



DSC02282トゥーネとメルも高い確率で的を打ち抜いていましたが、的にしていたビール缶を弾が突き抜けてしまうことが多くて缶が倒れずポイントになりません。



DSC02283気がつけば全員の予想を裏切る結果で、私が見事優勝〜〜〜。

と、なるはずでした。

なのに、当初の予定の4順を終えて「ラストもう1順やろう」という2人の声に押された私のあさはかさ。

「缶を落とすには真ん中じゃなくて上のほうに当てなきゃダメなんだよ」と言った私たちの言葉を受けて最後の6発を撃ったトゥーネは、本当にスナイパーかなと思うほどでした。

一番奥の的まで打ち抜いて、たったの6発で110ポイントを獲得してしまいました。

トゥルネ13。

いける、あの命中率なら。


DSC02270綺麗な夕日がもの悲しく目に映る。

勝負、最後まで決着したと思うなかれ。




DSC02284結局、射撃対決はトゥーネがノルウェー人の意地を見せて逆転勝利を飾りました。





小屋に戻ってからは再びリグレット。

その頃には、私の負けず嫌いをはっきりと悟ったメル。

「私は別に勝てなくてもいい」と言ったトゥーネに対して、メルの口からは「私も普段は負けてもどうとも思わないけど、エミにだけは勝たせたくない」という衝撃の発言が。

その後も、なにかにつけては「ズルしてるでしょ」という因縁をつけられました。
知り合って2日目にしてこのライバル心。

こうして、私に対して尋常でない勝負への執念を発揮したメルが、射撃優勝のトゥーネ、前夜リグレット王者の私を抑えてこの夜の総合優勝を果たしました。


金曜日は早めに起きて朝食。

その後に山小屋の掃除をして帰路に着きました。

DSC02298帰りの山道、ノルウェーを代表する動物オオジカの親子を発見。

トゥーネとメルは山小屋に来た日、私と待ち合わせた日の2度ともこのカーブでオオジカ親子を見かけていて、どうやらそこに住んでいるようでした。

私はノルウェー在住3年目で、2度目となるオオジカとの遭遇でした。


家に帰って着替えて、金曜日のハンドボールアカデミーへ。

DSC02300ハンドボールアカデミーを終えて家でご飯を食べていたら、トゥーネとメルに呼び出されてまさかの三夜連続リグレット。

この夜はスピードスターの意地を見せて、私が栄冠を奪取しました。



翌土曜日は午前中ゆっくりして、午後からはエリンとウエイトトレーニング。

夕方には、トゥーネ、メル、ジモーネと一緒に、ハンガリー人のアンドレアとジルビアの家に遊びに行きました。
この日はヨーロッパ各国を代表する歌手が集って優勝を争うユーロビジョンの決勝。

アンドレアの絶品手料理をいただいた後は、6人で誰が優勝するかを予想して盛り上がりました。

ユーロビジョンの後に始まったのは、トレーニングを再開したいトゥーネとオフで体がなまってきていた私のウエイトトレーニング。
私をハイクリーンしようとしたトゥーネの試み、トゥーネを担いでフルスクワットしようとした私の挑戦はあっさり失敗に終わりました。

騒いで笑って汗かいて、少し落ち着いて「ゲームしよう!!」と提案した私たちにジルビアが持ってきたのは、懐かしのジェンガ。

DSC02315日本にいた頃、よくやっていました。

ず〜〜っと前のある大会で、午後から試合があった日に朝食後に猛烈に眠くなって、でも先輩から眠っちゃいけないと言われていたので友達とジェンガをしながら睡魔をしのいでいたら、部屋に入ってきた先輩に「試合前に遊ぶなっ」と怒られたことが懐かしく思い出されます。

そのジェンガ、この日の夜は4人で始めたはずなのに気付けばメルとの一騎打ちになっていました。
すぐにガラガラとジェンガを崩す他のメンバーはどんどん抜けていって、最後は私にだけは負けたくないメルと、ジェンガでは絶対負けられない私のプライドをかけた勝負。

メル・・・普段は負けず嫌いじゃないって言ってたけど・・・嘘だと思う。

真剣そのものの眼差しで、そ〜〜〜っとジェンガを積み重ねていく2人と、そんな2人のジェンガが終わるのを眠そうに待つ4人。

これを取られたらきびしいと思っていたところで、メルがジェンガを崩しました。

負けられない性格って疲れる・・・と思った数日間でした。

DSC02316とっても楽しい週末を過ごしたみんなと集合写真。






DSC02317月曜日はお昼にキョン、マリ、リサ、スティーネと待ち合わせてビーチバレー。

キョン・エミvsマリ・リサ・スティーネは2対3の数的不利にも関わらず、キョン・エミチームが3戦3勝。
ビーチバレーをしてても、楽しくというよりも勝つためのプレーをしている自分に気がつきました。
スティーネが帰ってから飛び入り参加したホーコンを加えてチーム変えをしても負けなし。

ビバ負けず嫌い。

ボールがバレーコート横のプールに落ちるたび、なぜか一番足が短い私が拾いに入水する羽目になって短パンびしょびしょ。
たまにはハンドボールから離れて運動するのもいいもんだ〜と思った昼のひとときでした。


午後はシャロットの家でBBQ。
シャロットは私以外にもエリン一家、エリン・ルンデ一家を招待していました。

シャロットの娘は長女のイダがJ99、次女のリサがJ01、三女のエレンはハンドボールアカデミーにいて、3人ともハンドボールを教えています。
エリンの家の双子はJ99とG99で監督、コーチとして2シーズン関わっていました。
エリン・ルンデの娘もJ99のマリエ、J01のミナと2人とも私のチームです。

シャロットとエリンは個人的に仲も良くて、なんだか縁を感じる3家族です。


夜からは元チームメイトのジャネットの家に遊びに行きました。
ジャネットのお母さんの誕生日を一緒にお祝いして、この日はジャネットの家にお泊り。

DSC02328翌5月17日は、ノルウェーの憲法記念日でした。

ジャネットと旦那さんのマルティン、ジャネットのお父さんとお母さん、ジャネットの子どものマルクスとルーカスと一緒にレナの町の広場まで行って、パレードに参加してきました。

5月17日はノルウェーの人たちにとってはとても大切な日。

子どもたちは学校ごとにパレードに参加して、大人たちはそのパレードを見守って、みんな口々に「おめでとう」と言い合います。
デンマーク、スウェーデンに支配されていた時期が長かったノルウェー、そのノルウェーの人々は、1814年5月17日にノルウェー憲法ができた日を国をあげて祝福します。

この日に向けて高校3年生の生徒たちは高校卒業(正確に言うと高校卒業を控えているだけなので卒業前提)を盛大に祝います。
5月17日はその総決算ともいうべき日で、派手なバスに乗って最後となるパレードに参加します。

DSC02329レナはヨーヴィクの隣町で農業の盛んな町。

トラクターがバスを牽引してパレードする光景はレナならでは。




DSC02334パレードが終わってからも、太陽の下アイスを食べて、家に帰ってケーキを食べて、子どもたちと遊んで、これぞまさに5月17日という一日を過ごしました。







20160517_192637子どもたちが眠ってからはジャネットと山登りへ。

1年前にプルーシィ、シュレークと遭難した懐かしの山の隣の山へ、犬2匹を引き連れて登山してきました。

駐車場に着いてジャネットから渡されたのは黒い毛並みが綺麗な猟犬ドゥッフェンとロープ。

どうやらロープを腰に巻いてドゥッフェンと一緒に行動しろ、ということらしいのですが・・・。

一日家にいてやっと外に出られてテンションMAXの猟犬のパワーを見くびっちゃいけない。

走り出すドゥッフェンを足腰に力を入れて抑えながら足場の悪い山道を登っていく・・・トレーニングだ、こりゃ。

ジャネットはドゥッフェンよりさらにパワーのあるディーゼルのロープを腰に巻いて、笑顔で山を登っていきました。
そりゃ、ハンドボールしてても誰より強かったわけだわ・・・。

20160517_200538頂上で記念撮影。

当然、登りよりも辛い下り。
一歩一歩踏みしめながら下山しました。

自然児のジャネットと屋外に行くときは、心してかかれ。
改めて実感。

5月17日をお祝いして、自然を満喫できて大満足の一日でした。


翌水曜日はアカデミーのあとにランニングして、夜からは1軍と2軍のコーチが集まってミーティングでした。
20時に始まったミーティングが終わったのは0時。
有意義なミーティングになりました。


DSC02337金曜日にはヨーヴィクでハンドボールをプレーする13才以下の選手たちのシーズンの打ち上げ。

体育館がディスコに早変わり。

みんな楽しそうに踊って、お菓子を食べたり、シュートを打ったり。

最後は1軍の選手からメダルをもらっていました。
子どもたちの笑顔が印象的な催しでした。

その後はシャロットの家でご飯&ビール。
2001年生まれ女子チームの来季の計画を立てるという名目でおしゃべりしてきました。


13275341_953775588053798_652714556_o翌土曜日はヨーヴィクHKのスポンサーでもあるショッピングモール、CCヨーヴィクが主催する「CCランニング」に参加してきました。
こういうスポンサーが企画運営をしている行事に参加することは、とても大事なことだと思っています。

参加者を募ったら私以外に、マリ、マリ、キョン、ノラ、イングヴィルが参加してくれました。

みんなでゆっくり走ろうねって言ってたのに、負けず嫌いに火が点いたかラストスパートをかけだす選手たち。
私は後ろの方で一人取り残されてるイングヴィルを待って一緒に走ることにしたのですが、そんな優しさをスルーするかのようにラストスパートで私を振り切ったイングヴィル。

だな。

勝負に情けは必要ねーぜよ。

来年はみんなで一緒になんて言わないで優勝目指してダッシュしようかと思案中です。

その後はキョンとローゲルの家にお邪魔してBBQ。

ノルウェーでの12日間のオフをめいっぱい楽しみました。


そして、今週の月曜日から再開したトレーニング。

月曜はウエイトトレーニング、火曜が体育館練習、水曜はインターバルで、木曜に体育館練習。
金曜日にウエイトをして、土曜はインターバル走でした。

月曜日の2001年生まれのトレーニングで、ゴムチューブをつけて40秒間走る選手を後ろから引っ張るっていう補助を15セットした私。
その後に自分のウエイトトレーニングをしたら太ももが大変なことになりました。

オフ明けの1週間、筋肉痛との闘いでした。


昨日はインターバルの後に1999年生まれの男女チームとビーチハンドのトレーニング。
男子の人数が少なかったので、一緒に練習してきました。

足はめちゃくちゃ重かったけど、久しぶりのビーチハンドはおもしろかったです。

夕方からはまたキョンとローゲルの家にお邪魔して、トゥーネとジモーネも来てBBQ。
チャンピオンズリーグの準決勝第2試合、THWキール対ヴェスプレムの試合を観戦して、マリオカートして、充実の時間を過ごしました。


今日はチャンピオンズリーグの3位決定戦と決勝を観戦。

昨日、ハーフタイム3点のビハインドをひっくり返して決勝へ駒を進めたヴェスプレムは、攻守ともに歯車ががっちりかみ合った試合展開で44分には9点差のリードを奪いますがそこから大失速。

解説者がすでに試合終了したかのようなコメントをしていた45分過ぎから4連取に成功して、5点差、さらに4点差、3点差と点差を縮めていったキエルツェが目に見えない力を手に入れたかのようなプレーでラスト3秒、力ずくのスーパーシュートで同点に追いつくと、延長後半にも1点ビハインドで一人退場者を出した最大のピンチを乗り切って再逆転。

延長ラスト数秒で今度はヴェスプレムが同点に追いついて7mスローコンテストに勝負の行方が託された決勝は、キエルツェの優勝で幕を閉じました。

ハンドボールは試合終了までなにが起こるか分からない。

手に汗握る熱戦でした。



そんな私の3週間を振り返る長〜〜〜いブログの最後は、最初に戻って今週の木曜日のドイツの集いのこと。

ヨーヴィクに移籍してきた私を、トゥーネがドイツの集いに初めて連れて行ってくれたのは2013年の9月か10月。
早いもので3年近くが経とうとしています。

集まるメンバーの人数は3人から12人程度と月によって大きく異なりますが、たま〜の例外を除きいつも必ずいるのがヴォルフガングとハインツ。
バイエルン州出身の陽気なおじさまたちは、私のことを気にかけてくれて、ハンドボールの試合にも幾度となく足を運んでくれていました。

新しいメンバーが来たりすると「エミがハンドボールコートでどれだけ早くて巧いのか」を説明したりしてくれました。
少し照れくさい思いをしながら、でもそうやって応援してくれる気持ちが嬉しくて、毎月ドイツの集いは私の楽しみになっていました。

ところが、ハインツが今年の夏にヨーヴィクから3時間ほどのTronsbergという町へ引っ越してしまうことになったのです。

ドイツに渡った2004年以降、自分が移籍して引っ越すこともあって、出逢いと別れがセットのような生活を送っていたのだけれど、ヨーヴィクにいる間はヴォルフガングとハインツに毎月会えるということは変わらない、となんとなくそんな気がしていました。

引っ越してもハインツが遊びに来ることもあるだろうし、ヴォルフガングと一緒にハインツの新居に遊びに行くこともできるけど・・・数年先を予定していた引越しが急に早まったことを聞いて、寂しい気持ちに襲われました。

やっぱり、出逢いと別れはセット。

でも、きっと再会もセットなんだと思います。

慣れ親しんだドイツを離れてノルウェーにやってきた私を、ハンドボーラーとして全力で応援してくれたハインツ。

本当にありがとう!!!!!

emi_aus_riesa at 08:55|PermalinkComments(6)TrackBack(0)clip!

2016年05月04日

恒例となった出発前夜の夜更かし

4月10日のシーズン最終戦から早いもので3週間が経ちました。

慌しく毎日を送っているうちに、あっという間に過ぎたという気がしています。


その間に、熊本地震が起きました。

犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

被災された方々、現在も不自由な暮らしをされている方々に穏やかな日々が戻るよう祈るとともに、被災地の一日も早い復興を願います。

練習やミーティングの合間をぬって情報を集めながら、自分が日本から遠いところにいると改めて実感しました。

遠くに住んでるから何もできない、とは言えません。
きっと海外に住んでいても何かできるはずだし、行動を起こしている人もいると思うから。

でも、日々の暮らしに追われていると状況すら把握できないことに、焦燥感に似た感情が沸いてきました。

想うだけでは何の力にもなれないけれど・・・いつかなんらかの形で私にできることを見つけたいと思っています。


今年はシーズン終了後にもトレーニングが続きました。

1軍チームの中にU18の全国リーグに出場している選手が何人かいて、その試合が4月の3週目にあったことが理由なのですが、長いシーズン、さらに3部リーグへの降格という結果に終わった後だっただけに、個人的に気持ちを奮い起こすことが難しい日々でした。

それでも、ヨーヴィクは初参戦となったU18の全国リーグを納得できる順位で終えて、クラブの未来は明るいと思わせてくれました。

さらに、日本での国民体育大会の位置づけにあたる州選抜大会の選抜チームにヨーヴィクから1998年生まれ、1999年生まれの9人が選ばれ、ヨーヴィクが所属のインランド選抜が見事全国優勝を飾りました。

その最高の結果とともに、1軍チーム、2軍チームは先週でトレーニングを終えて3週間のオフに入りました。


私は自分のトレーニングに加えて、コーチとしてのトレーニングもあったので、この3週間はシーズン中となんら変わらず毎日トレーニングのハシゴ。

2001年生まれ女子チームのシーズン順位決定戦、1999年生まれ男子チームのカップ戦、1999年生まれ女子チームのカップ戦、そして州選抜全国大会の決勝を観戦と、週末もがっつりハンドボールの予定で埋まっていました。

加えて各チームのミーティングが7回。
チームフロントとの個人的な話し合いを入れたら数え切れないほどの時間を費やしました。

メールでの連絡や電話での確認。とにかく考えなければいけないことが沢山あった3週間でした。



DSC016224月9日は2001年生まれ女子チームのシーズン順位決定戦。

残念ながら4位でU14・2部リーグのシーズンを終えましたが、確実に成長が見られた一年でした。



DSC01625U14のカテゴリーの大会が全て終了したので、その翌週からは2号ボールと松やにを使用してのトレーニングがスタート。

松やにを興味津々に見つめて、恐る恐る手につけてみる子どもたち。

「エミ〜。どれくらいつければいいの〜??」とか。

「あ〜〜〜!!髪の毛がついた、取って、取って!!」とか。

かわいらしい。

一人だけ私より背が低い選手がいる以外は、全員はるかに私より高い身長なのですが、なんだかとっても幼く見えました。

U14に上がったばかりのこの子達を受け持つことになった2年前。

時間が経つのは本当に早いな〜としみじみ思いながら、子どもたちの成長を間近で見られることに幸せを感じた瞬間でした。


DSC01652その1週間後には1999年生まれ男子チームがミョーサ湖をはさんだエルベルムという町の Yngres Cup というカップ戦で見事優勝。

このチームも2年以上見てきているので、愛着が沸きまくっています。

チーム名としては1999年生まれとしているものの、実際は1998年生まれから2001年生まれまで4学年から構成されたこのチーム。
シーズンを4位と素晴らしい結果で終えて、カップ戦も優勝しましたが、残念ながら来シーズンはみんなバラバラの道を歩むことになりそうです。

U18のチームを登録するだけの人数がいないので、数人はすでに隣町のTotenに移籍を決めています。

このチームで最後のハンドボールの大会となったこの日。

ヨーヴィクG99チームに携わることができて良かったと心から思いました。


DSC01775先週末は1999年生まれ女子チームと、トロントハイムで行なわれた Trondheim Cup に参加してきました。

金曜日から日曜日まで、電車でトロントハイムに行って、学校の教室にみんなで宿泊した3日間。

グループリーグの初戦で全国リーグ5位の強豪に善戦するも最後は5点差で負け。
その後の2試合を1勝1分として、準々決勝へ駒を進めました。

日曜日の準々決勝ではいいプレーも見られましたが、今シーズン課題だった安定感に欠けて勝つことはできませんでした。

でも、試合後に涙する選手の姿を見て、これからもっと伸びていくという確信を持ちました。

ハンドボール以外では選手みんな仲良く過ごして、最高の週末になりました。



家でゆっくり眠れるという喜びもつかの間、明日から2001年生まれ女子チームとドイツへ旅立ちます。

1年前にヨーヴィクに来てくれた Roedertalbienen。

今年は私たちが会いに行ってきます。

「ハンドボールに国境なし」というモットーで始まったノルウェーとドイツのハンドボーラーたちの交流。

子どもたちにとって忘れることのできない、素晴らしい4日間になるでしょう。

そんな贈り物ができることに感謝。

めいっぱい楽しんできます!!!!!



出発まで2時間半を切りました。

いい加減、荷造りを始めたいと思います。

今回こそは早めに準備して、睡眠をしっかりとってドイツに行くはずだったのにな〜。

いつまでたっても学びのない私です。

emi_aus_riesa at 09:10|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!

2016年04月17日

2015/2016シーズン

Emi (1)4月10日(日)、2015/2016シーズン最終戦が行なわれたこの日、ヨーヴィクは6位の Njard をホームに迎えました。

前節で3部リーグへの降格が決まってしまったヨーヴィクの目標はただ一つ、「今シーズンを勝って終える」ことでした。


試合が始まると、若い選手が躍動します。

この日、センターでスタートから出場した18才のカタリーナは、センター・左45のポジションチェンジからロングシュート、アウトカットインと持ち前の瞬発力を武器にゴールを奪います。

普段は左45のポジションでプレーするカタリーナは今シーズン、エースのGuroの陰に隠れてしまっていた感が否めませんでした。
シーズン最後の2試合はセンターで出場する機会を得て、この日はそのチャンスを活かしました。

そのカタリーナのライバル、17才のGuroもその実力を証明するかのようにダイナミックなロングシュートとカットインで加点。

この日は、それ以外のポジションも若い布陣でのスタートでした。
今シーズン出場時間が限られていた18才のポスト、Synneがスタメンでコートに立つと、同じく控えにまわることの多かったキーパー、17才のエリーネも試合開始からヨーヴィクゴールを守ります。
2人のノルウェー年代別代表が、同じく代表チームに名を連ねるGuroとともに堂々とプレーする姿は頼もしさを感じさせました。
右45で先発したピアも19才、両サイドがキョンと私だったことを除けば、平均年齢18才という驚きのスタートメンバーでした。

カタリーナとGuro、2人の若いエースの活躍で主導権を握ったヨーヴィクが、1〜3点のリードを保ちながら試合を進めていきます。

Njard の左45は今シーズンを得点王ランキング2位で終えたスーパーエースだったのですが、前半序盤は右の2枚目と3枚目を守ったピアとSynneが、このエースとポストの2対2をうまく攻略していました。

前半中盤には10ー6と4点までリードが広がります。

ところが、それからメンバーを入れ替えはじめたヨーヴィクの得点が、前半20分を過ぎたあたりからピタリと止まります。
それまでよく動いていたフローターの足が止まり、数少ないノーマークのチャンスは交代した Njard のキーパーに阻まれます。

Njard のキーパーとして最初にゴールに立ったのは、私がノルウェーに移籍してきた2013/2014シーズンにチームメイトだったヴィルデでした。
背は高くなくても抜群のスピードとプレーを読むクレバーさで試合を支配することもあるヴィルデですが、古巣との対戦に力が入ったのか、この日は全くリズムが合っていないようでした。
ヴィルデに代わってコートに入ったキーパーは最初の5分こそチャンスなく得点を許すものの、一本ノーマークシュートを阻止してからは連続で好セーブを出すようになりました。

その時間帯のヨーヴィクの選手たちのシュートは駆け引きのない単調なシュートで、苦労して作り出したチャンスを活かすことができません。

OFで勢いが止まったヨーヴィクは、DFでもマークが曖昧になってチェンジミス、コミュニケーションが取れなくてシューターに対して出遅れる、というミスが続きます。
そのミスをしっかりと狙って攻めた Njard のエースが、ポストとの2対2も利用しながら上手に加点していきました。

この苦しい時間帯にチームを救ったのはキーパーのエリーネのセーブでした。
Njard のノーマークシュート何本かを弾いたエリーネの活躍がなければ、一気に逆転を許してもおかしくありませんでした。

ヨーヴィクらしくないハイスコアの展開で進んだ前半を終えてスコアは、17ー16。

後半開始直後に18ー18の同点打を浴びたヨーヴィクは、そこから目が覚めたようにOFでリズムを取り戻します。
ハーフを折り返してからは、前半には出なかった速攻も出るようになりました。

今シーズン、思うような結果を残せずに密かに悩んでいたマッテ・ソフィー。
この日も前半はラスト10分弱に普段プレーすることのない右サイドで出場しました。

後半スタートはそのまま右サイドで出場するも、5分にヨーヴィクが退場者を出したとき、45・センタークロスのセットプレーをするように指示を出した監督のヘンリは、私とマッテを早くもチェンジ。
選手としてはエゴの塊のような私が、2分間の退場を終えてコートプレーヤーが6人に戻ったときに、自らベンチへ戻ろうとしたほど、気がかりなメンバーチェンジでした。

そんなマッテに、練習してきたセンターでプレーするチャンスが巡ってきたのは後半45分を過ぎたあたりでした。
それまでの迷いを振り払うように伸び伸びとプレーをしたマッテは、ポストへのアシストパス、自らのディスタンスシュートと大活躍。
センターとしてOFをしっかりと組み立てて、後半終盤の大事な時間に Njard に隙を見せませんでした。

DFではチーム全員で Njard のエースを意識して厚くマーク。
エースが左45からセンターにポジションチェンジをしたときには、スティーネがマンツーマンで高くプレスをして攻撃の糸口を握らせません。

後半は終始安定した試合運びをしたヨーヴィクが、34ー30(17−16)で上位チームの Njard に快勝しました。

若い選手の躍動と、チームプレーで勝ち取った最終戦の勝利でした。


私は右サイドで前半スタートから20分。後半は5分から試合終了まで、合わせて45分の出場で2得点でした。

前節の課題をしっかりと意識して臨んだDFでは満足できるプレーができました。
数的不利の状況で相手のチャージングのファウルを誘ったり、前半対峙する左サイドのほうへ戻ったリバウンドボールもしっかりとマイボールにしました。
この試合はエリーネがフル出場してリバウンドボールがほとんどサイドポジションへこなかったので、後半からは速攻へのスタートを早めてチャンスを狙いました。

ワンマン速攻、退場者を出して5人の攻撃のときに放ったミドルシュートの2本。

チームの一員として役割を果たした60分間でした。



この試合で、2015/2016シーズンが終わりました。

ヨーヴィクHKは、6勝1分15敗の10位でシーズンを終えて、残念ながら2ディヴィション(ノルウェー3部リーグ)への降格が決まってしまいました。


私は肋骨骨折で欠場した4節の Fredrikstad 戦を除く21試合に出場して69得点でした。

2部リーグ残留を目指すチームの助けとなることはできませんでした。
個人的にも全く納得のいかないシーズンでした。

思うことは沢山あるけれど、全てを受け入れて前進を続けます。



毎年のように迫られる決断を前に、考えて考えて、考え抜くことが癖として体に染み付いています。

岐路に立たされて一つの決断をした私の思いや、置かれている環境、そのときの感情など、さらに熟考してブログで説明してきました。

でも、今回ふと、無駄なことをしていたな・・・と振り返ることになりました。

私の思いや感情、状況をこのブログを読んでくれている人たちに伝えることが無駄ということではなくて、それを説明するために、自分自身で気持ちを整理するために熟考してきた作業が果たして本当に必要だったのか、と疑問に思ったからでした。

私を前に進める原動力は至ってシンプル。


ハンドボールが大好き。


それが全てです。

この不変の気持ちに純粋になれば、歩むべき道も自ずと決まり、大切な人たちへもっとシンプルに想いを伝えられたはずでした。


2015/2016は、私にとってとても苦しいシーズンでした。

でも、今後の糧となるべき沢山のことを経験したシーズンでもありました。

初志貫徹。

全てを前進に力に変えて、いつの日か大きな夢を叶えます。

emi_aus_riesa at 23:41|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!

2016年04月10日

譲れないもの

CIMG26284月3日(日)のシーズン21節、今シーズン2度目となる Bergen でのアウェー戦は Viking との対戦でした。


Viking はこの試合前までに6勝12敗2分の14ポイントで9位、ヨーヴィクは5勝14敗1分の11ポイントで10位でした。

1位と2位がエリートリーグに昇格、10位以下は2.ディヴィションに降格する今シーズン。
2試合を残すだけとなったこの時点で、ヨーヴィクが1.ディヴィション残留を果たすには、ヨーヴィクのラスト2戦2勝と同時に、Viking が2敗することが唯一の可能性でした。

残留を懸けて臨んだ直接対決は、両チームともに気迫のDFで互角の前半。
後半に主導権を奪った Viking に、諦めなかったヨーヴィクが最後まで食らいつきましたが、最後は24−25(11−11)で1点差の惜敗を喫しました。


前半序盤に抜け出したのは Viking。

チームのキーとなる左フローター、ポストの2対2で2連取すると、その攻撃にセンターがうまく絡んで得点していきました。

対するヨーヴィクは立ち上がりこそリズムを掴めませんでしたが、フローターのロングシュートを皮切りに、速攻、ポストとバランスよくシュートチャンスを作り出します。
それでも、Viking のボール際の強い当たりに阻まれて、思うようには得点が伸びていきませんでした。

前半5分で1−4とされてからのヨーヴィクのDFは目を見張るものがありました。

右の2枚目を守ったマリが左フローターに高くアタック。
フローターとポストのコンビネーションからチェンジミスを狙う Viking の攻撃にチャンスを与えません。
気迫のDFで、前半中盤以降はヨーヴィクがゲームの流れを握っていました。

リバウンドボールがことごとく Viking の選手の手に渡ったこと、ヨーヴィクが前半で2本の7mスローを外したことなどが、試合の内容どおりの点差にならなかった要因のように思います。

互角の前半を終えてスコアは11−11。
勝負の行方は後半に託されました。

後半、OFで足の止まったヨーヴィクが明らかに攻めあぐねる場面が増えました。

DFでは引き続き頑張るものの、ポストとの2対2を徹底する Viking の攻撃を完封するには至らず、ジワジワと点差を離されていきます。

ヨーヴィクベンチの早めのメンバーチェンジも功を奏さずに、4〜5点差まで Viking のリードが開いた後半の中盤、2次速攻からセンターのリサの目が覚めるようなランニングシュートが相手ゴールに突き刺さりました。

それからの10分は、孤軍奮闘の活躍だったリサのディスタンスシュートが一方的なゲーム展開になるのを防ぎました。
2次速攻、セットOFともにシュートチャンスを活かして、高い打点から速くて重いシュートをコーナーギリギリに打ち込み続けました。
Viking もこの時間帯で疲れが見え始めたか、リサのシュートに当たれません。

この日、1本の7mスローを含みリサが奪った得点は7得点。
チームMVPにふさわしい活躍でした。

1〜2点差で時間が流れていく中で、ヨーヴィクが最後まで逆転する機を掴むことができなかったのは、OF、DFともにイージーミスがなくならなかったからでした。

ラスト2分1点差、Viking 攻撃の場面。
勝負の別れ際で鳴り響いた笛は、7mスロー、スティーネの2分間退場を告げるものでした。

最後はキーパーと交代した6人目のコートプレーヤーがOFに参加しましたが、ボール保持時にうまく時間を使い切った Viking が1点差の勝利をものにしました。

24−25(11−11)。

今シーズン15敗目となる試合終了のホイッスルは同時に、ヨーヴィクの降格を意味していました。


私は右サイドで前半30分、後半5分出場。
そして、ラスト5分弱左サイドでプレーしました。

計40分弱の出場で2得点。

残留を懸けた試合の一番大事な時間帯に、ベンチからチームメイトを見守ることしかできませんでした。

この試合前、サイドもリバウンドボールを強く意識するように指示が出されていました。
キーパーのイネのキーピングはボールを横へ弾くもので、もともとリバウンドがサイドポジションへ流れることが多くありました。
19節に左手を負傷して以降は、特にその傾向が強く現れていました。

前半序盤、監督の指示を頭に入れながらも速攻へ速めのスタートを切ってしまった私は、リバウンドボールを取ることができませんでした。
その後もことごとくリバウンドボールが Viking の左サイドの方向へ飛んでいきました。

2本目はボールスピードがなくなったリバウンドだったので、その時間に2枚目を守っていたピアが取れると思ってスタートを切ったら、再び Viking サイドにリバウンドを取られました。
3度目は左サイドがトランジションでポストへ切っていって、私が左フローターへマンツーマンをついた後に左サイドのポジションへ移ったポストへボールが渡ります。

失点としては1点だったと記憶していますが、それでもチーム戦術を徹底しなければその先もリバウンドボールから得点されるリスクが高いと判断した私は、さらに遅いタイミングでスタートして、スタートする瞬間にボールの行方を確認していました。

前半最後の5分、後半最初の5分、またも同じようなシチュエーションで私と対峙するサイドへリバウンドボールが戻りますが、速攻への準備と同時にボールを目に捉えた私はすぐに6mラインに戻ってスライディング、Viking のフリースローとしました。

前半は2本とも速攻で得点していた私は、速攻の戻りが遅い Viking に対して引き続き速攻のチャンスを窺いながらも、リバウンドボールから直接シュートチャンスを与えないことを徹底しようと決めていました。

その後半5分、ベンチからメンバーチェンジを告げられました。

前半15分で代えられたならまだ理解できたけれど、速攻のスタートを遅らせて対応した後の交代にどうしても納得がいきませんでした。
この試合には右サイドのカリーネ、テアは帯同していなかったので、普段右サイドでトレーニングしていない選手を使ってでも、という監督の判断でした。

私が前半の中盤から速攻のタイミングを遅らせたことを監督が気付かなかったか、それとも速攻へ走ることを完全に諦めて6mライン際でリバウンドボールを待つことを求められていたか、どちらかだったのでしょう。

メンバーチェンジを決めるのは監督で、私がDFでミスをしたことも事実です。

真摯に自分のミスを認めて、ベンチの判断を受け止めることしかできませんが、長いシーズン、チームのために戦い続けて、最後の最後にチームメイトをベンチから応援することしかできない悔しさともどかしさは言葉に表すことができません。

後半は声を張り上げてチームメイトを鼓舞していましたが、ラスト5分を切って今度は左サイドとしてコートに送り込まれました。
後半から左サイドでプレーしたマッテは、速攻のチャンスこそゴールバーに当ててはずしていましたが、サイドシュート、ディスタンスシュートを決めていい仕事をしていました。

自ら監督として数チームを指導する上で、試合中の判断の大変さを痛いほど分かっているつもりです。
でも、それでも違和感が残るベンチワークでした。

誤解されないように付け加えておきたいのは、私は監督のヘンリ、コーチのモナを信頼しています。
この日は自分のプレーが監督の信頼を得るに足りなかった、ただそれだけのことです。

けれど、ヨーヴィクの選手として2度目の降格というきびしい現実を突きつけられたと同時に、チームの力に全くなれなかった、という悔しさは、きっと簡単に消えることはないと思います。


明日は2015/2016シーズンの最終戦、監督からは前回同様にサイドがリバウンドボールに残ることが指示されました。

監督の指示に従うこと、チーム戦術を徹底することはチームプレーであるハンドボールをする上で最低限のことです。

ベテラン中のベテランになった私はその重要さを十分に理解しているし、明日は私が守るサイドにリバウンドボールを取らせるつもりもありません。

でも、それよりも絶対譲れないものがある。

作り上げてきた、磨き上げてきたプレースタイルを変えてまで、ミスをしないように注意を払ってプレーをするなんてできない。
速攻スターを目指して走り続けた過去の自分に恥じないように、チャンスには迷わず走ります。


明日は16時から(日本時間10日23時)、ホームに5位の Njard を迎えてのシーズン最終戦です。

感謝の気持ちを込めて、魂を込めて、私らしいプレーでコートを駆け抜けてきます。

応援よろしくお願いします!!!!!



写真は2012年の年末、フランクフルトでプレーしていた私の試合を応援に来てくれたレアと。

9才のときに知り合ったレア。
そのずっと前から私のファンでいてくれたレアは、当時私の胸くらいまでの身長しかありませんでした。

いつのまにか身長を越されて、会うたびに少しだけ大人になっていく姿や言動に驚かされて、久しぶりに見たプレーに感動して・・・フランクフルトに移籍してからも、ノルウェーへ移ってからも家族ぐるみの付き合いが続いていました。

14才の誕生日を1週間後に控えた今日、レアは Jugendweihe というドイツの成人式を迎えて、「大人の仲間入り」を祝いました。


レア、おめでとう。

これからもずっと見守っています。

いつまでも目標とされるような選手であり続けられるように全力を尽くすよ。

emi_aus_riesa at 07:58|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!

2016年04月07日

はじまりのとき

DSC01581先週、3月28日に36才の誕生日を迎えました。

36年前のこの日に生を受けたという奇跡に想いを馳せながら、私を産んで育ててくれた両親へ改めて感謝をして、支え続けてくれる友人の存在を心強く感じた一日でした。

日本、ドイツ、ノルウェーから電話をくれる家族や友人がいました。
誕生日にあわせてプレゼントを送ってくれる優しさを受け取りました。
フェースブック、メール、SMS、様々な形で、世界中から沢山のメッセージをいただきました。
ヨーヴィクの友人やハンドボールの教え子からも沢山のプレゼントやお祝いの言葉をもらいました。

この場を借りて心からの感謝を。

本当にありがとうございました!!!!!!!



シーズン最後の2試合に全てを懸けるつもりでいたので、誕生日は普段どおりのハンドボールな一日を過ごしました。
1ディヴィション(ノルウェー2部リーグ)残留の望みを最終戦へつなぐために勝利することだけを目標に向かったBergen、先週の日曜日のViking戦は24−25で惜敗でした。

これで、今シーズンを10位で終えることが確定。
2ディヴィションへの降格が決まりました。

苦しいシーズンにも皆さんからの応援が力になりました。
前を向いて進むことができました。

ありがとうございました。

激励のメッセージ、さりげないメール、気遣いのコメントがどれだけ私を励ましてくれるか・・・感謝の気持ちが少しでも伝わってほしいと願うばかりです。



12才でハンドボールと出逢い、24才でドイツに渡りました。

ハンドボールを初めて手にとってから、気付けばもう24年が経っていました。

ハンドボールというスポーツに夢中になっていたあの頃は、まさか自分がドイツでプレーする日が来るなんて思ってもいませんでした。

ドイツへ渡って見るもの全てに感動していたあの日々には、その数年後にブンデスリーガ1部のコートに立つことや、そのあとノルウェーへ移籍するなんてこと想像すらできませんでした。

でも、ドイツ3部リーグで始まった挑戦が、ブンデスリーガ2部、ブンデスリーガ1部と続いていって、チームの破産、ノルウェーへの移籍を経て、ノルウェー2部、3部へつながるとも考えてはみなかったことでした。

もう一度あのコートへ。

夢というより願いに近い想いを抱いてやってきたヨーヴィクでは、3シーズンで2度の降格を余儀なくされました。

2年前に3部リーグへの降格が決まったとき、何日も悩んでヨーヴィクに残るという道を選択しました。
昨シーズンに昇格を果たして2部リーグへ戻ってきた後は、もう一度降格するとは夢にも思っていませんでした。
先週末の試合に負けたあとの2日間はとても苦しい時間でした。

時間だけが過ぎて、年だけ重ねて、12年前に立っていたスタート地点に戻ってきたという虚無感が消えませんでした。

「引退していい年齢だよ。破産が原因だったとしても、トップリーグで現役を終えられるなら、それが一番じゃない」

仲良しだったチームメイトのナディーンの言葉が急に思い出されました。


でも。

違う。


ドイツとノルウェーでの12年間は、前進だけを続けた日々の積み重ねでした。
勝ちも負けも、昇格も降格も、チームの破産や移籍まで、全て通過点に過ぎなかったのだと。

今まで歩んできた道を後悔したことは、たったの一度もありません。

これからも信念を貫きます。
夢を叶えるため、全身全霊でハンドボールと向き合います。


フランクフルターHCの破産でチーム探しに翻弄していた私に、恵さんがかけてくれた言葉が今も心に焼き付いて離れません。

「エミさんは、終わらせ方を考えているんじゃないですか。でも、何かを終わらせる必要はないと思いますよ。それよりも、何かを始めれば、それがきっと新たなスタートになるから」


新たな冒険を始めて、振り返れば大きな節目の年になっていた申年。

ハンドボーラーとして三度、申年を迎えています。


過ごしてきた日々のうちに築いた信頼を、集めた経験を、溜め込んだ情熱を持って、はじまりのときを迎えます。

emi_aus_riesa at 22:17|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!

2016年03月25日

スケルトン〜前編〜

DSC01316今年の2月、リレハンメルで行なわれたユース・オリンピック・ゲームズで出会ったスケルトンという競技。

滑走時のスピードと迫力、スタートの緊張と興奮にすっかり魅了されました。

ユースオリンピックという華やかな舞台でのアスリートの躍動に感動すると同時に、そこに辿り着くためにアスリートや家族、サポートする人たちが続けてきた努力、競技が抱える課題を垣間見て、スケルトンをこれからも応援したくなりました。

競技と、その競技に携わる人たちとの素晴らしい出逢い。

そのきっかけを作ってくれたのは早船愛子ちゃんでした。


愛ちゃんは富山県氷見市が生んだ天才ハンドボーラー。
私とは同級生で、高校のとき氷見合宿に参加して練習試合をしたのが初めての対戦でした。

高校を卒業後、愛ちゃんは筑波大学へ、私は国士舘大学へ進学して、大学でも関東リーグや東日本インカレで試合をすることになったのですが、そこでも圧倒的な存在感で他チームを苦しめていました。

大学1年生のときに寮で同室だった洋香が氷見高校出身で愛ちゃんと仲が良かったので、よく高校時代の話を聞いていて、「尊敬する対戦相手」という以外にも、勝手にお友達のような感覚を持っていたことを懐かしく思い出します。

大学卒業後はシャトレーゼで日本リーガーとして活躍。2004年に世界最強リーグのデンマークリーグへ移籍しました。
2007年にはデンマークからスペインへ活動の場を移します。
長く全日本選手としてトップで活躍を続けたプレーヤーでした。

2010年に日本に帰国してからは、三重バイオレットアイリスでプレーヤー兼コーチとしてチームを支えて、2013年現役を引退しました。

そんな愛ちゃんと個人的に連絡を取るようになったのは2004年以降。
偶然にも同じ年にヨーロッパへ渡った縁からでした。

頻繁な交流ではなかったけれど、会うときはすご〜く濃い時間を一緒に過ごさせてもらっていました。
ここでさらりと紹介できるような濃さではないので、いつか機会があれば改めて。

ヨーロッパで戦うハンドボール仲間だった愛ちゃんが日本に帰ってからは、連絡を取り合うことも減ってしまっていました。
引退をしてスポーツ開発事業推進部というところで働き始めたということを聞いてからは、メールをやり取りした記憶もないほど。

ところが、昨年の冬に久しぶりに愛ちゃんからメッセージが届きました。

「今度リレハンメルに行くけど、エミちゃんの住んでる町から近いんじゃない?」

手がけている仕事の関係で、ジュニア世代のハンドボーラーと一緒にデンマークへ来ることがあるのは知っていたけれど、ノルウェーに来る機会があるということは初耳でした。
さらに、リレハンメルはハンドボールが盛んな地域ではないので、腑に落ちないながらも話を聞いていると、「ハンドボールの関係でデンマークに行って、そのあとスケルトンの視察でリレハンメルに来る」とのこと。

日本とドイツで体育学部を卒業していながら恥ずかしいことに、スケルトンがどんな競技だったかをすぐに思い出せなかった私に愛ちゃんは、「ボブスレーとかリュージュは分かるでしょ? スケルトンは頭を下にして滑走する競技」と説明を加えてくれました。

愛ちゃんが働くスポーツ開発事業推進部では、「女性競技種目戦略的強化プログラム」というプロジェクトが進んでいて、その対象に「ハンドボール」「スケルトン」「飛び込み」の3種目が選ばれているということでした。

とても興味深い話でしたが、その後は話のテーマがハンドボール、私たちの将来に移っていって、それ以上スケルトンについて話が掘り下がることはありませんでした。


それから一ヶ月ほどが過ぎたある日。

また愛ちゃんからメッセージが届いていました。

「私が働いている部署でスケルトンを担当している居石さんという人が、今度のユースオリンピックでドイツ語の通訳ができる人を探しているんだけど見つからないらしいので、絵美ちゃんを紹介してもいい?」

メールを読んだ瞬間、ワクワク・ドキドキしてくるような話でした。

ノルウェーでドイツ語と日本語の通訳をするというだけでも楽しそうなのに、その通訳がユースオリンピックに関わるもので、オリンピック競技の日本代表チームの何かの役に立てるかもしれないなんて。

すぐにお手伝いしたい、という返事をすると、後日、居石さんからメールがきました。

通訳をする相手はスイス人のコーチ。
日程は2月15日(月)、スケルトン競技の滑走がある2月19日(金)とのことでした。

日程が決まってからは、その日が近づくにつれて嬉しさが増すとともに、徐々に心配な気持ちも出てきました。

スイス人のドイツ語は「スイス語」と表現されることもあるほど、訛りが強いということを以前から耳にしていました。
さらにスケルトンの専門知識がない私が、どれだけ正確な通訳ができるのか・・・ということも気になっていました。


そして、2月12日にリレハンメル、ヨーヴィク、ハマー、オイヤーでユース・オリンピック・ゲームズが開幕。

日曜日には、ちょうどその時期に家に来ていたクレアちゃんとキョンの3人で、オスロまでスノーボード・ハーフパイプのファイナルを観戦に行きました。
考えてみれば、生まれて初めてのオリンピック観戦でした。


15日はヨーヴィクから1時間ちょっとのHunderfossenというところのホテルで待ち合わせ。

ホテルのロビーで私を迎えてくれたのは居石さんと、同じくこの強化プログラムでスケルトンを担当している筑波大学の河合先生でした。

居石さんからプロジェクトの概要や流れの説明を受けた後は、日本連盟の鈴木先生、スイス人コーチのウィリーもやってきて話し合いがスタート。

通訳する内容は、プロジェクトの評価、今後の課題と展望、このプロジェクトをきっかけにスケルトンを始めた伊地知真優ちゃんの競技成績と成長についてでした。

競技人口が多くないスケルトンでは、アスリートを見つけることが最大の課題と言っても過言ではありません。

「女性競技種目戦略的強化プログラム」の強化種目に指定されたスケルトンには、タレントを発掘して育成、今後の指針となるべき戦略的強化プログラムを作り上げるという目標がありました。

公募をして集まった中高生の中からテストを受けて選抜されたアスリートが、ウィリーの指導のもとで練習会や長期合宿を繰り返しました。
その中で経験を積み、ユースオリンピック選考レースで勝ち上がって、見事本選出場を決めたのが真優ちゃんでした。

スケルトンのコースは日本では長野にしかない、と聞いて驚いた私は、「それでも自国にコースがあるだけで幸せ」という言葉を聞いて、自分の無知を再確認。
コーチのウィリーの母国スイスでは、スケルトンが盛んでもやはりコースは一つで、国内にいくつかのコースがあるのは、ボブスレー・リュージュ・スケルトン人気が高いドイツくらいなのだと知りました。

毎日のようにコースを滑って練習ができない難しさ。
そして、世界のコースを滑って経験を積むということの重要さ。

ハンドボールのように町の体育館で練習するという形ではなくて、冬のシーズンに長期合宿を組んだり、世界中を遠征して回ったりするスケルトンならではの競技への取り組みを聞いて、新鮮な学びがありました。

通訳をした時間はあっという間に過ぎた、と感じるほど楽しい時間でした。


タレント発掘と育成。

家族や学校との連携。

競技を続けていく上での課題。

まだ目にしたことのないスケルトンという競技の技術的・戦術的な話。


聞いていてワクワクしっぱなしでした。

ハンドボールと重なる部分がとても多く、スケルトンという競技に対しての興味が自然に沸いてきて、ドイツの大学で大きなテーマとして扱った、そして今もまさに私自身のテーマでもあるタレント発掘育成を実践している話を聞けて、「通訳をした」というよりも、「興味深い話を聞かせてもらえた」と言ったほうがしっくりくるような時間でした。
途中、個人的な質問をウィリーに投げかけてしまうほど、「知りたい」という気持ちで満たされていました。

そして、ウィリーのドイツ語はとても聞き取りやすく、心配する必要はなかったようでした。
私の方は、相槌で何度もノルウェー語が飛び出してしまったり、簡単な単語をど忘れして思い出すまで待ってもらったりと、迷惑をかけてしまいましたが・・・。

通訳を終えた後は、居石さんと河合先生と3人で話をしました。
そこでも、すごく勉強になることばかり。

あまりに楽しい時間だったので、居石さんの「時間があったら是非遊びに来てください」というお誘いに、遠慮もなく『来ます!!』と即答してしまいました。


そうして約束した木曜日の夜。

前日がアウェーの試合だったので自主トレーニングになったこの日は、午前中にクレアちゃんとミューサ湖沿いを軽く走った後、キョンと3人でウエイトトレーニングをしました。

午後に2001年生まれ女子チームの練習をしてからHunderfossenへ。

クレアちゃんは2軍チームの練習に参加した後にキョンと一緒に後から合流することになっていたので、一足先に居石さんが宿泊するコテージに向かいました。

コテージには居石さん、翌日の滑走のために日本から応援に来た真優ちゃんのお母さん、そして仙台大学の進藤先生がいて、到着してすぐにお母さんお手製のおいしいカレーをいただきました。

勝負の日の前夜に押しかけるようにしてやって来た私を温かく迎えてくれて、スケルトンが主役の夜なのに私のことやハンドボールのことまで色々と興味をもって聞いてくれて、気遣いの気持ちで溢れたような空間でした。


1時間半ほどしてクレアちゃんとキョンが到着。

その後も話は尽きませんでした。


居石さんは実はボートで活躍した選手だったこと。
スケルトンとの出会いは今回のプロジェクトがきっかけだったこと。
今までのことやこれからのこと。

進藤さんは仙台大学で、居石さんが担当する強化プログラムと同じようなプロジェクトを進めていること。
中高生と一緒にヨーロッパで長期遠征をすることのおもしろさや大変さ。

真優ちゃんのお母さんからは、海外遠征で真優ちゃんが1ヶ月不在にしているときの寂しさや、娘を心から応援する母親の気持ちを聞かせてもらいました。

『そんなに長く離れていると心配ですね』と言った私に、「でも今はLINEとかですぐに連絡がとれるから」と答えたお母さんの携帯電話にナイスタイミングで真優ちゃんからメッセージが。

「コカコーラの服が買いたい」

その場にいた誰一人として意味が分からなかったメッセージを送ってきた、まだ会ったこともない真優ちゃんという少女の、家族と離れながらも競技のために頑張る度胸のある一面と、あどけない女子高生の一面を見たような気がしました。


DSC01301素敵な夜を一緒に過ごさせてもらった5人との集合写真。







IMG_3570(1)[1]こちらは居石さん撮影。

愛ちゃんに写真を送るから、とカメラを向けられたのでポーズを取ったら、愛ちゃんから「前に写ってるおっさんは誰ですか?」という返事が返ってきました。

なんか酒がタワーみたいになってて、未成年のハンドボーラーと一緒に撮る写真じゃなかったな・・・と反省して、クレアちゃんに『私を見習わないようにね』と言うと、いつもは返事まで数秒かかるのんびり屋のクレアちゃんからかぶり気味に、「あ、大丈夫です」という返事が返ってきました。

なるほど。



居石さん、伊地知さん、進藤さん、キョン、クレアちゃん。

忘れられない楽しい夜をどうもありがとうございました。

決戦の前日にはしゃぎすぎてすみませんでした。



まだ見ぬ3人のアスリートたちの勇姿に出会えることを心待ちにしながら、母親の愛、サポートする人たちの想いに触れた夜は更けていったのでした。

emi_aus_riesa at 08:00|PermalinkComments(4)TrackBack(0)clip!

2016年03月21日

Volda戦番外編

DSC01546DSC01545






今週の月曜日から急に温かくなったヨーヴィク。

太陽が顔を出して春のような日差し、10度まで気温が上がる日もありました。

あまりにも気持ちがいいので、今日は自主トレーニングの後に雪解け水が撥ね上がって泥だらけになった愛車のシトリーを洗車してきました。


ピカピカの新車だったシトリーが私のところへやって来たのが昨年の9月末のこと。

あれからもう半年近くが経って、走行距離も6700キロを越えました。

毎日のトレーニングやアウェーの移動、友達の送り迎えと大活躍の愛車。

軽快な走りで私をどこまでも連れて行ってくれます。


そんなシトリーを襲ったたった一度だけのハプニング。

今日は、そのときの話。


私が昨年の2月から受講を始めたコーチングライセンスの最後の実技講習が、10月30日(金)と31日(土)にリレハンメルでありました。

31日の土曜日にはアウェーのVolda戦があったので、金曜日の夕方からの講習だけ受けて、翌日の講習は免除してもらうことになっていました。

Voldaはヨーヴィクから400キロ離れたノルウェー西海岸の町。
山道を行くルートはバスで6時間ほどかかるので、チームメイトは金曜日の午後に出発して、Voldaから十数キロ手前の町に宿泊しました。

チームとは別行動で翌日遅れて試合会場に合流するという許可を監督のヘンリからもらった私は、コーチのモナにお願いして、一緒に当日会場入りをしてもらうことにしました。

モナと2人で愛車のシトリーに乗って、行きはモナ、帰りは私が運転することに決まっていました。


金曜日。

99年女子チームのトレーニングを終えて、そのまま講習のあるリレハンメルへ。

仕事を終えて帰宅する人が多い時間帯と重なってしまったので、ヨーヴィクからリレハンメルへ向かう一本道はなかなかの交通量でした。
車は流れていたので渋滞とは言わないまでも、普段私が移動するときには出くわさない車の数に驚きました。

到着したのは集合時間の17時ピッタリ。

慌てて会場の体育館に入ると、講師の人たち以外はまだ誰も到着していなくて、意外にも一番乗りでした。

この日の実技講習のテーマは、3−2−1DF。
講師は、チームメイトのGuroやSynne、ElineがプレーするU16ノルウェー代表チームでコーチを務める女性。

講習内容はとても興味深く、コーチの女性が選手に投げかける一語一句たりとも逃さないように真剣に耳を傾けていました。

すると突然、その講師の人が私を指差して、「アナタ、寒いでしょ」と声をかけてきました。

『いえ、寒くないです』と答えた私に、「いや、寒いはず」と決めつけるコーチ。

『むしろ熱いくらいです』

「ううん。寒いんだってば。とりあえずここに来て」

そこまでやり取りをしてやっとコーチの意図を汲み取った私。
講習を受講していたコーチや、トレーニングに参加していた選手たちに、フットワークの見本を見せたかったようでした。

急に振られて慌ててサイドステップをしたら、心拍数が尋常じゃないくらいに上がって、でも、それを誰にも悟られないように必死で深呼吸。

このコーチは私がヨーヴィクでプレーしていることを知っていたらしく、講習会の後も「Synneはもっとフットワークが速くならないとダメ。個人的に鍛えてあげて」とか「明日はVolda戦でしょ。頑張ってね」など、気さくに話しかけてくれました。

すごく充実の数時間を過ごして帰路につくと、行きは混んでいた道に車が一台も走っていませんでした。

リレハンメルの町を後にして、{あ〜、すいてる道って最高}と気分よく音楽を聴きながら、ふとバックミラーを見てビックリ。
すごい台数の車が私の後ろに連なっているじゃ〜あ〜りませんか!!!

どうやら、速度制限解除の看板を見逃して、そのままノロノロと走っていて渋滞を作ってしまっていたようでした。

気まずい思いをしながらも、{ここで急に速度を上げたら、渋滞に気付いて慌てたって感づかれる}と考えた私は、微妙に速度を上げながら、橋を渡りきって2車線になったところで数台の車に抜いてもらって、最終的には渋滞の原因が誰だったかを隠す作戦でその場をしのぎました。

この日は23時前に帰宅。

ご飯を食べて、翌日の試合の準備を済ませて就寝しました。


土曜日。

近所に住むモナが家まで来てくれて、8時45分に出発。

チームメイトが宿泊した町までは自家用車なら5時間強。
お昼休憩やトイレ休憩をはさんでも、十分に時間に余裕をみた出発時刻でした。

最初の1時間半〜2時間は私が運転をして、モナに運転を代わってもらってから仮眠、最後の2時間は起きて試合に備える、という計画でヨーヴィクを出た私に、出発から15分ほどで早くも試練が訪れます。

突然、速度計の横にある故障を知らせるランプの一つが点灯しはじめました。

黄色く光る見たことのないマークに、「どうした!!!どうした!!!」と言い合う私とモナ。

助手席のモナが分厚い説明書を開いて確認します。
時間をかけてようやく見つけたランプ点灯の原因は、「タイヤの空気圧が低い」とのことでした。

その2日ほど前、Voldaへの長距離移動を前に冬タイヤに履き替えたばかりだったので納得。


『空気圧が低いのに走ってて大丈夫??』

「うん。今までも普通に走れてるから、次のガソリンスタンドで空気を入れれば問題ないよ」

『良かったぁ。ガソリンのメモリも3つになってるし、この先のリレハンメルでガソリンスタンドによればいいね』

「うん。じゃあ、ランプ点灯の原因も分かったところでナビをセットしようか・・・」


原因が分かって安心して、こんな会話をしていた時のことでした。


時速80キロで走っていた車の速度が落ち始めます。


『ん?』


『あれ??』


今までにない違和感を感じました。

アクセルを踏んでいる右足に普段の感触がありません。

踏み込んでも加速しない車に慌ててギアを下げる私。

5から4、4から3と下げて、その度にアクセルを踏み込みますが、車は加速するどころか失速していきます。


『モナ、アクセルが利かない!!!』

「え?なんで??」

『わかんない!!アクセル踏んでも速度が上がらないっ!!!』

『あ〜!!止まる〜!!!』と叫びながら、ディスプレーに表れた文字を目の端に捉えました。


「エンジン異常」


{新車なのにエンジン異常??}と思いながら、完全に止まる直前に車を道路の右端によせて、ハザードランプを点けました。


15プスン。プスン。

突然ストップしてしまった新車。

呆然とする2人。

車が止まってしまった場所は、よりによって道路幅が狭くなっている1車線の橋の上・・・。


一瞬の沈黙の後、「ディスプレーの文字、ドイツ語だったでしょ?なんて書いてあった??」と聞くモナに、『エンジン異常って出てた・・・』と答える私。

「新車なのにエンジンの故障っておかしいでしょ!!」と2人で話しながらも、一番最初に解決しなければいけない問題は、故障車と後から来る車両の安全確保でした。

10mほど手前に道路幅が広くなっている場所があったので、モナに押してもらってバック。

そのまま三角印を立てにいくモナ。


車に戻ってきたモナと私は、すぐに手分けしてクラブ関係者に電話をかけ始めました。

この車をスポンサードしてくれているSullandという車販売会社と契約を結んだクラブのマーケティング担当には電話がつながらず、Sullandのヨーヴィク支店は呼び出し音はなるものの誰も電話に出ません。

チームのオーナーとは連絡が取れたのですが、「新車なのにエンジン故障っておかしいだろう」とか「Sullandに電話してみたらどうだ」という発言ばかりで状況を打破してくれそうにありません。

もう一度、故障時の連絡先を確認してみると、Sullandのヨーヴィク支店、リレハンメル支店は10時から開店でした。

現在時刻9時20分。

「新車が突然止まったという状況を考えると、Sullandに連絡が取れればレッカー車を手配してくれて、さらにレンタカーも借りられる可能性が高いけれど、10時の開店を待ってから全ての手続きをしていたら間違いなく試合には間に合わない」と言うモナ。

「もう、諦めて戻ったほうがいいかもね」と無情なことまで言い出しました。

『肋骨が折れて試合に出られない、ということなら辛うじて受け入れられるけれど、車の故障で欠場なんて耐えられない』と言いながらも、なぜか、必ずVoldaに辿り着ける、という確信のようなものが私の中にはありました。

監督のヘンリにも状況を説明して、次の手を考えている私たちにかかってきた電話は、チームのオーナーから。

「うん。うん。あー、うん」

モナの適当な相槌から、先ほどと同じ内容の話をしているのだと分かりました。

「うん・・・うん・・・そうね・・・プツッ」

明らかに会話の途中で電話を切るモナと、そんなモナにビックリする私。

「話が長いっ!! 問題解決につながらない電話をしてる時間はないっ!!」

男前に言い放ったモナの、その後の行動力っていったら。

車が止まった場所の近くにチームメイトのカタリーナが住んでいると知っていたモナは、カタリーナのお母さんに電話。
その日家にいなかったお母さんからお父さんの電話番号入手。

すぐにお父さんに電話をかけて事情を説明。
すると、会話の最中にモナの顔に明るさが戻ってきました。

電話を切った後に話を聞くと、カタリーナのお父さんの友達がSullandのリレハンメル支社で働いていて、すぐに連絡をとってくれるそう。そして、お父さんはここへ来てくれるというではありませんか。


救世主。


この大ピンチに私たちを唯一救えるかもしれない人が、こんな近くにいるなんて・・・奇跡かと思うほどでした。

そのお父さんからの折り返しの連絡を待つ間は祈るような気持ちでした。

でも同時に、車内に座ってる2人のこの状況がなんだかおかしくて笑えてきました。

Voldaに向けて張り切って出発したのに、リレハンメルまでも辿り着かずに道の真ん中で立ち往生するなんて。
しかも、新車がストップっていうハプニング。

今まで色んなハプニングに巻き込まれてきた私は、もうちょっとやそっとじゃ動じない。
鋼の精神が身についたような気がします。


そんな待ち時間に、ふと、サイドミラーを見ると、徐行しながら進む十数台の車の列が目に飛び込んできました。

普通車が通り過ぎるには十分なスペースがあったけれど、観光バスが通過するときには車間が数十cmの隙間しかなくて、ゆっく〜りと通過。

自然とプチ渋滞ができていました。

{あ〜、そういえば昨日もここらへんで渋滞を作ったな・・・}って思わず申し訳なくなったのは、橋を渡ればすぐリレハンメル市街地という場所でした。

ゆっくりと横を通過していく車を運転する人たちはきっと、なにが渋滞の原因なんだろうって考えながら進んできて、故障車を見つけて納得したり、そこにいる私たちを確認したりしているのでしょう。

でかでかとボンネット、車の後ろや横にまでヨーヴィク・ハンドボールクラブと書かれた愛車には、ご丁寧に私の名前まで入っていて、前日のような作戦でごまかすことさえ不可能でした。


そんなことを考えていたら、今度は私の携帯電話にオーナーから電話がかかってきました。

またも「どうなった?」とか「それにしてもなんで車が止まったんだ」という話。

そうして、漠然と考えました。

十人十色と言うけれど、なにか問題が発生した時は、人は2種類に分けられるんじゃないかって。

迅速に必要な行動を取れる人と、慌てふためく人。

私もどちらかと言えば、解決のための行動を取れるほうだと思うけれど、その最たる人のようなモナが一緒でよかった・・・と心から思いました。


しばらくすると、チームと一緒に行動していたGuroのお父さんからモナへ電話がかかってきました。

「オレの奥さんとSynneのお母さんが試合の応援のためにこっちに向かってるから連絡とってみて」という吉報。

モナがGuroのお母さんに電話をするとすでに事情を知っていて、私たちのいる場所から車で45分ほどのところで休憩していました。

車が止まった時には、少しだけ前を走っていたタイミング。
私たちが10分くらい早めに出発していれば、GuroとSynneのお母さんも故障車の横をゆっくりと通過していたはずでした。

カタリーナのお父さんから連絡が来るまで、その場で待っていてもらうことになりました。


DSC_0824[1]車が止まってすぐに立てた三角印が風で倒されて、再び立て直しにいくモナ。

三角印の係みたいになって、小走りで三角印を立てにいくモナがおもしろくて隠し撮り。

なにからなにまで頼りになる人でした。



車が止まってから50分ほどが経った頃、突然、橋の下から男の人が現れました。

一瞬驚いたけれど、すぐにカタリーナのお父さんだと分かりました。

車が止まっていた橋は、川の上にかかる高い橋だと思っていたら、下に道路が走っているだけの低めの橋でした。

すぐに車のチェックをしてくれるお父さん。

キーをまわすとエンジン音はするのに、エンジンはかかりません。
ボンネットを開けて色々と見ても原因は分かりませんでした。

車が動かないと判断したお父さんは、突然、「じゃあ、行こうか」と言い出しました。

『え? え? どこに?? 車は???』

状況を把握できない私に、モナが「車はカタリーナのお父さんの友達がレッカー移動に来てくれるから。私たちはGuroとSynneのお母さんの車でVoldaへ向かうよ」と説明してくれました。

その後、誰かに電話をかけたモナは、車のタイヤの上にキーを置いていく、と打ち合わせてキーをロック。

『大丈夫なの? 車、誰もいないまま車道に止まってて・・・』

車を残していくことにいつまでもドキドキしている私とは正反対に、テキパキと作業をこなすモナとお父さん。

結局、私とモナはお父さんに送ってもらって北へ20分ほど進み、同時に私たちのいる方へ戻ってきてくれたGuroとSynneのお母さんと合流。

こうして2人の車に乗りかえることができた私たちは、無事にVoldaへ向かうことができたのでした。


1515







無人で道路に放置して本当に大丈夫なのかな・・・と心配していた愛車は、ちゃんとレッカー移動されていきました。

かわいそうな姿・・・。


15土曜日の朝、モナからの電話で起こされたカタリーナのお父さんは、友達に電話をしてレッカー移動や修理の話をつけてくれて、私たちを送った後に現場に戻って、レッカー移動されるまで見届けてくれました。

たくさんの人たちに助けられて、ピンチを乗り越えた私とモナは、予定通りに15時半にはみんなのいる宿舎に到着。


18時からのVolda戦。試合に勝って、そこでやっと胸を撫で下ろしました。

試合後はチームメイトと一緒に6時間かけてバスで帰宅。
ヨーヴィクに着いたのは、2時になろうという頃でした。

私とモナは、解散場所から家まで監督のヘンリに送ってもらうことになりました。

家の近くまで来て、鍵を取り出そうと車内で上着を探りますが、鍵が見つかりません。

どこに鍵を入れたか必死に思い出そうとしましたが、家の鍵を閉めたことを思い出せないし、どこに入れたという記憶もない。
でも、普段は鍵をバッグに入れる習慣はない。

こんな長い一日の終わりに鍵がなくなったっていうオチだけは勘弁してほしいと願いつつ、モナに『鍵が見当たらないんだけど・・・』と言うと、「もし、見つからなかったら家においで」という短い返事が返ってきました。

モナが先に車を降りて、私も家に着いて上着、バッグ、ありとあらゆる場所を探すも鍵は見つからず・・・。

もしかしたら、鍵を閉め忘れたんじゃないか・・・っていう願いも、しっかりと施錠されている扉に砕かれて・・・モナに電話。

『本当に鍵がなくなったから、モナの家に泊まっていい?』

2時過ぎにモナの家へ行くと、あまりのハプニング続きに笑って迎えてくれるかと思っていたモナは、疲れきった表情で、「その部屋使っていいからね。冷蔵庫にあるものも好きに食べてね」と一言。

疲れさせてごめんね・・・モナ。

長かった一日が終わり、やっとベッドに横になれた安心感に満たされながら、2時半に就寝しました。


日曜日。

この日は8時起床。

99年生まれ女子チームの試合があったので、シャロットと待ち合わせをしていました。

アウェーで、Storhamarの2軍チーム、Storhamerの1軍チームと2試合がありました。
前夜は家に帰れなかったけど、試合の用具一式が揃っていたので全く問題なし。

1試合目は負けてしまいましたが、2試合目は逆転された場面で頑張って再逆転。競り勝つことができました。

子どもたちの2試合が終わった後は、ヨーヴィクと同じノルウェー2部リーグのStorahamar対Njardの試合があったので、99年女子チームのVildeとお母さんのLinaと一緒に観戦しました。

ヨーヴィクに帰ってきて、シャロットに車を借りて、私の家の合鍵がおいてあるトゥーネの家へ。

トゥーネの家から戻ってきて帰宅できたのは21時前でした。


ただいま・・・。


車が壊れて立ち往生して、アウェー戦を戦って、家の鍵をなくして帰宅できなくて、コーチとして2試合に帯同して、その後に試合観戦をして、やっとのことで我が家に入れたのは、前日の朝に出発してから、実に、36時間後のことでした。


こうして長〜〜〜〜〜い2日間が終わったのでした。





【後日談】

翌日の月曜日に、マーケティング担当の人からメールがきたので、車の故障の原因を尋ねると「軽油がカラになっていた」という返事が届きました。

『は?』

意味が分からなかったので直接電話をして話を聞くと、「軽油がね、カラになってたんだって」と言われました。


え???

まさかの・・・・・ガス欠っ!!!??


エンジン系統の故障と思って、みんなにもそうやって説明したのに・・・・・

ガス欠っていうオチ?????


マジか〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!


心の中で叫びました。


『でも、ガソリンのメモリは3つあったよ!!』

「うん。故障していたのは機械系の部分で、ディスプレーに誤って表示されたんだよね」


それを聞いて少し安心するも・・・あんなに大騒ぎして、沢山の人に迷惑かけたのに・・・ガス欠って・・・恥ずかしいし、超きまずい。

その日の夜のトレーニングで、人生初のガス欠の事実をチームメイトに告げると、案の定笑われました。


修理が終わって火曜日にはもう受け取れるということで、キョンにお願いして火曜日のお昼にリレハンメルのSullandまで送ってもらいました。

受付カウンターを見つけて、{ここの顧客でもないし、なんて言ったらいいんだろう・・・}って考えながら、『土曜日に私の車がここに運ばれたんですけど・・・』まで言った時点で、「あ〜、はい。はい。ハンドボールクラブの車でしょ!!?」と、すぐ分かってもらえました。

分かってもらえたのは良かったんだけど、対応してくれた女の人が半笑い。

後ろにいた男の人も半笑い。

「あ〜。あのガス欠した車ね」

そう思われてるんじゃないかと思って顔が赤くなりました。

車を受け取ったというサインをして、丁寧にお礼を言うと、足早にその場を離れました。


最寄のガソリンスタンドで軽油を満タンに。

その場で鍵を探してみますが見つかりません。

『鍵、車の中に落としたとしか考えられなかったんだけど・・・』とキョンに言うと、「これ、何ですか?」と運転席の横からチョロリと出ていた紐をひっぱりました。

その先についていたのは。


家の鍵。


もう、自分に疲れる・・・・・。

突っ込みどころが多すぎて、突っ込む気力さえわいてこない・・・・・。


こうして、再び走り出した愛車のハンドルを握り締め、無事に見つかった鍵をバッグにしっかりと入れて家へ帰宅しました。


車が修理から返ってきて気が付いたことがありました。

新車でこの車を受け取った時点で、{少しおかしいな?}と思うことがいくつかあったのですが、深く気にしていませんでした。

遠隔でドアの開閉ができるキーなのに、自動でドアが開かなかったり・・・閉まるのは自動だったのに・・・。
あと、時計が何度設定しなおしても、エンジンをかける度に02:02になってしまっていたり・・・。


そうか、あれがすでに機会系の故障だったのか・・・と気付いたけど後の祭り。

今思えば、燃費がいい車だなぁ〜ってずっと思いながら走ってたなぁ・・・。

最初の段階でSullandに行っておけば、道の真ん中で車が止まって、レッカー移動されることもなかったんだ・・・。

そう考えれば、私が引き起こしたハプニングと言えなくもない・・・。


でも、いまさら誰にもそんなこと言えないから、そっと胸のうちにしまっておきます。


Emi (2)あれからは調子が悪いところもなく、軽快な走りでヨーヴィクのハンドボーラーのために日々頑張ってくれているシトリー。

これからは十分に注意して、ケアをして、なにかあったらすぐにSullandへ聞きに行こうと決めています。

今度こそ末永くよろしく。

相棒。

emi_aus_riesa at 09:27|PermalinkComments(3)TrackBack(0)clip!