2017年06月26日

致命傷

近所のとある飲食店の話。

その飲食店は、海鮮居酒屋といったところか。
小さなお店なのだが、店頭に大きなイカの看板を立てていたので、イカが売りなのだと思われる。

詳しく書くと長くなるし、特定もされてしまいそうなので、結論だけ書くが、少々怪しげで、全く入ってみたいと思えないお店だった。
もちろん、個人的印象である。
が、誰かが行ったという話も聞かないし、お客さんが出入りしているところを見たこともない。

数週間ほど前のことだったか、たまたまそのお店の前を通ったとき、看板だったか幟(のぼり)だったかの文字が目に入った。

店名を仮に「山田屋」とする。
その店名の「山田屋」が、縦長の看板に、横書きされていた。

そして、縦書きで、二つの料理名が書かれていた。
サバとイカの料理名だった。
正確には覚えていないのだが、仮に「サバの煮付け」と「イカのお造り」としよう。

看板に、左から、縦書きで「サバの煮付け」。
次に、やはり縦書きで「イカのお造り」。
そしてその右側に、横書きで「山田屋」。
というような配置。

その店の前を通り、その看板が目に入ったとき、まず認識したのは店名だった。
ただ、「ヤマダ屋」ではなかった。
僕の目に入り、認識した言葉は、「バカ山田屋」だったのである。

サバの「バ」の文字と、イカの「カ」の文字、そして店名の「山田屋」が、綺麗に並んでしまっているのである。
で、結果、「バカ山田屋」と読めてしまうのである。

普段、街で面白い光景などを目にしても、写真に撮ることも、撮ろうと思うこともほぼない。
が、そのときだけは、よっぽど写真に撮ろうかと思った。
面白かったというのもあるが、これを言葉だけで説明するのが難しそうだと思ったので。

が、やはり写真は撮らなかった。
で、こうして頑張って書いた次第。

が、が、この話はこれで終わらない。

ついつい先日、またもそのお店の前を通ったとき、「山田屋(仮名)」は閉まっていたのである。
休みという意味ではない、店がなくなっていたのである。

正直、とうとうというより、ようやくというか、やっぱりなという思いが強い。
別に驚きもない。

が、今となっては、もしかしたら、「バカ山田屋(仮名)」が、最後の一押しになってしまったのかもしれないとは思う。  

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2017年06月25日

TOTOの社名の由来(嘘雑学)

トイレ等の製造で国内トップのシェアを誇る会社、TOTO。
正確には、TOTO株式会社。

このTOTO(トートー)という社名の由来について。

TOTOをまず数字に直す。
10(とお)、10(とお)と。

次に、10と10を、10、1、0に分け直す。

で、「10(とお)、1(いち)、0(れい)」となり、「10(とお)、1(い)、0(れ)」となって、トイレとなるのである。

そう、「10(とお)、1(い)、0(れ)」が、「10(とお)、10(とお)」となり、社名のTOTO(トートー)となったのである。

嘘です。
嘘雑学です。
ここからは嘘なしで。

あるとき僕が思い付いた、真っ赤な嘘である。
正しくは、創業時の社名「東洋陶器(とうようとうき)」の略称が由来だとのこと。

それにしても、このことに気が付いたのはいつだったか。
十代後半だったか、二十代前半だったか。

いつだったかは定かではないが、すごいことに気が付いたと、勇んでいろいろな人に話したのだが、全く相手にされなかったことは記憶にある。

改めて、また誰かに話してみるか。

まあ、また相手にされないのだろうけど。  

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2017年06月24日

約69億人(再)

近頃はあまりテレビを見ないし、見たとしても偏っているので、僕が目にしていないだけかもしれない。

それに、テレビに出ることが全てでもないであろう。
また別のところで、ご活躍なのかもしれない。

かもしれないが、少なくとも、僕は目にしてない。
名前を聞くこともない気がする。

まあ、正直、興味はないので、どうでもいいのだが。

が、一つだけ興味のあることがある。
それは、母が、彼女の名前を憶えているか否か。

「しばらく前に、よくテレビに出ていた女性で、何とか玲奈っておったよね。変わった名字の。何玲奈だか覚えてる?」と母に訊いてみたい。

まあ、正直、訊くまでもないとは思うのだが。

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『約69億人』(2012/06/20)

珍しく時事ネタ。
特に書くことが浮かばないし、再放送(記事の再掲載・再利用)よりはいいかと思って。

ただ、正確には、「結果、時事ネタになったね」といった感じかも。
「ああ、そんな人いたね」と、数年後になりそうな気がしないでもないので。

さて、本題。
実家での話。

TVを見ていたら、出演しているタレントを見て母が一言。

「この人の名字、変わってるね」

その名も、トリンドル玲奈。

変わっているか変わっていないかといわれれば、変わっていないとはいい切れない。
が、それを変わっているといってしまったら、世界中にいるほとんどの人の名字が変わっているといえよう。

というか、名字って。。。
いや、名字には違いないけど。。。  

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2017年06月23日

夏至に思う 2017 その3

一つ前の記事で、夏至を迎えると冬を思って憂鬱になってしまうが、実際にはこれからが夏本番、と書いた。

そう、梅雨が明ければ夏本番。
が、暑いという点でいえば、既に十分に暑い日だってある。

で、気になるのはあれである。
そう、冷房をいつから使い始めるか、である。

で、で、確かめてみた。
そう、昨年の僕からのメッセージを。

すっかり忘れていたのだが、昨年から新たな試みを二つ行っていたことを、読み直して思い出した。

一つ目は、使用開始日の、平均気温、最高気温、最低気温を記録として残すようにしてある。
ちゃんと確かめたら、心が大きく揺らぎそうなので確かめてはいないが、これまでのデータを見る限り、現状、もう冷房を使い始めてもおかしくない気温のような気がするのだが。

が、これまでの過去の僕を踏襲するのであれば、まだ十日ぐらい先か。
、、、耐えられるだろうか。

二つ目は、とても大きな改革。
冷房の通常開始日を記録するだけでなく、雨天のため窓を開くことができず仕方なく冷房を使用開始した日、就寝時の使用開始日を新たに設定するようにしてある。

雨天、あるいは就寝時使用開始日でいえば、昨年は6/18だ。
となれば、就寝時などは、いつから使い始めても問題ないともいえる。
あとは、雨天時も。

週末から雨の予報。
来週はずっと雨の様子。

よし、フィルターの掃除でもしておくか。  

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2017年06月22日

夏至に思う 2017 その2

ここ数年、夏至の度に書いているし、それ以前に、普段も頻繁に書いているので、一つ前の記事では簡潔にまとめたが、要は、冬が嫌いで嫌いで、憎くて憎くて仕方がない、ということである。

一つ前の記事で書いたように、夏至を迎えると、むしろ冬を感じて憂鬱になるのだが、現実には、これからが夏本番である。

が、更なる現実はといえば、夏本番の前に、梅雨である。
現在進行形なのは、梅雨なのである。

が、が、梅雨だというのに雨が少ない。
というか、降らない。
現時点まででいえば、確実に空梅雨だといえるだろう。

正直、雨が降るよりは降らないほうがいいのは確かだが、降るべきときにあまりに降らないと、それはそれで心配になる。
雨が降らないと、困る方々もいることだろうし。
渇水になれば、自分たちだって困るし。

予報を見ると、来週はずっと雨となっている。
そこで、渇水などにならない程度に降ってくれるといいのだが。

とか何とか殊勝なことをいっておきながら、雨が続いたら続いたで、文句をいうのだろうけど。  

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2017年06月21日

夏至に思う 2017

夏至。

ここ数年、書いていることはほぼ同じ。
同じことしか思わないのだから、仕方がない。
当然の帰結なのである。

夏至は物悲しい。
この日を境に、一日一日と日が短くなっていくのだから。
この日を境に、冬に近付いていくのだから。

相変わらず面倒臭い奴だと思われるかもしれないが、本当にそう思うのだから仕方がない。
自分自身が一番面倒臭いと思っていてもなお、そう思うのだから仕方がない。  

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2017年06月20日

乱暴な言葉を使用したことをお詫びいたします

今年初、蚊に刺された。
日本の蚊死ね。

先日、日曜日のこと。
蚊に刺された。
今年初。
しかも三箇所。
しかも車中で。
藪に立ち入ったとかであればまだしも、車中で。

で、そのとき思ってしまったのである。
頭に浮かんでしまったのである。
冒頭の言葉が。

蚊だって、生きるため、子孫を残すためにやっていることで、「死ね」はいい過ぎかもしれない。
と、理屈ではわかってはいるのだが、痒いのだけは何とかして欲しい。

病気を媒介してしまうので、どちらにしても、蚊の吸血を許すことはできない。
が、仮にそのことを置いておいたとして、あるいは絶対に病気を媒介しないのであれば、少々血を吸うぐらい許してあげたいところだが、如何せん痒くなるのが問題だ。
何故、わざわざ、痒み成分を置いていくのか。

もしかして、お礼のつもりか。
だとすれば、全く逆効果だ。
もっとお礼足るにふさわしい物にすればいいのに。

蚊の活動時期は、主に夏。
夏ギフトといえばお中元。
多くのお店にお中元のカタログやパンフレットが置いてあるので、それらを参考にするとかはどうだろうか。  

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2017年06月19日

だから不可能だって(再)

一つ前でUPした過去記事には続きがあった。
以下が、その続きの過去記事。

幽体離脱について、一つ前の記事で書いた以上に、もっと真剣に考察している。
幽体離脱時の本体問題や、忘れものを持って戻ることができるだろうか問題など。

が、ふと思った。

幽体離脱を会得し、更にそれら二つの問題を解決するのと、外出時の諸々の確認を一度で確実に行い、忘れものもしないようにするのと、果たしてどちらが難易度が高いだろうか。

まずは、その点から、しっかりと考察するべきかもしれない。

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『だから不可能だって』(2012/06/18)

一つ前の記事をUPした後に思ったこと。

幽体離脱ができるのであれば、指差し確認をしている自分自身を指差し確認できるのはもちろんのこと、玄関を施錠後、それでもやはり気になったときに、幽体だけ部屋の中に戻り、戸締り確認をできるではないか、と。

それが可能であれば、外出先でだって再確認ができる。
でも、どれくらいの距離を移動可能なのだろうか。

それと、幽体が離脱している間、本体のほうはどうなるのだろうか。
動けなくなってしまうのだろうか。

動けなくなってしまうのであれば、そもそものアイデアである、施錠や火の元を指差し確認している僕自身を指差し確認、は不可能だということか。

であったとしても、玄関の施錠後、幽体だけが戻って再確認は可能だろうし、車に乗って出発する前、駐車場から部屋の中に戻るくらいならいけるだろう。
駐車場に停めてある車の中であれば、本体が動けなくなっても大きな問題はなさそうだし、距離的にも大丈夫だろう、きっと。

よし、今後はそれでいこう、と一瞬は思ったのだが、ここで問題が発生。
アイデアに不備が発覚。

施錠、火の元の確認に二度三度と部屋に戻るのが日常茶飯事なのだが、その際、食後のデザートを食べるくらいの頻度で、忘れものに気が付くのである。
ちなみに、その内の何度かに一度は、それを持って出ること自体が外出の主目的だったりもする。(以下に参照記事あり)

もし、幽体が忘れものに気が付いたら、幽体はそれを持って戻ってこれるだろうか。

きっと、無理だろうと思う。
玄関の鍵は閉まっているわけだし。
幽体はすり抜けられても、忘れものはそうはいかないだろうし。
百歩譲ってそこをクリアできても、本体が待つ駐車場まで、忘れものがふわふわと移動しているのを誰かに見られたら大問題だろう。

残念無念。
非常にいいアイデアで、全てが解決すると思ったのに。

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『呼ばれたんだよ』(2008/02/19)

つい先日の話。

母に渡さなければならないものがあり、実家に行くことに。
部屋を出て、玄関の鍵をかけながら、いつものように戸締りや火の元のことが気になって仕方がなくなった。

以前にも書いたが、僕は戸締りや火の元の確認に病的に神経質で、外出の際は、実際に出発するまで、何度も部屋を出たり入ったりする始末。

結局その日も、もう一度部屋に入って確認することにした。
たかだか数十秒の作業を怠って、後で大きな後悔をしたくないから。
部屋を出た後、ずっと気になったままなのも嫌だし。

で、部屋に入って戸締りと火の元を確認。
案の定ではあったが、何の問題もなし。

その代わり、テーブルの上に、母に渡すべきものが置いてあった。

だいたいいつもこんな感じ。  

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2017年06月18日

論理的にはその通りだけど、物理的には不可能(再)

現在も、何も変わっていない。
夏に暖房、冬に冷房の確認をするのも、もはや通常業務である。

幽体離脱したもう一人の僕が、指差し確認をしている僕を指差し確認する二重チェック案も、悪くないかもしれないが、幽体離脱しようが僕は僕。
それほど信用はできない。
結果、どちらにせよ、また部屋に戻って、諸々確認することになるような気がする。

であれば、最初から、ノーマル僕と幽体離脱僕の二人体制で、諸々の確認を行ったほうが、効率がいいような気がするのだが、どうだろうか。

それでも、施錠後再度部屋に戻っての確認も、どうせするような気はする。
結果、四重確認。
これだけすれば、そうそう間違いも起きないだろう。

まあ、外出の度、幽体離脱していること自体が、人として間違いではないのかという問題は残るけど。

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『論理的にはその通りだけど、物理的には不可能』(2012/06/17)

一つ前の過去記事にも書いたように、僕は、戸締りに非常に神経質だ。

ちなみに、戸締りだけではなく、銀行のATMを利用の際も、僕の慎重さは格別だ。
ATMを離れる際、忘れものがないかを確かめるために、必ず指差し確認している。
必ず。
いつも、銀行の防犯カメラに写っているだろうな、と思いながら指差し確認しているのである。

さて、ここからが本題。

戸締りの際神経質になるのが、今更直るわけがない。
ので、日々、相変わらずである。
であればまだいいが、この頃、更に度が増してきているのだ。

鍵をかけてはまた開けて、部屋の中に戻って再確認(もちろん指差し確認)は、相変わらずの当たり前。
それに加えて近頃では、暖房の確認までしているのだ。

鍵をかける。
気になる。
開ける。
部屋の中に戻る。
窓等の施錠を再確認。
火の元の再確認。
ここで気になる。
暖房のことが。
気になったものは仕方がない。
確認する。
暖房の電源を。

六月にである。
初夏を迎え、梅雨に入ったこの季節にである。

わかっている。
頭の中では。
実際、暖房の電源を確認しながら、「電源が入っているわけないじゃん。六月だぜ。入っているなら、室温でわかるはずだろ。というか、もし電源が入っていたら、いつから? いつから入りっ放し。どんだけの光熱費になると思っているの? むしろ、そっちのほうが問題では?」という心の声が、頭の中でいつもこだましているのである。

もちろん、一度だって、暖房の電源が入っていたことはない。
入っているはずがないのである。

今まで程度であれば、ぎりぎり、慎重、堅実、非常に用心深い、といえなくもない。(あくまでもぎりぎり)

しかし、今は違う。
一線を越えてしまっている。
度が過ぎる。
病的に神経質、病状は切実、非常に問題の根は深い、といわれも仕方がない。

このまま病状が進行したら、一日の大半は、何かを確かめることに時間を費やしてしまいそうで、今から非常に不安である。

できることならば、部屋を出る前に一度目の指差し確認をしている僕を、幽体離脱したもう一人の僕が指差し確認をするという、二重チェックができればいいのにと思う。
そうしたら、一度で済むので。  

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2017年06月17日

か、せめて美味しくなくないものを(再)

美味しくないといわれて、ではいただきますという人がいるだろうか。

あるいは、もしかして、これもまた嫌がらせなのだろうか。

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『か、せめて美味しくなくないものを』(2012/06/13)

実家に行ったとき、よく母からいわれる言葉。

「●●作ったけど持って帰る? 美味しくないけど」

愚問とは、この母の質問のことを表す言葉として、神さまが用意しておいた言葉なのかもしれない。
とさえ思うほどの愚問。

お母さま。
これから先も、美味しいものだけを、どうぞ宜しくお願いいたします。  

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2017年06月16日

勧進帳ではないよな

先日、夜、二十二時頃だったか、近所を歩いていたときのこと。

塾帰りらしき少年たちとすれ違った。
時間からして、小学生ということはないと思うので、中学生だろうか。

少し離れているので、話している内容までは聞こえないのだが、この言葉だけは聞こえた。
カンジチョウが云々、という話をしている様子。

今どきの中学生は、政治の話とかも珍しくないのか。
まあ、こんな遅い時間まで塾で勉強しているような中学生なら、さもありなんか。
などと、思った。

そう、カンジチョウを幹事長だと思ったのである。
どこぞの政党の話でもしていると思ったのである。

が、すれ違いざま、もう少しだけはっきりと内容が耳に届いた。
カンジチョウを何ページがどうとかこうとか話している。

カンジチョウ。
ページ。
そう、幹事長ではなく、漢字帳だったのだと思われる。
というか、間違いないか。

ただ、中学生で漢字帳って。
やはり、小学生だったか。

どちらにしたって、幹事長はないか。
だよな。  

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2017年06月15日

手抜きについての考察 2017

一つ前の記事でUPした過去記事を読んで思ったこと。

かなり前から、再放送(記事の再掲載・再利用)記事ばかりでは駄目だよな、とは思っていた。
で、しばらく前に、「嘘雑学」という手抜き記事を思い付いた。

で、で、これまでにいくつかは書いた。
個人的に、嫌いではないので、これからも書いていきたいとは思っている。

が、手抜き記事の一種のつもりだったのが、全然手抜きにはならなかった。
何より、ネタがなかなか思い浮かばない。。。

「再放送」ばかりにならないようにという目的で始めた「嘘雑学」だったのに、あまりその目的を果たせていない気がする。
で、で、で、ついつい「再放送」に頼りがち。

策士策に溺れるとは、こういうことをいうのだろうか。

、、、、、、、、、違うか。

というよりは、「再放送」という手抜きに溺れる、「再放送」というぬるま湯に溺れる、いや、どっぷり肩まで浸かっている、といったほうが正しいか。  

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2017年06月14日

実は前置き 他(再)

以下の過去記事を読んで思ったこと。
『手抜きについての考察 2017』とでもいおうか。

と思ったら、時間がない。
テーマも「手抜き」だし、この記事も手抜きでいいか。

というわけで、次の記事で書きます。

ああ、一応書いておくと、大したことは書きません。
単に、手抜きについての考察なので。

-------------------
『実は前置き』(2012/06/11)

つい先日、過去記事を読み直していて思ったこと。

それは、、、あ、時間がない。

時間がないのは仕方がない。
仕方がないものは仕方がない。

というわけで、続きは次の記事で。。。

-------------------
『そして本題』(2012/06/12)

一つ前の記事の続き。
過去記事を読み直していて思ったこと。

それは、まさに一つ前の記事に書いたこと。
一つ前に書いた内容こそが前置き。

というのも、以前はよく一つ前の記事のように、時間がないといういい訳をして、次の記事へ本題を書くという手抜きをしていた。
コンスタントに。

が、最近はほとんどしなくなった。
おそらく、ある時点を境に、全くしていないような気がする。

ある時点。
それは、禁断の果実「再放送(記事の再掲載・再利用)」に手を出したとき。

そう、もっと魅力的で、魅惑的で、甘美な、「再放送」という名の手抜きに気が付いてしまったのだ、僕は。

以上。
二記事を使っての、「手抜きについての考察」という名の手抜きでした。  

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2017年06月13日

えろー勝手なこと書いてごめん記事

この週末、降りそうな雰囲気はあったが、雨らしい雨は降らなかった。

梅雨入りが発表された後、いやいや、正確には、梅雨入りしたとみられるとの発表後、しばらく雨が降らなくなるのは、もはや毎年のことのような気がする。
もう、そこまで含めて、梅雨なのかもしれない。
発表されたらしばらく降らないのも、梅雨の定義の一つなのかも。

ここで、つゆはつゆでも、梅雨とは違うつゆの話。
麺つゆの話である。

とあるメーカーの商品に、「えろーうもおてごめんつゆ」という麺つゆがある。
博多弁で、とても美味しくてごめんという意の商品名である。

そういう名前の麺つゆがあることを思い出して、思い付いたことがある。

日本には、天気、気象、季節の機微を表す言葉が多くあると思う。
梅雨にしても、走り梅雨、迎え梅雨、梅雨寒、戻り梅雨、空梅雨等々の言葉がある。

ならば、もう一つ、梅雨に関する言葉を提案したい。
追加していただきたい。

それは、「梅雨入りしたとみられる」だったり、「●●日頃に」という表現だったり、いざ発表するも、発表するや否や、しばらく雨が降らなくなってしまうところだったりを受けて、「えろー曖昧でごめん梅雨」という梅雨の別名。

発表に関わる方々からすれば、梅雨入り日が間違っていたからといって、誰かに迷惑を掛けているわけでもなし、発表しようがしまいが、自然現象として必ず発生するであろうのに、何故謝らなければならないか、と思われることでしょうが。  

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2017年06月12日

入梅に思う 2012(再)

以下の過去記事は、五年前の入梅の頃の記事。
梅雨とつゆ(麺つゆ)が、ああだこうだと書いてある。

で、ふと思い付いたことがある。

が、ここでは書かない。
時間がないから。
そして、思い付いたネタがもったいないから。

ええ、ええ、手抜きです。
次の記事で書くのです。

今回は、えろーう手抜きでごめん記事、なのである。

-------------------
『入梅に思う 2012』(2012/06/09)

既に日付は変わったが、本日六月八日に、僕の住む九州北部が梅雨入りしたらしい。

「らしい」というのは、気象庁は、「宣言」などしない、あくまでも発表、あくまでも推定、違っていたら後で変える、というスタンスだから。

そうはいっても、一応は梅雨入り。
というわけで、梅雨入りをネタに、何か一つ面白いことをと思ったが、特別何も浮かばない。

と、ここで気が付いたのだが、一つ前の記事が、他でもない「つゆ」の話だ。
麺つゆだけど。

日付こそ梅雨入り日だけど、僕は、何であと一日、麺つゆの話を書くのを我慢できなかったのだろうか。
たった一日我慢できていれば、つゆと梅雨をかけて、いくらでも話が膨らませたのに。

だいたい、数日前の九州南部が梅雨入りしたのはわかっていたのだから、もう少し待てば九州北部も梅雨入り、だから、麺つゆの話はそのタイミングで、と何故そう思わなかったのだろうか。
自分の迂闊さに腹が立つ。
非常に悔しい。

雨が降ったら、それは梅雨前線によるものではなく、僕の悔し涙だと思っていただきたい。  

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2017年06月11日

一つ196円(再)

五年経って読み直しても、やはり釈然としない。
どうして同じ値段なのか。

今でも同様だろうか。
今度、確かめてみるか。

もし、今でもそうであるのなら、いい機会なので、二つとも買って、味を比べてみるか。
確か、今ある麺つゆの残りが、少なくなっていたはずだし。

今でも同じ価格なら、392円か。
、、、、、、、、、迷うな。

だって、二つもいらないし。

-------------------
『一つ196円』(2012/06/08)

母から麺つゆを買ってきてと頼まれた。
いざスーパー、麺つゆ売り場へ。
意外と多い種類の中から一つ選ぶ。

と思ったのだが、よく見ると、僕が選んだ麺つゆは二種類あった。
手に取って確かめると、「二倍濃縮」と「ストレート」の二つ。
驚いたことに、値段はどちらも同じ。

どう考えても、「二倍濃縮」タイプのほうがお得だ。
二倍多く使えるのだから。
なのに、どうして同じ値段なのだろうか?

「ストレート」のメリットは、薄める手間がいらないということくらいしか思い付かない。
それとも、実は「ストレート」のほうが美味しいのだろうか?

あるいは、もしかしたら、スーパーとメーカーの罠?
「二倍濃縮」と勘違いさせて「ストレート」を買わせ、利益を増やそうとしている?

それともそれとも、どちらを買うかで、家計のレベルを確かめようとしてる?
金持ちチェッカー or 貧乏人チェッカー?

スーパーの麺つゆ売り場の前で、独り立ちすくむ僕。
いくら考えても、値段が同じ理由がわからない。

二つとも買いたい、味を比べてみたい。

そんな衝動を抑えて、僕は、「二倍濃縮」を手に取ってレジへ。

レジのおばさんが鼻で笑ったような気がしたが、あれは気のせいだったのだろうか。
貧乏チェッカーに引っかかったのだろうか。

いつかお金持ちになって、必ずこの麺つゆを二つとも買ってやる、味を比べてやる。
レジでうつむきながら、僕はそう誓ったのだった。  

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2017年06月10日

だいたい、先に答えてしまうこと自体に問題あり(再)

最後の一行に書かれていることが、全てだと思う。
彼女らが「わかった」といったときに、わかっていたためしはほとんどないのである。

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『だいたい、先に答えてしまうこと自体に問題あり』(2012/06/06)

愛すべき甥っ子の話。

二つ前の記事にも書いたように、甥っ子に会うと問題を出してとせがまれる。

日々賢くなっていく甥っ子は、簡単な問題を出すとあっさり答えてしまうので、先日、新たな試みを行ってみた。
英語掛け算を。

スリーかけるファイブは?

みたいな感じ。

九九は余裕。
英語も、1から10までは何とか大丈夫な甥っ子。
しかし、それらが組み合わされると、一筋縄ではいかない様子。
これで、しばらくは、次から次に問題を考える苦労からは解放されそうである。

そんな中、先日、家族が全員集まっているときに、問題を出してと頼まれたので、英語掛け算を出題した。

「ツーかけるフォーは?」と。

すると、横で聞いていた母が口を開いた。

「あ、私わかった。ツーバイフォー」。

2×4。
ツーバイフォー。
完全に違うとまではいわないけど、それって建築工法のことですよね。
建築なぞなぞじゃないんだから、それが答えってことないですよね。
甥っ子に出した問題なんですから。
お母さま。

ツーバイフォーの母。
一つ前の記事の妹。
その他、過去記事を探せばいくらでも同じことが書いてありそうだが、彼女らが「わかった」といったときに、わかっていたためしはほとんどない。  

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2017年06月09日

これまでの人生で、一度も描いたことはないけど。。。(再)

五年経った現在でも、描いていない。
ダニの絵をである。

きっと、この先も、描くことはないだろうと思う。

-------------------
『これまでの人生で、一度も描いたことはないけど。。。』(2012/06/05)

愛すべき姪っ子の話。

先日、姪っ子に、絵を描いて遊んであげた。
定番のアンパンマンやドラえもん、動物の絵を描いたりして、「これな〜んだ?」といった感じ。

そんな中、ふと、姪っ子の似顔絵を描こうと思い立った。
別に似顔絵が得意というわけでもない。
ただ、描いてみたくなっただけなのだが。

姪っ子の顔を見ながら、輪郭を描き、髪の毛を描いてみたところで、今まですぐ横にいて、何も口を挟まなかった妹が突然口を開いた。

「あ、それ、ダニでしょ? ダニ、ダニ、それ、ダニ」

い、妹よ。
愛すべき我が娘の似顔絵を、途中とはいえ、いうに事欠いてダニとは。。。
しかも、連呼。。。

もちろん、姪っ子の顔は完成せず。
ダニといわれて、誰が続きを描くことができようか。

しかし、今となっては、素知らぬ顔をして描き続け、ダニの絵を完成させたほうが、兄として、伯父として正しい行動だったのではないかと、自問自答し続けているところである。  

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2017年06月08日

長靴の国(再)

五年経った現在、同じ問題を愛すべき甥っ子に出したら、どういう結果になるだろうか。

きっと、あっさり正解するとは思う。
そう、信じている。

が、もし、また、「タン」が出てきたらどうしようか。。。

五年前だから笑えたが、今だと、全く笑えないと思う。
笑えないどころか、不安になると思う、きっと。

と考えると、安易にもう一度出題するのは、正直、少々躊躇われる。
どうしようか。

-------------------
『長靴の国』(2012/06/04)

愛すべき甥っ子の話。

会うと必ずのように、「問題出して!」といわれる。
なので、なぞなぞ、クイズ、あるいは算数の問題などを出してあげる。

先日は、「世界の国名十個いってみて」という問題を出した。
順調に正解を重ねる甥っ子。
あっさりと九ヶ国の名前を挙げた。

が、しかし、最後の一つがなかなか出てこない。
しばらく悩んだ末に、甥っ子が十個目の名前を口にした。

「うーん、うーん、うーーーん、、、、、ナポリタン?」

うーーーーーん、ごめん、正解とはいってあげられない。
とある国が、頭に浮かびはするんだけどね。

「タン」があるからね。
「タン」がなければ都市名だから、三角をあげられるんだけどね。
「タン」付いちゃってるからね。

それ、食べものだからね。  

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2017年06月07日

入梅に思う 2017 その2

一つ前の記事をUPした後に思ったこと。
より正確には、思い出したこと。

梅雨入りが発表される前日、日付としては一昨日のこと。
朝、たまたま目にしたテレビ番組の天気コーナーで、いわゆるお天気お姉さんが、以下のようなことをいったのである。

今日は晴れ。
快晴。
今日が、梅雨入り前の最後の晴れの日となるでしょう。
というようなことを。

僕は思ったのである。
いつ梅雨入りするかわからないのに、「最後の晴れの日」っていい切っているけど、どうなるかはわからないではないか、と。

結果、その翌日である六日に梅雨入りの発表。
いう通りにはなったのである。

が、一つ前の記事でも書いたように、僕は、あくまでも個人的にではあるが、梅雨入りしたとみられるという発表に釈然としていない。
もやもやさを感じている。

ただでさえもやもやしていたのに、お天気お姉さんのもやもや予報が一応はその通りになったことで、今、更にもやもやを募らせているところである。  

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2017年06月06日

入梅に思う 2017

本日、六日に、僕の住む地域も含めていくつかの地域で、梅雨入りしたとみられるとの発表があった。

このところは、毎年のように書いている気もするが、梅雨入りについての発表は曖昧。
梅雨入りしたと「みられる」という表現。
数ヶ月後、場合によっては、修正されたりする点。
公式記録でも「頃」と付される点。
など。

で、発表されたはいいが、その曖昧さが、やはり気になる。
今年も気になる。
というか、今年は特に気になる。

というのも、確かに雨は降ったが、まだ、梅雨っぽい感じがしないのである。
これは、あくまでも個人的印象なので上手く表現できないのだが、雰囲気、空気感がだろうか、まだ梅雨のような気がしないのである。

向こう十日の予報を見ても、雨と晴れで半々の予報。
本当に今日を、梅雨入りとしたのは正解だったのだろうか。
勇み足ではないのか。
などとも思う。

僕の住む地域の、梅雨入りの平年は六月五日(頃)。

「平年も過ぎてるし、実際雨も降ってるし、違ってたら後で変えられるんだし、もー、今日が梅雨入りでよくねー? いや、まじよくねー?」てな感じで、梅雨入りだと決められてしまったのではないかとさえ思ってしまうのだが、僕の邪推だろうか。

個人的印象だが、世の中が、まだ梅雨特有の空気にはなっていない。
が、梅雨入りの発表についてだけは、まるで梅雨時期、雨の降る日の空気感にも似た、もやもやさを感じてしまうのである。  

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2017年06月05日

見習うためにも購入?

一つ前の記事をUPした後に思ったこと、二つ。

一つ目。
五年前に購入した折りたたみ傘を、三十回程度しか使用していないと思われる。
だいたい60日に一回。

一つ前の記事で、何とも思っていないと書いた。
ええ、本当に何とも思っていないです。

何とも思っていないけど、折りたたみ傘の使用頻度として、実際のところ、どうなのだろうか。
多いということはないだろう。
やはり、少ないのだろうか。
それとも、妥当な数なのだろうか。

いえいえ、何とも思っていないです。
もしかしたら、わざわざ買う必要なかったかもなどとは、微塵も思っていないです。

二つ目。
折りたたみではない普通の傘を、しばらく前にいただいた。
数ヶ月前だったか。
より正確には、いただいたギフトカタログで、傘を選んだのである。

で、思ったのである。
この先、僕が次に傘を買うのは、いつのことになるだろうか。
というか、この先傘を買うことがあるだろうか。
と。

五年前の記事では、安価なビニール傘、折りたたみ傘なら何度か買ったことがあると書いたが、それでも数える程度なのである。
この先、ビニール傘を含めても、傘を買う可能性は、非常に低い気がするのである。

と、思っていた。
ついつい先日まで。

というのも、ついつい先日、二、三日前のことだったと思うが、気になる傘を目にしてしまったのである。

しばらく前に、傘は大して進化していない、そんな中、夢のような傘を思い付いた、ドローン傘、という内容の記事を書いた。

が、ドローン傘ほどではないのだが、今までの傘とは、一線を画すといってもいい傘があることを知ったのである。

その傘を言葉で説明するのは難しいのだが、一言でいうと、普通の傘とは逆に閉じるのである。
傘を差したときの上の面、濡れる側が内側に、濡れていない面が外側になるように閉じるのである。
そうなることで、使った後に傘を閉じても、混んだ電車の中などでも、自分も周りの人も濡らしてしまわないのである。

また、もう一つの機能として、閉じた状態で、傘が自立するようにもできているのである。

その傘のことを知ってから、とても気になっているのである。
もう少ししたら、梅雨も来ることだし。

だけどなー、僕、人より傘を使う機会が少ないからなー。
折りたたみ傘は、二ヶ月に一度ぐらいしか必要ないしなー。
それに、濡れた傘で自分や他人が濡れることを気にしなくてはいけない場面も想像できないしー。
自立したら便利そうだというシチュエーションも思い浮かばないしー。

ちょっとした買い物、それほどの額ではない買い物ですら、購入前に必要以上に、必要以上に異常に悩むのが、僕のちょっとした悪い癖である。
その上、買った後に、五年も経ってうだうだいったりもしている。

傘だって自立する時代である。
ちょっとした買い物で、必要以上に思い悩まない、買ってしまった後にいつまでもうだうだいわない、恥ずかしくない立派な大人として僕自身が自立するのが、何よりも先決なような気がしてきた。  

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2017年06月04日

きっと、持たずに外出したときに限って降るに決まっている(再)

以下の過去記事にある、僕が初めて買ったそれなりの傘。
折りたたみ傘。
この五年間で、何度使っただろうか。

十回使っただろうか。
使っていないかもしれない。
最大使っていたとしても、二十回は使っていないと思う。
実際に差してはいないが、降るかもしれないと思って持って出た回数は、計三十回程度だろうか。

折りたたみ傘なので、差しはしなくても、降るかもしれないと持って出るだけで、その機能は十分に果たしていると思う。
価値はあると思う。

と考えると、購入後の使用回数は、三十回程度といったところか。

五年で三十回。
五年で三十回。
五年で三十回。

いやいや、だからどうというわけではない。
電化製品やハイテク機器と違って、傘なんてものは、そうそう簡単に陳腐になるものでもないし、この先まだまだ使うのだから。
問題なく使えるのだから。

五年で三十回。
五年で三十回。
五年で三十回。
1826日で三十回。
だいたい60日に一回。
二ヶ月に一度程度。

いやいや、だからどうというわけではないです。
何とも思っていないです。
どうってことないです。

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『きっと、持たずに外出したときに限って降るに決まっている』(2012/05/29)

記憶にある限り傘を買ったことがない。
正確には、しっかりとした傘を。

安物のビニール傘や、やはり安価な折りたたみ傘なら、何度か買ったことがある。
しかし、比較的しっかりとした傘を買ったことがない。

といっても、持っていないわけではない。
今持っているのも含め、これまで所有していた傘は、どれもいただきものだった。
ということもあり、傘を買ったことがない。

が、先日、初めてしっかりとした傘を自分で購入。
といっても、折りたたみ傘。
といってもといっても、僕にしてみればそれなりの値段。

というのも、今まで使っていた安物の折りたたみ傘が壊れてしまったのである。

また安価なものを購入するという選択肢もあったのだが、いろいろと考えた結果、今回は、比較的しっかりとしたものを購入することにした次第。

で、その傘が届いた。
で、で、届いた傘を手に取ったときに思ったこと。

このまま一生雨が降らなかったりして。。。

もちろん、じきに梅雨も来るし、全く降らないということはないだろう。
しかし、僕が外出するときに限っては、全く雨が降らないということは起こり得そうである。

せっかく、そこそこの傘を買ったのに。。。

でも、ポジティブに考えると、外出時雨に降られないのは、望ましいことであり、喜ぶべきことだ。

しかし、せっかく買ったのものを使わないというのも。。。

よかれと思って買ったのに、何だか憂鬱な気分になってきた。。。  

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2017年06月03日

それ以外に考えられない(再)

五年経って読み直してみても、やはり嫌がらせとしか思えない。

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『それ以外に考えられない』(2012/05/28)

母に会ったら、開口一番、「もの凄く美味しいお茶を見つけた」といって、バッグの中から取り出して見せてくれた。

一般的なペットボトルではなくアルミボトル。
確かに、デザインも高級感がある。

非常に濃く、口に入れるとどろっとした食感を感じるほど。
もちろん、味も格別。

と、半ば興奮気味に説明してくれながら、母は僕にそのお茶のボトルを差し出した。
受け取ると、しっかりと冷えている。

そこまでいわれれば、誰だって期待は抑えられない。
大きな期待を抱きつつ、ボトルを口へ。

果たして。

いうほど、どろっとしていない。
味もさほどではない。
「というか、これ、味がある?」と、抱いていたものが期待から疑問に変わった次の瞬間、母が衝撃の一言。

「ま、それは水やけどね」

いやいやいやいや。
いやいやいやいや。

嫌がらせ?
嫌がらせですか?
僕への嫌がらせですか?  

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2017年06月02日

オチ来んです 2017

またやってしまった。
三度目である。
ショック。
非常にショック。
非常に落ち込んでいるのである。

既に持っている音楽CDを、レンタルCD店で借りてきてしまったのである。
これで三度目なのである。(一度目二度目

既に持っているのもレンタルした物だし、ジャケット写真を覚えていないというのもあるが、いや、だからこそ、しっかりと確かめる必要があるのに、今となっては自分でも不思議なくらいなのだが、何の迷いもなく借りてきてしまったのだ。

持っているCDを借りてきてしまったのも、もちろんショックではある。
が、今回は、既に持っているかもしれない可能性、注意しなければという発想すら浮かばなかったことが、そのポンコツぶりが、何よりもショックなのである。

以上、オチはないです。
非常に落ち込んでいるので、オチ来んです。

それはそうと、タイトルに「2017」と付けたので、年内に同じ過ちを犯すことができな、、、いやいやいやいや、何をいっているんだ、僕は。
もう、この先、二度とやらかさないという、強い意志を持たなければ。  

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2017年06月01日

日々、十分に美味しくいただいておりますので

珍しく時事ネタ。
気になるニュースを目にしたので。

それは、一人で食事する際、壁を見ながら食事するよりも、鏡で自分の姿を見ながら、あるいは自分が食事している姿を見ながら食べるほうが、美味しく感じるし、食べる量も増えることがわかった、という話。
名古屋大学の研究チームがまとめた研究だとのこと。

一人で孤独に食事をするよりも、誰かと食べたほうが美味しく感じるということは、大いに理解できる。
というか、きっとその通りだろう。

が、一人は一人でも、鏡で自分の姿を見ながら、自分の画像を見ながら食べたほうが美味しいって、研究したらそうだったのだから、そうなのだろうが。。。

美味しさは上がるのかもしれないが、虚しさ、切なさも、美味しさ以上に上がるのではないのか。
孤独感に至っては、この上ないものになりそうな気がするけど。。。

どれだけ美味しくなるといわれても、個人的にはご遠慮願いたい。

というか、想像したら、美味しくなるどころか、不味くなりそうな気がするのだが。
というかというか、食べる気が失せそうな気さえするのだが。

となると、念願の、いや悲願のダイエット成功に繋がるかもしれないと思うが、それでも鏡を見ながら食事なんてしたくない。

でも、研究では、全員ではなかったではあろうが、美味しさが向上したと感じる人がいた、というかそちらのほうが多かったということだろうから、非常に不思議というか、理解できないというか。

中には、食事しながら、鏡に映っている自分と、会話する人もいたりして。

そうなってくると、理解できない、虚しそう、切なそうというよりは、恐怖を感じるけど。  

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2017年05月31日

というか、現在の僕の姿こそが、まさにその結果そのものともいえる

一つ前の記事をUPした後、更に思ったこと。

一つ前記事では、僕が中学生の頃、お腹いっぱい、これでもかというほど、嫌になるほどケーキを食べて、本当に嫌になってしまった話を書いた。

●●をもう一生分食べたので、もう食べたいとは思わないといった感じの、「一生分の●●を食べたから云々理論」が本当にそうであるか否かはわからないが、少なくとも、食べ過ぎたりすることによって、一時的とはいえ、嫌いになりもう食べたくないと思うことがあるのは、実体験で証明済みということになる。

で、思ったのである。
この法則を有効利用すると、痩せることが可能なのではないか、と。
長年の夢、悲願でもあるダイエットの成功に繋がるのではないか、と。

好きな物を、好物を、中途半端に食べ過ぎるから太るのである。
だが、お腹いっぱい、これでもかというほど、嫌になるほど食べれば、本当に嫌になって、一時的かもしれないが、しばらくは食べなくなる。
すると、好物を中途半端に食べることはなくなる。
太らなくなる。
結果、痩せる。
ダイエット成功。

と、なるのではなかろうか。

一つ問題があるとすれば、好物が多過ぎるということか。
ここ数日の記事の流れの元となった先日の記事だけでも、カレー、ラーメン、寿司、焼肉、あん肝、牡蠣、餅、チーズ、さんま、さば、丸腸、かに味噌等々が書かれている。
そして、他にもまだある。
どれか一つや二つを一時的に食べなくなったとしても、他にもあり過ぎるぐらいに好物があるので、今考えているダイエットの手段が成り立たない。

となると、残された方法は一つ。
一度の食事はもちろん、一日や二日でも無理のような気がするが、できるだけ早く、可能な限り短期間に、好物を全て食べ過ぎて、しばらく食べたくなくなればいいのである。

そうすればしばらくは、好きな食べ物が一つもなくなる。
結果、中途半端に食べ過ぎることがなくなる。
当然、太りはしない。
痩せる。
ダイエット成功。

と、なるはずである。

もちろん、好物を全て嫌いになるまで食べる過程で、太るであろうことはわかっている。
というか、激太りすることだろう。
だが、その後に訪れる、「好物何もない期間」で、激痩せするはずだと思うのである。

ええ、ええ、わかっています。
冗談ですよ。
上手くいくはずないと、ちゃんとわかってますよ。
確実に失敗するに決まっている、と。

だいたい、いくつかは食べたくなることもあるかもしれないけど、全ての好物を、もう食べなくていいと思うなんて、とてもとてもあり得ないと思うし。

夢です、夢。
夢物語。
好きな物を好きなだけ食べて、そして結果痩せたら、どんなにも素晴らしいだろうか、という。

ええ、ええ、わかっています、わかっていますとも。
結果、夢は夢でも、悪夢を見ることになるであろうことも。  

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2017年05月30日

嫌になるほど食べた話実録

一つ前の記事をUPした後に思ったこと。
正確には、思い出したこと。

それは、実際、一度にあまりに食べ過ぎたため、しばらく食べられなくなった物があったことを思い出したのである。

それは、お菓子、デザート、スイーツと呼ばれる類の物。
いわゆる甘い物が、しばらく食べられなかった時期があるのである。

それは、中学生のときの話。
当時住んでいた街の駅前に、ケーキ店があった。
二階が喫茶店にもなっている、街で人気のケーキ店。

当時、ケーキを食べる機会は少なく、誕生日かクリスマス、来客の際の手土産でケーキをいただければ超ラッキー、年に数回程度しか口にできなかったと記憶している。
一度でいいから、ケーキをお腹いっぱい、これでもかというほど食べてみたいと思っていたのは、僕だけではなかったはず。

そう、事実、僕だけではなかったのである。

というのも、そのケーキ店で、ケーキ食べ放題という企画が開催され、すぐに友人から誘われたのである。
食べ放題に行こう、と。

で、行ったら行ったで、ものすごい行列だったのである。
ケーキをお腹いっぱい、これでもかというほど食べてみたいと思っていたのは、やはり僕だけではなかったのである。

食べ放題、バイキング、ビュッフェは、今でこそ全く珍しいものではなくなったが、当時はまだそうでもなかったように記憶している。
ましてやスイーツ、ケーキの食べ放題。
それと、そのケーキ店でケーキが食べ放題になるなんてことが、後にも先にもこの一度だけという空気感も加わって、大行列に繋がったのだと思う。

僕は、友人三人と参戦。
中学生男子三人。
僕ら以外は、ものの見事に女性だけだった。

時間こそ覚えていないが、かなりの時間待ったと記憶している。
行列に長時間並び、二階の喫茶店へ上がる階段の途中、踊り場で、上を見ても、そして下を見ても全員女性。
まだ見えないが席に着いているのも、まず間違いなく全員女性だろう、と思ったのを記憶している。

その踊り場で、友人と作戦会議をしたのも覚えている。

コーヒーも紅茶もおかわりは不可。
であれば、ティーポットに入れられて提供される紅茶を選ぶべきだろう。
金額がいくらいくらなので、最低でも何個食べないと駄目だろう、負けだろう。
とか。

実際の金額は覚えていないが、千数百円だったと記憶している。
ただ、ケーキのノルマ、勝負の分かれ目、損益分岐点は、ケーキ十数個だとも記憶している。

だとすると、ケーキの単価が、百円かそこらだったということになる。
そんなに安かったとは思えないので、料金がもう少し高かったのかもしれない。
あるいは、結論を先に書いてしまうことになるが、ノルマは果たした記憶はある、それが十数個だったと記憶しているのだが、その記憶が誤っているのかもしれない。

そう、友人らと設定したノルマはクリアしたのである。
ケーキを食べに食べたのである。
中学生にとっては、それなりの大金だったはず。
元を取らなければという意地もあったのだろう。

ケーキをお腹いっぱい、これでもかというほど、嫌になるほど食べたのである。
そして、本当に嫌になったのである。

これまた正確に記憶はしていないのだが、その後しばらく、もしかしたら数年間程度、ケーキはもちろん、甘い物全般を食べたいと思えなくなってしまったのである。
今では、そのことを忘れてしまっていたぐらいで、甘い物も大好物なわけだが。

過ぎたるは猶及ばざるが如し。
せっかくの好きな物、好物を、一時的だとはいえ、嫌いになってしまったり、食べたくないと思ったりするのは、ともて残念なことなので、そのときの体験を教訓に、好物とは上手に付き合っていきたいと思う。  

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2017年05月29日

かつ終わりのない

レーズンの話。
ぶどうというよりはレーズンの話。

僕は、レーズンがあまり好きではない。
嫌いというわけでも、苦手というわけでもない。
ただ、それほど好きではないというだけ。

が、ドライフルーツ全般が苦手なほうなのだが、その中では、レーズンはまだましなほうだと思う。
それらの中では、一番好きかもしれないというほどには。

が、が、それはドライフルーツの中ではというだけで、やはり、レーズンをそれほど好きだとは思わない。
そして、その理由にも心当たりがある。

それは、子供の頃に食べ過ぎたからだ。
ええ、レーズンをである。

子供の頃、小学校入学前ぐらいだったような気がするので、幼少の頃というべきか、レーズンが大好きだったのである。
大好物だったのである。

あればあるだけ、大量に食べていたように記憶している。
貪り食っていたような。

母から、「そんなに食べたら鼻血が出るから駄目だ」と、よく叱られていたようにも記憶している。
本当に鼻血が出るかは知らないが。

その頃に、一生分のレーズンを食べてしまったのだと思う。
だから、もう好きではなくなってしまったのだと思うのである。

と、本当にそう思っている。
思ってはいる。

が、たまに耳にする、この「一生分の●●を食べたから云々理論」が、本当にそうだろうかという気持ちがないわけでもない。
本当にそんなことになるだろうか、と。

例えばカレー。
例えばラーメン。
例えば寿司。
例えば、焼肉、あん肝、牡蠣、餅、チーズ、さんま、さば、丸腸、かに味噌、まあ、正直、いくらでも書けるのだが、大好きなあれやこれやが、食べ過ぎたからといって、嫌いになることはもちろん、それほど好きではなくなるようなことになるとは、とてもとても思えないのである。

今日はもういい、続けてはいい、しばらくいい、というようなことはあるかもしれない。
が、それは一時的なもので、このままずっともういい、一生食べないなら食べないでいい、というようなことは起こり得ない気がするのである。

とはいっても、それは想像に過ぎない。
本当にそれほど口にしてみないと、実際のところはわからない。

となると、確かめてみたい気がする。
大好物の何かを、いや、あれやこれやを、もう一生食べなくていいと思うぐらい食べてみたい。
貪り食ってみたい。
貪り食い続けてみたい。

もう、目的が変わってしまっている気がしないでもないけど。

と、ここまで書いて思ったのだが、お酒に関していうと、毎日がその壮大な実験の最中、といえなくもない気がするけど。  

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2017年05月28日

人生は甘くない(再)

もし、パンが逆だったらどうだっただろうか。
ぶどうパンをあげるといわれて、いざ食べようと思ったらチョコレートのパン。

ぶどうパンよりはチョコレートのパンのほうが好きだから、僕は喜んだだろうか。
それとも、思っていたのと違うパンということで、やはり同様にいらっとしただろうか。

ただ、この仮定は成り立たないのである。

何故ならば、「ぶどうパンがあるけどいるか」と訊かれた時点で、いらないと断るはずだから。

五年前にも書いているが、別にぶどうパンが嫌いなわけではない。
レーズンが苦手というわけでもない。

ただ、それほど好きでもない。
そして、その理由には心当たりがある。

が、それは次の記事で書こうと思う。

ええ、ええ、そうです、そうです。
手抜きです。

人生も甘くないが、blogの更新も甘くないのである。
手抜きだってしたくなろうというものである。

--------------------
『人生は甘くない』(2012/05/27)

実家に行ったら、「チョコレートのパンがあるけどいるか」と訊かれた。
見ると、メロンパン状のパンに、チョコレートチップが散りばめてあるタイプのパン。
おやつにでもしようと、いただいて帰る。
一昨日のことである。

で、昨日。
チョコパンをもらっていたことを思い出し、食べることに。

口に入れる。
何かがおかしい。
甘くない。
食感も違う。
チョコじゃない。
レーズンだ。
ぶどうパンだ。

いや、別にぶどうパンが嫌いなわけではない。
レーズンが苦手というわけでもない。
だけど、僕の口はチョコパンの口になっていたのである。
準備万端、濃いコーヒーも用意済みだ。

つい先日、似たような話を再放送(記事の再掲載・再利用)したばかりだ。
ミサイルを撃ち込むほどの怒りはわかなかったが、少しいらっとはした。

だが、この怒りをぶつけるべき相手は誰だろうか?
チョコレートのパンだといった母か?

確かに、母に全く責任がないとはいい難いが、全責任を押し付けるのは、あまりにも大人気ないだろう。
となると、答えは一つしかない。

ぶどうパンと濃いコーヒーをいただきながら、僕の心には、「自己責任」という四文字が、それはそれは深く刻まれたのであった。

あまりに深く刻まれ過ぎたので、それは傷になってしまった。
このことを世間では、PTSDと呼ぶのだろう。
いわゆるところのトラウマである。

ちなみにPTSDは、「(P)パンを(T)食べた(S)スイーツにと思ったのに(D)大誤算」の頭文字を取ったものである。  

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2017年05月27日

109(イチマルキュー)の名前の由来(嘘雑学)

「109(イチマルキュー)」、東京は渋谷にある商業施設。
ファッションビルである。

地方在住だと無縁の施設だが、それでも名前ぐらいは知っているし、外観をテレビ等で目にしたことのある方も多いのではなかろうか。
渋谷のシンボルのようにもなっているらしい。

その109(イチマルキュー)の名前の由来。

仏教の教えでは、人間の煩悩は108あるとのこと。
除夜の数が108つなのも、この煩悩の数が由来だともいわれているとか。

108の煩悩。
108の欲望といい換えることもできるだろう。

109(イチマルキュー)という名前は、人間の全ての欲望を満たす、更に一つ上を目指す、というような意味を込めて、108より1多い、109としたのだとのこと。

嘘です。
嘘雑学です。
ここからは嘘なしで。

本当の由来は、109(イチマルキュー)を所有というのが正しいか、運営というのが正しいのかはよくわからないが、とにかく109(イチマルキュー)が、東急グループの商業施設だからである。

東急。
10(十(とお))、9(きゅう)。
109。
というわけである。

僕が考えた嘘もくだらないが、本当の由来もダジャレなので、大差ないような気がしないでもない。

煩悩由来説も、真面目に語ったら、信じてしまう人がそれなりにいるのではなかろうか。  

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2017年05月26日

その日が来たとき、まだこのblogは続いているだろうか

一つ前の記事をUPした後に思ったこと。

いつぐらいまでかといわれると、具体的に答えるのは難しいが、子供の頃は、もっと頻繁に照明の電球や蛍光灯が切れていたように思う。
部屋の照明はもちろん、トイレや浴室等々も。

部屋の照明の蛍光灯の、二つのうちのどちらかが切れたまましばらく過ごす、というようなことも、それほど珍しくなかったような気がする。
まあ、家庭によっても違いはあるだろうが。

が、個人的印象ではあるが、現在は、子供の頃ほどの頻度で電球や蛍光灯を交換している感じがしない。
それほど、電球や蛍光灯の性能が上がったということだろう。

が、LED照明だと、更に寿命が長いのだ。
今、我が家に二つある(はず)のLED電球を交換するのは、いったいいつのことになるのだろうか。

今現在ですら、どれとどれがLED電球だったか自信がないのに、初めてのその日が来たとき、それがLED電球だかどうだか把握できているだろうか。

まあ、切れたときに確認すればいいだけだし、その頃には、家中の照明が、LED照明になっているのではないかとも思うけど。

まあ、次に従来の非LED照明が切れたとき、僕が、まだ従来品よりも割高なLED照明を、購入する決断ができたらでもあるけど。  

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2017年05月25日

きっとあちこちで勃発しているはず(再)

結局何度目のことでだったかは記憶にないが、その後、LED電球を購入。
確か、今、二つはLED電球になっているはず。

ただ、どれとどれがLED電球だかは、あまり自信がない。
本当に二つなのかと問われても、自信がない。

が、だとしても、LED電球のメリットは、しっかりと享受しているはず。

、、、、、、、、、はず。

--------------------
『きっとあちこちで勃発しているはず』(2012/05/26)

つい先日、洗面所の天井の電球が切れた。

どうせ新しい電球を買うのなら、この機会にLED電球にしよう。
と、思い立つ。

で、LED電球の購入を検討。
値段を調べる。

高い。
思っていた以上に高い。
長寿命だと理解はしているが、それでもやはり高い。

却下。
断念。

そういえば使っていない照明があった、ということに気が付く。
それから電球を抜く。
洗面所へ。
解決。

と、ここで思い出した。
この一年、何度か同じようなことがあった。

電球が切れる→LED電球の購入を検討→高い→断念→優先順位の低い電球を利用することを思い立つ→解決

今回が三度目だ。

長寿命だし、消費電力が低いし、新しく買う必要があるのならば、やはりLEDがいいと思う。
しかし、やはり高いのは嫌だ。
代替できるのであれば代替でいい。

LEDの価格と僕のごまかし。
この戦いは、まだしばらく続くだろうなと思う。  

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2017年05月24日

Oh eclipse! 他(再)

五年経った現在。
日食観察メガネはまだある。
どこかの引き出しの隅にあったはず。

この五年、一度も使っていない。
どこかの引き出しの隅にあり続けている。

次使う機会が来るだろうか。
というか、まだ一度も使っていないわけで、この先、一度でも使う機会があるのだろうか。

少し楽しみになってきた。

--------------------
『Oh eclipse!』(2012/05/21)

時事ネタ。
ど直球の時事ネタ。

しばらく前から、各種メディアで散々取り上げられているので、ここで詳細を書く必要はないだろう。
本日、五月二十一日は、国内の多くで日食が、地域によっては金環日食が観察できる日。

残念ながら僕の住む地域は、金環日食ではなく部分日食。
それ以上に残念なのが、少々天気に不安があるということ。
つい先ほども、ぱらぱらと小雨が舞っていたくらいだし。

と、こんなこと書いているが、問題は、僕に観察する気があるか否かだ。

正直、それほど強い思いはなかった。
どうせ、ニュースか何かで、いくらでも見られるだろうし。

と思っていたのだが、母に「滅多にないことだし」といわれて、「確かにさもあらん」とも思い始めた。

となると、問題の一つはやはり天気。
が、それは何とかなるだろう。
日頃の行いがいいので。
僕の住む近隣だけは、あるいは、僕が空を見上げたときだけは、空も晴れるに決まっている。

幸運にも、観察メガネも分けてもらったので、その点でも問題ない。

残る問題は一つ。
僕の前に立ちはだかる大きな壁。

それは、日食が起こる時間が、七時半前後一時間くらいという、僕が最も苦手とする時間帯だということ。
一般的には、朝と呼ばれる時間帯だということ。

ちなみに、僕の生活の中に、朝なんてものは存在しない。

朝。
一度は出てきた好奇心も、約六時間後の太陽よろしく、その一言に蝕まれようとしている。

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『ああ、イクリプス。。。』(2012/05/22)

一つ前の記事に引き続きの時事ネタ。
日本中が(正確にはマスメディアが、かも)沸いた、日食について。

周知のように、天気に恵まれたとはいい難い結果に。
ただ、しっかり観察できた地域もあった様子。
が、少なくとも僕の住む地域は、お話にならなかった様子。

このことに関しては、少々責任を感じている。
日頃の行いのよい僕の行動如何では、晴れ間を呼び寄せることができたはずなので。

昨夜、というか昨早朝の就寝時点で、見込み薄濃厚、雨雲が濃く、望みは薄い。(薄いのか濃いのかどっちだよ、っていいたくなる文章。日本語って面白い)

ので、半ば諦めつつ就寝。
目覚まし時計もセットせず。

このとき、僕が諦めず、目覚ましもセットしていれば、きっと晴れていたはず。
晴れないはずがない。

僕の日頃の行いがいいから。

近頃は、本を購入する際、ほぼネット通販で買うようになった。
そのため、ほとんど書店で購入することがなくなった。

結果、僕の人としての唯一の欠点だった、本を買うとき上から二冊目を取るという悪行に、手を染めることがなくなった。
完全無欠の善人になった。

のでので、僕が日食を観たいと欲していれば、きっと晴れたはず。
晴れないはずがない。

と、世迷い言はこれくらいにして、祭りの後に思うこと。

僕のように使わなかった人もいれば、幸運にも使った人もいるであろう日食観察メガネ。
次の機会まできちんと保管し、再び使用する家庭が、いったいどれくらいあるだろうか。  

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2017年05月23日

三つ目が最も困難

再放送(記事の再掲載・再利用)記事が続いているので、そろそろ真面目に書こうと思った。
超絶面白い話も思い付いた。

が、いざ書こうとしたところで母から電話が。
食事のお誘い。

せっかくなので行くことに。
せっかくなので飲むことに。

で、帰宅。

超絶面白い話を書く予定だったが、飲んで酔って書いては駄目だろう。
面白さも半減してしまうに違いない。

それに、何よりも、どんなことを書くつもりだったか、すっかり忘れてしまったし。

また次の機会に、真面目に書こうと思い立ち、酔ってなく、かつ、書こうとしていたことを思い出したら書きます。  

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2017年05月22日

もしかして、「目」が出た?(再)

非常に面白い話だと思う。
が、リアルに想像すると、ちょっと、、、いや、かなり怖い。

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『もしかして、「目」が出た?』(2012/05/18)

母が、ひまわりの種をもらったのだという。
そして、芽が出たといって、非常に喜んでいた。

「よかった、孵化した。孵化して嬉しい」と。

お母さま。
そういうときは、発芽というのですよ。
孵化だと、そのうち、手や足、尻尾とか生えてきますよ。  

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2017年05月21日

うさぎに餅をついてもらいましょう(再)

還暦には赤いちゃんちゃんこ。
まあ、近年は、ご当人たちがあまり喜ばないので、形骸化しているとも聞くが。

では、大還暦は何だろうか。
色はやっぱり赤なのか。

母に訊いたら、どんな答えが返ってくるかは想像に難くない。

きっとこれ。
赤いこれ。

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『うさぎに餅をついてもらいましょう』(2012/05/14)

還暦に始まり、白寿、百寿と続く長寿の祝い。
以前、どこかで、150歳だか200歳だかくらいまで設定されている、というのを聞いた気がする。

調べてみたのだが、確認できず。
ただ、120歳が大還暦ということだけはわかった。

母上さまにおかれましては、大還暦はもちろん、実はその先にまだ長寿のお祝いがあることを、是非とも世界に広く知らしめていただきたいと思います。(ないなら作ります)

その暁には、全国のドーム球場を全て貸し切って、盛大な祝いの会を、、、と思いましたが、発想が陳腐なので、月にしましょう。
月で祝いの会を挙げましょう。
その頃には、月にも簡単に行けることでしょう。

と、既に日付が変わってしまったが、日曜日。
街ですれ違った少年が、花を手にしているのを見て思い出した。

足の小指が云々というようなことを書くのではなく、上のような記事を書こうと思っていたことを。  

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2017年05月20日

いやいやいやいや。払わないと(再)

今年も来た。
来なくていいのに。

まだ払っていない。

払うか、払わざるべきか。

いや、払うけど。
嫌々払うけど。

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『いやいやいやいや。払わないと』(2012/05/12)

五月になり、初夏が訪れるのはこの上ない喜びなのだが、一つ、招かざる客がある。
誰でもというわけではないが、多くの方から賛意をいただけるものと思う。

それが今年は、どういうわけだがなかなかやって来ない。
例年は、五月に入るとすぐくらいだと記憶していたのだが。

それは、頼んでもいないのに、郵便受けに入っているのである。
入れていいなんていっていないのに。

が、今年は来ない。
郵便受けには入っていない。

と、しばらく気になっていたので、先日、郵便受けの中をしっかりと確かめてみたところ、わかりにくいところにいたのである。
奴が。
招かざる客が。

そう、自動車税納税通知書が。

郵便受けの中にそれを発見したとき、一瞬だけ、「あった。よかった」と思ってしまった。
が、よく考えたら、全然嬉しいことではない。
が、が、気が付かなかったら、納付し忘れてしまっていたところだ。

喜ぶべきか、喜ばざるべきか、それが問題だ。

ああ、そうか、シェークスピアも、自動車税納税通知書が届いたとき、あのセリフが浮かんだのに違いない。

であれば、シェークスピアは、きっとこうも思ったはずだ。

払うか、払わざるべきか、それが問題だ、と。  

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2017年05月19日

もちろん、鱗は、冷風に飛ばされてどこかへ(再)

現在は、五年前とは違い短髪。
なので、五年前ほどの需要はないものの、それでも暑さを感じるときは、冷風を使用することもある。

冷風が快適。
冷風でも寒くない。
だって、冬ではないから。

この事実が、何よりも僕を幸せにするのである。

ああ、一年中、ドライヤーが冷風で問題ない国に行きたい。

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『もちろん、鱗は、冷風に飛ばされてどこかへ』(2012/05/11)

待望の春が来て、今や、一年で最も過ごしやすい時期の一つといっても過言ではない頃合になってきた。
初夏へと。

そんな今日この頃に思ったこと。
そんな今日この頃に気が付いたこと。

以前は、月に一度の散髪を欠かさないほどの短髪だったのだが、近頃は、長髪といってもいいほどのヘアスタイル。

髪が長いと、洗髪後に乾かすのが面倒臭い。
が、濡れたままは、頭髪にも頭皮にも悪いらしいので、しっかり乾かすように心がけている。

さて、ここで、冒頭の季節の話に繋がる。

ドライヤーで髪を乾かす際、寒い間はまだよかったのだが、暖かくなってくると、面倒なだけでなく暑くて困る。
更に億劫になる。

そんな中、先日、僕は大いなる発見をしたのである。
素晴らしい発見を。

それは、ドライヤーの冷風機能を使えば、暑い思いをせず髪を乾かすことができる、ということ。
VIVA COOL!

そのことに気が付いた瞬間、僕の両の眼からは鱗が落ちた。

そして、僕は思ったのである。

ああ、人間はこのようにして、経験を重ね、知恵を重ねて成長していくのだな、と。  

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2017年05月18日

しその名の由来(嘘雑学)

しそ。
シソ。
紫蘇である。

そのしその名の由来、語源について。

しその葉は、その縁がぎざぎざしている。
そのぎざぎざが、まるでのこぎりのようにも見える。

見える。
英語だとseeである。

のこぎり。
英語だとsaw。

しその葉のぎざぎざ感が、のこぎりのように見える。
見える、のこぎりのように。
見える、のこぎり。
see saw。
シーソー。
しそ。
紫蘇。

これが、しその名の由来、語源だといわれている。

嘘です。
嘘雑学です。
ここからは嘘なしで。

真っ赤なしそ(赤紫蘇)、ならぬ真っ赤な嘘。
しそ八百、ならぬ嘘八百。

嘘なしとは書いたが、ダジャレなしとは書いていないので。

本当の由来?

それを知っていたら、くだらないダジャレなど書きやしないのである。  

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2017年05月17日

大葉だけに(再)

以下の過去記事を読んで思ったこと、二つ。

一つ目。
一つ前の記事をUPした後に、一つ前でUPした過去記事に、続きがあることに気が付いた。
それが、以下の記事である。

五年前の時点で、脇役という点に言及している。
何年たっても、考えることに大した変わりはないということである。

成長していないからといえなくもないが、僕は、ぶれてないからと、前向きの捉えるようにしている。

二つ目。
相変わらずくだらない嘘を書いているのを読みながら思った。

これは、あれだ。
最近始めた、例のあれに使えるやつだ。
と。

そんなことを思いながら読んでいたら、記事中に、ばっちり「嘘雑学」という言葉が出てきたので驚いた。
先日思い付いたつもりでいたが、既に五年前に思い至っていたとは。

これを嘘雑学と呼ばずして何と呼ぶ、というような内容だし、使わない手はない。
というわけで、次の記事で嘘雑学としてUP予定。

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『大葉だけに』(2012/05/10)

一つ前の記事の続き。

もし、しそに会う機会があり、話ができるのであれば、せっかくなので、しそに伝えたいことがある。

それは、「君は決して脇役ではないよ」ということ。
「僕は必ず君を全て食べるよ」とも。

と、一つ前の記事に書き忘れたことを書いてみたが、オチとかはない。
しそへの思いを書いただけなので。

これで終わっては、読んでくださっている方に申し訳がない。
のでので、明日からすぐに使える、しその雑学を一つ。

「しそ」という名前の由来。
語源。

英語のsee。
見る、見える、という意。

英語のsaw。
のこぎり、という名詞。

しその葉の形を思い出していただきたい。
そう、ぎざぎざなのである。

しその葉のぎざぎざ感が、のこぎりのように見える。
見える、のこぎりのように。
見える、のこぎり。
see saw。
シーソー。
しそ。
紫蘇。

嘘である。
今考えた。

真っ赤なしそ(赤紫蘇)、ならぬ真っ赤な嘘。
しそ八百(紫蘇畑)、ならぬ嘘八百。

「そんな嘘雑学、明日から使えるわけないだろ!」なんて、立腹しないでいただきたい。

話の前振りとして、ちょっとオーバーに書いただけでございます。

おっと、お後がよろしいようで。  

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2017年05月16日

ソー「シソ」ーアイ?(再)

五年経って読み直すと、考えるまでもないことだと思った。

しそが、大根と梅とどちらが好きか、という問いの話である。

梅に違いないと思う。
何故なら、しそが大根と一緒のときは、脇役であることが多い。
いや、脇役のみだとさえいえるかも。
しかも、脇役も脇役、ど脇役である。
食べ物扱いというより、敷き物扱いだし。

一方、梅と一緒のときは、梅と一緒に主役。
ダブル主演的立場なことが多いような気がする。

あー、何だか、口の中に唾液が溢れてきたような気がするのだが、気のせいだろうか。

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『ソー「シソ」ーアイ?』(2012/05/09)

近頃、非常に気になっていること。

きっかけは先日。
食事をしているときのこと。

僕は、ふと思った。
しそって、いつも大根と一緒だなあ、と。

しそである。
シソ。
紫蘇。

おろしハンバーグなどでは、大根おろしの下に敷かれているし、刺身ではつま(大根)の上に敷かれている。

しかし、しそといえば梅、という意見も捨て難い。
梅あるところにしそあり、しそあるところに梅あり、という気がしないではない。

で、近頃、非常に気になっていること。
それは、実際のところ、しそは、大根と梅、どちらのほうが好きなのだろうか、ということ。

今度、しそに会って話す機会があったら、是非ともこの件を尋ねてみたいと思う。  

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2017年05月15日

犬の眼窩に(再)

昔ながらの駄菓子屋さんが、昔ながらのままで、今でもどこかに存在しているのだろうか。

以下の過去記事の駄菓子屋さん、場所もしっかり覚えている。
子供の頃は何とも思わなかったけど、大人になった今だと、びっくりするほど細い道だと感じることだろう。
車で入っていくのは躊躇うほどに。

店がもうないのは当然ながら、道ごとなかったり、新しくなっていたりもすることだろう。

現在の僕の行動範囲内ではないが、行こうと思えば行けない場所ではない。
行ってみるか。

お店はないに決まっている。
でも、もしあったらどうするか。
やはり、入るべきだろう。

が、入って、おばあちゃんがいて、目の濁ったマルチーズがいたら、一も二もなく、とにかく逃げるべきだろう。

何故なら、そこは、入ってはいけない世界、向こう側の世界だろうから。
『遠野物語』あたりに出てくるような。

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『犬の眼窩に』(2012/05/03)

このところ、続けて駄菓子屋さんの話を書いた。(これとかこれ
ま、再放送(記事の再掲載・再利用)だけど。

現在、駄菓子屋さんってどれくらい残っているのだろうか。
ショッピングモールの中に出店されている、昔ながらの駄菓子屋さんを再現したタイプではなく、正真正銘の駄菓子屋さんが。

それにしても、「駄」っていう字はどうかと思う。
「駄」という字は、決していい意味ではない。

もちろん、「駄」が修飾しているのは「菓子」であって「屋」ではない。
それはわかっているのだけど、やはり「駄」は印象が悪い気がする。

くじの最後の一枚を引いても一等が出なかったときの、あの失望感。
十円が確実に五十円になると思ってガムくじのボタンを押し、はずれガムが出てきたときの、あの喪失感。
そのときのことを、今でも僕ははっきりと覚えている。

何がいいたいかというと、それほどまでの失望感や喪失感を感じるということは、逆にいえば、駄菓子屋さんには、それだけ夢と希望、ファンタジーが詰まっているということだ。
決して、「駄」菓子屋さんではないのだ。

と、ここまで書いて、もう一つ駄菓子屋話を思い出した。

それは、僕が小学生の頃よく通っていた駄菓子屋さんの一つ。
店番はおばあちゃん。
まさに、駄菓子屋の王道。

そしてそのお店には、おばあちゃんとは別にもう一人店番がいた。
正確には、もう一匹。
マルチーズだったと記憶している。
お客さんがお店に入ると、奥から走って出てくるのである。

その犬もいい感じにお歳を召されていて、なかなかの老犬。
目も少々濁っている。

さて、ここからが本題。
その駄菓子屋さんには、子供たちの間で、次のような噂がまことしやかに囁かれていたのだ。

店に入ると、奥からいつものように犬が走り出てきたのだが、立ち止まった次の瞬間、目が転がり落ちた。
それは、店で売っているビー玉だった。
との。

駄菓子屋さんには、夢や希望、ファンタジーだけでなく、ビー玉まで詰まっているのである。  

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2017年05月14日

皐月の朔に思う 2012(再)

ウインナー、フランクフルト、ボロニア。

いうまでもなく、ソーセージの種類なわけだが、ウインナー(ウィーン)とフランクフルトが地名なだけに、ボロニアも地名なのだと思ってしまう。
というか、気になったので今調べたのだが、今まで思っていた。

ボロニアソーセージは、何故「ボロニア」という名前になったのだろうか。

ボロニアというミカン科の樹木があるようだが、何か関係があるのだろうか。
あるいは、恥ずかしながら僕が知らないだけで、やはり地名なのだろうか。

少々調べたのだが、答えは見付からず。

うーん、、、仕方がない。
食べるか。

実際に口にすれば、何かわかるかもしれないし。
ああ、もちろん、ビールも必須で。

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『皐月の朔に思う 2012』(2012/05/01)

つい最近知った雑学を一つ。

ソーセージには、ウインナー、フランクフルト、ボロニアなどの種類がある。
その違いは、ウインナーは羊の腸、フランクフルトは豚の腸、ボロニアは牛の腸を使うということらしい。

このことを、今日書いたことには意味がある。
何故なら、もし今日、ソーセージを食べるとするならば、今日は、フランクフルトでもなく、ボロニアでもなく、ウインナーを食べるべき日なのだから。

何故かって?

だって、今日は五月一日。
羊の日。

メーデー。

五年目である。(2011年2010年2008年2007年

来年何を書くか。
今から頭が痛い。  

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2017年05月13日

懐かしの砂時計(嘘雑学)

今ではあまり目にしなくなったが、しばらく前までのパソコン(Windows)で、何らかの処理待ちの際、表示されるアイコンは砂時計だった。
一方、近頃のパソコンは、設定にもよるが、青い輪状のアイコンがくるくる回転するのが一般的。

その砂時計アイコン。
小さなアイコンではあるが、よくよく見ると、砂時計の砂が実際に落ちているのはご存じでしたか。
砂が全て落ちたときが、待たされていた処理の終わるときなのである。

目にする機会は少なくなったが、もし機会があれば、目を凝らしてみてはいかがでしょうか。

嘘です。
嘘雑学です。
ここからは嘘なしで。

いつもだと、ここで、この話は嘘だけど、本当の雑学としては云々と書くところ。
が、今回は、本当の雑学などない。
この話は、僕が、パソコン初心者をからかうときに吐いていた嘘なだけである。

ちなみに、砂時計等のアイコンは、各アプリケーション、各ソフトウェアごとに違うので、もしかしたら、砂時計のアイコンで、本当に砂が落ちる演出がなされたアイコンもあるかもしれないので悪しからず。
  

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2017年05月12日

ミイラ取り終わりました

パソコンの設置、初期設定のお手伝いは無事終了。

パソコンを触らない日はほぼないので、その作業をしたからというわけでもないのだが、パソコン関連で一つ思い出したことが。
近頃書き始めた「嘘雑学」になりそうなので、「嘘雑学」としてUPしたいと思う。

そう、次の記事で。
ええ、この記事ではなく。
ええ、ええ、そう、そう、手抜きです。

いいこと(お手伝い)をした褒美ということで。  

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2017年05月11日

ミイラを取りに行ったけどミイラがなかった

一つ前の記事の続き。

果たして、トラブルが起きたのか。
それとも、何事もなかったのか。
僕はミイラになってしまったのか。

トラブルが起きたといえば起きたし、何事もなかったといえばなかった。
ミイラにはなっていない。

というのも、パソコンが届かなかったのである。
トラブルといえばトラブルである。

が、設置、初期設定をする予定だったパソコン自体がないのだから、何事もないといえばないともいえる。

十日着予定となっていたのだが、それは、九日に発送する、場所によっては十日に着くよ、というようなものだったのである。

で、明日、日付としてはもう今日か、十一日に到着予定。
どうなることやら。

出鼻をくじかれたのは事実。
ミイラになるのだとしても、鼻の低いミイラができあがることだろう。  

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2017年05月10日

人はそれを「電話サポート」と呼ぶ(再)

以下の過去記事を目にして、非常に驚いた。

というのも、この後、パソコンを購入した知人からお願いされ、設置、初期設定などのお手伝いに行く予定なのである。
で、つい今しがたまで、その準備をしていたのである。
で、で、準備ができたので、blogの更新をしようと思い、以下の過去記事を目にしたのである。

これは、何かトラブル発生の前兆、予兆だったりしないだろうか。
少々不安である。

知人にとっては、僕こそが「サポート」だといえよう。
そのサポート役である僕が、トラブル発生に対処できず、メーカーなりの電話サポートに助けを求める。

これぞまさに、ミイラ取りがミイラになる、というやつだろうか。

、、、違うか?
いや、違わないか、、、やっぱり違うか、、、、、、、、、どっちだろう?

まあ、そんなことはどうでもいい。
何事もないことを願うばかりである。

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『人はそれを「電話サポート」と呼ぶ』(2012/04/26)

一つ前の記事の前書きで、パソコンが壊れてしまっていること、なかなか修復できないこと、これからカミ頼みの上、再度修復を試みるということを書いた。

果たして。

結論から書くと、時間こそかかったが、無事修復できた。
データが消えることもなく、胸を撫で下ろした次第。

それもこれも、ひとえにカミサマのおかげである。

近頃のカミサマは、パソコンにも非常に詳しいのである。
その上、親切丁寧。
腰も低い。
更には、電話で話をすることまでできるのである。

ありがたや、ありがたや。  

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2017年05月09日

お片付けになるなり、お掃除されるなり、お綺麗にされるなり、、、(以下略)(再)

入浴時、シャンプーやリンスのボトルを目にすると、いつものこの話を思い出す。

母は、今でもボトルの底を毎回洗っていらっしゃるだろうか。

僕自身が見ることはあまりなくなったが、番組は続いているし、企画もまだ継続している様子。

気を抜いた頃に来るかもしれませんよ、母上さま。

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『お片付けになるなり、お掃除されるなり、お綺麗にされるなり、、、(以下略)』(2012/04/22)

母のお風呂話をもう一つ

もうしばらく前のことになるが、テレビのとあるバラエティ番組で、よくある企画の一つだが、タレントが他のタレントの自宅に泊まるというようなのをやっていた。

で、その泊まるほうのタレントが非常に神経質らしく、本来、プライベートでは、泊まるどころか、飲食店以外の他人が作った食事を口にするのも駄目なほどなのだという。

で、で、そのタレントが、泊まりに行った先々、数人のタレントの自宅で、お風呂を借りて入るのだが、必ず、シャンプーやリンスのボトル(容器)の底をチェックするのだ。
綺麗にしているかどうか。
ぬるっとなっていないか。

と、ここまでは前置き。

その放送があってしばらくして、実家で、母、弟一家と食事をした際、全員が、それぞれに、その番組を見ていたことがわかった。
そして、お風呂場でのボトルの底チェックはひどいね、神経質過ぎるね、という話で盛り上がった。

と、と、ここまでが前置きその2。
ここからが本題。

つい先日のこと、実家に行くと、お部屋があんまりお片付きになっていない様子。

そのことを母に、やんわりと、絹ごし、、、いや、ざる豆腐ぐらいやんわりと指摘すると、「まだ片付けの途中なので口出しするな」といわれた。
そして、母が更に、こんなことをいうのである。

この頃は、以前よりしっかり掃除をするようになった。
あの人がいつ来てもいいように、シャンプーのボトルの底も毎回洗っているくらいだ。

と。

いやいやいやいや。
来ませんから。
頼んでも来てくれませんから。

そんなところを掃除する余裕があるのなら、目の前の、これとかそれとかあれを、、、(以下略)  

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2017年05月08日

目医者さんに行ったほうがいいよ(再)

この話は、とても印象的だったので、今でも覚えている。

確かに、とてもスタイリッシュなデザインではあった。
が、だからといって、観葉植物には絶対に見えない。

だって、掃除機なのである。

もう一度書く。
掃除機なのである。

もし、その場に居合わせていたら、あるいは、この先、その男性司会者に会うことがあるのならば、「本当に見えたんだな。本当に掃除機が観葉植物に見えたんだな」と、問い詰めたいぐらいである。

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『目医者さんに行ったほうがいいよ』(2012/04/18)

とある深夜、テレビの通販番組で、掃除機を紹介していた。
まあ、紹介ではなく販売か。

スティックタイプの掃除機。
北欧かどこかのメーカーらしく、一番の特長はスタイリッシュなデザイン。
掃除機としての性能も、かなり高いのだという。

まあ、たくさん売るのが目的なのだから、高性能と謳うのは当然だけど。

後日知り得たことなのだが、確かに、由緒正しいメーカーの、それなりの掃除機なのらしい。
確かに、掃除機にしてはこ洒落たデザインだと思う。

そんな掃除機のテレビ通販を、横目で眺めながら思ったこと。

本当はきちんとしたものでも、それを知らない状態で通販番組で目にすると、「本当に大丈夫だろうか? 胡散臭いんじゃないのか?」という思いがよぎらずにはいられない。
そういう意味では、通信販売というシステム(特にテレビ通販)は、自分で自分の首を絞めているのではないのか。

そんな思いを抱いていたところ、番組の司会者がこんなことを。

「本当にお洒落ですよねー。このカラーがグリーンのやつなんか、最初、観葉植物かと思っちゃいましたよー」

いやいやいやいや。
それはないよ。
それは。

ほらね。  

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