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特捜!エンブスクープ!関西版版

永野宗典×山崎彬対談ロングバージョン


永野・山崎
 山崎彬(悪い芝居)・永野宗典(ヨーロッパ企画)

ヨーロッパ企画の永野宗典と、悪い芝居の山崎彬。どちらも京都在住で、現実世界と創作世界が入り組んだメタ的な芝居を好むという共通点があった。が、実際に対談してもらうと、作劇を始めた動機から恋愛観(笑)まで、予想以上の「似た者同士」ぶりに、その場にいた全員が驚くという結果に。本誌では今回二人が作った芝居の話題を中心に掲載したが、ここではサブ的に語られた話題──役者兼作・演出家ならではの演劇観や、「幸せが嫌い」という一瞬ドキッとする話などを、改めて掲載いたします。

■俳優として演じる喜びは、自分の作品では薄れてきている。

山崎 僕は今でこそ作・演出家って言われるけど、最初はただ役者がやりたかったんですよ。大学生の時に『なにもない空間』とか読んで、「これで俺は役者として一段階上がった!」みたいな気分になってたりしてました。
永野 ピーター・ブルックの? 一緒だよ、読んでたよ(笑)。
山崎 それで「役者としてやりたい芝居がもうない」とトンガって、じゃあ自分で書こう! というノリで、劇作を始めたところがあります。まあ、本当は誰からも声がかからなかっただけなんですけど(笑)。
永野 あー、それは僕も一緒かもしれない。役者としての行き詰まりを感じなかったら、自分がやりたい作品を自分で書こうとは思わなかった。
山崎 あと、役者として誰かのお芝居に出て、その演技が評価されたりしたら喜ばしいと思う一方で、何か「俺は今、代弁してるだけじゃないのか?」と考えたりするんですよね。
永野 あー、わかるわかる!
山崎 そうですよね。僕は永野さんとガッツリお話させてもらうのはこれが初めてなんですけど、ヨーロッパ企画の中で「俺はこれだけでいいのか」ということを、一番考えてる人じゃないかと思ってたんです。劇団に不満がありそう、という意味じゃなくて(笑)。
永野 でも俳優だけをやってる時よりも、作・演出をやってる時の方が、苦しいけど快感が大きい。「俳優だけ」というのに物足りなくなってきてるなあ、とは感じ始めているね。
山崎 役者だけをやってる舞台だと、作品に対する批判をされた時に「それは直接的には俺の責任じゃない」と、無意識に逃げてる気持ちがあったりするんですよ。でも自分が作・演出をした作品だと、批判に対する切なさとか憤りもそうだし、逆に「良かったです」という言葉も、すごくリアルに感じられる。
永野 そうそう。やっぱり最初は「自分の名前で作品を発表するのは、こんなに怖いことなのか?!」って、改めて思ったもん。でも山崎君は最初から、自分で満足のいく作品を作って、出演もするってやり方で続けてるでしょ? 毎回やりきれてる? 役者として。
山崎 始めのころはありましたね。でも最近は「自分が出たい芝居」というよりも、よそでやってないような演劇だとか、関西で活動していることとか、二十代でないと書けないようなこととかを意識して作るようになってきて。そのせいか、俳優として演じることの気持ちよさや喜びは、自分の作品の時には薄れてきたと思います。でもそのぶん、ほかの舞台に客演させてもらった時には、役者として楽しむというか……純粋な気持ちで出る。その辺はうまく、僕の中ではクッキリ分かれてきたかな、という感触はあります。
永野 じゃあ今は役者としての悩みとかは、ないの?
山崎 いや、ありますよ。本当は悪い芝居に出る時も、自分を単なる一つのコマとして使いたいのに、どうしてもお客さんに「芝居を書いた本人が、一番カッコいい台詞言うてるわ」と思われるんじゃないか? と考えてしまったりとか。
永野 いやー、絶対あるよ、それは。でも僕はそういう「自分がどう見られているか?」というのも含めて出発しているところがあるからね。その中には「ヨーロッパ企画の俳優が作っている」という見られ方もあるだろうし、僕自身それを計算している部分がある。
山崎 作品そのものよりも「誰が作った」という方が、微妙に舞台に影響しますよね。
永野 『虚業』は特に「ヨーロッパ企画の“役者”、永野宗典が作る演劇」というのを意識して作った作品だったし。もしかしたら僕は、純粋に作・演出家としては勝負してないのかもしれないよね(笑)。

■「言えない言葉」がどれだけあるかが、表現へとつながる。

永野 「今しゃべってることも、本当か嘘か考えちゃう」って言ってたけど(註:雑誌掲載インタビューの最後の言葉)、昔からというか、本質的にそういう性格なの?
山崎 本質的っていうのはあると思いますね。小学校、中学校、高校でそれぞれキャラクターを使い分けて、それによって周囲の僕への対応が変わるのを見て「やっぱり人間なんて、そんなもんなんだろう」と考えるような子供でしたし。
永野 あー、もうその頃から演じ出してたわけだ(笑)。でも僕も小さい頃、普通の人と環境とか感性が明らかにズレていて、それで人並みに見られようと、嘘ついたり見栄張ったりしてたのね。そんな「演じている」自分と、それを「嘘つけ、お前」と底の方からにらみつけてる自分とが、昔から二人いたという気がする。
山崎 芝居を作る時、そういう環境とか性格からの反動って、すごく出てきますよね。
永野 確かに「表に出せないけど言いたいこと」がいっぱいあったというのが、今になって作品作りとか、役者の仕事に結び付いているんだろうなあと思う。そんな「言えない言葉」がどれだけ自分の中にあるのかが、表現につながっていくんじゃないかな。
山崎 だからかな? 恋愛とかで私生活が満たされると、逆に不安になるってありません?
永野 あー、わかるわかる。幸せ嫌いよね、どこか(笑)。
山崎 私生活が幸せな時の方が、脚本とか書けない。それはもう、基本的なことで。
永野 日常が満たされてなくて「俺の人生、作品を作る以外何もすることないな」という状況になった時に、実際に作ってみたら何が残るのか? っていう感じだよね。
山崎 だからモノを作るっていうのは、どんな偉人でも結局は……なんだろう?
永野 実生活からは切り離せない。
山崎 そうですそうです! 何かねえ、その部分で充実することを拒むんですよ。
永野 わかる! 充実した途端に怖くなるもんね。素直に幸せを感じればいいのに、自分でもすごくやっかいだと思う……って、何だこの共通項?(笑)
山崎 でも「私生活が幸せじゃないと書けない」という人間にもなってみたいんですよね。
永野 実は僕もそっちに行きたいのよ。苦しみながら生み出す作品がどういうモノかわかったし(笑)、一つの幸せな状態を自分で認めた上で、できる作品というのも作ってみたい。
山崎 でもね、締切があるから書くとか、作業のために本を読むとか、それは作家としては幸せなことなのかもしれないけど、なんか逆に良くないような気もするんですよ。さっき永野さんが言ったように「やることが何もないから、芝居する」ぐらいの状態が、僕にはちょうどいいんじゃないかなと。
永野 まあ結局は、自分が作品作りに対して、どこに一番快感を求めているのかってことだよね。その意味で僕は「ドロッ」とか「オエッ」という感じで出てくるモノが、一番気持ちいいんだと思う。変な話だけど。
山崎 そうですね。実際「良く思われよう」と思って書いた本って、次の日に読むと気持ち悪くなったりするんですよ。そういうのはもう、すぐに全部削除しちゃいます。
永野 その辺厳しそうだよね。だけど改めて話してみると、本当に不思議なぐらい、山崎君と僕は共通するところが多かったよね。作劇を始めたきっかけも似ていたし、どっか似た者同士なんだろうなあと思いましたよ(笑)。

文◇吉永美和子