『あるくと100人会議』(ARC>T)その1

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鈴木拓(ARC>T事務局長)×田辺茂範(ロリータ男爵)対談

ロリータ男爵の田辺茂範(脚本家・演出家)さんが、昔、東京で舞台監督として知り合った鈴木拓さんがARC>T(Art Revival Connection TOHOKU)の事務局長をしていることを知り、単身仙台へ。7時間30分に及ぶ『あるくと100人会議』に出席した後、感じたこと、思っていたことなど、いろいろ聞きいてきました!
5月9日発売の演劇ぶっく本誌では、書ききれなかった2人の思い、ぜひご確認ください!

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『あるくと100人会議』(ARC<T
第一部「ARC>Tの報告 ―この一年歩いて出会った全ての人と―」進行:鈴木拓
第二部「まちの再生、アートの再生」進行:坂口大洋(仙台高等専門学校准教授)
第三部「明日を生きるために ―10、20、100年後の仙台―」進行:伊藤み弥 原西忠佑
2012年4月7日13:00〜◎せんだいメディアテーク1Fオープンスクエア

ARC>Tって何?

田辺    ARC>Tはどんな経緯で作られたんですか?

鈴木    去年の3月11日の震災の後に、主にパフォーミングアーツ系に表現者たちが集まったネットワーク帯です。震災後、とにかく何かしたい、とにかく動かなくてはと思った面々が集まって、話し合いを重ねてできた集団ですね。最初はそれぞれに思惑がいろいろあってまとまりようがなかったんです。それを無理矢理、若手の何人かが強引に名前を付けて、ロゴを作って、とにかく組織っぽく外に見せると言うところからはじめました。なので、組織として本来は必要なビジョンみたいなものも合意形成されなかったんです。あくまで舞台表現者たちの情報共有するネットワーク帯であるところからのスタートでした。そして、実はそれは今でもそのままなんですね。

田辺    どんな団体かと言うと?

鈴木    趣意文として書かれているのは、震災で失われた文化・芸術に関する人・街・場の再生と、それに必要なネットワーク作りの2点ですね。それだと趣意も広いのですが、それくらい広義でないと、集まったみんなが納得できるものにもならず、でないと立ち上がれなかったところがあります。

田辺    メンバーはどれくらいいるんですか?

鈴木    個人で130名ぐらい、団体で30団体ぐらい、仙台で演劇活動している95パーセントくらいは登録しているんじゃないかと。週に1~2回メルマガを配信して情報を共有しています。

田辺    メルマガはどの様に活用されているんですか?

鈴木    ARC>Tの事務局にはいろいろな依頼が来るんですね。それをお知らせして、興味がある人は挙手制でプロジェクトごとに参加する形です。メンバーの中にはメルマガで今の仙台の文化状況がどうなっているのかを知るだけでいいと言うメンバーもいるので、全く一度も顔を会わせていないメンバーも3分の1ぐらいいますね。

田辺    事務局が、これは誰にと話を振り分ける訳ではないんですね。

鈴木    集まった人たちの合意で全てを決めていくスタイルを取っています。もしかしらた組織としては未熟かもしれないですけど、ネットワーク帯であることを主眼においていますので、あまり組織をしっかりさせていくことには力を注いでいない状態です。

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田辺    仙台の演劇事情ってどんな感じなんですか?

鈴木    20年ぐらい前に、仙台市民文化事業団と言う外郭団体ができまして、その財団が仙台市からお金を受け取っていろいろな文化振興をしていく役目を担ってます。それで、15年くらい前に事業団の中で『劇都仙台』と言うテーマが掲げられまして、仙台を『劇都』にしていこうと言う動きがあります。かなり全国的に見ても税金が演劇に使われている街だと思います。

田辺    『ゲキト』って、演劇の都って書いて『劇都』って言うんですね。そんな言葉があるんですね。

鈴木    音楽の都の『楽都』をもじって作った言葉です。毎年仙台では演劇祭も行われていて、億単位でドーンってことではないんですけど、毎年数千万の予算でいろんな演劇事業が行われて来てますね。

田辺    震災以降の仙台の演劇事情はどんな感じなんですか?

鈴木    演劇をやっている人たちの数は減っていないと思いますが、公演数は激減しています。それは一年経った今でも変わらないですね。

田辺    どれくらいあったものがどれくらいに減ったんですか?

鈴木    ざっと調べたところですと、2010年一年間で演劇やダンスの公演はおおよそ200くらい行われていたんですが、それが2011年一年間ではその半分くらいですね。

田辺    一年経って今年は戻りつつありそうですか?

鈴木    まだ元の数字に戻るのは難しそうですね。それには幾つか理由があって、大ホールの方が被害が大きかったんです。構造物として大きいので、修復にも時間が掛かって、使える様になるまでも時間が掛かりました。そうすると、普段大ホールを使っていた東京から来る催し物が中ホールを使うんです。それで中ホールを使っていた催し物が小ホールを使って、比較的小さな空間を使っていた地元の人たちが予約を取れなくなっていくと言う現象があったと思います。

田辺    ストレートに言うと、地元の人たちがやりづらくなった?

鈴木    あると思いますね。東京から来て下さる方はチャリティとか復興支援と言う思いもあって、去年の7月から10月くらいまでとても盛り上がったんですね。それで地元の人たちが使える様な状況ではなかったですね。

田辺    なるほど。

鈴木    それと、ホールのお付き合いの問題もありましたね。公共のホールは早い者勝ちや抽選なんですけど、特に民間の劇場なんかはお付き合いがあるんですね。劇場が再開した時に、仙台が東京の劇団を呼ぶとなると、仙台のテレビ局や新聞社が主催することになるんです。劇場側がそう言うところに先に枠を譲ったんですね。それでますます地元の人が使いづらくはなったと。

田辺    じゃあ、やりたくてもできなかった?

鈴木    それともうひとつ、単純にできませんでしたね。演劇人たちが自分たちの生活を立て直すだけで余力がなかったのと、あとは心が折れて創作ができなかった人たちもたくさんいたと思います。やっと重い腰を上げて劇場に行ったらもう埋まってたと言う。それでどんどんどんどんやれなくなっていってしまうんですね。その状態は今も続いていますね。

田辺    単純にやれるやれない状況の問題ではないんですね。

鈴木    ARC>Tでも最初の頃、かなり議論になったんですけど、震災直後は風呂にも3週間入れない、ガスもこない中で演劇なんて不謹慎だって風潮もありました。それでも東京に比べると、途中からは不謹慎って言葉は僕らはあまり気にならなくはなりましたね。

田辺    そんな中で、演劇をはじめた人たちの切っ掛けってなんなんですか?

鈴木    人それぞれで難しいですが、周りからの支援の声は大きかったと思いますね。無責任にやれよとは誰も言わないですけど。同業の演劇人たちからも、できれば震災前の様に活発に創作をする本来の姿に戻って欲しいって言う声はありまして、後押しになったと思います。そこがあって、SENDAI座さんなんかは、仙台の外へ出て行って公演することができたんだと思います。ただ、それは体力や行動力、明確な意志もあったからできたんだと思います。なかなか他の地元の劇団は発想も自由になれなかったし、思い切ることはできなかったと思います。

田辺    劇団は個人活動の様な身軽さもないから、仙台以外の土地で公演をするのは、仙台で公演するのとは別の大変さもありますしね。

鈴木    原発が予断を許さない状況がまだ数ヶ月続いている最中に、東北は危ないからと、3ヶ月くらい面倒を見るのでこっちへ来て一緒に作品を作らないかと言う声は県外や海外からもあったんです。でも、誰も行かなかったですね。

田辺    へえ。それはどうしてなんですかね?

鈴木    仙台は東京まで新幹線で一時間くらいで行けてしまって、そんなに遠くないんですね。なので、例えば俳優が舞台に立ち続けてさえいればいいと言う考えなら、東京に行ってしまっているんですね。それでもどうしてわざわざ仙台に残って演劇を続けているかを考えると、それぞれにこの土地に何かがあるからなんですよね。そう言う中で今震災が起きて危ないからと言ってこの土地を離れて表現活動をするかと言えば、それはNOで、みんな、ここでやるアイデンティティはあるんですよね。

田辺    それは東京で活動してる人にもありますもんね。

鈴木    それに、もし自分がこの土地を離れている間にまた揺れたらどうしようと言う気持ちは僕もありましたね。自分がいない時に、家族や友達のすぐ側にいれないと言うのは絶対に嫌なので、離れることはできませんでしたね。とは言え、一年経って地元の人でも演劇しようとする人たちは増えて来てはいますね。

田辺    やっぱり、やらずにはいられなくなると思うんですよね。もともとそれでお金になるってところで初めている訳でもなく、みんなやりたくてはじめた訳だし。今回の震災と比べるレベルではないかも知れないですけど、僕も家が火事になって避難所で2週間ほど暮らした経験があるんです。その時は、演劇なんてできないよ、やりたくないよって思ってたんです。でも、時間経つに連れて、できないとかやれないって気持ちは残っているんですけど、やりたくないって思いは薄れていくんです。その時は、やれないって思いとやりたくない思いが、言葉で混同しちゃっているんですよ。だから、自分がどうしたいのかの答えがぐちゃぐちゃになっちゃうんですけど。だから、やれないって思いにやりたいって思いが隠れちゃうことはあっても、やりたい思いは変わらないと思うんですよ。言葉のニュアンスなんで、ちょっと難しいんですけど。

鈴木    ARC>Tでもまだ演劇はできないけど、ARC>Tの会議にはずっと来てくれている人たちもいるんですよ。そう言う人たちは決してやりたくなくなった訳ではないんですよね。

『あるくと100人会議』(ARC>T)その2

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どんなことやってるの?

田辺 ARC>Tでは、学校や仮設住宅に赴いてワークショップや演劇の「出前」をしているんですよね。そう言った活動は、いつごろからはじまったんですか?

鈴木 ARC>Tを立ち上げて最初の頃は、決して何か作品を作って届けると言う発想を置いといた訳ではないんですが、まずこの状況下で何ができるかと考える様になっていったんですね。そしたら、アーティストとして何ができるかを考えていた時には出来なかったことがいっぱいあったんですけど、一人間として、一市民として何ができるだろうって思考になったら、泥かきにも行けたし、炊き出しのボランティアにも行ける様になりましたね。

田辺 活動の最初は演劇とは関係ないボランティアからはじまったんですね。

鈴木 中には、普段、舞台に上がる時には芸名をつけてらっしゃる50代の俳優の方がいらっしゃるんですが、その方が泣きながら、「俺は本名の俺なのか、芸名の俺なのか分からなくなって来ている」と吐露されている場面とかもありまして。その気持ちは分かると言うか、「何かしなきゃ」って時に自分は演劇しかしてないから、演劇でしか役に立てないだろうって無力さを感じてしまうんですね。そこから、その考えを一回取っ払って、家族や友人や仕事の仲間を助けようって所からのスタートでした。

田辺 その中で、演劇を通じてのボランティアがはじまった切っ掛けってなんだったんですか?

鈴木 こどもの日の集まりに、「こういうことできませんか?」ってこども向けの演劇の依頼が来たんです。そこにアーティストたちをマッチングしていったところが始まりです。それが認知されて、いろいろな依頼が来る様になったんです。なので、出前をしようと言う発想からのスタートではなかったんです。来た依頼に対してのニーズに応えようとした結果が演劇の出前なんですね。

田辺 それが一年経って、ARC>Tの活動の主になっていったんですね。

鈴木 活動の七割八割が教育福祉の現場なので、ARC>Tってそう言う集団って思われがちなんですけど、実は社会の裏返しで一般の方々が表現者に求めたことがこれだったと言うことなんですね。

田辺 なかなか捜さないと演劇の需要ってないですけど、求められるって凄いですよね。

鈴木 震災前までのアーティストは、チケットを買ってもらって、劇場に足を運んでもらって、作品を観てもらってたので、自分たちが社会の中でどう機能しているのかを実感できなかった人がほとんどだったと思うんですね。それが震災の混乱期にもしかしたら演劇のスキルが何か世の中の役に立っているんじゃないかと思えたんですね。そう言う意味で開眼したアーティストは多かったと思います。

田辺 演劇をやって、その感覚を得れることって少ないですよね。

鈴木 その活動がARC>Tの一年目の主流になっていきましたね。ただ、自分たちで企画して発想してアクションしたと言うよりは、外からの声に対してのリアクションなんですよね。

田辺 それって凄い嬉しいと思うんですけど、一年経ってジレンマとか生まれてこないんですか?

鈴木 ありますね。確かに社会貢献はできていると思うんですけど、やはり自分の創作で社会の役に立ちたい思いのアーティストもたくさんいます。それは僕は反動だと思っています。ここからはアーティスト個々が本来の創作していくことも必要なんだって感じはじめているところですね。

田辺 アーティストのエゴってみんなあると思うんです。僕なんかは自分でそれが強い方だと思っていて、学校を回っての活動も自分でも楽しめると思うし、楽しませたいってエンターテーメントの精神もあるんですけど、ずっとやってると「こういうんじゃないんだよ」って思っちゃいそうだなって。

鈴木 僕ももともと福祉教育よりは、もっとプロフィットなビジネスライクな演劇の世界にいましたので、実際に興味があるのはそっちの方なんです。震災前に福祉教育とか街づくりとかに興味があったかと言うと、反省してますけどなかったんです。なので、民間での興業の活性化も仙台には絶対必要だと思ってます。僕は最終的にはそっちで活動していくと思っているんですけど、状況としてこの一年はなかったですね。

田辺 東京の小劇場で活動しているからだと思うんですけど、自分の感覚の健全さで言うと、自分で劇場を押さえてやりたいことをやるのが健全に思っちゃうんですよ。勿論、それは仙台の演劇事情や現状なんかを分かっていないから言えるんですけど、アーティストが好き勝手に好きなものを作れる様にならないと、地震を引きずっちゃっているのかなと思うんですよね。それは、教育福祉の活動が違うとかでは全然ないんですけど。

鈴木 よくわかります。そのアーティストのエゴが、風潮として許されない時間も当初はありましたし。その問題って、ARC>Tに登録しているメンバーが、仙台の演劇人の5割とか6割だったら難しい話じゃないと思うんですけど、本当にほとんどの方が登録しているんです。となると、個々の活動は自分たちで頑張って下さいとしか言い様がなかったですね。ある人が言っていることをARC>Tで実現しようとすると、別の人が「俺のも実現しろよ」と、とりとめもなくなってしまうので、ほぼ全員が納得できる活動を選ばなきゃいけなかったんです。そう言う意味では非常に不自由ではありますね。

『あるくと100人会議』(ARC>T)その3

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『あるくと100人会議』会場のせんだいメディアテーク外観

震災で演劇は変わったの?


田辺 震災後に作品の本質的なものって、変わったりしたんですか?

鈴木 明らかに変わってますね。震災を避けようと思っても絶対無理ですね。お客さん側の心理もありますけど、震災を体感した者同士だから成立する表現ってものすらあると思います。

田辺 同じテーマでも東京の人が作った作品は東京のお客さんとは共感し合えても、東京と仙台とでお互いにお客さんを取っ替えたら、驚きやギャップになっちゃうんでしょうね。

鈴木 被災地って言うと、東北だったり被災三県って言われてますけど、宮城県の中でも街ごとにそれは違うんですね。100人会議でもなかじょうのぶさんって方が「自分の町でしか俺はもう新作はやらない」って宣言してましたけど、のぶさんは毎年町民演劇をやっていたんですね。それで、去年の3月12日か13日に前年の町民演劇の上映会をする予定だったんですね。それが震災でできなくなって、6月くらいに落ち着いたから上映会をやろうってことになったんです。客席に集まった町民200人くらい全員が知り合いなんですよ。それで映像見ながら、「ああ、この人死んだね」とか「この時元気だったのにね」とか言う訳ですよ。それを見てのぶさんは、今年やるかなんて話はできないって思ったらしいですね。それでも町民の人たちに聞いたら、みんな「やる」と、「ただ、内容は震災にしてくれ」と、そう言われたそうなんです。その時にのぶさんは、ここの人たちがここでやるから意味があるって思ったらしいんです。一歩でも外に出たら違うものになってしまうだろうと。作る側も観る側も同じ経験をしたからこそ成立するものってあるんだなって。それは、今回の震災をテーマに深くすればするほどそうなるだろうと。それを最初から外に持っていくことを目的にしたり、外の人で今回の芝居を作ろうとすると、少し震災から距離を取らないと、作りづらいだろうし、伝わりづらいんだろうなとは思ったりしましたね。

田辺 100人会議の打ち上げで、「仙台来て演劇やって下さいよ」って言われたんですけど、すごくためらう気持ちになっちゃったんです。それは、自分は意味のない面白さとか、テーマもないデタラメさが好きなんですけど、震災があったことで意味のないものにも意味が生まれちゃう気がして。うまく伝わらないんじゃないかって言う不自由さを感じていて。東京で活動している人間でさえそう感じるのに、仙台の人はどれだけ不自由なんだろうって思っちゃいますね。共感し合えないんじゃないかと言う壁を感じてしまうのが、表現を遠慮させちゃう気がするんですよね。

鈴木 そう言う思いが強い人ほど、動けていないかもしれませんね。のぶさんの様に「この土地でしか新作をやらない」って言う人の方が動けているかもしれません。

田辺 僕の家が火事になったとき、その直後にあった公演をどうしようかって考えたんです。やるんだったら中途半端にしたくなかったから、自分の家の火事を題材にした公演をやったんですね。自分は当事者なので、弱者の強みがあると言うか、「どうだ、かわいそうだろ!」って全面に押し出すことで、僕の火事のネタは笑いに変えれたと思うんですよ。やっぱりそこが中途半端になっちゃうと、「これ笑っていいの? 笑えないの?」ってなっちゃうから。でも、震災を笑うことはできないじゃないですか。多分、この先もずっとできないと思うんですよね。ましてや僕は震災を体験もしていない人間ですし。毒がある方が健全だと思うんですけど、でも、この震災には毒が全く成立しないんですよね。別に震災を笑いにするとかってつもりは全くないですけど、震災をテーマにしなくても、ある種の表現は表現しづらくなっちゃったのかなあと思ったりはしました。お芝居ができる状況よりも、表現が自由にならないとお芝居ができる環境が整ったことにならない様な気がして。僕は演劇がやりたいんじゃなくて、自分の作りたいものを演劇で表現しているんです。だから、演劇ができればそれでいいのかってところと、作りたいものって別な気がして。もし、自分が作りたい表現ができない環境になったらどうしようって、そこを凄く考えちゃいました。

鈴木 ARC>Tに登録したメンバーの中でもそう言う悶々とした思いの人たちはいると思います。そう言う人たちは教育や福祉の出前が7割の今のARC>Tの活動には参加していないですね。

田辺 その悶々とした人たちが演劇できるようになって欲しいです。いろんな舞台に挑戦してみたいってタイプの役者さんもいれば、自分はこう言う表現ができなきゃ演劇をやる意味がないってタイプの演劇人もいると思うんです。悶々としている人たちって、後者なのかなと思うんですよね。

鈴木 そうですね。ARC>Tは、事務局に来た依頼に対してコーディネートまではするけど、事務局がプランニングまではするってことにしていないんですよね。だから、登録したメンバーが起案して、みんなの前でプレゼンして、それはやるべきだとなれば、どんな事業でもARC>Tの人やお金やネットワークで事業化できるスタンスは取っているんです。僕はエゴが強い企画ほど、アーティストからあがってこなくてはと思うんですね。だけど、なかなかそう言う企画はあがってこないのも事実ですね。それを今促しているところです。

田辺 難しいのかもしれませんね。そこまで門扉が開かれてないと思っていたり。

鈴木 それもあるかもしれませんね。活動がこう(福祉活動が中心)ですしね。中にはその可能性を感じてない人もいるかもしれませんね。

田辺 あとは、やる必要があればとか、必然があればと言うところにも距離を感じているとか。必要や必然があるからやっている訳じゃなくて、やっぱりただやりたいからやっているのが根っこにあると思うんです。「歌いたいから歌うだけだよ」と言う思いでやっている人には、やるべきとかやるべきでないとかの判断との折り合いはつかないと感じているんじゃないかとも思います。事務局の原西さんが、「自分はバカなことをしてたいだけなんだ」って言っていたんですけど、それが凄く印象に残っていて。

鈴木 役者をやっている連中はほとんどがそうだと思うんですよ。それでも彼の場合は、それだけじゃダメでみんなと考えなきゃいけないから事務局に入ったと言う、何らかの寄り添いを見せたんですね。今、それは必要なんだと思いますね。彼が主張してた「できれば役者だけやって生きていきたい」ってことだけを今言ってしまうのは難しいかもしれませんね。行動まではしなくても思考はしなくてはいけないと思いますね、特にこう言った地方で活動していくには。

その4に続く

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