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『あるくと100人会議』会場のせんだいメディアテーク外観

震災で演劇は変わったの?


田辺 震災後に作品の本質的なものって、変わったりしたんですか?

鈴木 明らかに変わってますね。震災を避けようと思っても絶対無理ですね。お客さん側の心理もありますけど、震災を体感した者同士だから成立する表現ってものすらあると思います。

田辺 同じテーマでも東京の人が作った作品は東京のお客さんとは共感し合えても、東京と仙台とでお互いにお客さんを取っ替えたら、驚きやギャップになっちゃうんでしょうね。

鈴木 被災地って言うと、東北だったり被災三県って言われてますけど、宮城県の中でも街ごとにそれは違うんですね。100人会議でもなかじょうのぶさんって方が「自分の町でしか俺はもう新作はやらない」って宣言してましたけど、のぶさんは毎年町民演劇をやっていたんですね。それで、去年の3月12日か13日に前年の町民演劇の上映会をする予定だったんですね。それが震災でできなくなって、6月くらいに落ち着いたから上映会をやろうってことになったんです。客席に集まった町民200人くらい全員が知り合いなんですよ。それで映像見ながら、「ああ、この人死んだね」とか「この時元気だったのにね」とか言う訳ですよ。それを見てのぶさんは、今年やるかなんて話はできないって思ったらしいですね。それでも町民の人たちに聞いたら、みんな「やる」と、「ただ、内容は震災にしてくれ」と、そう言われたそうなんです。その時にのぶさんは、ここの人たちがここでやるから意味があるって思ったらしいんです。一歩でも外に出たら違うものになってしまうだろうと。作る側も観る側も同じ経験をしたからこそ成立するものってあるんだなって。それは、今回の震災をテーマに深くすればするほどそうなるだろうと。それを最初から外に持っていくことを目的にしたり、外の人で今回の芝居を作ろうとすると、少し震災から距離を取らないと、作りづらいだろうし、伝わりづらいんだろうなとは思ったりしましたね。

田辺 100人会議の打ち上げで、「仙台来て演劇やって下さいよ」って言われたんですけど、すごくためらう気持ちになっちゃったんです。それは、自分は意味のない面白さとか、テーマもないデタラメさが好きなんですけど、震災があったことで意味のないものにも意味が生まれちゃう気がして。うまく伝わらないんじゃないかって言う不自由さを感じていて。東京で活動している人間でさえそう感じるのに、仙台の人はどれだけ不自由なんだろうって思っちゃいますね。共感し合えないんじゃないかと言う壁を感じてしまうのが、表現を遠慮させちゃう気がするんですよね。

鈴木 そう言う思いが強い人ほど、動けていないかもしれませんね。のぶさんの様に「この土地でしか新作をやらない」って言う人の方が動けているかもしれません。

田辺 僕の家が火事になったとき、その直後にあった公演をどうしようかって考えたんです。やるんだったら中途半端にしたくなかったから、自分の家の火事を題材にした公演をやったんですね。自分は当事者なので、弱者の強みがあると言うか、「どうだ、かわいそうだろ!」って全面に押し出すことで、僕の火事のネタは笑いに変えれたと思うんですよ。やっぱりそこが中途半端になっちゃうと、「これ笑っていいの? 笑えないの?」ってなっちゃうから。でも、震災を笑うことはできないじゃないですか。多分、この先もずっとできないと思うんですよね。ましてや僕は震災を体験もしていない人間ですし。毒がある方が健全だと思うんですけど、でも、この震災には毒が全く成立しないんですよね。別に震災を笑いにするとかってつもりは全くないですけど、震災をテーマにしなくても、ある種の表現は表現しづらくなっちゃったのかなあと思ったりはしました。お芝居ができる状況よりも、表現が自由にならないとお芝居ができる環境が整ったことにならない様な気がして。僕は演劇がやりたいんじゃなくて、自分の作りたいものを演劇で表現しているんです。だから、演劇ができればそれでいいのかってところと、作りたいものって別な気がして。もし、自分が作りたい表現ができない環境になったらどうしようって、そこを凄く考えちゃいました。

鈴木 ARC>Tに登録したメンバーの中でもそう言う悶々とした思いの人たちはいると思います。そう言う人たちは教育や福祉の出前が7割の今のARC>Tの活動には参加していないですね。

田辺 その悶々とした人たちが演劇できるようになって欲しいです。いろんな舞台に挑戦してみたいってタイプの役者さんもいれば、自分はこう言う表現ができなきゃ演劇をやる意味がないってタイプの演劇人もいると思うんです。悶々としている人たちって、後者なのかなと思うんですよね。

鈴木 そうですね。ARC>Tは、事務局に来た依頼に対してコーディネートまではするけど、事務局がプランニングまではするってことにしていないんですよね。だから、登録したメンバーが起案して、みんなの前でプレゼンして、それはやるべきだとなれば、どんな事業でもARC>Tの人やお金やネットワークで事業化できるスタンスは取っているんです。僕はエゴが強い企画ほど、アーティストからあがってこなくてはと思うんですね。だけど、なかなかそう言う企画はあがってこないのも事実ですね。それを今促しているところです。

田辺 難しいのかもしれませんね。そこまで門扉が開かれてないと思っていたり。

鈴木 それもあるかもしれませんね。活動がこう(福祉活動が中心)ですしね。中にはその可能性を感じてない人もいるかもしれませんね。

田辺 あとは、やる必要があればとか、必然があればと言うところにも距離を感じているとか。必要や必然があるからやっている訳じゃなくて、やっぱりただやりたいからやっているのが根っこにあると思うんです。「歌いたいから歌うだけだよ」と言う思いでやっている人には、やるべきとかやるべきでないとかの判断との折り合いはつかないと感じているんじゃないかとも思います。事務局の原西さんが、「自分はバカなことをしてたいだけなんだ」って言っていたんですけど、それが凄く印象に残っていて。

鈴木 役者をやっている連中はほとんどがそうだと思うんですよ。それでも彼の場合は、それだけじゃダメでみんなと考えなきゃいけないから事務局に入ったと言う、何らかの寄り添いを見せたんですね。今、それは必要なんだと思いますね。彼が主張してた「できれば役者だけやって生きていきたい」ってことだけを今言ってしまうのは難しいかもしれませんね。行動まではしなくても思考はしなくてはいけないと思いますね、特にこう言った地方で活動していくには。

その4に続く