2016年08月24日

ソウルフードはパクチー

先日、手書きで「トムヤムクン」とメモをする機会があった。

トムヤムクン。
世界三大スープの一つに数えらることもあるタイ料理。
一言でいってしまうと、エビのスープ。

さて、そのトムヤムクンを手書きしたのだが、実際には「トムヤムくん」と書いてしまった。
どういうわけだか、「トムヤム」まで片仮名で、「くん」だけ平仮名で書いてしまったのである。

トムヤムくん。
おそらく、タイからの留学生だと思われる。  

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2016年08月23日

シイタゲラレテイル(再)

以下の過去記事にあるように、僕の家族もそうだが、家族だけでなく、知人らも、何故だか僕に苦手な物を食べさせたがる傾向がある。

なので、本当に嫌いな物は、名言しないようにしている。
もちろん、blogにも書かない。
椎茸やブロッコリーより、もっと苦手な物があるのだが。

だが、これ以上書くこともないし、仕方がないので、もっと苦手な物を書いておくか。
家族や知人が、僕に無理やり食べさせようとするリスクはあるけど。

そうだな、これからの季節だと、さんまの刺身、さんまの塩焼き、特にわたの部分、牡蠣、あん肝とかだろうか。
これらは、僕だけでなく、苦手な人が多い食べ物なので、説得力が高いだろう。

さあ、いつでも無理やり食べさせるがいい。

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『シイタゲラレテイル』(2011/08/14)

一つ前の記事の続きといえば続き。

ある程度以上の大きさの椎茸が食べられない僕を、家族が全員でいじめる。
実家で食事をいただくときなど、わざと僕のにだけ大量の椎茸を入れようとしたりするのだ。

先日も、お吸い物に、僕が食べられないサイズの椎茸が大量に入っていた。

昨日の記事にも書いたように、味が駄目なわけでなく、食感が苦手なだけなので、お吸い物自体は非常に美味しくいただいた。
もちろん、椎茸以外。

すると、家族全員が、きちんと椎茸を食べろというのだ。
甥っ子や姪っ子の手前、示しがつかない、教育によくない、というのだ。

いっていることは正論だが、実はそんなことはどうでもよく、単に僕をいじめたいだけなのだ。
そう、僕は、家族から虐げられているのだ。

椎茸だけにね。

ダジャレは置いといて、本題。
いじめられながら僕は思った。

blogに、家族全員分の、1mmも笑えない、100%、純粋な、ピュア悪口を書いてやるぞ、と。  

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2016年08月22日

ブロッコリーと椎茸は食べないけど(再)

以下の過去記事は、五年前に書いたものだが、五年経とうが十年経とうが、僕の考えは変わらない。
この先も、決して変わることはないと思う。

極上だか何だか知らないが、椎茸と牛肉が似ていると思うなんて、絶対どうかしている。

二兆歩ほど譲って、仮に似ているのだとしても、僕は牛肉でいい。
似ているのであれば、どちらを口にしたっていいわけだ。
であれば、僕は、椎茸はいらないので、牛肉を食べたい。

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『ブロッコリーと椎茸は食べないけど』(2011/08/13)

このblogでも何度か書いたことがあるが、ブロッコリーが苦手だ。
他にもある。
書いたか否かは記憶にないが、椎茸も苦手だ。

とはいっても、どちらも決して食べられないわけではない。
苦手なだけだ。
どうしても食べられないというわけではない。

椎茸にしたってそうだ。
椎茸出汁のものも嫌いなわけではないし、和食を食せば椎茸なんていくらでも入っているが、それらも全然平気だ。

ブロッコリーにしても椎茸にしても、嫌いというのは、いわばネタのようなもの。

と、つい最近まで思っていたのだが、椎茸に関しては、新たな発見があった。
改めて自覚した。

ある程度以上の大きさの椎茸は食べられない。
僕は椎茸の食感が苦手だということが、改めてわかった。

味が嫌いというわけではない。
だから、出汁や、小さく刻んであるものは平気なのだ。
なので、ある程度以上の大きさのものは、「本当にごめんなさい」という感じ。

極上の椎茸は、味、食感ともにまるで牛肉のよう。

そんなことをいっているのを、何度かテレビで見たことがある。

そんなの絶対嘘だと思う。
極上だか何だか知らないが、椎茸と牛肉が似ていると思うなんて、絶対どうかしている。
頭がおかしいか、舌がおかしいかのどちらかだ。

本当に椎茸と牛肉が似ているのであれば、とうの昔に、僕はベジタリアンになっていると思う。  

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2016年08月21日

メロメロアマッテメラメラヒャクバイ

先日、知人と話をしていたときのこと。
知人が、「メロメロ」というべきところで、間違って「メラメラ」という言葉を口にした。

メロメロとメラメラ。
「ロ」と「ラ」が違うだけで、意味は大違いである。
真逆に位置するといってもいいだろう。
が、言葉としては、一つの文字が違うだけ。

そのことに気が付いたとき、僕は更にこう思った。

メロメロとメラメラは、一つの文字が違うだけで、言葉としては非常に似ているのに、真逆近いような意味。
意味は真逆なので、言葉としては紙一重。
これは、まるで、あの諺を暗示しているようではないか。

その諺とは。
そう、それは、可愛さ余って憎さ百倍。

以上。
オチとかはない。
気が付いたことを書いただけ。
大発見を書いただけ。

近いうちに、学会に発表しようかと思う。  

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2016年08月20日

それはそれで、何事にも代え難く喜ばしいことですので 他(再)

以下の過去記事を読み直して思った。

先日故障してしまった、温水洗浄便座。
未だ、誕生日プレゼントとして贈られてはいない。

ならば、僕も、お願いしてみるか。
頼んでみるか。
サンタさんに。

でも、それまで温水洗浄便座が故障したままだというのも嫌だな。

あーあ。
あーあ。
あーあ。

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『それはそれで、何事にも代え難く喜ばしいことですので』(2011/08/11)

誕生日といえば、という話を一つ。

もう何年も前から聞かされているのだが、母には欲しい車があるという。
運転免許も持っていないのに、である。

その車は外車。
高級外車。
いや、超高級外車というべきか。

欲しいものがあること、夢を持つこと、希望を抱くこと、目標を掲げることはいいことだと思うので、特に否定をする気はない。
免許がないのは気になるけど。

そんな母がつい先日、こんなことをいい出した。

これから先、一生、誕生日プレゼントも母の日の贈り物も、クリスマスプレゼントもいらないから、家族全員でその車を買ってくれ、と。
中古でもいいから、と。

僕は母にいいました。

母が今いくつだとか、あと何回誕生日プレゼントを貰えるかという問題ではない。
一般的な家庭に生まれた人であれば、一生分のプレゼントを合わせても、その車は買えないよ、と。
中古車だとしても、まともな車であれば無理だよ、と。

人生で受け取るプレゼント類を全て合わせてその車の購入が可能になるには、よほどのお金持ちの家に生まれる、あるいは、数え切れないくらい家族が多い、などの条件を満たす必要がある。
(ああ、親戚が多いというのも必要条件かも。お年玉が増えるので)

母に可能性があるとすれば、この先かなりの長生きをしていただけるのであれば、これからのプレゼントを合わせると、その車くらいにはなると思う。
なので、お母さま、あと200年くらい元気でいてください。

その見通しが立つようであれば、妹や弟に相談して、超高級外車の購入も前向きに検討するようにいたします。

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『早く頼まないと、先方にも予算などあるでしょうし』(2011/08/12)

一つ前の記事を読み直して思ったこと。

気になったのは母の言葉。
これから先、一生、誕生日プレゼントも母の日の贈り物も、クリスマスプレゼントもいらないから、家族全員でその車を買ってくれ、という母の言葉。

誕生日や母の日はわかる。
腑に落ちないのは、クリスマスである。
クリスマスプレゼント。

だって、クリスマスプレゼントはサンタさんがくれるものなので、それを僕らにいわれても困る。
お門違い、というやつである。

だから、お母さん。
サンタクロースに頼めばいいのですよ。
超高級外車が欲しい、と。
今年の冬あたりお願いします、と。

なので、お母さん。
今から用意したほうがいいかと思われます。
編み始めたほうがいいかと思われます。

靴下を。
超特別大きなやつをね。  

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2016年08月19日

吉日ではなかろう 他(再)

以下の過去記事にある、五年前に母から受けた傷は、今でもはっきりと残っている。

心の傷としてではない。
脛にはっきりと傷痕が残っているのである。

過去記事では、いつものように大仰に書いてはいるが、実際には、流血はしたものの、薬も塗っていないし、絆創膏的な物も使用しなかったと記憶している。
その程度の傷といえば、その程度の傷。

が、消えずに残っている。
きっと、この先も消えないのであろう。

以下の過去記事にもあるが、近頃は、机の角で引っ掻いた程度の、幼少の頃であれば、唾を付けていればそのうち消えてしまっていたような程度の傷でさえ、いつまでもいつまでも残っている。

若い女性ならまだしも、小さな脛の傷ぐらい何てことはない。
むしろ、思い出の一つだと考えたっていい。

が、極々小さな傷痕さえ、なかなか消えなくなってしまったほど、治癒能力、新陳代謝が衰えてしまっていることのほうが、よっぽど大きな心の傷である。

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『吉日ではなかろう』(2011/08/09)

一週間程前、母を車に乗せたときの話。

母の荷物がとても多く、母が持っている台車を利用することに。
車を止め、折り畳まれた台車を取り出し、それを開こうとしていると、「開き方わかる?」と母。

開き方はわかるので、「大丈夫。待っとって」といったにもかかわらず、「こうやって開くとよ」と、母が強引に折り畳まれている台車を開いた。

果たして。

僕が自分の足元で開こうとしていた台車を、母が無理矢理開いたものだから、台車が勢いよく開いてしまい、僕の脛を強打。

脛。
すね。
そう、弁慶の泣き所である。

弁慶の泣き所強打。
そして、流血。

あまりの激痛に、足が千切れてしまったのではないかと思った。
もう二度と歩けない身体になるかもしれないと思った。
もう二度とblogが書けない身体になるかもしれないと思った。

で、現在。
歩けるし、blogも書ける。
が、傷は癒えていない。
未だ生々しい。

が、しかし。
傷はいずれ癒える。
消える。

そうなると、母はきっと忘れるだろう。
自分が犯した罪を。
息子の身体に傷を付けたことを。

ならば、と思った。
僕は思った。

脛に入れ墨を入れるというのはどうだろうか。
「2011年8月吉日 母より受けた傷」みたいな。

と思ったけど、どう考えてもそっちのほうが痛そうなので却下。

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『そちらのほうがかなり貴重』(2011/08/10)

一つ前の記事で、一週間程前に怪我をしたことを書いた。
大怪我をしたことを。

それと、「傷はいつか癒える。消える」というようなことも書いた。

が、しかし。
書いたはいいが、少々不安にも感じている。

というのも、近頃、怪我などをした際、その跡が消えるのに、かなりの時間を費やすようになったからだ。
昨日今日の話ではないので、「近頃」というよりは「近年」というべきかもしれない。
幼少の頃は、毎日のように怪我をしても、あっという間に、跡形もなく完治していたというのに。。。

そう、それだけ歳をとったということに他ならないのである。

本日、誕生日。
また一つ歳をとった。

ああ、神さま。
ブルーレイレコーダーとかノートパソコンとかカメラとかを誕生日プレゼントにくださいとはいいません。
高望みはしません。

なので、怪我をしたら、傷がきちんと消える身体にしてください。(怪我しない身体になれるとなおよし)  

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2016年08月18日

飽きない可能性はあるけど その2

一つ前の記事をUPした後に思ったこと。
というのも、自分で付けておいて何だが、一つ前の記事のタイトルが、非常に縁起が悪いと思ったのである。

飽きない可能性。
音だけだと、アキナイ可能性。
秋ない可能性。

そう、秋がない可能性。
秋がなく、夏が終わるや否や、冬になってしまう可能性があると読めなくもない。
この世の中に、これ以上の不幸があるだろうか。
などなどと考えたのである。

それともう一つ。

一つ前の記事で、僕がさんまの塩焼きや刺身に飽きるまでが秋で、飽きたら春になるのが望ましい、と書いた。
で、それを受けてのタイトルが、『飽きない可能性はあるけど』である。

が、実際は、さんま以外にも、いくらでも秋の味覚はある。
さんまも含め、それらの秋の味覚の全てに、僕が飽きるまで秋だということにするのはどうだろうか。
きっと、永遠に秋が続くことになるだろうとは思うけど。

が、いつまでも秋のままだと、困る人もいるだろう。
僕自身、春も嫌いではないし。

それと、もう一つ気になることがある。
冬という季節自体は嫌いだが、より正確には、寒いのは嫌いだが、冬の味覚にも美味しい物が多い。

ならば、こういうのはどうだろうか。

夏が終わった後、数ヶ月間、元来の倍近くの間が秋。
その間に秋の味覚を満喫。
その後、僕が冬の味覚を堪能する間の、極々短い期間、十日から、どんなに長くとも二週間程度が冬。
少しくらいは冬の寒さを感じたほうが、その他の季節のありがたみも増すだろうし、冬の味覚も楽しめる。
そして、春。

これが理想的な、季節の移り変わりだと思う。  

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2016年08月17日

飽きない可能性はあるけど

数日前、お盆のとある一日、近所のスーパーやコンビニに並んでいた、ある商品が目に入り、とても気になった。

その商品とはビール。
それも、ただのビールではなく、期間限定、秋限定ビールである。

秋限定ビールといえば、僕は個人的に、KIRINの「秋味」に思い入れがあり、毎年口にしている。
その「秋味」ではないのだが、いくつかの秋限定ビールが、店頭に並んでいたのである。

確か「秋味」は、例年、お盆明けぐらいに店頭に並んでいたはず。
それでも早過ぎると思っていたのに、お盆に秋限定ビールの販売開始だなんて、早過ぎるにもほどがあると思う。

が、秋限定ビールだけではなかった。
スーパーの惣菜売り場に、さんまの塩焼きが売られていたのだ。

秋限定ビールにさんまの塩焼き。
まだ、お盆だというのに、早過ぎるにもほどがあると思う。
何度でも繰り返そう。
早過ぎるにもほどがあると思う。

これほどまでに苦言を呈しているのは、秋になるのが早過ぎると、同時に、僕の嫌って止まない、憎んで止まない冬も、早く来てしまうような気がするからである。

そう、冬が憎いだけで、秋が嫌いなわけではない。
むしろ、秋は好きだ。
その後に、冬が来てしまうのを、憂いているだけである。

ましてや、近年のような、ちょっと怖いぐらいの泥暑が長く続くよりは、早く秋になったほうが、多くの人も喜ぶだろうし。

秋限定ビールも気になる。
そろそろ店頭に並ぶであろう「秋味」は、もっと気になる。
今年も何度か口にするだろう。
何度も、か。

さんまも食べたい。
塩焼きも食べたいし、刺身も食べたい。

そう、秋は嫌いではない。
冬が嫌いなだけだ。
夏が終わるのは少々名残惜しいが、秋は嫌いではないのでよしとする。
そう、秋になるのはいい。
冬になりさえしなければいいのである。

毎日、さんまの塩焼きや刺身を肴に「秋味」を飲み、それらに飽きた頃、秋が終わり春になる。
これが理想的な、季節の移り変わりだと思う。  

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2016年08月16日

デイブログ(再)

以下の過去記事にもあるように、中国の古い書物に出てくる空想上の虫泥(でい)は、水がないと泥(どろ)のようになってしまうらしい。

だが、水のあるなしにかかわらず、これだけ暑いと、それだけで泥(でい)になってしまいそうである。

現在は、最高気温が35度以上の日を猛暑日と呼ぶようになった。
酷暑日ともいういい方もあるらしい。

猛暑、酷暑。
それらより、更に厳しい暑さのことを、今後は泥暑(でいしょ)と呼ぶのはどうだろうか。

泥暑、泥暑日。

全く笑えない話だけど、実際、熱中症の症状って、泥(でい)になってしまうようなものだともいえなくないし。

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『デイブログ』(2011/08/08)

一つ前の記事の文中で、「泥酔」という言葉を使った。
その際に初めて知ったのだが、「泥酔」の「泥」とは、「泥(でい)」という虫の名前なのだそうだ。

「泥(でい)」とは、中国の古い書物に出てくる空想上の虫で、南海の海底に住む骨のない生き物。
その「泥(でい)」は、水がないと泥(どろ)のようになってしまうらしい。

お酒にひどく酔った状態が、水がなく泥(どろ)のようになってしまった「泥(でい)」に似ているため、そのような状態を泥酔というようになったのだそうだ。
ちなみに日本でも、平安時代にその言葉が使われた記録が残っているのだそうだ。

ということは、例えば一つ前の記事のタイトルのような「ドロのように酔った」という表現は間違いで、「デイのように」が正しいということになる。

さて、泥(でい)。
水があれば元気だけど、水がないと泥(どろ)のようになる。
骨がない。

僕は思った。
ああ、僕のblogのようだ、と。

書くことがあるときは、きちんと書く。
が、書くことがないときは、再放送(記事の再掲載・再利用)でごまかしたり、謝って終わらせたりしてしまう体たらく。

正に今日もそうだ。
書くことがなくて雑学を書いてごまかそうとした。
で、ここまで書いた。
が、オチが浮かばない。

ま、仕方がない。
浮かばないものは仕方ない。
寝るとするか。
泥のように。  

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2016年08月15日

ドロノヨウニヨイ、ドロノヨウナモノヲ……(以下自粛)(再)

以下の過去記事にある、目薬を落とした件は、今でもはっきりと覚えている。
目薬を落としたのは、この一度だけのような気もする。

実際には、他にも何度かあるのだが、記憶にあるのが、この一度のことだけという可能性もあるが。

正確には、目薬を落としたことを記憶しているというより、目薬を落とすきっかけとなった痴態こそを、しっかりと覚えているからに他ならない。

その痴態についての詳細を、ここで書くつもりはない。
書かないも何も、書けないのである。
何故なら、その痴態の大半を、僕自身が記憶していないのだから。

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『ドロノヨウニヨイ、ドロノヨウナモノヲ……(以下自粛)』(2011/08/07)

一つ前の記事までの、「目薬」話の続きといえば続き。

かなり以前にも一度、目薬を落としたことがあるのを思い出した。
ちなみに、偶然にも、今回落とした目薬と同じ種類の目薬だ。

そして、そのときも目薬は出てきた。

落としたのは夜。
深夜。
泥酔して帰宅した深夜。

見付かったのは翌日。
家の前。
おそらく車に轢かれたのであろう、木っ端微塵になっていた。

具体的に何があったかというと……、いや、止めておこう、わざわざ全世界に向けて我が痴態を発信する必要はなかろう。

これまで散々、自分の恥も家族の恥も書いてきた僕が躊躇。
ということを踏まえて、ご自由に妄想を膨らませていただきたい。  

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2016年08月14日

メグスリガナイ 他(再)

今、僕の目の前に、池から女神が現れたとする。
女神の問いに対する答えは、もちろん、目薬やタンスではない。
ブルーレイレコーダーやノートパソコンでもない。(欲しいけど)

今、僕が答えるとしたら、これしかない。
これしかないに決まっているではないか。

温水洗浄便座。
もちろん、壊れていないやつで。

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『メグスリガナイ』(2011/08/05)

本当の問題発生。
「今日の雨、傘がない」ではない、本当の問題が。

目薬がない。

いや、使い切ったとかいう意味ではない。
なくなったのだ。

一つ前の記事を含め、二日続けて井上陽水大先生の『傘がない』の話を書いた呪いだろうか。

本日夕方、外出する際、確かにバッグに目薬を入れた。
で、帰宅してバッグの中を整理したら目薬がなかった。

可能性は車の中でバッグを開けたとき、お店で財布を出したとき、鍵を出し入れしたとき。
そのときに落としたか、気が付いていないだけで部屋の中のどこかにあるか、実はそもそも持って行っていなかったか。

目薬自体は数百円程度。
もちろん、なくなったら困る。
だが、目薬がないということよりも、モノがなくなったという状態が嫌なのだ。
気持ちが悪いのだ。

気が付いたのが深夜なので、室外を確かめるのは現実的ではない。
とりあえず室内を捜索。
隈なく捜索。

どこにもなかった。

こんな所にはあるはずもない、というような所まで探した。
タンスの中とか。

そしたらタンスが壊れた。
タンスの引き出しが。
まだ、買って数ヶ月しか経っていないタンスの引き出しが。

ああ、神さま。
僕が何か悪いことをしましたか?
何かしましたか?

井上大先生(or斉藤由貴)に、「探しものは何ですか?」と訊かれたら、今だったら即答できる。

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『他にもいろいろと』(2011/08/06)

目薬は出てきた。
車の中から。

日頃の行いがいいから。
といいたいところだが、実際は、問題が解決したというわけではない。
それどころか、正直、目薬とかもうどうでもいい。

何故なら、タンスが壊れたから。
タンスの引き出しが壊れたから。
買ってまだ数ヶ月しか経っていないタンスの引き出しが壊れたから。

一つ前の記事の最後で、「井上大先生(or斉藤由貴)に、「探しものは何ですか?」と訊かれたら即答できる」などと上手いことを書いたが、実際はそんなこといっている場合ではないのだ。
目薬とは比べものにならない金額のタンスが壊れたのだから。

ちなみに、「探しものは何か?」という問いに対する答えを、いうまでもないとは思うが一応書いておく。

もちろん、「目薬」ではない。(見付かる前だったとしても)
「タンス」だ。
あるいは、「タンスの引き出し」、より正確には「壊れていないタンスの引き出し」だ。
この状況では当然だ。

今僕が最も会いたい人物は、落としものをした湖の中から現れる女神だ。
「あなたが落としたのは、この金の斧ですか? それとも銀の斧ですか?」の女神だ。

もし、「あなたが落としたのは、この新品の目薬ですか? それとも使いかけの目薬ですか?」と女神に問われたら、無視するか石を投げると思う。(見付かる前だったとしても)
そして、「この壊れたタンスの引き出しですか? それとも壊れていないタンスの引き出しですか?」と訊いてくれる女神が出るまで待つと思う。

その際の、僕の答えはこうだ。
「いえ、どちらでもありません。人間国宝が作った、超高級桐タンスです。いえ、引き出しだけじゃなく全部。ああ、それと、ブルーレイレコーダーとノートパソコンも」  

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2016年08月13日

ずぶ濡れ損のずぶ濡れ儲け

数日前の話。
トイレの話。

温水洗浄便座、本来は間違っているのだが、一般的に広く呼ばれている名前でいうところのウォシュレット。
そのシャワーというか、洗浄するための水が出なくなった。

あれこれやってみたが復旧せず。
更に調べてみて、水が通るノズル内にある、とある部品に問題がある可能性があると知った。

で、その部品を確認し、復旧を試みることに。

ノズル内には水が通っていて、そのままでは駄目なので、元栓を閉める必要がある。
で、閉めたつもりだったのだが、間違っていた様子。

そう、ノズル内の部品を取り出そうと、ふた的な部品を外すや否や、大量の水が勢いよく吹き出したのである。

当然といえば当然である。
元栓が閉まっていないのだから。

かなりの水圧のため、今外したふたを戻すのは不可能だった。
ので、すぐにそれは諦め、元栓を閉めた。
もちろん、かなり焦りながら。

水は止まった。
が、トイレ内には水が溢れていた。
トイレ内だけでなく、自分自身もずぶ濡れである。

が、自分のことはどうでもいい。
早く水をどうにかしないと、更なるトラブルに発展しかねない水の量なのである。
慌てて大量のタオル等々を投入し、どうにかこうにか水を拭き取り、大惨事だけは免れた。

いや、既に、なかなかの惨事ではあるのだが。。。

その上、結局故障は改善されず。。。。。。。。。

それが、誕生日の前日のこと。
前日でよかった。
これが誕生日当日だったら、我が身のあまりの哀れさに、きっと僕は泣き出していただろうと思う。
両の眼からも、大量の水を溢れ出させていたところだろう。

もう修理は諦めた。
おそらく寿命だろう。(と思い込むことにした)

ので、誕生日プレゼントがまだの方は、温水洗浄便座とかいかがでしょうか。
お待ちしております。  

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2016年08月12日

山の日に思う その2

一つ前の記事の続き。
というか、一つ前の記事で、元々書こうと思っていたこと。
何故だか涙が溢れ出してきたのだが、その前に書こうと思っていたこと。

同じような指摘をしている人は、きっと多数いると思われるが、山の日、新たな祝日が、八月十一日ってどうなのよ、という話。

一つ前の記事で夏休みの話を書いたように、夏休みという恩恵に預かることができる就学児童、学生らには、夏休み中に祝日が増えたって嬉しくも何ともないだろう。
ただ、家族、父親なり母親なりの仕事が休みになって、どこかに遊びに連れて行ってもらえる可能性が増えるので嬉しい、という例があるのも否定はしない。

しかし、大人の働いている人全てが、祝日だからというだけで単純に休めるわけではないのである。
十一日を祝日とすることで、結果、夏季休暇、いわゆるお盆休みを長くすることも目的の一つのようだが、お盆だからといって、全ての人が休めるわけではないのだ。
むしろ、お盆やゴールデンウィーク、日曜祝日こそ忙しい、決して休めない人もたくさんいるのである。

と考えると、経済効果については別として、単純に休みが増えて嬉しいという人が、全体の中でどれくらいいるのだろうか。

僕もそうなのだが、カレンダーの日付の赤い日が、単に一日増えただけという人が、かなりの数になるのではないのだろうか。

というわけで、今年から、カレンダーの赤い数字が一つ増えた。

が、別に何てことはない。
涙が溢れることなどないし、愚痴もため息ももう出ない。

慣れたので。  

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2016年08月11日

山の日に思う

八月十一日。
山の日。
今年から新たに加わった祝日である。

さて、話は少し変わるが、近年は、地域や学校によって、夏休み等の期間に、違いがあることが珍しくないらしい。
なので、現在がどうなっているかはわからないけど、僕が夏休みという恩恵に預かることが許された時代、僕の住む地域では、夏休みは八月末まで、期間は四十日間というのが、それなりに一般的だったように思う。

さてさて、一つ前の記事で書いたように、昨日八月十日は誕生日。
その日は、夏休みが四十日だとすると、ちょうど半分、折り返し地点なのである。

夏休み、誕生日が来ると、ああ、半分終わった、まだ半分もあるような、もう半分しかないような、毎年毎夏、そんな複雑な気分になっていたのを覚えている。

そして、そのことと同じくらい、夏休みのど真ん中過ぎて、自分の誕生日に、友達からほとんど祝ってもらうことのない寂しさを、毎年毎夏感じていた。
もちろん、同級生等友達を招いてのお誕生パーティーなどをしてもらった記憶もない。

そう、記憶にない。。。
記憶にないということは、経験がないのだろう。。。。。。
まあ、それは、あれから数十年経った今でも、何にも変わってはいないのだけどれも。。。。。。。。。

あれ、涙が溢れて前が見えない。
本当は、何か違うことを書くつもりだった気がするのだが、もうどうでもよくなってきた。  

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2016年08月10日

生誕祭に思う 2016

本日は、生誕祭である。
ええ、ええ、もちろん僕の。

ちなみに、昨夜は前夜祭、明日は後夜祭。

これらが、公式行事である。
ちなみにちなみに、例年、だいたい独りでの開催。

ちなみにちなみにちなみに、その他の行事としては、前夜祭より更に前に、計画概要検討会、計画概要発表会、予行演習、リハーサル、最終リハーサル等々、後夜祭の後にも、反省会、来年へ向けての課題等の報告会、来年の企画立案提案会、打ち上げ等々、多くの行事が取り決められおり、もちろん、全て独りで黙々と、淡々と、かつ盛大に開催するのであります。
宴を。  

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2016年08月09日

キタルベカラズ

数時間前の話。

ふと、あることが気になった。
気が付いたといってもいい。
より正確には、耳に入ったというべきか。

窓の外からの音についてである。
虫の声が耳に入ったのである。

蝉の声に交じって、明らかに秋の虫の声が響いていた。

秋の虫って、、、、、、、、、まだお盆前だというのに。

そして、こんなにも早くから、「秋」という字をblogに書くことになるなんて、、、、、、、、、まだお盆前だというのに。

秋ということは、その向うには、、、いや、その言葉は書きたくない。
考えたくもない。
僕にとっては、最大の忌み言葉だ。

まだお盆前だというのに。。。

あーあ。
あーあ。
あーあ。  

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2016年08月08日

何もかも諦めきったかのような無表情で歩いていました

数日前、二日ほど、午後遅く、短い時間だが、激しい雨が降った。
たまたま車で移動していたのでわかったのだが、驚くぐらい極々極地的な雨だった。

季節がら夕立なのだろうが、ただの夕立にしては、いくらか激し過ぎる雨だったと思う。
あまり好きな言葉ではないが、昨今いうところのゲリラ豪雨に近いのだろう。

傘があっても、車に乗り込むほんの一瞬だけで、かなり濡れてしまうような強い雨。
実際、この二日だけで、何度乗車時に濡れたことか。
まあ、僕の運の悪さ、タイミングの悪さにも問題があるけども。

そんな激しい雨の中、雨に打たれるままに、ずぶ濡れになりながら歩いている人を目にした。
一つ前の記事からの流れだと、何故傘を差さないのかと問い質したくなる場面なのだが、そのときは少し勝手が違った。

ゲリラ豪雨のような夕立だったので、傘の備えがなかったのだと思われる。
更には、傘を差しても、どこまで意味があるだろうかというような激しい雨でもあったのである。

豪雨に打たれるままに歩いていたのは女性だった。
リュックタイプのバッグを背負っていた。
いうまでもなく、そのバッグも、雨に打たれるがまま。
濡れるがまま。

そんな女性の横を車で通り過ぎながら、今回は、いつものような傘についての疑問ではなく、そんなに濡れてバッグは大丈夫なのか、バッグの中身は大丈夫なのか、と思ったのでありました。  

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2016年08月07日

今朝来た新聞の片隅に書いていた♪(再)

以下の過去記事と同じ内容を、これまでに何度か書いた気がする。
何度も、かも。

いつ見ても、同様の感想を抱くのである。
昨今は、若者だけでなく、大人でも目にすることさえある。(これも以前、既に書いたはず)

いつか、彼、彼女らに、何故傘を差さないのか、何を考えているのか訊いてみたい。
教えて欲しい。

結構真剣に、そう考えている。

--------------------
『今朝来た新聞の片隅に書いていた♪』(2011/08/03)

かなり以前から思っていたことを一つ。
傘の話。

もうかなり以前から気になっていることがある。
それは雨の日のこと。
車の中から道行く人たちを見ていると、傘を差していない人が多くいるのが目立つ。

通り雨でもなく、降っているか降っていないかわからないほどの小雨でもなく、かなりしっかり降っているときでさえ、傘を差していない人を見かける。
特に若者、学生に多い。
中には、傘を手に持っているのに差していない少年少女たちも目にする。
井上陽水先生と理由は違うのだ。

僕には、それが全く理解できない。
僕は、ほんのちょっとでも雨に濡れるのが嫌いなのである。
髪や服が少しでも濡れるのが、嫌で嫌でたまらないのだ。

今は車で移動することが多いのだが、徒歩移動が多かった頃は、常に折り畳み傘を持ち歩いていたくらいである。

しかし現在は、自殺する若者が増えているかどうかはわからないが、雨が降っていても傘を差さない若者が増えている。

それを見ていていつも思う。
何故だろうか。
何故傘を差さないのだろうか、と。
昔はそうでもなかったと思うのだが、近頃の少年少女たちは何を考えているのだろうか、と。

傘を差すのが面倒臭いのだろうか。
かっこ悪いと思っているのだろうか。
不思議でならない。

ちなみに母も、傘を差さない若者が目立つようになったと、僕と同意見。
しかし、僕と母では大きな違いが一つある。

僕は、傘を差さない少年少女たちの気持ちが理解できないという思いでいっぱいなのだが、母は、「そのまま濡れて帰って、母親にこてんこてんに怒られればいいのに!」と、怒りでいっぱいなのだ。
ご立腹なのである。
濡れた服を洗濯しなければならない、母親目線なのである。

確かに、雨に濡れた衣服は、そのままにしていると匂いがしてくることもあるし、それが学生服であれば、翌日までに乾かさないといけないということも考えなければならない。
母の気持ちもわからないでもない。

が、傘を差さない若者を目にしたときの怒りっぷりが尋常ではないので、「そこまで怒らなくても。。。」といつも思う。

と、ここまで書いて思った。
気が付いた。

僕が雨に濡れるのが嫌な理由が。
ほんの少しでも雨に濡れるのが嫌な理由が。
雨に濡れることに、病的なまでに神経質になっている理由が。

ああ、そうか。
そうだったか。
そんな母に育てられたからだ。  

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2016年08月06日

味のある話(再)

五年経った現在でも、味付け海苔への思いは変わらない。

一つ前の記事を書いたからだろうか、以下の過去記事を読み直して、ある言葉が頭に浮かんだ。

味付け海苔。
もうちょっとした、味のドーピングだと思う。

--------------------
『味のある話』(2011/08/02)

味のある話を一つ。

かなり以前から、ずっと思っていたことがある。
それは、海苔についてである。
正確には味付け海苔。

ちなみに、西日本で海苔といえば味付け海苔だが、東日本だと味の付いていない焼き海苔が一般的なのだそうだ。
僕は九州に住んでいるので、海苔といえばもちろん味付け海苔。

さて、本題。
かなり以前から、ずっと思っていたこと。

味付け海苔(きざみ)をのせれば、たいがいのものは美味しくなる。

以上。
オチとかないです。
味のある話でした。  

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2016年08月05日

さあ開幕

リオデジャネイロオリンピックが、いよいよ明日六日に開幕。

が、開会式に先立って、既に始まっている競技がある。
サッカーである。

残念ながら、女子日本代表は出場していない。
で、男子代表が、本日午前中に初戦だった。

が、残念ながら敗退。
うーん。。。

今大会は、準備の遅れ、治安への不安など、リオや五輪そのものへの不安感。
更には、ロシアのドーピング問題など、開幕前からごたごた感が拭えず、素直にスポーツの祭典を喜べない空気感があるように思う。

その嫌な空気感を、サッカー男子日本代表に吹き飛ばしてもらいたかったのだが、、、、、、、、、残念。

現地の問題、大会の問題、ドーピング問題は、大会へ参加するアスリートには、何の責任もない。
四年に一度の晴れの舞台、目標の舞台で、彼、彼女らが、余計なことに惑わされることなく、全力でプレーに集中できる大会であって欲しい。
アスリート達には関係のないことが原因で、色褪せた大会とならないようになどと、これまであまり考えたことがないようなことを考えている開幕前夜である。  

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2016年08月04日

アクム 2011夏(再)

買い漁ってもいないし、夢も見てはいないが、今夏もまた、身体のラインが目立たないような服ばかり着ている気がする、、、、、、、、、気がする?

いや、着ていると断言すべきだろう。
僕自身が、一番わかっていることではないか。

あーあ。
あーあ。
あーあ。

--------------------
『アクム 2011夏』(2011/08/01)

一つ前の記事をUPした後に思い出した。

ついつい先日も、やはり悪夢を見たことを。
籠手味カレーと比べても、甲乙付け難い悪夢を。
まあ、怖いほうが甲なのか、怖くないほうが甲なのかはわからないけど。

さて、恐ろしいといえば体重。
全く減る素振りがない。
近頃では、身体のラインを隠す服ばかり着ている始末。(妊婦かっ)

さて、本題。
悪夢の話。

それは明け方の夢。
夢の中で僕は、身体のラインが目立たないような服ばかり買い漁っていた。

恐ろしくて、そしてとても悲しい夢。
もう二度と見たくない。。。  

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2016年08月03日

商標登録申請予定

一つ前の記事に書いたように、昨日は「う」の付くにょろにょろをいただいた。

うどんではない。
うなぎである。

本当に美味しい。
何度でも食べたい。
いくらでも食べたい。

が、そういうわけにもいかない。
絶滅危惧種だし。
高いし。

で、なまずの蒲焼きである。

ここからは、元々、一つ前の記事で書こうと思っていたこと。
それは、二つ前の記事を書いた後に思ったこと。
更に考えたこと。

なまずの蒲焼きという呼称には、「う」が付かない。
ので、土用の丑の日にはふさわしくない。
で、僕が考えたのは、「旨」という字を付けた呼称。
旨なまずの蒲焼き。

が、これだと、何でもいいことになる。
実際、二つ前の記事も、そういう内容になってしまったし。

で、更に、もっと真面目に考えた。

「うなぎ風なまず」ではあんまりなので、「風」を外して「うなぎなまず」。
が、これだと、うなぎだかなまずだかわからなくて紛らわしい。

で、「うなまず」というネーミングを考えた。
「う」も付くし、他にないネーミングなので、なかなかだと思った。

が、「まず」という語感はどうだろうと思った。
「不味い」印象を与える可能性がある。

あたりめという言葉がある。
するめのことである。
「するめ」の「する」という言葉が、賭け事で負けることを意味する「擦る」や、財布などを盗ることを指す「掏る」と同じ語感なことから、反対の縁起のいい「当たり」にすることで「あたりめ」となったといわれている。

というような例があることを考えると、「まず」という言葉に神経を配るのも、大きく間違ってはいないと思うのである。
ましてや、食べ物なのだし。

で、こうなった。
その名も「うなず」。

「まず」という語感はなくなった。
その上、「うなぎ」感は残っている。

「うなず」
非常にいいネーミングだと思うのだが、どうだろうか。

食用なまずの開発が更に進み、美味で安価ななまずが安定供給されるようになれば、今後、なまずが一般的になる可能性も十分にあると思う。

そこで、「うなず」というネーミングである。
結構本気で、商標登録を申請していたほうがいいような気がしてきた。

と思っていたのだが、本物のうなぎを食べてしまうと、やっぱりうなぎかなと思ってしまったり。

まあ、実際は、まだなまずを口にしていないわけなのだが。

で、結果、話は最初に戻る。

とりあえず一度、なまずの蒲焼きを食べてみたい。
そして、今後の更なる発展に期待したい。
いつの日か、「うなず」を名乗れるなまずが現れることに期待したい。  

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2016年08月02日

土用の丑の日に思う 2016 その3

一つ前の記事の続き。

一つ前の記事をUPした後、更にいろいろと考えた。
で、この記事では、そのことについて書く予定だった。

が、実家から連絡あり。
夕食に、「う」の付くにょろにょろを用意してくれているらしい。

うどんではない。
もちろん、うなぎである。

断る理由がない。
blogの更新どころでもない。

うなぎが食べられるのである。
何を迷うことがあろうか。
というか、即断である。

ということで、一つ前の記事の続きはまた明日、次の記事にて。
まずは、うなぎ。
いってきます。  

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2016年08月01日

土用の丑の日に思う 2016 その2

一つ前の記事の続き。

一つ前の記事に書いたことで、失念していたというか、やはり気になるというか、まあ、そのようなことが一つある。
なまずの蒲焼きについてである。

近代が開発を進めているなまずが、うなぎに近い味で、そして安価に、かつ安定的に供給されるのは、非常に素晴らしいことだと思う。
人間がといいうべきか、日本人がというべきかはわからないが、我々がうなぎを食べ尽くしてしまわないための、一翼を担う可能性はあると思う。

美味、うなぎに近い味、安価、安定的供給等々も重要だが、もう一つ、とても重要な課題があることを忘れていた。
その課題をクリアしなければ、人々は、普段はなまずの蒲焼きを口にしても、土用の丑の日には、それを口にしないと思うのである。
うなぎを食べると思うのである。

やっぱり土用の丑の日ぐらい、本物のうなぎを食べたいと思うからではない。
そういう理由もなくはないが、もっと根本的な理由、課題があるのである。

それは、ネーミングである。
名前なのである。

なまずの蒲焼き。
あるいは、近代なまずの蒲焼き。

そう、どちらも「う」が付かないのである。

元来、土用の丑の日は、うなぎを食べる日ではない。
「う」の付く食べ物を口にする日なのである。
が、なまずの蒲焼き、近代なまずの蒲焼きという呼称だと、「う」が付かないのである。
これだと、土用の丑の日に、うなぎに代わることができないではないか。

そこで、僕なりに、対応策を練ってみた。
そして、やはり、名前を変えるしかないという結論に至った。
「う」が付く呼称にするしかないと思うのである。

で、案をいくつか考えた。

うなぎ風なまずの蒲焼き。
うなぎ代用なまずの蒲焼き。

これでは、あまりにそそられない。
偽物感が強過ぎる。

更に考えた結果、僕は、一つの言葉を思い出した。
ひらめいた、といってもいい。

そう、それは、「うまい」という言葉である。
旨いでもいいし、美味いでも構わない。
が、今回は「旨い」のほうが適当だろう。

結果、僕の考えた新しい呼称はこうだ。

旨なまずの蒲焼き。

この呼称だと「う」が付くし、その上、美味であることもアピールできる。
完璧なネーミングだと思う。

が、ここでふと思った。
「旨」を付けていいのであれば、なまずだけではなく、何にでも、どんな食べ物であっても、「う」の付く食べ物へ変えることができる。

旨丸腸。
旨カレー。
旨ラーメン。
旨寿司。
旨餅。
旨寿司。
旨チーズ。
旨焼肉。
旨あん肝。
旨かに味噌。
旨牡蠣。

何でもオッケー、いくらでもいける。
枚挙に暇がない。

これらの「う」の付く食べ物を、土用の丑の日に、たらふく食べれば、史上最も暑い夏になるかもしれないといわれている今年の夏も、乗り切ることができるはず。

食べたい。
ぜひ食べたい。
土用の丑の日とか関係なくていいので食べたい。
「う」が付くかどうかとかも、もうどうでもいいので食べたい。

太るだろうか。
太るだろうな。
太るに決まっている。

が、史上最も暑い夏を乗り切るためだ。
仕方のない代償だといえるのではないだろうか。  

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2016年07月31日

土用の丑の日に思う 2016

昨日は土曜の丑の日。
いやいや、誤字ではない。
土曜日だったのは事実なので。

さて、土用の丑の日。
今年も、「う」の付くにょろにょろを口にすることができた。
今年もまた、平賀源内に感謝すべきなのだろう。

が、うなぎが絶滅危惧種に指定されたことに、土用の丑の日が全く無関係ではないだろう。
となると、平賀源内も無関係ではないということになる。
まあ、無関係ではないと思うが、責任もないだろうが。

平賀源内の功罪はさておき、先日書いたなまずの蒲焼きだが、結局、未だ目にしていない。
一度、口にしてみたいのだが。
美味しくて、その上安価だったら、こんなに嬉しいことはないのに。

「う」の付くにょろにょろは食べた。
美味しかった。
が、この夏を乗り切ることができるほど食べたかといえば、史上最も暑くなるかもといわれているこの夏の暑さを乗り切るパワーを得るには、まだまだ全然足りないと思う。

で、思ったこと。

近大頑張れ。
人間も頑張るけど、絶滅してしまわないよううなぎも頑張れ。

いやいや、一番は、うなぎに頼らずにこの夏を乗り切ることができるように、僕自身がもっと頑張れ、かもしれない。  

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2016年07月30日

ボクダケ?(再)

以下の過去記事から五年、今年の夏も、やはり同じことを考えている。

音を発生させるだけの機械だったら、その気になればどうにでもなるので、一度、実際に作り、実験してみたくなってきた。

有益だったら商品化も検討。
現時点での商品名の第一候補は「フラシーボ」。

--------------------
『ボクダケ?』(2011/07/30)

夏場のこの時期、エアコンを使っていて思うこと。
より正確には、エアコンを切ったときに思うこと。

部屋が十分涼しくなった、ちょっと冷え過ぎなどというとき、エアコンを切ると、部屋が少し静かになる。
エアコンも決して無音ではないからだ。
就寝中などは特によくわかる。

そんなときに思うのだ。
「何かちょっと暑くなった気がする」と。

エアコンを切った瞬間に室温が上がるなんてあり得ない。
それはわかっているのだが、いつだってそう思ってしまうのだ。
錯覚の一つといってもいいかもしれない。

で、いつも思うのだ。
ならば、音だけ聞こえていれば、逆に脳が騙されて、涼しいと思うのではないだろうか、と。

ならば、エアコンの音がする小さなマシンを作るというのはどうだろうか。
あるいは、エアコンにそういう機能を付けるのだ。
室温が目的の温度になったら、送風は止めて、だけど音だけはする、という機能を。
室内の人間は、錯覚で涼しいと満足するのだ。

人間の錯覚は意外と強力だから、案外、全く送風せず室温が下がらなくても、それだけで満足するかもしれない。
確実に消費電力も、電気代も下がるだろう。

よし、小さなマシンを作って売るか。
それともメーカーにアイデアを売るべきか。
いや、一刻も早く特許申請をするべきか。

億万長者確定だろう。
そう考えると、全身が熱くなってきた。

よし、エアコンでもつけるか。
音だけじゃなくて。  

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2016年07月29日

OSARAI BLOG 他(再)

高さは10メートル、最大で30メートル。
そんな土筆が群生。
巨大土筆の森。

王蟲がいそう。
いや、きっといるはず。

--------------------
『OSARAI BLOG』(2011/07/28)

季節外れの話を一つ。
土筆の話。

土筆といえば母である。
毎年春に書いてきたが、母には特殊な才能があるのである。
「土筆の目」という力である。
走る車の中からであろうと、その上夜であろうと、道端の土筆を発見してしまうという力なのである。

いくつか過去記事を紹介。

『ツクシノメ』(2007/03/07)

『来年の春まで封印しておいてください』(2007/06/05)

『ビニール袋持参で』(2008/03/04)

未読の方で、お時間がある方はどうぞ。

さて、おさらいはここまで。
が、時間がないので本題は次の記事で。

ええ、この記事はここまでですが、何か問題でも?

--------------------
『ロボク、あるいはカラミテスというのだそうです』(2011/07/29)

一つ前の記事に書いたように、「土筆の目」という稀有な才能を有する母。
土筆を溺愛するが故かもしれない。

さて、ここからが本題。

テレビを見ていたら、土筆の祖先が紹介されていた。

それは、はるか太古の昔の植物で、太さは30cmほど、高さはというと10メートルもあり、最大で30メートルに達するものもあったのだという。
それが群生し、森林を形成していたのだという。

太さ30cm、高さ10メートル。
しかも群生。

母の特殊能力「土筆の目」などなくても、誰でもいとも簡単に発見できるだろう。
森だからね。
土筆の森。

まあ、「それ完全に木でしょう」と突っ込まずにはいられないけど。

現代の土筆はといえば、小さいのは仕方がないとしても、都会ではなかなか見付けられない。
というか、ほぼないというべきか。

子供の頃は、早春に川原に行けば幾らでも生えていたし、近所にもちらほらあった。
が、現在は、都会の生活圏で発見するのはほぼ不可能だし、わざわざ地方に採りに出向かないと手に入らない。
その上早い者勝ちなので、必ず手に入るというわけでもない。
実際、お店で売っているくらいだし。

それを考えると、母は現代に生まれるより、はるか古に生まれたほうが、幸せだったのではないかと思えてきた。

「土筆の目」なんかなくても、そこかしこに土筆があったのである。
太さ30cm、高さ10メートルの土筆が、森を成していたのである。

採り放題である。
食べ放題である。

ただし、陸上では昆虫と両生類が栄えていたようなはるか古代だ。
当然ニワトリはまだ誕生していない。

よって、卵とじはできないけどね。  

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2016年07月28日

当時は中辛だったけど、今だったら辛口か

一つ前の記事の続き。

一つ前の記事でUPした過去記事の本文、タイトルで、幼少の頃の好きな食べ物トップ3が、「ククレカレー」「シーチキン」「レトルトのハンバーグ」と書かれている。

シーチキンは今でも大好物。
まあ、当時のように、それだけで、ご飯を何杯でも貪り食べるようなことは、さすがにもうしないけど。

ククレカレー。
もう何年も食べていない。
一つ前の過去記事にある、妹から大量のレトルトカレーをもらった際に食べたのが最後かもしれない。

幼少の頃に比べると、質の高いレトルトカレーも増えたし、そしてそれを多く口にしてきたし、そもそもレトルトではないカレーを、自分の意志で食べることができるようになった。
大人なので。

なので、現在、ククレカレーに対して、美味しさという点では、特別な思いはない。
懐かしさはあるけど。

レトルトハンバーグも同様。
何年も食べていない。
食べたいとも思わない。
ハンバーグを食べるのであれば、きちんとしたハンバーグ、肉々しいハンバーグを食べたいし。

ククレカレーもレトルトハンバーグも、子供が好きな味付けになっているのだと思う。
実際、子供の頃、それらに目がなかったわけだし。

既に書いたが、どちらももう何年も食べていない。
今食べたら、また印象が違うかもしれない。

うーん、、、ちょっと食べたくなってきたかも。  

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2016年07月27日

残り二つは「シーチキン」と「レトルトのハンバーグ」(再)

様々な調味料で対抗しようとしたことまでは失念していたが、子供向けのレトルトカレーが、驚くぐらいカレーではなかったことは、とても強く印象に残っている。

この先、もう二度と口にすることはないだろう。

し、そうであって欲しいと願う。

--------------------
『残り二つは「シーチキン」と「レトルトのハンバーグ」』(2011/07/27)

昼に、子供向けのレトルトカレーを食した。
「仮面ライダーカレー」と「●●(ナントカ)レンジャーカレー」。

「仮面ライダーカレー」と「ナントカレンジャーカレー」がある理由。

それは以前、妹がプレゼントしてくれたから。
カレーを愛して止まない僕に、大量のレトルトカレーを。
様々な種類のカレーをいただき、非常に嬉しかった。

が、その中に入っていたのだ。
「仮面ライダーカレー」と「ナントカレンジャーカレー」が。
よくいえばユーモアだが、まあ、なかなかの悪ふざけである。

「仮面ライダーカレー」と「ナントカレンジャーカレー」を今日食べた理由。

それは、そろそろ賞味期限が気になり出したのと、愛すべき甥っ子が、まだ仮面ライダーやナントカレンジャーなどの戦隊ものに興味がある間に、おまけとして入っているシールをプレゼントしようと思ったため。

「仮面ライダーカレー」と「ナントカレンジャーカレー」を、一度に二つとも食べた理由。

それは、二つとも子供用なので、量が少ないだろうと思ったので。
この判断は正解で、二つでちょうどよいくらいだった。

では、味は。

の前に匂い。
開封した時点で、懐かしい香りがした。
子供の頃、とても「ククレカレー」が好きだったのを思い出した。
「ククレカレー(甘口)」の匂いがしたのだ。
今思うと、子供の頃の「好きなものトップ3」の中の一つだったと思う、「ククレカレー」。

で、味。

一口目で思った。
「やっぱりね」と。

あまりにも予想通りの味。

だが、準備も万端。
対応策も複数用意していた。
ブラックペッパー、塩コショウ、醤油、粉チーズなど。

果たして。

どれも試したが駄目だった。
組み合わせてもみたが。

別に不味いわけではない。
ただ、こども味なのだ。
どうやってもこども味が消えてくれないのだ。
こども味の主張が、かなりのものなのだ。
こども味が強いのだ。

僕は思った。

「やっぱ仮面ライダーとナントカレンジャーは強ええ」と。  

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2016年07月26日

「う」が付いてないし

一つ前の記事をUPした後に思ったこと。

昨年からだったか、今年からだったか、なまずの蒲焼きが話題になっている。

絶滅危惧種に指定され、数が激減しているうなぎ。
当然、価格も高騰。
そこで、近代まぐろで有名な近畿大学が、うなぎの代用とするべく、うなぎの味に近いなまずを開発。
その近代なまずが、現在、一部の量販店で販売されている。
価格も、うなぎよりはリーズナブルな設定になっているという。

食べてみたい。
一度食べてみたい。
どれほどうなぎっぽいのか、自分の舌で確かめてみたい。

が、どこにでも売っているわけではないらしい。
僕の知る限りでは、一部の大手量販店の、更に一部の店舗のみの販売らしい。
で、近頃は、その大手量販店に訪れる度、近代なまずの蒲焼きが販売されていないか確かめてはいるのだが、未だ出会えず。

食べてみたい。
一度食べてみたい。
どれほどうなぎっぽいのか、自分の舌で確かめてみたい。

で、もし、うなぎかなまずかわからないほどにうなぎならば、美味であるならば、かつリーズナブルであるならば、日常的にとはいわないまでも、より多く口にすることができると思うのである。

まだ口にもしていないし、価格も確かめていない。
が、今後、より需要と供給が増えれば、味もよりうなぎに近付きつつ、価格は安価になっていくだろうと予想される。
ぜひ、そうなっていただきたい。

そうなれば、将来的には、現在うなぎを口にする頻度より多く、日常的に食することができるようになるかもしれない。

ま、そうなったとしても、土用の丑の日ぐらいは、本物のうなぎを食べたいと思うけど。  

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2016年07月25日

平賀源内許すまじ 2011(再)

これまでは文句ばかり書いてきたが、近年は、何やかやいっても、平賀源内のおかげでうなぎを口にする大きなきっかけとなっているのは事実なので、恨み辛みよりも、感謝の念を抱くことのほうが多くなってきている。

今年は、今週末が土用の丑の日。

恨むことになるのか。
感謝することになるのか。

果たしてどうなることやら。

--------------------
『平賀源内許すまじ 2011』(2011/07/21)

本日、土用の丑の日。

この数年、毎年書いている(2010年2009年2008年2007年その1その2)ので詳細は省くが、土用の丑の日は、必ずしも「う」で始まるニョロニョロを食べる日ではない。
暑さで身体を壊さないため、「う」で始まる何かを食べればいいというのが、元々の風習だ。

それが、平賀源内のせいで。。。

タイトルを『平賀源内許すまじ』にするつもりだったのだが、2009年のタイトルが一字一句違わず同じだった。
僕の中の平賀源内への恨みは、相当に深いらしい。  

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2016年07月24日

酒気帯び更新(再)

パソコンにアルコールを感知する機能が搭載され、飲酒した状態ではblogの更新が不可となったら、頻繁に更新に穴が空いてしまうに違いない。

--------------------
『酒気帯び更新』(2011/07/20)

どうしても飲酒運転がなくならないので、アルコール検査をして、飲酒していたらエンジンがかからないという機能を車に付けるべきではないか、という議論が度々されている。

もし飲酒した上でのblogの更新が禁止されたとして、パソコンにアルコールを感知する機能が搭載されたとしたら、今の僕だったらblogの更新ができない。

何がいいたいかといえば、今日はもう寝るということである。

オヤスミナサイ。  

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2016年07月23日

大暑に思う 2016

既に日付が変わってしまったが、22日は大暑であった。

大暑。
確かに暑い。
が、ピークはこれからだ。
もっと暑くなるのだ。

しかも、今年は、地球規模では、観測史上一番の暑さになるのではないかといわれるらしい。
そして、国内も猛暑になるだろうといわれている。

大暑どころか、大大暑、超大暑、太暑といえるほどになるに違いない。

ちなみに、この三つの新たなネーミングの中では、大きいより更に大きいことを意味する「太」と字を用いた、太暑が一番気に入っている。

太暑。
読み方は、それぞれの心の中で決めていただきたい。

さて、冗談はさておき、梅雨も明け、夏本番となり、この先、厳しい暑さ、太暑が襲って来ると予想される。
この太暑を乗り切る鍵は、来週末の例の日に、例の「う」が付くにょろにょろを食べることができるか否かに、全てがかかっていると思うのである。  

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2016年07月22日

いくらでもやりようはある気がするのだが

一つ前の過去記事を読み直して、もう一つ思ったこと。

それは、セルフレジについて。
大手のスーパーマーケットや量販店を中心に、セルフレジを目にする機会が増えてきたと思う。
個人的に、時折利用することもある。
が、とある量販店のセルフレジについて、思うところがあるのである。
苦言を呈したいのである。

その大手量販店全体のセルフレジがそうなのか、僕が利用しているその店だけの問題なのかはわからないが、セルフレジといっておきながら、完全にセルフになっていないのだ。

その量販店では、買い物袋が有料。
これについては、今更とやかくいうつもりはない。
時代の流れもあるだろうし。

で、セルフレジを利用する際、マイバックを持参しておらず、その有料の袋が必要となった場合、画面上で袋の種類、枚数などを選択すると、店員さんがその袋を持って来るのである。
いともあっさり、セルフではなくなるのである。

その上、配置されている人員数にも問題があると思うのである。
そう、足りていないのである。

先日は特にひどかった。
セルフレジを担当している店員さんが一人。
有料袋を選択したのだが、その店員さんが、他のセルフレジでトラブルか何かあったらしく、そこからなかなか動かない。
袋を持って来てくれない。

セキュリティのためだか何かだと思うのだが、どうやら、利用中に一定時間が過ぎたら、エラーになってしまうようにできている様子。
僕が利用しているセルフレジが、エラー画面になってしまった。

ようやく店員さんが袋を持って来る。
が、エラー発生中。
一度戻って、それを解除するためらしいカードを持って来る。
エラーの解除。
レジは一からやり直し。

その間も、他のセルフレジのお客さんから、「こっちも早く」「早くしろっ」といった声が上がる始末。
店員さんが悪いわけではないだろうが、そりゃ文句をいわれても仕方がないよ、といった状況だった。

その日は特別ひどかったが、そうでないときも、多かれ少なかれ停滞が発生している感じがする。
結果、よっぽどの大行列でなければ、一般のレジを選ぶことのほうが多い。
レジ係の店員さんにレジ打ちしてもらったほうが早いし。

近年、よく目にしたり耳にしたりするようになった言葉、意見に、近い将来、多くの仕事、職業が、AIやロボットなど、コンピューターや機械に取って代わられるであろう、というものがある。

が、少なくとも2016年現在、セルフレジについては、まだまだ人間のほうが、一枚も二枚も上手のようである。  

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2016年07月21日

あるいは時候の挨拶とか(再)

以下の過去記事。
店名は書いていないし、もう何年も行っていないが、どこのことだかは記憶にある。
印象に残るぐらい、感じが悪かったので。

足を運ばなくなったのは偶然か。
はたまた必然か。

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『あるいは時候の挨拶とか』(2011/07/19)

時折訪れる量販店のレジの店員が、驚くくらい愛想がない。
いや、ないというか悪い。
愛想が。
非常に。

いわゆる激安店でお客も多く、レジも常に行列。
だからといって、愛想が悪くていいわけがないと思うのだが。

にこりともしないのはいうまでもなく、「いらっしゃいませ」も「ありがとうございました」もない。
常時むすっとした顔で、発する言葉といえば、小声で合計金額を告げるなどの二言三言。

別に笑顔を見せて欲しいわけでもないし、お礼をいって欲しいわけでもないけど、あまりの無愛想ぶりに唖然としてしまうほどである。

しかも、それが一人二人ではない。
いつ行っても、どの店員もそうだから驚くのである。
愛想悪くしろと、徹底した従業員教育が行われているのかもと疑いたくなるほどである。

昨今では、セルフレジと呼ばれる無人のレジがあるが、セルフレジのほうがよっぽど愛想がいい。
もしその店にセルフレジがあったら、僕だったら迷うことなくそちらを利用するだろう。

さてセルフレジ。
さすがにセルフレジは笑顔は見せないが、これだけ技術が進化した現代だ、そのうち愛想笑いくらいはするんじゃないかと思う。  

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2016年07月20日

CONGRATULATIONS NADESHIKO!(再)

基本的に、時事ネタ、特に、時折書いてしまうスポーツネタは、再放送(記事の再掲載・再利用)記事には採用しないようにしている。

が、以下の過去記事は感慨深かったので。

五年前はワールドカップ優勝。
その翌年、2012年はオリンピック銀メダル。
2015年のワールドカップでは準優勝。
さあ、いよいよ悲願の五輪で金メダルを、というところで、まさかのリオ五輪には、予選敗退で出場すらできないなんて、誰が想像しただろうか。

そんなリオ五輪も、もうじき開幕。
日本女子サッカー代表が出場しないのは残念ではあるが、男子サッカーもあれば、他にも様々な競技がある。
熱い戦いに期待したい。

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『CONGRATULATIONS NADESHIKO!』(2011/07/18)

今日、この日、このタイミングで、他に何を書くことがあろうか。

なでしこジャパン、優勝おめでとう!
澤選手、得点王、MVP受賞おめでとう!!
感動をありがとう!!!  

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2016年07月19日

コーヒー×2(再)

五年前にも少し書いているが、今でも街頭でポケットティッシュは配られているのだろうか。
僕があまり繁華街に行く機会がないので、目にしないだけだろうか。

ただ、個人的印象でいえば、皆無になったか、そうでないにしても、激減しているような気がする。
仮に、僕の印象が間違っていないとすれば、ポケットティッシュが配られなくなった理由は何だろうか。
やはり、広告効果が低かったのだろうか。

この先、僕が、もう一度、街頭で配られるポケットティッシュを手にする日が来るだろうか。
どうだろうか。

その日が来るか、否か。
少し楽しみになってきた。

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『コーヒー×2』(2011/07/16)

先日、とある量販店に行ったときの話。

買物をしたら福引の抽選券をもらった。
二回分。

特等の液晶テレビが当たったらどうしよう。
一台はあの部屋で使おう。
もう一台は、家族の誰かに高値で売ろう。

と、二台当てる気でガラガラ。

果たして。

僕の夢も、あっさりガラガラと崩れ落ちた。

で、参加賞。
またの名をはずれ。
景品は、ポケットティッシュ、ドリップバッグコーヒー、油取り紙、うまい棒。

それを見て思ったこと。
ポケットティッシュ以外に、コーヒーやうまい棒でいいのなら、ティッシュを配らずにコーヒーやうまい棒を配ればいいのに、と。

テッィシュ配り。
今でもあるのかわからないが、駅前や繁華街の街角で、広告入りのティッシュを配っているあれだ。

あれがコーヒーやうまい棒なら、きっと誰も拒否しないだろう。
それどころか、下手すれば群がりさえするだろう。

と、そんなことを考え、液晶テレビが当たらなかった悔しさを紛らわす僕であった。  

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2016年07月18日

梅雨明けに思う 2016

本日、僕の住む地域も含め複数の地域で、梅雨明けしたとみられるという発表があった。
平年より一日早いらしい。
平年より一日早い、本格的な夏到来である。

先日少し触れたが、ここ数日、体調を崩していた。
自己診断は食あたりなのだが、熱中症なのではないのかという指摘も受けた。

そういわれると、これまでももちろん暑いのは暑いと思っていたが、その暑さが、急に怖くなってきた。
冷房の効いていない部屋の暑さや、気が付くと汗をかいていることなどに、必要以上に恐怖を感じてしまうようになった。
もう、あんな辛い思いはしたくない、と。
トラウマというやつである。

今まであれば、窓を開け放ち風を入れ、扇風機を回していれば、快適といわないまでも、まあ過ごせないことはないという暑さでも、もし何かあったら嫌だし、冷房を入れるか、となってしまっている。

でも、これまでだったら、冷房は使っていないわけだ。
雨上がりだったり、日が落ちた後だったりすれば、冷房を使わずとも過ごし易い時間帯もあるはず。
なのに、常に冷房を稼働しているのは、何か負けた気がする。

電気代が損だ、といっているわけではない。
気持ちの問題である。

であれば、梅雨も明けたわけだし、この先、中途半端に過ごし易い日などなくたっていい、常に暑さマックスでいてくれていい、常に冷房を稼働させるので、などとも思ってしまう。

だが、そうなると、熱中症の被害者が増えることになるだろう。
僕自身の身体にも、いいわけもない。

だからといって、明らかに冷房が必要ないほど、過ごし易い日が続きますようにと望んでも、近年の夏もずっとそうである上、今年は特に暑くなるといわれているので、そんな望みは到底叶わないだろう。

ああだこうだいっても仕方がない。
体調を崩しては、元も子もない。
背に腹は代えられない。
暑いと思ったら冷房を使うし、水分補給も怠らないようにしたい。

以上、オチとかない。
笑い話になどできないのである。
もう、辛く苦しい思いはしたくないので。  

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2016年07月17日

絶対書くなといわれたけれど。。。(再)

絶対書くなといわれたけれど、、、書いたし、再放送(記事の再掲載・再利用)までしてしまった。

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『絶対書くなといわれたけれど。。。』(2011/07/14)

先日、母ととある施設へ行ったときの話。

車を屋内駐車場に進めたのだが、思いの外車が少なく、閑散としていた。
それを見た母が一言。

「何か寂しい感じやね。戦時中みたい」

お、お母さま。
あなたが本当に僕の母ならば、お生まれになったのは戦後ですよね。
戦時中のことなんか知らないですよね。

百歩譲って、何らかの理由があって戦時中に思いを馳せたのだとしても、ないですよ、戦時中に屋内駐車場は。。。  

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2016年07月16日

隊長は更生中

一つ前の記事の続き。

体調不良。
自己診断では食あたりなのではないかと思っているのだが、熱中症なのではという指摘も受けた。

食あたりや食中毒、もちろん熱中症も、これから先、特に注意が必要になる季節だ。

流行に敏感な僕なので、先取りしたということにしておこう。  

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2016年07月15日

隊長がヤンキーに

タイチョウフリョウノタメイッカイヤスミ。  

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2016年07月14日

いや、雷さま(再)

五年経った今でも、相変わらず母のことを書いている。
ので、梅雨が明け、僕が外出しようとしたら、また降るんでしょうよ、夕立が。

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『いや、雷さま』(2011/07/13)

梅雨が明けたと思ったら連日の夕立。
一天にわかにかき曇るという言葉そのままに、空が唐突に暗くなり、そして激しい雨。

昨日、今日ともに、正に僕が外出せんとするそのときに。。。

ああ、神さま。

僕が何か悪いことをしましたか?
blog記事の再放送(記事の再掲載・再利用)は罪ですか?
母のことをblogに書くのは悪いことなのですか?

この先、夕方に雨が降り出したら、「ああ、あいつがまた外出しようとしてるな」と思っていただきたい。  

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2016年07月13日

2017年の夏の始め頃の僕へ

毎年恒例の業務連絡。
が、今年から、新たな試みを二つ取り入れてみた。
詳細は、データの後にて。

今年2016年は、冷房の通常使用開始は7/4から。(福岡県福岡市の平均気温30.7℃、最高気温35.4℃、最低気温27.7℃)
なお、雨天で窓を開くことができないための使用、及び就寝時の使用開始は、6/18。(平均25.0℃、最高29.4℃、最低20.4℃)

2015年は7/10(大安)。(平均25.8℃、最高30.7℃、最低23.1℃)
2014年は7/8(大安)。(平均28.7℃、最高33.2℃、最低23.0℃)
2013年は7/3(大安)。(平均28.3℃、最高31.3℃、最低25.7℃)
2012年は7/5。(平均27.7℃、最高31.7℃、最低23.7℃)
2011年は6/22。(平均27.7℃、最高31.3℃、最低24.1℃)
2010年は7/11。(平均28.9℃、最高32.2℃、最低24.7℃)
2009年は7/11。(平均26.0℃、最高31.2℃、最低24.2℃)
2008年は7/7。(平均28.3℃、最高32.4℃、最低25.1℃)
2007年は7/11。(平均25.9℃、最高30.2℃、最低23.2℃)
2006年は7/7。(平均25.9℃、最高31.0℃、最低22.0℃)

新たな試み二つ。
一つ目。
使用開始日の、平均気温、最高気温、最低気温を記録として残すようにした。
ちなみに、福岡県福岡市のデータ。
過去のデータも記録されていたので、それも採用。

本当は、使用開始日の数日前分を記録できれば、より精度の高い参考データとなるのだろうが、とりあえず今回は、当日分のみとする。
これだけでも、これまでよりは、大きな参考になるのではないかと思う。

二つ目。
こちらは、かなり大きな改革。
冷房の通常開始日を記録するだけでなく、雨天のため窓を開くことができず仕方なく冷房を使用開始した日、就寝時の使用開始日を新たに設定。
今回はなかったが、今後は、来客のため使用開始した日、なども発生すると思われる。

過去の僕たちからすると、自分たちは、純粋に、冷房の使用開始日というただ一日だけで競ってきたのに、甘い、競技に対する冒涜だという意見もあるだろう。
大きな批判を浴びるであろうことは、重々覚悟の上である。

変えない勇気、変わらない勇気もあると思う。
それも、大事なことだ。

が、変える勇気だって、同じように大事なことだと思う。
安易な変化はよくないが、時代に応じた変化は、継続していくには不可欠だと思う。

過去の僕たちからの大きな批判は甘んじて受けるが、この先いつの日か、未来の僕たちから、2016年の僕の英断が高く評価される日が必ず来ると、僕は信じている。  

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2016年07月12日

くれぐれも宜しくお願い申し上げます 2016

一つ前の記事にも書いたように、一つ前の記事で、このblogも丸十一年。
本日から十二年目。

が、残念ながら、特別書くことはない。
十二年目、最初の記事にふさわしい記事を書けそうにはない。
十一年目最後の記事と同様に、である。

十一年目最後の記事である一つ前の冒頭でも少し触れたが、本当は、この節目のことを失念していたので、違うことを書こうとしていた。
そう、毎年、夏の始め頃に書く、いつものあれである。
で、そのために、過去のデータを確認しようとして、この節目について、気が付き、思い出したのである。

そして、もう一つ気が付いた。
昨年も、いつものあれは、この時期、しかも、実質十一年目の最初の記事としてUPされている。
今年も、次の記事で書こうと思うので、二年連続である。

で、更に思った。
この相変わらずな感じ、平常運行感、いつも通り感が、長く続ける秘訣なのだろう、と。
そう考えれば、いい傾向なのだろう、と。

というわけで、次の記事は、いつものあれです。
そして、今後も、引き続き相変わらずな感じの内容でblogを続けて参りますが、ご贔屓の程、何卒宜しくお願い申し上げます。  

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2016年07月11日

十一周年に思う

完全に失念していたのだが、別件で一年前の記事の確認作業をしていて、本日、七月十一日が、blogを始めて十一年目の最後の日だと気が付いた。
明日から十二年目。

もしこのことに気が付かなかったら、思い出さなかったら、いつものようにどうでもいいことを書いて、記事をUPしていただろうと思う。

が、完全に失念していたところ、ふいに今気が付いたので、十一年目の最後の記事なのだが、そのことについて、特別書くことが思い付かない。
なので、結果、この記事も、特別内容がないことには代わりがない。
平常運行。
いつもの通り、である。

が、むしろこのような感じだから、毎日更新しつつも十一年、続いてきたのではないかと思う。

この先、いつまで続くか、いつまで続けることができるかはわからないが、まあ、これからもこんな感じで。  

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2016年07月10日

でした

一つ前の記事の続き。

早速、母からいただいた、冷感素材のブランケットを使わせていただいた。
ブランケットを掛かり、実際に寝てみた。

果たして。

涼しかったです。
冷房が効いているので。  

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2016年07月09日

でしょうね

先日、母から、夏用のブランケットをいただいた。
しかも、ただのブランケットではなく、昨今よく目にするようになった、冷感素材のブランケット。
肌に触れるとひんやりとし、涼感が得られるというブランケット。

そして、母がそのブランケットをくださるとき、こうおしゃったのである。

冷房の効いた部屋で、そのブランケットを掛かって眠ると、涼しいらしいよ。
と。

冷房の効いた部屋、、、
涼しい、、、

でしょうね。
冷房が効いてるのだから。  

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2016年07月08日

ツギハスズシクナレルヤツヲヨロシク(再)

飲まずとも、十分過ぎるほどぽかぽかしてますよ。
この季節は。

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『ツギハスズシクナレルヤツヲヨロシク』(2011/07/12)

実家での話。

夕食後、母がお茶を出してくれた。
聞くと、テレビで紹介されていた特製のお茶だという。
非常に身体にいいのだという。

健康茶にありがちな「個性的な味」というわけでもない。
お茶として美味しく飲める。

と思いながら飲んでいると、母が一言。

「そのお茶飲むと身体が温まって、しばらく身体がぽかぽかするとよ」

お母さま。
そのようなものは、どうか冬に出していただきたい。  

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2016年07月07日

七夕に思う 2016

七夕。

先日、とあるショッピングモールのとある店の前に、小さな笹が飾られていた。
いや、正確には、笹は目にしていない。
何故なら、大量の短冊が結ばれ、笹の姿は全く見えないからである。

その場で、子供らが願いごとを書き、吊るしていいようにでもなっているのだろうか。
とんでもない量の短冊が吊るされていた。
短冊の塊になっていた。

一つ一つは薄っぺらな紙切れとはいえ、量が集まると話は別。
短冊塊の重みに、実際は見えないが、塊の中央にあるのだろうと思われる笹が耐え切れず、稲穂のようにというか、完全に頭を垂れていた。
床に着くのも時間の問題、といった感があった。

願いことが書かれた短冊が、ショッピングモールの床に着く。
最悪な事態だと、笹が完全にその役目を放棄し、全て床に落ちる。

何か、非常によくないことのように思ってしまうのは、僕だけだろうか。
おそらく、多くの純粋な願いごとが書かれているでだろう短冊が地に落ちるのは、純粋なるものへの冒涜感、不吉感を覚える。

まあ、間違いなく、誰かが代わりにblogを更新してくれますように、などとは書かれていないだろうし。  

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2016年07月06日

ホシニネガイヲ 2016

本来は、七夕当日に七夕ネタを書こうと思っていたのだが、本日は、まだ七月六日。
七夕には一日早い。

が、このように書いている。
正確には、タイトルを書き、今、この本文を書いている次第。
何の見通しもなく。

そう、特に何も書くことがないのである。

で、仕方なく、えいやっと、一日早い七夕ネタを書き始めたのである。
もういいやっ、といったほうが正しいか。

七夕といえば願いごと。
今の心境からすれば、今年の願いごとは当然こうなる。

blogのネタが浮かびますように。
それも、面白いのが。
毎日。

あ、それか、誰かが代わりに、更新してくれますように。
無償で。

そういえば、彦星と織姫は、七月七日以外は何やってるのだろうか。
大したことしていないのなら、僕の代わりにblogを更新してくれればいいのに。
二人で交代々々でもいいし。

ああ、じゃあ、わかった。
僕も入るので、三人で交代しながらでもいいし。  

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