2016年05月04日

恒例となった出発前夜の夜更かし

4月10日のシーズン最終戦から早いもので3週間が経ちました。

慌しく毎日を送っているうちに、あっという間に過ぎたという気がしています。


その間に、熊本地震が起きました。

犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

被災された方々、現在も不自由な暮らしをされている方々に穏やかな日々が戻るよう祈るとともに、被災地の一日も早い復興を願います。

練習やミーティングの合間をぬって情報を集めながら、自分が日本から遠いところにいると改めて実感しました。

遠くに住んでるから何もできない、とは言えません。
きっと海外に住んでいても何かできるはずだし、行動を起こしている人もいると思うから。

でも、日々の暮らしに追われていると状況すら把握できないことに、焦燥感に似た感情が沸いてきました。

想うだけでは何の力にもなれないけれど・・・いつかなんらかの形で私にできることを見つけたいと思っています。


今年はシーズン終了後にもトレーニングが続きました。

1軍チームの中にU18の全国リーグに出場している選手が何人かいて、その試合が4月の3週目にあったことが理由なのですが、長いシーズン、さらに3部リーグへの降格という結果に終わった後だっただけに、個人的に気持ちを奮い起こすことが難しい日々でした。

それでも、ヨーヴィクは初参戦となったU18の全国リーグを納得できる順位で終えて、クラブの未来は明るいと思わせてくれました。

さらに、日本での国民体育大会の位置づけにあたる州選抜大会の選抜チームにヨーヴィクから1998年生まれ、1999年生まれの9人が選ばれ、ヨーヴィクが所属のインランド選抜が見事全国優勝を飾りました。

その最高の結果とともに、1軍チーム、2軍チームは先週でトレーニングを終えて3週間のオフに入りました。


私は自分のトレーニングに加えて、コーチとしてのトレーニングもあったので、この3週間はシーズン中となんら変わらず毎日トレーニングのハシゴ。

2001年生まれ女子チームのシーズン順位決定戦、1999年生まれ男子チームのカップ戦、1999年生まれ女子チームのカップ戦、そして州選抜全国大会の決勝を観戦と、週末もがっつりハンドボールの予定で埋まっていました。

加えて各チームのミーティングが7回。
チームフロントとの個人的な話し合いを入れたら数え切れないほどの時間を費やしました。

メールでの連絡や電話での確認。とにかく考えなければいけないことが沢山あった3週間でした。



DSC016224月9日は2001年生まれ女子チームのシーズン順位決定戦。

残念ながら4位でU14・2部リーグのシーズンを終えましたが、確実に成長が見られた一年でした。



DSC01625U14のカテゴリーの大会が全て終了したので、その翌週からは2号ボールと松やにを使用してのトレーニングがスタート。

松やにを興味津々に見つめて、恐る恐る手につけてみる子どもたち。

「エミ〜。どれくらいつければいいの〜??」とか。

「あ〜〜〜!!髪の毛がついた、取って、取って!!」とか。

かわいらしい。

一人だけ私より背が低い選手がいる以外は、全員はるかに私より高い身長なのですが、なんだかとっても幼く見えました。

U14に上がったばかりのこの子達を受け持つことになった2年前。

時間が経つのは本当に早いな〜としみじみ思いながら、子どもたちの成長を間近で見られることに幸せを感じた瞬間でした。


DSC01652その1週間後には1999年生まれ男子チームがミョーサ湖をはさんだエルベルムという町の Yngres Cup というカップ戦で見事優勝。

このチームも2年以上見てきているので、愛着が沸きまくっています。

チーム名としては1999年生まれとしているものの、実際は1998年生まれから2001年生まれまで4学年から構成されたこのチーム。
シーズンを4位と素晴らしい結果で終えて、カップ戦も優勝しましたが、残念ながら来シーズンはみんなバラバラの道を歩むことになりそうです。

U18のチームを登録するだけの人数がいないので、数人はすでに隣町のTotenに移籍を決めています。

このチームで最後のハンドボールの大会となったこの日。

ヨーヴィクG99チームに携わることができて良かったと心から思いました。


DSC01775先週末は1999年生まれ女子チームと、トロントハイムで行なわれた Trondheim Cup に参加してきました。

金曜日から日曜日まで、電車でトロントハイムに行って、学校の教室にみんなで宿泊した3日間。

グループリーグの初戦で全国リーグ5位の強豪に善戦するも最後は5点差で負け。
その後の2試合を1勝1分として、準々決勝へ駒を進めました。

日曜日の準々決勝ではいいプレーも見られましたが、今シーズン課題だった安定感に欠けて勝つことはできませんでした。

でも、試合後に涙する選手の姿を見て、これからもっと伸びていくという確信を持ちました。

ハンドボール以外では選手みんな仲良く過ごして、最高の週末になりました。



家でゆっくり眠れるという喜びもつかの間、明日から2001年生まれ女子チームとドイツへ旅立ちます。

1年前にヨーヴィクに来てくれた Roedertalbienen。

今年は私たちが会いに行ってきます。

「ハンドボールに国境なし」というモットーで始まったノルウェーとドイツのハンドボーラーたちの交流。

子どもたちにとって忘れることのできない、素晴らしい4日間になるでしょう。

そんな贈り物ができることに感謝。

めいっぱい楽しんできます!!!!!



出発まで2時間半を切りました。

いい加減、荷造りを始めたいと思います。

今回こそは早めに準備して、睡眠をしっかりとってドイツに行くはずだったのにな〜。

いつまでたっても学びのない私です。

emi_aus_riesa at 09:10|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!

2016年04月17日

2015/2016シーズン

Emi (1)4月10日(日)、2015/2016シーズン最終戦が行なわれたこの日、ヨーヴィクは6位の Njard をホームに迎えました。

前節で3部リーグへの降格が決まってしまったヨーヴィクの目標はただ一つ、「今シーズンを勝って終える」ことでした。


試合が始まると、若い選手が躍動します。

この日、センターでスタートから出場した18才のカタリーナは、センター・左45のポジションチェンジからロングシュート、アウトカットインと持ち前の瞬発力を武器にゴールを奪います。

普段は左45のポジションでプレーするカタリーナは今シーズン、エースのGuroの陰に隠れてしまっていた感が否めませんでした。
シーズン最後の2試合はセンターで出場する機会を得て、この日はそのチャンスを活かしました。

そのカタリーナのライバル、17才のGuroもその実力を証明するかのようにダイナミックなロングシュートとカットインで加点。

この日は、それ以外のポジションも若い布陣でのスタートでした。
今シーズン出場時間が限られていた18才のポスト、Synneがスタメンでコートに立つと、同じく控えにまわることの多かったキーパー、17才のエリーネも試合開始からヨーヴィクゴールを守ります。
2人のノルウェー年代別代表が、同じく代表チームに名を連ねるGuroとともに堂々とプレーする姿は頼もしさを感じさせました。
右45で先発したピアも19才、両サイドがキョンと私だったことを除けば、平均年齢18才という驚きのスタートメンバーでした。

カタリーナとGuro、2人の若いエースの活躍で主導権を握ったヨーヴィクが、1〜3点のリードを保ちながら試合を進めていきます。

Njard の左45は今シーズンを得点王ランキング2位で終えたスーパーエースだったのですが、前半序盤は右の2枚目と3枚目を守ったピアとSynneが、このエースとポストの2対2をうまく攻略していました。

前半中盤には10ー6と4点までリードが広がります。

ところが、それからメンバーを入れ替えはじめたヨーヴィクの得点が、前半20分を過ぎたあたりからピタリと止まります。
それまでよく動いていたフローターの足が止まり、数少ないノーマークのチャンスは交代した Njard のキーパーに阻まれます。

Njard のキーパーとして最初にゴールに立ったのは、私がノルウェーに移籍してきた2013/2014シーズンにチームメイトだったヴィルデでした。
背は高くなくても抜群のスピードとプレーを読むクレバーさで試合を支配することもあるヴィルデですが、古巣との対戦に力が入ったのか、この日は全くリズムが合っていないようでした。
ヴィルデに代わってコートに入ったキーパーは最初の5分こそチャンスなく得点を許すものの、一本ノーマークシュートを阻止してからは連続で好セーブを出すようになりました。

その時間帯のヨーヴィクの選手たちのシュートは駆け引きのない単調なシュートで、苦労して作り出したチャンスを活かすことができません。

OFで勢いが止まったヨーヴィクは、DFでもマークが曖昧になってチェンジミス、コミュニケーションが取れなくてシューターに対して出遅れる、というミスが続きます。
そのミスをしっかりと狙って攻めた Njard のエースが、ポストとの2対2も利用しながら上手に加点していきました。

この苦しい時間帯にチームを救ったのはキーパーのエリーネのセーブでした。
Njard のノーマークシュート何本かを弾いたエリーネの活躍がなければ、一気に逆転を許してもおかしくありませんでした。

ヨーヴィクらしくないハイスコアの展開で進んだ前半を終えてスコアは、17ー16。

後半開始直後に18ー18の同点打を浴びたヨーヴィクは、そこから目が覚めたようにOFでリズムを取り戻します。
ハーフを折り返してからは、前半には出なかった速攻も出るようになりました。

今シーズン、思うような結果を残せずに密かに悩んでいたマッテ・ソフィー。
この日も前半はラスト10分弱に普段プレーすることのない右サイドで出場しました。

後半スタートはそのまま右サイドで出場するも、5分にヨーヴィクが退場者を出したとき、45・センタークロスのセットプレーをするように指示を出した監督のヘンリは、私とマッテを早くもチェンジ。
選手としてはエゴの塊のような私が、2分間の退場を終えてコートプレーヤーが6人に戻ったときに、自らベンチへ戻ろうとしたほど、気がかりなメンバーチェンジでした。

そんなマッテに、練習してきたセンターでプレーするチャンスが巡ってきたのは後半45分を過ぎたあたりでした。
それまでの迷いを振り払うように伸び伸びとプレーをしたマッテは、ポストへのアシストパス、自らのディスタンスシュートと大活躍。
センターとしてOFをしっかりと組み立てて、後半終盤の大事な時間に Njard に隙を見せませんでした。

DFではチーム全員で Njard のエースを意識して厚くマーク。
エースが左45からセンターにポジションチェンジをしたときには、スティーネがマンツーマンで高くプレスをして攻撃の糸口を握らせません。

後半は終始安定した試合運びをしたヨーヴィクが、34ー30(17−16)で上位チームの Njard に快勝しました。

若い選手の躍動と、チームプレーで勝ち取った最終戦の勝利でした。


私は右サイドで前半スタートから20分。後半は5分から試合終了まで、合わせて45分の出場で2得点でした。

前節の課題をしっかりと意識して臨んだDFでは満足できるプレーができました。
数的不利の状況で相手のチャージングのファウルを誘ったり、前半対峙する左サイドのほうへ戻ったリバウンドボールもしっかりとマイボールにしました。
この試合はエリーネがフル出場してリバウンドボールがほとんどサイドポジションへこなかったので、後半からは速攻へのスタートを早めてチャンスを狙いました。

ワンマン速攻、退場者を出して5人の攻撃のときに放ったミドルシュートの2本。

チームの一員として役割を果たした60分間でした。



この試合で、2015/2016シーズンが終わりました。

ヨーヴィクHKは、6勝1分15敗の10位でシーズンを終えて、残念ながら2ディヴィション(ノルウェー3部リーグ)への降格が決まってしまいました。


私は肋骨骨折で欠場した4節の Fredrikstad 戦を除く21試合に出場して69得点でした。

2部リーグ残留を目指すチームの助けとなることはできませんでした。
個人的にも全く納得のいかないシーズンでした。

思うことは沢山あるけれど、全てを受け入れて前進を続けます。



毎年のように迫られる決断を前に、考えて考えて、考え抜くことが癖として体に染み付いています。

岐路に立たされて一つの決断をした私の思いや、置かれている環境、そのときの感情など、さらに熟考してブログで説明してきました。

でも、今回ふと、無駄なことをしていたな・・・と振り返ることになりました。

私の思いや感情、状況をこのブログを読んでくれている人たちに伝えることが無駄ということではなくて、それを説明するために、自分自身で気持ちを整理するために熟考してきた作業が果たして本当に必要だったのか、と疑問に思ったからでした。

私を前に進める原動力は至ってシンプル。


ハンドボールが大好き。


それが全てです。

この不変の気持ちに純粋になれば、歩むべき道も自ずと決まり、大切な人たちへもっとシンプルに想いを伝えられたはずでした。


2015/2016は、私にとってとても苦しいシーズンでした。

でも、今後の糧となるべき沢山のことを経験したシーズンでもありました。

初志貫徹。

全てを前進に力に変えて、いつの日か大きな夢を叶えます。

emi_aus_riesa at 23:41|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!

2016年04月10日

譲れないもの

CIMG26284月3日(日)のシーズン21節、今シーズン2度目となる Bergen でのアウェー戦は Viking との対戦でした。


Viking はこの試合前までに6勝12敗2分の14ポイントで9位、ヨーヴィクは5勝14敗1分の11ポイントで10位でした。

1位と2位がエリートリーグに昇格、10位以下は2.ディヴィションに降格する今シーズン。
2試合を残すだけとなったこの時点で、ヨーヴィクが1.ディヴィション残留を果たすには、ヨーヴィクのラスト2戦2勝と同時に、Viking が2敗することが唯一の可能性でした。

残留を懸けて臨んだ直接対決は、両チームともに気迫のDFで互角の前半。
後半に主導権を奪った Viking に、諦めなかったヨーヴィクが最後まで食らいつきましたが、最後は24−25(11−11)で1点差の惜敗を喫しました。


前半序盤に抜け出したのは Viking。

チームのキーとなる左フローター、ポストの2対2で2連取すると、その攻撃にセンターがうまく絡んで得点していきました。

対するヨーヴィクは立ち上がりこそリズムを掴めませんでしたが、フローターのロングシュートを皮切りに、速攻、ポストとバランスよくシュートチャンスを作り出します。
それでも、Viking のボール際の強い当たりに阻まれて、思うようには得点が伸びていきませんでした。

前半5分で1−4とされてからのヨーヴィクのDFは目を見張るものがありました。

右の2枚目を守ったマリが左フローターに高くアタック。
フローターとポストのコンビネーションからチェンジミスを狙う Viking の攻撃にチャンスを与えません。
気迫のDFで、前半中盤以降はヨーヴィクがゲームの流れを握っていました。

リバウンドボールがことごとく Viking の選手の手に渡ったこと、ヨーヴィクが前半で2本の7mスローを外したことなどが、試合の内容どおりの点差にならなかった要因のように思います。

互角の前半を終えてスコアは11−11。
勝負の行方は後半に託されました。

後半、OFで足の止まったヨーヴィクが明らかに攻めあぐねる場面が増えました。

DFでは引き続き頑張るものの、ポストとの2対2を徹底する Viking の攻撃を完封するには至らず、ジワジワと点差を離されていきます。

ヨーヴィクベンチの早めのメンバーチェンジも功を奏さずに、4〜5点差まで Viking のリードが開いた後半の中盤、2次速攻からセンターのリサの目が覚めるようなランニングシュートが相手ゴールに突き刺さりました。

それからの10分は、孤軍奮闘の活躍だったリサのディスタンスシュートが一方的なゲーム展開になるのを防ぎました。
2次速攻、セットOFともにシュートチャンスを活かして、高い打点から速くて重いシュートをコーナーギリギリに打ち込み続けました。
Viking もこの時間帯で疲れが見え始めたか、リサのシュートに当たれません。

この日、1本の7mスローを含みリサが奪った得点は7得点。
チームMVPにふさわしい活躍でした。

1〜2点差で時間が流れていく中で、ヨーヴィクが最後まで逆転する機を掴むことができなかったのは、OF、DFともにイージーミスがなくならなかったからでした。

ラスト2分1点差、Viking 攻撃の場面。
勝負の別れ際で鳴り響いた笛は、7mスロー、スティーネの2分間退場を告げるものでした。

最後はキーパーと交代した6人目のコートプレーヤーがOFに参加しましたが、ボール保持時にうまく時間を使い切った Viking が1点差の勝利をものにしました。

24−25(11−11)。

今シーズン15敗目となる試合終了のホイッスルは同時に、ヨーヴィクの降格を意味していました。


私は右サイドで前半30分、後半5分出場。
そして、ラスト5分弱左サイドでプレーしました。

計40分弱の出場で2得点。

残留を懸けた試合の一番大事な時間帯に、ベンチからチームメイトを見守ることしかできませんでした。

この試合前、サイドもリバウンドボールを強く意識するように指示が出されていました。
キーパーのイネのキーピングはボールを横へ弾くもので、もともとリバウンドがサイドポジションへ流れることが多くありました。
19節に左手を負傷して以降は、特にその傾向が強く現れていました。

前半序盤、監督の指示を頭に入れながらも速攻へ速めのスタートを切ってしまった私は、リバウンドボールを取ることができませんでした。
その後もことごとくリバウンドボールが Viking の左サイドの方向へ飛んでいきました。

2本目はボールスピードがなくなったリバウンドだったので、その時間に2枚目を守っていたピアが取れると思ってスタートを切ったら、再び Viking サイドにリバウンドを取られました。
3度目は左サイドがトランジションでポストへ切っていって、私が左フローターへマンツーマンをついた後に左サイドのポジションへ移ったポストへボールが渡ります。

失点としては1点だったと記憶していますが、それでもチーム戦術を徹底しなければその先もリバウンドボールから得点されるリスクが高いと判断した私は、さらに遅いタイミングでスタートして、スタートする瞬間にボールの行方を確認していました。

前半最後の5分、後半最初の5分、またも同じようなシチュエーションで私と対峙するサイドへリバウンドボールが戻りますが、速攻への準備と同時にボールを目に捉えた私はすぐに6mラインに戻ってスライディング、Viking のフリースローとしました。

前半は2本とも速攻で得点していた私は、速攻の戻りが遅い Viking に対して引き続き速攻のチャンスを窺いながらも、リバウンドボールから直接シュートチャンスを与えないことを徹底しようと決めていました。

その後半5分、ベンチからメンバーチェンジを告げられました。

前半15分で代えられたならまだ理解できたけれど、速攻のスタートを遅らせて対応した後の交代にどうしても納得がいきませんでした。
この試合には右サイドのカリーネ、テアは帯同していなかったので、普段右サイドでトレーニングしていない選手を使ってでも、という監督の判断でした。

私が前半の中盤から速攻のタイミングを遅らせたことを監督が気付かなかったか、それとも速攻へ走ることを完全に諦めて6mライン際でリバウンドボールを待つことを求められていたか、どちらかだったのでしょう。

メンバーチェンジを決めるのは監督で、私がDFでミスをしたことも事実です。

真摯に自分のミスを認めて、ベンチの判断を受け止めることしかできませんが、長いシーズン、チームのために戦い続けて、最後の最後にチームメイトをベンチから応援することしかできない悔しさともどかしさは言葉に表すことができません。

後半は声を張り上げてチームメイトを鼓舞していましたが、ラスト5分を切って今度は左サイドとしてコートに送り込まれました。
後半から左サイドでプレーしたマッテは、速攻のチャンスこそゴールバーに当ててはずしていましたが、サイドシュート、ディスタンスシュートを決めていい仕事をしていました。

自ら監督として数チームを指導する上で、試合中の判断の大変さを痛いほど分かっているつもりです。
でも、それでも違和感が残るベンチワークでした。

誤解されないように付け加えておきたいのは、私は監督のヘンリ、コーチのモナを信頼しています。
この日は自分のプレーが監督の信頼を得るに足りなかった、ただそれだけのことです。

けれど、ヨーヴィクの選手として2度目の降格というきびしい現実を突きつけられたと同時に、チームの力に全くなれなかった、という悔しさは、きっと簡単に消えることはないと思います。


明日は2015/2016シーズンの最終戦、監督からは前回同様にサイドがリバウンドボールに残ることが指示されました。

監督の指示に従うこと、チーム戦術を徹底することはチームプレーであるハンドボールをする上で最低限のことです。

ベテラン中のベテランになった私はその重要さを十分に理解しているし、明日は私が守るサイドにリバウンドボールを取らせるつもりもありません。

でも、それよりも絶対譲れないものがある。

作り上げてきた、磨き上げてきたプレースタイルを変えてまで、ミスをしないように注意を払ってプレーをするなんてできない。
速攻スターを目指して走り続けた過去の自分に恥じないように、チャンスには迷わず走ります。


明日は16時から(日本時間10日23時)、ホームに5位の Njard を迎えてのシーズン最終戦です。

感謝の気持ちを込めて、魂を込めて、私らしいプレーでコートを駆け抜けてきます。

応援よろしくお願いします!!!!!



写真は2012年の年末、フランクフルトでプレーしていた私の試合を応援に来てくれたレアと。

9才のときに知り合ったレア。
そのずっと前から私のファンでいてくれたレアは、当時私の胸くらいまでの身長しかありませんでした。

いつのまにか身長を越されて、会うたびに少しだけ大人になっていく姿や言動に驚かされて、久しぶりに見たプレーに感動して・・・フランクフルトに移籍してからも、ノルウェーへ移ってからも家族ぐるみの付き合いが続いていました。

14才の誕生日を1週間後に控えた今日、レアは Jugendweihe というドイツの成人式を迎えて、「大人の仲間入り」を祝いました。


レア、おめでとう。

これからもずっと見守っています。

いつまでも目標とされるような選手であり続けられるように全力を尽くすよ。

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2016年04月07日

はじまりのとき

DSC01581先週、3月28日に36才の誕生日を迎えました。

36年前のこの日に生を受けたという奇跡に想いを馳せながら、私を産んで育ててくれた両親へ改めて感謝をして、支え続けてくれる友人の存在を心強く感じた一日でした。

日本、ドイツ、ノルウェーから電話をくれる家族や友人がいました。
誕生日にあわせてプレゼントを送ってくれる優しさを受け取りました。
フェースブック、メール、SMS、様々な形で、世界中から沢山のメッセージをいただきました。
ヨーヴィクの友人やハンドボールの教え子からも沢山のプレゼントやお祝いの言葉をもらいました。

この場を借りて心からの感謝を。

本当にありがとうございました!!!!!!!



シーズン最後の2試合に全てを懸けるつもりでいたので、誕生日は普段どおりのハンドボールな一日を過ごしました。
1ディヴィション(ノルウェー2部リーグ)残留の望みを最終戦へつなぐために勝利することだけを目標に向かったBergen、先週の日曜日のViking戦は24−25で惜敗でした。

これで、今シーズンを10位で終えることが確定。
2ディヴィションへの降格が決まりました。

苦しいシーズンにも皆さんからの応援が力になりました。
前を向いて進むことができました。

ありがとうございました。

激励のメッセージ、さりげないメール、気遣いのコメントがどれだけ私を励ましてくれるか・・・感謝の気持ちが少しでも伝わってほしいと願うばかりです。



12才でハンドボールと出逢い、24才でドイツに渡りました。

ハンドボールを初めて手にとってから、気付けばもう24年が経っていました。

ハンドボールというスポーツに夢中になっていたあの頃は、まさか自分がドイツでプレーする日が来るなんて思ってもいませんでした。

ドイツへ渡って見るもの全てに感動していたあの日々には、その数年後にブンデスリーガ1部のコートに立つことや、そのあとノルウェーへ移籍するなんてこと想像すらできませんでした。

でも、ドイツ3部リーグで始まった挑戦が、ブンデスリーガ2部、ブンデスリーガ1部と続いていって、チームの破産、ノルウェーへの移籍を経て、ノルウェー2部、3部へつながるとも考えてはみなかったことでした。

もう一度あのコートへ。

夢というより願いに近い想いを抱いてやってきたヨーヴィクでは、3シーズンで2度の降格を余儀なくされました。

2年前に3部リーグへの降格が決まったとき、何日も悩んでヨーヴィクに残るという道を選択しました。
昨シーズンに昇格を果たして2部リーグへ戻ってきた後は、もう一度降格するとは夢にも思っていませんでした。
先週末の試合に負けたあとの2日間はとても苦しい時間でした。

時間だけが過ぎて、年だけ重ねて、12年前に立っていたスタート地点に戻ってきたという虚無感が消えませんでした。

「引退していい年齢だよ。破産が原因だったとしても、トップリーグで現役を終えられるなら、それが一番じゃない」

仲良しだったチームメイトのナディーンの言葉が急に思い出されました。


でも。

違う。


ドイツとノルウェーでの12年間は、前進だけを続けた日々の積み重ねでした。
勝ちも負けも、昇格も降格も、チームの破産や移籍まで、全て通過点に過ぎなかったのだと。

今まで歩んできた道を後悔したことは、たったの一度もありません。

これからも信念を貫きます。
夢を叶えるため、全身全霊でハンドボールと向き合います。


フランクフルターHCの破産でチーム探しに翻弄していた私に、恵さんがかけてくれた言葉が今も心に焼き付いて離れません。

「エミさんは、終わらせ方を考えているんじゃないですか。でも、何かを終わらせる必要はないと思いますよ。それよりも、何かを始めれば、それがきっと新たなスタートになるから」


新たな冒険を始めて、振り返れば大きな節目の年になっていた申年。

ハンドボーラーとして三度、申年を迎えています。


過ごしてきた日々のうちに築いた信頼を、集めた経験を、溜め込んだ情熱を持って、はじまりのときを迎えます。

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2016年03月25日

スケルトン〜前編〜

DSC01316今年の2月、リレハンメルで行なわれたユース・オリンピック・ゲームズで出会ったスケルトンという競技。

滑走時のスピードと迫力、スタートの緊張と興奮にすっかり魅了されました。

ユースオリンピックという華やかな舞台でのアスリートの躍動に感動すると同時に、そこに辿り着くためにアスリートや家族、サポートする人たちが続けてきた努力、競技が抱える課題を垣間見て、スケルトンをこれからも応援したくなりました。

競技と、その競技に携わる人たちとの素晴らしい出逢い。

そのきっかけを作ってくれたのは早船愛子ちゃんでした。


愛ちゃんは富山県氷見市が生んだ天才ハンドボーラー。
私とは同級生で、高校のとき氷見合宿に参加して練習試合をしたのが初めての対戦でした。

高校を卒業後、愛ちゃんは筑波大学へ、私は国士舘大学へ進学して、大学でも関東リーグや東日本インカレで試合をすることになったのですが、そこでも圧倒的な存在感で他チームを苦しめていました。

大学1年生のときに寮で同室だった洋香が氷見高校出身で愛ちゃんと仲が良かったので、よく高校時代の話を聞いていて、「尊敬する対戦相手」という以外にも、勝手にお友達のような感覚を持っていたことを懐かしく思い出します。

大学卒業後はシャトレーゼで日本リーガーとして活躍。2004年に世界最強リーグのデンマークリーグへ移籍しました。
2007年にはデンマークからスペインへ活動の場を移します。
長く全日本選手としてトップで活躍を続けたプレーヤーでした。

2010年に日本に帰国してからは、三重バイオレットアイリスでプレーヤー兼コーチとしてチームを支えて、2013年現役を引退しました。

そんな愛ちゃんと個人的に連絡を取るようになったのは2004年以降。
偶然にも同じ年にヨーロッパへ渡った縁からでした。

頻繁な交流ではなかったけれど、会うときはすご〜く濃い時間を一緒に過ごさせてもらっていました。
ここでさらりと紹介できるような濃さではないので、いつか機会があれば改めて。

ヨーロッパで戦うハンドボール仲間だった愛ちゃんが日本に帰ってからは、連絡を取り合うことも減ってしまっていました。
引退をしてスポーツ開発事業推進部というところで働き始めたということを聞いてからは、メールをやり取りした記憶もないほど。

ところが、昨年の冬に久しぶりに愛ちゃんからメッセージが届きました。

「今度リレハンメルに行くけど、エミちゃんの住んでる町から近いんじゃない?」

手がけている仕事の関係で、ジュニア世代のハンドボーラーと一緒にデンマークへ来ることがあるのは知っていたけれど、ノルウェーに来る機会があるということは初耳でした。
さらに、リレハンメルはハンドボールが盛んな地域ではないので、腑に落ちないながらも話を聞いていると、「ハンドボールの関係でデンマークに行って、そのあとスケルトンの視察でリレハンメルに来る」とのこと。

日本とドイツで体育学部を卒業していながら恥ずかしいことに、スケルトンがどんな競技だったかをすぐに思い出せなかった私に愛ちゃんは、「ボブスレーとかリュージュは分かるでしょ? スケルトンは頭を下にして滑走する競技」と説明を加えてくれました。

愛ちゃんが働くスポーツ開発事業推進部では、「女性競技種目戦略的強化プログラム」というプロジェクトが進んでいて、その対象に「ハンドボール」「スケルトン」「飛び込み」の3種目が選ばれているということでした。

とても興味深い話でしたが、その後は話のテーマがハンドボール、私たちの将来に移っていって、それ以上スケルトンについて話が掘り下がることはありませんでした。


それから一ヶ月ほどが過ぎたある日。

また愛ちゃんからメッセージが届いていました。

「私が働いている部署でスケルトンを担当している居石さんという人が、今度のユースオリンピックでドイツ語の通訳ができる人を探しているんだけど見つからないらしいので、絵美ちゃんを紹介してもいい?」

メールを読んだ瞬間、ワクワク・ドキドキしてくるような話でした。

ノルウェーでドイツ語と日本語の通訳をするというだけでも楽しそうなのに、その通訳がユースオリンピックに関わるもので、オリンピック競技の日本代表チームの何かの役に立てるかもしれないなんて。

すぐにお手伝いしたい、という返事をすると、後日、居石さんからメールがきました。

通訳をする相手はスイス人のコーチ。
日程は2月15日(月)、スケルトン競技の滑走がある2月19日(金)とのことでした。

日程が決まってからは、その日が近づくにつれて嬉しさが増すとともに、徐々に心配な気持ちも出てきました。

スイス人のドイツ語は「スイス語」と表現されることもあるほど、訛りが強いということを以前から耳にしていました。
さらにスケルトンの専門知識がない私が、どれだけ正確な通訳ができるのか・・・ということも気になっていました。


そして、2月12日にリレハンメル、ヨーヴィク、ハマー、オイヤーでユース・オリンピック・ゲームズが開幕。

日曜日には、ちょうどその時期に家に来ていたクレアちゃんとキョンの3人で、オスロまでスノーボード・ハーフパイプのファイナルを観戦に行きました。
考えてみれば、生まれて初めてのオリンピック観戦でした。


15日はヨーヴィクから1時間ちょっとのHunderfossenというところのホテルで待ち合わせ。

ホテルのロビーで私を迎えてくれたのは居石さんと、同じくこの強化プログラムでスケルトンを担当している筑波大学の河合先生でした。

居石さんからプロジェクトの概要や流れの説明を受けた後は、日本連盟の鈴木先生、スイス人コーチのウィリーもやってきて話し合いがスタート。

通訳する内容は、プロジェクトの評価、今後の課題と展望、このプロジェクトをきっかけにスケルトンを始めた伊地知真優ちゃんの競技成績と成長についてでした。

競技人口が多くないスケルトンでは、アスリートを見つけることが最大の課題と言っても過言ではありません。

「女性競技種目戦略的強化プログラム」の強化種目に指定されたスケルトンには、タレントを発掘して育成、今後の指針となるべき戦略的強化プログラムを作り上げるという目標がありました。

公募をして集まった中高生の中からテストを受けて選抜されたアスリートが、ウィリーの指導のもとで練習会や長期合宿を繰り返しました。
その中で経験を積み、ユースオリンピック選考レースで勝ち上がって、見事本選出場を決めたのが真優ちゃんでした。

スケルトンのコースは日本では長野にしかない、と聞いて驚いた私は、「それでも自国にコースがあるだけで幸せ」という言葉を聞いて、自分の無知を再確認。
コーチのウィリーの母国スイスでは、スケルトンが盛んでもやはりコースは一つで、国内にいくつかのコースがあるのは、ボブスレー・リュージュ・スケルトン人気が高いドイツくらいなのだと知りました。

毎日のようにコースを滑って練習ができない難しさ。
そして、世界のコースを滑って経験を積むということの重要さ。

ハンドボールのように町の体育館で練習するという形ではなくて、冬のシーズンに長期合宿を組んだり、世界中を遠征して回ったりするスケルトンならではの競技への取り組みを聞いて、新鮮な学びがありました。

通訳をした時間はあっという間に過ぎた、と感じるほど楽しい時間でした。


タレント発掘と育成。

家族や学校との連携。

競技を続けていく上での課題。

まだ目にしたことのないスケルトンという競技の技術的・戦術的な話。


聞いていてワクワクしっぱなしでした。

ハンドボールと重なる部分がとても多く、スケルトンという競技に対しての興味が自然に沸いてきて、ドイツの大学で大きなテーマとして扱った、そして今もまさに私自身のテーマでもあるタレント発掘育成を実践している話を聞けて、「通訳をした」というよりも、「興味深い話を聞かせてもらえた」と言ったほうがしっくりくるような時間でした。
途中、個人的な質問をウィリーに投げかけてしまうほど、「知りたい」という気持ちで満たされていました。

そして、ウィリーのドイツ語はとても聞き取りやすく、心配する必要はなかったようでした。
私の方は、相槌で何度もノルウェー語が飛び出してしまったり、簡単な単語をど忘れして思い出すまで待ってもらったりと、迷惑をかけてしまいましたが・・・。

通訳を終えた後は、居石さんと河合先生と3人で話をしました。
そこでも、すごく勉強になることばかり。

あまりに楽しい時間だったので、居石さんの「時間があったら是非遊びに来てください」というお誘いに、遠慮もなく『来ます!!』と即答してしまいました。


そうして約束した木曜日の夜。

前日がアウェーの試合だったので自主トレーニングになったこの日は、午前中にクレアちゃんとミューサ湖沿いを軽く走った後、キョンと3人でウエイトトレーニングをしました。

午後に2001年生まれ女子チームの練習をしてからHunderfossenへ。

クレアちゃんは2軍チームの練習に参加した後にキョンと一緒に後から合流することになっていたので、一足先に居石さんが宿泊するコテージに向かいました。

コテージには居石さん、翌日の滑走のために日本から応援に来た真優ちゃんのお母さん、そして仙台大学の進藤先生がいて、到着してすぐにお母さんお手製のおいしいカレーをいただきました。

勝負の日の前夜に押しかけるようにしてやって来た私を温かく迎えてくれて、スケルトンが主役の夜なのに私のことやハンドボールのことまで色々と興味をもって聞いてくれて、気遣いの気持ちで溢れたような空間でした。


1時間半ほどしてクレアちゃんとキョンが到着。

その後も話は尽きませんでした。


居石さんは実はボートで活躍した選手だったこと。
スケルトンとの出会いは今回のプロジェクトがきっかけだったこと。
今までのことやこれからのこと。

進藤さんは仙台大学で、居石さんが担当する強化プログラムと同じようなプロジェクトを進めていること。
中高生と一緒にヨーロッパで長期遠征をすることのおもしろさや大変さ。

真優ちゃんのお母さんからは、海外遠征で真優ちゃんが1ヶ月不在にしているときの寂しさや、娘を心から応援する母親の気持ちを聞かせてもらいました。

『そんなに長く離れていると心配ですね』と言った私に、「でも今はLINEとかですぐに連絡がとれるから」と答えたお母さんの携帯電話にナイスタイミングで真優ちゃんからメッセージが。

「コカコーラの服が買いたい」

その場にいた誰一人として意味が分からなかったメッセージを送ってきた、まだ会ったこともない真優ちゃんという少女の、家族と離れながらも競技のために頑張る度胸のある一面と、あどけない女子高生の一面を見たような気がしました。


DSC01301素敵な夜を一緒に過ごさせてもらった5人との集合写真。







IMG_3570(1)[1]こちらは居石さん撮影。

愛ちゃんに写真を送るから、とカメラを向けられたのでポーズを取ったら、愛ちゃんから「前に写ってるおっさんは誰ですか?」という返事が返ってきました。

なんか酒がタワーみたいになってて、未成年のハンドボーラーと一緒に撮る写真じゃなかったな・・・と反省して、クレアちゃんに『私を見習わないようにね』と言うと、いつもは返事まで数秒かかるのんびり屋のクレアちゃんからかぶり気味に、「あ、大丈夫です」という返事が返ってきました。

なるほど。



居石さん、伊地知さん、進藤さん、キョン、クレアちゃん。

忘れられない楽しい夜をどうもありがとうございました。

決戦の前日にはしゃぎすぎてすみませんでした。



まだ見ぬ3人のアスリートたちの勇姿に出会えることを心待ちにしながら、母親の愛、サポートする人たちの想いに触れた夜は更けていったのでした。

emi_aus_riesa at 08:00|PermalinkComments(4)TrackBack(0)clip!

2016年03月21日

Volda戦番外編

DSC01546DSC01545






今週の月曜日から急に温かくなったヨーヴィク。

太陽が顔を出して春のような日差し、10度まで気温が上がる日もありました。

あまりにも気持ちがいいので、今日は自主トレーニングの後に雪解け水が撥ね上がって泥だらけになった愛車のシトリーを洗車してきました。


ピカピカの新車だったシトリーが私のところへやって来たのが昨年の9月末のこと。

あれからもう半年近くが経って、走行距離も6700キロを越えました。

毎日のトレーニングやアウェーの移動、友達の送り迎えと大活躍の愛車。

軽快な走りで私をどこまでも連れて行ってくれます。


そんなシトリーを襲ったたった一度だけのハプニング。

今日は、そのときの話。


私が昨年の2月から受講を始めたコーチングライセンスの最後の実技講習が、10月30日(金)と31日(土)にリレハンメルでありました。

31日の土曜日にはアウェーのVolda戦があったので、金曜日の夕方からの講習だけ受けて、翌日の講習は免除してもらうことになっていました。

Voldaはヨーヴィクから400キロ離れたノルウェー西海岸の町。
山道を行くルートはバスで6時間ほどかかるので、チームメイトは金曜日の午後に出発して、Voldaから十数キロ手前の町に宿泊しました。

チームとは別行動で翌日遅れて試合会場に合流するという許可を監督のヘンリからもらった私は、コーチのモナにお願いして、一緒に当日会場入りをしてもらうことにしました。

モナと2人で愛車のシトリーに乗って、行きはモナ、帰りは私が運転することに決まっていました。


金曜日。

99年女子チームのトレーニングを終えて、そのまま講習のあるリレハンメルへ。

仕事を終えて帰宅する人が多い時間帯と重なってしまったので、ヨーヴィクからリレハンメルへ向かう一本道はなかなかの交通量でした。
車は流れていたので渋滞とは言わないまでも、普段私が移動するときには出くわさない車の数に驚きました。

到着したのは集合時間の17時ピッタリ。

慌てて会場の体育館に入ると、講師の人たち以外はまだ誰も到着していなくて、意外にも一番乗りでした。

この日の実技講習のテーマは、3−2−1DF。
講師は、チームメイトのGuroやSynne、ElineがプレーするU16ノルウェー代表チームでコーチを務める女性。

講習内容はとても興味深く、コーチの女性が選手に投げかける一語一句たりとも逃さないように真剣に耳を傾けていました。

すると突然、その講師の人が私を指差して、「アナタ、寒いでしょ」と声をかけてきました。

『いえ、寒くないです』と答えた私に、「いや、寒いはず」と決めつけるコーチ。

『むしろ熱いくらいです』

「ううん。寒いんだってば。とりあえずここに来て」

そこまでやり取りをしてやっとコーチの意図を汲み取った私。
講習を受講していたコーチや、トレーニングに参加していた選手たちに、フットワークの見本を見せたかったようでした。

急に振られて慌ててサイドステップをしたら、心拍数が尋常じゃないくらいに上がって、でも、それを誰にも悟られないように必死で深呼吸。

このコーチは私がヨーヴィクでプレーしていることを知っていたらしく、講習会の後も「Synneはもっとフットワークが速くならないとダメ。個人的に鍛えてあげて」とか「明日はVolda戦でしょ。頑張ってね」など、気さくに話しかけてくれました。

すごく充実の数時間を過ごして帰路につくと、行きは混んでいた道に車が一台も走っていませんでした。

リレハンメルの町を後にして、{あ〜、すいてる道って最高}と気分よく音楽を聴きながら、ふとバックミラーを見てビックリ。
すごい台数の車が私の後ろに連なっているじゃ〜あ〜りませんか!!!

どうやら、速度制限解除の看板を見逃して、そのままノロノロと走っていて渋滞を作ってしまっていたようでした。

気まずい思いをしながらも、{ここで急に速度を上げたら、渋滞に気付いて慌てたって感づかれる}と考えた私は、微妙に速度を上げながら、橋を渡りきって2車線になったところで数台の車に抜いてもらって、最終的には渋滞の原因が誰だったかを隠す作戦でその場をしのぎました。

この日は23時前に帰宅。

ご飯を食べて、翌日の試合の準備を済ませて就寝しました。


土曜日。

近所に住むモナが家まで来てくれて、8時45分に出発。

チームメイトが宿泊した町までは自家用車なら5時間強。
お昼休憩やトイレ休憩をはさんでも、十分に時間に余裕をみた出発時刻でした。

最初の1時間半〜2時間は私が運転をして、モナに運転を代わってもらってから仮眠、最後の2時間は起きて試合に備える、という計画でヨーヴィクを出た私に、出発から15分ほどで早くも試練が訪れます。

突然、速度計の横にある故障を知らせるランプの一つが点灯しはじめました。

黄色く光る見たことのないマークに、「どうした!!!どうした!!!」と言い合う私とモナ。

助手席のモナが分厚い説明書を開いて確認します。
時間をかけてようやく見つけたランプ点灯の原因は、「タイヤの空気圧が低い」とのことでした。

その2日ほど前、Voldaへの長距離移動を前に冬タイヤに履き替えたばかりだったので納得。


『空気圧が低いのに走ってて大丈夫??』

「うん。今までも普通に走れてるから、次のガソリンスタンドで空気を入れれば問題ないよ」

『良かったぁ。ガソリンのメモリも3つになってるし、この先のリレハンメルでガソリンスタンドによればいいね』

「うん。じゃあ、ランプ点灯の原因も分かったところでナビをセットしようか・・・」


原因が分かって安心して、こんな会話をしていた時のことでした。


時速80キロで走っていた車の速度が落ち始めます。


『ん?』


『あれ??』


今までにない違和感を感じました。

アクセルを踏んでいる右足に普段の感触がありません。

踏み込んでも加速しない車に慌ててギアを下げる私。

5から4、4から3と下げて、その度にアクセルを踏み込みますが、車は加速するどころか失速していきます。


『モナ、アクセルが利かない!!!』

「え?なんで??」

『わかんない!!アクセル踏んでも速度が上がらないっ!!!』

『あ〜!!止まる〜!!!』と叫びながら、ディスプレーに表れた文字を目の端に捉えました。


「エンジン異常」


{新車なのにエンジン異常??}と思いながら、完全に止まる直前に車を道路の右端によせて、ハザードランプを点けました。


15プスン。プスン。

突然ストップしてしまった新車。

呆然とする2人。

車が止まってしまった場所は、よりによって道路幅が狭くなっている1車線の橋の上・・・。


一瞬の沈黙の後、「ディスプレーの文字、ドイツ語だったでしょ?なんて書いてあった??」と聞くモナに、『エンジン異常って出てた・・・』と答える私。

「新車なのにエンジンの故障っておかしいでしょ!!」と2人で話しながらも、一番最初に解決しなければいけない問題は、故障車と後から来る車両の安全確保でした。

10mほど手前に道路幅が広くなっている場所があったので、モナに押してもらってバック。

そのまま三角印を立てにいくモナ。


車に戻ってきたモナと私は、すぐに手分けしてクラブ関係者に電話をかけ始めました。

この車をスポンサードしてくれているSullandという車販売会社と契約を結んだクラブのマーケティング担当には電話がつながらず、Sullandのヨーヴィク支店は呼び出し音はなるものの誰も電話に出ません。

チームのオーナーとは連絡が取れたのですが、「新車なのにエンジン故障っておかしいだろう」とか「Sullandに電話してみたらどうだ」という発言ばかりで状況を打破してくれそうにありません。

もう一度、故障時の連絡先を確認してみると、Sullandのヨーヴィク支店、リレハンメル支店は10時から開店でした。

現在時刻9時20分。

「新車が突然止まったという状況を考えると、Sullandに連絡が取れればレッカー車を手配してくれて、さらにレンタカーも借りられる可能性が高いけれど、10時の開店を待ってから全ての手続きをしていたら間違いなく試合には間に合わない」と言うモナ。

「もう、諦めて戻ったほうがいいかもね」と無情なことまで言い出しました。

『肋骨が折れて試合に出られない、ということなら辛うじて受け入れられるけれど、車の故障で欠場なんて耐えられない』と言いながらも、なぜか、必ずVoldaに辿り着ける、という確信のようなものが私の中にはありました。

監督のヘンリにも状況を説明して、次の手を考えている私たちにかかってきた電話は、チームのオーナーから。

「うん。うん。あー、うん」

モナの適当な相槌から、先ほどと同じ内容の話をしているのだと分かりました。

「うん・・・うん・・・そうね・・・プツッ」

明らかに会話の途中で電話を切るモナと、そんなモナにビックリする私。

「話が長いっ!! 問題解決につながらない電話をしてる時間はないっ!!」

男前に言い放ったモナの、その後の行動力っていったら。

車が止まった場所の近くにチームメイトのカタリーナが住んでいると知っていたモナは、カタリーナのお母さんに電話。
その日家にいなかったお母さんからお父さんの電話番号入手。

すぐにお父さんに電話をかけて事情を説明。
すると、会話の最中にモナの顔に明るさが戻ってきました。

電話を切った後に話を聞くと、カタリーナのお父さんの友達がSullandのリレハンメル支社で働いていて、すぐに連絡をとってくれるそう。そして、お父さんはここへ来てくれるというではありませんか。


救世主。


この大ピンチに私たちを唯一救えるかもしれない人が、こんな近くにいるなんて・・・奇跡かと思うほどでした。

そのお父さんからの折り返しの連絡を待つ間は祈るような気持ちでした。

でも同時に、車内に座ってる2人のこの状況がなんだかおかしくて笑えてきました。

Voldaに向けて張り切って出発したのに、リレハンメルまでも辿り着かずに道の真ん中で立ち往生するなんて。
しかも、新車がストップっていうハプニング。

今まで色んなハプニングに巻き込まれてきた私は、もうちょっとやそっとじゃ動じない。
鋼の精神が身についたような気がします。


そんな待ち時間に、ふと、サイドミラーを見ると、徐行しながら進む十数台の車の列が目に飛び込んできました。

普通車が通り過ぎるには十分なスペースがあったけれど、観光バスが通過するときには車間が数十cmの隙間しかなくて、ゆっく〜りと通過。

自然とプチ渋滞ができていました。

{あ〜、そういえば昨日もここらへんで渋滞を作ったな・・・}って思わず申し訳なくなったのは、橋を渡ればすぐリレハンメル市街地という場所でした。

ゆっくりと横を通過していく車を運転する人たちはきっと、なにが渋滞の原因なんだろうって考えながら進んできて、故障車を見つけて納得したり、そこにいる私たちを確認したりしているのでしょう。

でかでかとボンネット、車の後ろや横にまでヨーヴィク・ハンドボールクラブと書かれた愛車には、ご丁寧に私の名前まで入っていて、前日のような作戦でごまかすことさえ不可能でした。


そんなことを考えていたら、今度は私の携帯電話にオーナーから電話がかかってきました。

またも「どうなった?」とか「それにしてもなんで車が止まったんだ」という話。

そうして、漠然と考えました。

十人十色と言うけれど、なにか問題が発生した時は、人は2種類に分けられるんじゃないかって。

迅速に必要な行動を取れる人と、慌てふためく人。

私もどちらかと言えば、解決のための行動を取れるほうだと思うけれど、その最たる人のようなモナが一緒でよかった・・・と心から思いました。


しばらくすると、チームと一緒に行動していたGuroのお父さんからモナへ電話がかかってきました。

「オレの奥さんとSynneのお母さんが試合の応援のためにこっちに向かってるから連絡とってみて」という吉報。

モナがGuroのお母さんに電話をするとすでに事情を知っていて、私たちのいる場所から車で45分ほどのところで休憩していました。

車が止まった時には、少しだけ前を走っていたタイミング。
私たちが10分くらい早めに出発していれば、GuroとSynneのお母さんも故障車の横をゆっくりと通過していたはずでした。

カタリーナのお父さんから連絡が来るまで、その場で待っていてもらうことになりました。


DSC_0824[1]車が止まってすぐに立てた三角印が風で倒されて、再び立て直しにいくモナ。

三角印の係みたいになって、小走りで三角印を立てにいくモナがおもしろくて隠し撮り。

なにからなにまで頼りになる人でした。



車が止まってから50分ほどが経った頃、突然、橋の下から男の人が現れました。

一瞬驚いたけれど、すぐにカタリーナのお父さんだと分かりました。

車が止まっていた橋は、川の上にかかる高い橋だと思っていたら、下に道路が走っているだけの低めの橋でした。

すぐに車のチェックをしてくれるお父さん。

キーをまわすとエンジン音はするのに、エンジンはかかりません。
ボンネットを開けて色々と見ても原因は分かりませんでした。

車が動かないと判断したお父さんは、突然、「じゃあ、行こうか」と言い出しました。

『え? え? どこに?? 車は???』

状況を把握できない私に、モナが「車はカタリーナのお父さんの友達がレッカー移動に来てくれるから。私たちはGuroとSynneのお母さんの車でVoldaへ向かうよ」と説明してくれました。

その後、誰かに電話をかけたモナは、車のタイヤの上にキーを置いていく、と打ち合わせてキーをロック。

『大丈夫なの? 車、誰もいないまま車道に止まってて・・・』

車を残していくことにいつまでもドキドキしている私とは正反対に、テキパキと作業をこなすモナとお父さん。

結局、私とモナはお父さんに送ってもらって北へ20分ほど進み、同時に私たちのいる方へ戻ってきてくれたGuroとSynneのお母さんと合流。

こうして2人の車に乗りかえることができた私たちは、無事にVoldaへ向かうことができたのでした。


1515







無人で道路に放置して本当に大丈夫なのかな・・・と心配していた愛車は、ちゃんとレッカー移動されていきました。

かわいそうな姿・・・。


15土曜日の朝、モナからの電話で起こされたカタリーナのお父さんは、友達に電話をしてレッカー移動や修理の話をつけてくれて、私たちを送った後に現場に戻って、レッカー移動されるまで見届けてくれました。

たくさんの人たちに助けられて、ピンチを乗り越えた私とモナは、予定通りに15時半にはみんなのいる宿舎に到着。


18時からのVolda戦。試合に勝って、そこでやっと胸を撫で下ろしました。

試合後はチームメイトと一緒に6時間かけてバスで帰宅。
ヨーヴィクに着いたのは、2時になろうという頃でした。

私とモナは、解散場所から家まで監督のヘンリに送ってもらうことになりました。

家の近くまで来て、鍵を取り出そうと車内で上着を探りますが、鍵が見つかりません。

どこに鍵を入れたか必死に思い出そうとしましたが、家の鍵を閉めたことを思い出せないし、どこに入れたという記憶もない。
でも、普段は鍵をバッグに入れる習慣はない。

こんな長い一日の終わりに鍵がなくなったっていうオチだけは勘弁してほしいと願いつつ、モナに『鍵が見当たらないんだけど・・・』と言うと、「もし、見つからなかったら家においで」という短い返事が返ってきました。

モナが先に車を降りて、私も家に着いて上着、バッグ、ありとあらゆる場所を探すも鍵は見つからず・・・。

もしかしたら、鍵を閉め忘れたんじゃないか・・・っていう願いも、しっかりと施錠されている扉に砕かれて・・・モナに電話。

『本当に鍵がなくなったから、モナの家に泊まっていい?』

2時過ぎにモナの家へ行くと、あまりのハプニング続きに笑って迎えてくれるかと思っていたモナは、疲れきった表情で、「その部屋使っていいからね。冷蔵庫にあるものも好きに食べてね」と一言。

疲れさせてごめんね・・・モナ。

長かった一日が終わり、やっとベッドに横になれた安心感に満たされながら、2時半に就寝しました。


日曜日。

この日は8時起床。

99年生まれ女子チームの試合があったので、シャロットと待ち合わせをしていました。

アウェーで、Storhamarの2軍チーム、Storhamerの1軍チームと2試合がありました。
前夜は家に帰れなかったけど、試合の用具一式が揃っていたので全く問題なし。

1試合目は負けてしまいましたが、2試合目は逆転された場面で頑張って再逆転。競り勝つことができました。

子どもたちの2試合が終わった後は、ヨーヴィクと同じノルウェー2部リーグのStorahamar対Njardの試合があったので、99年女子チームのVildeとお母さんのLinaと一緒に観戦しました。

ヨーヴィクに帰ってきて、シャロットに車を借りて、私の家の合鍵がおいてあるトゥーネの家へ。

トゥーネの家から戻ってきて帰宅できたのは21時前でした。


ただいま・・・。


車が壊れて立ち往生して、アウェー戦を戦って、家の鍵をなくして帰宅できなくて、コーチとして2試合に帯同して、その後に試合観戦をして、やっとのことで我が家に入れたのは、前日の朝に出発してから、実に、36時間後のことでした。


こうして長〜〜〜〜〜い2日間が終わったのでした。





【後日談】

翌日の月曜日に、マーケティング担当の人からメールがきたので、車の故障の原因を尋ねると「軽油がカラになっていた」という返事が届きました。

『は?』

意味が分からなかったので直接電話をして話を聞くと、「軽油がね、カラになってたんだって」と言われました。


え???

まさかの・・・・・ガス欠っ!!!??


エンジン系統の故障と思って、みんなにもそうやって説明したのに・・・・・

ガス欠っていうオチ?????


マジか〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!


心の中で叫びました。


『でも、ガソリンのメモリは3つあったよ!!』

「うん。故障していたのは機械系の部分で、ディスプレーに誤って表示されたんだよね」


それを聞いて少し安心するも・・・あんなに大騒ぎして、沢山の人に迷惑かけたのに・・・ガス欠って・・・恥ずかしいし、超きまずい。

その日の夜のトレーニングで、人生初のガス欠の事実をチームメイトに告げると、案の定笑われました。


修理が終わって火曜日にはもう受け取れるということで、キョンにお願いして火曜日のお昼にリレハンメルのSullandまで送ってもらいました。

受付カウンターを見つけて、{ここの顧客でもないし、なんて言ったらいいんだろう・・・}って考えながら、『土曜日に私の車がここに運ばれたんですけど・・・』まで言った時点で、「あ〜、はい。はい。ハンドボールクラブの車でしょ!!?」と、すぐ分かってもらえました。

分かってもらえたのは良かったんだけど、対応してくれた女の人が半笑い。

後ろにいた男の人も半笑い。

「あ〜。あのガス欠した車ね」

そう思われてるんじゃないかと思って顔が赤くなりました。

車を受け取ったというサインをして、丁寧にお礼を言うと、足早にその場を離れました。


最寄のガソリンスタンドで軽油を満タンに。

その場で鍵を探してみますが見つかりません。

『鍵、車の中に落としたとしか考えられなかったんだけど・・・』とキョンに言うと、「これ、何ですか?」と運転席の横からチョロリと出ていた紐をひっぱりました。

その先についていたのは。


家の鍵。


もう、自分に疲れる・・・・・。

突っ込みどころが多すぎて、突っ込む気力さえわいてこない・・・・・。


こうして、再び走り出した愛車のハンドルを握り締め、無事に見つかった鍵をバッグにしっかりと入れて家へ帰宅しました。


車が修理から返ってきて気が付いたことがありました。

新車でこの車を受け取った時点で、{少しおかしいな?}と思うことがいくつかあったのですが、深く気にしていませんでした。

遠隔でドアの開閉ができるキーなのに、自動でドアが開かなかったり・・・閉まるのは自動だったのに・・・。
あと、時計が何度設定しなおしても、エンジンをかける度に02:02になってしまっていたり・・・。


そうか、あれがすでに機会系の故障だったのか・・・と気付いたけど後の祭り。

今思えば、燃費がいい車だなぁ〜ってずっと思いながら走ってたなぁ・・・。

最初の段階でSullandに行っておけば、道の真ん中で車が止まって、レッカー移動されることもなかったんだ・・・。

そう考えれば、私が引き起こしたハプニングと言えなくもない・・・。


でも、いまさら誰にもそんなこと言えないから、そっと胸のうちにしまっておきます。


Emi (2)あれからは調子が悪いところもなく、軽快な走りでヨーヴィクのハンドボーラーのために日々頑張ってくれているシトリー。

これからは十分に注意して、ケアをして、なにかあったらすぐにSullandへ聞きに行こうと決めています。

今度こそ末永くよろしく。

相棒。

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2016年03月11日

5年

東日本大震災から5年という月日がたちました。

どれだけ月日が流れても、東日本大震災を、そして、今でも被災地で戦っている人たちがいるということを忘れません。

東日本大震災の犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

そして、被災地の一日も早い復興を願っています。

emi_aus_riesa at 23:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2016年03月10日

未来へつながる勝利

DSC015063月6日(日)は、11位の Grane Arendal をホームに迎えてのシーズン20節でした。

ついにポイントが9とヨーヴィクに並んだ Arendal との対戦でポイントを落とすことがあれば、その時点で降格圏内の10位以下が確定するという勝負の一戦に、チームメイトから気負いのようなものは感じられませんでした。


前半の中盤までは、Arendal の5−1DFを相手に選手たちの足が動かずに、いいリズムを作り出せません。

それでも、エースのGuroがDFを2人引き寄せてポストをフリーにしたり、サイドの切りをきっかけに逆のサイドへパスがつながったりと、シュートチャンスをより多く作り出していたのはヨーヴィクでした。

対する Arendal は、序盤こそポストシュート、右45のブラインドシュートなどで加点していきますが、10分を過ぎたあたりでセットOFでの得点がピタリと止まります。

リードを広げるチャンスに抜けだせなかったのは、前半中盤にヨーヴィクが2本ポストへのパスミスをだして逆速攻から失点をしたこと、完全にフリーのノーマークでシュートを外したことが原因でした。

DFではやられる気がしないのに、OFで波に乗り切れない・・・そんな前半30分を終えて、スコアは11−9。
ヨーヴィクがわずかなリードでハーフを折り返します。

振り返ると、2〜3点のビハインドで後半を迎えることがとにかく多かった今シーズンに、リードをしてロッカールームへ向かうことの意味は、思っていたよりもはるかに大きかったのかもしれません。

後半はDFがさらに安定。

OFでのミスもなくなり、Guro、Pia、Katarinaといった若いフローターが躍動した30分でした。
オフ・ザ・ボールの動きも大きく、速くなって、スペースの広い5−1DFで守る Arendal のディフェンダーは1対1を守りきれなくなりました。

後半に入るとさらに攻めあぐねる時間が増えた Arendal は、やっと巡ってきたシュートチャンスもキーパーのイネに阻まれて得点することができません。

今シーズンはキーパーのセーブ率にも大きな問題を抱えるヨーヴィク。
この日は、前週に小指を痛めて途中退場したイネが、不安を抱えながらもよく止めてくれました。

特に、前半中盤のヨーヴィクにミスが続いた時間帯、後半序盤のリードを一気に広げた時間帯でのセーブの数々は、この日のベストプレーヤー・オブ・ザ・マッチにふさわしい活躍でした。

後半スタートからの10分間で一気に試合を崩壊させることの多かったヨーヴィクが、この日は逆に主導権を握って7−1とスパートをかけると、ラスト5分強でオールマンツーマンを仕掛けてきた Arendal の策にも慌てずに2分間退場、7mスローを獲得。

たった1週間前にバラバラだったチームが嘘のように、この日、全員で戦うことのできたヨーヴィクが、27−20(11−9)で勝利を飾りました。

実に、12月6日以来となる勝ち星でした。


私はフル出場で6得点。

前半、速攻のチャンスにシュートをキーパーに当ててしまったり、チャージング、パスミスをしてしまったりと、ここ数試合課題としているテクニカルミス、イージーミスをなくすことはできませんでしたが、チームメイトが作ってくれた3本のサイドシュートをキーパーを見て確実に決めたこと、速攻もチャンスにしっかりとスタートを切れたことは、及第点と言っていいと思っています。

あとは体を張りました。

私は体が軽く、ここでは力の弱い選手なので、サイドの切りをきっかけにポストへ入った後、そこであまりいい仕事ができないのが大きな課題。
でも、この日の後半はサイドの切りをきっかけとした攻撃が有効だったため、毎回ポストへ走りこむ羽目になりました。
私の前を守るゴツイDFの肘を顔面に食らって口の中が血まみれになっても、ポストでギューギュー押されてもみくちゃにされても、負けずに走りこみました。

さらにDFのとき、ゴールバーに当たったルーズボールが高〜くあがったので、ジャンプしてキャッチしようとしたら、相手OF2人に挟まれて首から肩にかけての筋肉が攣りました。

改めて、ハンドボールって格闘技だなって実感。

戦います。これからも。


大事な大事な勝利を収めるとともに、本当に久しぶりにゲームを楽しむことができた一戦でした。


そして、9位のViking TIF は、昨日のアウェーで3位の Flint Tonsberg と対戦して3点差で敗れました。

これで、Viking はポイント14、ヨーヴィクは11と、ポイント差が3に縮まりました。


今シーズンのラスト2試合はイースター休暇をはさんで、4月3日にアウェーでの Viking 戦、そして4月10日にホームでの最終戦、対するは現在6位の Njard。


4月3日の直接対決で Viking に勝つことができれば、残留決定を目前に控えていたはずの Viking に大きなプレッシャーを与えることができます。

Viking の最終戦はアウェーでの Grane Arendal。

直接対決を制しても、Viking が最終戦で勝利か引き分け、もしくはヨーヴィクが Njard を相手にポイントを落とせば順位が変わることはないので、依然 Viking が優勢ですが、勝負は最後まで何が起こるかわかりません。

4月3日の勝負に全てを懸けます。

最高の準備をして、この日を迎えたいと思います。


世界一デカイ元気玉を作るので、パワーを送ってください!!!!!!!







【善行と思慮】


基本的に「優しい」と言われることの少ない私。
どちらかと言うと、「ジャイアン」って呼ばれることのほうが多い日常を送っています。

そんな私でも、人のお役に立てることもあるなっていう話。


先週と今週、ジモーネとトゥーネの送り迎えをしていました。

ジモーネの車が故障したのはちょっと前。
『困ったらいつでも言ってね〜』っていう話をしてたら、トゥーネの車も煙をモコモコだして故障。

友達2人の車が同じタイミングで故障するなんて、珍しいこともあるものです。

普段は仕事に車通勤している2人が、バス等の手段で移動できないときに迎えに行ったり、ヨーヴィクの町で仕事をしているトゥーネが家に泊まったり、ノルウェーに引っ越してからお世話になりっぱなしの2人に少しだけ恩返し。


そんな日々を送っていた先週の木曜日。

0度を行ったり来たり、雪が降ったり止んだりを繰り返して、道路がトゥルットゥルになっていた日のことでした。

木曜日は朝からヨーヴィクで仕事だったトゥーネは、前日の夜、トレーニングを終えてから家にやってきました。
一緒に夕食を食べて就寝。

朝起きて、トゥーネを職場まで送ろうとしてビックリ。
マイカーのシトリーが前夜から降り続けた雪の下にうずもれていました。
さらに、その雪の下は氷。

重量が軽い上に、ヨーヴィクでよく見かける棘がついた本格的な冬タイヤを履いているわけでもないマイカー。
駐車場から公道に出るまでに20分を要しました。

トゥーネが雪を横へよせて、車を押して、ボンネットに乗っかって車の前方に重心が移動するようにして・・・ノルウェー人のありとあらゆる手段を駆使しての20分。

トゥーネを送る道すがら、『帰ってからまた家の前に駐車したら今度は本当に出られなくなる気がする・・・。お隣さんのシャロットの家にとめちゃおうかな』と言うと、トゥーネは「そうしな、そうしな。でなかったら、誰か車を押してくれる人を確保しておかないとトレーニングに遅れるよ」と、広いスペースのあるシャロット宅へ駐車するという私の案に大賛成。

そうして私は、先週1週間フランスへスキー旅行へ出かけていたシャロット一家のガレージ前のスペースに、無断で駐車させてもらったのでした。


DSC01507この時点ですでに半分埋もれているマイカー。

午後にトレーニングへ向かうときは、考えてもいなかった微妙な上り坂と、思った以上の積雪に、車のタイヤが空回りしてヒヤッとする場面もありましたが無事に出発。
事なきを得ました。


翌日の金曜日。

この日最後のトレーニングを終えて家に帰宅すると、さらにトゥルットゥル度を増していた我が家の駐車場。
狭い入り口にハンドルをいっぱいに切って入る段階で、すでにタイヤが横滑りを始めました。

練習後で疲れていた私は、{あ〜、これは面倒くさい。今日もシャロットの家に駐車させてもらおう・・・}と考え、自分の家の前に駐車をすることを諦めました。

木曜日から金曜日にかけても降り続けていた雪。

{昨日よりも若干雪が高くなってるかな・・・}と思いつつも、気のせいということにしてバックで駐車を試みた私の耳に届いたのは、ゴゴゴ・・という音でした。

柔らかい雪だから、車が傷つくようなことはなかったけれど、明らかに車が雪に埋まった音。

一瞬、思考を巡らせた私は、疲労に勝てずに結局そのまま帰宅しました。


土曜日の朝。

この日は2001年生まれ女子チームのアウェーゲームの帯同でした。

前日の、ゴゴゴ・・があったために、いつもより早めに家を出た私が目にしたものは、雪に半身浴でもしているかのような愛車の姿でした。

一応、そのまま出発を試みますが、前へも、後ろへも、1mmたりとも動かない車。

氷でタイヤが横滑りするならハンドル操作でなんとかなるけれど、ピクリとも動かないものはどうしようもない・・・。
予想していた通りに、車の前後の雪かきをする羽目になりました。

車周りをスッキリさせて再び出発しようとしたら、フィーーーンっていうエンジン音だけが響いて、やっぱりビクともしないシトリー君。

どうやら、水気を多く含んだ雪が夜の間に重く硬くなって、車の下にピッタリとパズルのように張り付いてしまったようでした。

車の下の雪をかく道具なんてないから、細い棒を使って少しずつ堅い雪を崩して、その雪をまた少しずつ車の外に出すと言う作業を30分。

最後は腹ばいになりながら雪と格闘していました。{何やってるんだろう・・・}という自問自答を繰り返しながら。

そういう日本語があるかどうか分からないけど、悔やむべきは自分の【思慮浅さ】

もう少し、ほんの少しだけでも思慮深い人間だったなら、こんな無駄な作業はしなくてすんだのにって。

あの高さの雪の上に駐車しようと思うのは私くらいなんじゃないかと、自分のアホさ加減に笑うしかありませんでした。


結局、早めに家を出たはずなのに集合時間に遅れるという大失態。

車が動いた瞬間、急いで試合に向かわなきゃ、と慌てながら肩越しにシャロット宅の駐車場を振り返ると、見事に降り積もった雪に加えて、私が車を掘り出しながら横に積んでいった大きな雪山が2つ。

この日の深夜1時頃にシャロット一家がフランスから帰ってくるのを知っていた私は、{このストレス・・・休暇帰りの夜中には絶対必要ないものだな・・・}と考えながら、その場を後にしました。


アウェーの試合に快勝してヨーヴィクへ帰ってきた私は、夕食の買い物をして、お母さんからの愛の小包を最寄の郵便局で受け取って、気合いを入れてシャロットの家へ向かいました。

ちょうどお向かいさんがエンジンをかけた車の前で雪かきをしていたので、ちょっとだけお手伝いをしてから、いよいよガレージ前のスペースの雪かき開始。

あまりにも見事に雪が積もってるから、どこから手をつけていいのか分からないほどでしたが、最初に通り道を作ってからは順調に作業が進んでいきました。

その間、呆然と私の作業を見つめていたお向かいさん。

{よっぽど雪かきで疲れたんだな}と思っていたら、どうやら私の作業を手伝うかどうか迷っていたらしく、5分ほどすると私のところへやってきて雪かきを手伝ってくれました。

私は最後の最後、3分くらい手伝っただけだったのに、シャロット宅のデカイ駐車場スペースの4分の1ほどの雪を横によせてくれて、なんだか申し訳なくなりました。
私が中途半端に親切心をだして手伝ったりしなければ、こんな10倍返しみたいなことしなくてすんだのにって。

そん優しいお兄さんが出かけた後も、中くらいの雪かきスコップ、特大の雪かきスコップを使い分けて働くこと1時間。

ガレージ前のスペース、ガレージから家へ向かう道、その全てに愛が溢れているような雪かき終了。
道の出来ばえに我ながら惚れ惚れ。

最後は玄関横の雪にスマイリーを描いて、ウエルカム・ホームって書こうとしたらスペースがなくなったために、「ウエルカム」の一文字を書き残しました。

充実感でいっぱいになりながら帰宅した途端、ビックリするほどの疲労感に襲われて、そのままソファーで眠ってしまいました。


目が覚めて、ご飯を作って食べて、どんな反応するかな〜とワクワクしていたら、1時ちょっと前に、期待通りの喜びと感謝メールがシャロットから送られてきました。
旦那さんのカール・クリスティアンも大喜びで、「再来週、仕事でドイツに行くから、飲みたいビール買ってくるよ」っていう伝言つき。

雪かきを純粋に楽しんで、なんだか幸福感に満たされた一日でした。


唯一心配だった筋肉痛は、左腕の上腕二頭筋に軽〜〜〜くきた以外は大丈夫でした。

雪かき後は、肘から手首まで腕がプルプルしていたので、ホッと胸を撫で下ろしました。


20160307_114930でも、左手に血マメ。

ウエイトトレーニングで慢性的なマメはあるけど、血マメが手にできたのなんていつぶりかな・・・分からないほど久しぶり。

力仕事の勲章、優しさの証ということにしておきます。





【脱力】


今日のトレーニングの話。

火曜日に監督のヘンリから、「木曜日はエミが1時間ちょっとトレーニングをやってくれ。テーマはフィジカルトレーニング」と言われたので、サーキットトレーニングをやりました。

自分でトレーニングプランを考える時点でハードな内容に一度テンションを下げ、トレーニング前にもう一度少しブルーになるっていう恒例のパターンを経て、今日もガッツリ追い込みました。

サーキットトレーニングの後に、キーパートレーニング、5対4の攻防、速攻と続いた今日の練習。

その間ずっと、私のボールが見当たりませんでした。

サーキットトレーニングで連続してシュートを打つというメニューがあったので、ボールが観客席の上へいったか、隣のコートに転がったか、もしくは、誰かが間違って私のボールを使っていると思っていました。

結局、最後まで見つからなかったマイボール。

トレーニングが終わってから一人、観客席によじ登って、隣のコートを隅々まで見て、器具庫やロッカールームまで行って探しましたが見つからず・・・。

{どうやったら、ボールが忽然と消えるなんてことが起こるんだろう・・・}と、不思議に思っていました。

トレーニング後に疲労困憊だった私は、誰かが間違って家へ持って帰った、ということにして、探すのを諦めて家に帰ろうと荷物をまとめ始めました。

そして、あまりにも衝撃の事実を知るのです。


な、な、な、なんと!!!!!

トレーニングバッグの横に膨らみを持ったボールバッグを発見!!!!!!!

マイボールはボールバッグの中に入ったままっ!!!!!!!!!!??


ボール・・・・・そもそも出してなかった・・・・・。


DSC01518



それなのに、『私のボール使ってないかみんな一度確認して!!』ってチームメイトを疑って、練習中ずっとボールを気にして、練習後は体育館中を隅々まで探して・・・・・。


そんな自分にドッと疲れたっていう・・・・・一日。


これからは、誰かを疑う前に自分を疑います。


でも、マイボールのトミーがなくならなくて良かったと、前向きに考えようか。

emi_aus_riesa at 23:45|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!

2016年03月05日

無力

2月28日(日)はノルウェー西海岸の都市、ベルゲンまで飛行機で移動して迎えた19節の Fana 戦でした。

Fana はこの時点で8位。
ホームでは20−31で完敗を喫していたチームでした。

2部リーグ残留のために勝利が絶対条件のヨーヴィク。
この日は、前節の Flint Tonsberg 戦で出た良いところを全て出し切って、12月6日以来となる勝ち星を掴むつもりでいました。

ところが、この試合は私の決意とは裏腹に、前回の対戦を彷彿させるような最悪の試合になってしまいました。


立ち上がりから覇気が感じられないヨーヴィクのDFを相手に、Fana のフローター陣は果敢にゴールを狙います。

ディフェンダーが、シューターに一歩届かず当たりきれない。

キーパーのイネも止められそうなシュートに少し間に合わない。

そういうやられ方で、試合開始から10分を待たずに、1−6とされます。
自らコートに立っていながら、信じられない思いでチームメイトを見つめていました。

一方的な試合になりそうだった立ち上がりから、突然息を吹き返したヨーヴィクは、守っては Fana のセットOFを完封し、OFでもラインが高い Fana DFの裏を利用してポストのスティーネにパスを通します。
Fana のシュートはゴールバーに弾かれることが増え、角度の狭いシュートはイネが止めてくれました。

前半の中盤は、打って変わってヨーヴィクがゲームを支配。

同点に追いついて、さらに10−9と逆転に成功します。

そのままリードをキープ、もしくは点差を広げていって前半を終えたい場面に、ヨーヴィクはパスミスから連続失点します。
2次速攻で誰もいない空間へパスを出したり、セットOFでパスカットを狙う3枚目DFに前半だけで3本ものカットを許したり、とても2部リーグのレベルとは思えないミスでの失点でした。

勢いを自ら止めるようなプレーで再逆転を許し、11−13で試合を折り返しました。

後半は、正直思い出したくないほどの内容でした。

前半序盤に一気に流れを奪われたスタートメンバーが再びコートに立って後半を迎えると、前半同様になす術なく失点していきます。
攻めては、チームプレーの欠片も感じられないようなバラバラのプレーでボールを失います。

後半10分を待たずに、10点近くリードを広げられました。

そのタイミングで、相手のシュートをセーブしたイネが、自分の足で左手を蹴って小指を負傷します。
もう一人のキーパーのエリーネは、1週間前に捻挫をしてこの試合には欠場していたので、イネは唯一のキーパーでした。

涙がこぼれないよう必死で痛みに堪えながら、それでもゴールに立ったイネでしたが、セーブのチャンスはありませんでした。
角度のないサイドシュートも、普段なら止められるはずのディスタンスシュートもゴールを割ります。

後半15分、12点差まで離れた時点でフローターのリサがゴールに入ります。

それからの15分、Fana はフィールドプレーヤーを7人にして、おそらく新たに試している戦術の練習を始めました。
ラスト10分には明らかにベンチメンバーと思われる若い選手をコートに送り込み、笑顔も見られる余裕の試合運び。

ヨーヴィクはエースのGuro、後半途中から出場したマリが個人技で加点して点差こそ縮まるものの、同じリーグのチームとは思えないほどの「差」は、最後まで埋まることはありませんでした。

23−31(11−13)。


私はこの試合フル出場で1得点。

速攻のチャンスにパスが短くて2本カットされました。
セットOFではパスさえまわってきませんでした。

ただ自分さえ得点できればいい、というようにしか見えないチームメイトのプレーにフラストレーションを溜めながら、一番悔しいのは自分の力の無さでした。


この週末に最下位の Volda に確実に勝利した9位の Viking とのポイント差は5まで広がりました。

10位以下は3部リーグへ降格する今シーズン。

Viking との得失点差で圧倒的に不利なヨーヴィクが9位に浮上するには、シーズン最後の3戦全勝と、9位の Viking が3試合すべてに負けることが唯一残された可能性です。


この試合後は、悔しさと情けなさで眠れませんでした。

負けた、という事実だけでも十分に苦しいものなのに、チームのために戦おうとする選手が、残留のために全てを懸ける覚悟のある選手が皆無なことに、とてつもない孤独感を覚えました。


こんなに大事な試合の直前に、はしゃぐ選手の気持ちが理解できません。

こんな負け方をした試合の後に、笑える選手の心理が信じられません。


私はコート上でも、それ以外でも、ただただ無力。

チームを勝たせるプレーもできず、自分が真っ直ぐ追いかけ続けた夢を叶えてあげることもできない。

トンネルの出口は、まだ見えてきそうにありません。



でも、私は最後まで絶対に諦めません。

チャンスが1%でもあるうちは、それに全てを懸けます。

もしも、チャンスがなくなったとしても、それでも全力を尽くします。

コート上で全身全霊を込めてプレーすることは、私の信念だから。



あさっての日曜日は、ついにポイントが並んだ11位の Grane Arendal とホームで対戦します。

応援、よろしくお願いします。

emi_aus_riesa at 11:03|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!

2016年02月28日

競技を超えて 世代を超えて 国境を越えて

skeleton2016クレアちゃんが日本から遠く離れたヨーヴィクで新しい世界に触れていた時期、偶然にもリレハンメル、ヨーヴィク、ハマー、オイヤーでユース・オリンピック・ゲームズ(YOG)が開催されていました。

ミューサ湖を囲む4都市で、リレハンメル・冬季オリンピックが開催されたのは1994年。

いまだに当時のオリンピックを誇りに思う地元の人たちが、ユース・冬季オリンピックを招致して、再びオリンピックを開催することができたのは22年が経った2016年でした。


2月12日から21日まで10日間、70カ国から15才〜18才までのアスリート1100人を迎えて、15競技70種目が行なわれました。


大会期間中はYOGの話題で持ち切りだった私の周り。

私自身は、14日のスノーボード・ハーフパイプと、19日のスケルトンの2競技しか観戦できませんでしたが、とても貴重な経験ができて、素晴らしい感動をもらうことができた日々でした。


実は今回、日本スポーツ振興センターで働く早船愛子ちゃんの紹介で、「女性競技種目戦略的強化プログラム」スケルトン担当の居石さんを紹介してもらい、スケルトンチームのスイス人コーチ、ヴィリーと関係者の方々との通訳のお手伝いをさせてもらう機会をいただきました。

詳しくは来週に更新しますが、居石さんをはじめ、河合さん、進藤さん、田山さん、真優ちゃんのお母さんには大変お世話になりました。

ファイナルでは、選手の家族の方々と一緒に応援することができて、本当に最高の時間を共有することができました。
スケルトンという競技を初めて目にして、そのスピード感、緊張感、そして願いを乗せるかのようなスタートに大興奮。

スケルトン競技日本代表としてYOGに出場した伊地知真優さん、大井まどかさん、郷内翔くんの3人の笑顔が印象に残った大会でした。


今まで遠い存在だったスケルトン。

今回の観戦で一気にファンになりました。

若いスケルトン選手の躍動にこれからも注目して、応援していきたいと思います。



そして、YOGが開催されている真っ只中に、2008年から2012年までハンドボールをプレーしていたツヴィッカウでお世話になったトーマスから、YOGに関する記事を書いてくれないかという依頼が舞い込みました。

トーマスはツヴィッカウの大手新聞、Freie Presse の記者で、当時からとてもお世話になっていた人でした。

ちょうどスケルトンチームの応援をすることが決まっていたのですぐに了承。
後日記事を送りました。

そして、今日発売された Freie Presse で大きく取り上げてもらうことができました。

すぐにザビーネとレア、シュレークから写真付きのメッセージが送られてきました。
「エミが新聞に載ってる!!」、「しばらくメールしてなかったから最高のサプライズだった!!」って。

チームを離れて4年近くが経っても、こうして私のことを気にかけて記事を書いてくれるトーマス、その記事を読んで喜んでくれる友人。

胸が熱くなります。

ありがとう。トーマス。


ハンドボーラーとして大きな夢を持つクレアちゃんと、同世代の日本ユース代表選手が日本から9000キロも離れたリレハンメルで一同に会するという偶然。

それ以外にも沢山の偶然があって、日本にいるはずの人を近くに感じてしまうような、不思議な引力を感じる時間でした。


「縁」


語彙数が少ないと思われるかもしれないけれど、「縁」という言葉しか浮かんできません。


若いアスリートと出逢い、そのアスリートをサポートする人たちの背中を見つめ、将来羽ばたくアスリートが競技を純粋に楽しむ姿に心を打たれた感慨深い数日間でした。

忘れることのできない日々でした。



競技を超えて、世代を超えて、国境を越えて。



出逢いをなにより大切にしたい。

応援される選手であり続けたい。

誰かをサポートできる人でありたい。


強く、強く、思いました。





明日は第19節。

ノルウェー西海岸のベルゲンまで飛行機で遠征して迎える Fana 戦です。

眠りにつく前に、前節の試合報告を。


2月17日(水)は、片道3時間のバス移動で Tonsberg へ向かいました。

Flint Tonsberg はこの時点までに11勝7敗の3位。
11月にホームで対戦したときは、チャンスなく18−31で負けていた相手でした。

会場に着いて体育館へ足を踏み入れて、立ち止まりました。

8月の Kjaeregarslekene というトーナメントでプレーした会場だったのですが、黄色っぽい色の木の床に、黄色いラインでハンドボールコートが書かれていてラインが全く見えず、何度もラインクロスをした体育館でした。

『今日はラインクロスをしませんように・・・』

嫌な予感を振り払うようにロッカールームへ急ぎました。


試合開始から10分は、Flint Tonsberg の強さと巧さが引き立った時間帯でした。

巧みにOFを組み立てるセンターと、速くて強い左45を中心に加点。
特に左45のシャープなディスタンスシュート、速くて巧いフェイントは印象的でした。

センターがしっかりとDFを引き寄せて左45がカットインした場面では、予想をはるかに越えたスピードにフォローにいくことさえできませんでした。

1−4までリードを広げられてから、ヨーヴィクはDFにマッテを投入します。
当たり負けをしないファイターのマッテが相手エースを厚くマークしました。

そこからDFが安定。
ヨーヴィクに速攻も出だして、拮抗した展開になります。

セットOFでも、いつものように単発でシュートを終えるシーンが少なく、クロスプレーやサイド切りのきっかけからチャンスを狙っていきました。

パス回しの中で、エースのGuroがフェイントを仕掛けたり、ディスタンスシュートを放ったり。

私にも、センター・45クロスのフェイントからのパスで、サイドシュートへ飛びこむチャンスが訪れます。
フェイントを仕掛ける機会も、前半序盤から中盤にかけて2度巡ってきました。

立ち上がりこそ、2次速攻の速いチームだと思った Flint Tonsberg でしたが、スタミナ面で不安があるのか徐々に速攻の回数が減っていきました。
同時に速攻の戻りが遅いチームでもありました。

その隙をついたヨーヴィクが、2〜3点差のビハインドを追う前半の最後に連取して、11−12。

後半に大きな望みをつないでハーフを迎えました。


後半も立ち上がりは Flint Tonsberg ペース。

前半にコンパクトだったDFが広くなって、間を割られる失点が増えていきます。

16−19。

再び3点差までリードを広げられました。

40分を過ぎたあたりで、ヨーヴィクのDFが再び安定。
Flin Tonsberg にOFでミスが出始めて、ヨーヴィクがマッテのブラインドシュートで連取。

速攻のシュートも決まって逆転に成功すると、23−20と今度は3点のリードを奪いました。

電光掲示板を確認すると、あと15分。

このままDFで守りきって、OFでコンスタントに得点できれば・・・と考えていたとき、Flint Tonsberg がヨーヴィクのエース、GuroにマンツーマンDFをつけました。

それまでの45分は、今シーズンでも最高の出来と言っていい戦いぶりでした。
そして、そこからの15分は、残念ながら今シーズンを象徴するかのような時間帯になってしまいました。

Guroにマンツーマンにつけられた後、コートに立つ選手からは、慌てる様子が手に取るほど伝わってきました。パスミス、チャンスの少ないシュートで攻撃を終えます。

私もここで、ワンマン速攻でラインクロス、DFがライン内にいると思ってサイドシュートへ飛び込んだプレーでチャージングを取られてしまいます。
ラインが見えないことの不安が、一番大事な局面で現実のものとなってしまいました。

OFでのリズムの崩れが守りにも影響したか、再びコートバランスが悪くなって、後半序盤同様にスペースを利用されるプレーが増えていきました。

3点あったリードはあっという間になくなって再逆転を許します。

ラスト5分、試合時間が減っていく中で、ヨーヴィクに最後のチャンスが訪れました。

Flint Tonsberg が立て続けに2分間退場をだして、ヨーヴィクにパワープレーのチャンス。
点差は2点か3点だったと記憶しています。

6−5の時間帯に、相手のセンターにマンツーマンについた私は、センターがポストへ入っていくのについていきながら、ミスマッチを狙っていると気がつきました。
ボールを奪おうとオフェンシブに散らばっているチームメイトにラインを下げるように叫びますが、意図が伝わらず、センターへパスを通されて、そこからパワーで押し込まれます。
結局、対角のポジションにノーマークができて手痛い失点。

2人多い6−4のOFでは、2〜3回ほどパスをまわしただけでGuroがロングシュートを放って攻撃が終了。

その後も追加点を許し、絶対的なチャンスに、逆に0−2と負け越しました。

善戦しても、最後に勝ちきれないのは、ヨーヴィクが戦術的に他のチームに圧倒的に劣っているからなのでしょう。

今シーズン、何度となく味わった失望感と脱力感に襲われながら、試合終了のブザーを聞きました。

24−28(11−12)。


試合後にバスへ向かう道すがら、『典型的なヨーヴィクだ』と言った私の言葉を、コーチのモナが、「典型的じゃない。3位を相手に45分戦ってリードをしていたDFとOFは、今までにないものだった」と訂正しました。

でも、今必要なのは「いい試合」でも「チームの成長」でもなく、「勝ち点」のみ。

ナイスゲームという言葉は、私にはもう必要ありません。


私はこの日フル出場で7得点。

「走れる」という感覚が強くあったこの試合、速攻で点を奪うことだけに集中しました。
前半3本、後半2本の速攻を決めて、前半はズレてきたサイドシュート、1人少ない時間にフェイントからのサイドシュートで得点しました。

ハーフタイムに、「パスが短かった」と謝るチームメイトに、『相手は速攻の戻りが遅いから、DFの頭だけ超えるパスをくれれば、どんなパスでもキャッチしてシュートを決めるから』と言った私の言葉にみんな笑っていました。

でも、本気でした。

どんなパスでも絶対にキャッチして、シュートを決める。

そう思っていましたが、前後半1本ずつゴールポストにはじかれてシュートを外してしまいました。
ラインクロス、チャージング、大事な場面でテクニカルミスを出してしまいました。

ノーミスのプレーをすれば、結果は変わったかもしれない。

試合後は、そのことだけ考えていました。



シーズンも残すところあと4試合。

9位の Viking は12ポイント。
対するヨーヴィクは9ポイントで10位。

10位以下は2.デヴィションへ降格です。

Viking との直接対決を制するのは最低条件。
それ以外の3試合で、Viking よりも2ポイント多く勝ち点をあげなければいけません。



明日の Fana 戦、魂を込めて、想いをのせて、願いをかけて戦ってきます。


応援よろしくお願いします!!!!!!!

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